さて、小森半之丞は母を失い、是が常體の病死や事故ではなく、妖怪変化の化猫の餌食となり、刻知れず白骨化して我が家の縁の下に眠って居りました。
其の親の仇の化猫を知らず知らずとは謂え、或る一定期間、親と敬い共に過ごしていたとは、本に口惜しい不覚の極み、如何に怨み晴らさで置くべきかぁ!
と、一層奮発したが、悲しいかな人間独りの力だけでは容易に倒せる相手に有らずと悟り、是より一層不動明王を信じ、一心不乱に彼の妖怪の行方を詮索致して居りました。
そして一年は何事も無く実に平穏な日々が流れ、小森半之丞も佐賀藩主、鍋島信濃守の近習として江戸勤番の勤めに邁進して居りましたが、併し、又不思議が生じます。
此の小森半之丞の内儀(ツマ)お里の父親は、肥前佐賀藩の上屋敷に在って、五百石を頂戴する重臣、馬廻役番頭を相務める村井兵馬と謂う御仁で有ります。
因みに名をお里と申すからとて、鮨屋の娘では御座いません。予めその事だけは申して置きます。そのお里と半之丞は連れ添いまして早十四年、鍋島小町のお里も御年三十二歳で御座います。
お里は藩内切っての美人、貞女の鏡にして能く姑に仕え、良夫を立てゝ是まで夫婦に争い事など一度もない良妻の見本、手本の様な存在で御座いまする。
そんなお里が、今年正保二年の春頃から、不斗した病で床に就き、初めは苟且(かりそめ)の風邪の事であろうと侮って居りましたが、次第次第に重くなり、
まぁ、現在で申すならば動物起源の感染症で御座いまして、症状は一見すると咳が出て発熱、下痢などの症状ですから風邪かと思いますが、次第に肺炎から死に至る。
丸で新型コロナウイルスと同じ様な、流行り病に掛かって仕舞い、夫の半之丞としては何とか治してやりたい!と思いますから、良い医師、薬師を呼んで治療を施し、
小森半之丞は、三百石取り家は富貴と謂う訳では御座いませんが、それなりの蓄えは御座いますから愛する内儀が元気に成るならと、惜しまず銭は使います。由に!
医師薬師だけでなく、占い師祈祷師なども招き一日も早く元気に成れと、藁にも縋る想いで八方手を尽くしましたが、お里は見る見る痩せて最期は水も喉を通らず、
秋風が吹き始めた八月十五日、愛するお里は三十二歳を一期として哀れ儚く冥土の客と相成りますれば、半之丞の悲しみは一朝一夕の事では御座いません。
早速、里方より父親である村井兵馬を初め、親類縁者一同が参り、勿論、小森家縁の者達も続々とお里の訃報を聴き付けて、追々数を増して集まって参ります。
取り敢えず、先ずは渋谷村に御座います浄光院と謂う、村井家の旦那寺が有りますから、此処へ知らせまして、通夜・葬儀の相談を住職と致しますと、
早速、万事是等を取り仕切る『導師』『伴僧』として浄光院から『定海』と謂う若い僧侶が、小森の家に派遣されまして、お里の遺骸を柩に納め通夜の準備に係ます。
さてお通夜と謂うものは今も昔も陰気なモノで、酒が出ても水臭く至って沈みがちなものですが、特に亡くなった方がまだお若いと、より深く沈んで仕舞います。
然れば今夜の小森の家の通夜に於いても、まだうら若き美人な、ご内儀の通夜で御座いますから、其れは其れは陰気の極みで御座いまして、
就中(とりわけ)喪主であり良夫の小森半之丞は、昨年来の怪凶なる化猫騒動の渦中に有り、其れに加えて起きた内儀の不幸で御座います。
流石に武士で御座いますから、表に見える様な女々しい醜態は見せませんが憔悴しいりね様子。
其れでも泪も見せず、佛様の祭壇の線香が絶える事の無いように念仏を唱えながら、寝ずの番をする覚悟で柩の前にドッカと腰を下ろして居ます。
夕景より宵の中まではお尚香の方々も大勢ありガヤガヤと致して居りましたが、次第に深更となり、八幡山の八ツの鐘が聴こえ夜は更けて丑刻となり、
酒の酔が回って来た者は、自分の肘を曲げて是を枕にスースー、ゴーゴーと寝息、イビキをかく者も有りながら、道が職掌である由え浄光院からの導師・定海坊は、
