三月中旬桜花見の季節。忍の行田、徳大寺の門前を、加島屋藤右衛門は自慢の娘、忍小町のお花と、お伴には番頭、婆や、下女と、

大店のお花見行列の見本の様な五人で、此の徳大寺の花見に参りましたが、今しもお花は下女を連れて、桜並木の下を通り抜けております。

と、其処へ歳の頃は二十四、五の大小二本を手挟む若侍三人が、揃いの紺觀衣に梵天帯、真鍮金具の木刀を差した両人の仲間を連れて、

既に何処ぞで一杯引っ掛け、ほろ酔い上機嫌な様子で、フラッカ!フラッカ!其の五人組は千鳥足でやって参ります。

さても此の五人組、小林、斎藤、そして服部と言う三人の若侍と市助と勘蔵の両人がお伴の仲間(ちゅうげん)で御座います。

斎藤「小林!まだ、呑みが足らぬ。何処か?適当な処へ陣取ッて呑み直そう。」

小林「判り申した、斎藤さん。其れでは、其の掛茶屋はどうですか?」

斎藤「宜かろう!服部、貴様はどうだ!その掛茶屋で。」

服部「ハイ、構いませんぞ、斎藤さん。」

そう言っております前を、加島屋藤右衛門がやって参りまして、三人が入ろうと相談する掛茶屋へ、先に入り席に着きます。

其の後に続いて、五人組が入りますから、加島屋の座敷の真隣に、侍と仲間の升が取られる事に相成ります。

小林「オーイ、酒だ!酒だ!デカい徳利で五本取り敢えず持って来て呉れ。」

女中「畏まりました。酒は冷やですか?お燗しますか?」

小林「そうだな、先に三本は冷やで構わん、後の二本は燗酒で頼む。」

女中「ハイ、畏まりました。」

と、云って女中は下がって行きます。さて、升の座敷の五人ですが、中央に若侍の三人は車座に座り、

仲間両人は四隅の対角に座らされております。すると其処へ、女中が冷やの徳利を三本持って来て、又、注文を確認します。

女中「お武家様、肴は如何いたしますか?」

小林「そうだなぁ〜、相も変わらずで木の芽田楽かぁ?お女中、何か別な物は在るか?」

女中「厚焼きはどうですか?お武家様。」

小林「ヨシ、ならばその厚焼きを五人前だ!其れから、燗酒の二本は出来るだけ熱くして呉れ。」

女中「ハイ、畏まりました。厚焼き五人前と、熱燗は熱くですね。」

さて、この様にして武家の五人組と、加島屋の此方も五人組が隣同士の升の座敷で、酒を呑み始めます。

此の掛茶屋の升の座敷なんてものは、その境界が実にいい加減。暖簾が一枚吊されて、其れが二つの座敷の境界、仕切りです。

又、酒は別名『気狂い水』と言われます様に、呑めば酔う、酔うと狂う物と相場は決まって御座います。

特に加島屋の下女のお虎は、その名の如く酒を喰らうとトラになりまして、すこぶる酒癖が悪い女子です。

三合ばかりも酒を呑みますと、紙屑を丸めて玉を拵え、是を番頭・治兵衛の広い広い月代に投げ付け始めます。

当てられた番頭が、其の玉を男の力で更に硬く小さな玉にして、下女のお虎へ投げ返す。「痛い!」と云ってお虎が又投げ返す。

こんな戯れ合いが始まりまして、紙屑玉が五個、六個と雪合戦ならぬ紙合戦に発展しますと、其りゃぁ〜間違いも起こります。

治兵衛が投げた硬い紙玉が、お虎が避けたもんでハズレて仕舞いまして、後ろに居た隣席の服部半兵衛という若侍の面体を直撃します。

服部「ヤイ、武士の面体に何をしやがる!」

小林「どう致した?小林。」

服部「どうしたも、こうしたも無い!拙者の面体に、此の紙玉を投げ付けた奴が居る。」

小林「イヤぁ〜、こりゃ面白い。恐らく、服部!貴様の面がデカいから、仁王様と間違えられて、紙玉を喰らったに違いない!身の不運と諦めなさい。」

服部「何が身の不運だ!馬鹿な事を謂うなぁ、小林。隣座敷で先程から、キャッキャ言いながら投げている紙玉だ!

