時は延宝四年十月の末、摂州有馬温泉の御所の坊にて名湯に浸かり二月余りの湯治にて、全ての毒爪の傷が癒えて、今は健康を取り戻した伊東荘太郎。
そろそろ故郷肥前佐賀へと戻り、両親の遺言でも有る鍋島信濃守綱茂公にお仕えし、何より鍋島家に禍を齎す仇、妖怪化猫を討ち取らん!と帰り支度を始めて居た。
十月末の有馬の地は、元より山間の地で御座いますから四方の山々は紅く色付いて、其の紅葉ぶりは得も謂われぬ眺めで在ります。滞在も跡一両日程ですから、
最後の思い出に有馬の名所を見て廻らんと、旅籠から路案内の者と若党の野島惣平を一人お伴に連れて、弁当と瓢(ふくべ)の酒などを携えて諸所を遊歴致して、
先ずは温泉場に一番近い名所、落葉山から鳥地獄の溪を抜け彼の西行で有名な『鼓ヶ滝』へと進み、一行は『鼓ヶ滝』の掛け茶屋にて休息を取りながら、
路先案内人には弁当などを使わせて、伊東荘太郎は自らも瓢の酒を、惣平に酌などをさせて酌み交わしながら、秋の日の長閑な光景を眺めては心を慰めて居りました。
其処へ山間の方から、実に人品の宜しい五十歳を過ぎた老人が現れて、同じ掛け茶屋の飯台に腰掛けて、茶を頼むと其れを啜りながら荘太郎の方に話し掛けて参ります。
老人「エェ、旦那様!御武家様は随分と長らく御所の坊に滞在ですなぁ。湯治で御座いますかなぁ?」
荘太郎「ハイ、左様に御座いまする。当方は八月の二十九日より当地に参り丸五十五日、御所の坊さんには滞在して居ります。」
老人「どうも左様にお見受け致しましたからお声掛け致しました。儂は此の滝に近い向かいの素麺屋さんの二階に間借りをしている者で御座います。
大変に付かぬ事をお伺い致しますが、貴方様は西國の方で妖怪化猫退治を為さって、其の化猫退治の際に受けた毒爪の傷を有馬温泉に湯治に来られたと伺いました、誠で御座いますか?」
荘太郎「イヤ、お恥ずかしい。此の様な所まで左様な噂が流布致すとは、化猫と申しては大袈裟ですが、まぁ当たらずと遠からず似た様な不思議が御座いました。」
老人「ホー、能有る鷹は爪を隠すと申します。常人ならば化猫などを退治すれば鼻高らかに自分で吹聴致しますが、私が水を向けても多くを語らず、其処に値打ちが御座います。
さて、今のご様子から致しますと化猫より受けた傷は完治なされた様で御座いますなぁ?然らば近日中に、ここ有馬の地を出立なさるお積もりでしょうか?」
荘太郎「ハイ、もう明日にも天気さえ宜しければ出立致す所存で御座います。」
老人「如何で御座いましょうや、若しお急ぎの旅では御座いませぬ様なら、私に着いて少々寄道をなさる気は御座いませんか?儂も明日出立致しますが、
之より拙者に同道頂き三田と申す処へお廻り下されては?所謂、六甲山の裏山から鵯越えの山路を播州路へと抜けて参ります。少し道自身は遠回りで険しくなりますが、
如何でしょうか?イヤ、此の様に見ず知らずの私が、人気の無い淋しい山道に貴方を誘い込む様な言い方をすると、山賊の類いと誤解を受けそうですが、
貴方に是非見せたい物が御座います。若しお急ぎではなく、此の老人を信じて頂けますならば、是非とも儂に同道しては頂けないでしょうか?」
荘太郎「ホーォ、其れは面白い。如何な噺かは知らねども興味が御座います。申遅れましたが何を隠そう拙者は肥前佐賀は鍋島藩家中の者で伊東荘太郎と申しまする。
只今、貴殿が仰られた通り化猫の手下、古猫が化けた人間と斬り合いまして大層手傷を負って、此の有馬温泉へと湯治に参り漸く完治致しました。
由えに有馬温泉には最早用無き処となりましたので、明日出立し帰國致す所存でしたが仰る通りで急ぐ旅では御座らん。時に貴方様は三田に縁の方で御座いますか?」
有岡「ハイ、之れより三里ばかり山道を先に参りますと三田で御座います。三田は三萬石の御城下で九鬼様の御領地にして、陶器、焼物で有名な土地柄で御座います。
まぁ、肥前の佐賀も有田、伊万里、唐津と焼物では大変に有名なお土地柄、釈迦に説法でしょうが、その三田城下から一里離れた有岡村の郷士で名主を務めます有岡十左衛門と申します。
山間の田舎育ちの無骨な老人で御座いますが、少々、先祖祖先に就いて話したき義が御座います。儂は見る影も無い田舎オヤジですが、之でも祖先は恐れ多くも後醍醐天皇の第二皇子、
彼の大塔宮護良親王の御側近くに、絶えず離れる事なく命を賭して仕え奉りし忠臣、村上彦四郎義光、其の御仁が我が祖先に御座います。」
荘太郎「其れは大層なお家柄に御座る。斯く申す拙者ごとき田舎者でも『太平記』で読んだ事が御座います。大塔宮をお守りし殉死した忠義の家来、村上義光公の御子孫ですか?」
有岡「恥ずかしながら、左様で御座います。」
