金毘羅詣りの衣装(ナリ)に変装した観音丹次は、江戸表への道中、雨に降られた籠原で雨宿り、其の地蔵堂で思わぬ仇討ちに出会した。
丹次自身も、父の仇を探す身であれば、出会した津田新十郎という上州安中板倉藩の若侍も、父の仇を探し求めて、江戸表へと出たのだった。
併し、探し求めて三年。仇を見付けられぬまま、新十郎は、眼病を患い鳥目、夜目が利かない盲目となり、失意の内に帰郷を決意する。
兎に角先ずは眼病を治してから、再度、江戸表で仇を探すつもりで道中をしていた籠原。新十郎も地蔵堂に、雨宿りしたくて入ったが。。。
其処に居たのが、津田新十郎の父の仇、水谷大膳という侍だった。大膳は言葉巧みに新十郎が鳥目なのを利用して、闇討ちにしょうと企む。
新十郎は、父同様に水谷大膳の汚いやり方で瀕死の重傷を負うが、床下から飛び出した、観音丹次に救出され、其の丹次に遺言をする。
安中藩浪人、水谷大膳は忍の行田、此の地を縄張りに其の名が全国に轟く大親分、小天狗小次郎の食客として、賭場の用心棒をしている、
此の小天狗小次郎の食客、用心棒の水谷大膳を、私の代わりに是非とも討って欲しいと、津田新十郎は観音丹次に思いを託します。
さて、仇討ちを託された観音丹次。高崎九蔵町を出る前に、義父の荒浪ノ清六から謂われた、江戸表へ行くならと、其の通り道だから、
必ず、逢って於いて損は無い、気風が宜くて大層噺の分かる大親分だからと、そう名指しされたのが、忍の行田の貸元。
此の名を小天狗小次郎、正にその人だったから、丹次の性格です、一本気が着物を着た様な性格、妙な小細工無しの直球勝負!!
翌日、津田新十郎を近くの寺に葬りますと、籠原を出て、忍の行田を目指しまして、翌日の午刻、正午過ぎには行田城下に入ります。
武蔵國行田、忍藩は、譜代の十万石の大名で御座いまして、徳川家の血筋、松平左近衛少将忠國侯の治世で御座います。
まぁ、忍藩の城下は高崎よりも、更に大きな街並みですし、江戸にも近い土地柄ですから、中々繁華な城下町で御座います。
その忍の行田の貸元が、小天狗小次郎。道中の茶屋で小次郎の噂を尋ねますと、城下の外れ東西南北四箇所に賭場を持ち、
壱の日、参の日、五の日、そして七の日に各賭場は重ならない様に開帳されて、月に十二回もの盆茣蓙が立つという。
確かに、子分や食客は五、六百から居ると聞くので、其れを養う為なら、月十二回のご開帳で寺銭だけて、毎月三百両の上がりも頷ける。
忍の行田の本町に在る、小天狗小次郎の大きな屋敷は、八十間四方、つまり、1.3000平米の東京ドームに匹敵する大邸宅で御座います。
小天狗小次郎は、元武士だと義父荒浪ノ清六からは聴いていたが、其れが水戸藩で剣術の流派は丹次と同じ中条流だと行田に来て知ります。
そして、小次郎が水戸藩を追われた理由(ワケ)は、其の立ち過ぎる剣の腕前が災いしての、同藩同役の妬み嫉みが原因らしい。
そんな或日、小次郎は同藩の同役五人に闇討ちを喰らうが、見事に三人を斬り捨て、二人は其のまま逃げて水戸を逐電する。
翌日、小天狗小次郎は藩の評定所へ出頭し、検屍、吟味となるが、小次郎に何の落度も無く、悪いのは殺された三人と逐電した二人と判りますが、
