大家の藤兵衛の計らいで、日本橋横山町二丁目に在る藪原検校の元へ弟子入りした、太吉は父の蕎麦やを手伝っていた時同様、

検校の元でも朝は誰よりも早く、薄暗いうちから起きて掃除を始め、風呂焚き、水汲みなど人の嫌がる仕事を率先して行います。

さぁ、藪原検校、この太吉を一月も手元に置いて見ると、陰日向無く働くし、何より感が良いので、之は縁が有ったと慶びます。

そして、丁度この時、検校の右腕とも言える内弟子、杉の市が一人立して去って二年半、検校は身の回りの世話係を求めて居た。

更に半年の見習い期間を、藪原検校付きで、身の回りの世話係を務めた太吉は、検校の覚えも愛でたく、杉の市の名を継ぎます。

尤も此の杉の市という名前は、検校の幼名でありまして、実に名誉な名前です。之により太吉改め杉の市は正式な内弟子となり、

昼夜問わず、常に藪原検校のお傍に付いて、修行の毎日を過ごす事と相成りました。当家には、此の様な内弟子が実に二十数人、

追々修行を積み、按摩、揉み療治、鍼灸と、其の出来る技により、各内弟子には序列というか、等級の様な物が与えられます。

喩えば按摩として外で働いた場合、貰える対価にも差が生じて来るし、贔屓を持つ高い等級の弟子は、名指しで仕事が貰います。

太吉の杉の市も、揉み療治の修行を、検校から手取り足取り習いまして、十歳で一文笛を吹いて、夜の街を流す様に成ります。

「お陰で今日は肩を三つ揉みました。」「今晩は五つご贔屓を廻りました!」と、杉の市も日に日に腕を上げて、稼ぎも増えます。

元来、利発な子供で、要領か良い杉の市は、まだ十二、三歳の時に、既に、十六、七歳の他の内弟子に負けない稼ぎを致します。

こうなると、番頭の佐平がまず頼りにしますし、何よりも藪原検校から贔屓にされて、杉の市でないとゝ、常に名指しされます。

更に、十七、八歳となると鍼の方も仕込まれて、修行に一層励むのですが、此の年頃から良い方の修行ばかりでなく悪い方も

此の年頃になると、杉の市も男ですから色気付いて参ります。療治に出ると、本当にご贔屓宅に泊まりの仕事も有るには有るが

「泊まりの揉み療治です。」と、嘘を申しまして、品川辺りの遊廓で女郎買いなど、平気でやる様になる杉の市。もう止まらない。

こうなると早いもので、酒の味を覚えるし、悪い仲間が出来て、仲間部屋に出入りしてはガラッポン!博打にも手を出す。

さぁ、呑む・打つ・買うの三道楽を始めますから、銭は幾ら有っても足らないし、身体も幾つ有っても足らない様に成ります。

健気で陰日向なく働いて居た奴が、或日突然、悪の道に足を踏み入れ、染まり出すと、是はタチが悪い。三道楽が止まらない。

まぁ、最初は療治の売上を誤魔化して、溜まった銭で遊んでいたしたが、もう毎日、遊廓と賭場を行き来して暮らしたい!!

こうなると、完全に破滅の道を真っしぐら!十九歳の時、遂に師匠、藪原検校の手文庫から二百両の金子を盗み、是が露見します。

そして、遂に藪原検校からは、破門が言い渡されて、横山町の内弟子寮からも追い出され、裸一貫で放り出される杉の市。

もう、こうなると悔い改める何んて事は有りません。毒を喰らわば皿までも、俺のたった一度の人生だから、太く短く生きてやる!

