吾妻屋の奥座敷で、主人の清五郎と高橋丹次郎が噺をしていた。其処へ、鰤尽くしの膳部が出来たと、女中のお清が知らせに来る。

お清「旦那様、鰤尽くしの膳部が整いまして御座いますが?」

清五郎「そうか?、丹次郎さん取り敢えず、食事を先にしなさい。お清、二階の椿の間に、丹次郎さんを案内して、

お前さんが自ら給仕をしてやりなさい。そして、丹次郎さん!遠慮なく御飯もオカズもお代わりして、食べたいだけ食べなさい。

お清!いいかい?この丹次郎さんは、私にとっては、新町の荒波親分の次に大事なお方だ。女房のお庸よりも大事なんだからね?

丹次郎さんが、欲しいと仰る物は、何んでもお代わりして、お出しするんですよ?宜いね?お清?」

お清「ヘイ、畏まりまして御座います。」

清五郎「あゝ、それから食後にお菓子を。羊羹の宜いのが有りましたね。あれとお茶も差し上げて。甘味は別腹と申しますから。」

お清「畏まりました、旦那様。」


【芸者ワルツのメロディで!!】

お清のリードで 丹次郎は二階

寒鰤尽くしの 待ち遠しさぁ

流れる涎(ヨダレ)も 恥ずかし嬉しい

鰤膳尽くしは 満腹ワルツ


膳部の中には 塩焼き嬉し

鰤は重たい 冬の鰤

食べなきゃよかった 昼食(ひるげ)の美味に

鰤中毒の はじめでしょうか


鰤カマお顔を 見た嬉しさに

食べたら病み付き 痺れたわ

お昼はせめて 介抱してね

どうせ毎日ちゃ 食べれぬ鰤御膳


食べるの諦め 食わずの昼は

お八ツ涙の 通り雨

遠く泣いてる 義太夫流し

鰤の美味さが 身にしみるのよ


さて、出された吾妻の鰤御膳は、鰤の刺身、鰤の塩焼き(腹身)と、お煮〆は鰤大根。ニノ膳には鰤シャブです。

更に腕物は、飛魚出汁の澄まし汁に、尾の身の焼鰤と青菜が具に使われておりました。

これがオカズですから、お清が多めにと、気を利かせて、炊き立ての五合の白米をお櫃に用意しましたが、是では足らず追加で五合。

更に、デザートの甘味、羊羹は、三本をペロリ!ッと平げまして、流石のお清もびっくりで御座いました。

厚かましいと謂うかぁ、丹次郎は遠慮というものを知りません。そんな厚かましい所は、大名の血筋なのでしょうか?