小次郎は、藩に居辛くなって浪人となり、常陸から房州、上州へと流れて、無宿渡世に足(ゲソ)を着け、長脇差の食客、用心棒から軈て、
次第にその気風と度胸が慕われて、兄弟分、子分を持つ身に成ると、自身の一家を構えて、武州忍の行田で小天狗小次郎と呼ばれます。
丹次「オッ!之だ、之に違い。其れにしてもドデカい家だ。」
と、云いながら観音丹次は高い石塀に四隅を囲われた、一辺が八十間も在る東京ドーム級の大邸宅を廻りながら、時より中の様子を覗きます。
すると中では小次郎の子分、魁ノ六之助、大目ノ敬次、獄門ノ太助、俵藤太ノ金太、幻ノ十兵衛、ムササビの留蔵、海坊主ノ甚六なんて奴等が、
都合七、八人、門と玄関の間の広い庭の店先で車座になり、屯して世間噺に興じておりますと、門の脇から覗く人影が在ります。
六之助「何だぁ〜、妙な野郎がコッチを見ているぞ!敬次。ホレ、金毘羅詣りの巡礼みたいな野郎だ。」
敬次「確かに、悪い目付きで見てやがるぜぇ。誰か?野郎の知り合いか?」
と、大目ノ敬次が、その大きな目をギョロギョロさせて、全員に尋ねたが「知らぬ!」との返事で御座います。
敬次「皆んな知らないかい、そうかい。」
十兵衛「敬次兄ぃ、ありゃぁ〜乞食の物乞いですぜぇ。」
留蔵「アッシも、十兵衛の意見に賛成です。大方、金毘羅詣りの帰り道で路銀を使い果たして、一文無しが乞食に身を窶したんですよ。」
甚六「相手にせんのが一番です。情け掛けて恵んだりすると、野郎、癖に成って毎日来ますって、乞食は。」
と、小次郎の子分達は、汚い金比羅詣りの格好で現れた観音丹次を、乞食と決め付けて仕舞います。そして、
金太「ヤイヤイ!此処はお前みたいな薄汚い乞食非人の来る所じゃねぇ〜。お余りなど恵んでやる餌は無ぇ〜から、去(いき)やがれ!」
丹次「あのぉ〜、アッシは此処へ物乞いに来たんじゃありません。一文、二文の銭欲しさに戸外に立って居た訳じゃ在りません。」
金太「何ぃ〜、お恵み頂戴じゃないと申すのか?では、何が目的で門の傍に立って居る?」
丹次「何を隠そう!アッシは、御当家にいらっしゃる親分、小天狗小次郎の親分に御用が有り、其れで罷り越した次第で御座います。」
金太「何ぃ〜、宅の親分に御目に罹りたいだと?乞食の分際で、汝、大層な事を言い出しやがる。
ウチの親分には、汝のような乞食非人の、身内、親戚、知人など有りゃぁしないんだ!
何んだ其の格好(ナリ)は?金毘羅詣りの食い詰め何ぞに用は無い!とっとゝ、去れ!去れ!」
丹次「俺は今は訳有ってお遍路さんの格好(ナリ)をしているが、乞食などでは決してない。
其れに、其方に用が無くとも、此方にはちゃんと用が有る。だから態々訪ねて来たんだ!
汝は、此の小天狗小次郎の子分じゃないのか?子分だったら、取次のも仕事だろう?!
早く、親分にお客様が見えられましたと、急いで伝えに走れ、此の鈍間!役立たずが!」
金太「何だぁとぉ〜、巫山戯た事を吠咲きやがって、乞食非人の分際で暴言を吐くと捨て於かんぞ。」
っと、俵藤太ノ金太が観音丹次のお遍路さんに殴り掛かる勢いなので、この場に居た中で一番の兄貴分、魁ノ六之助が止めに入ります。
六之助「止めろ、金太。其れに、金毘羅詣りの巡礼さん!汝、恐らく金毘羅詣りの道中で、食い詰めた御人だろう?
