江戸表を立った伊東荘太郎は中仙道六十九次を上って京都を目指し延宝七年六月、あの岩崎蟠龍軒を討って一年ぶりに大坂の地を訪れていました。
そして道中、中仙道は四十五番目の宿、中津川で自らの両親と能く似た六十六部の夫婦の噂を耳に致しまして、此の夫婦を追い掛けて荘太郎は岐阜の要所五十三番目加納宿に宿泊します。
江戸に幕府が置かれて、家康の命令で岐阜城が取り壊しとなり、代わりに加納城が築城され三河より徳川譜代の大名、奥平美作守信昌が領主となり、三万石から加増され十万石の大名と成ります。
当然、加納城下には本陣、脇本陣が各一軒置かれて、中仙道六十九次の中では高崎、熊谷に負けない位大きな宿場町へと成長し、二文字屋と謂う帝勅使の手紙を運ぶ飛脚が御座いました。
その城下から北へ四、五里行った山中に三田洞弘法、高野山真言宗で正式名称を霊鷺山法華寺と謂う法華寺が御座いまして、此処に斯の六部夫婦が逗留し修行をしているらしいと聴く。
荘太郎「頼もう!頼もう!」
伊東荘太郎の呼び掛けに三田洞弘法の取次の寺男が箒を片手に作務衣姿、本堂脇の詰所を出て荘太郎の前にゆっくりと現れます。
取次「ドーレ。何方様ですかな?」
荘太郎「拙者、旅の者で九州は肥前國、佐賀藩鍋島家の家臣で伊東荘太郎と申します。我が近親の行方を探しており、二、三お尋ねしたい義が御座います。」
取次「左様で御座いますか?どの様なお尋ねでしょうか?」
荘太郎「ハイ、実は歳の頃は四十五、六で一刀流の剣術の使い手で名前を伊村市之丞と申す者と、其の内儀で兼と謂う夫婦の六十六部が当寺にて修行を致しておると聴いて参りました。」
取次「オォ、伊村様とお内儀のお身内ですか?!」
荘太郎「知っているのですか?伊村市之丞と兼の夫婦を。」
取次「勿論です。本の一月程前に逗留なされて居て、読経や写経などなさり暫く修行なさって居りました。」
荘太郎「其れで、今は何方に?!」
取次「詳しくは当寺の僧侶で秀春殿と言う御方にお聴きなるのが一番です。伊村様は貴方様の?ホー親御さんでしたかぁ、分かりました暫くお待ちを直ぐに秀春殿をお呼び致します。」
そう謂うと寺男は荘太郎を案内し本堂の脇の詰所へ連れて行き、其処に暫く待つ様にと謂われて待つ事になります。そして寺男は本堂から一人の若い僧侶を連れて参ります。
秀春「お初にお目に掛かります。拙僧は当院、三田洞弘法の外事役、主に全国から参る六部の修行や宿坊の世話を致しております秀春と申します。」
荘太郎「拙者、旅の者で九州は肥前國、佐賀藩鍋島家の家臣で伊東荘太郎と申します。カクカクしかじか、六十六部の姿を致して修行中の両親を探して御座いまする。」
秀春「左様で御座いましたか、伊村殿ご夫妻の息子さんですか?!ご両親は一月前までは確かに当院で修行なされていましたが、何でも長浜の石田三成公縁の法華寺へ向かうとかで、
そうですねぇ、六月の二十八日に当院を出立なされて恐らく、中仙道は六十二番目の番場の宿から北へ琵琶湖を上って、長浜の法華寺へ行かれたハズで御座います。」
此の秀春が話して呉れた法華寺は神亀元年、斯の行基が薬師如来を本尊として創建し、その後伝教大師最澄が寺坊を修復して、日光、月光菩薩をはじめ十二神将を祀ったと伝わります。
興福寺文書によると僧坊百二字衆徒五十口とあり、己高山惣山の院主を務めるなど己高山七ケ寺の最有力寺院として浅井氏三代の帰依深く、
また豊臣秀吉や徳川家の庇護を受け格式を誇っていたと伝わります。ですから此の江戸時代の始め頃はまだ、寺の本堂は存在し六部が立ち寄り修行などをしていたに違いありません。
