【はじめに】
速記講談、書き講談では大変有名な三代目玉田玉秀斎、元々二代目と呼ばれていたが割と最近、四代の玉田玉秀斎を旭堂南陽さんが襲名して、そこで調べてみると、
実は二代目と呼ばれていた玉田玉秀斎より先に同じ初代玉田玉秀斎門下に、二代目を襲名していた人物が存在して居たと分かり、現在の玉田玉秀斎は四代で在ると定まりました。
三代目玉田玉秀斎は実に波瀾万丈の人生で、女房が五人の子供と玉田を残し男と駆落する。大変なピンチを玉田はチャンスに変えます。
なんと!速記講談作家の山田都一郎と長女の寧を結婚させ速記講談で生計を立てる様に成るのです。併し寧は山田都一郎と二年半で離婚、
仕方なく今度は其の離婚を契機に速記講談から書き講談に転じ、寧の子供たち四人も加わって一派を作って活動し、後々には此の一派で立川文庫の企画・執筆を担う様になります。
速記講談とは所謂、古典噺を語り講談本にするのに対し、書き講談とは新作創作の講談を一旦書き下卸した上で公演し、其れを本に起こした物を書き講談本と呼びます。
尚、芝居の世界、歌舞伎では新作歌舞伎を特に書き物と呼びますので、此の辺りの呼び名は講釈と全く一緒で御座います。
そして今回の『侠客業平文治』は明治43年の速記講談で山田都一郎とのコンビ最終年の作品で、所謂、速記講談になります。
又、『業平文治漂流奇談』は三遊亭圓朝が全十七話として創られた物語ですが、勿論、是を講釈にしたのが『侠客業平文治』で御座います。
私は『業平文治漂流奇談』の一話目の発端の部分は五街道雲助師匠で生では聴いているのと、連続で全十七話を六回に纏め、ダレ場を抜いたダイジェスト版にした古今亭菊志んさんのも生体験しました。
尚、志ん生の音源と青のぷよさんが朗読した音源を未完ながら五、六話辺りまで聴いております。
因みに、朗読の『業平文治漂流奇談』は、全十七話を青空文庫を読んだ物が四ヶ月位前にYouTubeに上がっています。
◇覚える落語チャンネル 業平文治漂流奇談・① https://youtu.be/J_mm8RbtFcI
さて、此の『侠客業平文治』は講釈らしくいきなり文治の噺からではなく圓朝の方では語られない、本名文治郎の岡山時代の青年期から噺が始まります。
では、圓朝モノとして有名で、偶にやる咄家も居る『業平文治漂流奇談』とは、また一味異なる『侠客業平文治』を皆様お楽しみ下さい。
Mars
【本編】
エヘェ〜一席申し上げます。この度は金華堂書誌よりのご要望によりまして『侠客業平文治』と題しました作品をお届け申します。
最も此のお噺の中には、義も在れば勇も在り又或は泪も在れば滑稽も御座います。喜怒哀楽の四つを含み、偈に人情に叶いましたる、
至極面白き物語で御座いますれば、何卒初めから事の終わります迄、皆様宜しくご拝聴給わらんことを御願って於きます。
ア〜さて、事の発端と申しまするは、茲(ここ)に備前國は岡山の城主、御石高三十一萬九千五百石、松平内蔵頭様の御家来に、
扶持高知行三百石を頂き、お小姓役を相勤め御座る高濱文左衛門なる御仁が有りました。ご内儀はお峰と申しましてお二人の間には、
実に男の子ばかり三人御座いました。御長男を文之助、次男は文治郎、三男を勝三郎と申します。さて此の高濱文左衛門夫婦、
実に役者の様な雛飾りの様な美男美女の夫婦の事由え、二人の間に産まれた三人の息子達は、何れもお役者様!と評判の美男子です。
そんな中でも殊に次男の文治郎は岡山藩切っての好男子!残念ながら講談師・講釈師では御座いません!好男子依って後年江戸表に於いて、
