忍の行田という土地は、大変、七月のお盆の踊りが盛んでありまして、素より其の当日は、城下の町人、堅気の家の娘っ子や下女、
大家の若旦那、下男迄もが踊り出して、僅か、三日ばかりの間では御座いますが、人々は踊りに熱気致します。
そして、若者の中には仮装を楽しむ踊り手があり、お化けや幽霊、お岩さん、河童、落武者、赤穂義士。そして男が女装、女は男装で踊ります。
随分と奇抜な出立ちで踊る者現れて、是を見物に忍藩御家中の方々も此の盆踊り見物に繰り出して参ります。今年はどんな趣向が見られるか?
兼ねてより魁ノ六之助は、加島屋の下女お虎と示し合わせて、此の盆踊りを利用して、観音丹次と忍小町のお花を逢わせる計画です。
そんな七月十六日の夜.酉の下刻、辺りが暮れ始めた時刻、一家を率いる大親分の小天狗小次郎、舎弟分で若親分の観音丹次、
そして、子分衆からは魁ノ六之助、大目ノ敬次、獄門ノ太助の都合五人で、此の盆踊り見物に出掛ける運びと相成りました。
さて、一同が盆踊り会場となる利根川支流の河原へ出て参りますと、何はさて、多くの若い男女の踊り手が出ておりまして、
会場には、鐘や笛、太鼓を入れて、ドンドン・チキチン・ピィ〜ヒャララと大きな櫓囃子の音楽に合わせて、踊りの輪が出来ていました。
小次郎「どうだい兄弟、この行田の盆踊りは?」
丹次「凄い活気、熱気、イワキって感じです驚きました。此の趣向の為に、一年掛けて準備したのが伝わります。」
六之助「其れだけじゃ有りませんよ。踊り狂う女子を、ホラ!見て下さい。男が拐う様に、抱えて連れ去るんです。」
丹次「確かに、町人も家中の侍も、踊り狂う女子を、米俵の様に引ッ担いで何処かへ消えて行くなぁ〜、凄い騒ぎだ!」
小次郎「どうだい丹次!お前も拐ってみるかい!向こうの林ん中は正に酒池肉林だよ。」
丹次「いやぁ〜、親分、遠慮して於きます。」
と、この乱痴気騒ぎの盆踊りに、呆気に取られた觀音丹次であった。
六之助「さて、そろそろ、何処かで一杯やりませんか?親分。」
小次郎「其れじゃぁ〜好かろう、魚久へ行って飲もうじゃねぇ〜かぁ。」
と、小天狗小天狗が言うと、大目ノ敬次、獄門ノ太助と言った子分も賛成し、五人は河原の盆踊り会場から、堤を通って街場へと、
フラッカ!フラッカ!歩きまして、大きな料亭『魚久』を目指します。魚久は大紋日とあって、沢山の提灯で飾り立て不夜城の如き明るさ、
客引きの若衆が捻り鉢巻に『魚久』と襟取りした肉襦袢を来て、下半身は下帯一丁で高い下駄を白足袋に履いて御座います。
客引「此れは行田の貸元!五人様でッ。どーぞ、寄って行って下さいまし。」
六之助「オー!兄ちゃん、上がるから!五人だ、頼む。」
客引「ハーイ、喜んでぇ!お後、五名様ご案内ぃ〜!」
と、客引きの若衆は、小天狗小次郎の一行を景気良く、店の玄関から上がり場の土間へと案内すると、女中が現れて足を濯ぎ、五人を手際宜く座敷へ案内した。
其処は唐紙を全て取り払い、境界の仕切りには低い衝立が置かれ、家中の侍、百姓、町人がざこばの様に並べられて、酒を呑んでいた。
小天狗小次郎達も、二十五畳か三十畳はある、其の駄々っ広い座敷に通されて、隅の一角に三畳ばかりの区画に膳部が置かれ車座に座った。
