く内蔵助「この度の次第、両名の口から、大目付仙石伯耆守様に対して、仇討ち本懐のお届けを宜しくお頼み申しまする。」

と、大石内蔵助より密命を受けた、吉田忠左衛門と富森助右衛門の両人は、汐留橋より四十六士の芝高輪の泉岳寺へ向かう隊列を離れて、

大目付、仙石伯耆守の屋敷へと、この度の吉良上野介邸への討入り、上野介の首級を取り、仇討ち本懐を遂げた事に付いて、自訴する為に向かった。

さて、この大目付への訴え届けの大任を仰せ遣った両人は、槍を杖の様に遣いまして、愛宕下の仙石伯耆守の屋敷へ飛び込みます。

吉田「我等両人、火急の御用が御座いまして、伯耆守様に御面会をお願い申し奉りまする。

委細の儀は、伯耆守様に直接お会いして、お噺させて頂きます由え、此の段、お取次を宜しくお願い仕ります。」

取次「ハイ、承知致しまして御座います。して、方々の御姓名は何んと申されまする?」

吉田「イヤ、之は申し遅れまして、甚だ失礼致しました。我々は播州赤穂、故浅野内匠頭長矩が元家臣、

拙者が吉田忠左衛門で、此方は富森助右衛門に御座いまする。」

と、名乗りまして、仙石伯耆守への面会が叶います。

吉田「我等両人、斯く早朝より直訴致しに参った次第は、亡君浅野内匠頭長矩が宿意を差し含み、

罷り在りましたる吉良上野介殿の御館へ、昨夜、推参に及びまして、

大石内蔵助始め、四十六人の赤穂浪士の者、仇を報じて、今引上げんと致す所に御座いまする。

此のまま、我等四十六名は、泉岳寺にて亡君の墓前に仇既に報じ済みますれば、

一同殉死致す覚悟にて、その場での切腹致す所存なれば、御公儀より老中諸者のお許しを頂戴致したく、罷り越した次第に御座いまする。

依って、我等如何なる仕置きも受ける覚悟なれば、御公儀に叛く意思は露些かも無く、

異存有りません、就いては、國家の御法に照らして処せられん事を、我一同願い奉らば、

公邊を重んじ、御公儀の法度に些かも叛かぬ事を天下に残し、相果てたき所存。

係る由えに、謹んで此方へ出張りまして御座いまする。他の四十四名の者は、亡君の菩提寺、

芝高輪泉岳寺に居りまして、

御公儀の御下知、賜らん事を相待ちまする心得で、一人も欠ける事なく差し控えおりまする。」

仙石「左様で御座いまするかぁ、相判り申した。本日、十五日は登城日なれば、予も此の後、巳刻には登城致し評定で御座る。

由えに、老中諸侯並びに、ご両人の訴えをお伝え致し、出来れば上様よりの御裁定を賜らむ。

オーイ、此方のご両人に、朝食の膳部などをお出しして、暫時お待ち頂くように。」

と、言って、吉田忠左衛門と富森助右衛門に朝食膳を振る舞い、仙石伯耆守は登城致します。

そして、両人は朝食の膳部を食べ終えると、仲間が待つ泉岳寺へと向かい、

大目付への報告の次第を大石内蔵助に伝えて、四十六人は泉岳寺に待機と成ります。


一方、泉岳寺を前に、伊達陸奥守屋敷で揉めた大石内蔵助達、四十四人に、伊達家の家来に向かって内蔵助が仔細の説明を語り始める。

