文政四年三月二日、物部八重は娘のお絹、小八お仙夫婦の看病の甲斐も無く、養生及ばず三十九歳の生涯に幕を閉じるのでした。

高濱文治郎は、お八重の葬式の金を出して遣りまして、高濱家の菩提所である岡山城下の大工町に在る西念寺へと土葬に致しました。

そして七日々々の佛事を勤め早三十五日で切り上げの日に、高濱文治郎とお絹は本堂で落ち会いまして、三十五日の営みも滞りなく相済まして、

文治郎「お絹殿、次の七日後の四十二日法要は寺方が不都合な様なので四十九日法要と一緒に致しましょう。」

お絹「ハイ、承知致しました。併し、何から何まで全部文治郎様のお世話に成りっぱなしで大変恐縮です。」

文治郎「構いません、いずれ家族に成る二人ですから、義母の葬い供養を致すのは拙者の勤めです。では次は来月五月一日にお逢いしましょう。」

お絹「ハイ、では左様なら。」

高濱文治郎と寺で別れたお絹は、大工町から西中山下の小八の八百屋へ戻ります。時刻はもう暮れ六ツ前で、辺りは早黄昏ておりました。

小八「アラお嬢様もうお帰りでしたか、法事も経を聴いて板の間でズッと正座ですから疲れたでしょう、先に湯にでも行って来て下さい。」

お絹「ハイ、ではお言葉に甘えて!」

そう謂うとお絹は手拭いと糠袋を下げて、近所のお湯屋『櫻湯』へと向かった。小八の家を出て二つ目通から路地へと曲がり掛けた其の時、

真っ暗な闇の中から頬冠の男が、三、四人突然飛び出し来て、お絹の口を抑えて猿轡を咬ませると、そのまま担いで後楽園の裏手の林へ!

其処は東照権現が祀られたお霊舎が御座います。其処へ向かってお絹は連れ去られ、林の奥へと進みまして祠の様な小庵に連れ込みます。

其処で漸くお絹は猿轡を解かれまして、例の今枝要に三両でお絹と文治郎への復讐を依頼された、仲間の藤八が脅し文句を掛けて参ります。

藤八「若旦那!娘をカッ拐って参りました。さぁ、此方へ出て来て下さい。」

そう藤八に呼ばれて奥から現れたのは、勿論、此の誘拐の首謀者の今枝要で御座いまして、相変わらずの醜い面に曲がった身体で現れます。

要「ご新造さんへ、女将さんへ、いやぁさぁ!お絹、久しぶりだなぁ〜、ヤイ、汝はよくも拙者を馬鹿にして呉れたなぁ。お前自らが拙者宛に艶書を認めて於きながら、拙者を欺き!!

あの高濱文治郎と内縁を結び卑猥な行為に及んだな。今晩はそんな淫乱の貴様にお仕置きだ!タップリ可愛いがってやる!楽しみに致せ、此の売女!」

お絹「アーれぇ〜!アーれぇ〜!助けてぇ〜、アーれぇ〜!」

藤八「エーイ、八釜しい(喧しい)黙れ猥女(アマ)此処は権現ご霊舎の林ん中だ!貴様がどんなに叫んでも、人ッ子一人通るものか!