そう決心した太吉の杉の市は、江戸から飛び出して上方へと行き、一人前の盗賊に成ってやる!と、悪い誓いを立てゝ旅に出る。


さて、杉の市を破門にして追い出した藪原検校。二百両の金子を盗まれたとはいえ、そんな端銭で、身代が揺らぐ様な事は有りません。

横山町の藪原検校といえば、中々の身代でして、諸家旗本は謂うに及ばず、医師や商人でも、金子が要用な相手には融通します。

此の時代の座頭金というのは、今の高利貸しと同じで、元金を貸して利子を取る。かなり阿漕な利子だった様ですが、

何と言っても欲しい時に、サッと借りられる。面倒な審査、担保、手続き無用で、現代のキャッシング感覚だった様です。

併し、利息を払わないと、是が又、なかなか大変な取り立てゞ、兎に角相手の家に、払う迄五日でも十日でも座り込みをする。

大抵の場合は、根負けして利息を払うと言う塩梅です。さて、藪原検校の座頭金も、番頭の佐平がしっかりしていますから、

此の番頭の佐平の差配で、増やして貯めた身代が一万両。ですから、藪原検校の金萬ぶりは江戸市中に知れ渡っております。

検校「其れにしても番頭さん、飼い犬に手を噛まれたとは能く謂ったもんだねぇ〜。ッたく杉の市も困った奴だ。」

佐平「ハイ、私からも散々、検校様に謝りなさいと申しましたが、全く聞き入れません。改心して二百両返す料簡なら。」

検校「番頭さん!駄目だよ、あんな輩は。手文庫から二百両盗んで於いて、バレたら一寸借りただけだと吐(ぬか)しやがる。」

佐平「でも、療治の腕は天下一品で御座いますし、一晩で三両、五両を稼ぐ、杉山流の按摩、鍼の腕が有るんですから。」

検校「確かに、杉の市だけに、杉山流の奥義を教え仕込んでやったのに、恩を仇で返しおって、本当に思い出しても腹が立つ!」

佐平「あの杉山流の腕前なら、半年、イヤ三月真面目に働けば、二百両なんて返せるのに、惜しい事をしたと思います。」

検校「併し、杉の市は料簡が腐っておる。最後に何と謂いおった?京、大坂の見物に行って参りますだぞ!奴は目開きか?」

佐平「確かに、盲人に見物は出来ません。あんな奴じゃなかったのに、番頭の私が少し甘やかし過ぎましたかなぁ?」

検校「番頭さん、貴方ばかりのせいじゃない。儂も、杉の市には過度に期待をし甘やかして育てた。悔いても遅過ぎるがのぉ。」

そんな事を、藪原検校と番頭の佐平は噺ていますが、覆水盆に返らず!杉の市は、上方へ悪党修行へと旅立ちます。


さて、杉の市は取り敢えず、東海道の玄関口、品川へとフラッと出て、此処へ療治に出た際に知り合った寅蔵という遊人を訪ねます。

杉の市「ヤイ、寅さん居るかい?!」

寅蔵「何んだ、杉さんか、人を寅さんだなんて、渥美清みたいに呼ぶなよ。」

杉の市「汝こそ、杉さんだなんて、杉良太郎みたいに呼ぶなよ。」

寅蔵「其れで、何の用だい。」

杉の市「あゝ、とうとう師匠に破門されちまって、横山町を追い出された。」

寅蔵「おぉ〜、遂に引導渡されたか。まぁ、汝みたいな黄道者は、何時かはそうなると思って居たよ。其れで、どうする?」

杉の市「どうするも、こうするもない。お前に預けたあの金子で、暫く俺を養って呉れ。」

と、藪原検校の手文庫から盗んだ二百両。そっくり、此の寅蔵に預けておりまして、杉の市は寅蔵の家に居候を決め込んで、

此処から遊廓へ女郎買い、賭場へとガラッポンして、遊びながら面白可笑しく、二百両の金子を取り崩して一月が過ぎます。

寅蔵「オイ、杉さん、汝さんどうする?」

杉の市「どうする、どうするッて、お前は女義太夫の追っ掛けか?!」

寅蔵「いや、汝が持って来た二百両が、もう、バレて一文も無ぇ〜から聴いてんだ。どうする?」