業平文治と称される関東随一の侠客と相成る訳ですが其れはまだ後々のお噺。偖て(さて)此の文左衛門の倅三人への教育がすこぶる良く、
安芸國毛利の三本の矢の如く評されまして、岡山藩の宝とまで呼ばれます。然るに三男の勝三郎は作州勝山二萬三千石、
三浦志麻守様の國家老・中山重左衛門と謂う方の家に養子として這入られます。此の中山重左衛門、並びに勝三郎の身の上に就いて、
一大騒動のお噺が在るのですが是は又後で詳しく申し上げましょう。偖てこの文左衛門一家は何の苦情無く誠に円満に治って居りましたが、
図らずも茲に一つの騒動が持ち上がります。其れはどう謂う事かと申しますと、
同藩中に在る千石取りの重臣に今枝将監と謂う御仁が御座います。此の御長男が内記、御舎弟が要と申し、残念ながら此の次男の要様は、
生まれ付いての白痴で御座いまして、此の白痴が実にタチが悪く面は弛み、身体は常にクネクネ曲がって、何とも締まりが御座いません。
所謂、親は不遇の子ほど可愛いと申しまして、母親は朝夕無く要様の着付けの世話を焼き、衣類袴の世話は勿論、大小刀の帯し様まで、
万事是、母親が心を付けて遣るのです。一般に大名家中の人付き合いは、長男は長男同士、次男三男は次男三男同士が仲良くする物で、
成れども今枝要は白痴由えに、未だ朋友と呼べる者は無く、而も其の上に最近では少し色気付いて参りました。
嗚呼、此の馬鹿が色気付く程見苦しい者は無く、然るに今枝将監は是を知り若し万一間違いでも起こすとお家の恥、一大事と、
成るべく要をお屋敷の外へ出すな!と家人に命じます。併し是を母親の初枝だけは不憫に思いまして、或日夫将監に願いを言上します。
初枝「宜しいでしょうか?旦那様。」
将監「オー、如何いたした奥ではないか?!何の用だ。」
初枝「ハイ、外でも御座いません!倅の要の事で御座いまする。生まれ付いて愚かしき不遇の息子成れば家中に遊び相手も御座いません。
其の様な要を貴方様は『要を町屋へ出すと粗相を犯し家の恥と為す!』其の様に仰って、要を屋敷に閉込めて仕舞いに成りました。
初枝は其れが不憫で!不憫で!仕方御座いません。古の言葉に『水は方圓の器に倣う』と謂うのが御座いまする。人はお付合いする相手で、
善人にも悪人にも染まり変わる生き物で御座います。ならば是非、貴方の御力で家中の良き朋友を要にお世話を願いとう存じます。」
将監「オォ〜成る程!其れは道理である。悪しき朋友に出会うと悪しき遊びに耽り金子を湯水が如く使う!良き朋友を要には見付けてやりたい。」
初枝「ハイ、旦那様!左様に御座いまする。」
将監「左様御前が申すからには、既に目星が在るのだろう?苦しゅうない!申してみよ。」
初枝「ハイ、其れは高濱文左衛門殿の次男坊の文治郎で御座いまする。」
将監「オォ、成る程!文治郎なら申し分ない。家中切っての聡明且つ美男子にして忠義に厚い若者である。然らば文左衛門に噺てみよう。」
其の様な夫婦の会話が在りまして、早速今枝将監は使者を立てまして、其の日の晩の内に、高濱文左衛門を呼びに向かわせました。
さぁ、突然使者が参った文左衛門の方も驚きます。自身は三百石のお小姓役に対して、相手は千石取りの大臣、家老を務める今枝将監です。
何事ならん?と思いながらも文左衛門は、まぁ押っ取り刀で其の使者に伴なわれて、今枝将監の大きな屋敷へと駆け付けます。
文左衛門「ハイ、只今お使いの方に御招き頂きました小姓役の高濱文左衛門で御座います。偖て御用の向きは何んで御座いますか?」
将監「オー、文左衛門!早速来て呉れたかぁ、実に忝い。其方を呼び出したは外でもない、某の倅、要の事だ。其方も存じおる様に、