此の広い空間が、もう八割か?そこらは畳が埋まり、三十四、五人は客が座っている。しかも、半数以上は家中の侍なのだった。
小次郎「芋を洗う様だなぁ〜。」
六之助「二階の個室を予約しておくんでしたねぇ〜親分。」
敬次「そうですよ魁の兄貴、このチンケな膳で酒を三、四合も呑むと、一分は取られますからねぇ〜。」
太助「其れにしても、この膳は酷いなぁ。鯵の冷たく堅い塩焼きが尾頭で、豆と南瓜の煮〆、蒲鉾が二切れの板ワサ、其れに萎びた沢庵。」
小次郎「大紋日だから、我慢しなよ皆んな。さぁ〜気を取り直して飲もう。」
丹次「親分、一寸嫌な予感がしませんか?」
小次郎「何んだ?丹次。嫌な予感って。」
丹次「いやぁ、ねぇ。花見の一件の家中の侍三人組に、出会いそうなぁ、気がしませんか?」
小次郎「いやぁ、もう四ヶ月も前の噺だぞ?丹次。そんなに執念深いのなら、既に、俺の屋敷にカチ込み掛けないか?」
丹次「いやぁ〜、正面からカチ込む勇気は無いが、此処みたいな場所で、他勢に無勢な場面になると、内弁慶が暴れる事も有りますよ。」
小次郎「そんなもんかなぁ?」
と、小次郎と丹次が話していると、酒が運ばれて来て、小天狗小次郎一行の五人は、酒を酌み交わし、今見た盆踊りの噺に花が咲いていた。
すると、其処へ一人の女性が、魚久の女中に連れられてやって参ります。そう!加島屋の下女、お虎です。
お虎「親分方へ申し上げますが、此の春の徳大寺境内でお助け頂いた件には、改めてお礼を申し上げます。
誠に有難う御座いました。妾(わたし)は、あの時助けて頂いた、加島屋の下女で、お虎と申します。」
小天狗小次郎は、そう呼び掛けられて、其の女の方を向いて答えた。
小次郎「おう、あの時の御女中でしたか、さて、何か御用ですかなぁ?!」
お虎「ハイ、誠に恐れ入りまして御座いますが、観音の親分さんに、是非、ちょいと顔を貸して頂きとう存じます。」
さぁ、観音丹次は是を聴きまして、こいつがあの梅川で魁ノ六之助をたぶらかした不埒な下女か?っと、睨み付けて言葉を返します。
丹次「さては?この間の付文の続きか?!、用が有るなら構わぬ、この場で言って呉れ。」
お虎「恐れ入ります。此の場で申し上げるのは、一寸憚られます由え、どうかお顔を貸して下さい。お願い致します。」
丹次「駄目だ!駄目だ!駄目でぇ〜。こうして兄貴と一杯やっている最中だぁ。兄貴の前で出来ない噺にゃぁ、付き合えねぇ〜ぜぇ。」
お虎「イヤッ、一寸左様な事は仰らずに、是非、顔を貸して下さい。私の主人の命に関わる事なので、大してお手間は取らせません。
どうしても、貴方が厭な気持ちになるのなら、其れを曲げて呉れとは言いません。ただし、直接、お嬢様に逢った上で、其れを伝えて下さい。
此の事は、主人の藤右衛門に許しを得た上で、此の様な夜分に女二人で、此の様な場所へ出向いて御座います。
どうかぁ、其の様な事情を踏まえて、観音の親分さん!私共のお嬢様に逢って頂き、直接、お噺をして下さい。宜しくお願いします。」
丹次「駄目だ。どうしてもお嬢様が、アッシと話がしたいと言うなら、此処へ来て噺をしたら宜かろう?そうでないなら、俺は聴かない。」