杉の市「そうかい、二百両がバレたかぁ。ヨシ、ここらが潮時だ。さて、寅さん。俺に一両貸して呉れないか?」

寅蔵「まぁ、一両位なら貸すけど、何を始める積りだ?」

杉の市「一両は路銀だ。之から東海道を上方へ向かって、療治しながら旅をするんだ。」

寅蔵「遂に、江戸を出るのか?!」

杉の市「そうだ。上方で出世して帰るから、一両貸して呉れ。礼は江戸に帰ったらたっぷりする。」

寅蔵「じゃぁ〜仕方ない、一両貸してやる。でも、あんまり無茶は行けないよ。」

杉の市「あゝ、分かっているさぁ。無茶はしねぇ。」

さぁ、寅蔵から借りた一両を懐中に、使い慣れない杖を担いで、杉の市は遂に江戸を出発し、東海道を京へ上ります。

品川を背に、フラッカ!フラッカ!進みますと、もう此処は六郷の渡し、対岸は川崎で御座います。正に船が出る所で、

杉の市「オーイ、オーイ、船頭さん!待って呉れ。もう一人乗る。」

船頭「オヤ、座頭さん、やって来たね。危ない、危ない、左だ!左に寄りなぁ。そう、其の先は、真っ直ぐ進んで。

そして踏板を踏み外しちゃいけないよ、河に落ちるから、危ない!もっと右だ。そう其れが踏板。誰か手を貸してやって

と、謂いながら、何んとか船ん中へ、ぴょんと飛び乗りまして、漸く、船は六郷を出て、対岸の川崎へと漕ぎ出します。

船頭「オイ、座頭さん。アンタ飛んでもない御人だねぇ〜、命要らないの?」

杉の市「でも、ちゃんと乗ったじゃないか、で、船頭さん、船賃は幾ら?」

船頭「ハイ、六文だ。」

杉の市「六文かぁ。三途の川も多摩川も渡し賃は一緒かぁ〜。船頭さん、悪いが六文は借りだ。今一文無しだから、

下りてから、川崎宿で療治をして、お足を貰ったら必ず払いますから、宜しくお願いします。必ず払うからねぇ。」

六文ばかりの銭をツケにする杉の市の野方途さには、船頭も呆れて返って仕舞います。さぁ、この杉の市を見ている男が在る。

舳先の方に乗ります年齢は四十格好の其の男、手織木綿のお納戸半合羽に、浅黄のパッチに紺の徹甲脚絆に紺の足袋の草鞋履き。

背中には、唐草模様の風呂敷で、大きな荷物を背負って居るという、誰が見ても行商人と分かる格好をしております。

商人「座頭さん、座頭さん?」

杉の市「何んたい?」

商人「汝、何処の御人だい?」

杉の市「江戸っ子だ。」

商人「何処へ行きなさる?」

杉の市「俺か?上方見物に行こうと思う。」

商人「こりゃ又、けったいな事を。座頭さんが見物ですか?」

杉の市「知れた事を、盲人は出歩いてはならぬ法はあるまい!」

商人「法の噺じゃありません、見物をすると仰るから

杉の市「盲人が見物して何が悪い。知らぬ土地を見て廻るから見物だ!」

商人「見えるんですかい?」

杉の市「あゝ、見えるとも。」

商人「じゃぁ〜、汝は盲人じゃない。目開きだ。」

杉の市「可笑しな事を謂う輩だなぁ、汝は。俺の顔をよーく見ろ。目が開いているか?」

商人「けれども、汝さんが見えると謂うから

杉の市「見えるから見えると謂ったまでだ。ただし、肉眼じゃないぞ、なまじ肉眼なんぞで見るから本質を見逃すんだ。

俺達、盲人は肉眼は使えないが、心で見る事が出来るんだ。心眼を開いて見るから、本質を見誤らない、分かるかい?」

商人「上手い事を謂いなさる。之は一本取られたなぁ。其れで江戸はどちらの生まれですか?」

杉の市「日本橋横山町だ。藪原の家に居た。」

商人「成る程、藪原検校のお弟子さん。通りで賢い訳だ。でもね、東海道五十三次を上ろうってんだから大変ですよ。

目開きが旅しても、追い剥ぎ、護摩の灰、道中色んな危険が在る東海道だ。止めるなら今のうちだよ、盲人には危険過ぎる。」