金太、汝も考えろ?路銀を使い果たした旅人が、この界隈では有名な親分に集りに来るのは道理だ。もっと上手く遇らえ、金太。」
金太「上手く遇らうも何も、取次げ!の一点張りなんだ、此の乞食野郎が。」
六之助「判った!判った。受付を代われ。さて、お遍路さん、此処に銭が三十文在る、之をやるから、黙って去(い)んで呉れ。」
と、魁ノ六之助は、丹次に三十文の銭を投げ銭する様に放り投げた。さぁ観音丹次は、乞食扱いされて、怒り心頭です。
丹次「勝手に、乞食呼ばわり仕腐ってぇ〜。俺は物乞いに来たんやなくて、そこに居る野郎にも謂った通り、小天狗小次郎親分に逢いに来たダケじゃぁボケぇ。
親分に用事があって、大事な用で来とるんじゃぁ〜。其れを格好(ナリ)で判断し、取次せんとはどういう料簡だぁ。兎に角、親分に逢わせろ!糞ッタレ。」
と、謂うと金毘羅詣りのお遍路さんが、金剛杖で玄関から中へ入る勢い。庭を横切ろうとしますから、魁ノ六之助は仲間に号令します。
六之助「野郎ども!其の生意気な乞食を捕まえろ。抵抗したら、容赦は要らぬ。ボコボコに畳んで仕舞え!!」
と、謂うから、其の場に居た大目ノ敬次、獄門ノ太助、俵藤太ノ金太、幻ノ十兵衛、ムササビの留蔵、海坊主ノ甚六の六人が、
観音丹次の周りを囲み、木刀や竹棒、薪ザッポなどの柄物を掴み、殴り係らんと殺気立って対峙致します。
丹次「どー有っても、取次はせんと謂うんじゃなぁお前達は。『雉も鳴かずば撃たれまい。』という言葉を知っておるか?
あくまでも、俺の邪魔をするなら、降り掛かる火の粉は払うしかない。手加減はしないから、覚悟して掛かって来い!!」
六之助「黙りやがれ、乞食野郎。金毘羅詣りの食い詰めがぁ!偉そうに講釈するな!オイ、野郎ども、此の乞食を半殺しだ、思い知らせてヤレ、糞ッタレ!!」
と、完全に双方ボタンの掛け違え。なるべくして喧嘩が玄関前の庭先で勃発します。一番、最初に丹次に襲い掛かったのは俵藤太ノ金太です。
薪ザッポを構えて、脳天を叩きに係りますが、スッと丹次は体を交わします。すると、金太は空振ッた勢いで、前のめりに成りよろけます。
そこを金剛杖で、思いっきり背中を叩かれて、俵藤太ノ金太は「ギャッ!」っと短い悲鳴を上げて、呼吸が出来なくなり気絶致します。
是を見た魁ノ六之助、真っ赤な顔になり、「金太の仇だ!死ねぇ〜、乞食。」と叫び、木刀で殴り係るのですが、簡単に杖で受け止めた観音丹次。
今度は、蹴りを六之助の腹、溝内、水月にお見舞いして、是又、蹴り一発で六之助は口から泡を吹いて其の場に伸びて仕舞うのです。
さぁ〜、是を見た残る五人の子分は、此の金毘羅詣りのお遍路さんが、只の乞食じゃないと思い始めますから、
薪ザッポや竹棒を持った幻ノ十兵衛、ムササビの留蔵、海坊主ノ甚六の三人は其れを捨てゝ、懐中から匕首を出して構えます。
そして、木刀を手にした大目ノ敬次が、ムササビの留蔵に目で合図を送り、観音丹次の左側面から徐々に徐々に背後に回ります。
すると、敬次が完全に丹次の真後ろに成った所で、留蔵が匕首を低く構えて、丹次に正面から突いて出ます。更にやや遅れ敬次も大上段から、
木刀を力任せに振り下ろして頭をカチ割に行く、綺麗な挟み討ちの攻撃だったのですが、なんと!丹次は前に金剛杖を突いて出て、
ムササビの留蔵の喉に当てゝ、留蔵は後に倒れます。直後に大目ノ敬次の上段からの木刀が降って参りましたが、既に丹次の姿は無く空振りです。