内蔵助「既に、使者を以て大目付、仙石伯耆守様の屋敷に今回の仇討ちの仕業を届け出て御座れば、

決して御当家には迷惑をお掛けする事無く、泉岳寺へと罷り越しますれば、当寺にて公儀よりの御下知、待つ所存に御座います。

依って、何とぞどうぞこの儘、門前をお通し願いまする。」

と、内蔵助が申しますれば、邸内より出し藩士は、

藩士「さてさて、左様な事で御座ったか?各々方の忠義の段、深く感じ入って御座まする。

之は唯、御公儀の法度に依って、お止め申さんとした迄。

何卒、悪しからずご承知下さいませぇ。斯く分明致したる上は、疾く疾く御通り召されい。

さて、お見受け致せば、中に、負傷なされた方も御座る御様子。

昨夜からの徹夜の働き、さぞ、お疲れかと存じますれば、何やら駕籠の御用意など致しましょうや?」

と、声が返って参ります。併し、是を耳にした最年長の堀部彌兵衛金丸は、ハッハハァ〜と、笑い飛ばして、

彌兵衛「御厚意の段、誠に痛み入りますが、『一晩の徹夜』如きで、疲労など苦になり申さぬ。ホレ、この通りで御座る。」

と、ご老体が槍を突いて側に有った駒止めの石を、ポーンと蹴って進みました。

すると、結構大きいその石は、コロコロと転がって、堀へと落ちザッブーンと水飛沫を高く上げ沈んで仕舞います。

其れは兎に角、内蔵助も駕籠は丁重にお断りをして、「さらば、御免!」と、隊列を進めます。

すると、先の伊達の藩士は、門番両人を連れて、土瓶に茶を入れて、湯呑持参で、是を浪士に振る舞いまして、喜ばれます。

又大石内蔵助は、決して身分の高い方々にはあらねど、流石、仙台候の御家中である、忝い!と、感謝して此のお茶を頂戴した。


伊達陸奥守の御家中からの茶の振る舞いを受けた赤穂浪士四十四人は、芝新銭座町より金杉橋を渡って右に折れ、将監橋へと差し掛かる。

この将監橋の近くに、二千石の旗本、松平左金吾定寅の屋敷が御座いました。

そして、その長屋に松平様の家来で、内藤萬右衛門と言う方が有りました。

この人は、赤穂浪士の一人、磯貝十郎左衛門の実の兄で、その兄の元には、病に伏せる十郎左衛門の実母が御座いました。

この事を知る大石内蔵助は、磯貝十郎左衛門を呼びまして、

内蔵助「磯貝、其の方の母上は、そちらの松平候の家来である内藤萬右衛門殿所に預かり於かれて居ると聴く。

どうだ?仇討ち本懐と最期の暇乞いを、母上、兄上に報告して参られよ!」

と、内蔵助から思わぬ提案を受けます。磯貝十郎左衛門、病の母は気になれど、態々隊列を離れてまで行くべきに在らずと、思案し悩んでおりました。

磯貝「御城代、忝いお言葉なれど、昨夜、母上と兄上には最期のご挨拶を済ませて、この討入りに望みまして御座います。

亡君へのご報告が、何より急がれますれば、今私親など省みるには及びません。」

と、後ろ髪引かれながらも、磯貝十郎左衛門は堪えて列を守ります。


そして、列が札の辻まで来ると、隊列の中の間新六は昨夜以来一番の運動量で疲れたからか?