さぁさぁ若旦那!そろそろ、跡が少々閊えておりますから遠慮なさらず真っ先にお楽しみ下さい。野郎ども!此の猥女の着物をヒン剥け!」


手足を抑えられても、猶も必死に抵抗していたお絹でしたが、白痴の今枝要に強姦(手籠)にされて心に張り詰めた糸が切れて仕舞います。

顔中に穢れた涎を浴びながら恥辱を受けるお絹は静かに発狂して行きます。そして獣の様な連中に輪姦れて、最後捨科白を浴びせられます。


要「ヤイ!お絹、命だけは助けて遣わす。さぁ、皆の者、之より仇討ちの祝宴じゃ、中島へ行って呑み明かすぞッ!!」

と謂って今枝要と無頼の徒はその場を退き、後に残された不憫なお絹は髪をおどろおどろに振り乱し、魂の抜けた様子で林ん中を彷徨います。

一方、その頃西中山下の小八の家では、近所の櫻湯へ行くと謂って暮六ツ前に出たお絹が、五ツの鐘を聴いても戻らないので夫婦が心配します。

小八「オイ、オッカー、お嬢様は幾ら長湯とはいえ遅過ぎやしないか?」

お仙「まぁ女は知り合いと湯屋で会うと、馬鹿ッ噺に花が咲いて貰い莨で刻を忘れると、一刻くらいは平気で居るモンですよ、お前さん。」

小八「お嬢様をお前と一緒にするな!第一、お嬢様にバッタリ会う知り合いなんて有るのか?其れにお嬢様は莨はやんねぇ〜しッ。」

お仙「だ・か・ら、喩えばッて謂ったじゃないかぁ。お嬢様もアタイと同じ女だから湯は好きさねぇ、偶には長湯する事も有るッてぇ。」

そんな話をしていると表の玄関戸を叩く音が致しますから、小八が出て見るとあられも無い姿でお絹が居りますから、びっくりして中へと引き入れます。

小八「どうなさったのですか?お嬢様、オイ、お仙、湯を沸かしてお身体を拭いて差し上げろ!お仙、急いで呉れ。」

真っ蒼な顔に散らし髪、目の焦点が定まらないお絹を必死で介抱する小八とお仙。気付の薬を飲ませたり身体を綺麗に拭くなど致しますと、

漸くお絹は少しずつ正気を取り戻し、今度は突然泣き出して怒りを露に致しまして、一頻り泣き終わるとポツリポツリと語り出しまが核心には触れません。

流石、武士の娘!お絹は既に覚悟を決めて命を捨てる所存。小八はそんな物部家の令嬢・絹の姿をじっと見詰めて忠義の意思を示します。

小八「お嬢様!一体どうなされました。」

お絹「仔細は後程判る様に致しますから、直ぐに妾を高濱文治郎様の所へ連れて行って下さい。何卒お願い申します。」

小八「ヘイ、合点です。俺はお嬢様を背負って行くから、お仙、お前は提灯下げて道先案内をしろ!」

お仙「ハイ!」

お仙はお絹の髪と着物の体裁を整えると、ブラ提灯を下げて先に外へ出ます。後から小八がお絹をおんぶして続き高濱屋敷へと向かいます。

西中山下から武者小路の高濱屋敷までは、二町ほど離れていますが、直ぐに高濱屋敷の門前に着きますと小八はお絹を背中から下ろします。

お絹「私は此処に居ますから、一寸の間だからと文治郎様をお呼び下さい。」

小八「ヘイ、承知致しました。」

小八は勝手知ったる他人の家で御座いまして、玄関脇を抜けて庭に出ると邸内へと這入り、文治郎の前に一人で現れて声を掛けます。

小八「文治郎の旦那!お絹お嬢様が、門の関根でお待ちで御座います。」

文治郎「何ぃ〜、お絹殿が?!以前より斯様な淫らな事は致さぬ様にと、口を酸っぱく正して於いたのに、何故呼び出しに参った?!」

