偖て、八百屋小八はお絹が認めました今枝要宛の艶書を懐中に仕舞い込み、是を渡す機会を見計らいつゝ今枝屋敷の御用勤めを致しておりました。

そんな或日、今枝家に法事が御座いまして、其の精進料理の野菜の仕込みを、一切、小八が引き受ける事に相成りまして絶好の機会が訪れます。

法事当日、八百屋小八は朝早くに注文の野菜を持って、次席家老今枝将監のお屋敷へ参りまして、裏の勝手口から台所へと野菜を運び込みます。

その作業中も、実に注意深く次男の今枝要が姿を現わさないか?気を付けながら、周囲をキョロキョロ見ているものゝ他の家人には会うが、

お目当ての今枝要の姿は御座いません。時々、玄関や菩提所から来ている僧侶達がお経を上げている仏間を覗いてみたりもしましたが………

そして、やがて精進料理が振る舞われて、御酒なども出されてはおりますが、祝辞の宴会ではなくあくまでも法事ですから、厳かに静かな会食です。

実はその様な場なので、今枝将監は要が粗相を仕出かすのが心配になり、母初枝に命じて奥の離れに閉じ込めて出さない様にしておりました。

其の母初枝も法事の客を放って、四六時中要の世話をしている場合じゃ有りませんから、要は時期に退屈し出して愈々離れを抜け出して、

庭下駄を突っ掛けて中庭を横切り、黒板塀伝いに裏口へと回って、独り何処かへ出掛け様と致しております所へ偶然、小八と出逢います。

小八「オヤ!若旦那、要様、何方へ向かわれますか?」

要「何だ?八百屋の小八か、ビックリさせるな。野菜を持って参ったのか?ご精が出ますなぁ、八百屋さん。」

小八「何を呑気に、要様、実は少しお噺したい事が御座いまして、一寸、台所に顔を貸して下さい。」

要「何ぃ?!顔を貸す???拙者の顔は生憎と外れないぞ!」

小八「何を『金明竹』の与太郎みたいな事を、宜いから付いて来て下さい!」

と、小八は要の手を取り、強引に引っ張って台所の静かな処へ連れて行きます。

小八「ところで、要様!貴方、十日ばかり以前に吉備津神社の祭禮に行きましたか?!」

要「オー、行った。」

小八「其の時に、宮下を通り露店商の爺、婆と揉めたり致しませんか?」

要「ロテンショウ?露店商?!」

小八「テキヤの外の出店の事です、露店商。」

要「何んだ、左様であるかぁ、ロ・テンショウなどと唐土や朝鮮の呼び名を使うから判らぬぞ、小八。確かにテキヤの汚い出店に突っ込んで揉めた。」

小八「其の際、傍らに三十七、八のご新造と十七、八の別嬪の娘さんを見ていませんか?!」

要「見た!居った!絶世の美女が一人居ったぞ!!」

小八「その揉めた際に貴方は、爺と婆に金子を恵みましたか?」

要「オー、確かに金子を恵んだ、イヤ、高濱文治郎が左様にせねば遺憾!と申すから恵んだぞ。」

小八「やっぱり。で、最後にその場で貴方様は爺、婆の前で名乗りましたか?!」

要「オー、名乗った。じゃが拙者自ら名乗った訳ではない、文治郎が代わりに名乗った。」

小八「何でも宜うガス、名乗ったんでアレば。之でハッキリしました。要様、驚かないで下さい。その宮下に居た別嬪さんが貴方に懸想致しました。」

要「何ぃ?ケソウ?」

小八「ウーん、面倒臭い人だなぁ貴方は、つまり宮下で貴方が見た絶世の美女が、貴方の事を好きだと謂って探しています。」

要「黙れ!小八、嘘を吐くならもっとマシな嘘を吐け!、あんな絶世の美女が拙者の事を好きになど成るものかぁ!?」

小八「ハイ、ご尤もです。アッシも最初は信じられませんでした。併し、当人から確かに聴いたし、ホレ!此処に貴方宛の艶書も御座います。」

今枝要は、八百屋小八にお絹が書いた艶書を見せられて、俄に此の噺を信じ始めて仕舞います。震える様に艶書を手にする今枝要。

小八「正真正銘の艶書です!開けて読んで下さい、要様。本当にお絹お嬢様は、貴方の事が好きなんですから、一目惚れと仰っているんですから。」

要「小八!あの美女はお絹殿と仰るのか?」

小八「ハイ、私が父の八百屋を継ぐ前に、未だ備中足守に居た頃、仲間奉公をして居たのがお絹お嬢様の父君、物部三太夫様でした。

其の物部様が足守藩よりお暇と相成り、御浪人なされて五年、遂に昨年帰らぬ人となり御内儀とお嬢様が寄るべ無き身の上と成られたので、

私が受けた恩返しの積もりで、其の物部様の御内儀とお嬢様を引き取り養って居ります所、お嬢様が恋患いで寝込まれて其の理由を伺うと、

なんと!要様、貴方を吉備津神社の祭禮でお見掛けし、その気風の良さと優しさに一目惚れをしたと仰るので、其の恋の証に艶書を書いて貰ったのです。」

要「判った小八、其のお絹殿とやらに拙者も是非お会いして契りを結びたい。愚かしい拙者が此の艶書に返事を書くより是非直接お会いしたい。」

小八「では、早速、小八が段取りを致します。明日にでもお絹お嬢様を要様の元へお連れ致します。」

要「イヤ!暫く待て。明日は菩提所にて法要がまだ続く、其れは明後日の午後にいたそう。城下の中島に有る料亭『魚清』で昼食の予定である。