余りに頑なで、魁ノ六之助が、何時ぞや碁の後に来て噺をした時と丹次が同じだから、小天狗小次郎が助け舟を出してやった。
小次郎「オイオイ丹次。」
丹次「何んだい、兄ぃ?!」
小次郎「お前みたいに、そう素気なく言うもんじゃないぜぇ。相手の噺位は聴いてやんねぇ〜。若い娘さんだ、此の大部屋では可哀想だ。
女の口から恥を偲んで告白したいと仰るお嬢さんの気持ちも、少しは汲んでやんなぁ。まぁ、一辺行って噺を聴いてやんなぁ。」
丹次「厄介な噺だなぁ〜。」
っと、まだ、グズグズ言っている観音丹次に、子分三人も、是を聴きまして、口を挟みます。
六之助「折角、忍小町のお花さんが、若親分を名指しで来られているんだから、丹次さん!貴方がアッシに謂ったでしょう。据え膳食わぬは男の恥!ですよ。」
敬次「兎に角、逢った上で、互いに得心するまで話したらどうですか?若親分。」
太助「そうですよ、若親分!口で謂う程、余り厄介な事じゃ有りませんッて。案ずるより産むが易しですよ。」
丹次「何を、お前達まで、詰まらない事を。」
小次郎「まぁ、そう謂うなぁ。子分達も、そう云って呉れてるんだ!意地を張らず行って来い。」
丹次「判りました。行きますよ。でぇ、お虎さんとやら、お嬢さんは一体全体、何処なんですか?」
お虎「へぇ、二階で御座います。ご案内します。」
と、言ってお虎が先に立ち、丹次を案内する。
丹次「じゃぁ、兄貴。一寸行って来るよ。」
小次郎「あゝ、ゆっくり行ってきな。」
こうして、丹次は梯子を上がり二階のお花が待つ座敷へと向かうのであった。
二階へ上がると長い廊下が見えて、お虎の跡に丹次は従った。そして、一番ドン突きの部屋でお花は待っていた。
少し堅く建て付けの宜くない唐紙を、ギシギシいわせながらお虎が開くと、その奥に俯き加減のお花が座っている。
お虎「お嬢様!観音の親分さんをお連れしました。」
そう云って六畳程の個室に案内された観音丹次は、お虎に促されて中に入り、お花と差し向かいの席に座るのだった。
そして、お虎は唐紙を再び、ギシギシ音をさせて閉め、お花の後ろ脇の、やや離れた位置に座るのであった。
お虎「親分、先ずは一献。お口を湿らせて下さい。」
丹次「ハイ、頂戴しますが、先に噺を聴かせて頂けませんか?」
お虎「誠に、態々足を運んで下さり、有難う御座います。実の所は此の間、魁ノ六之助さんに頼んで、主人、お花お嬢様の想いを認めた、
お便りを貴方様にお渡しする積もりでしたが、何分開封なさらず、手にも取って頂けぬまま返されましたに依って、
一度は全てを諦める様に、妾はお嬢様にご意見を致したのですが、一旦女が命を掛けて想いを伝えんとした事です。
つまり、恥を偲んでの想いを伝えんとしたのに、結局、貴方に嫌われて終わるのなら、お嬢様は、何んで存命(いき)て居る甲斐が無いと仰り、
衝動的に短気を起こし、良からぬ事をなさろうと致しますから、まぁまぁと妾が揚々に宥めまして置いたので御座います。
左様な訳で御座いますから、一途なお嬢様を大変に不憫と感じた妾より申し上げるのですが、ご迷惑とは存じますが、親分!
