さて、江戸は品川へ着いた三人は、新橋、有楽町と進み大手町辺りのお堀端の茶屋に入りまして、更に詳しい鍋島藩の江戸上屋敷の道順を、茶店のご主人から聴いたお宮は、

お宮「今、此の茶屋のご主人から鍋島藩江戸上屋敷への道順をしっかりお聴きしました。私は奥で巡礼の衣装を脱いで着物に着替てから参りますが、お二人は六部の格好のままですか?」

市之丞「拙者とお兼は荘太郎に逢う積もりは御座らぬ。西國の大大名だ鍋島公は、その上屋敷に汚い六十六部の格好で逢いに行くと荘太郎が恥をかく事に繋がるではないかぁ?!

其れに之は謂うまでも無い事であるが、若し荘太郎に親孝行の気持ちが強く有るならば、自らの意志で両親に逢いに来るに違いない。だから我々はこの茶屋にて待つ事に致します。

荘太郎が足軽で下屋敷の長屋住まいで独り身なれば、門番さんに裏から逢わせて頂くが、そんな事情なので我々には構わず、お宮殿は一人で自分の用を遂げるが宜しい。」

お宮「ハイ、ご様子を承りますれば大抵は分かりまして御座いまする。其れでは暫時此方の茶屋で御休息を願い致します。私は御屋敷へ参ってご様子を伺って参りまする。」

と謂うとお宮はイソイソとお堀端の茶屋を飛び出して、見附へ這入りまして佐賀藩上屋敷の門を潜り伊東荘太郎殿はと、門番に尋ねると『其の垣根を黒板塀に沿って左から参れ!』と、

荘太郎の屋敷の門を指差して教えて呉れますので、謂われた通り黒板塀に沿って左の角を曲がり、『伊東』と謂う表札の門を潜り中へ進むと、玄関口より大きな声で中へ呼び掛けます。

お宮「お頼み申します。」

取次「ハイ、ドーレ!」

と、奥から返事が有りまして、若い仲間(ちゅうげん)が掃除の途中呼ばれた様子で、玄関へと出て来て其処に立つお宮をじっと見て応対して呉れるのでした。

取次「嗚呼、此れは若くてお美しい女子が当屋敷に何んの御用ですかな?」

お宮「ハイ、私は摂州有馬の近傍から参りました『宮』と申す娘に御座います。どうかご主人の伊東荘太郎様にお取次をお願い申します。」

取次「何ぃ〜摂州有馬の近所から江戸表に参られたのか?女子の一人旅で能く参られた。此のご新造様も有馬温泉の近くの御方だ。旦那様はよくよく有馬と縁が有りなさる。

さて、娘さん旦那様をお呼びするから、暫時、其方の部屋で待っていなさい。旦那様をお呼び致そう。さて、お崎さん!女中のお崎さんは居ますか?」

と、仲間で取次役の三蔵は中働きの年増の女中、お崎に声を掛けて是を玄関脇に呼び出します。

お崎「何んですか?三蔵ドン、私に何か用ですかね?」

三蔵「今仕方、若くて美しい娘子が摂州有馬の方から旦那様に御用が有ると謂って訪ねて来なすった。だから、お崎さん!旦那様を此処へお呼び申して呉れお願いします。」

お崎「アレまぁ〜当家のご新造さんも有馬の近くから嫁に来られてお美しい方だし、又も有馬から若い美人が来たとなると、旦那様はお安くないなぁ?!有馬の美人に縁が有り過ぎる。」

そんな事を呟きながら、浮いた噺で奥方のおトリには憚られる訳ありの女が有馬より来たに違いないと、ゲスの勘繰りをする女中のお崎が荘太郎に耳打ちしますが。荘太郎に於いては、

荘太郎「之れトリ、喜べ!どうやら玄関に有馬からお宮が訪ねて参った様子だぞ。我らが突然殿お伴で東へ下向する事となり、途中播州一色村のお宮の処へは寄れもせず、

トリ!其方の里方へすら寄り道できぬ急ぐ旅であったから、お宮の事は全く失念致しおったがお宮には大変に悪い事を致したなぁ〜、お宮は佐賀へ参った後に此処へやって来たのか?」

そうおトリに謂い聴かせると、おトリも大いに慶び玄関へは夫婦でお宮を出迎えに上がります。お宮も二人を見るなり挨拶も早々に、是までの旅の苦労と市之丞お兼夫婦との出逢いなど、

