寛永十八年、佐賀城下は道具市が大流行しておりまして、城下の堺町で開かれた毎月六日の市は今月も大盛況でした。

そんな中、然るに何処から出ましたか?!一個の燻った碁盤が市に出されます。『要指値』と札付の逸品ですが、

此の品が余りに汚くて買い手が現れず、指値をして来る相手が御座いません。漸く五百文から指値が付き、七百文まで上がります。

さぁ、此れを見ていたのが竹尾屋甚助という道具屋で御座います。大層な目利きで同渡世では少しは名の知れた男なれば、直ぐに一分二百か?と値踏み致します。

最後に、勘助が一分二百で指値しますと、此の汚い碁盤は落ちまして、勘助の手に渡ります。早速、持って来た麻袋に詰めて持ち帰ります。

勘助の家は備前澤山という所の、御馬場下に在る一軒家で猫の額ほどの狭い庭が有りまして、子なしの女房との二人暮らしで御座います。

勘助「今、帰った!腹が空いた、飯にして呉れ。」

女房「お帰り。早かったね。何か掘り出し物は有ったかねぇ?!」

勘助「まぁ其れ成りに良さげな物を一つだけ手に入れた。」

女房「何んだい?一つって、四角だね?炬燵でも買ったのかい?冬に向けて青田買いかねぇ?」

勘助「巫山戯た事を謂うなぁ。炬燵の青田買いなど有るもんかぁ?開けて中を見てみやがれ、ベラ棒めぇ。顔を洗って目をよーく擦ってから見るんだぞ。」

女房「アレアレ、此れは?将棋盤かい、碁盤。其れにしても、煤けてゝ汚れ三昧だね。」

勘助「何が煤けてるだ、汚れ三昧だ、時代が着いて居ると謂え、道具屋の女房なら此の碁盤の良し悪し位判らないと駄目だぞ!」

女房「そんなに値打ち物なのかい?此の汚い碁盤。」

勘助「アタ棒よ!佐賀藩の輿賀公、今の殿様の前の殿様だ。其の龍造隆信公が、朝鮮からの渡来品で、元々は宗對馬守が所有していた家宝を譲り受けて、初櫻と名付けた碁盤だ。」