と、詳しい事情を知らない高濱文治郎は露骨に不満気な表情を見せるのですが、是を小八が宥め透かして、門の傍へと連れて参ります。

文治郎「何んだ!絹殿、拙者を無闇に夜間呼び出しては困ると、前々から謂って有るだろう。」

お絹「ハイ、之には仔細が御座いまする。どうか文句を謂わずに、妾に付いて来て下さいませ!!」

そう謂うと、文治郎と小八が何処へ連れて行かれるのか?!と疑念が一杯の中、大工町に在るお絹の母親、お八重を葬った菩提所西念寺。

其の裏手に位置する人気の無い竹藪へと連れて行かれるので、是は何事在らん?!と、文治郎も小八も不思議で仕方有りません。

お絹「小八!お前は暫く、そこで一人で待って居てお呉れ、文治郎様と二人だけで噺が御座います。」

そう謂うとお絹は高濱文治郎の手を握り、竹藪の奥に御座います、母親お八重の墓前へと是を誘いまして其の前に手を合わせて祈ります。

文治郎「お絹殿、拙者と二人だけで噺がしたいならば、こんな場所で無くとも御城下には茶屋、小料理屋など幾らでも他に宜しい処が在るだろうに。」

お絹「ハイ、其れは、文治郎様!実は…、妾の身体は穢れて仕舞いました。」

文治郎「穢れて仕舞った? 身体が?!」

お絹「ハイ、其の理由(ワケ)と申しますのは、カクカクしかじか云々かんぬん。誠に、口惜しゅう御座いまする。」

そう謂って自ら仔細を語ると、地びたに身体を臥して、泣き崩れて仕舞うお絹を見た高濱文治郎は怒りに震えてそっと絹の肩を抱きました。

文治郎「ウーム、未だ枕は交えじとはいえ絹殿、貴女は拙者の内儀(ツマ)で御座る。其の内儀を獣欲に遂げるとは壱千石取りの武士に有るまじき所業、

己のれッ、憎っき今枝要めぇ!必ずや我が剣にて頭から足先迄五寸刻みに斬り捨てむ、絹殿、奴等は何処へ参った!お教え願いたい。必ずや成敗致す。」

お絹「妾に散々悪口を吐き、中島の魚清へと参りました。」

文治郎「ヨシ、直ちに中島の魚清へ乗り込んで、今枝要を初め絹殿を穢した奴等を、一人残らず五寸刻みに致し斬り捨てん!!」

目は血走り血相の変わって仕舞った文治郎が、焦点の定まらぬ表情で其の様に語る姿を見て、お絹は一段低い調子で諫める様に喋ります。

お絹「一寸お待ち下さい!文治郎様。其のお腹立ちは御尤もに御座いますが、今、あの輩を怒りに任せて斬り捨てに相成りますれば、

貴方の御父上様に多大なる御難儀が降り掛かり、高濱のお家は改易と成るのは必定。ご兄弟や母上様まで巻き込んで露頭に迷わす結果に相成りまする。

如何か御堪忍をなさいまして、其の替わりでは御座いませんが、此の妾の生命を楽にして頂き、来世での夫婦をお誓いし如何か心をお鎮め下さい。」

文治郎「オォ、能く謂うて呉れた!然らば拙者、あの輩を斬り捨てる事は思い止まろう。猶其方の生命(いのち)は拙者が貰ったぞ!

其の替わり今世で拙者は決して内儀は持たぬ。お絹殿、之を冥土の土産と致し、勿論来世には夫婦と成りましょうぞ!いざ、南無阿弥陀仏。」

お絹「ハイッ。」

そう返事すると、お絹は両眼を閉じて、胸の前に両手を合わせて、同じく『南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。』と小さな声で念佛を唱え始めます。

