大工の伊三郎こと、愚図伊三は、兎に角、適当な理由を付けて、戸澤親子を自分の長屋に捨て置いて、外へと飛び出しました。

さぁ、「困った!困った!」と、ブツブツ呟きながら、町内の煮売屋へと駆け込んで、息を切らして店の婆さんに注文を始めます。

伊三郎「婆!今日は何が有る?」

婆「何が有るって、愚図伊三、お前に呉れでやる惣菜は、うちには無いよ!一昨日来やがれ。」

伊三郎「だから、俺が食うんじゃねぇ〜んだ。大変な客が来たから、お・も・て・な・し、なんだ!」

婆「そんな事は、知ったこちゃない。お前さんには二朱と百、ツケが貯まっているだ!ツケを払わない限り、うちの惣菜はお前さんには売らないからねぇ!アッチへお行き。」

伊三郎「そんなぁ〜、頼むよ婆さん。今日の分は現金で払うから、焼魚と煮物、飯と汁を付けて二人前で百二十払う。頼む!後生だ、婆さん。」

婆「判ったよ。今回だけたぞ愚図伊三。そして、ツケも払えよ。膳部に設てやるから、出前の料金込みで百二十に負けといてやる。」

伊三郎「出前持ちは?サブの野郎か?だったら、サブには出前に際して、ちょいとお願いがある。」

婆「何んだ?お願いって。」

伊三郎「一寸、言い出し難いのだが、そのぉ〜、俺を呼ぶ時は、『棟梁』とか『親方』と呼んで呉れ!頼む。」

婆「誰が棟梁なんだ?!愚図伊三の分際で。」

伊三郎「だから、今日だけで宜いんだ!、さっき言った大変な客の前だけで良いんだ。婆さん!お願いだ、宜しく頼む。」

婆「判った。サブの野郎には、今日だけ、棟梁と呼ばせるよ、直ぐに届けさせるから、待って居なぁ!!」

町内の煮売屋にて、そんなやり取りが在り、伊三郎は自らの見栄の為に、全財産の百二十文を叩いて、戸澤親子の昼食を用意致します。

伊三郎「お待たせしました。旦那!そして、お嬢様、時期に下男が膳部を届けに参ります由え、暫くお待ち下さい。」

三吾「伊三郎殿、余りお構い無く。私も、娘も、昼食など馳走になる程、お主とは深い縁は御座らぬ由え、返って恐縮致します。」

伊三郎「何を仰いますか、三吾様。貴方はアッシの命の恩人。昼食の膳をご馳走する位は、当たり前の事です。」

と、言っていると、煮売屋から出前持ちの三郎、通称・サブが、大きな岡持を下げて、長屋のドブ板を下駄を鳴らして現れます。

サブ「こんにちは。横丁の煮売屋で御座います。棟梁の愚図伊三親方は居ますか?!ご注文の膳を、持って参りました。」

伊三郎「馬鹿野郎、人を捕まえて、愚図伊三親方って言う奴が有るかぁ!!相撲部屋か?俺ん家は。伊三郎親方と呼べ!!」

サブ「伊三郎?そいつは、一体全体、誰だ?」

伊三郎「俺様だ!」

サブ「俺様って、お前は愚図伊三じゃねぇ〜かぁ。渾名か?その伊三郎とか言う名前は。」

伊三郎「馬鹿野郎、伊三郎が本当の名前だ!コン畜生。お前だって、サブが通り名で、三郎が本当の名前だろう?」

サブ「何んだ、俺のサブが、貴様の愚図伊三かぁ。でも、俺はサブ親方でも怒らないぞ!お前だって、通り名は愚図伊三じゃないかぁ。」

伊三郎「俺のは、伊三の前に余計な物が付いているから、マズいんだ!其れ位察しろ、間抜け、頓馬、おたんこ茄子。」