播州一色村を出てから肥前佐賀にて、辻村大膳から受けた恩に始まり、唐津から長崎屋の船で大坂は堺に這入り、東海道を東へ下る道中の薩埵峠で雲助三人組に襲われそうに成った所を、

荘太郎の父である伊村市之丞お兼夫婦に助けられ、由比の宿から箱根を越えて品川までの四泊五日は一緒に旅をし、其のご夫婦はお堀端の茶屋で荘太郎が来るのを首を長くして待っていると伝えます。

荘太郎「さては拙者も、父上母上の消息を探しておった所を、ご無事で六部に身を変えて諸國を廻り武者修行をなされて居たとは、父上らしい生き様で御座る。

併し其の様な両親が旅の道中に、お宮!お主と出逢いなさるとは之又不思議な縁である。そして御主が導き引合せて呉れたお陰で、六年ぶりに両親にお逢い出来るとは感無量に御座る。」

と、荘太郎はお宮の手を取り泪を流して慶びまして直ぐに仲間の三蔵に支度をさせて、是をお伴にお宮の案内で大手町お堀端の茶屋を訪ねます。併し、既に両親の姿は御座いません。

茶屋の主人が申しますには、先刻まで居た六十六部の夫婦はお宮の姿を見送ると直ぐに、茶代を払い行き先は告げずに大川端を浅草、千住方面へ向かったと云います。

嗚呼、是を聴いた荘太郎は握りしめた珠を落とした気分になり其の落胆ぶりは如何ばかり、もう四半刻も前に立去った大川沿に三蔵と共に駆け出しましたが、両親の姿は勿論有りません。

荘太郎「さては父母には深く先々の事を慮られて、生中対面致す場面に在らずと判断なさったとお見受け致します。我が出世を気になさる余りの御配慮、水臭い極みに御座る、残念。

こうなったら、父母の行方、草の根を分けても此の荘太郎がお探し申す所存で御座る。と、荘太郎は両親との再会を果たして、其の上で必ずや親孝行がしたいと願う様に成ります。

更にヨシお宮!其方の父の仇且つ我が家臣、野島惣平の仇でも在る岩崎蟠龍軒を探し出し、

之を討ち取る旅を両親探しとの一石二鳥。是を主君鍋島信濃守に願い出る事に致します。


さて、江戸勤番から一年も立たぬ身で荘太郎は唐突に『一年間のお暇』を太守鍋島信濃守に願い出るのですが、流石に殿様のご寵愛めでたい家臣の荘太郎でも、直ぐに許可は降りません。

太守信濃守様の御前に呼び出された荘太郎。御主がそこまで再三願い出る暇乞いの理由(ワケ)を隠さず総て述べよ!と迫られて、荘太郎、カクカクしかじかと申し述べますと、

さてこそ寛仁大度の太守に於いては、一年では大望叶うとは予は思えぬと仰に成り、実に向こう三ヶ年のお暇を下し於かれて、直々にお言葉を賜ります。

太守「荘太郎宜いか?其方の内儀は当江戸上屋敷に預かり於く。且つ内儀は懐妊の様子と聴き及ぶが、赤児の面倒は気に致すでない、全て予が面倒みる由え安心致せ。」

そう仰って二百石の扶持は、三年間荘太郎が仇討ちと親探しをしている間も支払われると判り、荘太郎は直ぐに旅支度を致しまして、お宮を伴に一人連れて又旅路へと出掛けました。

まだ十七歳の少女を一人伴に連れての宛て無き旅で御座いますから、浮かれ軟派な男が見ると実に羨ましい旅に写る様で御座います。泊まり泊まりの旅籠の夜は一つ部屋に、

若い男女が布団を並べたて仮枕なんて、色眼鏡で見られ嫌疑を生じる者も有るが、荘太郎は至って堅く忠義の人ですから、仁義を守る道徳と謂う物が備わって御座います。

どんなに美しく若いピチピチの新造を連れて歩行く旅とは申しましても、決して浮かれる様な気持ちには成りません。是は念の為に松林伯圓講釈師としてキッパリ申し上げて置きます。

そんな二人旅の荘太郎とお宮、六十余州を東へ西へと尋ね歩き、早二年の年月が流れた延宝六年の夏のこと、大坂は生玉の生國魂神社のお祭で山本蟠龍軒と名乗る居合抜の大道芸人が居るとの噂を耳に致します。