依って、拙者が魚清に着いたら遣いの者を小八の西中山下の家に走らせる。お絹殿をお前の家に待機させて居りなさい、小八、宜しいなぁ?」

小八「ハイ、畏まりまして御座います。明後日の正午にはアッシの家にお嬢様をお連れして於きまする。」

要「宜しく頼んだぞ!小八。」

小八「ヘイ、合点でさぁ〜。」

こうして、完全に勘違いのボタンの掛け違いなんですが、今枝要にお絹からの艶書が渡り、法事が全て終わった後の明後日に此の二人は、

岡山城下でも三本の指に這入る料亭『魚清』にて、午後頃初めてのご対面と謂う段取りが決まりまして、要もお絹も有頂天で御座います。


然るに其の当日、今枝要は朝からソワソワして珍しく箪笥の前に現れて本日『魚清』へ着て行く着物と袴に足袋と草履まで自分で吟味致し、

ただ悲しいかな自分自身では是を身に付ける事は叶いませんから、何時もの様に要は手取り足取り母上様に着せて貰うので御座います。

そして正午前になると例によって文治郎が現れまして、では、今日もお散歩に参りましょうと、この日も二人連れ立って魚清へと向かいます。

要「御免下さい!」

女中「いらっしゃいませ。」

要「昼食を予約した今枝である。」

女中「ハイ、少々お待ち下さい。」

そう謂って女中が奥に消えると、代わりに魚清の主人らしき人物が、慌てゝ奥から飛び出して参ります。

主人「之は、ご家老様のお坊ちゃん!能く起こし下さいました。オイ、お花!直ぐに奥の楓の間へ二名様をご案内しなさい!!」

そう主人が命じると、年増のお花と呼ばれる女中が現れて、二人を其の楓の間へと案内致します。魚清は以前より今枝家御用達の様子で、

其れはもう、今枝要を「お坊ちゃん!お坊ちゃん!」と、下へも置かぬお持て成し様で

要「さぁ、文治郎!遠慮は要らぬぞ。料理と御酒をたんと召し上がりなさい。日頃から其の方には世話に成り通しだ、褒美であるぞ!文治郎。」

文治郎「其れはどうも、忝のう存じ奉りまする。」

要「禮など宜い!宜い!召し上がりなさい。」

そう白痴の要に薦められる食事を、有り難いフリをして頂く自分が如何にも情け無いとは思ったが、是も父親の為のお勤めだと我慢致します。

懐石膳が次々と運ばれて、其れをまぁ汚く喰い散らかす要の様子を見ながら、文治郎は呑まずには居れぬと酒が進みまして、半刻ばかりで食事が一段落致します。

要「実はなぁ、文治郎、今日は此の魚清に八百屋の小八が、左或る女性を連れて参る事に成っておる。お前は気付いたかは知らぬが、

十二、三日以前一緒に吉備津神社の祭禮に参った折り、其方と宮下を通り掛かった際に母親に連れられた美しき令嬢が居らしたのをお主は気付いたか?」

文治郎「嗚呼、存じて御座います。要殿がヨダレ、騎馬が突然現れたので私が肩を叩いて貴方様にお知らせした際、お見掛けした婦女子。」

要「そうだ!拙者がお前のせいで、瀬戸物の修繕屋と駄菓子屋に突っ込むハメに成ったあの時の美女だ。お陰で。拙者は一分も損をした。

其れはもう宜いのだが、その美女はお絹殿と申すのだが、其のお絹殿が拙者を好いて居て是非にも逢いたいと、拙者に艶書など下さり

モテる男は辛いのぉ〜文治郎、八百屋小八を通じて此の艶書を寄越して参った。其の上、中々言い出せず恋患いで床に臥せって居たそうだ。

其の様な意地らしい噺を聴いて、逢わない訳には行かぬだろう?其処でだ、文治郎!済まぬが山中下の小八の家まで、拙者の使者として、

今枝要が料亭『魚清』に着いたと、一ッ走りして知らせに行って欲しいのだ。お絹殿が首を長くして待っておる、宜しく頼む!文治郎。」

さぁ、俄に信じられない白痴で醜男の今枝要のモテた噺に、文治郎も驚愕致しますが「今枝要様宛」と書かれた艶書が有る以上、文治郎も信じて仕舞います。

文治郎「ホー、其れは宜しゅう御座いましたなぁ、要殿。文治郎も肖りとう存じます。では、早速西中山下の八百屋小八に伝えて参ります。」

要「オォ、引き受けて呉れるか?流石、友じゃ朋友じゃ。文治郎、戻ったら御酒は好きなだけ呑んで構わぬぞ、別部屋を用意させようのぉ〜。」

文治郎「いいえ、西中山下まで参るならば、拙者はそのまま自宅へ帰らせて頂きます。この後、一刀流の道場で稽古ですから酔いを醒まし帰りまする。」

要「相判った、許す!好きに致せ。」

文治郎「では、御免!」

そう謂うと高濱文治郎は中島の料亭『魚清』を出て六、七町ほど離れた西中山下の小八の家へと向かいまして、玄関傍から大きな声を中に掛けます。

文治郎「オーイ、小八は居るかぁ?!」

小八「オヤオヤ、之は高濱様の若旦那じゃ御座いませんか?何んか御用ですかなぁ?!」

文治郎「今枝の御子息、要様が中島の料亭『魚清』に着かれたので、拙者、お知らせに参った。早く来て欲しいとの事だ。」

小八「其れはどーも、ご苦労様で御座います。」

文治郎「其れでは確かに伝えたぞ。早く行ってやって呉れ。遅くなると拙者が叱られる。」

小八「ハイ、お嬢様!お絹殿!行きますよ。」

と、玄関先から小八に呼ばれて物部お絹が出て来ようとして居た時に、高濱文治郎の大きな声には聴き覚えが御座いますから、今枝要様が!