どうか、妾のご主人、お花お嬢様の願いを何卒叶えては頂けないでしょうか?宜しくお願い申します。」
丹次「いけません、いけませんよ。よーく、考えてご覧なさい。私とお花さんとでは、釣り合いません。身分が全く違う。
此の忍の行田で、加島屋といえば城下で、一、二の金萬家の豪商です。観音ノ丹次という奴は、金萬家の娘を騙して、婿養子に収まろうと、
そんな詰まらぬ根性の卑しい野郎に違いないと、世間様から後ろ指をさされるのは、俺は御免だし、兄貴分の小天狗小次郎に申し訳が立たない。」
お虎「其れでは親分、どんなにお頼み申しても、ご承知頂けませんか?素気無いばかりが、親分の本意ではありますまい。
少しは、慈悲の心で、お嬢様の気持ちを汲んでからに、接しては頂けないでしょうか?どうしても、お嬢様の願いを叶えて頂けませんか?」
丹次「いけないと謂うモンは、どう仕様もない。道理に叶わぬ物は仕方ないんだ。汝(あなた)も、加島屋のご主人に対して、
私とお嬢様の仲を取り持つ事が、正しい道理、奉公道だとお思いでなさっての事なのか?今一度、頭を冷やして考え治して下さい。」
お虎「其れは貴方が心配なさるには及びません。主人の藤右衛門からは、お嬢様の願いを第一にと仰せ遣って御座いまする。」
丹次「其れは、加島屋さんの想い、ご都合だけの噺です。私には私の大望が有り、父の仇を探して之を討ち。又、真の親を探すという願いも有ります。
つまり、今は色恋に現を抜かしている場合ではないのです。この忍の行田にも、長くは留まれぬ身の上と、私の事は諦めて欲しいのです。
孔子の言葉に『男女七歳にして席を同じゅうせず』と言うのが有ります、長居は無用と存じます。では之にて御免被ります。」
そう謂うと観音丹次は、スッと立ち上がり、畳の上に置いた刀を腰に差し、実に素気なく其の場を立ち去ろうと致します。
一方、先程より口を閉じたまんま、丹次とお虎の遣り取りをジッと見て、涙目に成り下を俯いていたお花が初めて言葉を発します。
お花「あゝ、親分さん!一寸お待ち下さい。」
と、お花は声を掛けて丹次の袂を掴みます。掴まれた丹次は、オヤッと思って振り返る其の時、丹次の腰に差した刀を、お花が急に曳き抜き、そして其の刀で自害せんとするのです。
丹次「止めろ!何んて馬鹿な真似をするんだ、お花さん。」
驚いた観音丹次は、直ぐにお花から、刀を奪い返そうと致しますが、お花は必死に抵抗するのです。
お花「どうぞ死なせて下さいませぇ。女の口から此の様な恥ずかしい事を申し上げまして、之程迄にお願いしても叶わぬならば、
貴方にこうまで嫌われて、お花は生きていとうは御座いません。死なせて下さい!お願いで御座います。」
そう謂うと、尚も執拗に自害しようと致しますので、丹次は困って仕舞います。そして、横で見ているお虎に謂い放ちます。
丹次「オイ、お女中!ボーッとしてないで、汝さんも止めなさい!ご主人様が自害しようとしているんだぞ。」
お虎「いいえ、妾は決してお止め致しません。サッお嬢様、しっかり其の刃で、喉をお斬り下さい。愈、親分さんがご承知下さらないなら、
自害もやむなしで御座います。お嬢様!決して貴方一人を死なせてはしません。此のお虎も冥土へお伴致します。」
さぁ、此のお虎も大胆と言うかぁ、実に太い女子で御座います。兼ねて用意の懐剣を、帯の間から取り出して、鞘を払い、此方も自害しようと致します。
さぁ、観音丹次は困ります。左右に分かれて、刃三昧の展開と成りまして、丹次でなくても、困惑必至で御座います。