山本と岩崎の違いは有るが、蟠龍軒などゝ謂う名前がそんなに多いはずはなく、年齢は六十手前と仇の岩崎蟠龍軒と歳格好はピッタリです。ただ、髪は剃り落とし坊主に手拭い巻きです。

服装は実に派手で幇間の様な身なりを致し、居合抜を見せて客を集めては歯磨き粉や、癪に利く気付薬など販売しているらしいと、人の噂では申しますから荘太郎とお宮は真意を確かに、

大坂は天王寺生玉にある神社、生國魂神社の境内で大道芸の居合抜をしている『蟠龍軒』なる男の首実験に出掛けます。さぁ殊の外、祭で人がごった返しており顔だけは確かめて、

恐らくは岩崎蟠龍軒に違いない確証を得ますが、此処で声掛けしても斬り合う訳には参らず、逃げられる虞が十分に有ったので、予め調べて有る蟠龍軒が滞在している旅籠、

生玉門前町の近江屋で待ち伏せする事にし、此処近江屋は一階は料理屋で二階、三階は旅籠屋の所謂酌婦付きの旅籠なので、来た所を取り押さえてから大坂伏見町の番屋へ連れて行き、

大坂東町奉行である牧野河内守様へ仇討ちを願い出て、然るべき空地、又は河原にて尋常に立合い勝負の上、憎っくき岩崎蟠龍軒を討ち取る所存で御座います。

こうして、荘太郎とお宮が埋伏している近江屋へと山本蟠龍軒こと岩崎蟠龍軒は祭の居合抜の大道芸で稼いだ小銭を懐中に現れた所を、荘太郎に腕を逆手に捻られてアッサリ捕まり番屋へと連れて行かれます。

直ぐに吟味与力が呼ばれて、岩崎蟠龍軒の身元が知れて、間違いなくお宮の父、林蔵殺しの下手人だと兵庫に確認し明らかと成ります。此の上でお宮の仇討ちが認められて、

合わせて荘太郎が助太刀役として、此の仇討ちを助成する事が認められます。大坂東町奉行牧野河内守様の代理、筆頭与力脇坂弾正が見届け人となり検屍の役人を伴いまして、

仇討ちの場所として大坂福島天神前の空地が用意されて、竹矢来の囲い中、大勢の見物公開の元でお宮の仇討ちは行われて、荘太郎に腕と足を斬り落とされた蟠龍軒は、

最後にお宮から胸を懐剣で突かれて絶命致しまして、お宮は見事に親の仇を討ち果たします。是が延宝六年六月十五日の事で御座いまして、遥々師匠の仇討ちを見る為に、

播州三田は有岡村から有岡十左衛門の長男で、荘太郎の内儀トリの実弟重三郎が、態々、此の仇討ちを見届けに来て居りまして、初めて逢ったお宮を大層気に入りまして懸想致します。

そして、お宮を一色村へと連れ戻り、父林蔵の墓に無事仇討ちを果たした報告など致しまして、又、有岡の家にもトリが懐妊し、昨年には倅を江戸で無事産み落とした報告などもして、

この出逢いが縁でお宮は有岡重三郎の新造となるのですが、其れはまだ先の噺で御座いまして、後々には父の仇討ちの評判も愛でたくお宮は『有岡の若奥様』と呼ばれる様に成ります。


さて六十六部の市之丞お兼夫婦は、間違いを起こして両方の父親、伊村仙右衛門と東嘉兵衛國次の命を犠牲にしてから、佐賀の地には帰り辛く六十余州を彷徨い懺悔していました。

一方荘太郎はと見てやれば、約束の三ヶ年を少し残しては居りますが、お宮の父の仇討ちは無事成り、岩崎蟠龍軒なる悪党を討ち取った報告を御太守鍋島信濃守様へ致しますと、

来年は御太守様も國詰めと成るからは、荘太郎も佐賀へ戻り励む様にと沙汰が御座います。そんな訳で荘太郎は肥前佐賀へと戻るのですが、此の道中最後の親探しを荘太郎は致します。