女房「なぜ、そんな宝物の碁盤が道具市なんかに出てゝ、お前さんが買える様な値段なんだい?」

勘助「龍造寺家は、元々色々あって今の当主、ご主人様は盲人だから、侍ではなく、検校といって座頭の親玉みたいな役職だ。

高井検校と謂いなさるが、龍造寺家ではなく成る時に、家禄を半分にされて、家来も沢山浪人に成ったから、主人が幼い盲人なのに附け込んで、

誰か悪い家来が、其の宝物の碁盤『初櫻』を黙って道具屋に売り払ったんだろうな。其れが十数年の時を経て転々とした挙句、佐賀城下の市に帰って来たって寸法よ。

まぁ、大明國で百年以上前に造られた名器『初櫻』も、堺町の節穴みたいな連中には、其の価値は見抜けないから、俺様が一分と二百で仕入れられたと謂う訳さぁ。

此のたった一分二百で仕入れた碁盤だが、天下の目利き、竹尾屋甚助様が磨いて売り出せば、悪くたって五十両、上手く金持ちに気に入られたなら百両の代物よ!」

そんな太平楽な講釈を謂って、竹尾屋甚助が光澤布巾で煤けた碁盤を必死に磨き込みますと、碁盤は渋い光澤を放ち、見るからに宝物の気配は致します。

そして、漆職人に碁盤の目を真っ黒の線で描き直させますと、確かに、女房の眼で見ても、若しかすると五十両、百両で売れるかも?!と相成ります。

さぁ、自分の目に狂いは無かったと確信した勘助は、ニタニタ思い出し笑いなど浮かべまして、初櫻の碁盤を床の間に飾り「碁盤様!碁盤様!」と、呟きながら、

丸で神信心するかの様に、御神酒を上げ祝詞を上げ、妻に酌などさせて酒盛りしながら夫婦で『取らぬ狸の皮算用』、碁盤が売れたらと夢を語らい眠りに付きます。

然るに、女房は布団に入りましても目が冴えて眠りに付けず鐘の数などが気に成りまして、其れを数えては早く寝ようと思えば思う程、目は冴えて眠たく無く成ります。

其ればかりか、何やら首筋が肌寒く、襟元に冷や水を掛けられた様な心持ちなど致しまして、実に薄気味悪く、彌々眠るどころの騒ぎではなく成って居ると、

一方、傍らで寝ている夫の勘助はと見てやれば、白河夜船を漕ぐなんてもんじゃなく、ゴーッ!ゴーッと消魂しい高鼾が、往復しながら聴こえて参ります。

ボーン!ボーン!と、又遥かに聴こえます遠寺の鐘音、風が運ぶ場内の太鼓の音も遅れて参りまして、指折り数えてみるともう八ツ刻です。

草木も眠ると謂う丑三ツ刻。正に針を落としても、音が四辺に響き渡るような深い静寂の中、女房は胸騒ぎを感じて、ふと床の間の碁盤に目をやります。


エッ!是は如何に?


ハッ、と驚いたのは彼の碁盤の上に、何やら生首の様な物がぼんやり、二つも浮かんで見えたからで御座います。

夢を見て居るのか?と、傍らの亭主を見ると、相変わらず高鼾ですから、完全に血の気が引いた女房は勘助に、

女房「アンタ!!起きて頂戴。アンタ!勘助さん!一寸、起きて頂戴!!」

勘助「オイオイオイ、何んだ?どうした?」

女房「何んだどうしたじゃないワよ。アレを見て頂戴、高鼾で寝てる場合じゃないワよ、飛んでも無い物を買って来て、どうして呉れんのよ!!ッたく。」

カンカンに怒り狂う女房が指刺す床の間を見た勘助は、眠い目を擦り、擦り見てやると、碁盤の上に二つの生首が確かに見えるのである。

一つは還暦過ぎの白髪の生首と、もう一つは十七、八歳の若武者の生首で、どちらも苦悶苦悩の怨念に満ちた表情で、恐ろしいなんて物じゃない。

勘助「おッかぁ〜!!お前の目にも見えるのか?碁盤の上の二つの生首が?!爺さんと若衆の二人の生首が?!」

女房「そうさぁ!見えるからお前さんを起こしたのさぁ。勘助さん、お前は酷い代物を買って来たね、一分と二百も出して幽霊付きの品物を買って来て、どうする積もりだい?!」

勘助「イヤ、参った。こいつは俺の目が利き過ぎたぜぇ。」

女房「目利きが過ぎたじゃ済まないよ。アタイはあんな幽霊と、一晩同じ部屋で寝るのは御免だからね!?何んとかしてお呉れ!」

勘助「仕方ないじゃねぇ〜かぁ。明日寺に持って行って、祈祷料を払って回向でもして貰って来るから、一晩だけ我慢して呉れ。」

女房「ッたく、盗賊に追い銭だねぇ。一分二百の仕入れ値に加えて、祈祷料まで取られるとは、之に懲りたら市での仕入れは欲を掻かないでお呉れ!