丹次「いやぁ〜、ご馳走に成りました。是れだけ食べてとけば、食い溜めが利きます。其れにしても、高崎には美味しい魚な有りますね。

水澤では、こんなに美味しい魚は口に入りません。お清さんに伺ったら、鰤と謂うそうですね?何んでも越中富山の氷見って所で取れるとか?」

清五郎「ハイ、この時期一番のご馳走です。海の無い上州でも、高崎には越前、越中、越後の海の幸が、

雪や氷詰めにされて、鮮度を保ち腐らぬ様にして、なるべく現地と同じ味のまんま、此処まで運んで来るのですよ。」

丹次「人間の工夫には、驚かされます。そして、努力と知恵の結晶が、今、私がご馳走になった鰤なのですね?本当に感動しました。」

清五郎「鰤は、出世魚と言うのは知っていますか?」

丹次「出世魚?」

清五郎「鰤と謂う奴は、成長する度に、呼び名が変わるから、出世魚と呼ばれるんです、坊ちゃん。

そして出世魚の名前が変わるのは、成長とともに姿が変化し、味わいも変わる為です。どんどん美味しくなる。

鰤のように成長に合わせて釣り方が異なるものもあり、魚屋が売る際にも、付加価値を付けて違う魚として扱います。より高く売る為です。

鰤の様に名前が変わるまでに数年かかる魚は、同じ季節に成魚と若い魚が、

一緒に魚屋の店頭に並びますから、両方を食べて味の違いを体感できるのも楽しみです。

また、鰤の出世名の変遷は、江戸と上方では少し異なります。

江戸・関東では、ワカシ(ワカナゴ)イナダワラサブリ

京や上方では、モジャコワカナツバスハマチメジロブリ

今日、坊ちゃんが食べなすった鰤尽くしの膳は、焼魚とシャブシャブはブリですが、刺身と腕物はワラサとイナダの中間くらいの鰤なんです。

料理の種類によって、脂の乗り加減に良し悪しがあるので、料理人の目で選ぶようにしています。」

丹次「料理も奥が深いですねぇ〜。」

清五郎「ハイ、何でも極めるのは大変な命懸けの勝負です。坊ちゃんは鰤で言うと、まだ、イナダだ。

其処で、アッシからの提案です。まだ、イナダの坊ちゃん。丹次郎さん!一つ剣術だけでなく、漢の修行もしてみませんか?

アッシが、新町の荒波の親分に紹介状を書きましたんで、是を持って漢の修行をしてみちゃどうです?