其処へ、体を反転させた観音丹次の金剛杖が、横真一文字に振られると、堅い杖が、大目ノ敬次の脇腹に当たり、敬次も「ギャッ!」と、
短く声を上げると、その場に蹲ってヒクヒク痙攣しながら、動かなく成って仕舞います。さぁ、是を見た残る三人。
互いに目を見合わせてはおりますが、完全にビビッて声も出せず、脇の下から、冷や汗が人生初めて!ダラダラ瀧の様に流れ出ます。
さっき迄の威勢は何処へやら、残り獄門ノ太助、幻ノ十兵衛、海坊主ノ甚六の三人は、観音丹次の金剛杖が届かない遠い距離を取り、
時々、「エーッ!」「オーッ!」「ヤァーッ!」と、奇声だけは発しておりますが、全く攻撃する気配は御座いません。
すると、流石に奥の居間に居た小天狗小次郎が、玄関外の騒ぎに気付き、脇差を帯の間へ落とし差しにして出て参ります。
小次郎「どーしたんだぁ?太助、十兵衛、海坊主、何が在った?!」
太助「此の乞食の金毘羅詣りが、四人を其の杖で殴り倒したんです。」
小次郎「何ぃ〜、本当かぁ?十兵衛。」
十兵衛「本当です。物乞いに来て、六之助の兄貴が三十文恵んでやったら、銭が少ないって怒り出して。。。」
丹次「違う!嘘を謂うなぁ。小天狗小次郎親分に会いに来ただけじゃぁ、ボケ。」
小次郎「おい!ウチの子分を、小天狗小次郎の身内を、汝、よくも打ちのめして呉れたなぁ!」
丹次「ハァ?!汝が小天狗小次郎か?確かに、俺は汝の子分を此の金剛杖で打擲して、気絶させてやったが、其れには理由(ワケ)が在るからなぁ。
汝の子分は、俺を乞食、非人呼ばわりして、俺が親分の汝に用が在ると謂うのに、全く取次もせず無礼千万。だから、少しお灸を据えてやったダケじゃぁ。」
小次郎「ヤイ!金毘羅詣り、何を生意気な口を利きやがる。此の小次郎を、旧知の朋輩の如くに口を利くとは、捨て於かんぞ猪口才な。」
丹次「ムゥ〜、捨て於かぬならどう致すつもりだ?」
小次郎「どうも、こうも在るかぁ?お命頂戴!真っ二つに叩き斬ってやるからそう思え、此の金毘羅詣り。」
丹次「笑止、巫山戯た事を抜かすなぁ、ボケ。何人子分が助太刀しても構わぬ、そっちの広い場所に出ろ!百人でも、二百人でも構わぬ、勝負は受けて立つ、参れ!!」
小次郎「馬鹿を抜かせ、汝一人に。俺一人でお釣りが来る。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、あの世へ送ってやるから、覚悟しやがれ、ベラ棒めぇ。」
そう謂うと、小天狗小次郎は、腰に差していた長脇差をズラりと抜いて、正眼に構えるのだった。
一方、先に中庭の奥、広い所へ出ていた観音丹次は、背中の大刀を出して久しぶりにゆっくり抜き、此方も正眼で受けて立った。
互いに、呼吸を整える二人。小次郎の雪駄と丹次の草鞋、其々、履物の擦る音だけが聴こえて来て、小次郎の子分三人も唾を呑み様子を見ています。
軈て、間合いが詰まり、先に斬り付けたのは、小天狗小次郎。中段から鋭く斬り込みます。がッ併し、観音丹次も腕に覚え有り、
この刃をチャリン!と、弾き返すと、上段からの面を繰り出します。再度、刃同士がぶつかり、火花を散らすチャリン!の音。
更に、二度、三度、鋭く踏み込み小天狗小次郎から観音丹次を斬り付けますが、丹次は柳の様に体をくねらせ、此の攻撃を交わします。
『ムゥ〜、此の野郎!中々どうして、確かな腕前だ。』
少し冷静を取り戻した小天狗小次郎は、観音丹次に噺掛けます。
小次郎「ヤイ、一寸待て。」
丹次「何ぃ?待てだぁ〜。ハぁ〜?俺の腕前が物凄くて、汝、怖気付いたなぁ〜。」
