さて愈々大団円を迎えます『鍋島猫騒動』で御座いますが、普通、講釈で鍋島の妖怪化猫を退治した場所であると呼ばれる処は、盤台山と称えたり或いは石見ヶ嶽と申したり致しますが、
私松林伯圓も『講釈師、観て来た様な嘘』ばかり申しておる訳ではなく、実際に肥前國佐賀へは『鍋島猫騒動』の名所旧跡を訪ねて三十日程滞在していますし、悉く取調べまして、
具体的には『龍造寺の菩提寺へ参り』『鍋島家当主の霊神神社巡り』『鍋島祭礼には祝詞を捧げ』バックボーンの調査は怠りなく、
又、化猫が最期を遂げたと謂傳られる場所は悉く足を運んだのですが、そもそも現代と延宝年間では地名が異なる訳で、肥前と筑前の國境に『機ノ山』と謂う所が御座います。
其の山頂は『龍信ヶ嶽』と称えますから不思議な事に、今から五百年前から此の場所を『龍信ヶ嶽』とダケ呼ぶ様になり『機ノ山』とは呼ばなくなり是は通り名では無くなります。
其の理由(ワケ)は龍信上人と謂う高僧が都から此の地に下られて、道徳堅固な上人が徳の高い教えを広めた事に由来する様で御座います。此の上人は都から中國路を通り九州に這入り、
地方の荒れ寺を再建し國の徳を布くと謂う具合で、肥前國佐賀では此処から凡そ七里離れた『神崎』と謂う所に荒れ寺を見付け布教を開始致し、是を龍信寺と称します。
此の龍信寺が影響を与え機ノ山を転じて龍信ヶ嶽と呼ばせるに至る訳は、昔から此の地域では天変地異、飢饉飢餓、疫病や大火なとの禍が起こる時には必ず、機ノ山に白気が立つ事から、
是を禍の兆候だと信じて人々は恐れて居りました。そんな或日機ノ山に白気が立つと謂う良くない兆候が起こります。何か禍が起こらなければと案じる人々は是を龍信上人に相談する。
すると龍信は是を聴き入れて、白煙が立ち登る事が何かの予知合図なら、機ノ山の麓に庵を建て其れに籠り自らが確かめん!と謂い出しまして、龍信は草庵籠り護摩業を始めます。
そんな或日、龍信は自らの眼で山に白気が立つのを見るに至り、是は正しく妖怪、悪魔の類いの成せる業に違いないと推察致し、聖の事で有りますから山又山を分登りまして、
其の源を探り出すべく機ノ山の奥深くへと分入りまして、長歴二年神無月の事、今が盛りと真っ赤に萌える紅葉の機ノ山山頂に登りますと、其処に一つの苔蒸た古い石碑が御座いまして、
其の石碑の苔を毟り洗い流して見ると『東屋宮』と謂う三文字が現れて、更に其の下に続けて『霊龜二年』と記されています。霊龜二年と言えば今を遡る事千数百年前である。
龍信上人、如何なる謎ならむと考えつゝ其の日は一旦庵へと戻りまして、麓の農民数人を連れて桶に水を汲みて山頂へと向かい、発見した石碑の苔を綺麗に全て洗い流し碑文を読みます。
其れにより上人は碑文の意味を理解致し、其れによると『人皇四十四代元正天皇霊龜二年五月勅命に依って一品舎人親王建之』と謂う内容である。正に千数百年前の物であるが、
其の碑文を解読した龍信上人は事の次第の大凡の内容を推理致して、是を丁寧に紙へと書き写し庵へと持ち帰ります。其の上で深く調べてみますと、先ず『東屋ノ宮』と申し奉る御方は、
畏くも瓊瓊杵尊にましまして、地神五代の三代目。日向三代の初代にして神武天皇の曾祖父に当たる御方であると知れまする。
我國に天孫未だ降臨無き以前は五月蠅なす邪神の蔓延る中、我諸々御神々は一つ処へ集まりまして、神々は計り謀られ給いて是等邪神を除かんとて虚霊不味の御鉾を持って、
仇なす曲つ身を悉く皆海外へと退散させ給える。そんな中には一個の美女の容姿を成せる妖魔是有り。是は天地の未だ開けぬ昔より居ると謂う事、此処に於いて再び謀りて曰く、
神のみ其れを成す、即ち天地の創造創生は人の國より我國とは信ずる向き有れど、人の國即ち人の子の集合體より生まれ出るを思わば、総ては異國の隔たりは有るまじ。
左すれば此の妖魔の現れる國の禍にも隔たり無く、只妖魔の出現は容易には起こらずして長き沈黙を伴う物也、此の筑紫國の山中の岩穴に埋むる時に妖魔の曰く、
『此の神國も澆季(ぎょうき)の世となれば人は殺し合い君子は人心を失い乱世と成らん。其の時こそ我は美人と化して世の中の仇と成り蘇えらん!云々。』