拙者の面体を狙ってぶつけたに相違ない。洒落の積もりか知らぬが、武士の面体に紙玉を当てるなど、許し難い!」

と、真っ赤に怒った服部は、立ち上がると刀を左手に、仕切りに吊られている暖簾を乱暴に引千切り、隣の加島屋の連中を怒鳴り付けます。

服部「ヤイ、之は何の冗談だ?町人風情の分際で、武士の面体に紙玉を当てるとは、甚だもって不埒千万。勘弁相成らん!表に出ろ。」

と、若侍が現れて刀の柄に手を掛けて睨み付けて来ますから、加島屋藤右衛門はビックリ致しまして、其の場を降りて土下座します。

加島屋「誠に申し訳有りません、お武家様。私の奉公人が、大変な粗相を致しまして、大変失礼を致しました。

ただ、悪意は御座いません、紙玉で巫山戯ておりました所、弾みで其方様の座敷へ飛んで行き当てた迄に御座います。

決して、わざと当てた訳では御座いません。どうか、お許し願います。奉公人の不始末は、主人の私の不行届、どうかお許し願います。」

服部「ならぬ!ならぬ!勘弁ならぬ。拙者は松平左近衛少将忠國様家中、馬廻役の一人で、服部半兵衛と申す。

何んと心得て武士の面体を穢して呉れた?許す訳には参らぬ由え、当店の迷惑にならぬ様、外へ出て直れ!見事真っ二つにして呉れる。」

其の様に服部半兵衛が謂いますと、脇に居た同輩の小林小八郎と、先輩の斎藤五平太も、

斎藤「其の通り!服部、武士の面体を穢すなど言語道断。許さば、松平左近衛少将侯の恥となる、決して許すまじ。」

小林「斎藤様の申される通りだ。手が足りぬなら、拙者も斎藤殿も加勢致す。ささぁ、存分に斬り捨てられよ!服部氏。」

三人が刀の柄に手を掛けて、加島屋の五人を舐める様に睨みますから、番頭、婆や、下女の三人も「お許しを、堪忍して下さい!」と、

藤右衛門の脇に土下座を致しまして、命乞いを始めます。更に、この様子を見兼ねた娘のお花も、手を着き頭を下げて言上致します。

お花「恐れながら、ご城内の旦那様。どうかご勘弁をお願い申します。元より貴方様方に悪意を持って致した事では御座いません。

下女と番頭が戯れて紙の粒手を投げ合いまして、偶々、其れが外れて服部様の面体に当てゝ仕舞っただけで御座います。

面体に傷を負わせた訳でなし、紙玉を誤ってぶつけて命を取られては余りに理不尽。どうぞ加島屋としてお詫び致しますので、

此の場は、どうぞ丸く収めて下さい。重ねて、重ねて、何卒お許しを宜しく頼み申します。」

この様子を見た、一番年上の斎藤五平太が、ニタニタして、お花に話し掛けた。

斎藤「服部、折角、忍小町と名高い加島屋のお嬢様が、奉公人の粗相は、主人家の方で責任を取ると謝罪されていりるから、

此処は一つ、お嬢様の顔を立てゝ、貴殿の面体に傷が付いた訳でなし、血を見た訳でなし、許してやってはどうだ?服部。」

服部「斎藤殿が、そうまで仰られるのなら、拙者は我慢して許してやる事に、吝かでありませんが、さてお嬢様はどう謂う具合に、詫びて頂けるのですか?」

お花「どう謂う具合にと申されますと?」

小林「つまり、お嬢様。魚心あれば水心と謂う具合です。我々が許してやりたくなる様な心持ちにさせて頂きたいだけです。」