小次郎「馬鹿をいえ!汝如きの剣の腕前に、この小天狗小次郎様が臆するハズがあるもんか!ただ。」
丹次「ただ?ただ、何だぁ?!」
小次郎「ただ、其の金毘羅詣りの格好(ナリ)に似合わず、本寸法の剣術を使う由え、斬り殺す前に、名前位は聴いてみる気に成っただけだ!名は何と申す?」
丹次「分かった。知らざぁ〜、謂って聴かせやしょう。オイラぁ、上州水澤村の生まれ、今は荒浪ノ清六の倅、高崎は九蔵町の観音ノ丹次たぁ〜俺の事だぁ。」
小次郎「何ぃ〜、お前さん!高崎のぉ、売り出し中の観音ノ丹次さんかい?その観音ノ丹次さんが、なぜ、金毘羅詣りの格好なんだ?」
丹次「実は、カクカクしかじかで、新町で唐丸籠を襲ったから、江戸表に向かう道中、追手の目を誤魔化す為、此の格好をしているんで御座んす。」
小次郎「そうかい。其れで、なぜ?ウチの若衆には、観音ノ丹次って名乗らなかった?」
丹次「名乗らないも何も、此処に伸びている二人が、乞食呼ばわりして、全く取次して呉れねぇ〜し。
挙句の果てには、三十文の銭を投げ付けられて、『お前の来る所じゃねぇ〜、乞食非人は去れ!』とやられて、
其れで、喧嘩になり、この様なんですよ、親分。嘘だと思うなら、此の三人に、聴いてご覧なさい?白状しますから。」
小次郎「ヤイ!太助、十兵衛、海坊主?今、丹次さんが謂った事は本当なのか?!」
と、怒鳴り付けられた、子分三人は驚いた。まさか、此の金毘羅詣りの乞食野郎が、上州で一番の売り出し中、観音丹次だとは思いません。思わぬ展開に狼狽ます。
太助「すいません!取次に入ったのは、魁の兄貴で、アッシ等は、此の乞食、じゃなくお乞食様を、畳んで仕舞えッて、魁の兄ぃに云われて、なぁ、十兵衛。」
十兵衛「そうなんです。六之助と金太の兄ぃ達が、名前も確かめずに、乞食だ!非人だ!ッてやり始めるから。」
海坊主「全く、観音ノ丹次親分とは聴いてないから、匕首抜いたりしましたが、知ってりゃしませんッて。だから強いんだ、もうビックリしました、御見逸れです。」
さぁ、経緯を聴かされた小天狗小次郎、全く自分の子分の粗相だと判り、直ぐに刀を収めて、謝り始めます。
小次郎「済まない、観音の親分さん。馬鹿な子分達の粗相とは言え、匕首抜いて斬り掛かるとは、詫びて許されるモンじゃない。
子分かしでかした失敗(しくじり)は、親分である此の小天狗小次郎の失敗だ。指(エンコ)飛ばすか?髷を落とすか?はたまた命を取るか?好きにして呉れ、丹次さん。」
そう謂う、親分小次郎の声を聴いた魁ノ六之助が、起き上がり、小次郎と丹次の間に割って入ります。
六之助「観音の親分さん!申し訳在りません。親分の知らぬ所で、アッシが勝手に仕でかした誤りで御座います。
どうかぁ、アッシの首で事は収めて下さい。お頼み申します。決して、親分に非は御座いません、どうかぁ、アッシの首で。」
丹次「いいえ、決してケジメを取るつもりなど在りません。判って下されば、水に流します。其れに、痛い目を見たのは汝さん達の方だ。
そして、アッシの父親、荒浪ノ清六が云った通りでした。小天狗小次郎親分は噂通りの出来た御人だぁ。そして、宜い子分をお持ちだ。」
小次郎「お恥ずかしい。荒浪の親分さんの噂も耳にはしているが、之まではなかなか逢う機会が無くて、挨拶もした事はないが、
丹次さん!汝さんを見ていると、お育てになった荒浪ノ清六親分の人柄が、透けて見える気が致します。」
丹次「イヤイヤ、大変有難う存じます。小天狗小次郎親分にそう言って頂けたら、きっとウチの親父も慶びます。」