杉の市「さて、ご忠告は大いに有難い事ですが、一旦漢が、こうしようと決めたからには、もう、後戻りは出来ません。

実は私、師匠の持ち金を、大枚二百両も盗んでバレて破門に成った身です。だから上方で一旗揚げねばならんのです。」

商人「アンタ、酷い事を謂うなぁ。其れでも汝は盲人だ、一人旅は危険だから、俺も行先は京だから一緒に連れて行こうか?」

杉の市「成る程、其れは結構な噺だ。ヨシ、俺が京へ案内してやろう。」

商人「巫山戯るな!盲人。目開きが盲人に案内されてたまるか!」

杉の市「まぁまぁ、洒落だ。宜いではないか、旅は道連れ、道中一緒に行けは按摩はタダだ。代わりに酒と博打と女を奢れ!」

商人「酷い座頭も在るもんだ?!」

商人風の此の男だけでなく、是を聴いた六郷の渡し船に乗合せた全員が、何んて酷い座頭だ!と、呆れ返っておりました。

さて、此の商人。品川では親分とか貸元とか呼ばれている香具師でして、今回は京から太夫を呼び水芸の興行を考えております。

そんな香具師の勘次が、京まで杉の市の道連れに成って呉れると、噺が纏まり、船が漸く、川崎宿へと到着致します。


一同船を降りて丘へ上がりますと、「俺が案内してやろう!」と謂うだけあって、杉の市は杖を担いで、さっさと我先に進みます。

勘次「オイ!汝さん、杖は使わないのか?」

杉の市「なまじ杖に頼ると怪我するから、使わない。まぁ盲人の印だから持ってはいるがなぁ。」

勘次「オイ、危ないッて。そんなに、ズンズン前に行くな!ぶつかるぞ。右だ!右。」

杉の市「何を謂いやがる。騙されないぞ、右とか謂って、俺をハメる気だなぁ?柳の木にぶつける気だろう?」

勘次「違うよ!なぜ、俺が汝をハメるんだ。そのままだと、松の大木に当たるから、右に避けろって!右!」

と、謂っても、杉の市は聴き入れず、真っ直ぐ進みますから、おデコを思いッ切り松の大木にぶつけて倒れます。

杉の市「痛てッ!!」 

勘次「其れ見ろ、折角、人が親切で教えているのに、信用しないから、痛い目を見る。汝の天邪鬼が災いしたなぁ。」

杉の市「馬鹿を謂え!松の木は分かって居た。


松の木ばかりが マツじゃない

時計を見ながら ただひとり

今か今かと 気をもんで

あなた待つのも マツのうち


好き好き好きよ みんな好き

あなたのすること みんな好き

好きでないのは ただ一つ

かげでかくれて する浮気


嫌 嫌 嫌よと 首をふる

ほんとに嫌かと 思ったら

嫌よ嫌にも 裏がある

捨てちゃ嫌よと すがりつく


うそうそうそよ みんなうそ

あなたの言うこと みんなうそ

うそでないのは ただ一つ

あの日別れの サヨウナラ


恋にもいろいろ ありまして

ヒゴイにマゴイは 池の鯉

今夜来てねと 甘えても

金もって来いでは 恋じゃない


だめだめだめよと いったけど

気になるあなたの 顔の色

出したその手を ひっこめて

帰りゃせぬかと 気にかかる」


勘次「負け惜しみの體で、松の木小唄で誤魔化すな!三遊亭天どん師匠の出囃子だぞ。」

杉の市「巫山戯るな!」

勘次「巫山戯けているのは、お前だ!さて、汝、名は何という?」

杉の市「人に名前を尋ねる時は、まず、自分から名乗るのが礼儀だ。」

勘次「品川で香具師をしている、勘次ってモンだ。」

杉の市「何んだ香具師(ヤシ)?ココナッツミルク売りか?」

勘次「両国や浅草奥山で見た事ないか?イタチとか、蛇女とかの見世物小屋。あの見世物小屋の興行主が、香具師だ。」

杉の市「成る程、詐欺師の事だなぁ。」

勘次「で、汝の名前は?」

杉の市「俺は、杉の市という按摩だ。幸いにも一緒になったからは、京に案内してやる。」

