大澤倉之丞は声を密めて語り始めた。

大澤「如何に小森氏、かかる出来事は奇中の奇、不思議中の不思議なれば、実に凡庸なる策師の知るべき事では御座らねど、化猫が人を喰らい其の人間化けて成りすます噺、

之は拙者も聴いた覚えが有るし、貴殿も恐らく知りおる噺だと存じ上げる。そうだ!小森氏、現に最近土浦の家に於いて、後妻が深く愛し可愛いがって猫を飼って居たら、

その猫如何なる因縁か?魔物が憑いたのか?年数を重ね飼われて居るうちに何時の間にか後妻を食い殺し、その後妻の姿に化身して成り澄ましながら暫く暮らして居た。

さて是に気い付いた忠臣有りて、化猫が成り澄ました後妻は討ち取られ退治されたが、その亡骸は直ぐ化猫には戻らず、忠義の臣下は暫く後妻殺しの汚名を主君より受たと聴く。

併し、一晩二十四時間の後、後妻の亡骸を通夜の棺桶に入れておると、俄に獣の毛が生えて来て亡骸は後妻から化猫へと戻りまして、忠臣の化猫退治を主君は悟り、

其れならばと主君は常陸國土浦に、猫塚を建てゝ之れを供養したと申します。些か子供じみた伝説ですが、之一つだけでなく、出羽の猫塚の由来もほぼ同じで御座る。

其れ等を踏まえてと申す訳では無いが、今正に汝の身の上に降り掛かる現実は、或るいは之等に類する禍ではないのか?と、拙者、確信致す次第で夢々疑う事勿れ。

兎に角、気を確かに持ち討つ相手は妖怪変化の化猫であり、決して貴殿の母に在らずと肝に命じなされ!之を確信した上でないと化物退治は成りませんぞ!

そして討っても万一討ち損じても、此の大澤倉之丞が証人となり半之丞殿、汝が不忠不義理の輩では無いと証言致す所存で御座る。又成田山の御代参の帰りに、

其の化猫を汝自ら連れ帰った物と知れても、小森家を取り潰しに成らぬ様尽力させて貰うので、先々を思えば今夜にも化猫退治するが肝要、勉めて怠り賜うなぁ。」

そう説得し勇気付けて呉れた大澤倉之丞の言葉に、小森半之丞も強い決心を致しまして、『忝い、拙者、大いに安心仕りました。』と応えます。

そして半之丞は倉之丞に暇を告げて、大名小路の上屋敷を出て、再び麹町から四ツ谷へと参り新宿を抜け、漸く千駄ヶ谷の下屋敷、我が家へ帰り着いたのは既に四ツ、亥刻でした。


