婿と舅の此の密談は、佐賀藩江戸上屋敷の村井兵馬邸内に於いて、二人だけで行われて他には誰もその内容を知る者は無かった。


村井「流石、婿半之丞殿だ。御身が今の言葉誠に宜い所に心附かれたモノだ。拙者は父親なれど、されば落とし所は武士道の覚悟に御座るぞ。」

小森「委細承知仕りまして御座います。左有りとて一応、御舅様には此の趣をお届け申さなければ、拙者一個の所存にて万一仕損じては申し訳之無く。」

村井「アイイヤ、仕損じて貰っては困るが左有りとて結果を畏れず存分におやり下され婿殿。其れには身共も何んなりと協力は惜しみません。

幸い何かの備えにと國元佐賀より屈強なる足軽を選抜し十人ばかり江戸表に呼び寄せて御座る。此の精鋭十名を汝の補助に附かせますから、

きっと役立つ連中ですから連れて行かれよ。今夜を外さず怪しいと汝が心附かれたのだから、此の機会逃しては成りませんぞ!婿殿。」

小森「委細承知仕りまして御座います。」

そんな密談を終えました小森半之丞は舅である村井兵馬の家、江戸上屋敷から屈強なる足軽十人を連れて、自宅の有る千駄ヶ谷の下屋敷へと戻ります。

さて突然集合を掛けられ集められた足軽十人、主人である村井兵馬からは『婿である小森半之丞に従い下屋敷へ行け!』とだけ指図され狩り出された訳で、

それは当然不満と不安が御座いますから、上屋敷から下屋敷へ向かう道中、十人は半之丞に対して、言葉を揃えて色々と尋ねて参ります。

足軽A「小森様!小森様に伺いますが、村井様の御沙汰、御用人大澤様からも厳重な仰せ付け何かは存じ上げませんが、我々共に於いて、

『小森半之丞氏のご内儀、村井様の娘子であらせられる里殿を召し取る役を命じる!』とだけ言われて貴方様に同道致しております。

之は一体全体どう言う役回りなのか?何ぼ私共は単に御下知に従えば宜い下郎とは云え、些かなりと真意を心得た上で働きとう存じまする。

なぜ?如何なる理由(ワケ)が有って、貴方様の奥方様、我らが主人村井兵馬のお嬢様を、此の様な大人数で捕縛に当たるのでしょうか?」

小森「イヤ誠に御尤もな事。左有ればこの先は往来の人気少ない裏田圃で御座る。其の辺り近くの我家中に聴かれる憂い無き場所にて、

事の委細をお聴かせ申して各々方の疑念をお晴らし申さん。我が内儀、里は一同もご存知の様に一度身罷っての後に、渋谷の浄光院の本堂に於いて蘇生した。

此の怪奇な出来事で蘇りし跡、不思議な事に病弱だった里は健康日頃の百倍増し、凡そ半年で湯灌された髪毛も元に戻り普通に生活し始めると、

近日見る内儀、里の様子が怪しむ目で見るに付け奇怪なる様子は数知れず。左有りとて一旦は舅殿、村井様の許へも此の段相届けねばならず、

又重役、大澤倉之丞様の耳にも入れぬ訳にも参らず、其れ由え事は今日に至りましたが、拙者の内儀、里が本人に相違なければ只のか弱き女、

拙者独りでも容易く捕縛できるハズですが、万一之が怪物、妖怪の類いの化身なれば、それは容易に人間の力では捕縛致し兼ねると判断致しました。

依って各々方の勇力をお借り致して、國の為天下の為に盡さるゝ心得で、この捕縛の任に対し充分に粉骨砕身致されたい。」

足軽B「へぇ〜初めて伺いまして御座いまする。誠に恐れ入ったる事に御座います。其れで其の奇怪!妖しき挙動とは?如何なる物なんですか?」

小森「其れはだなぁ、つまり其の、アレだ!アレ、アレなのだ。」

足軽C「小森様、アレでは判りません。」

小森「イヤ、汝等の前で謂うのは恥ずかしい限りでは有るが、拙者の内儀、里は武士の娘であり武士の妻なれば、貞淑であり婦人の鏡、貞操正しき女子でったが、