お前さんが、妙に山ッ気なんて出して、五十両だ!百両だ!と、欲の皮を突っ張るから幽霊付きの飛んでもない泥舟を掴むんだよ。

日頃から一寸ばかり目が利くのを鼻に掛けて、怠けてばかり居るから、バチが当たるのさぁ。商売なんてモンはもっと地味にコツコツやらなきゃ。」

勘助「何が地味にコツコツとだ、汝は西川きよしか?!併し、この碁盤は大失策だった。おッかぁ〜!お前に返す言葉も無ぇ〜、飛んだ物を仕入れたもんだ。」

そう謂うと、女房が厭がるので、床の間の碁盤を一旦は土間の隅にうっちゃりまして、一晩は何んとかやり過ごしますが、

翌日になると女房がやいのやいのと申しまして、家には一日、いや、一刻も置いては於けぬと騒ぎ立てますから、勘助、碁盤を抱えて思案に暮れます。

当初は近隣の寺に幾ばくかの祈祷料を払い幽霊の菩提を弔い回向すれば宜いと考えましたが、幽霊が落ちない場合は祈祷料を損するだけである。

ならば一層の事、寺にお布施として寄進して仕舞うのはどうか?併し、幽霊が出ると寺に知れたら突き返されるに違いない。其れは元の木阿弥。

えーい!ヨシ、碁盤を薪にして竈門の焚き付けにして燃やして仕舞うのはどうか?!いやいや、安易に燃やして幽霊の祟が有ったら尚恐ろしい。

と、中々、竹尾屋甚助、思案に暮れますが納得の妙案が浮かびません。とは謂え、女房は処分して来い!家には置くな!と、矢の催促です。

さぁ、夫婦が家の玄関脇の、道具屋渡世の商談などを日々行う広い客間で、他の骨董と一緒に例の碁盤を置き、ああだこうだと謂い合って居ると、

同商売の京屋太兵衛という男が、紺色の風呂敷を抱えて、何か金儲けの口はないか?掘り出し物が転がって居ないか?と、

所謂、蚤取眼をしながらで御座います、勘助の家の前をノソノソ歩いて参りまして、勘助夫婦が碁盤を挟んで謂い争う場面を見付けます。


京屋「お早う御座います。竹尾屋さん!大層お早いですなぁ、朝からご夫婦お揃いとは珍しい。」

女房「アラ?京屋の旦那、お早う御座います。」

勘助「此れは、太兵衛ドン!お早うさんです。素通りはいけません。茶でもどうぞ、煙草を使って行って下さい。」

と、敢えて夫婦が陽気に愛想良く世辞を謂いますが、京屋太兵衛の目には、何処か陰気で困った様子に夫婦は暗く見えましたから、煙草に火を点けながら噺掛けます。

京屋「もし、お前さん方夫婦は何やらお悩みでもお有りかえ?どうかなすったかい?近頃は陽気も悪く何かと不景気だ。

勘助さんだけでなくお内儀まで暗い様子じゃないかぁ?大分に弱った様子だが、お二人共どうかぁ仕なすったかい?」

勘助「ヘイ、ご親切に有難う存じます。少し気分が優れませんでぇ。」

京屋「ホー、で、お内儀さんは?!」

女房「ハイ、妾も少し風邪を引いた様で

顔を引き攣らせ、心此処に在らずな感じの夫婦を見透かして、太兵衛は茶を啜り煙管を灰吹にポン!と、一つ叩くとイヤらしく笑いながら、

京屋「オヤオヤ、風邪じゃなかろうにお内儀、貴方夫婦は若いし、他に同居の差し合い人も子供居ない。だからどうしても夜業に精が出る、其れで弱ってなさるのでは?」

勘助「イヤハヤ、太兵衛さん冗談言っちゃいけねぇ〜。其れ処の騒ぎじゃねぇ〜んですよ。一寸ばかり夫婦の心配、イヤ、災難が御座いまして

京屋「エッ!?夫婦の災難?兎に角、仲直りしなけりゃいけませんよ、竹尾屋さん!」

勘助「イヤ、そんな事ちゃなくてただ、今日は忙しくて貴方のお相手をしている場合じゃなくて。」

京屋「ハイ判りました。ご夫婦の個人的なお悩みに他人が首を突っ込むほど野暮じゃない、犬も喰わないモンに興味は有りません!失敬。

其れより私も、商売で街を徘徊中でして、折角ですから是非、竹尾屋さんの仕入れの品々を見せて頂きたい、宜しくお願いします。」

そう謂うと、京屋太兵衛は竹尾屋勘助の店ん中に在る品々を、蚤取眼を輝かせては、一つ一つ舐める様に見廻します。そして

京屋「流石、目利きの勘助さんだ。珍しい興味深い物ばかりが置いて有る。正面に在る、アレは何んですか?」

勘助「あれは鉄拐仙人の像だよ。石州長濱焼でかの吉向蕃斎の作品ですよ。中はガラん洞で香炉として使える置物だ。」

京屋「素晴らしい、香を焚くと口、鼻、耳から煙が立つ仕掛けだ。珍しい逸品だ!流石、竹尾屋さん、良い品を仕入れなさる。さて、この尺八は?何んですか?」

勘助「其れは京都のとあるお公家様から仕入れた由緒ある尺八で、初代黒沢琴古の流れを汲む、黒田藩の俗名『幸八』と謂う雅楽師の愛器で御座います。」