勘次「頭にタンコブ造っても、まだ、謂ってるのか?!」

そんな漫才の様なやり取りを繰り返して、二人は川崎宿から藤澤宿まで来て、此処に一泊致します。翌日は小田原泊まりで、

三日目は、まだ暗い夜八ツ半過ぎに宿を立ち、真っ暗な箱根の山を登ります。険しい上り坂を元気に先頭を行く杉の市。

勘次「杉の市、此処は勝手に行って一歩間違うと谷底に落ちて死ぬぞ!俺の謂う忠告は必ず聴いて呉れ。兎に角、右だ。」

杉の市「判っている。左には澤が流れている様だなぁ?!」

勘次「凄いなぁ、判るのか?谷川が流れている。」

杉の市「此の川は余り水量は無い、浅い川だ。」

勘次「そんな事も判るのか?!」

杉の市「判るさぁ、澤の流れる音で判る。併し、この位置から水際までなら、三間程離れて居るだろう?」

勘次「上手く当てやがる!汝の謂う通りだ。随分と登りは辛いなぁ。」

杉の市「空気が薄い。鼻の穴が沢山欲しいぜ!」

喋りながら疲れを誤魔化し、誤魔化し箱根の山を登りまして、もう少しで下りに掛かる手前、今畑村辺りで、突然の大雨です。

杉の市「こりゃあ困った。足元が泥濘む。」

勘次「幸い、其の先に小屋が在る、アレに這入って雨宿りしよう。」


さて、元は茶屋だった様子の荒ら家が箱根の山頂に近い此の場所に御座いましたから、勘次に手を引かれて、杉の市も小屋に入ります。

勘次「誰か居ますか?旅の者です。」

と、声を掛けて見ましたが、中には誰も人気は無く、葦簾や番台、そして茶屋の幟などが仕舞われて居ます。

勘次「杉の市、誰も居ない空き家の様だぜ。」

杉の市「酷いずぶ濡れだ。」

勘次「茶屋の跡らしいから、囲炉裏は無いんだ。焚火が出来るような場所がない。」

杉の市「分かった、我慢するよ。」

そう謂っていると、雨は更に降りが激しくなり、何度も雷鳴が轟いて、山特有の稲妻が真横に走り始めます。

地上での雷はピカッと来て、ゴロゴロまでのディレイ、タイムラグが有りますが、山の雷はピカッと来たら直ぐにゴロゴロが始まります。

勘次「あゝ、杉の市。俺は、恐い物なんて世の中には、何んにも無いんだが。唯一、此の雷だけは恐い。早く止んで呉れ!」

杉の市「どうした?香具師の親分が、雷ごときに怯えてちゃいけないぜ。俺は盲人だから、ピカッとする方は感じない。

ゴロゴロだけが雷なんだが、ピカッはそんなに恐いかい?香具師の親分。だらしないなぁ〜、雷ぐらいでそんなに怯えて。」

勘次「盲人には判らないさぁ、雷の恐さは。桑原、桑原。桑原、桑原。」

さぁ、繰り返し起きる雷鳴に、勘次は顔色が真っ青になり、ブルブル震えております。そして、更に雷鳴は爆音を上げますから、

勘次と杉の市は、此のボロ小屋の真ん中に集まり、万一、小屋に雷が落ちても、被害に遭わない様に備えます。

杉の市「勘次さん!どうやら、雷は此の小屋目掛けて落ちて来る算段だなぁ?」

勘次「な、な、何を謂うんだ、縁起でもない。桑原、桑原。」

杉の市「でも、そうだろう。雷鳴が近付いているのは確かだ。俺には音で判る。」

勘次「厭な事を、いちいち謂わないで呉れ!杉の市。」

杉の市「だって本当だから、仕方ない。でも、物は考えようだぞ、香具師の親分。雷は信州辺りに沢山住んで居て、

天に雷は雲に乗って上り、虎皮の褌を締めて、ピカッ!ゴロゴロと一緒に、地上に下り立って暴れ廻るらしい。

だかは勘次さん!若し、この小屋に雷が落ちて来たら、生捕にして見世物を出そうじゃないか。そしたら大儲け間違い無しだぞ。」

勘次「何を馬鹿な事を。俺は小屋に雷が落ちたら、肝を潰して生きちゃ居ないよ。桑原、桑原。」


ピカッ!ゴロゴロ、ガラガラ、ドッカン!!


