延宝三年、一陽来復新玉の正月初卯の日で御座います。下谷山崎町の俗に謂う合棟長屋と申しまして、此の辺は一種変わった奇人変人の巣窟で御座います。

御維新、明治以前は誰もが知る『合棟』と謂う所が御座いまして、山中仁太夫と称えて是が右の頭で御座います。配下の者を『合棟』と呼び士農工商の下の身分なのですが、

穢多非人の称・別名では無く、多くは大道芸人、角兵衛獅子の類いは皆んな此の『合棟』であり、小屋に所属する芝居役者や寄席芸人は彼等を蔑み『合棟』と呼んだ。

此の『合棟』に住み着いた二十歳ばかりの一人の青年が御座います。長らく寝た切りの病の床に伏して居りまして、仲間に支えられて食うや食わずの生活です。

さぁ、此の若者こそ誰あろう!あの伊村仙右衛門と東嘉兵衛國次の孫、伊東荘太郎其の人なのですが、『合棟』の隣に住む輩は、

釣鐘を担いで首には巨大な数珠をぶら下げ弁慶の出立ちで三井寺へ向かう奇人で御座います。此の弁慶が病床の荘太郎に声を掛けます。

弁慶「お隣の御浪人さん!ちゃんと物を食べていますか?其れに、今日は良いお天気だから、部屋に閉じ籠らなくて日当たりの良い場に店を出して商売しなさいよ。

少しだけでも宜いから外の空気を吸いなさい。こんな所で四六時中寝ていたら、雪隠の臭いで本当の病気に成り寿命が縮んで仕舞うぞ!さて、弁慶はそろそろ出掛けまする。」

そう謂うと『合棟』を出掛けて行く弁慶を見送ると、荘太郎は布団からノソノソと這い出して、愚痴の様な独り言を呟くのでした。

荘太郎『嗚呼、誠に情けない身の上であろうかな?獅子は生まれて三日目の我が子を千尋の谷へと突き落とすと謂う。拙者も父母と別れて独り、

京より東に下りて江戸表を目指し、駒込の染井村に在ると謂う一刀流の稲垣道場を訪ね当て、必ずや佐賀の鍋島家へ奉公せよ!と謂われて来て見たが

父母の詞を頼りに来てみたが、稲垣金兵衛なる人物は行方不明で、探してはみたものゝ江戸の街は広く、其の内に病に掛かり路銀は尽きて零落し乞食同然の有様。嗚呼、情けなや。』


そして一頻り愚痴や弱音を吐くと今度は気を取り直して、こんな吹き溜まりに燻りながらの生活を恥まして、自身を奮い立たせる様な先程とは真逆の独り言を語り出すのです。

荘太郎『イヤイヤ、人間の一生などゝ申す物は艱難辛苦に満ちて当然だ!何を弱音を吐くのだ荘太郎。此の程度の災難に心を挫かれてどうする?!

我ながら誠に女々しい限りである。大志を貫徹せんと致す武士が是しきの苦行に屈して如何致す、そうだ!今の弁慶からの薦めに従い、日当たりの宜しい場所で商売を致そう。』

そう独り言を謂うと荘太郎は井戸端へ参りまして、頭から水浴びをして褌一丁で身体を綺麗に致します。ザンバラの髪を櫛でスイて茶筅の様に天辺を縛り上げます。

そして真っ白な肌に墨染の木綿物を着た上から、皺だらけの薄衣を纏い首には破れた笠をぶら下げて、古い鼓を持つと下谷山崎町の木蓮寺の門前を目指した。

久しぶりの外出である。燦々と照り付けるお天道様が眩い中、ヨロヨロ歩きながらも門前の南側、日当たりの宜い所に往来の邪魔にならないように、

彼の筵を敷き四隅には石を置き風で捲れぬ様に所場を確保すると、筵の真ん中に床几を置きドッカと腰を下ろしたら、鼓の皮を糸を締め付けまして張り加減を合わせてやります。


ポンポン!スココン!ポンスコポン!


鼓の調子が合いましたやら、次に是に合わせ喉の調子も合わせます。ハァー!イ、アーイ!と、徐々に声を張る荘太郎ですが、暫くぶりの商売由え中々高い声が出ません。

其れでも、鍛えた喉で御座いますから、漸く本調子を思い出しまして、鼓に負けぬ名調子を取り戻しましたから愈々本番!懐中より黒い茶碗を取り出して前に置きます。

更に茶碗の中には、二十数文のバラ銭を入れて於き是は投げ銭する客の呼び水で御座います。さて、準備万端整いますと荘太郎は鼓を鳴らして謡曲、小謡を大道で披露し始めます。


果てしなき 東の海に棚引いて 棚引いて!

寄る方も無き 捨て小舟 捨て小舟!

陸に頼むは稲垣のぉ〜 稲垣のぉ!

友は田端の世捨草 牧島のぉ〜 牧島のぉ!