家に着くと気の利く女中で、朝から老母と内儀に伴われて隣家の医師・越智照山の元へやられて居た女中のお竹が出て参ります。

半之丞「今、帰った。おぉ、竹かぁ。」

お竹「お帰りなさいませ。」

半之丞「有難う、ご苦労。でぇ、奥は?!」

お竹「ご内儀様は昼過ぎから風邪ぎみと仰いまして、夕飯後には床に伏せられて御座います、起こして参りますか?」

半之丞「よいよい、寝かせて置きなさい。拙者の寝間の着替えの用意を頼むぞ。」

お竹「出来て御座います。さぁさぁ、中へ。」

半之丞は草履を脱ぐと居間を通り自室に這入り、お竹の世話で服を寝衣に着替えまして、布団はまだ宜いからと、火鉢を抱くようにしてお竹と対します。

お竹「旦那様、何か御座いますか?夜食などお持ち致しますか?」

半之丞「左様であるなぁ、寒く成った、酒を熱く燗にして賜もれ。肴は何でもよい、香の物など有れば頼む。」

お竹「畏まりました。」

お竹は台所へ向かい燗酒を用意して、有り合わせの肴を鉢に盛って膳部を用意すると、半之丞の寝所へ戻り、酌をしながら噺相手を勤めた。

半之丞「なぁお竹、越智照山のお宅は風邪を引く程寒かったのか?」

お竹「寒くは御座いませんが、ご内儀様は何かと気苦労が御座いまして、お疲れのご様子でした。着くなり大奥様が『帰りたい!帰りたい!』と仰るもので。」

半之丞「左様かぁ、だがお陰でお竹!お前の酌でサシで酒が呑める。之も又一興よぉ。」

お竹「旦那様、ご冗談を、厭ですよぉ、こんなお婆ちゃんのお酌では美味しい酒では御座いませんが、お一つどうぞ!」

半之丞「そうだ、お竹、お前もイケる口だろう、一つやりなさい。拙者、独りでは美味くない、ささぁ、酒(ササ)を召し上がれ!」

お竹「之は旦那様、有難う存じまする。では、お流れを。」

と、半之丞とお竹は深夜寝間にて、膳部を挟んでやったり取ったり、二、三杯、盃を重ねて噺を致しております。

半之丞「時に、お竹!その方、我が母上の世話をしていて、何か?変わりは無いか?」

お竹「変わり?と、申されますと?!」

半之丞「以前は頼まれ無かったが、最近になり急に頼まれ始めた事じゃ。矢鱈と鰹節を齧るとか、生魚を刺身ではなく、捌かずに丸のまま食すとか。」

お竹「何を申されます、ドラ猫じゃあるまいし、大奥様はその様な野蛮は好まれません。アッ、そうだ目が最近は見え難いと仰いまして、

此の竹が、本を読んで差し上げる様には成りました。特に、夜に成りますと目がかすむと仰いましてネ、大奥様のお部屋で夜寝る前に一刻程。」

半之丞「本を読んで聴かせるのか?母上に、一刻もかぁ。して、どの様な本を読む?」

お竹「左様で御座いますねぇ、源氏物語、伊勢物語、其れから詩歌も、万葉集、古今集など、拾い読みに致します。」

半之丞「古典かぁ〜、して、其れを聴く我が母に何か?変わった様子は無いのか?お竹。」

お竹「変わった様子ですか?」

半之丞「左様、何か母に異変は感じないか?」

そう半之丞が真顔で目を見詰めながら問うと、お竹の顔色が見る見る悪くなり、口を噤み下を向いてモジモジ始めます。

お竹「旦那様、実は妾(わたくし)は、今月一杯でお暇を頂戴する事が決まって御座いまして、田舎に帰る身なれば、立つ鳥何とやらで、余り余計な事は申し上げとう御座いません。」

半之丞「エッ!誠か?何故だ、竹。何故辞める!里が、奥が何んぞお前に意地悪を致すのか?」

お竹「いいえ、滅相も無い。ご内儀様は優しゅう御座いまする。可愛いがって下さいますし、若い頃の御着物や帯を、もう使わぬからと謂って妾に下さいます。」

半之丞「ならば、給金が安いのか?!」

お竹「滅相も無い違います、給金は過分に頂戴しています。」

半之丞「ならば、やはり!母ではないかぁ〜、老母が何か辛く当たるのか?お前に。」

お竹「いいえ、直接、意地悪や乱暴な無理難題を仰る訳では御座いませんが、些か、気味が悪う御座いまして。。。ハイ。」

半之丞「気味が悪い?!何んだ、其れは?」

お竹「奉公人の口からは申し上げ難く、妾が申す事ではないかと存じ上げ奉りまする。」

半之丞「よい!竹、申せぇ。さぁ、云ってみろ。決して他言は致さぬ。申してみよ。竹。」

お竹「ハイ、ならば申し上げますが、決してお内儀にも言わないで下さい。お願いします。さて、先程も申した通り大奥様は目が悪いと仰って本を読む様にと仰せです。

読んでお聴かせするのは一向に苦にならないのですが、偶に、聴きながら眠りに着かれたりするので、お眠りに成ったからと読むのを止めると、突然!

目を覚まされて、『止めるでない!続きを読め。』と仰しゃいます。謂われた妾が読み始めると又寝て仕舞う。今度は寝息がスースー聴こえるから止めると、又!

『止めるでない!読め、お竹。』と仰しゃいます。すると、今度は小粒な目を大きく見開いて左右目玉をバラバラに動かすので御座います!グルグル回る様に動かして、

更には、舌を長〜く出しては、ご自分の手の甲、手首をペロペロと音をさせて舐め始めるのです。もう、薄気味が悪くて悪くてゾッと致します。」

半之丞「其れ!其れだけか?」

お竹「イヤもう一つ。其れは御膳の用意をしてお持ちした際なので御座いますが、ご老人なので日頃から極力堅い物は入れず、常に柔らか物を厳選しお持ち致します。

すると、以前はそんな事は無かったハズですが、今はすこぶる不機嫌になられまして、又、給仕役の妾が側に居ると、見られたくない!気が散る!次の間へ!

と、仰り、必ず妾を次の間へ下がらせ、喩えに給仕が出来ませんからと云っても、妾が見ている前では決してお召し上がりには成りません。そこで仕方なく次の間に下がるのですが。」

半之丞「で、汝!覗いたのか?!」

お竹「ハイ、端ないとは存じますが唐紙の隙間から、詳しく話すのも憚られる様な畜生喰いで御座いました。えぇ、箸など持たれず、素手どころか顔を直にお椀や鉢に突っ込まれて。」