併し此の法華寺は現在、本堂に続く石段と石垣のみが残り法華寺跡と呼ばれていますが、秀吉と三成の出会いのエピソードとして有名な「三献茶」は此の法華寺であったともいわれます。
さて、加納宿より中仙道を再び上り始めた荘太郎は、三田洞弘法の僧侶・秀春に教えられた通りに中仙道六十二番目の宿、番場宿へと着いて此処に旅籠を取ります。
そして翌早朝、番場から米原、坂田、田村、長浜と琵琶湖の畔を北上致しまして、其処にまだ戦国時代群雄割拠した時代を彷彿とさせる、寺と謂うより城に近い建物が現れます。
惣門はどこかの城の城門を連想させる堅牢な造りで、屋根の両端にシャチを頂いている。黒板張りに白壁を上部に設えた塀が周囲を取り囲み、厳かな門である。
今伯圓は城門を連想させると申しましたが、一朝事ある時には寺全体が一つの城としての機能を担う役割を備えていたものと考える。そんな寺が秀吉公と三成が出逢った寺なのです。
さて、此の法華寺でも先の三田洞弘法同様に、六部の夫婦を知りませんか?伊村市之丞と兼の夫婦で御座います!と、聴いてみると三日前までは修行をしていて次は大坂へ向かうと言う。
又大坂での修行先は、四天王寺に在る卯木山(ウボクサン)妙蓮寺(ミョウレンジ)であると教えられた荘太郎は、番場宿を出ますと、鳥居本、高宮宿、愛知川、武佐宿、守山、草津、
そして大津宿を抜けて京の三条へ宿泊し、三十石船に乗りまして明後日の朝には、大坂の淀屋橋へと到着致しますと、一目散に四天王寺の妙蓮寺へと駆け込み親子の対面と相成ります。
六、七年ぶりの親子の対面ですから、互いに泪、泪の再会と成りますが、まだ、伊村市之丞は佐賀へは自らの父・仙右衛門と、其の父の無二の親友、東嘉兵衛に逢わせる顔が無い!!
と、頑なに六十六部としての修行に拘る様子を見せますが、荘太郎が佐賀では又、化猫が悪事を働き赤児幼児を攫い喰らう噺をし、剰え荘太郎の倅、市之丞の初孫の荘之助も犠牲になっていると、
荘太郎の内儀トリは荘之助を失い余りの心労から床に臥せり大変な事に成っていて、一刻も早く鍋島家の一同の為に妖怪化猫の退治が必要だと訴えて、漸く親子三人して佐賀へ帰省致します。
時は延宝七年九月二十五日、荘太郎と父市之丞と母兼の三人は揃って肥前國佐賀の地を踏みますが、市之丞は先に申し上げました六部の體では御座いませんで立派な武士の姿にて、
そして佐賀城内へと三人が入城致しますと、見附番の足軽が此の姿を認めまして寄って参ります。そして荘太郎の荷物を抱えて、長屋の方へと勇んで荘太郎の帰りを知らせます。
足軽「只今、ご主人様伊東荘太郎様お帰りで御座いまする。拙者、見附番の五郎左に御座いまする。お留守のお屋敷へお伝え申す!伊東荘太郎様只今お帰りで御座います。」
之を聴いて屋敷に居た足軽仲間、下男下女は皆んな外へと飛び出して、今か?今か?と待って居た旦那様、荘太郎を出迎え致します。殊に足軽の忠僕・作内はイの一番に出て参りました。
又、佐賀國詰めが決まり雇われたばかりの小女、内儀のおトリの身の周り世話を甲斐甲斐しく致す此の下女が、荘太郎が帰ったとの知らせを耳にして奥で臥せるおトリに是を伝えます。
小女「お内儀様、ご主人様が江戸表よりお戻りの由に御座いまする。妾はまだお会い申した事の無い旦那様なれど、只今大手口の見附番より知らせが御座いました。」
さぁ、是を聴いたおトリは嬉しさ半分淋しさ半分で、実に複雑な思いを胸に致しまして、佐賀へ戻りました荘太郎を、倅の荘之助を死なせた妾がどの面下げて逢えば良いのか?!
