さて、市之丞とお兼の両人は父・伊村仙右衛門が残した名刺と手紙を頼りに、太宰府より西に八里ほど『嘉麻村』に在る、倉田権六と謂う人物の一刀流の道場に暫く身を隠します。
其処で旅拵えも厳重に、商人夫婦の行商として通行手形なども用意して中国路へと進みましたが、長州と備前の國境辺りで、お兼の體がいよいよ腹がセリ出して来て旅が困難に成ります。
仕方なく又仙右衛門の古い知り合いの名主で勘兵衛と謂う人物の世話で、農家の離れを借りてお兼が出産するのを待ち、生まれた赤子は男児で此処長州の地で半年程を過ごす事に成ります。
尚、此の男児には市之丞の伊村姓とお兼の東姓を併せて、『伊東』と謂う姓を名乗らせて、下の名前は健やかに元気な子に育つ様に願いを込めて、『荘太郎』と名付けてやるのでした。
肥前佐賀の玉縄村を出る際に、父・仙右衛門からは江戸表を目指し、一刀流の道場を構えている稲垣金兵衛と謂う人物を頼りなさい!と謂う事であるが、世の中の事は思い通りに参らぬ事こそ多ければ、
此のまま一直線に急いで稲垣某を訪ねて、万一、彼が生きて居なかったり訪ねた先の江戸駒込の染井村に一刀流の道場が無かった場合は如何とする?少なからず心が折れるに違いない。
ただ、拙者には妻の兼と、息子の荘太郎が有るから心底打ちひしがれる憂いは無い。そうと成れば急ぎ江戸表へ向かうよりは、先ずは道中に通る京に滞在し見聞を広めてから江戸表へは参ろう。
長州を出て備前、備中、備後、播磨へと夫婦は交代で荘太郎を代わり番子に背負って旅を続けます。そして播磨から大坂へと向かう船に乗りまして大坂は堺の湊に三人は辿り着きます。
堺で二日ばかりを過ごした後、長居、天王寺、鶴橋、そして京橋に辿り着くと、その日の夜に京都へ向けて三十石船が淀屋橋から出ると謂うので是に乗込み、翌早朝京の伏見城下に到着致します。
少し休憩した三人は伏見から竹田、上鳥羽、十条と油小路を上ると、八条の東寺を左手に見て現在の京都駅の有る辺りから、七条、そして牛若弁慶で有名な五条の大橋の辺りへとやって参ります。
此処で町役人に備前大宰府の行商人で市助とお兼と謂う者だがと、仕入れ旅の道中に子供が生まれたと言って、通行手形を見せながら暫く京に滞在したいと願い出て、
三両ばかりの骨折り賃を町役に支払って、五条大橋の近くに貧乏長屋を借りて親子三人の住居を確保致します。更に此の町役人の口利きでお兼は針仕事の内職を自宅で行いまして、
市助と名乗る市之丞は、五条大橋の近所に粗末な小屋を構えて売卜・易者を始めます。格好は京らしく陰陽師の様な風体を致しまして、失せ物、尋ね人、過去・現在・未来の予測などなど、
黙って座ればピタリっと当てると、何んでも幅広い占いを生業としながら、一回百文の見料を取り五条大橋で暮らす様になり、昨日と過ぎ今日と過ぎて、
追々荘太郎も愛らしい年齢に成長し、肥前佐賀を旅立って早一年半が過ぎ、春は弥生櫻の季節が京にも到来し、都には花の錦ぞなりにけりで御座います。
宇治の華屋敷、東山、嵐山、圓山と櫻前線が北上し、京の人々の身も心も浮き立つ頃由えに、追々諸人が花の名所に湧き出て参ります。市中は大いに賑やかに成りました。
市助と名乗る市之丞は、いつもの様に五条大橋の東詰めに在る売卜小屋に、羊羹色の日焼けした古着屋で安く買った羽織に、編笠を深く被りまして現れます。
そして何時もの様に来て間もない早い時間帯は、往来の人に向かって小野小町一代の絵巻物などを見せて、妖しい名調子で弁じております。
人の身の善悪吉凶を述べて、其れに依って往来の人足の留まる時は、太陽の日を天眼鏡で集めて莨に火を点けてみせたりするのは即ち易者の人集めの常道。
丁度正午時分の事で御座います、市之丞は独り言を『嗚呼、余りに昼の日が麗かで往来は斯くも賑やかなれど、亡者は迷い込む気配がない。魔日か?!』と、ブツブツ謂う。
さて此の亡者と謂うのは売卜の世界で易者が使う符丁で、易を見て貰いに来る客人の事を申します。実の所、心が迷い彷徨う由え亡者となって、