小次郎「丹次親分に、そう謂って頂けると、本当に救われる。オイ、野郎共!丹次親分にお礼を申し上げろ。」
子分全員「有難う御座います。大変失礼致しました。」
小次郎「所で、丹次さん。何かアッシに用が有りなさったんじゃぁ?」
丹次「そうでした、親分。こちらの賭場の用心棒に、水谷大膳と仰る安中藩のご浪人がいらっしゃいませんか?」
小次郎「居ますよ、大膳。確かに、ウチの食客で賭場の用心棒をしています、その大膳が何か?」
丹次「今、何方にいらっしゃいますか?」
小次郎「今ですか?多分、奥の部屋に居ると思いますが?!」
丹次「其れなら、私の事は伏せて、玄関に呼んで頂けますか?ちょいとお噺が御座いまして。」
小次郎「判りました。オイ、六之助、大膳の旦那を俺が呼んでいるからと、玄関に呼んで来て呉れ。」
六之助「へぇ、合点です。」
と、魁ノ六之助が、玄関から奥の部屋へ水谷大膳を呼びに走るのですが、此の水谷大膳、六之助達が金毘羅詣りの巡礼と揉めていると聴いて、
是は一昨日、地蔵堂で会った野郎が、津田新十郎の仇討ちの件を持ち込んで来やがったなぁ、と、思いますから、
玄関脇に隠れて、子分達と丹次の喧嘩、更には子分をやられた小天狗小次郎が、丹次に斬り掛かった時は、斬り殺せ!と念じて見ていたが、
結局、水谷大膳にとっては、最低最悪の展開になり、小次郎親分と丹次が仲良く成って、此の儘だと観音丹次に斬り殺される。
そう確信した水谷大膳ですから、こっそり、裏口から外へ逃げ出して、もう、既にこの小天狗小次郎の屋敷には居りません。
六之助「親分、大膳の旦那が。。。居ません!」
小次郎「居ない訳、ねぇ〜だろう。さっき、俺が此処へ出て来る少し前には、奥で将棋を指してたんだから。」
六之助「其れが、一寸前に裏門から出て行く姿を、太助の野郎が見たそうでぇ。」
太助「ハイ、親分が観音の親分と喧嘩止めて、噺出したら、急に血相変えて、おっとり刀で出て行きました。」
小次郎「何んでだぁ? 丹次さん、何故か判りますか?」
丹次「ハイ、大凡は判ります。実は、一昨日、籠原の地蔵堂で、津田新十郎という安中藩のお侍と出会いまして、カクカクしかじか、
そう謂う訳で、水谷大膳は、其の津田新十郎氏の父の仇なので、亡くなった津田氏に代わり、仇討ちの決闘を申込みに此の屋敷へは来たのです。」
小次郎「つまり、儂が丹次さんと和解したのを見て、大膳の奴は逃げ出したと謂う訳ですか?」
丹次「そうです。恐らく。津田新十郎氏の父上を闇討ちにして、更に、眼病で夜は盲目(めくら)の新十郎さんを騙し討ちにする様な奴ですから。」
小次郎「確かに、大膳の奴は、三年前に此の家に転がり込んで来たが、そんな悪事を働いていたとは。。。全く知らなんだ。
其れにしても、他人の仇討ち、而も会ったばかりの他人の仇討ちに、そこまで肩入れするとは、丹次さん!汝って人は本に義侠の塊だ。」
丹次「そう謂って呉れるッて事は、あの水谷大膳を、親分は庇う事はしないんだねぇ?」
小次郎「当たり前さぁ。悪党と判った後、なぜ、大膳を守ってやったりするもんか。逆に仇討ちの手伝いを、俺もさせて貰う。」
丹次「本当ですか?親分。汝が味方に成って呉れるなら、百人力、いや!千人力だぁ。」
小次郎「其れに、大膳は逃げたと言っても此の界隈に隠れるだろう。其処は儂が子分や兄弟分を使って必ず探し出す。
まぁ、そうは謂うても、大膳も死物狂いで逃げ隠れるするだろうから、ある程度、長期戦覚悟になるが、丹次さん!!