サブ「何んでも宜いから、膳部は置いて行くぞ!愚図伊三親方。明日、器と膳は取りに来るから、必ず、洗って返せ!判ったなぁ!棟梁。」

そう言うと、出前持ちのサブは、空の岡持を下げて、煮売屋へと戻って行った。もてなしに出された昼食、三吾とお登勢の親子は無碍に断るのは失礼なので頂戴する。

三吾「では、折角のもてなしなので、伊三郎殿、有り難く頂戴致す。お登勢、暖かいうちに頂こう。」

お登勢「ハイ、父上。伊三郎様、ご馳走になります。」

伊三郎「さぁ、大した馳走では御座いませんし、お口に合うか?江戸の料理を召し上がり下さい。」

伊三郎が、そう言って態々薦めるので、戸澤親子は、煮売屋の出前の、意外と立派に見える其の膳部を、少しずつ口にするのでした。

江戸庶民の家庭料理、備前生まれの二人には、少し塩辛くは感じたが、其れでも美味そうに頬張る二人に、安堵の伊三郎が話し掛けた。

伊三郎「さて、尋人の備前屋喜兵衛さんとは逢えず仕舞いとお聴きしましたが、之からお二人は如何致すお積もりですか?!」

三吾「其れには、ほとほと困り果てゝ娘とも相談したのですが、今更、備前岡山へ帰る訳にも行かず、江戸で備前屋喜兵衛を探したいのですが

伊三郎は、そう言って困った顔をする戸澤三吾と娘のお登勢を見るに付けて、非常に、可哀想には思うのですが、自分の長屋に置く訳には行きません。

伊三郎「困りましたねぇ、戸澤さん。私が今は事情が有ってこの長屋住まい。貴方達ご両人を引く受ける事が出来ない。困ったなぁ〜。

そうだ!!私に一人の叔父が御座います。叔父も、大工で旗本屋敷に出入りをする棟梁です。私の様に百人もの弟子は有りませんが、

五十人くらいの弟子が御座いまして、そこそこの世帯を構えているので、其の叔父に頼んで、貴方達親子の世話と、備前屋さんの捜索を頼んで見ましょう。」

三吾「エッ!本当ですか?忝い、伊三郎殿。」

伊三郎「任せて下さい。之も何かの縁で御座います。叔父に頼んでみます。」

と、伊三郎は、叔父、叔父と言っておりますが、実際は自身の棟梁、例の助五郎でして、この長屋に戸澤親子が来る前に、助五郎に会った事を、伊三郎は知らないのでした。

そして、そうこうしていると、同じく棟梁助五郎の兄弟弟子である長兵衛が、伊三郎の家に、血相を変えて駆け込んで参ります。

長兵衛「居るかぁ?!兄弟。」

伊三郎「誰だぁ?!」

長兵衛「俺様だ、長兵衛だ。」

伊三郎「何んだ!貴様かぁ、後にして呉れ!今、来客中で取り込んでるから。」

と、言うので、長兵衛が家ん中を覗くと、五十過ぎの初老の侍と、十七、八の若い娘が膳を前にして食事しているので、些か、驚いた表情になる。

長兵衛「兎に角、愚図伊三!!顔を貸して呉れ。噺が在るから、外に。」

伊三郎「判った!判った!一寸、待って呉れ、直ぐに行くから井戸端で、待って居て呉れ。」

そう言って、長兵衛を家から追い出すと、「自分所の若衆が、何やら急用で来たみたいだ!」と、苦しい言い訳をして伊三郎も跡を付いて外へ出る。

伊三郎「何んだ?何の用だ。」

長兵衛「何の用だじゃないぞ、兄弟。棟梁がカンカンに怒って居るんだ。直ぐ、借りた唐桟の羽織と茶色の単物を返しに来い!!