お花「許したくなる心持ち?!もっと具体的に仰って下さい。お金でしょうか?」

斎藤「お金も一つの選択肢では有りますが、今日は、お嬢様、貴女が居らっしゃいますし、酒宴の間違いなので、此処は一つ、

貴女が、我々の酒宴に加わって、酌婦の代わりを一刻余り、付き合って下さるなら、先程の粗相は水に流して許しましょう。」

そう謂うと、斎藤五平太はお花の手を掴み、強引に自分達の升の座敷に、お花を引き摺り込もうと致します。

お花は、厭な顔で「お待ち下さい!」「お許し下さい!」と拒否しますが、「ならば、番頭と下女を斬り捨てるぞ!」と脅されると、

強く拒否も出来ない空気になり、升の座敷へと強引に引き入れられて仕舞います。すると、下女のお虎が、

お虎「お武家様、お嬢様は何も落ち度は有りません。粗相をしたのは私ですから、私を酌婦にして下さい。」

婆や「足りぬなら、この婆も、お嬢様の代わりに酌婦になります。」

と、言って升ん中へ入ろと致しますが、勿論、若侍は承知致しません。

斎藤「田分け!死ねッ。お嬢様が、忍小町が酌婦になるから、詫びになるのだぁ!貴様ら二人、化けべそと老婆に代わりが務まるかぁ!」

足蹴にされて、お虎と婆やは升から弾き出されます。すると、若侍三人はお花の酌で酒盛を再開します。

デレデレで、かなり酔いが回った三人は、酌をさせる位で治るハズもなく、手を握り、太腿を触り、挙句には襟元から胸に手を入れ、尻を触り鷲掴みに致します。

助平な六本の手が同時攻撃で来ますから、堪らすお花は、「アレ〜ッ!!」っと叫び声を上げて、熱燗を斎藤五平太の面体にブッ掛けて、升の座敷を飛び出します。


斎藤「待て!待てぇ〜、汝が酌婦になるからと謂う約束で、其処の番頭と下女の粗相を許したのだぞ!汝が逃げ出すなら約束は反故だ。

さぁ〜、番頭、下女、表に出ろ!無礼討ちだ。二人纏めて、四つにして呉れん!さぁ〜、直ぐに表に出るが宜い。」

そう謂うと、酔いも手伝って斎藤五平太、もう正気では有りません。刀を抜いて「成敗して呉れる!」と、番頭と下女を斬り掛かります。

さぁ〜、番頭と下女も斬られちゃ堪らないから外へ逃げる。続いて、主人の藤右衛門と娘のお花、婆やまでもが逃げ出します。

更に、是を追って酔っ払いの若侍三人も、掛茶屋の外へ飛び出します。「無礼討ちだ!」「成敗致す!」、「助けてぇ!」「ご勘弁!」

若侍のお伴の仲間両人は掛茶屋の前でオロオロして、若侍三人は刀を全員抜いて、加島屋の五人を威嚇して廻りますから、大変な騒ぎです。

さぁ、此れを月下亭の奥座敷から、見ていたのが、小天狗小次郎と観音丹次で御座います。

丹次「小次郎の兄貴、あそこで人斬り包丁を振り回している三人!アレは浪人じゃないなぁ〜、服装(ナリ)はしっかりしている。」

小次郎「確かに、浪人じゃねぇ〜、松平左近衛少将候の御家来衆だ。併し、其れにしても可哀想な事になってやがる。

素人衆が、年に一度のお楽しみの花見だ。其れを刀を抜いて、血煙上げては大迷惑だ、誰か止めに行って呉れねぇ〜かぁ?誰でも宜い。」

六之助「親分!アッシが止めて参(めい)りやす。」

と、韋駄天自慢の魁ノ六之助が尻端折りで飛び出すと、後から俺もと大目ノ敬次、獄門ノ太助、俵藤太ノ金太、幻ノ十兵衛が続きます。