疲労困憊、もう、一歩も歩いけないとばかりに、道端にヘタリ込み、

新六「最早、一足も前に踏み出せない!」

と、呟いた。すると、傍らに居た父の間喜兵衛は、

喜兵衛「何ぃ〜、一歩たりとも成り難いと?コレ、新六。貴様は幾つだぁ!此の父を見よ。

もう、そこに泉岳寺が見えているのに、田分けた事を申すでない。不甲斐ない、サッ!立て。」

と、槍の柄に倅を掴まらせて、立ち上がる様に促してやると、他人の手前、顔を赤らめた新六は、再び歩み始めた。


すると、三田八幡の手前で、大石内蔵助達の隊列は、見覚えの有る男が、逃げ隠れする腰抜け武士が目に止まる。

その卑怯者、臆病者は、十二月に脱盟を願い出た、高田郡兵衛、その人で、思わず「己奴ッ!」と声が漏れる。

中で、堀部彌兵衛の御大が、郡兵衛を呼び止めます。

彌兵衛「ヤァ、之は高田氏では御座らぬか?さぁ、之をよーく見られよ。

之は昨夜、我々が吉良邸に討入り、決死の格闘の末に討ち取り申した吉良上野介殿の首級に御座る。

さぁ、コレ!この通りに御座る、よーくご覧なされよ。」

と、散々、皮肉を込めて、槍にぶら下げた吉良上野介の首を見せようとして、老人から揶揄われるのですが、

恥と言う概念を持ち合わせぬ面の皮の厚い奴なれば、退くことはせずに、

高田「其れは其れは、おめでとう御座る。拙者も大層気になっていて、当八幡様の社へ、祈願成就を今朝も祈って御座いました。」

とは、何処まで図々しい輩なのか、腰抜け武士は嘘八百を好き勝手に吹いて、行き過ぎて去って仕舞います。


さて、一党の列はいよいよ、伊皿子下より俥町へと至り、遂に一当一人一個も隊列を離れ乱す者は無く、

正々堂々と、皆んな打ち揃いて、芝高輪の泉岳寺へと着した、時に時刻は辰の上刻である。

泉岳寺では、門番が今、朝食を済ませて、門を開けに懸かると、彼方より雪を踏み締めて、


サクサク、サクサク、


と、音を立てて参る一党諸士。手に手に槍、薙刀、さては弓矢、大太刀などを持ち、

余り見掛けぬ異様な黒装束を纏い、頭と言わず、胸と言わず、衣類の至る所には、

范々たる血痕物凄く色鮮やかに、粛々と練り込み来たった様子、はっと驚き、

何事が起こったか?と、恐れ慄き、門番の僧侶は震える声で、

僧侶「之は、何方より参られました皆様に御座いまするや?、卒爾に門内へ入る事、罷りなりませぬ。」

と、戦慄に搾り出す様に述べるのでした。是を聴いた大石内蔵助は、落ち着いた声の調子で、

内蔵助「拙者共は、故浅野内匠頭長矩が家臣で御座る。昨夜、本所松坂町!吉良上野介殿のお屋敷へ討入り、

今東雲刻、上野介殿の首級を上げて、大川沿を南へ両国橋、永代橋、鉄砲洲の旧浅野屋敷前、

更に汐留橋、伊達陸奥守様お屋敷前、芝新銭座町より金杉橋を渡って右に折れ、将監橋を通り、

そして、松平左金吾定寅様のお屋敷前から、札の辻を通り伊皿子下より俥町、此処、芝高輪の泉岳寺へと参りました。

また途中、汐留橋より、大目付、仙石伯耆守様には、今回の仇討ちの届けを自訴致して御座いますれば、

只今、伯耆守様御自ら登城なさいまして、上様並びに老中幕閣との協議中に御座います。

決して、狼藉を働く者では御座いません。唯々、上野介殿の首級を、亡君の墓前に供え、

御尊霊の御遺恨を慰め奉らん!と、此処迄参った次第に御座いますれば、御開門願いまする。」

と、申し聞かせますれば、「暫く、お待ち下さい。」と、門番は奥へ確認に走ります。


この知らせを受けた方丈は、九代世酬山長恩和尚で御座います。

このお方、僧侶として『平凡』で、世間知らずなお方にて、

長恩「断れ!決して寺へ入れてはならんぞ、門は閉じて於きなさい。」

と、命じて、回向院同様で、泉岳寺も最初は、赤穂浪士四十六士を拒否致そうとします。

併し、傍らで聴いていた泉岳寺の役僧、副司の承天則地と言う、世情や公儀の政にも精通する賢き僧侶が進言致します。

副司とは、寺の金庫番、お布施金や食料、仏具、袈裟や衣の調達を司る役目で御座います。