蘇生してから追々身体の健康が整って、頭髪も伸びて外出も自由に成ってからは、閨房中に妖しい?!と感じる場面が多々見られる様に成りました。」

足軽D「へぇ〜私共には一向にピンと来ますせんが、其の閨房中の妖しい事とは?何で御座いましょうか?」

小森「其れは、其れアレじゃ、アレ。アレである。」

足軽C「小森様、アレでは判りません。」

小森「又お前かぁ、つまりだなぁ、夫婦の間の営みの事だ。由えに各々方に仔細を拙者の口から語るのは、誠に恥ずかしい限りだが

だが敢えて謂おう!お里は今までとは丸で別人の如く、遥かに増して荒淫と成り申したのだ。」

足軽A「コウイン?矢の如しですか?」

小森「其れは『光陰』だ!拙者が謂うのは『荒淫』だ。」

この『光陰』と『荒淫』のギャグは、松林伯圓先生オリジナルで本の通りである。

足軽A「荒淫?」

小森「分からぬか?房事が荒ろう御座る。依って、之を荒淫、即ち、荒い淫だらと申す。」

足軽C「あのぉ〜小森様にお伺い致します。其れは平たく謂うと、ご内儀は好色淫乱に成ったと謂う事でしょうか?!」

小森「俗に平たく謂うとその通りじゃぁ。」

足軽D「其れは宜しいじゃありませんか?」

足軽B「左様羨ましい!羨ましい!」

足軽A「いやいや、淫乱過ぎるは困るであろう。」

足軽B「如何にも、落語にも御座ろう?!過ぎると短命だからなぁ〜。」

一同「ハッハハハぁ〜!」

小森「各々方!お戯れを。之は女子の良し悪しや好みの噺では御座らん!我が妻が蘇生後に別人に変わって仕舞った証拠の噺に御座る。

拙者にとっては其処が重要であり、妖怪の化身であるかを吟味致す為に捕縛する必要が御座ると謂う所以の噺なのだ、ご理解頂けたかなぁ?」

足軽A「宜しゅう御座います、併し其れに付けてもお愛しい事で御座いますなぁ〜奥方は。」

小森「各々方、宜いかぁ?余計な情けは無用で御座る。拙者が先に屋敷に戻り、奥を油断させて於く、夢々捕縛の為の罠である事をお忘れ召さるな。

某(それがし)と里がイチャイチャしても誤解なき様に!捕縛する為の芝居で御座る。各々方は予め表と裏で各五人に分かれて待機願います。

左すれば某が中から合図を皆さんに送ります。『出逢え!出逢え!』と折合う場面で声を上げますから、皆さんは之を合図に折合って下さい。」

一同「御意に御座います。」

小森「然したら表裏から遠慮には及びません。土足のまんま中へは踏み込んで下さい。」

一同「委細承知致しました。」

この様にして道中万事打合せ致しまして、其れから下屋敷の門を這入り己の家に戻り、屈強な足軽各五人を、表玄関と裏の勝手口に配置し、

小森半之丞自らは、何食わぬ顔をして再び玄関の方へ回り直して、声を掛けて中へと這入って行くと、女中のお竹が迎えに出て来ました。


半之丞「今帰った!」

お竹「旦那様、お帰りなさいませ。 御新造様!旦那様が今お戻りです。」

女中お竹の声に、奥から泳ぐ様な素振りで笑顔のお里が玄関先へと出て参ります。

お里「お帰りなさいませ、旦那様。本日はどの様な用向きで上屋敷へは参られたのですか?お伴もお連れ遊ばさず、嘸かしお淋しゅう御座いましたでしょう。」

半之丞「イヤハヤ、思いの外噺が長ごう成って大変遅く成り申した。外は寒いし参った!参った。」

お里「ハイ今夜は余程冷えまして御座います。もうお帰りの刻限と存じ、肴など拵えてお待ちして居りました。お竹!膳部を之へ。」

言われたお竹が、二人前の膳を座敷へと運んで参ります。遅れて別の女中が酒を熱燗で運んで参ります。