服部半兵衛が、大刀を振り被り、正に番頭、治兵衛を斬り付ける寸前に、「待った!待った!、その喧嘩待った!」と叫びつつ、

魁ノ六之助が、二人の間を遮り、治兵衛を庇いながらその場から救い出して、服部半兵衛に向き合い、啖呵を切ります。

六之助「待って下だせぇ、お侍さん。花見の最中のお寺さんで殺生しちゃいけませんぜ。而も、人間様を殺生しちゃぁ、閻魔様に叱られる。

アッシは、此の忍の行田の貸元、小天狗小次郎の身内で、魁ノ六之助ッて吝な野郎で御座んすが、先ずは刀を引いておくんなせぇ〜。」

服部「何んだ!貴様。無宿人の分際で、武士に説教するのか?寺だろうと、社(やしろ)だろうと狼藉者は容赦なく斬る、其れが武士道だ。

侠客(ヤクザ)風情が、武士に対して生意気を申すな!手向かい致すなら、貴様から先に手討ちに致すぞ!」

六之助「巫山戯た事を抜かすな、三・一(サンピン)。こんな大勢人が集まる繁華な場所で、見境無しに人斬り包丁振り回しやがって、

誰もが、脅されたら『ハイそうですか!』と引き下がると思うなよ、俺は魁ノ六之助ッて二つ名で呼ばれるお兄ぃさんだ!

汝の様な弱い者虐めばかりの外道は、此の六之助様が、天に代わって成敗してやる!覚悟を決めて掛かって来やがれ、ベラ棒めぇ。」

そう啖呵を決めて、魁ノ六之助が脇差を抜いて構えますと、当然、服部半兵衛の側は、小林小八郎と斎藤五平太も加勢します。

三対一の図式かと思ったら、遅れて小天狗小次郎の子分四人、大目ノ敬次、獄門ノ太助、俵藤太ノ金太、幻ノ十兵衛が加わります。

此れで、三対五の図式に。併し、若侍三人には仲間の両人、市助と勘蔵が木刀を抜いてご主人様の助太刀を致しますから五対五になる。

さぁ、こうなると勝負は硬直状態に。そして、腐っても武士の三人と、実力未知数の仲間両人ですから、小天狗小次郎の子分衆も、喧嘩が始まり、斬り合えば無傷では済まない。


其処へ真打登場。五対五の間に入り喧嘩の仲裁を始めたのが、ご存知!観音丹次。まず先に身内に刀を引かせ、丸腰で説得を始めます。

丹次「お侍さん、刀を引いて下さい。ご覧の通り私は丸腰です。噺を聴いて下さい。私は行田の貸元、小天狗小次郎の舎弟分で観音丹次と申します。

侍、町人百姓関係なく、此の花見は行田の市民皆んなが楽しみにしている行事ですから、此処は一つ、アッシの顔に免じて許して下さい。」

そう謂って、丹次が頭を下げましたが、酒に酔って暴走し出した斎藤、小林、服部の三人衆にはブレーキが利きません。

斎藤「何を、侠客(ヤクザ)の分際で、上から生意気な物言いをする、猪口才なぁ。貴様の様なケツの蒼いガキでは噺にならん!!

せめて、其の天狗だか、なんだか謂う貸元を連れて来い!そいつが地びたに頭を着けて、手ぇ突いて謝るなら考えてやろう。」

と、斎藤五平太が余りに酷い暴言を吐いたもんだから、観音丹次は、遂に切れて啖呵を切って仕舞います。

丹次「ヤイ、丸太んぼ。人が大人しく下手に出てりゃぁ〜、謂いたい放題!何様の積もりだ、此の丸太んぼ。

汝も侍なら武士道くらい知らないのか?!汝の主人、松平の殿様を侮辱されたら、汝達はどうする?命懸けで遣り返すだろう?