任侠道を学んで、生きる術(すべ)を学ぶのです。そして世間を渡れ鬼に勝てる様になってから、江戸表へ出て剣術修行しながら仇を討つ。

どうです?そうしてみては?」

丹次「清五郎親方、ご意見有難う御座います。仰る通り!この丹次郎、先ずは漢を磨いてから江戸表へ出たいと思います。」

清五郎「まぁ、お前さんの料簡なら真っ直ぐで宜い任侠が出来るでしょう。それから、この財布に二分と四、五百文の小銭が有ります。

すぐ近くの新町までの道中ですが、無一文はいけない。この財布を持って行きなさい。そしてしっかり、荒波の親分の言う事を聴いて頑張りなさい。」

丹次「どうも親方、何から何までご親切に、有難う御座います。必ず、後にこの恩返しはさせて頂きます。」

清五郎「なぁ〜に、宜いって事よ。又、何か困った事が有れば、私に言って来て下さい。水澤のご実家にも宜しくお伝えして於きます。」

丹次「イヤ、色々と思召は有難う御座いますが、水澤の実家と伯父の七郎右衛門には、頼りたくは御座いませんので、知らせないで下さい。」

清五郎「それじゃぁ、坊ちゃんの好いた様になさったら宜かろう。」

こうして丹次郎は、清五郎の親切を大いに喜び、頂いた紹介状と財布を懐中に仕舞って、吾妻屋の広い間口の前に立った。

丹次「皆さん、お邪魔を致しました。先程は真に失礼を致しました。虎蔵さん?頭はまだ、痛みますか?」

虎蔵「勝手にしゃがれ!ベラ棒めぇ。図々しい野郎もあるもんだ!宅の親方はつくづく変わり者だ。

無一文の乞食、、、お乞食様に膳部を取らせて、小遣い銭まで与えるなんて!信じられねぇ〜ぜぇ。」

と、若い板場の連中が呆れながらも、丹次郎を見送ります。


さて、丹次郎、吾妻屋を出てフラッカ、フラッカ歩いて高崎城下を外れて、

段々と新町の方を指して進んで参りますと、道中、一軒の大層立派な立場茶屋が御座います。

その立場茶屋の前に一人の大きな男、浴衣の上から単物を着込みました力士で御座います。

そして、最前から何やら「御免なさい!」「許して下さい!」「堪忍下さい!」と、

仕切りにペコペコ、米搗きバッタの様に、店の亭主と五、六人の奉公人を前に謝っておりますが、

店の亭主も奉公人も、えらい剣幕で怒り心頭!怒っております、怒っている。

亭主「無いで済むか!この食い逃げ野郎。やい、この力士に身体で教えてやりなさい。」

と、亭主が命じますと、若衆は寄って集ってこの力士を殴る蹴るの打擲します。

暴行を受けております力士で御座いますが、反撃、抵抗は一切致しませんで、謝り続けて是に耐えております。

さぁ、是を見ました丹次郎。ご存知の通り、根が一本気の気性で、黙って見てられる訳がない。

丹次「オイオイ!ご亭主、一寸待ちねぇ〜。一人を大勢で殴る蹴るはみっともないぜぇ。

其れに力士は、無抵抗で謝ってなさるじゃないか?穏やかに、話し合いで解決できないのかい?」

亭主「ヤイ、生意気な口を利くな!十年早い。糞ガキの出る幕じゃねぇ〜、スッ込んでろ小僧。」

丹次「イヤぁ、スッ込んじゃぁ〜居られねぇ〜。俺が引いたら力士は打たれるじゃねぇ〜かぁ〜。一体?何が原因だい?!」

亭主「食い逃げだ!一杯十六文の丼飯を、七杯半喰いやがって、百二十文だと言うと、三十二文、二杯分しかないと謂いやがる。」

丹次「高けぇ〜。丼物じゃなく、素飯の丼飯だろう?蕎麦ならイザ知らず、丼飯が十六文は暴利だぞ、亭主。四文が相場だ三十文に負けろ。」

亭主「馬鹿!四文は元だ。与太郎が唐茄子を売ってんじねぇ〜!元値で売る馬鹿があるかぁ。」

丹次「分かった!分かった。それにしても、百二十文にしちゃぁ〜、酷過ぎないか?」

亭主「何を言う、こんな食い逃げなんてやる奴は、半殺しの目に合わせて当然だ。」