と、叫んで玄関へとお絹は飛んで参りますが、既に、文治郎は帰った後で其の姿を認める事は残念ながら叶いませんでした。

お絹「小八さん、今、今枝要様が来ていらっしゃったのでは有りませんか?あの声には聴き覚えが御座いまする。」

小八「いいえ、今、来て居た方は、要様ではなく、要様が中島の料亭『魚清』にお越しになられたとお伝えしに来た、使者で高濱文治郎さんです。」

お絹「イヤ違います。私が恋焦がれた御仁は、あの使者の方です。声が要様です。エッ!まさか、あの御仁が介抱なさっていた白痴の醜男の方が今枝要???」

小八「エッ!あの愚かしい醜男を、蓼食う虫も好き好きに、お絹お嬢様は好きに成られたのでは有りませんか?」

お絹「馬鹿も休み休み申しなさい。あんな乱杭歯から滝の様にヨダレを流す、初代マーライオンの如き男の子を好きに成るハズが有りません。」

小八「其れではまさか!岡山藩で一番の美男子、色白で御役者様の様な器量良しと評判の高濱文左衛門様の次男坊、文治郎殿に惚れたのですか?!」

お絹「左様です。今、現れた使者の方が其の高濱文治郎殿ならば、妾がお慕い申し上げる人は其の高濱文治郎殿で御座います。」

小八「併し、今更そんな事を謂われても私が困って仕舞います。アレだけ確認したのに、今枝要様だとお絹様が仰るから信じて、

今日と謂う日を決めたんです。中島の魚清へは行って貰わないと、私が今枝家を失敗る事になります。どうか!行くだけは行って下さい、お絹お嬢様。」

お絹「厭です。あんな白痴のマーライオンと見合いなど出来ませんし、妾が懸想致したお相手は高濱文治郎様だけです!お断り致します。」

小八「併し、今更、困ったなぁ〜、吉備津神社の祭禮でカクカクしかじかと仰るから、艶書まで認めて云々カンヌン、オイ、お仙!どうしよう?」

と、お絹に魚清行きを土壇場で拒否された、八百屋小八は青くなり女房のお仙に助け舟を求めて見ますが、お仙に宜い思案が有るハズも無く、

お仙「お前さんは熟(つくづく)馬鹿だよ!よりに依って、お絹お嬢様がどっちを好きになられたか?恋患いに成り寝込む程好きならば、

高濱文治郎か?今枝要か?判りそうなモンだよ、天と地、月とスッポン、藤浪と大谷位の差が有るよ、謂われ無くても判るだろう普通。」

小八「そんな事云うなよ、間違えたんだから、俺だっておかしいッて思ったんだ。でもお嬢様が気風に惚れたとか謂うし、嗚呼、困った!」

お仙「仕方ない無いねぇ〜、ここはお前さん独りで謝って来るしかないよ。正直に、実は好きな相手は高濱文治郎さんでしたと謂うしかないよ、お前さん!」

小八「お前は他人事だから、正直にとか云うけど、間違いだったなんて今更謂うと、絶対に要様、怒るぞ!白痴なだけに狂った様に怒る!」

お仙「そりゃぁ〜怒るさぁ、でも仕方ないアンタが撒いた種だから、アタイが骨は拾ってやるから、正直に謝って来なさい!其れしかないって。」

小八「仕方ない!俺が謝って来るよ。」

小八は女房に『正直に謝るしかない。』と、諭されてと云うかぁ、丸め込まれて、重い重い足取りで中島に在る料亭『魚清』へと参ります。

若い取次の仲居に八百屋の小八だと告げると、今枝要は二階の個室だと云われて、梯子から要の待つ二階の個室に小八は案内された。