居眠りなどせずひたすら柩に向かって『金剛遍生十万世界、念佛衆生、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。』鐘の音、カンカン、カンカンと、四辺には只独り半之丞が居り、
此方は目を瞑り、胡座を組んで先々の過ごし方を思いますと、心には不安からか?様々な妄想が起こり時に不安と成り、又消えては起こりを繰り返しております。
そして半之丞は口で唱名をブツブツ称えている中(ウチ)に、ハッと眼を開いて見ると、這は如何に念佛を唱えている定海坊主が、巨大な黒猫が袈裟を着た姿に変わり、
左右の耳は三角に尖り、真っ黒で影よりも尚黒い毛に覆われた化猫と見えましたからは、おのれ化猫!母の仇、御主君の仇!と想う妖怪御座んなれ、そう確信しますから、
もう前後の見境は付きません、傍らに在った脇差を抜刀いたさば、彼の僧侶定海の首を横真一文字に斬り裂きまして、ポン!っと跳ね飛ばして仕舞います。
さぁ、誠にアッと謂う間もない出来事で、斬られた定海ですら短くウッ!と呻いただけで、撥ねられた首は向こうに飛び、祭壇脇の唐紙にゴツんと当たる音がした。
そして、座して死んだ定海の首からは、血煙が立ち込めて辺り一面を紅色に染めると、其の胴体はゆっくりと前に倒れて、柩の上に倒れて止まったのである。
さぁ、もうこうなると居眠りしていた連中も、白川夜船と謂う訳には参らず、一人、もう一人とタダならぬ物音と血の鉄を含んだ臭いを感じて目を覚ますのである。
坊主の首が飛ばされて、唐紙と柩、更には祭壇と畳を唐紅に染められている。そして、首は一間ばかり先に転がり胴は前に突っ臥して柩の上に有るのだ、
声も出ない状態で、通夜の客が物凄い形相で佇んで居るのは無理もないし、誰も何が起こったか?など分からぬまま、ただ悲惨な光景だけが目に飛び込んで来る。
流石に、是はまずいと感じた喪主でもある小森半之丞は、四、五人は居る、目を覚ました通夜の客に、事の次第を説明しない訳には行かないと感じ喋り出す。
小森「嗚呼、イヤ!方々お気を確かにお持ち下され。斯く申す拙者小森半之丞は数年来、遺恨重なる主君の仇であり、又母の仇でもある妖怪変化の化猫に、今出会して退治致したので御座いまする、皆様お気を確かにお持ち下され!」
そう繰り返し述べる小森半之丞、其処へ疲れたので次の間で休息を取って居た、お里の両親村井兵馬夫婦も、
唐紙を開けて駆け込んで来て見ると、喪主の半之丞は二尺七寸、八寸は有ろうかという長刀を抜身で持ち、鋒からは生々しく血がダラダラと滴り落ちています。
傍らには、墨衣に袈裟を掛けた首無しの死骸が柩に突っ臥して倒れ、一間ばかり先には二十二、三と思き坊主の生首が血汐に塗れて転がって居る。
村井「アッイヤ、婿殿、半之丞殿!妖怪を成敗したと喜び勇んで居られる様であるが、之は妖怪や化猫の類いでは無く、通夜の導師役を勤める僧侶では御座らぬか?!」
さぁ、傍らに居る通夜の客たちも、最前より経を唱えていた坊主に相違ない!と口々に申しまして、祭壇の置かれた十二畳の間は騒然と致します。
そう成って始めて小森半之丞は心附まして、正常な判断が出来る頭になりますが、刻既に遅く『覆水盆に返らず!』後悔しても定海は蘇りません。
半之丞「嗚呼、又もや妖怪の策略、計り事・妖術に惑わされて斯かる間違いを起こすとは…、残念至極。」
流石に家中切っての豪傑と謳われた小森半之丞ではあるが、ドッカと畳に座して血刀を拭い鞘に収める事すらせず、胡座を描いて腕組し茫然自失に御座います。
さて、是を見た義父である村井兵馬に於いては、放って置く訳にも参らず、諭すように言葉を選びながら、ゆっくりと話し掛けてみるのであった。
村井「智・仁・勇の三徳を兼備せし婿殿が、如何なる理由(ワケ)で、妖怪変化の為に重ね重ね斯かる処の禍へ、意図も簡単に引っ掛かる?
