赤穂浪士の面々が道具の手入れを始めると、大坂堺仕込み!と、言う小野寺幸右衛門と、

江戸は本所緑町、竹屋喜平次光信の業を見ていた三村次郎左衛門が手本となり、

浪士面々に、刀や槍、薙刀の研ぎ方を教えて居りますと、門番の僧侶が、「差し入れで御座いまする。」と、一斗樽を持参致します。

門番「たった今、高田郡兵衛と名乗る方が、この樽酒を、赤穂の皆さんへのお祝いだと言って、お持ちに成りました。」

と、言って、二人して一斗樽を抱えて、大石内蔵助を始め、一同が道具の手入れをしている本堂へと持って来た。

すると、「何を!厚かましい臆病郡兵衛めぇ!」と、大高源五、竹林唯七など血気盛んな面々が、

研ぎ上がったばかりの刀と槍を持ちまして、高田郡兵衛を斬り捨てる勢いで、門前へと向かおうと致します。

併し、大石内蔵助が、この両人を諫めて、諭す様に、

内蔵助「大高!竹林! 思慮浅き白痴の行動は慎みなさい。あの様な臆病郡兵衛を斬った所で、刀や槍の錆、ただ恥になるばかりだぞ!!

兎に角、その樽を突き返して、臆病郡兵衛は、追い返してやれ!どれだけアヤツが恥晒しであるか?世間に知らしめてやれば、其れで良い。」

と、言われて、大高源五と竹林唯七は、門前に居た高田郡兵衛に対して、投げ付ける様に樽酒を返して、

「裏切り者!」「臆病者!」「お前の母さん、出臍!」と、罵り罵声を浴びせ、酒塗れのドブ鼠にしてやると、

高田郡兵衛は、流石に、真っ赤になって、泉岳寺門前を、逃げる様にして退散した。

又、中村清左衛門、鈴田重八、中田理平次、田中貞四郎など、他の脱落し身を隠して居た腰抜共も、

何処からか?赤穂浪士の討入り、仇討ち本懐の噂を聞き付けて、祝福を述べ様と泉岳寺に現れたが、

誰一人として、この仇討ち本懐の輪に加わる事は、決して許されなかったのである。

しかも、この対応には、郡兵衛の後の面々には、大石内蔵助が当たり、

内蔵助「賢くも清書を反故になさった各々方の祝福は心の底より嬉しいが、我々、愚行蛮行の輩四十七士は、

昨夜来、戦い続きで、本所松坂町より芝高輪まで歩いて引上げし由え、疲労困憊、とても貴公等、立派な方々にお会いするには相違わず、

この段、お察し頂きまして、誠に申し訳ないが、早々にお引取り願いとう御座る。」

と、実に慇懃無礼な皮肉たっぷりの、『お前は、ばるるかぁ!』なぁ、そんな塩対応を致します。


さて一方この頃、吉田忠左衛門と富森助右衛門の両名より、事の次第を届け出られた仙石伯耆守は、

急ぎ登城して、カクカクしかじか、と、其の旨を申達致しますので、

是を受けた、太刀は鞘に弓矢は袋に仕舞ったまんまの老中、若年寄、側用人の面々は、


其れは其れは、一大事!