丹次「どうあっても許さないと謂うのか?」

亭主「大きなお世話だ。ガキには関係ねぇ〜、黙っていろ。」

と、また力士を若衆が打擲しようと致しますから、

丹次「おい、一寸待って呉れ!」

と、丹次郎が間に入り、再び、是を諌めに掛かります。

丹次「ところで、お力士、お前さんその様子だと褌担ぎって訳でもあるまい、どうなさったね?」

力士「ヘイ、ご親切に聴いて下さり、有難うさんです。私は江戸の稲川関の部屋の者で、

四股名を綾錦政之助と申します。上州安中の巡業を抜けて、母が急病と聴いて、江戸は深川へ帰る途中です。

巡業中に、母が病に倒れたって知らせを貰いまして、親方や兄弟子達は次の信州路へ向かう中、私だけ無理を言って、

江戸へ戻っても、母の様子を確かめたら、直ぐに又信濃の次の巡業先へ戻る事になります。慌てゝ出たからこんな格好で。」

丹次「其れで?道中、無一文なのに、腹が減って茶屋に入ったのかい?」

綾錦「いいえ、私も安中から無一文で江戸表へ帰る訳はなく、財布に三分二朱くらいの銭を持って出たのに、

道中、何処で護摩の灰にやられたか?摺られたようで、財布には三十二文しか無くなっていたんです。

こんな事なら、食うんじゃなかったと後悔しましたが後の祭、其処でこの店のご亭主に訳を話したので御座いますが、

最初(ハナ)から持ってなかったに決まっている、白こい芝居はするな!この食い逃げ野郎!と、相手にされず悪口雑言。

ペコペコ謝りましたが許されず、打擲されました所へ、貴方様が通り掛かられたと、そういう訳なので御座います。」

丹次「何んとも、明日は我が身、似たような噺は有るもんだ。俺は運が有った。この立場茶屋の亭主じゃなくて、清五郎親方だったから。」

綾錦「何んですって?」

丹次「イヤ、こっちの独り言だ。 さて、ご亭主、この綾錦さんの百二十文は、俺が払う。其れなら文句は無かろう?」

亭主「イヤ是はどうも有難う御座います。お代さえ払って頂けるなら、兎や角言うんじゃ有りません。ハイ、確かに頂戴致します。」

丹次「そして、三十二文。是は私が飲んだ茶代である。」

亭主「ハイ、どうも大きに有難うさんで御座います。」

丹次「是で、力士も俺も勘定は済んだなぁ?」

亭主「ハイ、お済みで御座います。」

丹次「是でご亭主、お前さんの言い分不満は無くなった。だがな?コッチには客として言いたい事がある。」

亭主「飯を食べて頂き、茶代も頂きましたから、貴方はお客様です。それで?言いたい事とは?」

丹次「そのお客様を、貴様はなぜ、打擲した?」

亭主「そんなぁ、小僧さん!無茶な言い草だ。」

丹次「何が無茶だ?」

亭主「だってそうでしょう?最初(ハナ)から払って下されば、打擲などしませんよ。三十二文しかないと謂うから。。。」

丹次「馬鹿をぬかすな!勝手に食い逃げと決め付けて打擲したのは貴様の方だ。銭を払ったら、自分だけ許して下さいでは道理が通らぬ。

なぁ、綾錦関、お前さんも我慢成らぬだろう?どうだ!」

綾錦「あぁ、勿論だとも、我慢ならぬ。」

丹次「ご亭主、お前さんも、出世前の力士の身体を散々殴る蹴るの打擲したんだ、其れなりの落とし前を覚悟しなさい。

さぁ、綾錦関、この一文惜しみの守銭奴に、血の雨を降らせて、仕返し下さい。」

綾錦「ハイ、承知しました、ごっちゃんです。 ヤイ亭主!よくも殴って呉れたなぁ?」

亭主「今更、そんな事を言われても。。。」

綾錦「払いは済ませたんだ!もう、貴様に文句を謂われる筋合はない。唯一つ、貴様に之をお見舞い申す。」

と、謂うと綾錦、立場茶屋の亭主の横面を、渾身の張り手で、パーンと殴り付けました。

 蝶野ビンタ?!