京屋「ホー成る程。イヤハヤ、勘助さんの店には他の店には無い珍品や驚くばかりの逸品が揃っていて、私はワクワクします。さて、此の杖みたいなんは何んですか?」

勘助「ハイ、之れねぇ。」

京屋「偉く時代が付いていますよねぇ?!」

勘助「流石、京屋の旦那!お目が高い。之は長崎で手に入れた物で、唐土の春秋戦国時代、晋の智瑶(智伯)に仕えた豫譲の杖と謂われる逸品です。」

京屋「智伯と謂えば宿敵の趙襄子に敗れて、勝った趙襄子は智伯に対して積年の遺恨を持っていたために、智伯の頭蓋骨に漆を塗り、

其れを酒盃として酒宴の席で披露した。此の故事を織田信長は真似て、浅井長政、朝倉義景の頭蓋骨に金漆を塗り酒盃にしている。」

勘助「能くご存知ですね京屋さん。その通りです。そして、豫譲は智伯の仇をと趙襄子を討ち負かそうと兵を進めますが結局討ち取れずに亡くなります。」

京屋「証拠も有りませんから、二千年も昔の豫譲の杖なんて物は知識人の洒落でしょうが、噺の種には宜しいなぁ、私は好きです、買いませんけど。」

勘助「まぁ、その二千年口傳に伝わる代物ですから、確かに眉唾です。」

京屋「あのぉ〜、そしたら向こうにブラ下がっている手甲脚絆は何んです?」

勘助「アレですかぁ、アレは昔、石童丸が十三歳の折りに高野山へ登った時に身に附けていた手甲脚絆です。」

京屋「段々と『火焔太鼓』の世界に近付いて、怪しい物ばっかりに成ってまっせ?勘助さん。」

と、幸八の尺八も、今と成っては豫譲の杖と石童丸の手甲脚絆と一緒に置かれているので、太兵衛はすこぶる懐疑的に成っております。

そんな中、京屋太兵衛の目に例の碁盤、初櫻が留まります。勿論、太兵衛も勘助に負けず劣らずの目利きの道具屋ですから、其の価値にピーンと来ます。

京屋「オヤオヤ、此の碁盤は大層時代が付いていますね勘助さん!そして日本の欅ではなく、之は唐土の紫檀だ。大明國の碁盤でしょうか?一寸拝見!」

勘助「ハイ、どうぞ!ゆっくり見てやって下さい。」

京屋「勘助さん、貴方、此の碁盤を何時・何処で手に入れなさった?!」

勘助「へぇ、昨日の六日にご城下の堺町の市で買い求めました。」

京屋「お前さん、此の碁盤の謂く因縁をご存知かい?!」

勘助「ハイ、因縁は知っています。」

京屋「知ってなさる?此の碁盤、大層時代が付いているだけ有って、並々ならぬ因縁ですよ、本当に知ってなさるのかい?!」

真に迫る京屋太兵衛の言い分を聴いて、傍に居た女房が、我慢出来なくなり横から口を挟んで参ります。

女房「ハイ、其れが昨夜出ましたんで、私達夫婦は心配しているんです。其の事を。」

京屋「ならば、私が竹尾屋ご夫婦の憂いの種を詰み、心配を無くしてやろうでは御座いませんかぁ。此の呪われた碁盤を、私に売って下さい。」

勘助「何んと!本当に買って下さいますか?」

京屋「勿論、竹尾屋さん、此の碁盤、幾らで仕入れられましたか?若しかして、高い買い物でしたか?」

勘助「いいえ、安く仕入れた物です。買い取って下さるなら、京屋さん!其方の指値で結構です。」

京屋「そう仰らず、若し宜しければ仕入れた値段を教えて下さい。何割か掛け値をして引き取りますよ、竹尾屋さん。」

勘助「イヤ、仕入れ値だけは言えません。私もまだまだ、この道具屋渡世を生業に致します。仕入れ値を教えて売ったと、評判が立つのは差し控えたい。」

京屋「分かりました。ならば私が推測するに、此の碁盤です。貴方の仕入れ値は恐らく一分二朱から二分。碁盤を見ると其の目が新しい。

漆職人に手間を掛けて碁盤の目を新しくする手間も掛けておられる。ならば、諸々の費用を加えた倍の値段、一両でどうですか?私が一両で引き取りましょう。」

女房「有難う御座います。アンタ!一両なら二分の儲けだ。御の字じゃないかぁ?!欲の皮を突っ張らずに、京屋の旦那に、一両で売りなさいよ。」

勘助「何を貴様が口を挟む!其れに、全部噺したら元も子もないぞ!馬鹿タレが。折角、仕入れ値は内緒にしていたのに。」

京屋「どうです、竹尾屋さん。一両で譲って呉れませんか?貴方から仕入れた事は、絶対に内緒に致します。」

勘助「判りました。此の碁盤、一両で貴方にお譲りします。」

京屋「有難う御座います、勘助さん。」

交渉成立。京屋太兵衛は懐中から財布を出し一両小判を勘助に渡すと、初櫻の碁盤を持って居た風呂敷に包んで、嬉し過ぎたか?挨拶も忘れて勇んで持ち帰りました。


つづく