要の奴は生まれ付き愚かしく、朋友も無く邸外に出して若し粗相をしては、他人様へ迷惑を掛けて仕舞うと思い屋敷に閉じ込めて居たが、
其れが真に親として不憫に思える。誰でも子を持つ親の心は同じ事、其処でだ高濱氏、一寸だけ要を外へ遊歩に出してやりたいので有るが、
無闇に世間に出し、悪い輩と交わると返って宜しく無い方に染まるのが心配だ。其処で貴殿の御子息文治郎殿に要の朋友に成って貰いたい。
嗚呼、此方の願いを一方的に頼むのでは御座らん。勿論、貴殿の望み、希望、頼みが在るなら何でも承るので、宜しく頼み申す。」
偖て傍にはご内儀の初枝も居て「要を宜しくお願い申します!」と、夫婦して祈るが如く文左衛門に頭を下げますので、是に恐縮致します。
文左衛門「ハァ、何事かと来てみれば思いの外、誠に容易き事に御座れば、立ち帰りまして文治郎には能く謂って聴かせてまする。」
そう言って高濱文左衛門は帰宅しますと、早速、文治郎を呼びましてカクカクしかじかと、明日より今枝要と朋友に成れと言い出します。
偖て謂い渡された文治郎は驚き落胆致します。あんな白痴と朋友に成れとはどう謂う料簡だと絶望を味わいますが、直ぐに考え直すのです。
今枝要の父親は家老で重役、その家老から小姓役の父が直々命じられゝば拒否など出来るハズが在りません。長いものに巻かれて当然です。
父文左衛門の立場など慮った文治郎は、翌日お昼過ぎに成りますと、家老今枝の屋敷へと出向きまして門の関根より声を掛けます。
文治郎「頼もう!頼もう!」
今枝屋敷の門は開いておりましたが、門からは中へ這入らず敢えて、大きな声で取次の仲間(ちゅうげん)が出て参るのを待ちます。
取次「ヘイ、何方様ですか?」
文治郎「ハイ、お小姓役高濱文左衛門の倅にて、拙者は文治郎と申します。父文左衛門より命じられまして要様のお伴に参りました。」
取次「嗚呼、聴いて居ります。高濱文治郎殿ですね、ササァ中へお這入り下され、ササァ此方へ此方へ!ご内儀様!文治郎殿お見えです。」
仲間は予め今枝将監より文治郎が来るハズだからと申し送りが御座いました様子で、文治郎を玄関から上げて客間で待たせます。
すると、先ずは母親の初枝が出て来て、やや遅れまして問題の人、息子の要が付いて参りますが相変わらずの白痴ぶりて御座います。
初枝「オー!之は之は文治郎、宜く参られた!大義である。楽に、楽に、足などは崩されよ。」
文治郎「之はご内儀様、有り難きお言葉、文治郎、痛み入りまする。偖て父文左衛門が要殿のお散歩のお相手を探されておると申すので、
卒爾ながら、手前が年恰好も要殿には朋友として似合いであろう、などゝ申します由え拙者、本日喜んで推参仕った次第で御座います。」
初枝「左様であるかぁ、好くぞ申した。之!要、文治郎が今日より其方の朋友に成りたいと申しておる。伴なって散歩など参られよ。」
要「ハイ!母上。散歩とは何んで御座いますか?」
初枝「ご城下を歩き廻りて、風景などを見て廻る事を散歩と申します。今から文治郎が其方を連れて参るから、万事文治郎に従いなさい。」
要「ハイ、母上様。散歩は分かりましたが、朋友とは何んで御座いますか?文治郎は私めの何者と成るので御座いますか?兄ですか?舎弟ですか?」
初枝「朋友とは、文治郎が其方に優しく致し、好いて呉れて、仲の良い友に成ると申しておるのです。其方も文治郎に好かれなさい。」
要「文治郎は私の友に成りますか?!」
初枝「ハイ、成ります。そして之は紙入です。茲に金子を入れて在るので、散歩の途中茶屋で休憩など致しなさい。ただし、
茶屋へは文治郎と一緒に這入り、茶代は要!全部貴方が払うのです。必ず、文治郎の分も貴方が払いなさい、分かりましたか?宜しいでね。