仲居「お連れ様が見えました。」

要「オーウ、小八かぁ、お絹殿を連れて参ったかぁ?!」

小八「若旦那!申し訳ない。間違いです。飛んだ大間違いで御座います。お赦し下さい!!」

其う謂うと小八は平蜘蛛の如く畳に平伏して、額を何度も畳に擦りながら、『間違いでした!』『申し訳無い』を繰り返します。

要「飛んでもない大間違いとは?一体何んじゃ?!」

小八「其れは、吉備津神社の祭禮にはお伴として、高濱文治郎殿をお連れでしたか?!」

要「オー、其の通りじゃ!文治郎を伴に連れて参った。」

小八「其の折りの災難で、老人に金子をお恵みに成る際、要様自らが手渡しなさいましたか?」

要「馬鹿を申すなぁ拙者は文治郎に肩を突かれて露店に飛び込んで倒れて居たんだ。金子は拙者の名代として文治郎が手渡しゝたのじゃ。」

小八「サァ其れが大間違いの原因(素)です。誠にお絹様が思い焦がれて居たのは、高濱文治郎殿だったので御座いまする。其れが

今の今使者として文治郎殿が私の家に来られた事で、初めて発覚致しまして御座います。そんな訳ですから要様にはお気の毒ですが、お絹様との事はお諦め下さい。」

要「ヤイ!今に成って左様な事を申して、相済むとでも思うて居るのかぁ!武士を謀って偽り只で済むと思うてかぁ!手打ちに致す、其れへ直れ。」

そう叫び怒り狂う今枝要は即座に、傍に置いてある一刀を抜身に致しますと、滅多に抜いた事も無いヘッピリ腰で大刀を重そうに構えます。

小八「嗚呼、そうですか其の刀でアッシ首を斬り落としに成る所存ですか?最初(ハナ)に念を押すのを忘れたアッシが悪いんです。

武士を愚弄したからと謂われては立つ瀬が無い!アッシも昔は武家奉公した元仲間です。覚悟を決めて此の首を差し出します。」

そう謂うと八百屋小八は今枝要の前に正座をし、首を亀の様に伸ばしまして、斬首されるのもやむ無しと謂う態度を示します。

ところが、『武士を愚弄したな覚悟致せ!』と言った方の今枝要の方はと見てやれば、当然、人を斬る度胸など是ッぽっちも有りませんし、

其れどころか真剣を振った試しすら無い、臆病極まりない白痴の愚かしい輩ですから、拳を振り上げたが其の落とし所に窮して居ります。

要「小八、勘弁し難い所なれども、貴様如きを先祖代々の刀で斬ると刀の穢れとなる!依って今度だけは見逃して遣わす、有難く思え!」

小八「アッアッ!有難う御座います。二度と此の様な間違いは致しませんし、他言致しません由え、ご容赦願い奉りまする。」

要「ヨシ、全てを水に流してやるが、一つだけ条件が有る。拙者もお絹殿へは二度と近付ぬ代わりに、高濱文治郎にもお絹殿を近付けるな!

是が条件だ。万一此の約束を反故に致す時は、此の今枝要、全力でお前や女房だけでなく、お絹殿と其の母親、並びに高濱文治郎に対して、

怒りの鉄槌を下すからなぁ、宜いな!夢々忘れるな!小八。絹殿は尼寺にでも入れて一生亡き父上の墓前など弔う様にさせ!宜いな小八。」

小八「ハイ、承知仕りまして御座います。」

そう誓いを立てゝ八百屋の小八は、何んとか今枝の家もしくじらずに済み、商売も是まで同様に続けられると安堵して家へと帰ります。


つづく