任侠道、侠客の世界も、其れと一緒なんだぞ、ベラ棒めぇ。親分を侮辱仕やがって!許さねぇ〜から覚悟しやがれ、丸太んぼ!!」

観音丹次が、啖呵を切り終わらない内に、背後から服部半兵衛が斬り掛かりますが、余裕で交わされて、バランスを崩しヨロけます。

其処を、襟首を掴まれ、背負い投げぇ〜(IKKO風)で、二、三間飛ばされて頭から落下!気絶します。

服部の無様な醜態を見た、斎藤五平太と小林小八郎は、一発で酔いが冷めて用心しながら、左右に分かれて、目で合図して同時に斬り係る。

併し、是も簡単に避けられて先ずは、斎藤が強烈な頭突き(パッチギ)を喰らい脳震とうで倒れます。

そして南無三、小林は逃げようとしましたが、肩を掴まれ抱え上げると、放り投げられ此方も三間ばかり飛ばされ掃き溜めに刺さります。

「まだ、やるか?!」と、木刀を持ってオロオロしている仲間を恫喝すると、服部と斎藤を抱えて逃げ出し、小林も跡を追って立ち去ります。


『口程にも無い奴等だ!!』


と、着物の埃を手拭いで叩いて、観音丹次がその場を立ち去り、月下亭へと戻りかけた所で、加島屋藤右衛門が近付き声を掛けて参ります。

加島屋「誠に、危ない所を有難う御座います。私は、忍城下で呉服商を営む、加島屋藤右衛門と申します。」

丹次「左様ですかぁ、アッシは本町の小天狗小次郎の舎弟分で、観音ノ丹次と申します。さて、先程からの騒動を、

あの丘の上より見ていたのですか?忍藩の若侍が申していた、御当家の番頭さんと下女が巫山戯け合って、

投げた紙玉が、若侍の面体に当たったのが、揉め事の発端だというのは、本当の事ですか?本当ならば、

汝達にも、酒の上とは言え、イヤ、酒の上だからこそ、注意をして下さい。花見など大勢集まる場所は尚更の事。

紙玉位で騒ぎ過ぎ、理不尽だ!とは感じますが、あの様な場所で巫山戯けて騒ぐ奉公人を、戒めなさるのもご主人の仕事ですよ。」

二十歳そこそこの、若造に道理を言われて、少しムッとした藤右衛門でしたが、命の恩人の忠告ですから、神妙に受け留めます。

加島屋「全く面目有りません。」

丹次「判って頂ければ責める積もりは有りません。それより、兎に角、早くお店に帰った方が宜いです。

家中の侍ですから、仲間を連れて、仕返しに来るかも知れません。跡は私達が引き受けますから、加島屋さんは早くお帰り下さい。

又、後日、奴等が因縁を付けて来たら、其の時は我々が全部引き受けますから、直ぐに使いを出してお知らせ下さい。」

加島屋「何から何まで、有難う御座います。観音の親分さんは、小天狗小次郎親分の本町のお宅にお住まいですか?」

丹次「ハイ、賭場の開帳ん時以外は、本町の小天狗小次郎の屋敷に居ります。何か有りましたら、観音ノ丹次を訪ねて来て下さい。」

加島屋「ハイ、承知致しました。」

そう謂うと、加島屋の主人、娘、番頭、婆や、そして、下女の五人は急いで店に帰って行った。

一方、観音丹次が加島屋と噺が済んで、加島屋が家路に着くと、小天狗小次郎の子分、魁ノ六之助、大目ノ敬次、獄門ノ太助、

俵藤太ノ金太、そして幻ノ十兵衛が集まって来て、暫くは、家中の侍達が、徳大寺へ仕返しに来るか?と警戒してその場に残りましたが、

いよいよ、仕返しに来る気配が無さそうなので、丹次と六之助達六人は、再び、月下亭に戻って呑み直しを致します。