売卜者の処へ卦を立てゝ貰いに来るから、此の様な符丁で易者は彼等ご贔屓を亡者と呼ぶので御座います。花見の往来が有る中、お茶引きの市之丞、
ところが四十がらみの大柄で立派な人品宜しい武士、紺の背割れ羽織、其の武士の姿は股引脚絆に真田の太い紐で袴を括り、大小を束さんで居ります。
そしてもう一人、連れの方はと見てやれば、市之丞と同業か?俳人か?講釈師か?売卜者風の衣を纏った年齢は五十を過ぎた坊主頭で御座います。
武士「先生、ここは一つ易を立てゝ見て貰いませんか?!」
坊主「易を立てるとなぁ?」
武士「左様、奴が江戸で今何をして居るのか?易を立てゝ貰いましょう。」
坊主「良かろう、百文で知れるなら安いのぉ。」
そう謂うと此の武士と坊主の二人連れは、少し花見の酒が入っている様子で、市之丞の小屋を訪ねて来て、武士の方が中の市之丞に話し掛けて参ります。
武士「頼もう!先生、一寸伺いますが、拙者は東國者で有りまして、不肖ながら撃剣家、武者修行の最中で御座います。又是なる法師はこう見えて藪医者て御座る。
坊主「之れ!薮は余計だ。只の医者で宜い。」
武士「だってお前さんを医者と呼ぶ奴は居らんぞ。薮としか呼ばんだろう。さて、そんな事より、拙者には倅が一人有り、其の倅を江戸に残して武者修行に参っておる。
如何に気楽な修行の旅とは謂え拙者は、江戸に残して来た倅が心配で、又、此の医者も二十三、四は自分より若い内儀を江戸に残しての旅由え、虫が付かぬか?心配して居る。」
坊主「巫山戯るな!我が内儀、お里は貞女な淑女なれば虫など着かぬワぁ。」
武士「嘘を謂うなぁ、お主、東の空を見ては泣いているではないかぁ。」
坊主「戯言(冗談)いっちゃいけない。」
武士「折角、京の陰陽師に占いを乞うのだ、戯言の一つも謂わねば始まらぬ。さて、先生!薮の内儀は不義姦通を既に犯して居ると、知れましょうか?」
市之丞「左様、まずはお医者の方から易を立てさせて頂きます。二、三伺いますのでお答え願います。」
武士「嗚呼、では薮の内儀の姦通が知れますか?」
市之丞「お武家様、姦通しているとは限りません。決め付けないで下さい。さぁ、お医者様、ご内儀の生まれた年と場所をお知らせ願いまする。」
坊主「ハイ名は里、生まれた処は江戸深川、慶安元年十一月生七日まれの今年二十八で御座います。」
市之丞「アイ、判りました。では卜いを始めさせて頂きます。」
そう謂うと市之丞は、算木(さんぎ)・筮筒(ぜいとう)・掛助器(けろくき)を並べて、傍から筮竹(ぜいちく)を取り出しては、何やらブツブツ呪文を唱え出します。
軈て、キャーっ!ハイと一喝する様な奇声を出したかと思うと、眼を閉じて筮竹を三分割に分け算木を動かして更に何やら呪文を唱えて、再度眼を開くと卦が整います。
市之丞「お医者様の御内儀の卦が出て御座いまする。其の卦名は『雷火豊』、実に穏やかな易で、二交が変じて幸福を呼び込むと出て居ります。」
武士「と、謂う事は?平たく謂うとどうなりますか?」
市之丞「お医者様の御内儀、お里様は無事に健康で風邪一つ掛からず元気に江戸で暮らしておいでです。」
坊主「其れは有り難い!」
武士「でも、元気が高じて間男してるでしょう?!」
市之丞「『雷火豊』は二交が変じて御座いますから、姦通など心配はご無用です。お里様は田端村のご自宅で、旦那様の帰りを首を長くしてお待ちです。」
坊主「儂の家が、何故、江戸は田端村に在ると判ったのです?儂は一言も住む処はお知らせしていないのに?!」
市之丞「其の位の事は、易者ならば雑作なく判りまする。玄人ですから。」
実は、易を立てゝいる最中に、武士と医者は莨を吸いながら待って居たが、其の莨入れに「田端村 牧島要仙」と書かれて居るのを市之丞は見逃さなかった。
益々、市之丞を信じ霊験の高い陰陽師に違いないと思い込んだ二人。次は武士が江戸に残して来た息子の様子を占って欲しいと、易を立てる様に願い出ます。
さて此の時に成って、武士が編笠を取り市之丞も編笠を外しまして、しげしげと武士の顔を見詰める市之丞、何処かで見た気がする。エッ!もしかするともしかするぞ?