半之丞「成る程、左様であるかぁ、宜い宜い、確と聴き届けた。其れから竹!汝は暇を取るには及ばぬぞ、当家にまだまだ仕えて呉れ。

決して拙者が悪い様には致さぬ。汝の働き易い様に直して見せるから安心致せ!さぁ、今宵はもう遅い、早く寝所へ下がりなさい。」

お竹「有難う存じまする旦那様。ではお言葉に甘えて先に臥せまする。」

そう云って賢い女中お竹は安堵の泪を流して、自身の寝間へと下がって行きます。さぁ、老母が妖怪猫の化けた成り澄ましに違いないと確信した半之丞は、

最早思案などしている場合ではないと、あの高井検校、又七郎を成敗した刀、名刀・長光を取り出して是を左手に持ち、袴の腿立ち高く取りまして、

抜足差足忍足、縁側傳いに廊下を素足で音を殺して進む先は、勿論現在、老母が臥っている寝所で御座います。さぁ、老母の臥坊前の障子戸に着きました。

此の障子戸の隙間より中の様子をと見てやれば、床に老母の姿は無く布団の中はもぬけの殻の様子。代わりに四隅の行燈が煌々と輝いて居るのです。

さて老母は何やらん!働く様子で起きて居られて、半之丞はその様子を障子越に確と見届けますれば、老母は唐銅の鏡を前に置き、近くに蝋燭を立てまして、

雪の柳にも等しい頭を鏡に写しては、柘植の櫛を使い雪を撫でる様に髪を解いて居りまして、後ろから鏡に写る額を見ると向こう傷が一つ、はっきり其処に御座います。

更には其の傷に老母は膏薬を貼り治療しておるでは御座いませんか?!さぁ半之丞に於いては愈々然りと合点の様子。左手の長光をズラりと抜けは珠散る氷の刃!

二尺七寸五分の大太刀を、右手にして後ろ手に背中で隠し、そっと左手にて障子を開けて中へ飛び込むと、さぁ間髪入れずに『観念しろ!』と化物に長光で斬り掛かる。


ガツン!!


『何んだ此の堅い手応えは?!』と、更に一歩踏み入ると、二つに斬り裂かれたのは、くだんの唐銅の鏡。彼の時疾し彼の時遅く、背後から感じる妖しい気配に半之丞が振り返る。

嗚呼、半之丞の粗忽、鏡に写る老母の姿を本身の化猫と勘違いして斬り掛かり、その実体は『ヒヒヒ、フフフ』と五臓六腑に沁みる様な笑いを残し、天井へと飛んで消え去ります。


おのれ!逃すものかぁ


と、叫んだ半之丞は縁側を飛び越えると庭へ出て直ぐに屋根へと登った。そして老母の姿から影が如く真っ黒い塊に変化した化猫の跡を、直ぐ追ったが其の行方は杳として知れなかった。

『銅鏡を真っ二つに斬り裂く程の業物を手にしながら、写身と本身を見間違えて斬るとは一生の不覚!』そう心に呟き、余りの悔しさに熱い熱い泪を流して仕舞う小森半之丞であった。

そして、我が母が化猫に喰い殺されて、其の身に成り澄まされて、なぜ小森の家が狙われる?!かかる怨みを買う出来事が、なぜ起こるやら?と、深く思いを馳せる半之丞。

さぁ、ハタと膝を打ち思い当たるは一つだけ、先年國詰めの折りに、佐賀城内にて蓮池の堀に沈めたあの、高井検校の仇に依る物に相違ない。強い確信を胸に母屋へ返ると、

其処には、『何事ですか?』と真っ二つに割れた銅鏡の前に立ち尽くす内儀、お里の容で御座います。もう、隠すことも有るまいと、半之丞はお里に実母が化猫に喰い殺されて、

縁の下に其の亡骸を発見した所から、先程、女中のお竹より聴き出した老母の奇行の噺など、順序立てゝ説明し、動かぬ証拠として老母の額に綱茂公がお斬りに成った傷跡を見たと申します。

さぁ、是を聴いたお里が今度は驚き震えて仕舞いますから、半之丞は優しくお里の肩を抱いて、自分が守るからと慰めますが、一長一短にお里の狼狽は収まる物では御座いません。

流石に、高井検校の怨みだ仇だとまでは教えませんから、何故、黒猫の妖怪に小森の家が呪われるのか?ぼんやりした不安がお里を覆い、お里は生きた心地が致しません。軈て、

翌日になると、再度、床下に埋めた老母の亡骸を掘り起こして是を荼毘に伏す算段を、半之丞は上屋敷向かいまして、大澤倉之丞と致しまして、表向きは老母は病死として、

小森家の菩提所に埋葬し、極々内輪の親族だけを集めて葬式を執り行う事として、何とか化猫の妖怪に老母が喰い殺されたという事実は表沙汰には成らずに済みます。

こうして小森半之丞の江戸詰め勤番は、何事も無く又一年が過ぎようと致しますが、併し、永遠の平和という物は、此の小森半之丞には訪れませんで、

今度は内儀・お里に魔の手が忍び寄るので御座います。再び、佐賀藩江戸屋敷は、化猫騒動に包まれて、静かに眠るブルブルブル、ブルー・シャトーですが、次回のお楽しみです。


つづく