さて花見の翌日、まだ観音丹次と小天狗小次郎の両人は、忍藩の連中が仕返しに来るか?と、警戒したのですが、

全くその気配は無いので、一家は賭場なども通常営業となり、何事も無く至って平穏な日々が続いております。

一方、加島屋は?っと見てやれば、此方にも仕返しは来ませんが、ちょっと困った問題が起きるので御座います。

それは、愛な娘のお花が、何んと無く花見の跡から元気が無くなり、食欲が衰えて行き、遂には寝込んで仕舞うのです。

両親は独り娘の事なので大変心配を致しまして、医者や占い師、祈祷師を江戸から招いてまでも、治療させますが、全く宜く成りません。

そして、何人もの医者が口を揃えて謂うのは、熱も無く脈拍は正常。舌の色、眼の状態、胃腸も丈夫そうなのに、食欲は何故か?減退気味。

どうも、心の病。気鬱から来る、所謂、ブラブラ病、恋煩いの類だ!と、謂うのである。だったら薬や占い・祈祷で治る筈がない。

そう考えた父、藤右衛門は、お花の心の病の素を探る為に、お花が最も心を開いて語って呉れそうな、下女のお虎を呼んで噺をした。

お虎「旦那様、お呼びでしょうか?」

藤右「おゝ、お虎かぁ?入りなさい。実は、お前に折り入って頼みたい事があるんじゃぁ。」

お虎「何んでしょう?折り入ってのお頼みだなんて!?」

藤右「実はなぁ、お虎。其れは他でもない。娘のお花の病の事だぁ。」

お虎「お嬢様の病?私は医師でも、薬師でも、有りませんし、占いや祈祷も出来ません。二番番頭の善六さんでも有りません。」

藤右「其れがぁ、どうやらお花の病と謂うのは『お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ』の恋煩いなんだ!!」

お虎「恋煩い!一体、誰にです?」

藤右「其れが分からぬのじゃぁ。ただ、あの花見の一件から後なのは間違いない。最初(ハナ)は、あの侍三人に酌をさせられた時、

あの時に身体を触られたのが、トラウマで気の病になったかとも考えたが、どーもそうでは無いようなんだ。

だから、誰を好きになり恋煩いしているのか?お前になら本当の事を謂うだろうし、逆に、お前に話さないなら聴き出すのは難しいと思う。」

お虎「判りました。では、お嬢様の恋煩いの相手を、聞き出して参ります。」

藤右「頼んだぞ、お虎。兎に角、お花の心の中の意中の人を聴き出して呉れ。どんな相手なのか?全く分からぬが、

親としては出来るだけ、叶えてやりたいんだ。娘の命には代えられないからなぁ。宜しく頼んだぞ、お前だけが頼りだ。」

そんな命を主人藤右衛門から受けたお虎は、お花の恋煩いに付いて考えた。藤右衛門は『誰がお花の恋の相手か?探れ!』と謂うが、

どう考えても、お花が突然恋煩いになる様な相手は、徳大寺の花見の際に加島屋を救って呉れた、あの観音の親分さんに決まっている。

そんな事も本当に旦那様は気付かないのか?と、大店の主人なんてモンは、浮世離れしている。そして加島屋藤右衛門も例外ではない。

独り娘を心底心配はしている様子だが、両親は娘のブラブラ病の原因が恋煩いと分かるのに、実に半月も掛かり、

其の恋煩いの相手には、まだ、気付いても居ない。旦那様も御内儀も、ご飯(おまんま)が喉を通らない様な恋を知らないのか?!