と書かれた文字が漸く碑文の内から解読されるので御座いました。此処に至り龍信上人は悟ります、神代の昔より悪魔を降伏させて来たが、悪魔も進化進歩無く繰り返す物に有らずと。
即ち、悪魔も退散、退治、降伏を逃れる為には美人と化して人に近付き禍を齎す物也。是は由々しき事態にして容易ならん事なれば、龍信は様々な考えを巡らせて、
庵へと籠り全知全霊を此の対策に命を捧げんとしたが、間もなく高熱を発し病の床に臥す様になります。軈て死期を悟った龍信は麓に住む村長の八郎太夫と謂う者を枕元に呼び遺言を残します。
機ノ山を今後は『龍信ヶ嶽』と呼ぶ物と致せ。此の龍信(りゅうしん)は太守である龍造寺山城守隆信公の隆信を音読みとしたリュウシンに通ずる物也。左すれば此の地は安泰である。
此の言い伝えを私松林伯圓はとある人より現地に残る不思議なお噺として聴かされたので御座います。左れば鍋島藩に祟りを成した此の妖怪化猫の騒動は此の噺に照らして考えると、
神代前の大昔に龍信ヶ嶽が機ノ山と呼ばれた古より有った噺で御座います由えに、能く能く鍋島藩が真剣に手を尽くして探して居たならば、其のからくりは知れて居たに違いないのです。
併し、今更其れを悔やんでみても多くの命が蘇る訳では無いので、兎に角、此の龍信ヶ嶽の美しい悪魔の噺と龍信上人の遺言に照らし合わせて伊東荘太郎は化猫の行方を探り始めます。
さて、此の龍信ヶ嶽を色々と伊東荘太郎が探索して居ますと、山波の中に河上山と呼ばれる山が存在し其の麓には実相院と謂う荒れ寺が御座います。河上山実相院の荒れぶりは顕著で、
山門は朽ち果て本堂は瓦が剥がれて正に狐狸妖怪の住まいならむ!と感じる有様ですが、今を去る事百年程前、龍造寺が栄えて居た時代は、
此のお寺は立派な龍造寺家の菩提所で御座いました由え、庭木も手入れされ本堂を含む建物は校倉造りと書院造りが融合した厳かな佇まいの建築でしたが、龍造寺没落と共に変化して、
今は全く見る影もなく酷い荒れ寺へと変貌しておる次第で御座いまする。さて此の荒れ寺へと或日、一人の虚無僧が迷い込み一夜を明かす事に成るのですが、其れは誰あろう小森半之丞、
元は鍋島藩に仕えた人物であり、故大澤倉之丞の部下で忠義に厚き近習として信濃守の御側近くに勤めていたが、実母と内儀を化猫に喰い殺されて成り済ましに合うのだか、
其の二回の成り済まし事件で化猫と斬り合いの死闘を繰り広げながら、いずれも化猫を取り逃した為、鍋島藩を離れ全国六十余州を虚無僧姿で、名を典山と変え武者修行をしていました。
さて、其の荒れ寺にて暫時疲労を休めて居た典山は周囲で枯れ枝などを集め、是を台所に在る大きな竈門に置きますと、火打ちなど取り出しまして火を起こし、古い鍋釜なども拾いまして此の竈門にて煮炊きし食事と暖を取りました。
こうして腹が満たされ暖かく成れば自然と人は眠気を催す物で、板の間でぐーぐー眠りに着いておりましたか突然、大きな物音が遠くから聴こえて、此の物音で典山は目を覚まします。
何んだ?複数の物音がするが、是は人の気配とは異なる様子だ。そう感じた典山は用心して物音のする方向へと向かいます。獣の様な気配で物音の源は荒れ寺の本堂からで御座います。
突然、猪や野犬、まさか熊が飛び出しても、直ぐに応戦出来る様にと典山は刀を抜身に右手に持って抜き足差し足忍び足で本堂へ来ると、草履を脱いで本堂の床を摺り足で進みます。
そして本堂のど真ん中辺りまで来ると、其処で典山は洞穴の様な所を本堂内に発見します。そして用心深くその洞穴の奥に眼をやると、真っ暗な闇ん中で大きな獣が眼を爛々と輝かせて何かを貪って居ます。
更に闇に眼が慣れて来た典山は両眼を凝らして其の洞穴の奥を見てみると、大きな獣の正体は古くいずれも高齢な猫と犬で、又彼等に喰われて居たのは人間の赤児や幼児で御座います。
この巨大な猫と犬の化物達は赤児を頭からバキバキ音をさせて齧る様に喰べて居りまして、丸で地獄に住む餓鬼のような有様で、百戦錬磨の典山ですら長く見ている事が出来ません。
サァ是は又佐賀城下で不吉な事が起こる予感が致しますから、典山は一旦、荒れ寺を離れて麓の人里へと下りた後、鍋島藩と協力し荒れ果てた河上山実相院に居る化物妖怪退治を行おう!