天下の力士の一発を喰らった亭主は、横に三、四軒吹っ飛びまして、ギャッと声を上げ伸びてしまいます。


丹次「さて、綾錦関。お前さん、三十二文では此の倉賀野の立場から江戸表までは道中出来ないだろう?」

綾錦「ハイ、左様では御座いますが、江戸には病の母が待って居るので、行くしか仕方御座いません。」

丹次「其処でだ、私に良い考えがある。かく言う私もついさっき助けられたのだが、此の先の高崎に、立派な親方がいらっしゃる。

高崎でも、一、二の大きな料理屋で吾妻屋と言う店が在り、その親方で、清五郎さんと仰る方だ。

俺が、その清五郎さんに口を利いてやるから、其処で路銀を借りてから、江戸へ帰ると宜い、なぁ、そうしなさい。」

綾錦「併し、其れでは、貴方にご苦労の掛け過ぎです。見ず知らずの御人に。。。そんな苦労を掛けては。」

丹次「何を謂うんだ!旅は道連れ世は情け、袖擦り合うも多少の縁だ。其れにお前さんの親孝行の手助けがしたいんだ。

俺は、両親に小さい時に死なれてもういないから、お前さんの親孝行の加勢をすると、

何だか死んだ両親に孝行した気になるんだ。だから、手伝わして呉れ!」

綾錦「そうですか?何だか、甘えるみたいで。。。」

丹次「気にするな!サッ日が暮れる迄に、高崎に入ろう。」

と、二人は吾妻屋を目指し、黄昏時の峠道を高崎へと向かった。

丹次「御免なさい!先程は親方、どうもお世話様で御座いました。」

と、吾妻屋の暖簾を潜ると、あの虎蔵が出て来た。

虎蔵「何んだ糞ガキ、又来やがって!何んの用だ?」

丹次「まぁまぁ、そうガミガミ謂いなさんな、虎蔵さん。あんまりガタガタ謂うと又、米噛に痛いのを一発お見舞いするぜぇ!」

虎蔵「巫山戯るなぁ、コン畜生。はぁ?今度は力士を連れて殴り込みに来たな?」

丹次「違うよ。新町へ行く途中で、難儀な人を助けたんで、親方にご相談が在るだけだ。済まないが、そう謂って親方に取次で呉れ。」

虎蔵「何?難儀な人を助けた?その力士がゞい?」

丹次「そうだ、そう謂えば分かる。早く清五郎親方に取り次いで呉れ。」

自分の蝿もまともに追えない一文なしの乞食野郎が、人助けか?と、呆れて果てる虎蔵だったが、

妙に親方の清五郎は、この丹次郎を気に入って居るので、奥に取次をすると、

清五郎「まぁ、兎に角、通せ!」

と、清五郎に言われて、丹次郎と綾錦の二人を奥の座敷に案内した。


丹次「親方、先程は大変お世話になりました。」

清五郎「どうなすった?急に引き返して来て、何が有りなすった?坊ちゃん。」

丹次「実は、新町へ向かう道中、倉賀野の立場でカクカクしかじか

と、綾錦政之助と出逢った立場茶屋の経緯を話します。そして、両手を付い丹次郎、

丹次「ついちゃぁ親方、此の綾錦の野郎を、今夜一晩泊めて頂き、明日の旅立ちにの際には、

幾らか餞別など少し持たせて送り出しちゃ呉れませんか?親方、どうぞ宜しく頼みます申します。」

と、頭を下げますから、流石、百戦錬磨の清五郎も驚くばかりで御座います。

随分と此の坊ちゃん、度胸があると言うのか?浮世離れしていると言うかぁ、何ちゅうか本中華。