そして、茶を飲んだり茶菓子や団子を食うのは許しますが、無闇に紙入の金子は使ってはいけませんよ!良し悪しは文治郎に伺いなさい。」
要「ハイ、母上様。文治郎の命に従いまする。」
初枝「文治郎、要の事は宜しく頼みます。五歳の児童並みの事しか分からぬ愚かい倅ですが、愛想を尽かさぬ様に我慢して下され。」
文治郎「御内儀様、万事心得て御座います。半刻か?一刻で屋敷には戻ります、では散歩へ参りましょう、要殿。」
要「オー参ろうぞ、文治郎。さぁ、散歩じゃ散歩、散歩じゃ散歩!!」
初枝「待ちなさい、要。お召し替え致しますよ。」
そう母に謂われた要は丸で五歳児の如くに帯を解き、脱ぎ散らかす様にして下帯一枚に成りますが、着せるのは全て母親で御座いまして、
襦袢、着物、袴と着せ付けまして、大小の刀までもを帯に手挟むのは母の初枝が遣りますから、見て居る文治郎の方が呆れ返ります。
そんな白痴の要を連れ外に出た高濱文治郎でしたが、此の白痴で弛み切った面に、曲がりくねる身体を五歳児の様に踊らせて歩く姿を、
まざまざと見せ付けられると、父親の達ての願いで無ければ、遠の昔に放り出している所を、耐え難きを耐え忍び難きを忍び歩きます。
二人はやや前を要が歩き、少し離れた所から文治郎が遅れて付いて行くのですが、婦女子と擦れ違うと要は、だらしない乱杭歯の口から、
正にお前は牛か?!と突っ込みたくなる位にダラダラと涎を垂らしながら歩きますから、往来の人々は眉を顰め避ける様に通ります。
此の要、歯が乱杭なだけでなく、髪は薄くポヤポヤで額が広くデコ八、眉は薄く目はハの字に垂れ、鼻は胡座掻いて巨大で御座います。
そんな醜男の代表の要とお役者様の様な色白の美男子、文治郎が連れ立って散歩をして居りますから、是は正しく異様な光景に写ります。
そんな二人が武者小路からお堀端へと歩いて、堀端茶屋へ寄り茲で茶と菓子などを頂いて、又来た道を逆に戻りまして要を屋敷へ届けます。
さぁ、此の散歩修行が毎日毎日、要が飽きた!と申しますので行く先を変えて東へ西へと連れて歩く文治郎。斯くして迎えた文政三年九月、
其の日は丁度岡山城下は吉備津神社の祭禮当日で御座いまして、高濱文治郎は例に依って例の通り、今枝要を伴ないましてのお散歩です。
神社の祭禮ですから多くのテキヤが露天に店を並べて市が出来て御座いまして、要は物珍しそうにキョロキョロして興奮仕切りです。
神社へと参詣を致しまして、二人は参道を抜けて、文治郎の思惑は是より帰路へと向かうハズだったのですが、そうは問屋が卸しません。
吉備津神社を出た文治郎と要は、裏側の廻廊の方へ下って来ると、所々に土を捏ねて造った様な犬の玩具を商う露店が御座いまして、
参詣帰りの人が此の露店に立ち寄りまして、土で拵えた此の犬の玩具を買って帰る様子を、実に不思議そうな眼で今枝要は見て居ります。
要「文治郎、斯の通り土で拵えた犬を参拝帰りの方々が、大勢之を買い求めて行きおるが、アレは一体何に用いる物なのじゃぁ?!」
文治郎「アレは斯く謂う理由(ワケ)に依るもので御座る。大昔、茲備中國に鬼人が住み人を取り喰うを、吉備津神様が鬼人を退治するに、
家来に犬を連れて出陣なされました。その犬は勇猛にして鬼人に噛み付き、彼等を退散させたと謂う故事に因んで土の犬が売られています。
まぁ、アレで御座います一種の魔除けの様な物で御座いまして、喉に魚の骨が引っ掛った時に之を撫でると忽ちに取れるなどの迷信も…。」
要「ホー、其れは何んとも妙な噺じゃのぉ〜。して!あの大きな釜は何んじゃぁ?文次郎。」