一方佐賀では又俄に重大な事件が起きております。其れは連日の様に家中の藩士の幼児や赤児が、変死を遂げたり神隠しに会ったりと、実に奇怪極まりない事件でして、

必ずしも親が目を離している隙に起こるばかりではなく、今朝も三歳の幼児が母親の背中に負ぶさって居る所、突然、何者かに攫われて姿を消して仕舞うと謂う事が起こったし、

先日は母親が乳を与えている最中、母親が突然眠気に襲われた直後、まだ乳飲児の歩くどころか這うことすら儘ならぬ赤児が姿を消して仕舞うと謂う不思議も起こって居ります。

又是以外にも縁側で攫われたり庭先から姿を消したりと、月に十件以上の人攫いや神隠しが役所に届けられる事から、是は容易成らざる事と来年は殿様が御在國の年ならば、

仁君の誉れ高き君主なれば一方ならず憂い給われて、斯く悪しき噂の隣国に聴こえたるは恥かしき事なれば、早々に原因を突き止めよ!と下知を給わった次第で御座います。

其処で事情通の面々、御重役御老臣方は又あの妖怪化猫が刻を越えて現れたに違いないと眉を顰めて居ります。恐らく姿を消した赤児や幼児は化猫が喰ったからに相違ないと考えます。

大昔には鬼や山姥が人を峠や山中で喰らう噺はあらねども、此の泰平の世で而も城下の丸の内で赤児が消えるとは天狗の仕業か神隠し、将又長年当家に祟る妖怪化猫の成せる業なのか?

何にせよ穏やかならぬ一大事と、鍋島藩を上げて注意を喚起し、夕景に雨戸を閉めて赤児や幼児は絶対に表には出さない。是が丁度大坂にて荘太郎が蟠龍軒をお宮と討ち果たした頃に遡る噺で御座います。

一方、そんな大坂でお宮の仇を荘太郎が討つ一年前に、荘太郎の内儀おトリは荘太郎の情けの胤を孕み十月十日の月日が満ちて、玉の様な男子を江戸上屋敷で出生致します。

太守鍋島信濃守は荘太郎との約束通り、此の赤児の名付け親となり名を荘之助と賜り、生まれたばかりの赤児は一人の家来として迎えられたので御座います。

又太守信濃守様は「我が國入り致す明年は、伊東親子して予に従いて佐賀の地に這入るを命じる。」と仰りまして、延宝七年四月には父荘太郎の帰國より先に佐賀城下へ這入ります。

そして、まだ此の時荘太郎は三ヶ年は両親の行方を尋ねて廻る最中で東海道を伊勢路から近江の國を通り掛かっており、生まれて間もない荘之助を江戸で抱いたキリで御座います。

まぁ、其れが荘之助との今生の別れになろうとは荘太郎は夢にも思いませんし、おトリも荘之助にこんな悲劇が訪れるとは夢にも思いませんでしたから正に青天の霹靂で御座います。

伊東家の初孫、総領の荘之助はまだ二歳で御座いまして満一歳のヨチヨチ歩きの赤児にて、この日は初夏の麗かな夕刻に乳母が庭先にて荘之助を遊ばせて居りました。

さて、是又妖怪化猫の仕業なのか?乳母が荘之助を間違い無く抱っこして胸に抱き締めて居たはずなのに、突然、金縛りに合った様に身体が動かせなく成った乳母は荘之助を攫われます。

本の少しアッ!と気付いた時にはもう赤児の姿は消え去り、ビックリした乳母は半狂乱で母親のおトリに荘之助が攫われたと伝えてますが、

是を聴いたおトリは更に輪を掛けて狂った様に狼狽ますが、荘之助の姿は何処にも無く良夫荘太郎の留守に倅を攫われ、名付け親の太守にも有岡の両親にも済まない気持ちで一杯で、

兎に角、大失態の責任を独り痛感するおトリは仲間、下男下女、隣家の方々にも声を掛けて自らも先頭に立って荘之助の行方を探しますか、全く足取りなど掴めません。

二日、三日と朝から晩まで飲まず食わずで狂った様に我が子を探し廻るおトリを、奉公人も家中の人々も哀れで可哀想には思いますが、妖怪化猫に喰われて居るなら現れるハズもなく、

五日目におトリは倒れて仕舞い、碌に三度のご飯も喉を通りませんから、床に臥せり病人同様で御座いますが日に日に重くなるばかりで、秋を迎えて九月に成ると骨と皮ばかりで御座います。

更に良夫の留守に一人息子を攫われて済まぬ!済まぬ!とただひたすら自身を責めるおトリの命はもう風前の灯火。さて、再び現れたに化猫に伊東荘太郎はどう戦うのか?!

さて心労に押し潰されそうなおトリの運命や如何に!さて、いよいよ大団円が間近になりつつある『鍋島猫騒動』、次回は大団円の一つ前の回と成ります、乞うご期待。


つづく