と、狼狽えるばかりで、伯耆守に○○と致せ!』などと、指示めいた指図は現れません。

そこで、悪戯に時を移すは、得策とは思えないので、兎に角、老中を集めて評議を始めようと画策致します。

集められたのは、阿部豊後守正武、土屋相模守正直、稲葉丹後守正通の登城中の老中の面々と、若年寄と各奉行であったという。

まず、大目付・仙石伯耆守が、赤穂浪士代表両人から聴き取りし、吉良邸への討入りから仇討ち本懐までの経緯報告がなされると、

既に、この段階で、評議に参加している面々の中には、赤穂浪士の忠義に感動し、打ち震えながら泣き出す者が現れます。

更に、寺社奉行、阿部飛騨守が遅れて登閣、泉岳寺、副司・承天則地よりの訴え出によって、

義士たちの引上げ後の泉岳寺での立ち振る舞い、その様子が、事細かに報告されます。

この報告が始まると、評議に参加した全員は、ただただ、感嘆の余り嗚咽を漏らし、泪を流し、言葉少なくなるので御座います。

そしてやや遅れてから、老中・稲葉丹後守の元へは、吉良左兵衛よりの被害の訴え出が届くので御座います。

又、吉田忠左衛門、富森助右衛門、両人からの訴えを受けた時点で、

仙石伯耆守が吉良邸へ派遣した、配下の目付吟味役、並びに検死役、是に加えて、

阿部式部、杉田五郎左衛門両人指揮の元、御徒歩目付、御小人目付等を加えた、

赤穂浪士討入り調査隊が組織されて、此の討入りの詳細を隈なく調査して、

吉良側、赤穂側、片方に偏る事の無い、公儀として、法度に従った中立且つ、喧嘩両成敗の調査を指示するのです。

是を二年前の『松の廊下での刃傷』で、やっておれば。。。そんな反省からの老中達の苦渋で御座いました。


さて、まず仙石伯耆守が派遣した先発の目付、検死が到着した際は、赤穂浪士が引上げ直後で、まだ、邸内は静まり返り、

目付や検死が公儀の役人の到着だとは認識されず、吉良邸に在る助かりし面々は、邸内奥に怯え隠れて居る状態だった。

軈て、役人の声掛けで、赤穂浪士が戻って来たのでは無く公儀の御目付方だと分かり、一人、又、一人と邸内より人々が出て来た。

其れは、吉良家家老、斎藤宮内、左右田孫兵衛、岩瀬舎人と言った面々で、現れて直ぐは未だ震えが止まらず、歯の根が合わない状態だった。

三人は、逃げ出す際に多少の傷を受けては居たが、其れは致命傷ではなく、

命に大事無いと判断した検死役人は、まず最初に吉良上野介殿の死骸を診る事にする。

台所から裏門前の庭場に引き摺り出されたと思われる其の死骸は、腹を突かれ、

首が斬り取られた状態で、着物も上着が剥ぎ取られたまま放置されていた。

そして、この一部始終は、裏門で縛り上げられていた門番から目付に語られるのだが、

その調書には、吉良上野介の命乞いの醜態が、克明に記録される事になる。

目付「斎藤氏、誰か、上野介殿の最期を見た者は御座いますか?」

斎藤「拙者や、左右田、岩瀬らは、皆んな遠巻きに見ただけに御座るが、門番の甚兵衛が、近くで見て御座います。」

目付「その甚兵衛なる門番を、之へお呼び願いたい。」

斎藤「承知仕った。 甚兵衛!甚兵衛!此方へ参れ。」

と、あの高手小手に縛られていた門番、甚兵衛が呼ばれます。

目付「貴様が、甚兵衛であるか?」

甚兵衛「ヘイ、私が正直者の甚兵衛さんです。」

目付「自分をさん付けにする奴があるかぁ!さて、上野介殿は、どの様にして首を取られた?有体に申せ。」

甚兵衛「ヘイ、其れがご主人様は台所の方に隠れてたんですが、見付かったご様子で、

赤穂の浪人どもが、按摩の如き小笛を吹いて、『居たぞ!居たぞ!』って騒ぎ出したんです。」

目付「其れから?」

甚兵衛「其れで間もなく、ご主人様は雪ん中を引き摺り出されて、裏門前の庭へ座らされました。」

目付「其れから?どうなった。」

甚兵衛「どうなったも、こうなったも有りませんぜぇ、旦那!赤穂の浪人の大将に、

『切腹なされよ!』と、促されますが、ご主人様はビビって鞘も抜けない。

『助けて呉れ!』『金はやる!』『命ばかりは?!』と、

まぁ、見苦しのなんのッて、最後は座りションベンするから、

見兼ねた、敵の大将が手下に槍で腹を突く様に命令して、自らは見事に介錯したんです。

あの大将は、大したもんです。あぁ、言うのを言うんだねぇ〜、旦那。敵ながら天晴れって。」

目付「其れで、肝心の上野介殿の首はどうなった?」

甚兵衛「ヘイ、首無しになったご主人様の着物を脱がせて、其れで首を風呂敷みたく包み、

赤穂の浪人が、槍の先に縛り付けて、何処かへ持ち去りましたよ、旦那。」

目付「首は、赤穂浪士が持ち去ったと申すのだなぁ?」

甚兵衛「ヘイ、間違い有りません、持って行きました。」

目付「其れにしても、主人家の恥をベラベラと、正直に話す奴じゃ。」

甚兵衛「ヘイ、正直だけが取り柄の甚兵衛さんですから。」

目付「自分で言うなぁ!!にしても、隠居の身とは言え、元主君が首を持ち去られようとするのに、

遠くからただただ見ているダケとは。。。吉良様は良い家来をお持ちだ。」

と、目付は、武士道の『ぶ』の字も知らぬ、三人の吉良家重役に、皮肉たっぷりの冷ややかな目を向けるのだった。

そして、斎藤以下三人の吉良家重臣は、「恐れ入りまして御座いまする。」と、言ったッきり、面を上げず役人をやり過ごした。