一方、高濱文治郎はと見てやれば、腰の大刀を引き抜いて『いざ、参る!』と一言掛けて『ハッ。』と気合と共に抜刀一閃!すると………

細く長い首は二つに分かれて、小さな頭は前に転がり鉄の臭いが周囲にパッと広がると、お絹は遠く天へと召されて仕舞います。

文治郎は口を堅く真一文字に結んで、淡々と絹の生首は袖端に包み、胴は母の墓へと合葬にして仕舞うと、其の生首を携えて小八が待つ竹薮の入口へ。

文治郎「小八!待たせたなぁ、其処に居るのか?!」

小八「へぇ、其れでお絹お嬢様は如何なされましたかぁ?!」

文治郎「お絹は仔細有って寺方に預けて参った。まぁ、小八貴様にも後々判る事ではある。取り敢えず、屋敷に戻るがお前も同道致せ。」

小八「ハイ!承知致しました。」

そう謂うと高濱文治郎は八百屋小八を連れて、自身の屋敷へと一旦帰って行きます。そして小八を門の脇に待たせて一人奥へと這入って行きます。

宅へ上がる前に文治郎は井戸端へと向かい、先ずはお絹の生首を水で綺麗に血を流してやり、又、自らの大刀の血糊も此処で洗い流して鞘へ戻します。

そして、自室に帰るとお絹の生首を今度は立派な風呂敷に包み直すと、何やら手紙を認めまして『今枝要へ 高濱文治郎より』と宛名を印します。

さて、高濱文治郎、門の関根に待たせて居た八百屋小八の元へ、この風呂敷包みの生首と手紙を持って現れ、小八に向かってこう命じます。

文治郎「小八、こんな夜分に大変ご苦労だが、済まぬが中島の魚清まで使いに行って呉れ。其処に御家老の次男、今枝要様が居られるから、

之を『今宵の肴に』と申してお渡しゝて呉れ。そして、手間を掛けるが必ず、要様よりお返事を聴いて参って呉れるか?頼んだぞ、小八。」

小八「へぇ、ガッテン承知之助ですが、一体此の中身は何んですかぁ?!旦那。」

文治郎「其れは今判らずとも宜い。お主は先方の返事を聴くのだから、其処で否応無しに判る事になる。良いから早く行って呉れ、小八。」

小八「ハイ、左様で御座いますか。文治郎様、返事は必ず聴いて帰りますから、アッシの家で待って居て下さい。此のお屋敷に深夜這入るのは敷居が高いです。」

文治郎「相判った。早く頼む、小八。」


一寸と疑心暗鬼な八百屋小八ですが、高濱文治郎より託された風呂敷包みと手紙を持って、城下の中島に在る料亭『魚清』へと向かいました。

すると、既に戌の下刻ですが、中島の魚清には灯りが点いていて、まぁ〜二階はドンチャン!ドンチャン!煩く騒いで居る様子でした。

小八「御免下さいマシ。」

女中「ハイ、どなた様ですか?!」

小八「今枝様の若旦那、要様がお見えでしょうか?!」

女中「ハイ、いらっしゃって居ります。」

小八「左様ですか?お姐さん、ちょいとお盆を貸して下さいませ。」

女中「お盆を?!」

小八「いえ、此の風呂敷包みとお手紙を預かって来たもんで、お盆に乗せてお姐さんにお二階の今枝要様のお座敷へ運んで貰おうかと思いまして。」

女中「重いの?」

小八「いいえ、大して重くは御座んせん。高濱文治郎様より今枝要様宛にお預かりした『今宵のお肴』です。

アッシは玄関でお待ちして居ますから、お姐さん、お盆を要様へ届けてついでに手紙の返事も聴いて来て下さい。」

そう謂うと小八は女中に一朱を掴ませて、お盆に乗せた風呂敷包みと手紙を届けさせます。さぁ頼まれた女中は何も知らずに二階へと運びます。

女中「今枝の若旦那様、今、八百屋の小八ドンが『今宵のお肴』だと之を。高濱文治郎様よりの進物だそうで、お手紙の返事を頂戴したいと申しております。」

要「ホー、文治郎からの進物だと、今宵のお肴だと申すのだなぁ?! オイ、藤八、此の風呂敷包みを開けて見よ。肴だそうだ。」

藤八「へぇ、併し、高濱文治郎の方から進物を贈って来るなど、そんな不思議が御座いますか?!」

そんな事を申して、風呂敷を開けてビックリ!女の生首がコロンと出て来て、畳に転がりましたから運んだ女中が仰天して、


ギャッ!!人殺し


と叫んで驚きの余り這う様にして梯子段を倒けつ転びつ逃げる様に去って仕舞います。さぁ、生首は紛れもなくお絹で御座います。

白痴の今枝要はブルブル震えながらも、添えられて来た高濱文治郎からの手紙を読んでみると、猶一層震えが止まらず暫くは声も出ません。

一方、魚清の玄関先に居りました小八は、突然、自分が風呂敷包みと手紙を託した女中が、怯え切って二階からの梯子段を転がる様に落ちて来るので、

是は二階で何か有ったに違いないと確信致しますが、流石にお絹の生首が届けられたとは思いませんから、二階の様子を見に梯子段を駆け上がります。

トントンと二階へ上がると、女中が開けっ放しで逃げた襖越しに、畳に転がるお絹の生首が小八の目にも飛び込んで参りますから驚きます。

更に、奥の座に居ります面々も一同驚愕の余り全員顔面蒼白で唖(オシ)の様に言葉を失っております。すると、今枝要が小八を見付けて、

要「ヤッヤッヤイ!コッコッコ小八。拙者が悪かった。高濱文治郎に謝罪文を書く、にィ依ってどうか其方!之を届けて謝って呉れ!!」

小八「ヘイ、アッシには未だにさっぱり訳が判らぬのですが。訳をお聴かせ願えますか?!」

要「其の理由(ワケ)と申すのはだなぁ、カクカクしかじか云々かんぬん、文治郎とお絹が悪いのでは決してない。原因(モト)はお前が悪い!小八。」

小八「エッ!何んだとコラ!人が大人しく下手に出て居りゃぁ、つけ上がりやがって!コラ。飛んでも無い理屈を捏ねやがる。

文治郎様とお絹お嬢様が、お前さんは情通に成っていると思って居る様だが、お二人は文治郎様が二十五歳に成る迄は清い関係を続けると、

そうお決めに成って夫婦約束をなさったダケなんだ。其れを勝手にお絹様御生母お八重様への文治郎様のお見舞いを夜這いか何かと勘違いしやがって

其れに今枝要様、貴方は今日が何んの日だか知ってゝ、あの林のご霊舎に在る小庵ん中であんな事をしたんですか?愚かしいにも程がある。」

要「今日が何んの日だと謂うんだ!小八。」

小八「今日は四月十七日。権現様が元和二年の此の日に身罷られた由えに、四月十七日に権現様のお祭が行われているんじゃありませんか!