文治郎「アレは其の鬼人が用いていたと謂い伝えられている巨大な釜で、鬼人が人を喰らう際に用いた釜に御座いまする。
其の釜を鬼人から神社の神様が退治なさる際に戦利品として奪い取って、神社に祀り祭禮の際には、神官が此の釜で湯を沸かし祈祷します。
すると、参拝する人々にはご利益が御座いまして、家内安全、無病息災、火の用心と願いが叶う仕組みと成っておりますから、
此の大釜は祭禮の時は常に、グツグツ!グツグツ!と湯を沸かし神官は祈祷に励み、参拝客は此の湯気を頭に頂戴し恩恵に授るのです。」
そんな事を文治郎が要に謂い聴かせて、今しも二人は漸く宮下の方まで降って参りますと、其の傍へ軒の方から御婦人二人連れが現れます。
其の御婦人一人は三十七、八歳の母親らしき人、もう一人は十七、八歳の娘子と思しき方で、此の娘、花ならば今綻びかけたかと謂う、
古今絶世の美人。。。余り美服は纏っては居りませんが、自然と備わる容貌がいずれ由緒あるお家の令嬢のソレと判る雰囲気が備わります。
さぁ、例に寄って今枝要はと見てやれば、其の美しき娘に見惚れた途端、牛の様な乱杭歯の口を半開きに致しまして滝の様な涎を流します。
要「嗚呼、世にも珍しき美しい御婦人の在るものよのぉ〜。」
と、心に唱えて、只々呆然と見惚れて立ち止まって、涎をダラダラさせて居りますと、高濱文治郎は見るに見兼ねて声掛けを致します。
文治郎「要様!要様!そろそろお屋敷へ戻りましょう。」
二度、三度と呼び掛けますが、言葉が要の耳には這入りません。さぁ折りしもやや遠くの方から馬に乗った武士の一団がやって参ります。
侍甲「ハイヨーォ、ハイヨーォ、ハイヨーォッ!」
侍乙「邪魔だ、邪魔だ、道を開けぇ〜!馬だ、馬だ、馬で通るぞ!邪魔であーる。」
そう叫びながら、十数人の遠乗り帰りと見える武士の一団が、砂煙を舞上げて馬に乗りパカラン!と、文治郎達の方へとやって参ります。
併し、今枝要は相変わらず美女に夢中で、やって来る騎馬に気付く様子は無く、その場所に未だに棒立ちで美女を眺めて御座います。
文治郎は「要様!要様!」再度声を掛けやすが、要は振り向く気配も有りません。仕方なく文治郎が要の背中をポンと叩くと………、
不意に叩かれた要は「あぁ〜!」と謂ってよろけ、露店が並ぶ道の傍へと突き飛ばされる形になり、全く運の悪い事に瀬戸物の焼継ぎ屋へ、
まともに頭から突っ込みまして、棚に置かれて居た焼継ぎ待ちのカケた瀬戸物を、景気良くガッチャンガッチャン!と音を立てゝ破り捲り、
其れだけでは勢いは止められず、焼継ぎ屋の隣に出て居た駄菓子屋の葛饅頭、栗饅頭、ヨモギ餅、金鍔なんぞを蹴散らして漸く止まります。
さぁ、どちらの露店も還暦を過ぎた、焼継ぎ屋は爺さん、駄菓子屋は婆さんが営んで居りまして、天から降って来た禍の素で有ります、
今枝要の胸ぐらを掴むと、恐ろしい剣幕で両者
怒り心頭です。さぁ、苦笑いの高濱文治郎、此の間に這入りまして直ぐに仲裁を始めます。
文治郎「一寸!一寸!待って下さいお爺さんも、お婆さんも、兎に角、其の手を離してやって下さい。勘弁して下さい、お願いします。」
爺「冗談じゃねぇ〜ぞ!例えお武家様でも、タダじゃ勘弁なんねぇ〜からなぁ。」
婆「本に、この爺さんの謂う通りじゃぁ。アタイの店も潰されて、饅頭を台無しにされて、黙って居られるもんか!弁償して呉れ、弁償。」
文治郎「判った!判った。此方の御方は松平内蔵頭様の御重臣で岡山藩の次席家老、今枝将監様の御子息にして御次男、今枝要殿で御座る。
だから安心致せ!瀬戸物と駄菓子を台無しに致した弁償は、直ぐに払いを致す由え、心配致すな!騒ぎ立てるな!手を離しなさい!!