直ぐ返しますからと、借りて川崎に行ったきり、昨日返しに来ないから、親方、カンカンに怒ってらっしゃる。早く返しに行け!」

伊三郎「そうか、判った。直ぐ行くと棟梁に伝えて呉れ。あゝ、直ぐに行く、必ず、返しに行くからと親方には言って於いて呉れ。」

長兵衛「いいなぁ、直ぐ来いよ、親方、カンカンだからなぁ。愚図愚図するな!愚図伊三。」

そ言うと、兄弟弟子の長兵衛は帰って行った。さて、どうせ戸澤親子の面倒を頼みに行く積もりだった伊三郎は、家ん中の三吾とお登勢には、

「叔父に、早速、貴方達の事を頼みに行くから暫く留守にします。」と、言い含め汚い三畳の家に両人を残して、棟梁である助五郎の家を訪れた。


さて、伊三郎、木綿の単物に三尺帯を締めて、丸に助の字入りの印半纏を上から羽織りまして、下駄を突っ掛けると、

ナメクジ長屋を飛び出して、脱兎の如く駆け出すと、わざと、息を切らしながら、棟梁・助五郎の家へと漸く参ります。

伊三郎「親方!お呼びでしょうか?伊三郎に御座んす。」

助五郎「馬鹿野郎、愚図伊三!お呼びでしょうか?じゃねぇ〜、此のアンポン丹。貴様が、土下座して泣き付くから貸した唐桟の対、一体どうしたんだい?!」

伊三郎「其れは家に在るんですが、唐桟は直ぐにお持ちしますんで、其れはそうと、アッシが今日、参ったのには、実は棟梁に別件で、もう一つ頼みが御座いまして。」

助五郎「何をソワソワしてやがんだ!この野郎。頼みだ?サッサと言ってみろ。」

伊三郎「ハイ、実は備前岡山の元ご家中で、戸澤三吾様と仰るお武家様と、川崎大師の参詣の帰りに、六蔵の立場茶屋で知り合いまして、

十七、八の娘さん連れの其の戸澤様が、茶屋で雲助五人に囲まれて、タチの悪い客引きに合って居たから、見るに見かねまして、

その場は、このアッシが中に入って、其の悪い雲助ども散々に懲らしめて蹴散らし、戸澤様親子を助けて差し上げたんです。」

助五郎「エッ?!愚図伊三、貴様が一人でか?本当か?嘘だろう、余程、弱った雲助だなぁ〜そいつは、其れで?どうした。」

伊三郎「其れで一件落着かと思って『お前達みたいな屑野郎は、十人でも、二十人でも、束に成って掛かって来い!!』と、

捨て科白の積もりで啖呵切ったら、雲助達が、之を真に受けやがって、直ぐに茶屋へ二十人の仲間を連れて、御礼参りに来たんです。」

助五郎「其れで?どう成った。」

伊三郎「どうもこうも有りませんよ。茶屋ん中に居た俺の手を握ると、一人の親分格の雲助が、アッシを外に引き摺り出して、

七、八人係りで、殴る蹴るです。アッシは半殺しの目に合い、棟梁から借りた唐桟も、此の時に、泥塗れに成ったから直ぐには返せず仕舞いで

助五郎「おいおい、いい加減にしろよ!」

伊三郎「安心下さい、一寸汚れたダケです。井戸端で洗って今、家ん中に干して御座います。乾いたらお持ちしますから、大丈夫です。」

助五郎「本当かぁ〜、怪しいなぁ〜、で、頼みってのは何んだ?噺がまだ見えねぇぜぇ。」

伊三郎「其れで、アッシが半殺しに成るところを、刀を抜いて助けて下さったのが、先程言った戸澤の旦那なんですよ、親方!!