之は紛れもなく浄光院より送られた導師役の僧に相違なし、其れが御身の目では化猫に見えてしまうとは、矢張り彼の物の為る業、残念な事を為された。」
半之丞「舅殿!貴方が居て呉れた事がせめてもの救いでは在るが…、嗚呼、最早此の様な間違いを犯しては、拙者、生きている値打ちが御座らん。
又家中の方々同僚達に逢わせる顔が御座いません。人は死すべき時に死さざれば、死に勝る恥の在るべし!とは正に此の事。只今某(それがし)は、
此の場にて割腹致して相果てる所存に御座いまする。最早小森家の家名は是までゞ御座る、断絶するは止む無し。某が相果てた後は舅殿!お願いで御座る。
御上に対し此の度の仕業を宜しくお取り成し下さいまして、我が亡骸は亡妻諸共浄光院にて合葬下さる様偏に願い奉り候。其の他跡々諸々万端宜しく頼み申しまする。
小森半之丞、至らぬ愚かな婿では御座いましたが、武士として相果てる所存なれば、之も何かの縁で御座る。どうか舅殿!何卒右の段お聴き届け下され!」
と、小森半之丞は此の定海殺しの責任を取り、自らの命を捨てる覚悟を決めて、舅・村井兵馬に跡の事を全てお願い出たのである。さて一方村井兵馬は、
村井「之は汝の御身に似合わず。誠に愚かな事を謂わるゝもの哉。日頃の英断は何処へぞ!如何になされた?!半之丞らしく無いぞ。諦めるには早い!
精神を強く持たれよ。斯くの如く小森の家に執拗に仇となり禍を繰り返すのには、汝の心の奥底に思い当たる理由(ワケ)の有るに違いない。
他人には中々理解されぬが、奇怪な事、不思議な事は世の中には存在するものだ。拙者は其れを理解している積もりだよ!婿殿。半之丞殿。
だから能々心を落ち着けて今より一層御身を大切にし、重ね重ね御主君の仇なし、且つ母君の仇と思う物有れば、愈々心を励まし必ず本望を遂げ給え。
怪奇・不思議を汝が証明ぜず割腹し相果てゝは、汝はただの狂人ぞ!家中の笑い種に成るだけで、繋がる縁の我々村井の者も共に誹りを受けると謂うもの。
婿殿!ここの所の道理を能く弁えて、『死は一旦にして易し、位の事は常々弁えぬ御身にも有らじ。』夢々、血迷う事なかれ!半之丞殿。」
此の様に舅である亡くなった内儀、お里の父親、村井兵馬から強い説得を受けて、小森半之丞は大いに悟る所が在ったと見えて、兵馬に応えます。
半之丞「舅殿、御教諭心根に徹し忝なく存ずる。然らば拙者之より恥を忍び艱難辛苦の有ろうとも、必ず此の仇を報じて見せましょう。
又明らかには今は申し上げられませんが、斯くの如く重ね重ね我身に妖怪の禍が降り注ぐからは、何らかの所以在るに違いないとの舅殿の質問、
此の件に関しては半之丞、大いに思い当たる節が御座いまする。刻が来れは必ず仔細を申し上げて、舅殿にお知恵を拝借する日も来ると思います。
左に有りながらも、此の定海は全く罪なき者、其れを妖怪、化猫の仕業とは言え、拙者は刃に掛けて命を奪って仕舞った訳ですから………。」
村井「イヤ、其の辺りの事は万事拙者にお任せを。夜明け前に拙者が浄光院へ出向き、住職とはサシで逢って能く事情を述べて聴かせてましょう。
何分出家沙門の事なれば、又考えも御座ろうから能く話し合い此方の誠意を示す所存だ。幸に厩には拙者の馬が繋いで御座る。提灯を用意下さい!直ぐに出発します。」
そう謂うともう五十は過ぎた村井兵馬ですが、まだまだ若い者には引けは取らぬと、血気盛んで御座いますから、馬に跨り渋谷村目指して駆け出します。
千駄ヶ谷の下屋敷を出ると、青山の隠田通りを通りまして四半刻余りで、渋谷の浄光院へと到着致します。浄光院の門を叩き、早速住職との面会です。
村井兵馬は、武士らしく単刀直入に昨夜の次第を一部始終、住職に噺聴かせると、流石、道徳堅固の浄光院の住職は泪を零して一部始終を聴き終わり、
住職「宜しゅう御座います。事を悪戯に荒立てゝ争っても定海が生き返る訳で無し、詮方無い事と存じまする。半之丞殿の日頃の御気性、素行は能く存じております。
由え無く左様な乱暴をなさるお方では御座いませんし、お打ち続く妖怪変化の禍が齎した悲劇であると拙僧も受け入れると致しますが、併し不憫なのは巻き添えの定海。」
村井「誠に以って遺憾に御座る。定海殿には償っても償い切れる物ではないが、ご家族ご親族へは我々の出来る限りの償いを致す所存じゃぁ。」
住職「では、定海の生立ちに就いて長くは成りますが一通りお聴かせ致しましょう。彼は今より二十一年前に、誰の子かも知れねまま、
此処浄光院の門前に捨てられた捨子に御座います。父に疎まれしか?又母に疎まれしか?哀れ世に生まれたる甲斐も無く、親子の縁に薄く、