偖て要殿、此方の露天に迷惑を掛けたので弁償金、賠償金を払わねば成りません。恐れ入ますが、紙入の金子を全部お出し下さい。」
其の様に促された今枝要はヨロけて倒れた痛みから半ベソを掻いた状態ながら、文治郎から手を差し伸べられて紙入から金子を出しますが、
紙入ん中には吉備津神社の祭禮だから、特別多目に金子が在るのか?と、少し期待した文治郎の意に反し、相変わらず一分だけでしたから、
仕方ないので、文治郎は自分の懐中から一両を取り出して、瀬戸物焼継ぎ屋の爺さんには一両、又駄菓子屋の婆さんには一分を渡します。
さぁ、弁償金を貰いました両人は先程までの怒りが嘘の様に恵比寿顔に早変わり、ペコペコ頭を下げてとっとと片付けての店仕舞いです。
高濱文治郎も今枝要の着物に付いた泥を叩いてやり、今日はお金も無いので茶屋へは寄らず、真っ直ぐ屋敷へ連れて帰ったのですが、
道中で今枝要には、吉備津神社の露店を壊した噺は両親には絶対にしてはならぬと、堅く堅く口止めをしてから屋敷へは返します。
一方、今枝要が涎を流し見て居た御令嬢と其の母親は偖て?何者かと見てやれば、当時岡山城下西山下と謂う場所で八百屋稼業をしていた小八。
この小八の家に食客として居候していた親子で御座いまして、備中國は足守藩二萬五千石、第十代当主木下肥後守利徳公の家臣で、
物部三太夫と謂う御仁のご内儀で八重殿、並びに娘でお絹と申しまして、この親子両人は共に足守領内所払いの沙汰を受けまして、
以前八百屋に成る前は、物部のお屋敷で若党仲間として奉公していた、小八の家に身を寄せて世話に成っていたと謂う訳で御座います。
此の小八と謂う男は実に忠義の人で人情味があり世話焼きな者、親子が不憫と思い引き取り、其の上お絹の縁談も面倒を見ると謂っております。
そんな母子は小八の家に厄介になり早一月が過ぎ、吉備津神社の祭禮に参詣して久しぶりに親子で買い物などして帰る途中で御座いました。
然して吉備津神社の祭禮が済んで、小八の家に母子が帰宅して二日、三日と時は流れましたが、お絹の様子が妙で御座います。
兎に角、祭禮から帰った晩から食が細く何も喉を通らない様子で、三日も続くと床に臥せる様になりますから愈々母のお八重は心配します。
小八も岡山城下西山下へ呼び寄せて世話して、まだ一ヶ月だと謂うのに突然寝込まれては、
忠義の固まりの様な家来ですから居ても立っても居られずに、近くの医師・源庵を呼んで脈を取って貰うのですが、源庵が複雑な顔色です。
小八「先生!源庵先生、お絹さんの具合は?そして、先生のお見立ては?!」
源庵「十中、八、九。私の手に負える病じゃない。」
小八「エッ!お絹さんの病は、そんなに悪い病気なんですか?!」
源庵「そうではない。兎に角、此の娘さんの母上を直ぐに呼びなさい。」
そう謂われて源庵の真意がさっぱり呑み込めない小八でしたが、兎に角、母を呼べと源庵に謂われたので、お八重を呼んで参ります。
源庵「お母上、娘さんは恐らく医者や薬や草津の湯でも、治らない病気を患っておられます。」
お八重「先生、まさか?!」
源庵「そのまさかなのです。気から引き起こされる病・気の病、所謂、典型的な恋患いです。溜息ばかりで食が細くなり寝込む!