お前さんさえ良ければ、ウチに暫く居て、一緒に大膳の行方を探して、その津田新十郎さんの仇討ちをしてから江戸表に行かれては?どうですか?」
丹次「其れは願ってもない噺です、小天狗小次郎親分。この忍の行田に置いて貰えるなら、観音ノ丹次、微力ながら賭場のお手伝いなどさせて頂きます。」
小次郎「ヨシ、ならば噺は決まった。今日から食客として、此の屋敷で面倒みるから、若衆に剣術を教えたり、賭場の用心棒をして下さい。」
丹次「有難う御座います、小次郎親分。では、宜しくお願い申します。」
こうして、観音丹次は小天狗小次郎一家に草鞋を脱ぎ、津田新十郎から依頼された、仇討ち、水谷大膳を討つ迄は忍の行田に止まる事に成った。
更に、小天狗小次郎からの強い願い、要望もあり、観音丹次と小天狗小次郎は、義兄弟の契りを交わす事になります。
盃に互いの血を入れて交換する儀式を行い、当然、年齢は倍以上小次郎が上ですから、小次郎が兄貴分で、丹次は舎弟分。
それは小天狗の小次郎が六分、そして観音丹次の方が四分という、親の血を引く兄弟よりも堅い契りの義兄弟で御座います。
こうして、観音丹次が兄弟分の契りを親分、小天狗小次郎と交わしますと、子分達は丹次を馬鹿にしたり、反発したりする態度は無くなり、
今では一家のお尋ね者、水谷大膳の後釜に、観音ノ丹次と言う立派な漢が収まりまして、子分衆一同は大変慶んでおります。
そして一月も致しますと、子分衆は観音丹次を「若親分!若親分!」と呼ぶようになり、四つの賭場の仕切りは丹次が小次郎に任せられる。
もう、こうなると、小天狗小次郎一家に、観音丹次と言う若親分、代貸が新しく出来たって噂が、更に関八州へと広がり、
高崎の九蔵町発の観音丹次の評判よりも、更に江戸に近い十万石の城下、忍の行田発の評判は、更に広い範囲に轟きます。
此れは、丹次にも小次郎にも、慶ぶべきニュースでは有りますが、一方で水谷大膳の警戒も強くする結果となり、
この年は暮れて、新玉の春を迎え、更に三月の歳月が流れて、観音丹次が高崎九蔵町を出て新町の児玉屋で唐丸籠を破ってから早半年が過ぎます。
さて、そんな翌年の三月、節句も過ぎた桜の季節。ここ忍の行田城下から一寸半里離れた所に徳大寺という寺が御座いまして、
此の徳大寺の境内には、多数の桜木が御座いまして、丁度この季節に花盛りを迎え、行田の花見の名所で御座います。
ですから、茶店などが徳大寺の門前や境内に出来まして、其れは其れは、実に大層な人出で賑わう季節を迎えます。
さて、そんな花見の季節、其の日は至って長閑な朝からの晴天。小天狗小次郎が観音丹次に申します。
小次郎「どうだい、兄弟。今日は幸い賭場に盆茣蓙を立てる日じゃ無ぇ〜し、この陽気だ。一つ、若衆を連れて花見と洒落ては?」
丹次「ヘイ、そりゃぁ兄貴、宜う御座んすねぇ。」
小次郎「善は急げだ。じゃぁ出掛けるとしよう。」
さぁ、噺が纏まりますと、直ぐに子分達に声を掛けて支度が始まります。まず酒と肴を調達させて、四段重に致します。
其れが整いますと、小天狗小次郎と観音丹次を先頭に十四、五人連れの一団が、徳大寺を目指してゾロゾロ歩いて参ります。
目当ての徳大寺の境内に来てみれば、中には葦簀(よしず)張りで露天が並び、団子、木の芽田楽、おでん、寿司など、
どの露天にも大勢の客が付いて、思い思いの春の味覚に舌鼓を打ち、一方では桜の木の側に毛氈を敷いて手持ち料理を楽しむ人々も。
そして勿論、中には酒を呑み赤い顔になり、陽気に歌い踊り、其れは其れは、賑やかで平和な光景で御座います。