いやはや、破れ被れでこうなると女は実に強い生き物で御座います。能くお芝居などでも、皆さんはご覧になると思いますが、
己の望みが叶わぬ時は、直ちに「最早、之れ迄!南無三。」と、自害に走るは女の常で御座いまする。
「アレ!早まるな。止めろ!」と、其れを男が止めに入るが、女は「左様ならば、この想いを叶えて下さいますか?」と、再び迫る。併し、
男「じゃと申しても…」
女「まぁ、其れなら死にます。」
男「あゝ、そう謂うなぁ!」
女「ならば、願いを叶えて下さい。」
男「イヤ、其れは…」
女「まぁ、其れなら死にます。」
男「あゝ、そう謂うなぁ!」
女「ならば、願いを叶えて下さい。」
男「分かった!仕方ない。人の命には変えられぬ、汝の願いを叶えてやろう。」
と、最後は女が勝つと、相場は決まっております。
一方、是が男から女に惚れた場合は、全く違う展開となりまして、
男「別れる何んて謂わないで、俺の傍に一生居て呉れ?!」
女「妾はそんなの厭で御座います。」
男「其れではどう有っても、汝が聴き入れては呉れぬと謂うなら、俺は自害する。」
と、云って一刀を抜き、死のうとしても、女が止めに入るのは、落語『締め込み』の、うんか?出刃か?うん出刃か位で、相場の展開は、
女「…『アンタがどう成ろうと妾!興味無いのよ!好きにしなさい!』」
と、心では思って静観するようです。どうも平素は女の方が恥ずかしそうにモジモジしておりますが、イザという場面では女の方が強くて、
意外と男は根性がなく、女々しい行動になりがちで、流石の観音丹次も、此の同時多発自害には面喰らいます。
丹次「まぁ一寸待って呉れ!どう有っても、汝達は肯き入れないと、二人して自害すると謂うのか?二人の命には代え難い。如何にも承知しよう。」
お花「本当ですか?親分さん。其れでは、願いを肯いて下さいますか?」
丹次「肯かないと仕方ないではないか、断れば、お前方は死のうと謂うではないかぁ。」
お花「本当で御座いますか?!」
丹次「本当も嘘もない、お二人の命には代えられないではないか。願いを叶えてやるから、刀を返しなさい。」
と、謂って漸くの事で、観音丹次はお花の手から一刀を取り返して、腰の鞘に其れを納めます。
お虎「其れでは、本当に肯いて下さいますか?」
と、下女のお虎も揚々に懐剣を鞘に納めて、お花の傍に近寄り、お花を丹次の傍へと押しやります。
丹次の胸に飛び込んだお花が見上げ、丹次が見下ろす、互いに見合す顔と顔。パッと顔を赤らめニッコリ笑うお花の天にも登らんお花の顔、
その笑った目元が、ウルウル致しまして、其れを見て仕舞った丹次のお花を支える腕が、彼女をグッと強く引き寄せます。
この様子を見た下女のお虎は、サッと部屋の隅に飛ぶ様に立ち退いて、行燈の火をフッと吹き消して、唐紙をスーッと開けて廊下へ出ます。
何故、此のお虎が外に出る際は、二人に都合宜くスーッと動くのか?是が、講釈師見て来たような嘘の素で御座います。
部屋はご両人だけになり、真の闇がその二人を包み込みます。両人はどちらからともなく、唇を重ねて、丹次の逞しい腕が、お花の袂から乳房へと伸びて入ります。
二人とも、荒い息使いとなり、「アーン!アーン!」と、お花の淫艶な声が闇に響くと、丹次の心を次第に獣に変えて行くのでした。
さて、この続きを神田伯龍としては、引き続き克明に語りたいのは、山々では御座いますが、速記本に致します関係上、
官憲の審査というものが御座います。寄席釈場で一期一会のお客様にお聴かせするのでも、毎回淫靡な噺を掛けますと、
警察、お巡りさんからお叱りを受ける世の中で御座いますから、神田伯龍、断腸の思いで、自主規制致します。