おトリ「三年振りでユックリと旦那様とお噺出来る事は嬉しい限りに御座いますれども、何んと申し開き致せば許されましょう?一層想いを書面に致して此の場で自害仕ろうか?」
其の様に悩み苦しむおトリの元へ、我が子の訃報は人傳に聴き知りはするものゝ、未だ実感の湧かない荘太郎が、早くおトリに逢いたいの一心で玄関口へ現れます。
荘太郎「いやぁはや、一同!お出迎えご苦労に存ずる。伊東荘太郎、只今佐賀の地に四年ぶりに帰り申した。皆は拙者の顔を覚えておるか?!」
作内「旦那様!忘れるハズが御座いません。尤も此の度新規に召し抱えのお民の様な新参者は元よりお顔を存じ上げないでしょうが…、にしても旦那様はお宮殿、並びに野島惣平殿の、
仇討ちを見事、大坂の地で成し遂げられて一層武士の貫目を上げられて立派にお成りで嬉しい限りで御座います。足軽より立身出世なされた旦那様は足軽どもの誇り希望で御座る。」
荘太郎「作内!拙者を煽てゝも特別な褒美や土産は出ぬぞ。」
などゝ笑いながら仲間奴や足軽に出迎えられて奥に上がろうとして居たら、その奥から病床を這う様に現れたにおトリが、お民に風邪を召しますワよと掻巻を羽織られ出て参ります。
おトリ「旦那様、能くご無事でお帰りなさいませ、トリは大変嬉しゅう御座います。」
荘太郎「トリ!無理を致すでない。人傳にお主の病の事、荘之助の不幸については概ね知る所である。ただ、旅の空に噂を耳にしたダケ由え実感が御座らん、仔細を聴かせて呉れ!」
そう言われたおトリは、ポツリポツリと乳母に抱かれて庭先で遊んでいた荘之助が、神隠しか?!とも思う妖怪化猫の仕業と思わしき不幸に遭い、今は行方不明に成った事を語り始めます。
一通りおトリの噺が終わり、二、三の荘太郎からの問いにおトリが答えて、荘太郎が難しい顔を致しておると、暫く後ろで控えて居た市之丞が初めて、おトリに向かって口を開きます。
市之丞「噺の中にて有りますが、卒爾ながら嫁娘殿、お初にお目に掛かります。之より余計な舅姑の両人が増えて大いに斟酌なされて居る事と存じまする。
が、併し我々荘太郎の両親は貴女や伊東の家に厄介になる積もりはなく、貴女の両親と同じく扱う者では御座いませんし、決して伊東の家の隠居夫婦では御座らん。
我々夫婦は荘太郎を鍋島藩へ仕官させ、鍋島信濃守綱茂公の忠僕としてお仕えさせれば、その役割は遠の昔に終えて居り、我々自身はかつて信濃守様に不忠を働いた大罪人で御座る。
依って我々を舅姑などと敬う必要は御座らんし、おトリ殿の気の向くままに荘太郎と末長く幸せに暮らして頂く事を願うばかりで御座る。ノウ?兼や、お主も左様に思うだろう?」
お兼「本に貴方の仰る通りに御座いまする。おトリ殿とやら、舅姑の名乗りはしても親子の名乗りを致した訳に在らず。必ず、お前様にご迷惑を掛ける様な真似は致しません。」
おトリ「之は恐れ入ったる御言葉を賜り恐縮に御座いまする。どうかぁ至らぬ未熟な妾ですが舅姑様お二人の宜しくご指導を賜りたく、山家育ちの女子由え行届かぬ点はご指図願います。」
荘太郎「さて、又此の佐賀城下に四度妖怪化猫が現れて小児や赤児が攫われる折柄、荘之助に関しても用心に用心を重ねて居たにも拘らず、表に出ては空を見たがるのは小児の常、
乳母に抱かれて庭で遊ばせていても、化猫は妖術を用いて人間が気付かぬ内に、神隠しか天狗が攫うが如くに小児を連れ去るのだから、之を拙者はトリ!乳母やお主の責任とは思わぬ。
又不幸は我々のみ成らず、嘆きは同じく幾十幾百と同家中に、化猫に我が子を攫われた御仁は御座る。他人事とは思われず我悲しみと相成ったからは、之を止めねばなるまいと荘太郎は思いまする。」
市之丞「寸善尺魔の世の喩え、二十三年ぶりに帰国して親子夫婦舅姑の初対面なるも束の間、孫は未だ見ぬままに化猫に攫われて行方は知れず哀れな噺、露ぞ見ぬのが幸いか?」