そんな事を、頭ん中で考えるお虎は、落語の『崇徳院』『千両みかん』とは異なり、何と!自身が恋のキューピッドに成ろうと決意する。


さて、下女のお虎はお花の居間へとやって来た。床には付いて居なかったが、寝間着姿で居るお花に、優しい笑顔でお虎は問い掛けた。

お虎「ねえ、お花お嬢様?ご気分は如何ですか?」

お花「アラ、お虎。えぇ、今日は少し良いから起きていますワ。」

お虎「そうですか?食が細くらして、中々、お薬では元気になられないと聴いて、旦那様が、元気付けてやって呉れと言われて来たんです。」

お花「そうなのかい、お父様がぁ?」

お虎「ハイ。お嬢様、何か食べたい物は有りませんか?何でも言って下さい、此のお虎が買って参ります。」

お花「蜜柑とか言っても買って来て呉れるのかい?」

お虎「ご冗談を。さて、お嬢様、先程、旦那様に呼ばれてお噺をして来たのですが、旦那様もお嬢様の病気を大変心配されております。

旦那様が仰るには、お嬢様は何やら『心に想う事』が在り、其れが心に支えて気病みに成り、結果、食事も出来ないのでは?!と。

つまり、魚の骨が喉に刺さっているが如く、気病みの骨が心に刺さっているのでは有りませんか?お嬢様。」

お花「何を謂うのです。心に骨など刺さってはおりません。」

お虎「お嬢様!旦那様は、兎に角、お嬢様が抱える『心に想う事』を解決して気鬱を無くせるならば、どんな願いも叶えてやると仰っています。

率直にお聴きします、お嬢さん!貴方の『心に想う事』とは、ズバリ!恋煩いでは有りませんか?


恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす


と言う都々逸が御座いますが、お嬢様は正に蛍の如く恋煩いに掛かってらっしゃる。お嬢様!是非、蛍ではなく蝉になって下さい。

恋に焦がれている人の名前を、是非、このお虎に教えて下さい。旦那様にも、奥様にも内緒にしますから、お虎だけにお話し下さい。」

お花「アレ?お虎とした事が、突然何を言い出すのです。私は恋煩いなどでは有りません。だから、恋に焦がれている人など有りませんワ。」

お虎「お嬢様!最近のご様子を見ていれば判ります。此のお虎の目は節穴では御座いません。又、お隠しに成りたいお気持ちも判ります。

恋を他人(ひと)に知られる事は恥ずかしい物で御座います。ですが、独り胸の中に仕舞い込んでも、其の恋は成就しませんよ、お嬢様。

あの花見の日、観音の親分さんの歳に似合わぬご活躍、気風が宜くて色白く男前、オマケに背も高いと来ている。

其れを見て、お年頃、妙齢な貴女が惚れるのは、至極当たり前の事です。お嬢様!貴女の恋煩いの素は、観音の親分さんでしょう?」


観音の親分さん!


と、お虎に謂い当てられて、お花は大いに驚き、顔を真っ赤に致します。そして、ゆっくり頷きモジモジして、畳の上にのゝ字を書いております。

お虎「如何やら図星の様ですね?ヨシ、其れなら、此のお虎に任せて下さい。何も心配する事は御座いません。

此の恋泥棒の女鼠小僧!と呼ばれるお虎が貴女の味方です。全てお任せ下さい!ご両人の仲を宜い塩梅に取り持ちます。」

お花「ウーン、恋泥棒の女鼠小僧が二十五の行けず後家なのはぁ〜、どうしてだい? 男に振られるからだよぉ!(にしおか すみこ風)」

お虎「恋の駆け引きは、お嬢様よりは此のお虎の方が、師匠、先生です。兎に角、観音の親分への『心に想う事』を手紙にするのです。」

お花「混ぜ返して御免なさい、お虎。実はあの花見の日から、観音の親分の面影が、今も妾(わたし)の頭から離れない。

胸がキュンとなって寝ても醒めても現れる観音の親分の幻。本当にお前はお父様には内緒で、艶書を親分に届けて呉れるのかい?!」

お虎「萬々任せて下さい、お嬢様。此のお虎が全て飲み込んで居りますから。」

此の様にして、お花を段々に懐柔して行ったお虎は、お花に艶書(恋文)をお花に認めさせて、観音丹次への淡い想いを手紙にします。

さて、艶書が書き上がりお花のお小遣いから、五両の金子を手にしたお虎は、是を持って行田城下は本町へと出掛けます。


つづく