そして、之れからが、アッシのお願い何んですが、戸澤の旦那は、音羽の櫻木町に七年前まで住んでいたお身内で、備前屋喜兵衛と言う人を探しています。

併し、櫻木町に行ってみると、既に備前屋は無く、喜兵衛さんの消息が知れず、戸澤様は他に江戸にお知り合いは無く困っていらっしゃる。

其処で、本来ならアッシが戸澤様と娘のお登勢さんを家に居候させて、備前屋さんの行方を探してやりたいのは山々なんですが

棟梁もご存知の様に、アッシの甲斐性では、三畳一間のナメクジ長屋に住み、その家賃すら、五つも貯めている始末だから、到底無理。

其処で、棟梁!お願いと言うのは、棟梁に戸澤様親子の面倒を、私に代わってお願いしたいのです。可愛い弟子の我儘を!どうか、叶えて下さい。」

助五郎「誰が可愛い弟子だ!愚図伊三。貸した唐桟の対は台無しにしやがって、その二人、貴様の命の恩人と言う事で、雇主として預かればいいのか?!」

伊三郎「いえ、其れがそんなに単純な噺じゃなくて、実に申し上げ難い事情が有りまして、そのぉ〜、一昨日、川崎大師の帰りに出逢った際、

アッシは一寸ばかり見栄を張りまして、浅草の福井町で大工の棟梁をしていて、大名、旗本に顔が利いて、本所界隈には四、五十軒得意先が在り、

弟子や舎弟分を合わせると、百人からの手下を扱う大棟梁って事に成っているので、助五郎の親方は、アッシの叔父貴って事にしてあるんです。」

助五郎「誰が、大棟梁なんだ?!」

伊三郎「アッシです。」

助五郎「馬鹿を言え!誰が、大名旗本屋敷に出入りして顔が利くんだ!手下が百人から居る?浅草、福井町の棟梁だと?誰だって聴いて呆れるぞ。

嘘も大概にしなぁ!板平に鉋一つ満足に掛けられねぇ〜半人前の屑野郎の愚図伊三さんが、吹くだけ吹きやがったなぁ!山伏顔負けのホラ吹きだ。」

伊三郎「親方!申し訳無ぇ〜が、アッシのホラを信じて、戸澤様親子は藁をも掴む思いで、アッシを頼って来なすったんだ、

今更、嘘とは言えないもんで、どうか?親方、アッシの叔父貴と言う事で、二人の面倒をお願いします。必ず、頂く給金を年季にして返しますから!」

助五郎「仕方ないなぁ!もう、その武家の親子二人には話して有るのか?愚図伊三。」

伊三郎「ハイ、兎に角、給金の半年分を前借りって事で、二人をお頼み申します。取り敢えず、連れて来ますから宜しくお願いします。」

と、言い残すと、伊三郎は急いで我が家に戻り、帰りを待っていた戸澤三吾と娘のお登勢を連れて、助五郎親方の家を再び訪れます。

伊三郎「さて、叔父さん、叔父さん、此方が先程噺をした戸澤様とそのお嬢様です。私の命の恩人ですから、どうかこちらで面倒を見てやって下さい。」

助五郎「之は之は、初めまして。」

と、助五郎は言いかけて、二人の顔を見ると今朝、『伊三郎という棟梁を知りませんか?』と、尋ねて来た親子だと、直ぐに気付いた。

助五郎「どうも、今朝程は。さて、この弟子の愚図伊三の野郎が、六郷の立場では、命を助けて頂いたとか、本当にお世話様でした。」

伊三郎「なぁ、なぁ、何を言い出すんだ?叔父さん。弟子だなんて。」

助五郎「もう、猿芝居は宜い。このお武家様とは、今朝方、お前の長屋を尋ねて来られた時に逢っているんだ!お前は邪魔だ!ちょいと、席を外してろ、馬鹿野郎。」

伊三郎「何を言うんですか?叔父さん!!」

助五郎「オイ、野郎ども、愚図伊三の野郎をアッチに連れて行け!」