お兼「ハイ、なまじ婆様と孫に慕われた後よりは、顔も形も見ぬ内だから別れはぼんやり致して、逢わぬが佛悲しむ心はマシで有りましょう。」
舅姑の市之丞とお兼は嫁であるおトリの気持ちを察し、只でさえ母として一人息子を亡くす悲哀を一身に受けているのに、舅姑にまで気を使わせては可哀想だとの思い遣りで御座います。
どんなに口では舅姑には斟酌するな?!とは謂うものの人の縁と絆は断ち難く、荘太郎もおトリも、そして市之丞もお兼も、共通の憎い仇は妖怪化猫、ただ一人なので御座います。
おトリ「舅姑様は逢わぬ孫由え諦めも着きましょうが、妾は自らのお腹を痛めて生んだ子なれば神隠しだからと言って諦めが着きません。そして太守信濃守様に申訳が立ちません。」
そう謂って又泣き崩れるおトリの脇で、暫く腕組をしてジッと目を閉じて居た豪傑・伊東荘太郎はユックリと目を見開いて、語り始めた。
荘太郎「ヤイ、トリ!嘆くな、武士の妻なれば堪えて凛と致しなさい。我が母、姑の目の前で端下無いぞ。我が息子、荘之助は多くの鍋島藩士の童達の犠牲に成って死んだのだ。
母として誇りに思い荘之助の墓前では笑顔で讃えてやりなさい。其れが武士の母である。拙者は最早嘆くなと詮方無き事と諦めました。嘆いて荘之助は蘇りません。
由えにトリ並びに父上母上も、もう荘之助の死を悲しむのは之れきりで終わりに致しましょう。そして拙者は明日久しぶりに登城致し、殿の御尊顔を拝しますが笑顔で対面致しまする。」
市之丞「不誠実を謂うようだが、荘太郎!おトリ殿、其方等夫婦はまだ年若なればまだまだ子供は授かります。ノウ、御家来、奉公人衆?」
さて暫くは通夜の様に鎮まり返っていた家来、奉公人連中は市之丞に水を向けられて、「そうだ!」「そうだ!」と相槌を口にし荘太郎とおトリを慰める積もりで、お調子者の三蔵が、
三蔵「そうだ!旦那様には有馬にもう一人、一緒に仇討ちをした新造も御座いますから、アレも外妾に貰われたら、伊東の家は跡取りには不自由など致しません。」
荘太郎「何を馬鹿な事を申す!三蔵、此の田分めぇが!」
三蔵「こりゃぁ〜、内緒噺で御座いました。失礼致しました。」
と、そんな噺で一同に笑いが起きる中、おトリ宛に有岡の実家より便りが届けられます。而も宛先は父の十左衛門からではなく、舎弟である重三郎からに成って居ります。
おトリ「珍しく父ではなく、筆無精の重三郎が妾に手紙を遣すなんて雪が降らなければ良いが………。旦那様!荘太郎様、吉左右です。」
荘太郎「何んだ?何事だ、吉左右とは?」
おトリ「重三郎が、来年春に嫁取り致します。結納を済ませたそうです。」
荘太郎「ホー、九鬼のご家中に良い娘子が有ったのか?」
おトリ「いいえ、お宮殿です。仇討ちのお宮殿を嫁に貰うそうです。」
荘太郎「誠か?!其れは愛でたい。」
おトリ「其れで、ついては義兄上様にはお宮殿の里親になり祝言を上げさせて下さいと謂っておりますよ、旦那様。」
荘太郎「俺はまだ二十五だぞ、お宮は二十一だろう?親子とは…釣り合わぬなぁ〜。」
おトリ「断るのですか?年齢を理由に。」
荘太郎「断りはせん!引き受けるさぁ、でも年齢は釣り合わんだけだ。」
さぁ、荘之助の一件で沈んでいた伊東の家に、有岡から吉左右を運ぶ手紙が届き、少し心の晴れた荘太郎さ、翌日は浅裃に袴を付けまして登城となり久しぶりに殿様のご機嫌伺いです。
そして、父の市之丞をお伴の仲間代わりに連れまして、親子で登城し父市之丞は次の間に控え居りまして、さぁ荘太郎が殿様の許しを得ますと此処で三者での面会と相成ります。
さてさて愈々、次回は此の『鍋島猫騒動』も大団円!最後の化猫退治のお噺と相成りますが、皆様、次回大団円の化猫退治をどうぞ、乞うご期待!
つづく