其れを事もあろうに権現様をお祀りしているご霊舎の林ん中で、而もお祭当日に強姦を働くとは!ご霊舎を穢した罪は軽くは有りませんよ。

高濱文治郎様が喩えお許し成されても、此の小八が許しません。お恐れ乍らとお目付役様へと訴え出て、必ずや壱千石の家をお取潰しに致します。」

そう謂い放つと、八百屋小八は大層強気に成りまして、お絹の生首を再び風呂敷に包み直しますと、今枝要の謝罪文も持ちまして、

此の中島に在る料亭『魚清』を立ち去ろうと致しますから、今枝要は益々、顔の色が蒼ざめまして、歯をガタガタいわせ震えながら答えます。

要「小八、其方の立腹は御尤もじゃが、其処を曲げて頼むのじゃ。臍を曲げずに高濱文治郎に謝罪文を届けて、お主からも謝って呉れ!頼む。」

小八「高濱文治郎様は随分ご立腹でしたから、剣術は一刀流の使い手ですし、一応、お伝えは致しますが如何なる結果になるかは保証致し兼ねます。

嗚呼、併し之で物部三太夫様のお家の血筋は、完全に絶える事に成りました。何んと御労しい事だ。小八の力不足で御座います、三太夫様。」

そう謂うと、小八は風呂敷包みと謝罪文を持って梯子段を下りて、西中山下の我が家へと急いで帰った。其れは丁度子刻を告げる鐘が聴える頃で有った。

小八「只今!」

お仙「アンタ!只今じゃないよ。高濱の文治郎様が一刻ばかり前から来てなさるよ。来なさるなら前もって教えときなさいよ!ッたくぅ。」

小八「済まない。お遣いが急に決まったから、で、文治郎様は?!」

お仙「奥に居なさるよ。酒を切らしているから、お茶で繋いで居なさるが、アンタ!上手に謝っといて。」

そう謂う女房のお仙を尻目に、風呂敷包みと謝罪文を持って奥の居間へ這入ると、待ち兼ねた様子で高濱文治郎は莨を呑みながら待って居た。

文治郎「オォ、小八!其れで如何であった?!」

小八「文治郎様!何故、お絹お嬢様を殺したんですか?死なせる相手が違うでしょう。何故、今枝要の奴を斬り捨てゝやらないのです。」

文治郎「其れは其方に謂われる迄も無い。拙者も最初(ハナ)は今枝要と仲間達を斬り捨てる所存で有った。」

小八「では、何故?!奴等を斬り捨てないのですか?!」

文治郎「其れは何よりお絹殿に止められたからだ。お絹自身が『其れをやると高濱の家が潰されて仕舞う!』と指摘して止めて呉れたからだ。

勿論、拙者も頭で考えて心に問うた。其れで本当に宜いのか?と、深く何度も自問自答し悩み抜いた末に、復讐ではない道を選ぶと絹殿と決めたのだ。」

小八「嗚呼、誠に御尤もに御座いまする。私も貴方様に謂われた事はご理解致します。元は武家奉公を致した身で御座いますから

あの様な白痴と流れ仲間をお斬りに成ると、刀の穢れに成るばかりで御座います。宜く御堪忍なさいましたなぁ。さて、此のお絹お嬢様の生首、如何致します?」

文治郎「オォ、其の事は心配致すな。拙者に考えがある。」

そう謂うと、翌朝、高濱文治郎は八百屋小八を連れてお絹の生首を持って西念寺の墓へと向かい、昨夜埋葬した胴と首を改めて合葬した。

そして、西念寺の和尚に金子を握らせて、極内々に葬う事に致します。真、地獄の沙汰も金次第で御座います。軈て人の噂も七十五日と申します。

この一件は全く表沙汰には成らずに事が収まり、平穏な日常が戻りました。さて、悪事に組した連中の内、今枝要と藤八以外は全て岡山城下から姿を消し、