清五郎「宜しい面倒見ましょう。今夜は二人共、うちに泊まりなさい。」

丹次「大きに、有難う御座います。綾錦関、貴方も礼を謂いなさい。」

綾錦「ハイ、綾錦政之助です。ごっちゃんです。有難う御座います。」

清五郎「宜いから宜いから、もう暮六になる、先ずは湯に入りなさい、そしたら夕食を出してやる。

お清!客間の四畳半に布団を二組用意して、其の前に湯を使うんで、案内してやりなさい。

坊ちゃん、その力士さんと一緒には湯は使えないから、代わり番子にお願いします。」

と、清五郎が謂うと、昼に馴染みのお清が出て来て、又、この小僧か?って顔で、

四畳半の客間に案内し、其処から湯殿に案内して呉れた。二人は交代で湯を使い四畳半に戻ると、膳部の支度が出来ていた。

丹次「サッパリしたなぁ、綾錦関。お酒でも呑むかい?」

綾錦「ヘイ、有るんなら頂戴したいがごっちゃんです。」

丹次「ヨシ。」

と、謂うと丹次郎、パンパン!と、大きく手を叩いて鳴らします。すると、何んだ?と、言う顔でお清がやって来ます。

お清「小僧さん、何んですか?」

丹次「私は小僧ではない、丹次郎だ。」

お清「では丹次郎の小僧さん、何んですか?」

丹次「此の家の奉公人は何人ですか?」

お清「女中が私を入れて三人、板場に五人の合計八人です。」

其れを聴いた丹次郎、清五郎に頂いた財布から二分を取りだして、お清の手に握らせる。

丹次「さて、之は少ないがご祝儀です。一人一朱ずつ奉公人で分けて下さい。其れでまず酒を、大きい徳利で四、五本お願いします。

そして、肴はなるべく大きな鉢盛で適当に、一人は力士ですから大層食べます。その積もりでたっぷり盛って下さいね。

あと、酒はいちいちお代わり何んて野暮は言わないけど、替り目を読んでジャンジャン持って来て下さい。

いいですね?お清さん!腕の見せ所です、宜しくお願いしますよ。」

謂われたお清が面食らいます。居候の分際で、客気取りの振る舞いに呆れたお清が、清五郎の女房、女将のお庸にご注進です。

お清「女将さん!客間に入れた居候が、酒を呑ませろって、飛んでも無いんです。」

お庸「飛んでも無いって?」

お清「いきなり、ご祝儀だって、親方から貰った銭を、まぁ〜自分の銭かの様に私に渡すんです、奉公人八人で一朱ずつだ!って。」

お庸「あらまぁ〜、図々しいね。其れで?」

お清「肴は大きな鉢盛だって謂うんですよぉ〜、しかも、一人は力士だから大層食べるからその積もりでって、何様の積もりですか?!」

お庸「其れは生意気ねぇ〜、其れで?」

お清「また、酒はいちいちお代わりの手を入れるのは野暮だから、替り目を読んでジャンジャン持って来言って、頭に来ますよ、女将さん。」

と、二人が噺をしていると、店から清五郎が戻りまして、長火鉢の前に座ります。

お庸「アンタ!いい所にきた、実は客間の小僧が、カクカクしかじか、飛んでもないんだよ、あんな奴を家に置いたら、身代を喰い尽くされるワよ!」

と、女房のお庸が、清五郎に食って掛かりますが、其れを聴いた清五郎は、高笑い!