其の様な心算で急ぎ下山して見ますと、既に城下で起きている赤児や幼児の誘拐神隠しの噂が山里まで広まって御座いますから、典山は河上山実相院の化物の仕業に違いないと察します。
時は延宝七年秋も終わろうとしている頃、虚無僧姿の典山こと小森半之丞は佐賀城下へと這入りますと、何やら全体が陰々鬱々としており、家々は悉くまだ夕暮れ前にも関わらず、
雨戸が閉まり人通りは極くまばらで活気と謂う物が有りません。猶更に子供を持つ親は此の時刻からはより一層の注意を致しまして警戒を強めて御座いまして殊に幼児を見掛けません。
何しろ佐賀城下では役所が受けた失踪届けの件数が、既に二百件を越えておりますから仕方御座いません。さて典山は化猫退治のしくじりで面目無き身と虚無僧に身を窶して、
佐賀城丸の内のお上屋敷から立ち退き全国六十余州津々浦々に至るまで廻り廻って研鑽の日々実に三十数年ぶりに愛する故郷、九州は肥前國佐賀へと戻って来たので御座いまする。
そして機ノ山の麓に在る荒れ寺、河上山実相院で一夜を明かし、右の如く目撃した化物の悪行を鍋島藩へ知らせに来て見れば、其の前に更に悪い風評は巷に溢れていて、
さては城下の小児はあの河上山実相院で典山本人が目撃した、あの怪物達に総て頭から齧り付かれて仕舞ったのか?是は容易ならざる一大事なれば小森半之丞こと典山は捨て置けません。
取り敢えず昨夜河上山実相院にて目撃した事柄を総て詳しく願書に認めまして、是を郡奉行に訴え出て提出致しました。すると郡奉行に於いては容易ならぬ一大事ですから、
さぁ奉行の一存では決め兼ますから、此の願書は佐賀藩の重役連中の元へと渡ります。更に重役の口から実相院の化物と小森半之丞の噺が太守信濃守の耳に届けられますと、
信濃守様も大いに驚かれまして、直ちに小森半之丞への登城要請が出されまして、半之丞の典山は三十数年ぶりに鍋島信濃守綱茂公とのご対面と謂う運びに相成ります。
信濃守は典山こと小森半之丞の言葉にいちいち頷いては、河上山実相院の悲惨な小児の様子を典山が語り聴かせる度に、怒りと悲しみの表情を表に顕す信濃守で御座いました。
そして語る典山は三十数年諸國漫遊しての武者修行についても、信濃守様から尋ねられて其の艱難辛苦を細やかに御説明致す際は、泪を堪えらずに眼を濡らしながら聴くも泪語るも泪で御座います。
サァ太守信濃守に於いても、典山からの報告を聴けば最早疑いの余地無く、直ちに國家老田中三太夫と目付役筆頭辻村大膳に下知が下りまして、龍信ヶ嶽に御座います河上山実相院へ、
妖怪化物退治の為の隊の派遣が指図されたのであります。猶隊の規模はと見てやれば、実に総勢三百六十名で東西南北の四方より各九十名ずつの小隊が一度期に攻めて討ち取る算段です。
勿論、此の中には伊東荘太郎、伊村市之丞親子、並びに典山こと小森半之丞が加わります。殊に典山は河上山実相院への案内役も同時に務める重要な役割を担っての参戦と相成ります。
さて、とは申し上げましても河上山実相院は荒れ寺なれど元は龍造寺家の菩提所で御座いますから、寺社奉行への確認、お届け承認が必要だと謂う事でご公儀への許可を事前に賜ります。
また、周辺諸國からも『又、鍋島の化猫騒動が始まった!』と、鍋島藩の恥に成るような噂を避ける為に、河上山の麓までは鹿狩りと謂う體を取り農民も一部動員して目眩し致します。
時は延宝七年十一月二十七日の吉日を選びまして申の刻、太守・鍋島信濃守綱茂公御自らが先頭に立ち、鹿狩りと称して農民百四十を含む五百名の集団が佐賀城下を出発致します。
