寛永八年正月三日に起きた、龍造寺の『輿賀の館』で起きた事件は、実に名状すべからざる程の始末であります。人の口に戸は建てられず、

まさか今更、無かった事に秘して仕舞う訳にも相成らず、速やかに然るべき筋に訴え出て、尚、検屍等の一連の調べをお上に乞いまする。

友之丞の実父、多上刑部も来て我が子の横死を悼むよりも先に、事の詳しい顚末を用人樋口大膳と侍女お嶋の両人より聴き、

尚、友之丞が残した書置一通も出ましたから、前後の詳しい事情を知り、友之丞は全く乱心発狂致した訳に無い様子。

唯々龍造寺又八郎殿が、一個の我儘より事を起こし、其れが為に我が身も非業の刃に最期を遂げるとは是皆悪縁の成せる業。

早々御公儀の検屍も済みましたから、父又八郎及び友之丞の亡骸は、龍造寺家の菩提所で有ります佐賀城下の川上山実相院に埋葬されました。

さて、佐賀藩太守、信濃守綱茂公は聡明英智な殿様なれば、輿賀にて起こりし此の一件、前後の詳しい経緯を全てお聴き取りになり、

又八郎の悪業を悉く憎ませられ、且つ、友之丞の不運薄命には悼わしく思し召され、残れる後室井蘇の方、実子又七郎を深く哀れみ給い、

本来なら色々と議論、意見も多かれども、兎も角も名家名門の末裔、是が為に家名を傷付けるは昔を慕う處の下々の人気にも叛くであろうと、

龍造寺の家、輿賀の館は、其のまま又七郎への相続が許されまして、先ずは穏便に、一件落着と相成りまして御座いまする。

さて、悪い事、碁盤『初櫻』の祟、禍とも呼ぶべき不幸が龍造寺家には翌年にも齎されまして、十歳に成りまして間もない又七郎君は目を患います。

両目共に、視力がみるみる落ちて、半年も経たぬ内に、医者や祈祷師に診せた甲斐も無く、全盲と相成るので御座います。

又七郎、是を悲しむとも詮無く、且つ母、井蘇の方様の悲しみは一朝一夕ではないが、止むを得ぬ事なれば、太守綱茂公に此の事を言上致しますと、

綱茂「盲目と成るは甚だ不憫である、追って沙汰致す。」

と、仰せられて、龍造寺家の家名は一時鍋島藩に召し上げとなり、又七郎は地行の『輿賀の館』は安堵され、扶持は三千石から一千五百石に減俸と成りますが、

母方の実家、京都の高井家より皇室並びに寺社方への働き掛けもあり、鍋島藩が金子を出して『検校』の位を買取り、改めて盲目の又七郎は高井検校と相成ります。


さて、是より物語は彌々化猫、その元となる猫のお噺へと移ります。其れは高井検校誕生から更に一年、高井検校が十一歳を迎えた、

寛永十年、父又八郎君と義兄友之丞の三回忌の法要の年で御座います。川上山実相院、屋根は入母屋造り、桟瓦葺。



仁王門の両妻部を板壁、両脇部の正面と内側の上半を格子として、その内部に仁王尊像を安置して御座います。



此の菩提所で、父と兄の三回忌法要を龍造寺家時代からの用人樋口大膳と済ませた高井検校は、長い石段を下り、輿賀の屋敷に帰る途中、

大膳に手を引かれ、門前の町屋を通る際に、何にやら大勢の賑やかな声、いや声と謂うより怒号、怒鳴り声を耳に致します。

甲「殺せ!殺せ!太てぇ〜野郎だ、容赦は要らなねぇ〜。生かして置いちゃぁ〜何んねぇ〜ぞ、錐で脳天突き殺せ!鎌で首をチョン切りれ!コン畜生めぇ。」

乙「いやいや然うではいくめぇ〜、どうせ殺すんなら錐や鎌で楽には死なせねぇ〜。野郎の四つ足を縛って吊るし上げて、頭から皮を剥ぎ苦しめて殺せ!!」

丙「そんなの生温い!尻から火吹き竹を突っ込んで、腹パンパンに膨らませて、グラグラ煮立った湯ん中へ、半ペンみたいに浮かべてやるべぇ〜、コン畜生!」

などゝ、仕切りに残酷な談義を賑やかに行う輩が御座いまして、その傍に立ち止まった高井検校、お伴の樋口大膳に問い掛けます。