と、助五郎が次の間に声を掛けると、若衆が三、四人出て来て、「止めろ!気狂い、離せ!」と喚き散らすのにも構わず、何処かへ連れ去りました。

助五郎「さて、戸澤様と仰るそうですね?詳しい噺を、お伺いしましょう。あの愚図伊三の野郎とは、江戸に入る六郷の立場でお逢いに成ったとか?」

三吾「ハイ、左様で御座います。実は、長らく勤めた備前岡山藩の池田家から暇を出されて、今は、浪々の身の上なのです。

其れで、唯一の身内、舎弟の輿兵衛と言う者が江戸の音羽、櫻木町で備前屋喜兵衛という名前で商人をしているので、

其れを頼って、この娘のお登勢を連れて、遠路、江戸表にやって参ったのですが、舎弟が備前屋を始めたと知らせて来たのは七年も前、

音羽の櫻木町へ行って、備前屋喜兵衛を探してはみたものの、既に、転宅した後の様で、その行方は杳として知れません。」

助五郎「成る程、其れで困り果てゝ、愚図伊三の野郎を訪ねたと言う訳ですね。宜しい、判りました。アッシの弟子の命の恩人だ。

そして憚りながら、アッシも浅草では『福井町の親方』とか呼ばれている漢だ!取り敢えず、住む家が見付かるまで、この家で面倒を見ましょう。」

三吾「本当ですか?有難う御座います。もう、路銀などで有金は使い果たして、残り僅かだったので、本当に助かります。」


こうして、戸澤三吾と娘のお登勢は、浅草福井町の大工の棟梁、助五郎の世話になる事になり、十日ばかりは助五郎の家に居候をしていた。

そして、助五郎の世話で、同じ福井町町内で、長屋を借り受けて、親子二人で生活する様になるので御座います。

助五郎「三吾の旦那!いらっしゃいますか?」

三吾「之は、助五郎親分、この度は本当にお世話になり申した。貴殿には感謝しても、しきれません。」

助五郎「何ぁ〜に、困った時はお互い様です。うちに有った不要な茶箪笥と食器、布団、掃除道具、それにちゃぶ台なんぞを、若衆に運ばせましたが、之で何んとか?生活できそうですか?」

三吾「いやぁ〜、助かります。重ねて有難う御座います。娘も、喜んでおります。登勢!お前も、棟梁に御礼を言いなさい。」

お登勢「親方、本当に有難う御座います。この御恩は、一生忘れません。」

助五郎「そんな大袈裟です。うちの方だって、断捨離に成ったと、女房や住込の弟子は慶んでいた位です。ところで旦那、稼ぎの方はどうなさいますか?」

三吾「はい、『座して食らえば山も空し』と言う諺通りで、霞を食って生きる訳にも参りませんから、『売卜』なんぞして日銭を稼ぐ所存です。」

助五郎「旦那は、占いをなさいますか?!そいつは結構ですねぇ〜。江戸の人は、八卦見が大好きですから、流行るといい商売になる。

ヨシ、其れならば、アッシが旦那の使う八卦見の道具を、開店祝いじゃありませんが、一式、揃えて差し上げます。」

三吾「エッ!本当ですか?」

助五郎「勿論、お易い御用だ。」

と、助五郎は、戸澤三吾の『売卜』の為の易道具(算木、筮竹)を指物職人に拵えさせ、古道具屋からは手相見用の天眼鏡。

そして、路上占い用の折り畳み式、机と床几は、自らが木を切って削り、細かい細工も拵えて戸澤三吾の売卜稼業の準備を助けて呉れた。

こうして、最初は辻占いから始めた戸澤三吾の売卜稼業でしたが、本人の誠実さと、人相、手相、漢学易術etc、多角的な占いで、特に失物、尋人が見付かり、金運を言い当てると評判に成ります。