武士「先生、では拙者の倅の生年月日は、万治二年の四月十五日で、今年十七に御座る。」
市之丞「アッ、イヤ済いません。お武家の方は人相を見させて頂き、ある程度分かりました。貴方様は江戸は駒込、染井村に道場を構えて於いでゞすね?」
武士「なぜ、人相で其れが…。」
市之丞「そして、七、八年以前に九州においでに成りませんでしたか?!」
武士「何故?其れを存じておる。確かにあれは八年前、最後の武者修行の積もりで筑前から肥前へと渡り歩いたが、肥前佐賀で流行病に掛かり死の淵を彷徨う経験をした。
当時、同じ一刀流の道場を肥前佐賀の玉縄村と謂う処に構えて居られた、伊村仙右衛門殿と謂う御方の家に偶々居候していたのだが、此の仙右衛門殿が拙者を親身に看病して下さり、
拙者は死の淵から一命を取り留めて助かる事が出来たのだ。其れから江戸表に帰り援助して下さる此のお医者先生の様な方が有って、駒込染井村に道場を構える事が出来たのだ。」
市之丞「やはり!貴方は稲垣金兵衛先生ですね。自己紹介が大変遅く成りました。私は、先程噺に出た伊村仙右衛門の倅、市之丞で御座いまする。八年前はまだ十七で御座いました。」
金兵衛「エッ!佐賀の玉縄村の、伊村様のご子息、若先生の市之丞殿でしたか?併し、何故京の五条大橋の袂で売卜などなさって居るのです?仙右衛門殿は?此の事をご存知なのですか?!」
市之丞「イヤハヤ、話せば長い仔細と成りますが、色々と御座いまして今は佐賀城下には居られなく成りまして、京に仮居をし、行く行くは江戸駒込の金兵衛殿を訪ねる積もりでした。」
一日中小屋に居り編笠を被ったまんま売卜を生業として居ります市之丞は、笠を取りますと月代は伸び放題で色は白く色男ぶりが引き立ちますが、当人は恥ずかしそうに致して居ります。
さぁ、一方の稲垣金兵衛は花見の季節の京都の五条、橋の袂の荒屋を覗くと其処に居た易者が命の恩人、伊村仙右衛門の息子、市之丞だと内明けられますから、其れは其れは驚きます。
稲垣金兵衛は、若先生でしたかぁ〜と、謂いながら市之丞の手をガッチリ握り締めて泪を流して再会を喜んでいる処へ、お兼が荘太郎を背負って風呂敷包みの弁当を小屋へ届けに参ります。
お兼「遅くなって御免なさい!貴方、お腹空いたでしょう?さぁ、お弁当。アッ、お客様がまだ居らしゃったんですね。お弁当は此方へ置いて帰ります。」
市之丞「イヤ、易は今終わった所だ。其れよりお兼、今日はお客様をお二人お連れするから、早く帰って之れで酒と肴の用意をして於いて呉れ頼んだぞ!」
そう謂うと市之丞はお兼にガク(一分銀)を二枚渡して金兵衛と医者の牧島要仙を今夜もてなす準備をする様に頼んだ。
お兼「ハイ、畏まりましたが、お客様お二人とは此方の方々で御座いますか?」
市之丞「左様だ。理由(ワケ)は帰ったら詳しく謂い聴かせる。兎に角、急いで呉れ!」
お兼は帯にガクを二枚仕舞い込んで、売卜小屋を飛び出すと九条の市場を目指し下がって行った、
金兵衛「ハハぁ〜、読めましたぞ市之丞さん。当らずとも遠からずだ。かゝる美人と國元にて懇ろに成られたが為に、親御に知れて勘当となり此の地に参られたご様子。」
市之丞「ハイ、半分は左様な次第なれど、真理は其れ程簡単では御座いません。後程総ての仔細を詳らかに致す所存です。」
金兵衛「成る程承りますれば、粋なお噺やも知れませんなぁ。どちらにせよ、拙者の命は貴方の父上、仙右衛門殿から授かった物なれば、貴方への協力は惜しみません。」