お嬢さんの恋のお相手を一日でも早く明らかにし、そのお相手がお母様のお眼鏡に適う相手ならば、娘さんを幸せにしてやって下さい。」
お八重「誠に!恋患いですかぁ?!判りました。では早速お相手を突き止めるまする。」
お絹は絶世の美女ですから備中足守に居た頃から、一眼惚れ岡惚れ謂い寄られた事は数知れずですが、当人が一眼惚れしたのは初めてです。
早速小八とお八重はお絹の寝ている枕元に座りまして、それとなく自然を装って心を開かせて、会話中から相手を聴き出そうと致します。
小八「源庵先生がお薬を処方されました。只今、母上様が煎じておられまする。時期にお持ちになるので先ずはお薬をお呑み下さい。」
そう謂うと、台所で煎じた薬を湯呑に入れて、母のお八重が持って、お絹が病床に臥す部屋へ運んで来たので其の苦い薬をお絹は呑みます。
小八「又先生が申すには貴女の病は気から来る病で、お嬢様が心を開いて何事も胸に貯めず口から外に出す事が一番の治療だとかぁ。」
お八重「左様ですよ病は気から気の病で御座います。貴女一人で胸に溜め込むから心が押し潰されそうに成るのです。口から出しなさい!」
お絹「偖て、私は口から何を白状すれば此の病が治ると、医者は申すのですか?」
小八「白状なんて大袈裟ですお嬢様、吉備津神社の祭禮にお母様とご一緒されてから、お嬢様は突然、気鬱に為られた様だから………、
あのお祭で何か有ったのではと思いまして、其れで源庵先生にもご協力頂いて、お嬢様を診察してもらったら、先生が十中、八、九………。」
お八重「恋患いだと謂われたんだよ!!絹、お前は誰が好きなんだい?お武家なのかい?!」
お絹「………。」
いきなり、母親からド直球の質問を喰らい返す言葉が見付からないお絹に、母親のお八重は更に質問を畳み掛け様としますが其れを小八が…、
小八「ご内儀様、そんな訊き方をなさると、お嬢様だって喋り難いじゃありませんか?偖て、お嬢様、好きな御仁がお有りなんですか?」
と、優しく小八が間に這入り母親のお八重を遮る様に、好きな相手が居るのかダケを問うと、蚊の鳴く様な声で「ハイ」と答えるお絹。
小八「吉備津神社の祭禮で、其の御仁とは初めて出会いになられたのですか?」
小八が更に詳しく尋ねると、寝で居た身体を半分起こして、お絹は大きく頷いて首を縦に振りました。すると、又、お八重が出しゃ張り、
お八重「祭禮の時に、殿方と密かに出逢い!懸想致したと謂うのですか?お絹。其方は何んと端下無い女子なのです。恥を知りなさい!」
小八「ご内儀!其の様な謂方は、絹お嬢様が可哀想過ぎます。人間は人を好きに成る生き物だし、人を好きに成る気持ちは止められません。」
お八重「左様な事は町人や百姓など、犬畜生と同じ動物の感情を持つ人間の仕業です。武家の娘は無闇に殿方に懸想など断じて致しません。」
小八「八重様、貴女とて江戸表の四ツ谷旗本長屋にお住まいの居りに、千駄ヶ谷の木下藩江戸屋敷にお住まいだった物部の旦那様に懸想なされて、
其れで八重様が物部三太夫様と一緒に添われなば、懐剣にて自害するとお父上を困らせた挙句に、三太夫様と夫婦に成られたでは有りませんか?!」
お絹「其れは誠ですか?小八。」
小八「ハイ、お嬢様は旦那様やご内儀様からは、馴れ初めのお噺は聴いてはいなかったのですか?」
お絹「いいえ、大分以前に母上からは、仲人の河合様から薦められた見合いが縁で夫婦に成ったと聴かされました。」
小八「河合様が仲人をなさったのは事実ですが、見合いではなくお八重様が三太夫殿を、花見に出掛けた神田川沿いの飯田橋の桜並木で、
