遂に二十四話を迎えて前回の二十三話は小生・伯圓の一番の熱演、此の『鍋島猫騒動』随一の怪談中の怪談、不思議中の不思議をお送り致しましたが、版元の前口上!前宣伝が大仰過ぎまして、
後の世の人に笑われ恥入るとも、小生一世一代の喋舌を以ってお客様へ講釈の真髄をお届け致した所存なれば、愈々、化猫退治も佳境に這入る訳では御座いますが…。
嗚呼さて延宝四年七月七日未明過ぎ、明六ツを告げる鶏鳴を聴いて、櫻の御殿に役人がドタドタと這入りまして、早速の検屍と相成る訳で御座います。
さて斬られた死骸は全部で十名。老女龍野の局、鈴の間取次役腰元お庸、そしてお豊の方付の腰元で薙刀の名手お夕。更に龍野の女中二人とお豊の方付の腰元が実に五人でした。
一方、此の十人を成敗した側はと見てやれば、大澤倉之丞と伊東荘太郎の二名で御座いまして、此の両人は疲労困憊し既に虫の息で手傷も深く瀕死の重傷、表役人と大澤の家来がその場で先ずは介抱致します。
又直ぐに同道致した大澤家出入りの医師・村井長庵は腕を振るいまして深い傷を消毒致しては縫い合わせてやります。
見事に応急処置を其の場で済ませた一同は、両人を雨戸を外し戸板に乗せると大澤邸へと担ぎ込み更に手厚く介抱を致します。
併し、櫻の御殿を役人と大澤家の家来達が手分けして隅から隅まで草の根を分けるが如く探索したのですが、肝心のお豊の方の行方が要として知れません。
役人「さてはお豊は妖怪変化の頭だったに違いない。左すれば此の十名は老女、腰元、女中など人間の體をしては居るが、其の実は妖怪に違いないのか?今はまだ人間に見えるが…。」
役人たちは、奇異なる感情で半信半疑の状態で居る所へ、明王寺の累天和尚が参りまして、不動明王の真像を顕して、猶又一心不乱に祈祷に及びます。
すると、アラまぁ〜実に不思議!人間の體をしていた死骸の十名の老女、腰元、女中達の姿が見る見るうちに古猫の死骸へと変わって仕舞うのでした。
更に此の猫は一種に在らず、一人は三毛猫が在り、又三、四人は黒猫、更に残りは白猫なども在りまして、様々な種類が在りますが全て共通しているのはかなりの年齢に達した古猫にして、巨大であり濃い毛が深く正に化猫其の體です。
役人「斯くの如き次第なれば行方の知れぬお豊の方こそ、鍋島の家に古くより仇を成す怪猫の主領に違い御座らん。其れにしても何処へ逃げたか猶踪跡致さねばならんぞ!」
と、謂う事で佐賀鍋島藩では、家臣総動員で八方に探索の手を配り、遂には山狩りなどには領民までも借り出しましたがお豊の隠れ家は知れません。
そして、この間の経緯も含めて妖怪化猫と思われるお豊の方探索の結果は、随時、太守である信濃守にも伝えられたが、信濃守は大変な落胆ぶりで衰弱しきり、
簡単にはお豊が化猫だった事が受け入れられぬご様子で、病は癒えて身体は回復なされた様子ですが、其の落ち込みは計り知れない心の傷と成って残って居ります。
太守「予の病の根源が長年に渡り当家に祟る化猫であり、且つそれが予の寵愛を一身に集めていた豊で有ったとは…。我尭舜の徳無しとは謂えども、又傑封の悪も無し。
今日まで此の肥前佐賀の地を治めて三十数年に及ぶが、恐れ多くも予は天子様を尊敬し、将軍様お上にも従い慕い、家中の臣下を愛して参った積もりである。
國中を富ませ幸福を第一に仁政を施し、至らぬながらも慈愛を以って國に尽くして来た積もりである。何故、予は祟られ禍を受ける所以の在らんや!?