続いて、目付役は当代君主、吉良左兵衛義周を呼び出し、この若き藩主からも事情を尋ねた。

目付「さて、突然の討入り狼藉に、御当主、左兵衛義周様、さぞ驚かれたとは思いますが、如何致されたで御座いますかな?」

左兵衛「拙者、直ちに薙刀を取り応戦致しました。」

目付「闘い続けたのですか?」

左兵衛「いや、其れが相手は三人一組で、掛かって参る由え、額に三寸、背中に七寸の傷を受け、不覚にも気を失いまして。。。」

目付「どれどれ、額は一寸弱、背中は浅く二寸の擦り傷で御座いまするぞ!左兵衛殿。」

左兵衛「南無三、気付きし折には、浅野の浪人どもは引上げた後で。。。無念の極みに御座る。」

目付「本当に?此の傷で、気を失いますか?」

左兵衛「相手は、高田馬場の中山安兵衛で御座ったのですぞ?十三人斬りですぞ!十三人斬り。」

確かに、堀部安兵衛が相手では有りましたが、火鉢の灰を投げて闘った噺は致しません。

そして、カスリ傷にビビって、奥へ逃げ布団を被り隠れて居た噺も致しません。


そして、一方の検死役の方は吉良・上杉側の家臣の死者、十六人の検死を致します。

小林平八郎、鳥井利右衛門、須藤與一右衛門、和久半太夫、大須賀次郎右衛門、斎藤清右衛門、

清水一學、左右田孫八郎、森半左衛門、小笠原長太郎、鈴木元右衛門、榊原平右衛門、新見彌七郎、

小塚源次郎、鈴木松竹、牧野俊斎以上、の者であって、重軽傷者は二十二名であったという。

ただ、此の時、検死役の考察として、全く無傷は後から恥と感じ、自ら浅く軽い傷を付けたる輩、二十二名の中にあらん。と。

因みに、先の重臣、斎藤宮内、左右田孫兵衛、岩瀬舎人も傷を申告したが、

斎藤宮内は、両腕肘辺りの擦過傷。是は他の目撃証言から、戦闘による傷ではなく、

下水口から外へ逃げ出そうとして付いた擦過傷で、しかも、「逃げ出す輩は問答無用で斬り捨てる!」

と、聞いて斎藤宮内は、再度、下水口から元の邸内に戻った事もバレて仕舞う。

また、左右田孫兵衛は掌の中に薄い傷が、岩瀬舎人に至っては月代に付いた傷であり、

申告して来た三人に、目付も検死も両役人共に呆れ果てて、言葉が無かったと言う。

結局、役人が調べた結果、吉良邸内には、戦闘能力の有る武士が百四十五人も存在しながら、

赤穂浪士を一人たりとも、討ち取る事が出来なかった事になり、是は幕閣への印象をすこぶる悪くします。


さて、吉良邸内の目付吟味、検死が済みますれば、次に役人たちの取り調べは、近隣の他家に及びます。

まず、東側隣家は旗本、牧野長門守様屋敷は、此方は主人が不在という事で、用人より目付役に対して口上書にての回答となります。

『昨夜、卯の刻前より吉良様屋敷より騒動の物音、声高に聴こえ候らえども、

火事出来候や?と、消化の備えにて塀越しに様子見候わんと致す。

隣家とは言え、様子勝手知り申さずんば、門外にて控え罷り在り候事。

其の後は騒動収まりし気配是有り、由えに捨て置き候。』

午十二月十五日                   牧野長門守一學内 茂木藤太夫。


又、同じく北側の隣家、本多孫太郎様屋敷からも、主人不在を理由に、留守居役家臣、真柄勘太夫からの口上書が届けられます。

『昨夜、卯刻七ツ前、物騒がしく候につき、罷り出て申し候処、吉良左兵衛殿屋敷内から、

夥しくも撃ち騒ぎ、火事出来の體を感じ候へども、火の手は一切上がらず、其のうち鎮まり申し候。』

午十二月十五日                 松平兵部大輔本多孫太郎内 真柄勘太夫。


最後に西側の旗本、土屋主税様屋敷ですが、此方は、討入り直後と引上げ前に、小野寺十内から口上を二度受けて在りますので、

その遣り取りで、吉良邸から万一、土屋邸へと逃げ込む輩が有れば、問答無用で斬り捨てるべく、

吉良邸との境は固め、その塀越しに高張り提灯で照らしながらの警護であった事なども、口上書にして差し出した。

『昨夜、卯刻七ツ前、物騒がしく候につき、罷り出て申し候処、

吉良左兵衛殿屋敷内から、出火の畏れ之れ有りと打ち出て見れば、

浅野内匠頭殿、旧家臣、小野寺十内なる者現れて、塀越しに、只今亡君の仇討ち成さんが為、

戦闘中である事、火事に有らず事などを口上なされ候。

之を受け、当方は吉良邸からの逃亡者より、我が屋敷を守らんと致し候為、

境を固め、塀に沿って高張り提灯を掲げて候はゞ、一刻半程で戦闘は止み申す也。

然して、浅野内匠頭殿家臣一党は、裏門より両国橋方面へ退却致し候。』

午十二月十五日               土屋主税。


是ら隣家の他家よりの口上書を受け取った目付、並びに検死役は、最後に赤穂浪士が残した武具も、全て回収してから撤退致します。

漸く江戸城へと役人一同が返り、老中以下幕閣への報告となるのですが、既に、申刻を回りまして御座いました。

そして是を受けて老中達は、「この太平の御世に、未だ、武士道は地に落ちず!」と、

五代将軍綱吉公に報告いたしますと、上様も大層お喜びなり、「宜き様に取り計らえ!」と、

赤穂浪士四十六人の処分は、幕閣へと一任されますが、処分は柳沢出羽守吉保抜きでは決められず。

この日は、赤穂浪士四十六人の受け入れ先として、肥後國城主細川越中守綱利、伊代國松山城主松平隠岐守定直、

長門國長府城主毛利甲斐守綱元、そして、三河國岡崎城主水野監物忠之、この四家に預けられるので御座います。


つづく