一刻ばかり時は流れ、同時に汗も流れます。事成就した二人は、行燈に再び火を点けまして、真っ暗な座敷を元の薄明るい部屋に戻します。
そして、衣服を直し、膳部を挟み対面に座り直した所で、唐紙を薄く開いて於きますと、灯りが廊下に漏れて参りまして、
「済んだなぁ?!」っと察したお虎が、二人の居る座敷へと戻ります。二人の様子を伺いますと、お花が丹次に酌をして、ニッコリ笑みをお虎に返します。
お虎は、座敷に戻ると、二人を穴が空く様に見やりまして、櫛を手に先ずお花のお髪(グシ)を直しながら、
お虎「親分!紅がこんな所に。」
と、お虎は謂うと、丹次の顎裏から首筋に着いた真っ赤な口紅を、酒で湿した手拭いで拭き取ってやります。
丹次「済まない、お虎さん。もう刻限も刻限だから、お嬢さんを連れて二人で加島屋へ帰った方が宜い。」
お虎「ハイ、左様で御座いますね。流石に料亭魚久にお籠りと謂う訳には参りませんし、お名残り惜しいとは思いますが、今日はお開きに。
また、こちらから日を選びまして、魁ノ六之助さんに繋ぎを入れて、四人で梅川辺りで一席設けましょう。では親分さん、失礼します。」
お花「丹次さん、またお逢い出来る日を楽しみにしています。」
丹次「其れでは、アッシが下まではお二人を送ります。帳場はお済みですか?お虎さん。」
お虎「ハイ、其れは先程済ませて御座います。」
丹次「では、玄関前までは、私が送ります。」
お花「ハイ、お手数お掛け致します。」
と、三人は二階の座敷を出て、長い廊下を進み、ハシゴを降りて一階へと降りた。まだ、一階の大部屋は宴もたけなわ、
騒々しい唄や噺声が聴こえる中、観音丹次はお花とお虎を店の玄関まで連れて行き、「お休みなさい。」と、優しく声を掛けて送り出した。
さぁ、刻限は亥刻を過ぎ、観音丹次は、小天狗小次郎と三人の子分が待つ三十畳の大広間へと戻りましたが、四人の姿は有りません。
併し、膳部や酒の入った徳利は置かれたままですし、女中に「小天狗小次郎親分は帰られたか?」と尋ねたが、まだ、勘定は済んでいないと言う。
三十畳の大部屋には、まだ、五、六割の客は残って酒、肴を楽しんでいて、殆どの客が御家中のお侍と仲間奴で御座います。
何んとなく、厭な雰囲気、空気がする座敷では御座いますが、仕方なく、観音丹次は元の席に一人座って、チビリチビリ酒を呑んでおります。
すると、周囲で呑んでいる御家中の若侍から、「観音の親分!」「小天狗の若親分!」「行田の代貸」などと声が掛かりまして、
「独りで辛気臭い酒を呑みなさんな!?」と、座敷に貰いが掛かり、観音丹次を囲んでの酒盛りになります。
若侍「観音の親分、まぁまぁ、一杯行きましょう。」
丹次「イヤぁ〜、お初ですよね?まぁ、名前を呼ばれて声掛けて頂ければ断れません。一杯だけ頂戴します。」
と、丹次が厭な顔をせずに付き合いますと、最初(ハナ)の連中は、お猪口での遣り取りだったが、次第にたちの悪い連中が現れて、
お猪口が、湯呑みになり、丼へとエスカレートして、仕舞いには、何処から持ち込んで来たのか?一升入る大盃で、酒を薦めて来ます。
丹次「イヤ、一杯と言ってこの大盃では…」
若侍「何んだと?先程、連れて玄関まで送ったのは、加島屋の、忍小町のお嬢だろう?お嬢の酌なら飲むが、俺の酌は厭だと申すか?!」
丹次「左様な訳では決して御座いませんが、其の大盃に波々注がれたら、呑めません。加減してお願いします。」
と、言った所で、大の徳利三本を入れて来ますから、五、六合は有りますから、其れを一気で呑まされて、ヘロヘロの観音丹次で御座います。