市之丞「有り難きお言葉、痛み入りまする。取り敢えず、今日は売卜の方は早仕舞い致しますから、狭く汚い処ですが私の長屋へお越し下さい。」
と、稲垣金兵衛と、金兵衛の朋友であり駒込の染井村に近い田端村で、風流を旨とする漢学の医者、槙島要仙を連れて、市之丞は売卜小屋から三、四町程上った長屋へと戻ります。
二間の長屋、奥の六畳に三人が上がるとお兼が拵えた料理と仕出しの惣菜で、京らしい膳部か用意され其れを肴に三人は御酒を召し上がり、少しずつ打ち解けた所で、
市之丞は、佐賀鍋島藩のお兼が側室に迎えられる噺から義父である東嘉兵衛國次と、市之丞の実父、伊村仙右衛門が義兄弟の契りを結んで居た噺など諸々の経緯を事細かに聴かせまして、
何故、肥前佐賀の城下を飛び出して、現在に至るまでを物語り、父仙右衛門から頂戴した名刺と手紙を見せながら、詳細を紬ながら聴かせると稲垣金兵衛も最初は信じられぬ様子も、
徐々に事の次第を呑み込みまして、金兵衛は疑いの色は完全に消え失せて、大いに泣き濡れて又大いに悲しみ、軈て稲垣金兵衛は市之丞に対し正面から向かい合いまして、
金兵衛「市之丞殿、事の次第は呑み込めました。その子は荘太郎殿は京までの長い道のりを、貴方達ご夫婦が代わる代わる背負って参られたと伺いましたが、
之より京から江戸までの東海道五十三次は此の稲垣金兵衛が責任を持って同道の上、駕籠なり馬なりを用いて、万事恙無くお連れする所存ですからご安心下さい。」
市之丞「実に有り難いお言葉ですが、私とお兼は金兵衛さん!貴方に夫婦共々お世話に成る積もりは御座いません。」
金兵衛「併し、荘太郎殿は武士としてお育てに成り、鍋島藩に奉公なさる所存なのでは?!」
市之丞「ハイ、左様に考えて居りますが、十五の元服を迎える迄は、私とお兼が手元に置き此処京で育てまする。そして十五を過ぎたなら突き放して江戸表へ送り出します由え、
其の際は何卒お引き受け下さり、荘太郎に一刀流を御伝授下さい。又兵法軍学などもお仕込み頂いて、喩え仲間足軽でも苦しくありません。鍋島藩へのご奉公の道筋をお願い致します。
私とお兼で十五までは育てゝ、剣術と論語並びに軍学の基礎は荘太郎に一通り仕込んでから江戸へ放ちます。稲垣殿は武士の総仕上げと鍋島藩への仕官の道筋をどうか!お願い致します。」
金兵衛「ウム、お心籠めたる只今の一言決して仇には致しません。某きっと脳裏に刻み置き来る荘太郎殿が江戸表に下る日をお待ち申して居りまする。
其の暁にはお父上と義父嘉兵衛殿の志に叶う様に拙者、稲垣金兵衛!必ずや荘太郎殿を一人前の武士に育て上げ、鍋島藩への仕官が成る様、根回し致します。
兎に角、貴方達夫婦が先ずは思う存分に荘太郎殿を育てゝ下さい。其の後は此の金兵衛がお父上への恩返しと信じ、責任を持って荘太郎殿を武士に致しまする。
この約束は百年、二百年経っても違える事の無い、武士と武士との誓約に御座る。稲垣金兵衛、成長した荘太郎殿が東に下られる日を指折り待っております。」
市之丞「誠に頼もしい御一言。」
金兵衛「では我々は京の名所巡りなど跡数日致しまして、江戸表に戻ります。江戸へ着きましたら、又、お手紙など致しますので本にご馳走様でした。」
そう謂うと、稲垣金兵衛と牧島要仙の二人は、市之丞とお兼夫婦の長屋を跡に致します。そして、夫婦と金兵衛の間には手紙の遣り取りが始まり、
軈て荘太郎の成長を待ち、彼が十五に成る年に彌々江戸表へと東海道を下る事になるのですが、其処から鍋島藩への仕官のお噺は次回のお楽しみと相成りまする。
つづく