そして、そんな噺をしていると、本当に小屋から僅か七、八間先に、大きな雷が落ちて、杉の大木が折れる音まで聴こえます。

すると、さっきまでは、ガタガタ震える様な音と気配を出して居た勘次が、全く気配無く、声も出さずに、静かに成ります。

杉の市「勘次さん!大丈夫か?どうした、何か、雷が当たったのか?」

杉の市が、何度か声を掛けてやりますが、勘次からの反応は有りません。雨はまだ、止む気配は無く降り続いています。

杉の市「勘次さん、何処に居るんだ?お願いだ、何か声を出して呉れ?!」

勘次「うぅ〜、ここだ。」

正に、虫の息。微かな声を勘次が漸く発したので杉の市は、勘次の方に近付いて、手を握り、ゆっくり噺掛けた。

杉の市「突然、どうしたんですか?勘次さん。」

勘次「面目無ぇ〜。余りに恐くて気絶した。そして、持病が出た。悪い病なんだ。下腹、みぞおちに堅い痼が在るんだ。」

杉の市「どれ、診せてご覧なさい。」

そう謂うと、杉の市は勘次の浅黄の股引を下ろして、勘次の下腹に手を当てると、確かに、コリコリ堅い痼が有ります。

そして此の時、勘次がしている胴巻にも触る事になり、勘次の胴巻に入れている所持金が、間違いなく二百両以上だと判ります。

道中、寅蔵から借りた一両じゃぁ、流石に心細い所だったが、この胴巻の金子が有れば、俺の旅は安泰だ。ヨシ、盗んでやろう。

杉の市「之は酷い。何時から此の痼は出来たんだい?」

勘次「あゝ、三十前だから、もう、十年に成る。雷が鳴るとシクシク痛むんだ。疝気かなぁ?」

杉の市「雷との因果は判らんが、兎に角、療治をしてやる。此の痼を取らないと、旅は無理だぞ。」

勘次「済まない、杉の市。」

そう謂うと、親切ごかしに療治するフリをして、杉の市は勘次を殺して、胴巻ん中の金子を奪う算段を考えています。

杉の市「どうだい?勘次さん。少しは楽に成ったかい?」

勘次「あゝ、一寸前に比べたら、楽に成った気がするぜ。」

杉の市「もう少し、揉んで身体が動かせる様に成ったら、鍼を打ってやるから。もう少し揉み療治をしよう。」

そう言葉巧みに騙しに掛けて、仕掛人の梅庵さんの様に、鍼を背中からみぞおちにブチ込んで、殺して仕舞おうと考えます。

杉の市「さぁ、大分楽に成っただろう?勘次さん、身体は動かせますか?」

勘次「ウン、大丈夫だ。動く様に成った。」

杉の市「それじゃぁ、うつ伏せに寝て、背中を出して下さい。」

勘次「ハイ、了解。」

こうして、背中を見せて、勘次がうつ伏せに寝ると、杉の市は商売道具の鍼を取り出し、一番長い六寸の鍼を取り出します。

そして背中脇腹付近、下腹の真裏から、急所を目掛け狙い定めブスり!と、一突きしますと、短くウッ!と謂って即死です。

杉の市「勘次さん!香具師の親分、あんまり簡単に他人を信じちゃいけませんよ、京じゃなく、三途の川へ案内されますから。」

そんな事を謂いながら、杉の市は、勘次の死体から胴巻を外して、二百両以上の金子を奪い、胴巻を自分の腰に巻き付けます。

そして、雨が止むのをジッと小屋ん中で待ちまして、一刻近く勘次の死体と一緒に居て、漸く外に出て道中を再開します。

慎重に、杖を頼りに山肌と谷の澤とを見極めて、山肌側に『先ずは之で占め!占め!』と、心ん中で唱えて、

右手に杖、左手は胴巻の金子を触りながら、一歩二歩と、山肌を頼りに進んでおりますと、後ろの方から声が致します。


「オーイ!奴盲人(どめくら)」


流石の杉の市も、此の背後から呼び止めて来る、此の男が何者か?戦々恐々しながら、立ち止まります。敵か?味方か?

座頭さん?と、呼び止められたなら、こんなに不安にはなりません。奴盲人!ですからね。さて、続きは次回のお楽しみ。


つづく