花咲ぬ身の哀れなる 里知れぬ身の憐れなる


この一節を繰り返し!繰り返し、往来の人々の耳に届く様に小謡を披露しますと、是を立ち止まって聴いて居た若侍が一人、十数文の投げ銭を黒い茶碗へ致しまして荘太郎に言葉を掛けて来ます。

若侍「御浪人!御浪人。」

荘太郎「ハイ、お有難う御座います。」

若侍「チト尋ねたい義が御座る。」

荘太郎「ハイ、何んで御座いますかなぁ?!」

若侍「拙者は謡曲、小謡を好み百番以上は知りおる積もりなれど、今、貴殿が繰り返し披露された小謡は知り及びません。一体!どんな由来の文句から生まれた作品ですか?!」

荘太郎「之は失礼致しました。御歴々!発端は?と尋ねられるとチト恥ずかしゅう御座います。百を越えまする古典の小謡名作の中には御座いませんで、

手前の身の薄命因果を自ら謡いにしました物、『てにをは』合わぬ愚作の戯言。投げ銭はお返し致します由え、平に平にお赦し願いまする。」

若侍「イヤ、返金には及びません。ただ、小謡の中の『稲垣』は染井村に一刀流の道場を構えていた拙者の父、稲垣金兵衛の事で、一方田端の『牧島』は、

漢学の医師であり俳句会の宰相などを務められていた牧島要仙先生と、その奥方、常磐津の師匠をなさっていたお里さんを謡いにされてはいませんか?」

さぁ、突然、若侍の口から『染井村の一刀流道場、稲垣金兵衛』『田端村の漢学医師、牧島要仙と内儀・お里』此の名前が飛び出したから荘太郎はビックリ致します。

荘太郎「京を私が跡にして早くも三年以上の歳月が経過し艱難辛苦も如何ばかり!?世にも稀なる不幸は如何んとも成難く病の為に悩まされ何とか命は繋ぐも『合棟』住まい。

不幸の始まりは父母から教えられた、江戸駒込は染井村に在ると謂う稲垣道場は無く、又其れに近い田端村に住むと謂う漢学医師・牧島要仙先生の家も存在しなかった事で御座る。

即ち、拙者が自作の小謡に登場する、『陸に頼むは稲垣』『友は田端の世捨草、牧島』は此の事を暗示しているのです。」

若侍「ハテ、さては御身は京都五条大橋にて、売卜を成さって居る、伊村市之丞先生の御子息であらせられますか!?」

荘太郎「ハイ、伊村市之丞の倅の荘太郎と申します。」

若侍「貴方は、我が父親・金兵衛の命の恩人、肥前佐賀は玉縄村で道場を構えて居らした伊村仙右衛門殿のお孫さんでしたかぁ!

知らぬ事とは申しながら某は、駒込は染井村に一刀流の道場を構えて居りました、稲垣金兵衛の倅、百太郎で御座います。」

荘太郎「本当ですか?某が尋ねるべき御方、稲垣金兵衛殿の、其方が御子息ですか?!」

百太郎「誠で御座います。さすれば此の様な往来で立話しも何ですから、此方へ!」

と、稲垣金兵衛の倅、百太郎は、大道で小謡を披露して居た荘太郎に筵を片付けさせて、近所の茶店に連れて行くと、じっくり噺を始めた。

百太郎「始めから全部をご説明致しましょう。三年前に駒込染井の父、金兵衛の道場をお訪ねなさっても、道場が無くて当然で既に父は前年他界し道場は畳んでおりました。

と、申しますのも染井の道場の跡を継いだ拙者が、ひょんな事から『妖怪退治』を請け負いまして、伊豆半島から駿府の辺りを三年、長らく旅をしておったからで御座います。

拙者が留守にして居た間に道場へ来られたと見える、実に申訳無くご無礼を仕った。どうしても断れない用で化物探しをして居りました。で、貴方様は今何方にお住いですか?」

荘太郎「お恥ずかしいが、谷中の山崎町の貧民窟、合棟長屋に罷在りまする。」

百太郎「其れは其れはお気の毒千万、直ぐに合棟など引き払い、拙者の宅に家移りなさいませ。人間万事塞翁が馬!と申します。何処に幸運が在るか判りません。

一旦は落ち目と成り、ドン底を体験なされたやも知れませんが、底に当たれば後は浮かぶ背しか御座いません。災い転じて福と成す。之から!之から!」

百太郎はそう謂って荘太郎を励まし、父・金兵衛の遺言を能く守りまして、彼を道場へと案内して呉れました。そして先ずは心身の回復を!

そう謂うと近所でも評判の名医を連れて来て、荘太郎の病んだ身体を診せますと、僅かの間に病は平癒し、百太郎の道場で一刀流の剣術の稽古が出来るまで体力も付く様に成ります。

もうこう成ると心の方も大丈夫で、荘太郎は一心不乱に剣術稽古と軍学の講義に打ち込みまして武士道に励みます。そして半年も致しますと道場の師範が務まる腕前と成るのです。

こう成ると伊東荘太郎の噂、評判は江戸市中に聴こえて来る様に成りますから、諸藩より仕官の口が舞い込んで参ります。併し、荘太郎は佐賀の鍋島藩以外には行かないと全てお断り、

此の辺りの事情は百太郎も百も承知しておりますから、諸藩へは穏便にお断り申し上げて、何んとか佐賀の鍋島家へのご奉公の成る様に伝(ツテ)を必死に探します。

すると漸く、鍋島藩の御用人で須藤官太夫と謂う人物と知り合いまして、此の官太夫の口利きで、鍋島藩の江戸下屋敷への住込で、四石二人扶持の足軽奉公が荘太郎に決まります。

諸藩から誘いならば、最低二百石、条件の良い剣術指南役の口などは五百石での仕官が成ったものを、荘太郎は両親の遺言で鍋島家へ奉公致す訳です。

そして延宝三年の秋、荘太郎はお國勤めと相成りまして、槍を担いでのお国入り!そしてここから四石二人扶持の足軽・伊東荘太郎の出世物語と相成りますが、其れは次回のお楽しみ。


つづく