寺の門前に捨子として置き去りにされたるを、拙僧が不憫と存じ之を拾い上げ、当寺の花売り婆に娘があり、この娘が子を産むも幼く其の赤子を失い、
ただ乳の出る我身が辛く、死んだ赤子の歳を数え泣き暮らして居った由えに、この娘に捨子を預けて、五年の歳月育てさせた跡を寺で引き取り小坊主と致したのです。
そして小坊主には、定海と名付けて拙僧の徒弟と致しまして修行させて、其の定海も漸く今年で二十三歳で御座いました。
定海は学問も可成り出来、浄法の道にもようよう明るくなり悟り始めて居り、末頼母しい若者でしたが甲斐も無く、小森殿と妖怪化猫の争いに巻き込まれて、
敢えない最期を迎えるとは残念至極の事であります。嗚呼、思えばよくよく佛縁の薄い定海、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、
イヤ、村井様!拙僧、決して小森殿も貴方もお怨みは申しません。ただ小森殿の御内儀、貴方様の娘、お里様の亡骸より先に定海の死骸を引渡し願います。
之より弟子に命じて駕籠を下屋敷へ目立たぬ様に差し向けまする。其れに定海の死骸を乗せて下さい。当寺で懇ろに回向致し密かに埋葬致します。
特に寺社奉行の方へは定海の死亡届けは出さず内々に処理を致しますが、万一、公儀よりお咎めなど面倒が起きた際は、村井様の方で宜しくお願い致します。」
村井「承知仕った。其の辺り事は拙者から藩の重役には万事噺を通して於く由え、其方や寺に迷惑の掛かる事は一切ない。ご安心召されい。」
この様に、村井兵馬の根回しの甲斐あって、浄光院の側も物分かりの良い住職で、穏便に事は進み、小森半之丞の内儀・お里の亡骸より先に、
先ずは定海の死骸が浄光院へと運ばれて、懇ろに埋葬されます。そしていよいよ翌日八月十六日の四ツ過ぎ、巳刻を迎えてお里の亡骸は本葬の準備が整った浄光院へと運ばれました。
さて、お里の柩が渋谷村に在る浄光院の本堂に運ばれて、遺体の周りには花が添えられ、様々な宝物が柩に入れられると、蓋が親族により釘止めと成ります。
数十本の蝋燭に火が灯され、暗い本堂に置かれた柩の周りだけが昼間の明るさで、左側から親族を先頭に参列者が尚香を待って並んでおります。
暫く経って浄光院の住職が二人の徒弟を従えて柩の前に座り、徒弟の僧侶も左右に従います。凡て其の場の有様は、目に見える物は佛の具、
耳に聴こえる物は、無常の音と、正に葬儀らしく人々を粛々と、哀しみと憐れみの気分にさせています。
此の空間に落ち入れば、どんな凶悪な輩も此の時ばかりは悪事を企む気分にならぬ、そんな佛の徳を深く感じるお里の本葬。参列者の心を和ませています。
閑噺は是位にして、お里の本葬の様子はと見てやれば、三人の僧侶の読経が本堂に響き、是が終わりますと、お定まりの住職が柩に向かって引導を渡します。
エイ!エイ!と、佛を極楽浄土へと導く為に、住職が気合いを入れて、引導を渡すのですが、さぁ、此処でも又、騒動が起こります。其れは…
不思議な事に、柩の中から女の声がするのです。最初はか細く聴き取れない声でしたが、軈て、ハッキリ聴こえ、其れが誰にもお里だと判ります。
モシ、窮屈ていけません!
助けてぇ〜、息が出来ません!
あなた、旦那様、助けて下さい!
旦那様、あなたは酷い事をなさいます!
さぁ、まず三人の僧侶が狼狽します。住職と二人の徒弟は、昨夜と謂うかぁ、今朝の早朝の定海を埋葬の一件を知った上で、此の声を聴いたから、
住職は二歩、三歩後ろに下がり数珠を強く掴みます、一方徒弟二人はブルブル震えて腰が抜けて動けません。住職は思わず小声で本音を漏らします。
住職「それにしても、厭な事が重なる葬儀だ。棺桶に入れられた屍人が喋るとは前代未聞、今まで露ぞ聴いた試しが無い。」
参列している人々は、声にはならない声を発しザワザワさせて、ただ、柩の方を一点に見詰めるばかりです。すると遂に住職が何かに取り憑かれた様に、
柩に近付くと、掛けられた縄を解き、柩を覆っている白い布までも剥取り始めるのです。すると、柩の中の声はより大きく鮮明に成ります。
併し、お里の親族は「住職さん!いけません、ご乱心!」「何をなさる積もりですか?」と、住職を囲み諌めに掛かりますが、
住職は「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」と、念佛を唱えながら一心不乱に柩を裸にしますと、依然として中からは声が聴こえて来ます。
助け下さい!旦那様。
なぜ、妾をこんな所に閉じ込めるのです!
