『鍋島猫騒動』

全三十二話を読み終えてみて、ギリギリ夏の間に終われて良かったです。此の佐賀の夜桜『鍋島猫騒動』は、比較的能く夏場の怪談噺として釈場で聴ける噺何ですが、

連続で最初から最後まで掛かる事は御座いませんで、「発端」とか「佐賀の夜桜」と謂う演目で、龍造寺の末裔となる高井検校が小森半之丞に殺されて、半之丞の母親が化猫に食い殺されるが、化猫は姿を消して仕舞うまでしか演じられませんし、

松林伯圓の公演本では小森半之丞が高井検校を殺しますが、此の「佐賀の夜桜」を抜き読みにする場合は演出として鍋島信濃守綱茂公が自ら碁の勝負で憤慨して殺す展開にされている場合も多々有ります。

あと、此の夜桜がクライマックスでストーリー立てする為、呪われた碁盤『初櫻』の由来や、龍造寺と鍋島の下剋上の噺などにも触れずに、此の初回の化猫騒動だけをやるから何とも噺が理解し難いと感じます。

さて、此の松林伯圓の公演で思うのは、実に、怪談と呼ぶより仇討ち噺の色合いが強くて、一方の主役兼仇役の化猫に怨みを持つ小森半之丞と伊東荘太郎の二人が全く赤の他人と謂うのも、無駄にストーリーを長くさせて、

後半のヒーロー伊東荘太郎は本当に必要なのか?虚無僧、典山となる小森半之丞の三十年以上に渡る武者修行中に、荘太郎と市之丞親子が体験する京都、江戸、摂州播磨、播州三田の体験噺は織り込めますよねぇ。

其れを敢えて新たに荘太郎の噺を創っているのはストーリーが自然には展開はしますが、矢鱈と長くなる所以だと思います。

最後に、抜き読みするなら大団円の部分を抜き読みに何故しないのか?それは、豪傑が三人登場するのがそもそも前置きを難しくしているのと、

小森半之丞こと虚無僧・典山の母と女房、更には鍋島信濃守綱茂公の側室・お豊の方様、並びに御老女・龍野の局などなど、

と謂った人々を喰い殺して化猫が成り済ましながら呪う相手を夜な夜な苦しめるのが化猫が人を苦しめるパターンだったのに、

大団円に成るとマンネリ打破なのか?赤児や幼児を妖術で誘拐して山の荒れ寺へ連れて行き喰い殺すと謂う展開に呪いが変わります。

しかも、化猫だけでなく化犬まで混ざり、何んともスケールが計り知れない広く獣が化物となる怪談へと進化して抜き読みが難しい。

更には大団円で再度、河上山実相院の噺を中心に龍造寺と鍋島の下剋上の噺と、碑文を読み解く松林伯圓先生独特の歴史観や佐賀を三十日間取材した成果なども相間って更に複雑化しています。

そんな理由で現在、唯一抜き読みにされている「佐賀の夜桜 鍋島猫騒動」は連続の『鍋島猫騒動』を必ずしも代弁は出来ないが、

三話連続、イヤ五話連続で纏めるのは非常に難しい噺で、やはり十話前後にして本編のダレ場を纏めないと厳しい噺だと感じます。


さて、次回は何にするか?現在、思案中ですが、出来れば世話物か?政談物か?侠客傳か?にしたいと思っております。

今回も成るべく有名な噺を取り上げてご紹介する積もりなので、宜しくお願い致します。年内あと二本読めるか?です。