今枝要は、高濱文治郎の影に怯えて、益々、屋敷からは外へ一歩も出歩かぬ様に成ります。こうして、然るに高濱文治郎と今枝要は絶交と相成ります。


さて、岡山城主松平内蔵頭様には、伯父に当たる池田玄蕃と申す元國家老様が御座います。此の玄蕃様は既に隠居の身で、家督は御長男の胤篤様がお継に成り、

玄蕃様自身は大変に茶の湯の道を愛されている方で、この度隠居所の中に新しく茶室を拵えたと謂う事で、其のお披露目の会が催される事に相成りました。

そこで、御領主松平内蔵頭様を筆頭に同藩の御重役の面々、並びに茶道に明るい藩士の多くが此の茶室開きの茶会に招かれます。

勿論、同藩次席家老である今枝将監も、此の茶会に招かれまして同日暮六ツ酉刻より池田玄蕃の隠居所/別荘へと出掛けて御座います。

そして迎えた七ツ半、戌の下刻と成りますと各大臣の家々では、茶会へ出した家人に使者並びに駕籠を伴ないお迎え致す時刻と相成ります。

其処で今枝家でも其の支度に内儀初枝が取り掛りましたが、此の日長男の内記は御城内の宿直で不在、仕方なく次男の要に是を命じます。

初枝「之れ!要、其方は何時迄もボーっと暮らしておるのでは有りません。少しは両親の役に立ちなさい。今夜父上が池田玄蕃様の御別荘へ、

茶室の建前の祝辞の茶会へお出に成っておいでじゃ。由えに其方、仲間とお駕籠をお伴に連れてお迎えに行って於いで、宜しいか?要。」

要「ハイ、畏まりました、母上様。」

と、返事は良かったのですが麻裃を付けて袴を履かせ、大小二本帯同させたのは母初枝の仕事で御座いまして、仲間の藤八をお伴に早速出掛けます。

武者小路の今枝屋敷を出まして、藤八に弓張提灯を持たせて要と二人が先に歩き、その後ろを駕籠の方は二、三軒離れて付いて参ります。

此の連中が今しも後楽園の裏手、例の権現様のお霊舎の傍を通る道へと差し掛かって参ります。辺りは真っ暗で全く人通りは有りません。

藤八「若旦那!今思うとゾッと致します。丁度此の辺りですよ、あのお絹って娘をひっ担いで来て、寄って集って輪姦(まわ)したのは、」

要「ウーン、其れは何処じゃ?!」

藤八「何処じゃ、じゃ有りませんよ、貴方がイの一番に強姦(犯した)癖に、相手は既に佛なんだ!化て出ますよそんなヨタこいてたら。」

要「化て出るのか?また、お絹に逢えるのなら、其れも一興よのぉ〜、藤八。」

藤八「何を涎を垂らしてるんですか?若旦那は幽霊が平気なんですか?!」

要「平気も苦手も無い、幽霊には拙者、まだ逢うた事が無い。」

と、まぁ〜、白痴に付ける薬はなく、半分後悔している藤八の方が呆れて仕舞う位の馬鹿で御座いまして、全く噺に成りません。

自分が強姦した場所を探して、其の相手が化けて出ますよ、と、言われたら、美人だったからもう一度逢いたいと、涎をタレ流す始末です。

そんな二人が霊舎傍の林を通り抜ける道を進んでいると突然、林の暗闇から黒装束に所謂宗十郎頭巾をした、六尺越えの大男が一人飛び出して参ります。


此の大男、手には六尺棒を持ち、いきなり是で藤八が持っていた提灯を叩き落とし、アァーっと驚いて声を上げる二人に襲い掛かり向う脛をいきなり掻っ払います。

さぁ、此の様子を二、三軒後ろで見ていた駕籠カキがビックリします。その大男の曲者は尋常じゃない風切り音で六尺棒を振り回し、

其れで脛を攫われた二人は大声で泣き叫び助けを求めますが、駕籠カキ達は丸で蜘蛛の子を散らした様に駕籠を捨てゝ、二人も捨てゝ逃げ去ります。