検校「ヤイ大膳!アレは何んの騒ぎであるか?父と兄の三回忌の帰り道に、やれ殺せ!殺せ!と物騒な物言い。法事の帰りに殺生とは気遣わしい事だ。

殺す相手が人間なら尚更の事、喩え犬畜生であっても、殺生は相成らん!依って大膳!理由(ワケ)を尋ねて、必ず止めて参れ!宜いなぁ?頼んだぞ。」

大膳「ハイ、畏まりました。」

そう言って樋口大膳が、物騒な物言いの群衆へと分け入りますと、いい大人が四、五人で何やら小さい黒い生き物を捕まえて、そいつを縛り上げ様としております。

大膳「オイ、町人ども!門前に集まり、一体全体、何をして御座る。往来の真ん中で、殺す、殺さぬと物騒な物言いを仕おって、誠にけしからん!!」

甲「之はお侍様、申し訳御座いません。之には訳が御座いまして。」

乙「ハイ、左様です。恐ろしい食い物の怨みが御座いまする。」

大膳「何を縛っている?その食い物の怨みとやらを、有体に申してみよ!!」

と、謂って樋口大膳が、町人どもが縛り上げている生き物を見てやれば、其れは烏猫、黒猫の仔猫で、まだ、生後間もないヨチヨチ歩くヒ弱い奴です。

そんな幼い仔猫ですから、縛られてニャァ〜、ニャァ〜と、まだ乳離れ仕立てのカ細い小さな声を絞り出す様に、鳴いているのが不憫です。

丙「聴いて下さい旦那。こんな小さな黒猫の癖して太てぇ〜野郎なんです。今日は初春の初めての寄合をブツべぇ〜ちゅうてぇ、

アッシら五人で集まりまして、酒肴を用意して庚申小屋で宴会などする算段で、宴会の準備をしていたら酒の肴にアッシらが買った鰯を、

此の泥棒猫、ムシャムシャ喰い散らかして、腹に入れたのは二、三匹分なれど、噛み附いては身をグチャグチャにして、全部台無しにしよったんです。」

甲「だから、鰯ん代わりに此ん仔猫ば潰して、猫鍋にして食うべぇ〜ちゅう結論に成りましてぇ。」

乙「どうせ殺して喰うならさぁ、怨みば晴らさで置くべきかぁ!と、出来るだけ苦しめて殺してやんべぇ〜と成りまして。」

丙「由えに、錐刺し鎌での首斬り、吊るして皮を剥ぐだの、半ペン茹でだのと残酷な殺し方に成って仕舞いました。」

大膳「事情は判ったが、皆の衆、拙者の横に座す御仁は、高井検校様と申される止ん事無き御方である。其の検校様が、当実相院にての法事の帰路じゃぁ。

由えに、殺生は喩え仔猫でも相成らん!と、仰られて御座る。そこで、其の仔猫を拙者に譲って呉れぬか?勿論、ただとは謂わぬ、鰯の代金に匹敵する金子を払おう!」

謂われた町人たちは、仔猫を侍が買うと謂いだしたので、さぁ〜歓喜します。そして、ここぞとばかり、商魂を出しまして、交渉役は五人で一番買い物上手の多兵衛が担当します。

多兵衛「判りましたお侍様。金子次第では仔猫を貴方に譲りましょう。併し、之はあくまでも貴方様からの強い願いが有ったればこそ。其れを踏まえて値踏み下されぇ。」

大膳「値踏みも何も、仔猫の相場だ、汝の方が能く知って御座ろう?早く言い値を申せ。」

多兵衛「イヤイヤ、お侍様。此方が売りたいと申し出た猫では御座いません。貴方様が欲しいと仰るから売るのですから、其方で値踏み下さい、お願いします。」

と、駆け引きに長けた多兵衛は、樋口大膳の方から手一杯の金額を聴き出してから、値を更に釣り上げる作戦だから、言い値は申しません。

そこで、まさか高井検校の又七郎に値段を決めて貰う訳には行かない大膳は、寺の法事のお布施で余った金子を元に、一両を言い値と決めて交渉します。

大膳「では、酒の肴に用いる鰯の代わり、そんな仔猫の命由え、金一両を遣わすに依って、其の仔猫を譲り渡して貰おう。」

多兵衛「旦那、一両は殺生ですぜぇ。鰯を盗み喰いした親の仇みたいな猫を許してやる代わりですぜぇ〜。鰯の方の代金だと思っていませんか?もう少し色を付けて下さい、お願いします。」