偶然見掛けられて懸想なされ、毎夜毎夜三太夫殿が見えられる迄、神田川沿いに待ち伏せなされて、三太夫殿の屋敷や仕官先を突き止めて、
その上で仲人を河合様にご相談なされて、丁度、物部様のお屋敷でも嫁取りのお噺が、幾つか舞い込んで来ていて、其の中から三太夫殿はお八重様を選ばれたんです。」
お八重「余計な事は謂話無くて宜しい!小八。」
小八「お内儀様、血は争えませんぞ。」
お八重「其れでお絹、吉備津神社の祭禮で、本当に思いを寄せる御仁に出逢ったのですか?!」
お絹「ハイ、本当で御座います、母上様。」
お八重「何処で?」
お絹「私達が参詣を終えて神社の裏側の廻廊の方へ下って来ると、馬で神社の裏街道を駆け抜ける一団と出会しましたよね?母上様。
その際に、何やら愚かしい人物が涎を口からダラダラ垂らしながら徘徊していて、其れが馬に怯えたからか?参道脇の露店で粗相を起こし、
その愚かしい朋友に対して、色々と世話を致しながら歩いていらっしゃいました。歳は二十歳前後のお武家様に御座いまする。」
お八重「嗚呼、判りました。あの騒ぎの折りに出逢いし侍ですね?併し、あの騒ぎで一人テキパキ致した御仁に懸想したとて、誰だか判るまい?」
小八「左様で御座います。何か判る特徴を此の小八めに教えて下さい。恐らく岡山藩、松平内蔵頭様の御家中で御座れば此の小八が、
必ずや、何処のどなたか?探し当てまして、お絹様の思いを相手に届けて見せまする。万事、此の小八めにお任せ願いまする。」
斯く謂う小八は八百屋稼業を岡山城下で始め未だ五年足らずですが、稼業の代は今は隠居と成りし父親から引き継いだ物で、
広く松平内蔵頭様の家中には、商いでの付き合いが御座います由え、御恩の在る物部三太夫の娘子の為なら協力を惜しまぬ覚悟でした。
お絹「其れは嬉しい申し出だが、実は私が出逢いし場面にて、その御方は自ら名乗られた由え、お名前は判って居ります。」
小八「何んですと!然らばお嬢様、其の御仁は何方で御座いますルカ?!」
お絹「ハイ、其の御仁は岡山藩の次席家老、今枝将監様の御子息にして御次男、今枝要様で御座いまする。」
小八「エッ!次席家老の今枝様は千石取りで、岡山藩でもかなりの御重臣で御座いまする。お二人御子息が御座いますが?!」
お絹「次男の要様とお名乗りで御座いました。」
小八「誠に要様ですか?御次男の?!」
お絹「ハイ、左様です。間違い有りません。」
と、明らかに間違いなのですがお絹は高濱文治郎を、よりによって今枝要と勘違いをして仕舞い是が後に事件と成るのですが………。
さぁ是れを聴いた小八は、ビックリします。絶世の美女お絹が、よりによって岡山藩随一の白痴、醜男代表の様な今枝要に懸想すとは……。
そうは謂っても恋患いで寝込む程の入れ込み様なれば、蓼食う虫も好き好き、父上から受けた恩に報いる為に人肌脱ごう!と小八は大いに世話を焼きます。
小八「今枝将監様のお屋敷であればご内儀の初枝様もよーく存じ上げるので、お絹様は御子息の要様宛に艶書(恋文)をお書きなさい。
この小八が明日、今枝様のお屋敷へ御用聴きに伺うついでに、艶書を要様へ間違い無き様に手渡しゝて参りまする。きっと結ばれる様に尽力致します。」
そう小八が申しますと、今まで患って居たのが嘘の様に頬に赤みが差したお絹は、急に食欲が出まして、母親のお八重も一安心で御座いますが、
さぁ〜、ボタンが掛け違えて仕舞った此の恋の行方は、さてさて如何に成り行くのでしょうか?続きは、第二話をお楽しみに!!
つづく