清五郎「そいつは宜い。本当にいい度胸だ。お清、せいぜい美味しい物を出してやれ!」

お庸「何がだい、お前さん。一人嬉しそうに感心してッたく。」

清五郎「八釜しい!黙って居ろ。あの坊ちゃんは見所がある。間違いなく大した一角の人物になるお方だよ。」


さて、丹次郎と綾錦は、清五郎の吾妻屋でたらふくご馳走になりまして、時刻は亥刻となり、二人は布団へ入りましたが、

丹次郎はなかなか腹が張って寝付けません。傍の綾錦はと見てやれば、此方はグー、グー大イビキの爆睡です。

あゝ腹ごなしに庭へ出て身体を動かしてみるか?と、丹次郎、布団を這い出し、次手に雪隠を使い手水場へ行くと何か声が致します。

 「もう、こうなったら、此の枝に首を吊るしかない!あゝ、ご主人様に申し訳ない。」

何事か?!と、丹次郎、手水場から庭へ下りてみると、庭で一番大きな松の木、所謂、見越し松の裏手で、

その大振りの枝が塀を越えて道へハミ出しているその枝の下辺りの、黒板塀の外側に人気が在りまして、何やらゴソゴソしています。

 『之は、この枝で首を吊るつもりだ!』

悪い予感が走った丹次郎、直ぐに裏木戸へ回り閂(カンヌキ)を外し外に出ますと、黒板塀の所に人影が御座います。

直ぐに近寄りますと、帯を外して、塀から顔を出す太い松の枝に、帯を掛けて自殺しようとする商人風の二十三、四の男で御座います。

丹次「何をする!止めなさい。」

急に暗がりから人が飛び出して来たので、びっくりした商人は、帯を離して、その場にしゃがみ込んで仕舞います。

丹次郎は、直ぐに商人の傍へ駆け寄り、帯を枝からスルスル抜き取って、其の商人を立たせて、帯を絞める様に促します。

男は下を俯き、帯を淡々と締めて行きますが、一言も言葉を発しませんで、心此処に在らずといった感じです。

丹次「俺は、此の塀の内側で聴いていたが、『ご主人様に済まない』とか謂ってましたね?何が有ったんですか?私に話してご覧なさい。」

と、謂われた商人、丹次郎の方を初めて見たのですが、見ると是が、十五、六歳の小僧で商人がびっくりします。

こんな小僧に、身の上噺など、意味があるのか?とは思いましたが、折角、止めに入って呉れた相手だからと、ポツリポツリ語り出します。

商人「私は、城下の住吉町で刀屋を営みます若松屋藤六の手代で、傳吉と申します。

其れで、新町の元締、荒波ノ清六さんの配下で、雪崩ノ松蔵ッて方が在りまして、この松蔵さんに長太刀を二十八両でお売り致しました。

ところが、今手持ち不如意なので、後日、親分から代金は借りてから払うので、二、三日待って呉れと言われて、

今日まで、五回程催促へ上がりましたが、親分が留守だ!の一点張りで、ズルズル十日程の日延べになりました。

もう、流石に今日は払って頂く迄は帰らぬ覚悟で、談判しに行ったら、今日は新町の盆茣蓙の開かれる日で、

而も親分は留守で、松蔵さんが胴を取られてゝ、なかなか親分は見えなくて、私が辛抱して待っていたら、

 「親分は遅いから、お前さんも遊んで行け。親分が来るまでの暇潰しだ。」

などゝ、松蔵さんが謂うのです。併し、私は堅い男なので、博打なんて不調法だと申しますと、

其れでも執念(しつこく)、やれやれ!と幾ら断っても効きません。

更に、お前、所持金は?幾らだ、と訊いて来て、二両ですと謂うと、其れに合わせて駒を出してやるから遊べ!と謂って、無理矢理に、

其れで一刻半ばかり、暇潰しの積もりで盆茣蓙に居たら、案の定、スッテンテンに負けて駒が無くなり、すると、

松蔵さんは、二両置いて帰れ!と、言い出すんです。駄目です、代金か?刀を返して貰わないと帰れません。

と、謂うと、今度は急に、ニヤニヤ笑うんです。訳が分からないから、尋ねると、駒は三十両分出したから、

二両置いて行けば、差し引き刀の代金の二十八両だって言うんです。駒は全部で二両じゃないのか?

と、訊き返すと、馬鹿、あんな沢山駒が在れば三十両に決まっている。確かめずに遊ぶお前が悪い!

と、全く相手にして呉れず。仕舞には屈強な若衆に摘み上げられて、外に放り出されたんです。悔しい!

其れで、フラッカ、フラッカ、何んとか高崎までは帰ったものゝ、余りにも店の敷居が高くて中へ入れず。

だから、もう、私は、この松の木に首を吊って旦那様にお詫びするしかないんです。小僧さん。死なせて下さい!」

丹次「そうかい、そいつは難儀な事だったねぇ。兎に角、刀を取り戻せば、お前さんは死ななくて済むのかい?」

傳吉「理屈では、そうです。刀をさえ取り戻せれば、僕は死にましぇん!!」

丹次「だったら、俺が取り戻してやる。」

傳吉「有難う御座います。でも、小僧さん。相手は長脇差ですよ?而も、荒波一家の四天王と言われている雪崩ノ松蔵ですよ?」

丹次「雪崩か、津波かは知りませんが、兎に角、アッシが、明日、貴方と一緒に刀を取り返しに行きます。

アッシが、ちゃんと談判しますから、一日だけ、騙されたと思って、アッシに任せて下さい。

死ぬのは其の後からでも死ねます。どうかぁ、此の刀を取り戻す件は、アッシに任せて下さい。

それから、傳吉さん、私は小僧ではなく、水澤村の高橋丹次郎と申します。ですから、二つ名で言うなら、水澤ノ丹次です。」

余りに熱心に丹次郎が申しますので、若松屋の傳吉も、駄目で元々!と、思いますから、彼の謂う事を聴いて任せた。

丹次「さて、今夜は此処に泊まりなさい。そして起きたら直ぐに、新町へ向かいましょう。新町迄はどれ位ですか?」

傳吉「高崎からだと、倉ヶ野、新町となりますから、三里余りは有りますよ。」

丹次「では、やはり明日の朝一番で新町へは行きましょう。私が掛け合ってあげるから安心して下さい。」

傳吉「ハイ、宜しくお願いします。」

丹次「では、コッチへ来て下さい。」

と、傳吉を連れて、裏木戸から戻った丹次郎は、客間の四畳半に戻ると、綾錦が相変わらず、豪快なイビキをかいていた。

烏カァーで、夜が明けて、お清が朝飯を運んで来てびっくりした。小僧と力士の二人だと思ったら、

川の字が出来ていて、真ん中に見慣れない商人が寝ている。三人に増えているのだ!

 「女将さん!女将さん!大変です。」

と、叫ぶお清の悲鳴に近い叫びが木霊する、吾妻屋の朝だった。


つづく