若侍「よーし、もう一杯だ、親分。」
丹次「いやもう、限界です。旦那方は先程から無茶ばかり仰る。冗談のお積もりかも知れませんが、ご遠慮申し上げます。」
若侍「何ぃ〜、無礼なぁ。俺の酒が呑めぬと申すのかぁ?!」
丹次「イヤ、大勢で大層勢い込まれましても、申し訳御座いません。堪忍して下さい。」
若侍「勘弁ならぬ!もう一杯だ、丹次。」
と、押し問答していると、其処に見覚えの有る若侍が、ニタニタ笑いながら現れます。そして、若侍の横にドッカと胡座を掻いたのは、
そうです、其れは四ヶ月前の徳大寺の境内での花見で揉めた斎藤五平太で御座います。
斎藤「ヤイ、観音ノ丹次!貴様、当春の徳大寺では能くも我等に、恥辱を与えて呉れたなぁ〜、今日は其の仕返しに参った!覚悟致せ。」
と、謂うと斎藤五平太、目の前の膳部の鉢を取り丹次目掛けて投げ付けます。併し、是は丹次が身体を交わして避けましたが、
此の斎藤五平太の仲間が、背後に五、六人居て、斎藤が投げたお鉢を合図に、四方から徳利や皿を丹次目掛けて投げ付ける。
是には流石の丹次も、二つばかり避け切れずに当たりまして、中の酒が掛かりびしょ濡れになるのですが、直ぐに一人捕まえると、
是を、殴り飛ばして「ギャッ!」っと気絶させてしまうので、「この野郎、殺せ!殺せ!」と、怒号が飛び交い喧嘩が始まります。
そして、喧嘩は観音丹次だけかと、思いきや、二階へ上がる梯子の下で、小天狗小次郎と子分の三人も、七、八人の仲間奴に囲まれて、此方も喧嘩になっております。
遂に、小天狗小次郎が刀を抜いて、仲間奴連中とチャリン!チャリン!と、刃を交えて、暴れ出すと、「喧嘩だ!喧嘩だ!」「出入りだ!出入りだ!」っと大混乱です。
丹次「兄貴!どうした。」
小次郎「どうしたも、こうしたもねぇ〜、二階で侠客の兄弟分に呼ばれて一杯やって、下に降りてみたら、此の仲間奴が突然俺に斬り掛かって来やがった。」
丹次「兄貴、こいつら先の徳大寺の花見で揉めた連中の仕返しだ!逆恨みしやがって、人数集めて来やがった様だ。」
小次郎「卑怯者の料簡は、今も昔も変わらねぇ〜なぁ。大丈夫か?丹次。大分お前さん、腰がフラフラしねぇ〜かい?」
と、小天狗小次郎が冷やかすと、子分三人がニタニタし始める。言われた丹次は真っ赤になりますが、
魁ノ六之助、大目ノ敬次、獄門ノ太助の三人も皆、一刀を抜き身にして構えますと、五人が輪に成り相手の出方を様子見です。
一方、斎藤五平太が連れます家中の若侍と仲間奴の一団は、実に三倍以上で、十五、六人が刀を抜いて更に五人の外を囲みます。
さて、其処へ、何故か?加島屋の下女、お虎が血相を変えて、その喧嘩の最中の魚久へと駆け込んで参ります。
お虎「大変です!観音の親分さん。お花お嬢様が、河原の堤で、家中のお侍五、六人に襲われて、無理矢理担いで拐われました!!」
丹次「何んだとぉ?お花殿が、誰に拐われた?!」
お虎「花見に徳大寺で、加島屋と揉めたあの若侍です。見覚えのある若侍と仲間が混ざっておりました。
妾もお嬢様を守ろうと抵抗したのですか、女二人では如何とも仕堅く、お嬢様を奴等に拐われて仕舞いました。親分!早く助けに。お願いします。」
丹次「ヨシ、分かった。小次郎の兄貴。そう謂う事情なので、アッシは河原の堤へ、お花殿を助けに行きます。此処は四人にお任せします。」
小次郎「ヨシ、任せておけ。早く行け!丹次。」
子分衆「若親分!早く行ってらっしゃい。」
そう小天狗小次郎と子分達に送られて、観音丹次は、加島屋の下女・お虎を案内させて、利根川の河原堤の方へ、お花を救出に向かいます。