さて、辻に行列が出来る位に評判が立ったので、戸澤三吾、是は辻占いでは近所迷惑と成りますので、柳原土手に所場を借りまして、

今度はちゃんと代金を支払った上で、助五郎親方に、占い用の庵を建てゝ貰います。中はたった三畳の狭い空間ですが、辻占いとは大違いです。

ここへ、今度は朝から通いで占いをして、常連さん、ご贔屓さんも増えて参りましたので、予約を受けて、益々、商売は繁盛致します。

助五郎「戸澤の旦那!いらっしゃいますか?」

三吾「オー、之は之は、棟梁、宜く見えられました。オーイ、お登勢、助五郎親方がお見えだ、茶を入れて菓子を出しなさい。」

お登勢「ハイ、父上。畏まりました。」

助五郎「お嬢さん、お構いなく。さて、どうですか?柳原へ店を構えられて、もう、一月半に成りますが、ご商売は順調ですか?」

三吾「ハイ、お陰様で、お得様には辻占の頃より、秘密厳守で、ゆっくり接客できるから随分と好評ですし、見料も多少高く成りました。」

助五郎「そいつは良かった!ところで、尋人の備前屋喜兵衛さん、弟さんの方の行方は如何です?」

三吾「其れが、八卦見でありながら尋人が未だに、手掛かりすら判らぬままで、江戸は広いので、少し気長に探す所存です。」

助五郎「左様ですかぁ。アッシも、友人、知人、出入り先のお屋敷で、聴いてはみるものゝ、手掛かりは無くて残念です。」

三吾「お手数をお掛けし、有難う存じます。拙者なんぞより、顔の広い親方ですから、宜しく引き続きお願いします。」

こうして、戸澤三吾は『売卜』と言う意外な才能を発揮して、両国界隈では『戸澤先生』というと、一寸した有名な易者さんに成りつゝ有った。

そして、此の柳原土手に三吾が庵を構えて、娘のお登勢は、毎日一人で留守番をしていたのだが、是がなかなか困った問題が起きます。

其れは、あの愚図伊三の奴が、父・三吾の留守をいい事に、何かとちょっかいを掛けに、やって来ては家に上がり込み、迷惑千万な事です。

そこで、お登勢は父と一緒に、柳原土手の庵に付いて出る様になり、父の横で、助手とは申しませんが、接客から手伝い始めます。

すると、十七、八の若い美人の、礼儀正しく凛とした娘が接客してくれる様になると、若い一見の客が三吾の庵に徐々に増え始めます。

更に、お登勢は父の易を見ているうちに、見様見真似、門前の小僧で、人相、手相くらいは、半年ほど経つと見る事が出来る様になるのです。

最初は後ろに三吾が立って、お登勢の占いを監督しつゝ、客の対応を任せていたのが、徐々に、お登勢は一本立ちし、一人で易を見られる様に成ります。

こうなると、用事で三吾が外出中も、人相、手相、失物、尋人の占いは、お登勢にも十分務まる様になり、女易者、お登勢の評判は高まります。

そして、三畳の庵に二つの机が置かれる様になり、衝立で机同士を隔てながら、三吾とお登勢の二人が同時に、別々の客を見る様に成ります。

さぁ、こう成るとお登勢の手相占いは、絶大な人気を博し、いよいよ江戸市中に知れ渡り、向こう三ヶ月先まで予約が一杯に成る異常事態です。

そりゃそうです。美人の武家の娘で賢く凛とした十八の生娘が手を握って呉れるだけで、そりゃぁ〜、百文、二百文の銭は惜しまないのが江戸っ子です。

いやはや、このお登勢人気に、父・戸澤三吾は、商売繁盛は嬉しい反面、易者としてのプライドは傷が付き、又、娘の異常人気も心配です。


一方その頃、杉の市こと二代藪原検校は、南町奉行、大岡越前守忠相の肝入で、横山町の藪原検校の三万両からの身代をそっくり受け継ぎ、

京橋二丁目にある仙臺屋からは、彦次と言う番頭を横山町に呼び寄せて、二代藪原検校として、贅沢三昧、酒池肉林な生活をスタートさせた。

そして、次第に二代目としての商売が軌道に乗ると、お上には、実の叔父で後見人だと呼んでいる仙臺屋輿兵衛も、横山町の家に呼んで、

杉の市、彦次、そして仙臺屋輿兵衛の三人が連んで悪事を働き、贅沢三昧を始める様になり、完全にタガが外れて、増長三昧と成ります。

軈て、初代藪原検校が殺されて一年。一周忌も済む頃には、杉の市は酒は喰らう、盲人なのに賭場へ出入をする。そして、女郎買いにも目がない。