他家に聴かれても恥入る様な妖怪化猫の障礙(しょうげ)、之予に於いて不徳の極みなり、又其方共家臣に対しても面目無い事である。
松浦金左衛門の娘・豊を寵愛致したばかりに、此の様な不徳の事態と成ろうとは?一両年前より國元へ連れて参りし後は、豊の挙動振舞他総てが媚びを以って仕えるの體。
而も其の形容野卑にして恰も情婦に等しく、依って予は豊を此の三年は余り近付けなんだが、併しこの度の病に際し、豊は毎夜夜伽に参り予を介抱して呉れた。
突然の忠義に愈々怪しいとは思っては居たがまさか妖怪化猫とは思い至らず、さては三年より前江戸で寵愛した豊は真の豊で、ここ佐賀での豊は化猫だったとは…、
さて真の豊は何処で化猫の餌食となり浅ましき世を果てたるか、誠に不憫の極みである。然れば松浦金左衛門と其の内儀に能く事の次第を噺聴かせ、真の豊の回向を為して遣わせ。」
そう謂う太守の残ない無念の籠る上意を汲み取ったその場に居合わせた家臣の面々は、よくぞ其れでこそ我が太守なりと慶び、一同を代表して國家老が言上致します。
家老「唐土は殷國の紂王は老狐が妲妃と呼ばれる婦人に化ているのに気付かず、之を寵愛し閨中の花と眺めて遂には國を滅ぼしたと申す。
我が君に於いては聡明英智に渡らせ給えばこそ、かゝる妖怪と知ってからは近付け給わぬは実に賢明なると存じまする。」
との國家老の言葉に、家臣一同は殿様の武運長久を祈りまして、ご当家の益々の発展をと謂うと万歳!万歳!と叫ぶので御座います。
斯くして側用人・大澤倉之丞は初老の身では御座いますが、此のお豊の方討伐の闘いで妖怪化猫十匹から受けた傷が元で、此の半月後四十五歳を一期として哀しき最期を遂げました。
一方、大澤倉之丞と共に化猫と闘い、同じく深い傷を多数負い未だ病床から起き上がれない伊東荘太郎は、名医の手当で命は取り止めたが、
七日目からはお粥などを少しずつ口にして、体力も徐々には回復してはいるものゝ、傷の治りが遅く未だに寝た切りの状態が続いていた。
そんな荘太郎には、太守信濃守から毎日使者が遣わされては励ましの言葉が送られて、荘太郎は信濃守の気遣いに恐縮しきりで、毎日夕日を眺めながら佐賀城の方に手を合わせ祈ります。
また、荘太郎の傷は本来刀と薙刀で斬られた傷で在るはずなのに、傷口の治りが遅く丸で化猫の毒爪で引っ掻かれた様な、毒の回った状態が続いて居りました。
其処で医師の見立てを聴いた信濃守の薦めも有りまして、荘太郎は温泉場での湯治を行う事に成りまして、延宝四年八月中旬に至り起居も独りで出来る様になり、
太守よりの思召で「道は遠しと謂えども、摂州は有馬温泉は斯様な妖怪の毒素にも効能ありと聴いた。由えに早々に参って十分療治を致せ!」とのお言葉を給わりまして、
更には療治の費用と路銀として二百両を給わり、荘太郎は五十石の近習に取立てられた折りに召し抱えた家来、野島惣平をお伴に従えて、もう一人仲間も連れ、
延宝四年八月、荘太郎自身は駕籠を使いまして、三人旅にて肥前佐賀を出発致しまして、中国路を抜けて遠路遥々有馬温泉を目指します。
さて、此の野島惣平は元々は大澤倉之丞の家来でしたが、伊東荘太郎が士分に取り立てられる際に、近習として仕えさせて欲しいと推薦された若党です。
大変忠義に厚く年齢の近い惣平を、荘太郎は非常に気に入り、此の野島惣平を大変可愛がり荘太郎自身も彼を強く信頼しております。
さて三人の一行は摂州の有馬温泉で有数の脇本陣閣の旅店で御座います、御所之坊『池田』方へ泊まりまして、伊東荘太郎の毒爪の傷の湯治に掛かります。
さて当時の有馬温泉は現在の其れとは大きく異なりまして、其の当時は『一の湯』『二の湯』そして『三の湯』と申しまして、湯槽は一つでは有りますが、
旅籠は一番上等のお客様に『一の湯』を使わせて、『二の湯』は普通客/リピーターに、『三の湯』は一見さんで二度と来そうにない客に使わせます。
此の『一の湯』へ入れる上等のお客様には、上等の幕を張り巡らせて幕の湯と呼んで歓待したそうで、普通客は此の幕を見て湯浴びは出来ないと察して幕が引くのを待ちます。
又『二の湯』に入る一般客も、幕は張られますが上等幕では無く並の幕で、是を見た一見さんは同じく湯浴びを我慢して幕引きを待つので御座います。
斯くの如く一つしかない湯槽を、時間で区切り幕で仕切り『一の湯』『二の湯』そして『三の湯』と客層を差別しつつ、おもてなしをするのが当時の有馬温泉で御座いました。
荘太郎一行が逗留した部屋は御所之坊の中で最も閑静な離れに在る一番高い部屋で、地元の名医が付き一日三度の一番湯を使う最上級の部屋で御座います。
その為か?有馬温泉の効能が素晴らしいからか?不思議や!日本髄一の名湯だからか?荘太郎の傷は薄紙を剥がすかの様に、日々驚く程早く回復致します。
さて伊東荘太郎の怪我の回復は全快目前、季節は秋の盛り九月下旬を迎え伊東荘太郎が有馬の湯に来て一月余りを迎えて居ります。傷は癒えて跡はリハビリです。
日々歩く距離を伸ばして、体力回復と捕り逃した化猫を退治する日を夢見て、毎日毎日西の空を佐賀のお城の方角を目指して両手を合わせては祈る毎日の伊東荘太郎で御座います。
軈て、季節は十月となりまして、気力体力心技体が充実致し、完全に健康を取り戻し体力ばかりでなく、心の強さと忠義の深さは有馬温泉に来る前を凌ぐ武士へと進化しています。
さぁ!十分活力を得て心新たに、妖怪化猫を退治して太守信濃守の為にご奉公致さん!と、心機一転、愈々、肥前佐賀へと戻りお勤め致さんとの所存になり、帰國の支度を始めた矢崎で御座います。
正に是より肥前佐賀を目指し帰る支度の最中に、伊東荘太郎はこの有馬温泉、御所之坊の湯槽にて、或る奇人と運命の出会いと相成ります。果たして何者か?!
つづく