盆踊りの祭会場が有った所まで戻った観音丹次は、お虎があの辺りと指差す方へ急いで向かうと、もう提灯の火は消えて、静かな河原の堤。
人気は疎らに在るものゝ、霧が深く視界があまり宜しく有りません。「お花殿!」と時々、大きな声を掛けて進む丹次で御座います。
すると、堤の向こうから「キャァ〜ッ」と謂う女の悲鳴。五、六人の人影が見える方から聴こえて来たので、丹次は其の方向へ走ります。
さぁ、観音丹次の目に飛び込んで来た光景は、荒縄でぐるぐる巻に縛られた加島屋の娘、お花を五、六人の若侍と仲間が、
正に恥ずかしめん!手篭めにせん!と、襲い掛からんとする直前でした。
丹次「ヤイ、汝達、一体全体何をする!観念して其の人を離しやがれぇ!」
狂った様に怒色に任せて、刀を抜いて、その集団に襲い掛かる観音丹次。一番近くに居た相手の首を目掛けて、斬り付けると、
其の相手の首がポロリと落ち、天高く血煙が上がり、首無しにされた胴体は、前にうつ伏せに倒れて動かなく成ります。
其処に居たのが、あの徳大寺の花見で掛茶屋にも居た、服部半兵衛と仲間の市助と勘蔵です。
服部「野郎!刀を抜いて斬り付けやがった。ソレッ、容赦は要らないぞ、叩き斬れッ!」
さて、五人の敵が四方に広がり濃霧で、視界が宜くない河原の堤で御座います。流石の観音丹次も、迂闊には斬り込めない状況です。
そんな中、前方の敵に観音丹次が斬り掛かろうとした時、カウター気味に脛(スネ)を、六尺棒でカッパらッた奴が現れます。
其れは、隠れて機会を狙って居た、徳大寺の花見、若侍の一人、小林小八郎で有った。丹次はその場に倒れて、足を押さえて蹲る。
小林「やったぞ!早く野郎を縛り上げろ、市助と勘蔵!其れから、女が煩い!猿轡を咬まして、声が出ぬ様にして呉れ。」
言われた仲間の市助と勘蔵は、観音丹次を捕まえると、背後手に高手小手に縛り上げて、丹次を堤の大きな松の木に吊るし上げました。
更には、お花に対しては、手拭いを口に咥えさせて、猿轡を咬ませて、全く声が出せない様にした。
小林「ヤイ!観音ノ丹次。もう、之で貴様も年貢の納め時だ。取り敢えず、之から俺と服部が此の忍小町を可愛いがる様子を、ゆっくり見物しろ!
服部、観音ノ丹次を仕留めた俺が先に、忍小町を頂いて構わぬだろう?後から、お前さんにも充分に味見はさせる。」
服部「あゝ、構わんよ。お先にどうぞ。猿轡をしてあるから、舌も噛み切る心配はないから、たっぷり味見してやりなさい。」
加島屋の一人娘のお花は、獣の様な小林小八郎と服部半兵衛に代わる代わる、犯された。首を激しく振り最初(ハナ)は抵抗を試みたが、
背後手に縛られ大の男が二人掛かりで、襲って来てはなす術は無かった。愛する丹次の目の前で手篭めにされ、お花は狂った様に泣いた。
併し、猿轡をされて声は出せず、無常にも涎だけが落ちて来る。折角、二刻前には丹次と結ばれたばかりなのに、こんな地獄を味わうとは!
小林小八郎と服部半兵衛は、散々、お花を手篭めにして満足したのか?この襲撃に手を貸した仲間奴に向かって言い放つ。
小林「市助、勘蔵、忍小町の味見をお前達にもさせてやる。向こうの林ん中でやって来い。俺と服部は、観音ノ丹次に引導を渡す。さぁ、早く行け!」
そう謂われた、市助と勘蔵、更に三人の仲間奴は、お花を担いで堤の向こうの雑木林へ連れ込んで、輪姦三昧!と浮かれている。
狂ったお盆の夜、観音丹次の命は風前の灯火。徳大寺の花見でのこっぴどい仕返しを喰らった丹次は、どうなるのか?次回をお楽しみに。
つづく