そして、動けない二人に曲者は容赦なく六尺棒で、肩、背中、腰と骨を破壊する勢いで折檻を浴びせ続けますから、二人は悲鳴すら出せず気絶致します。

さて、此の曲者は?誰あろう、もう皆さん!お判りですよねぇ?ハイ、其の通り!高濱文治郎で御座います。文治郎は二人に喝を入れて起こし語り掛けます。

文治郎「ヤイ、憎ッくき今枝要!並びに下男藤八。貴様等両人は本来ならば、五寸刻みに斬り捨て地獄へ送ってやる所存なれど、

誰あろう、お絹自身が刀の穢れに成るだけだと申し止めて呉れた由え、命ばかりは助けてやったが……、併し思えば無念口惜しい。

依って今宵は茶会でも有る事から、貴様等に正義の鉄槌を下しお絹の霊の鎮魂を込めて、些か折檻致してやったが安心致せ命は許す。」

そう謂うと、此の後楽園裏の林から我が家へと立ち去るのであるが、家に帰り着いたのはもう八ツ半過ぎ、間もなく子刻、深夜で御座います。

門も裏木戸も内部から施錠されて御座いますから、容易に屋敷内へは帰れません。仕方なく塀伝いに飛び石など利用して庭へと降りて、

雪隠へと向かう廊下を逆進し、自らの部屋へと帰ろうと致しましたが、丁度、飛び石伝いに庭へと降りる所で、父、文左衛門が雪隠を使いに参ります。

又、間の悪い事に其の夜の文治郎の格好は、宗十郎頭巾に黒装束で六尺棒を抱えて御座いますから、誰が見ても盗賊其の物で御座います。

ですから、父文左衛門は雪隠の裏へ周り、庭下駄を履くと抜き足、差し足、忍び足でそぉーッと文治郎の背後からいきなり掴み掛かります。

文左衛門「己のれ、曲者!」

文治郎「父上、違います。文治郎に御座います。」

文左衛門「エッ!本に文治郎であるか?!」

と、謂うと文左衛門は、文治郎が被る宗十郎頭巾を剥ぎ取ります。すること下から、我が子文治郎の顔が月灯りにも見えますから驚きます。

文左衛門「文治郎、貴様はこんな夜更けに何を致して居る。有体に申しなさい。」

文治郎「申し訳御座いません。実は………。」

と、この日の深夜父文左衛門に全てを噺まして、文治郎は自らの勘当を申し出ますと、突然の余りに理不尽な噺に暫く父は考え込みます。

文左衛門「あの白痴めなら左も有りなんとは儂も思うが、相手は壱千石の家老だぞ、其れにあの親バカの見本の様な母親は貴様を許すハズがない。

確かに総てが露見すれば、お主が当家に在ると三百石の高濱家は改易は免れぬ只今より文治郎、貴殿を勘当致す。後日今枝様よりお尋ね有らば、

既に勘当致して当家を追い払い、領國内を所払いにして在ると申さばお咎めは無かろう。由えに当地を一刻も早く立ち去って呉れ。

其の替わりでは無いが、之は高濱の家に先祖代々伝わる名刀『粟田口忠綱』の一振と、金子を五十両遣わす、持って行きなさい。

そして父より一つだけ遺訓である、文治郎『忠臣二君に仕えず。』之だけは、武士の道を守って生きなさい。決して二度と仕官は許さぬ。

文治郎、お前の領分に合った身の丈相応の生業を見付けられよ!心に武士として誇りを持って生きられるなら、父はお主を決して恥じぬ。」

文治郎「ハハッお父上様の御教訓は心魂に徹し忘却は仕りません。其れでは母上様、兄上様、並びに勝三郎にも宜しくお伝え下され。」

と、父に暇乞いを致し、母兄弟には伝言を残して高濱文治郎は住み慣れた備前國御野郡岡山を、夜陰に紛れて出て立退く事と相成ります。

さぁ、本講釈も是より愈々、次回よりが高濱文治郎が、侠客・業平文治と生まれ変わるお噺へと移り益々面白く成ります、乞うご期待!!


つづく