副司「其れは成りません。閉門のまま拒絶など致さば、ここ泉岳寺が本所松坂町の二の舞ですぞ!九代様。

当寺は、仮にも播州赤穂、浅野様の菩提所で御座いまする。

其の浅野家の忠義の遺臣の方々が、見事に亡君の仇を討ち取り、此方へ引上げなさったのです。

ですから、『宜くぞ!本懐、おめでとう御座います。』と言って歓待致すのが、人の道、武士道に御座いまする。

其れを、門を閉して寺内への入場を拒否致すなど、以っての外に御座いまする。

既に、元御城代、大石内蔵助殿以下、四十数名の播州赤穂、浅野家関係の皆様は、追善法事を成し、

また、関係各所より、相当額のお布施を頂戴したばかりに御座います。

僅か五日前に、此の法要を終えられたるは、昨夜の討入り仇討ちを、予見しての事なれば、

其れを忖度も致さず、無下に門外に止め置いて、知らぬ振りを致さば、出家の道にも反しまする。

兎に角、此処は赤穂浪士御一党を、速やかに受け入れて、開門なさるが宜からんと存じまする。」

副司の進言ですから、九代長恩和尚も、拠なく、

長恩「貴僧が、仰るので御座れば、宜きに計らいなさりませ。」

と、許しを頂戴して、則地和尚自らが、門へと出向きまして、

則地「之は之は、能うこそお出下さいました。御一党様の御忠義、亡君にもさぞ草葉の陰にて、満悦の事と存じ奉りまする。

兎に角、門を潜りて中へお入り下さい。ささぁ、一列でお進み願いまする。」

と、副司・則地は、赤穂浪士を一列に整列させ、是を確認すると、門番の僧侶に事情を説明、

赤穂浪士四十六人だけを中へ通し終わると、一緒に物見遊山で付いて来た野次馬、群衆は遠ざけて、再び門を閉めさせます。

則地「宜いか?野次馬や、吉良、上杉の者どもが、『入れろ!』『通せ!』と騒ぎ於っても、決して門は開けるでない。

但し、大目付、仙石伯耆守様からの使者、並びに、御公儀よりの使者が開門を求めた場合は、待たせた上で、拙僧に直ぐ知らせなさい。

宜しいなぁ!安易な開門は決して罷りならん。頼んだぞ!」

こう副司則地に命じられて、七、八名の門番の僧侶は、坊主頭に長鉢巻をして、木綿衣の上から襷を掛けた姿になり、

槍に薙刀、長刀を手に取りまして、正に戦国の世の僧兵の如くな出立ちで、泉岳寺門前は固められました。


大石内蔵助は、門内を通り奥へと進み入り、清水を桶に汲み、漱手水に身を潔め、

仇敵・吉良上野介の首級を構えて、是を一台の三寶に載せて頂きます。


冷光院殿前少府朝散大夫吹毛玄利大居士


と、心悲しくも刻まれた亡君、浅野内匠頭長矩の墓前に供えれば、

案頭の香爐縷々として、一柱の香煙を漂わせる。

赤穂浪士一党の方々、整然と列を成し、その墓前に膝をつき、手を合わせ黙祷を捧げますれば、

大石内蔵助、独り前へ進み、香を柱して一拝、スッと平伏成し、懐中より取り出したる短刀、

是をサッと、鞘払いして、その鋒を輝かせながら、上野介の首級の方へと向けて口上致します。

内蔵助「兼ねてより、御殿、遺恨の上野介殿、其の御首級を挙げん為、我ら四十七人者共、

千辛萬苦、妻を捨て子に別れ、親と離れて艱難辛苦を乗り越えて、

唯々、時節を待つ日々は一年と半年。漸く此処に待ちし甲斐有りて、

昨夜、本所松坂町!吉良邸へ推参仕り、守備よく本望を達しまして御座りまする。

依って、亡君の神霊、此処に御鬱憤を存分にお晴らし頂き、鎮魂下さいますよう。」

と、述べると、手に取った短刀にて、大石内蔵助は吉良上野介義央の御首級を、三度突き刺したので御座います。

斯くして、内蔵助が焼香を済ませると、一番槍、二番太刀の巧者を讃えて、上野介を討ち取った、

間十次郎光興、竹林唯七隆重の両人が、代わって前へと進み焼香を致します。

以後一党は、定めしイロハの組隊順に、焼香は速やかに取り行われ、茲に日頃の思いは達せられたのである。

此の時、赤穂浪士一党には、泪燦々たる物が有ったという、

蓋し流石の武士(もののふ)も、此の場面に於いては、歓喜の津波を禁じえず、この様な光景を、堀部安兵衛は日記に記している。


つづく