まぁ、盲人なだけに目が無いのは当たり前ですが、遂に、女に関しては、目が見えないにも関わらず、小町、美人が居ると聴くと、金を積み、

その女を囲う様になった二代藪原検校の杉の市。もう既に、金に明かして三人の外妾を囲って御座いまして、まだまだ、外妾が欲しいと貪欲です。

そしてそんな二代藪原検校邸には、検校の身の回りの世話、特に台所、家事一切を取り仕切る女中頭の、お虎という女が御座いまして、

このお虎が、中々、稀代の悪女と呼んでも差し支えなく、流石、悪党一味の所に女中奉公に上がるだけの事はある業突く張りで御座います。

そして、杉の市はお虎の酌で酒を呑む度に、

杉の市「まだ、外妾は四、五人欲しい。器量の良い評判の美人を紹介して呉れたら、婆さん、お前にも褒美をたんまり遣るぞ!」

と、申しますから、お虎は常にアンテナを張って、日頃から、江戸市中の美人情報、小町情報を仕入れているのです。

そんなお虎の情報網に、当然、戸澤三吾の娘、お登勢の噂も引っ掛かります。『柳原土手に、大層評判の美人占い師が居るらしい!』

この噂を仕入れたお虎は、早速、自身の足で柳原土手の庵に出向いて、その女占い師、お登勢の容姿と人柄を、二度三度実地見聞致します。

まず、容姿は全く問題なし!問題なしどころか、極上の美人で淑やかな上に凛としていて、武家の娘らしく利発で上品この上ない。

そして、父親は備前岡山の食い詰め浪人の様だから、銭さえ積めば娘は囲えるに違いないと、お虎は考えて、話す機会を伺っております。

或日いつもの様に、検校の酒の相手をしていた女中頭のお虎は、酌をしながら、最近江戸市中で評判の女易者の噂噺を切り出します。

お虎「検校様、最近、市中で噂の美人女易者の噺、ご存知ですか?」

杉の市「知らぬなぁ〜、何んだその女子は?」

お虎「いえねぇ、一年ばかり前から両国の柳原土手に、小さな小屋みたいな庵を構えて、売卜渡世を始めたご浪人が御座いました。

最初(ハナ)は、その五十過ぎのご浪人が、独りで、算木、筮竹を並べて、時には天眼鏡を覗いたりして易を立てゝ居たんですよぉ。

そしたら、暫くすると十七、八の美しい娘が、助手を始めて、半年程すると、この娘の方も人相、手相、失物などの占いをする様に成って。

そしたら、特に手相見が若い男性にすこぶる人気になり、今では三ヶ月先まで予約で一杯に成る程の大盛況!そんな占い小町が柳原に居るんですよ。」

杉の市「本当に、そんなに美人なのか?!」

お虎「そりゃぁ〜もう、妾(わたし)がこの目で、二度三度、品定して来ましたから間違いありません。武家の娘だけに美しさに品が御座います。」

杉の市「本当に、十七、八なのか?」

お虎「ハイ、しかも生娘です。」

杉の市「お虎、偽りではなかろうなぁ〜。儂がめくらなのを良い事に、騙したら承知せんからなぁ〜!」

お虎「検校様、正真正銘の色白美人で、細面。鼻は高からず低くからず、口はおちょぼで目は切れ長。武家の娘らしく貴賓が有り凛とした生娘です。」

杉の市「ヨシ、判った。オーイ!彦次、彦次は居るか?!」

彦次「ヘイ、お呼びですか?」

杉の市「実は、カクカクしかじか。お虎が柳原土手に、その様な美人が在ると言う。悪いが明日、本当にそんなに美しい娘なのか?確かめて来て欲しい。」

彦次「何んですか?又、女ですかぁ〜、好きだなぁ〜検校様は。そんなに沢山囲うと、赤い玉が出るそうですよ。其れで本当に居たら、どうします?」

杉の市「他から貰いが掛かり先を越されたら、後悔しても仕切れん。だから、お虎が言う通りの小町なら、直ぐに手付け金を渡して、囲って仕舞え!」

彦次「幾ら位で囲いますか?」

杉の市「そうだなぁ、備前岡山藩の食い詰め浪人だ。手付けに五十両、支度金に五十両、合計百両も払えば、父親は首を縦に振るだろう。

そして、月々のお手当は、弐拾両も払ってやれば御の字だから、明日中に、噺を纏めて来て呉れ。細かい事はお虎と相談して呉れ。」

彦次「判りました、検校様。早速、明日行って噺を付けて参ります。」

さて、そんな悪い噺が纏まりまして、色と欲が絡んだ噺になり、さて、続きはどうなりますか?次回のお楽しみで御座います。


つづく