そんな徳大寺の本堂からやや離れた横手には、小高い丘が御座いまして、その丘に月下亭という料理屋が御座います。
この月下亭には徳大寺の桜を見下ろせる絶景の座敷が御座いまして、小天狗小次郎は毎年此の屋敷で花見を致します。
ですから、店の者は女将、仲居、女中、板前に至るまで小次郎の顔を存じており、今も女中が小次郎を見付けて声を掛けます。
女中「オヤ、行田の親分さんじゃ有りませんか?親分さん、奥の座敷が空いてますよ、ささぁ、お入り下さい。」
小次郎「どれ、見晴らしの良い処が空いているかい?」
女中「そりゃぁ〜もう、特等席が親分の為に空けて御座います。」
小次郎「上手い事言うねぇ〜、じゃぁ、通して貰うぜぇ。」
と、小天狗小次郎と観音丹次の一行は、月下亭の奥の座敷へ上がりまして、持ち込み半分、店の酒肴半分で、直ぐに酒宴が始まります。
小次郎「どうだ?丹次。行田の桜は初めてだろう?高崎と比べてどうだ?行田の賑わいは?」
丹次「平素は高崎も、行田も、同じ様な田舎ですが、この花見の賑わいは凄いですね、高崎にはこんな人出の花見は在りません。」
是を傍で酒をやりながら聴いていた、魁ノ六之助が、丹次に申します。
六之助「そうでしょ?若親分。この徳大寺の花見には、行田城下の女子(おなご)達も、其れは其れは、めかし込んで来てますから、
ホラ!見てご覧なさい、彼処を行く女!アレなんかどうです?そして、アッチの年増も粋で乙、選り取り見取りの女子ばかりでしょう?若親分。」
と、月下亭の前を通る女子を、一々、六之助が自分勝手な寸評を致しまして、観音丹次に聴かせておりますと、其処へ、
歳の頃は十七、八。最も上品な一人の娘、日傘を差して、下女を一人お伴に連れ、桜並木を丹次達を見上げる様に歩いて参ります。
さぁ、この美しい小町娘を見付けた魁ノ六之助が、一層力の入るお見立てゞ、此の娘の寸評を披露致します。
六之助「若親分!アレを見て下さい。今、茶店の前から桜の下を通る特上の小町娘。アレは行田で一と言って二とは下らない小町中の小町。
ただ美しいだけでなく、貴賓が有りましょう?あれだけ、上品で立派な凛とした佇まいの小町娘は、江戸にだってそうザラに居るもんじゃない。」
丹次「もんじゃが無いなら、お好み焼きは有るのか?大袈裟過ぎだ、六之助。あの程度の小町娘など、俺は随分見慣れいるんだ!」
六之助「こいつは、大きく出ましたね、若親分。アレは行田でも一、二の金萬家、加島屋の一人娘のお花さんですぜぇ。
流石、忍小町、行田小町と呼ばれるだけあり、あの育ちの宜しい美しさ!其れを見慣れている何んて、負け惜しみが過ぎますよ、若親分。」
丹次「馬鹿を云うなぁ、何が負け惜しみなもんか!俺はそもそも、女子などに興味が無いのだ。だから、小町娘の美しさの程度など、どうでも宜い。」
六之助「妙な事を謂いますね、若親分。男に生まれて女子に興味が無いとか、関係ないとか、宜く謂いますね?!照れ隠しなら古いよ?
畢竟、あの忍小町のお花さんを、若親分はまだ宜く知らないから、そんな妙な事を仰るのだと思いますが、実はですねぇ〜、
あの女(ひと)に、極々近付いた為に、ニコッと微笑まれて、恋煩いで死んだ野郎が何人居るか?若親分はご存知ない!?」
丹次「何を馬鹿な事を。俺は小町娘の笑顔などに頓着しないし、興味も無ぇ〜!ベラ棒めぇ〜。」
と、そんな事を謂いながら、小天狗小次郎と観音丹次の一行は、徳大寺脇の料理屋、月下亭の奥座敷でワイワイやっております。
さて、此の後、此の花見から事件が又、起こるのですが、今回はこの辺で、続きは次回のお楽しみで御座います。
つづく