半之丞「オー、之はお前の手料理なのか?」

お里「ハイ、と、申したい所ですが、実は出入りの魚屋『魚勝』から仕入れた物で、包丁は勝五郎と申す魚屋の技に依る物に御座いまする。

品は鮑の酢貝と、肝は鹽揉みして御座います。そして焼魚は小鯛が有りました由え、小鯛を鹽焼きに致しました。お竹が上手に焼きました。」

半之丞「おぅ、左様であるかぁ、小鯛に鮑とはちと奢り過ぎるなぁ。まぁ偶には贅沢も良い。今宵は打快寛で呑むから、お里!汝も一杯やりなさい。」

お里「ハイ、喜んでお相手仕りましょう。さて、旦那様!今日は上屋敷へは何んの御用でしたか?」

半之丞「イヤ、何ぃ些か御主君に申し上げたき義が御座ってなぁ。其の件を言上に上がったのだ。何でも下屋敷の御殿を御茶屋こど再建するとかで、

意見を求められて居たから、其れにお答えして来たのだぁ。そして次いでに里の実家、村井殿のお屋敷にも少し寄ってお顔を拝見して来た。」

お里「左様でしたかぁ。其れで父上、母上は元気にして居られましたか?」

半之丞「勿論だ。舅殿とは役目の噺など、少し噺を致したし、姑殿は風邪の治りかけで声が枯れては居られたが元気にして居られたぞ。」

お里「左様で御座いますかぁ、妾(わたし)も四、五日の内に山王様のお詣りに行く積もりなれば、序に上屋敷へもお邪魔して両親に逢って参ります。」

半之丞「オー、お竹などお伴に連れて行くが宜い。」

お里「畏まりました。有難う存じまする。」

と、端から見ると夫婦仲睦まじそうに半之丞とお里は膳部を囲み、盃をやったり取ったりして居りました。一方、外に居る足軽十人はと見てやれば、

長谷川「オーイ、斎藤氏!中の様子は如何で御座る。中々合図は御座らぬなぁ〜。」

斎藤「確かに長谷川氏。もう、半刻は疾うに過ぎて御座る。鈴木氏!其方、垣根を越えて中の様子を見て来て呉ぬか?」

鈴木「合点!宜かろう、では拙者が中の様子を、一寸見て参ろう。」

この様な会話が表側も、裏側も為されて居て痺れを切らし合図が待てない足軽達は、屋敷内の様子が気に成り出して偵察の者が一人、二人と庭に参った。

鈴木「オヤ?山田氏、貴殿も物見役で御座るか?!」

山田「御意。では鈴木氏、貴殿もか?!」

鈴木「左様、さて縁側に寄って中の様子を探索いたしましょう。」

山田「バレては一大事。忍び足にて。」

鈴木「オヤ?中より声が聴こえますぞ、男女の声だ。一人は小森の親方で御座る。」

山田「本に、仲睦まじきご様子、手と手が触れて、実に短命で御座るなぁ〜。当てられますなぁ〜。」

鈴木「此の女人の声が『荒淫』で御座るかぁ?!手と手が触れる!嗚呼、短命で御座るなぁ〜。」

山田「長い待機の予感が致しまするなぁ〜。」

鈴木「皆も退屈に違いない。左有ば此の様子を『短命ごっこ』を、是非、皆んなで見守りましょう。」

と、待機の暇を持て余し、十人の屈強な足軽達は小森邸の庭へと這入り込み、縁側や縁の下に隠れて、半之丞とお里夫婦の様子を観察していた。

さぁ、小森半之丞は今度こそは妖怪変化の化猫を絶対に取り逃したくはない由えに、お里に変身する化猫を充分油断させるべく、呑ませ食わせて身体を寄せ合って居た。

すると、お里は寄せた半之丞の身体に撓垂れ掛かる様な仕草になり、充分油断をした所で半之丞はお里の肩を抱くフリをし、羽交い締めにして押さえ込みます。

お里「旦那様!お戯れを何をなさいますか?!旦那様、半之丞殿?!」

ビックリした様子のお里に構う事無く、半之丞は外に居る十人の屈強な足軽達に、合図を送ります。


出逢え、お出逢い召されい!