大膳「鰯の代金の替わりじゃないとは、どう謂う料簡だ?!猫に大枚一両払うと謂うのに、安いと申すか?守銭奴並の商人根性は止めて呉れ!」

多兵衛「旦那、最初(ハナ)に申した通り、此の猫を此方が売りたいと謂った訳じゃねぇ〜んですぜぇ。旦那が売って呉れと謂うから売るんだ、少し色を付けて下さい。」

大膳「ヤイ!町人。拙者は今は検校のお伴を致して居るが、此の検校は元々三千石の大臣、輿賀のお殿様の御次男坊だ。儂も立派な武士である由え、掛け値無しに手一杯が一両と申した。

若し一両で其の猫を譲らぬと申すならば、刀に懸けて頂戴するしかないなぁ。幸い主人は検校、盲人だ。貴様を斬り殺しても目には留まらぬ。さぁ一両で譲るか?斬られたいか?返答致せ!」

さぁ、そう謂うと樋口大膳、ジッと多兵衛を睨み附けて、口を真一文字に閉じて、刀の柄に手を掛けながら、多兵衛の返答を待つ様子で御座います。

多兵衛「判りました!判りましたよ、旦那。一両でお譲りします。さぁ、子猫を持ってお行きなさいまし。」

流石に交渉上手の多兵衛も、大膳に首を跳ねられては元も子も有りません。黒い仔猫を差し出して、一両の金子を拝む様に受け取ると、仲間を連れて立ち去りましす。

大膳は、仔猫を多兵衛から受け取ると、直ぐに其の小さな生き物を、大事に宝の様に抱えて、高井検校の胸元を開いて、其処の中へ仔猫を這入れてやります。

大膳「検校様、殺されかけた生き物は、此の子猫に御座いました。お触り下さい。中々良い毛並みにて、大層可愛い奴で御座いまする。」

検校「おぉ〜、確かに良い毛並みじゃ。優しい声で鳴きよる。愛い奴じゃ、色は何色じゃぁ?大膳。」

大膳「ハイ、黒猫に御座います。濡れた烏の如く、艶やかなる漆黒の毛並みにて、大層立派に御座いまする。」

検校「おぉ、左様であるか?さて、買い求めた値は?値は幾か程した?」

大膳「ハイ、金一両にて求めました。」

検校「左様かぁ、金一両とは安い。十両の値打ちを感じるぞ!大膳。父や兄の三回忌に殺生致さずに済んだは何よりじゃぁ。」

大膳「御意に存じまする。」


こうして二人は川上山実相院の三回忌を終えて、帰路に一匹の黒猫の命を助け、是を連れて丸の内の輿賀の屋敷へと帰って参ります。

そして此の仔猫を見せながら、高井検校は母井蘇の方に噺を致しますと、井蘇の方も良い功徳をしたと喜び、此の黒い仔猫は與賀の住人と成ります。

此の後、検校は明けても暮れても黒い仔猫を四六時中可愛がる以外に余念が無く、其の内に黒猫は次第次第に成長し、人間の言葉が判るが如く、

黒猫は主の謂い附け事を能く聴き、目の不自由な検校の話し相手が如く相槌を打ち鳴き声を致します。ただ、猫由えに特別なお遣いを独りする事は無いが、

其れでも、喩えば検校が欲しい草子を謂えば、健気に咥えて持って来たり致す可愛らしさ、先ず昨日と過ぎ今日と過ぎる内に、早七、八年の月日が流れます。

さて、佐賀城下に堺町と謂う所が御座いまして、毎月六日に市が立ちまして、大変賑わいます。此の頃は道具屋が、五里、六里離れた近郷近在より現れての最も評判です。

そんな市から市へと売り歩く、流しの道具屋渡世に、大変目利きの男、竹尾屋甚助と謂う者があり、此の甚助が一個の碁盤を求めた所から新たな不思議な事件が始まりますが、

さて、此の続きはいよいよ、鍋島の猫騒動の発端へと繋がる噺へと展開しますが、それはまた、次回のお楽しみにで御座います。


つづく