荘太郎「イヤハヤ、存ぜぬ事とは申せ大変失礼仕った。では先ずは一献御酒を進ぜましょう。御先祖様の事を聴いて慌てゝ諂う様で恐縮ですがお呑み下され!」
有岡「イエイエ、私は単なる名主の有岡十左衛門に御座います。ご先祖様が偉いだけで拙者自身は凡庸な老人、貴方様が殊更儂ごときに傅くには及びませんし、
又、儂自身も御先祖の威光を笠に着て、今更鹿爪らしく役人面をするのも厭で御座います。矢張り勝手気まゝが拙者には性に合って御座いまする。
山間の僻地に住み、勝手次第で其処で取れる粗末な物を喰らい生る事が、己の至上の楽しみで御座います。色々とお聴かせしたい四方山噺など御座いますし、
どうか通り道でも御座いますし…、必ずや粗末には致しません。三田領主からも町役として仰せ遣った役向も在り、又、其れよりもお見せしたい品々も有るので是非お寄り下さい。」
荘太郎「其れは此方こそ忝い。御名家なれば面白き御宝物も在りましょう。是非、拝見致しとう存じまする。」
有岡「ハイ誠に有り難き事と存じます。実は我が先祖村上彦四郎義光が大塔宮様より拝領致した宝剣、三條の小鍛冶『宗近』が鍛えし刀(業物)、
山鳥之宝剣が我家に残って御座いまして、実に親王自らな筆を取って箱書きを残した逸品なれば、『忠臣 義光へ與ふ』との添え書きも真筆に御座います。
義光の最期、吉野の里に残された山鳥之宝剣は、我が子と一緒に義光が家来に寄って持ち出され、代々我が有岡の家に家宝の一つとして所蔵されて御座います。」
荘太郎「其の様な貴重な宝剣が拝見出来るならば、喜んで明日は御老人に同道致して三田へ参りまする。」
有岡「では明日は朝七ツ立ちと謂う事で、拙者の家は大昔に普請した古い家です、材木等も都風にカンナ掛けした物ではなく手斧造りの丸太小屋同然、其ればかりはご容赦願います。」
さて、有岡十左衛門と謂う五十を過ぎた名主とは掛け茶屋で別れると、伊東荘太郎は明日の朝立ちに備え、遊山を早々に切り上げると有馬温泉の御所の坊へ戻った。
そして御所の坊の帳場へ向かうと明日早立ち由え二月分の旅籠代と奉公人、女中衆へのご祝儀を包んで会計を済ませると、不要な荷物と伴の仲間は肥前佐賀へ返し、
有馬温泉から有岡十左衛門が居る鼓ヶ滝の素麺屋へは距離に致しますと五、六町しか離れておりませんから、二人は駕籠などは用いずに七ツ刻の朝ぼらけを、
伊東荘太郎と必要な荷物持ちの若党の野島惣平は鼓ヶ滝の近くに有る素麺屋を歩いて訪ねます。まだ日の出前の東雲刻、既に旅支度の有岡十左衛門は店の前に出て立って居ます。
先頭を重そうな荷物を担いだ惣平が歩く後ろから荘太郎と十左衛門は何やら楽しげに語らいながら向こうの山を下り、右手を下りして此処は山又山の六甲山脈積きで在ります。
是より更に三里ばかり下がると其処は三田領。三萬石の大名、九鬼氏が古くから代々納める城下町です。その三田城下を斜め東南に一里程進むと其処が有岡村。
有岡十左衛門の家は其の有岡村の南に位置し、一構の立派な陣屋造りのお屋敷です。正面には黒の冠木門が建ち四方は深い竹林に厳重に囲われております。
一方、裏手はと見てやれば一面の山積木深い渓谷には清流が流れて、もう墨絵の世界に登場する仙人の住まいの如くで、こう謂う処で生活すると人間は寿命が伸びるに違いない、そう荘太郎は思いました。
三人が門を目指してゆっくりと近いて行きますと、其の門の関根に一人、十二、三の童子が居りまして十左衛門を見付けたらしく笑顔で口を開きます。
童子「オヤ!旦那様がお帰りだ。」
そう謂うと此の童子は直ぐに門から奥へと消え去り『旦那様がお戻りです!』と、触れて廻りますと、
今度は奥の方から作男らしいのが出て参りまして、仕ておりました汚い手拭いの頬冠りを取りまして腰を屈めます。
作男「旦那様、ご苦労様で御座います。お早いお戻りで何よりで御座います。」
十左衛門「オウ、ご苦労。お前達、珍客をお連れ申した。粗相の無い様に奥の客間へご案内申し上げなさい。お荷物をお持ちして呉々も無礼の無い様に頼んだぞ。」
下男二人が惣平の荷物を手に取り、門から玄関へと案内して呉れると、広い土間の玄関には十左衛門の家族三人が出迎えに立って居た。
十左衛門の内儀は四十過ぎの上品な婦人で、上の娘はおトリと謂う名で十九歳、下の息子は十七歳で重三郎と呼ばれていた。
十左衛門は荘太郎達二人を実に丁重に家の中へ案内して呉れて、荘太郎と惣平は三百年の普請の屋敷にただただ見惚れていると、義光公以来の家宝を見せながら、
『太平記』の時代の珍しい噺などを紐解き聴かせては、数々の宝物を蔵から出して荘太郎に見せて呉れて、愈々、真打登場!『山鳥之宝剣』の出番と成るのですが、
この『山鳥之宝剣』と此の後、鍋島の化猫退治へと結びつく辺りのお噺は、次回以後のお楽しみと相成ります。乞うご期待!!
つづく