住職「各々方、其の様にお騒ぎに成ってはいけません。落ち着いて下さい。後参列の皆様も、我々出家も冷静に成りましょう。静粛に願います。
宜しいか?世に蘇生と謂う出来事は稀に起こります。斯く謂う拙僧も、過去に之と同じく屍人が蘇る、蘇生を一度見ております。ご安心下さい。
化けて出たのではない、三途の川まで行ったけれど、冥土へは行かず、いや、行けずにこの世に戻されて、蘇生する屍人が稀に御座います。
此の小森殿の御内儀、お里殿は恐らく蘇生なさいました。拙僧が之よりお里殿、法名、秋月院白露道光大姉と申されるか?柩の中と対話して確認致します。」
参列者も、徒弟二人も疑心暗鬼だった。誠、声はお里には違いないが、万一、勇んで柩の蓋を開けて中から妖怪変化、化猫が飛び出して全員喰い殺されては堪らないと謂うのだ。
是までにも、夜桜の化猫騒動を体験している佐賀藩の皆さん、噂は重々聴いて昨夜首を斬られた定海を葬った出家二人には蘇生を容易には信じてやれません。
柩を開けようとする住職を、止めに係るのも無理はない噺で、当の小森半之丞でさえも、お里の蘇生は嬉しいが、化猫の仕業なのでは?と半信半疑で御座います。
さぁ、旦那寺浄光院の住職は、お里が生まれた時より知り尽くして御座いますから、村井兵馬夫婦よりもお里を知り居ります。
だから、お里本人でないと知らない質問を次から次へと柩の中へ投げ掛けますと、柩の中からは全てに的確な答え、お里本人にしか知り得ぬ答えが返ります。
之を見ていた参列の皆さん、特にお里の身内・親戚は半之丞、村井兵馬夫婦も徐々に、お里が蘇生したに違いないと、確信の色を強めるので御座います。
住職「さて皆様、実に愛でたき事が起こりました。小森殿の御内儀、お里殿が蘇生なされました。直ぐに柩を破り、お助け致しましょう。」
おぉ〜!!
参列していた一同から感嘆の声が上がった。誰よりも小森半之丞が喜んだ。二日前に病で亡くしたと思った妻が、生き返ったのだから。泪が溢れ出た。
柩の蓋が破られると、死装束のお里が半身置きて半之丞の首ッ玉にしがみ付いた。夫婦は嬉しい泪に包まれて、之を見た参列者も全員貰い泣き致します。
お里は死装束を脱いで、住職が貸してくれた白羽二重に着替えて、本堂を出て檀家が集まる坊に部屋が用意され、そこで暫く横になった。
枕に着いて神経を休ませて、水を飲み、お粥などを食べては、暫くは浄光院の世話になり、毎日毎日、良夫の半之丞が通いお里の世話をしたり話し相手に成ります。
そして、半月程が過ぎるとお里は床から離れて、歩ける様になり九月の吉日、渋谷の浄光院から千駄ヶ谷の佐賀藩下屋敷の我家へと帰るのである。
さぁ、もうお里が蘇ってからの小森半之丞のお里への愛情は、以前にも増して周囲が焼ける位に半端なく注がれたのである。
まぁ、当然と言えは当然。一度病で亡くなった奥方が、半年の看病虚しく亡くなった内儀が、生き返ったのだから、そりゃぁ下へも置かぬ可愛いがり様です。
迎えて七ヶ月の月日が流れ三月に成りますと、もう、湯灌されたお里の黒髪は元に戻り、丸髷に結えまして、是でお里は自由に外出も成るので御座いますが、
馬脚を現す!
普通の鈍い亭主で有れば、女房の細かい変化など気にも止めないのでしょうが、母を化猫に成り澄まされた経験の半之丞は容易に騙せません。
ふとした拍子に気に成り始めた半之丞は、蘇生したお里の態度に、愈々疑惑・疑念・懐疑が募る由え、或日密かに上屋敷へと出向き、
舅でありお里の父親でもある村井兵馬と逢いまして、一室に篭り二人は何やら密談を始めます。さぁ、此の続きは次回のお楽しみ。
つづく