出逢え!出逢え!出逢え!


さぁ、待ってましたとばかりに十人の屈強な足軽達は、縁側に待機していますから、雨戸を蹴破り土足で障子戸を突き壊し侵入して参ります。

そして、膳部を囲む夫婦の周りを蟻の這い出す隙間も無い様に、十人は圓るく囲んで彌々捕縛致さんと、油断なく囲んだ輪を少しずつ縮めて行きます。

一方、半之丞から羽交い締めにされたお里の方はと見てやれば、一向に化猫の姿を現したり妖怪化物の如き怪力を現したりも一切致しません。

お里「旦那様!半之丞殿、之は?一体、何んの御巫山戯、座興でしょうか?か弱い女子を驚かせて、何が面白ろう御座いますか?!」

半之丞「何を抜かす、拙者が貴様の正体が見抜けぬとでも思うたなぁ?!貴様が、化猫の化身で有る事は遠の昔にお見通しだ!!」

お里「何を仰います、半之丞殿。妾がお里である事は、浄光院の住職との問答にて証明済み、妾は貴方の妻のお里で御座いまする。」

半之丞「エーイ、黙れ!黙れ!黙れ!貴様が蘇生してから、此の半之丞がぼんやり相手をして居たと思うてかぁ?!特に頭髪も含め全快してからの百日余り、

貴様の行動の全てを観察致し、遂に見破ったのだ妖怪化猫めぇ。お里は貴様の様に荒淫では無い。夜の営み交尾み目合う(つるみまぐわう)際に、

お里で有るならば、獣の様に快楽に溺れて、貞女貞淑さを失うような、武士の内儀、娘に在るまじき態度は決して取りは致さぬ!捕縛した上で厳しく吟味致す由え覚悟致せ!!」

半之丞が更に力を入れて取り押さえて、足軽達に縄目を打たせる算段でしたが、お里は『ハハハハぁ、ヒヒヒヒぃ!』と、又しても不気味に笑いながら、

着ていた着物をするり空抜けし、黒く大きな化猫の本性を現して、取り押さえてに来た足軽をバッタ!バッタ!と体当たりで跳ね除けて逃げようと致します。

『逃すものか!死ねッ化物めぇ!』と叫び大刀を抜いた半之丞は黒く大きな化猫の首辺りを目掛けて斬り掛かりましたが、化猫の動きは尋常では無い俊敏さで、

丸で鳥の如く天に飛び上がると、天井を突き破り屋根伝いに逃げたかと思うと、漆黒の闇に其の姿を眩ましてアッと言う間に消えて仕舞った。


嗚呼、残念なり、又しても不覚。


小森半之丞は空を斬った抜身の大刀を片手に放心状態で立ち尽くし、電光石火、宙を舞う様に逃げた化猫に体当たりされ弾き飛ばされた十人の足軽も茫然自失で言葉も有りません。

翌日、小森半之丞と屈強な足軽十人は上屋敷へと向かい、四ツ前巳刻に村井兵馬の屋敷へと入り、昨夜の事の次第を話し又しても化猫を討ち漏らしたと報告する。

流石に二度のしくじりに、小森半之丞自身も藩には居辛く、潔く頭を丸めて名を小森典山と改めて虚無僧となり、全国を武者修行して廻りながら化猫の行方を探索した。

さて、之より暫くは小森半之丞改め小森典山の噺からは離れまして、又、御主君、信濃守綱茂公を中心とした鍋島藩の物語を次回よりお届け致します。


つづく