目指す化物退治の場所は旧龍造寺家の菩提所、河上山実相院で御座います。農民が山鹿太鼓と鳴子を鳴らし隊列して河上山の麓まで参りますと、武士団三百六十名と分かれ列を離れます。
更に此の麓に於いて速やかに三百六十名は四小隊九十に分かれ、東西南北から実相院を包囲しますと一刻を待ち酉の下刻、完全に辺りが闇と成り本堂の洞穴に化物が集まるのを待ちます。
そして典山が本堂へ物見に参り洞穴に化物が潜んでいると認められたら、信濃守様よりの下知を合図に各隊は、先ずは火矢を放ち実相院本堂を焼討ちに致し化物達を火責めを喰わせます。
更に紅蓮の炎から逃げ出して参る化物には、初手は鉄砲隊と弓矢隊が是に射掛けて、此の飛び道具の包囲を抜けた化物は刀を持った歩兵が成敗すると謂う三段構えの陣形で挑んだ鍋島藩。
而も三段構えの隊は、一段目二段目は十五・十五の編成で五人一組の三部隊構成で、最後の歩兵は三人一組二十部隊が配置されて居ります。
是が四方からの同時攻撃で、而も火攻め、飛び道具攻め、そして最後に抜刀係りの歩兵攻め!用意周到な三段構えですから、流石に是にて五十年以上鍋島藩に禍を齎した化物も滅ぶ!!
そうに違いないと、火攻め、飛び道具攻めの段階では自信が確信に変わっていたが、最後の歩兵が化物と接近戦で斬り合い始めますと、矢張り戦いの優劣は歩兵の剣の腕前に左右されて、
一方化物の方はと見てやれば、火攻め、飛び道具攻めを越えて牙を剥く相手ですから、どれも此れも恐ろしく強い敵ばかりが現れます。そこで最初は南小隊に集められて居た豪傑三人、
伊東荘太郎、伊村市之丞、そして典山こと小森半之丞を、三方の隊に振り分けて決死の覚悟で三人も戦い抜くと漸く、大方の化物は退治し尽くしますが案の定!最後に主領化猫が残ります。
旧龍造寺家の末裔、高井検校の飼っていた黒猫、クロが其の怨念で化猫と成った此の主領が、何の因果か此の龍造寺家の元菩提所、河上山実相院で鍋島藩と戦う事に成るのです。
さぁ伊東荘太郎はここぞとばかりに後醍醐天皇の第二皇子、大塔宮護良親王より忠臣村上彦四郎義光が賜った『山鳥之宝剣』を取りだして、是を抜いて正眼構えて化猫に相対峙します。
化猫は仲間が悉く退治されたので、例に依って悪の神通力を用いて鍋島藩一同を眠らせて此の場から逃げようと致します。が併し!月の光に照らされた山鳥之宝剣が閃光を発します。
此の光が四方八方へと散乱し昼間の様に辺りを明るくして化猫の神通力を封じてしまいます。さぁ討つなら今!伊東荘太郎は山鳥之宝剣を上段に振り翳し化猫を真一文字に斬り付けます。
ウーニャッ!!
首を落とされたクロの化猫は断末魔の叫びと共に呪いから解放され、元の黒猫クロに戻りその大きな死骸だけが残ります。此処に信濃守を大将とした鍋島藩は総ての化物退治を成遂ます。
是と謂うのも第一に不動明王のご利益、且つ有岡家に伝わる『山鳥之宝剣』の霊験による所の力と、太守信濃守の英邁と伊東荘太郎の忠義などが合わさり成遂げられたに相違有りません。
悪魔降伏怨敵退散
永らく佐賀鍋島藩は安泰と繁栄が続きまして、典山こと小森半之丞は鍋島家に再び仕える事となり、伊東荘太郎は益々の出世を致しまして、『山鳥之宝剣』は有岡重三郎の元に返ります。
すると、伊東と有岡両家の結び付きも益々深くなりまして、是が播州三田と肥前國佐賀の結び付きとも成りまして、鍋島藩の発展栄華は揺るぎなく続き愛でたし愛でたしの大団円と相成ります。
大団円