回向院での休息をやんわり拒否された赤穂浪士一党は、休息を諦めて歩みをややゆっくりに変えて、芝高輪の泉岳寺を目指す事にします。
そして大石内蔵助は、一党の中で唯一、直参では無い陪臣、寺坂吉右衛門を呼び寄せて、
丁寧に言い含める様にして、此の吉右衛門に対し密命を与えるので御座います。
内蔵助「寺坂、是非、お前にやって貰いたい願いがある。其れは、此の度の討入り本懐の結果報告の任である。」
寺坂「其れは一体、どの様な任で御座いますか?御城代。」
内蔵助「既に、お主の主人である吉田忠左衛門殿からは了解を頂戴している任で有るのだが、
先ず、之より麻布南部坂の三次浅野家へと出張り、瑤泉院様へ、此の度の吉良邸討入り本懐の仕業(シギ)の口上、お伝えして貰いたい。
そして、次に、芸州松平安芸守様、つまりは浅野本家に、同じく仇討ち本懐の口上をお願い致すのだが、
道中、播州豊岡を通る事になる由え、我が内儀陸と、舅殿にも、此の度の仕業を一応伝えて貰いたいのだ。」
寺坂「お易い御用に存じます。では、私は、此の口上、早打を務めし後に、腹を斬れば宜しゅう御座いますか?」
内蔵助「そこだ!寺坂。お主以外の四十六名は、高輪泉岳寺への亡君の墓前に、吉良上野介殿の首級を口上奉りし後は、
大目付、仙石伯耆守様へ身体をお預けする所存。由えに切腹など許されるはずも無く、恐らくは斬首となるであろう。
また、悪くすれば、磔刑の上、小塚原か?鈴ヶ森に晒し首にされる。
そんな最期の我々に対して、陪臣であるお主だけが、武士らしく切腹とは、之は合点が行かぬで御座ろう?
其処でじゃぁ、寺坂!お主は一人、生きて寿命を真っ当し、我々赤穂四十七士の武勇を、後世に語り継いでは呉れぬか?」
寺坂「其れでは、せめて、御城代以下四十六名の皆様が、切腹と決まりますれば、此の吉右衛門にも、切腹をお許し下さいませ!」
内蔵助「そこだ!万一、我ら切腹出来たとしても、寺坂!お前は語り部として人生を真っ当うするのだ。
そして、此の赤穂義士の活躍が、百年、三百年、いや!五百年語り継がれる礎を築いて呉れ、寺坂。」
寺坂「御城代!」
内蔵助「頼む、寺坂。」
寺坂「判りまして、御座いまする。」
こうして、四十七士の一人、寺坂吉右衛門は、もう二度と帰るとは思わなんだ、長屋へと舞い戻りまして、旅の拵えで紋付の羽織を持ちまして、麻布南部坂へと馳せ参じます。
寺坂「御開門!火急の御用で罷り越し申した。御開門!」
門番「どちら様に御座いまするや?」
寺坂「拙者、播州赤穂、浅野内匠頭様家来、吉田忠左衛門に奉公致す足軽にて、寺坂吉右衛門と申しまする。
戸田局様にお目通り願い、直接、ご報告したき儀之有り、宜しくお取次願い奉りまする。」
との口上。取次に出た門番も、之は只事ではないと判りますから、直ぐに戸田局へ知らせに走りまして、
戸田局も、流石に『雪の清書血判状!』、あの件に違いない!と、思いますから、泳ぐ様にして玄関へ飛んで参ります。
寺坂「とッとッと・戸田殿に御座いまするか?」
戸田局「如何にも!小野寺十内が妹、戸田で御座いまする。」
寺坂「吉田忠左衛門が家来、足軽の寺坂吉右衛門に御座る。御城代、大石内蔵助義雄様よりの御吉事を注進に推参仕りました。」
戸田局「オーッ、其れは誠かぁ。この様な所では。。。中庭へ回り、奥の座敷前へ同道願いたい。」
寺坂「忝い。旅支度由え、草鞋、脚絆のままで失礼申しまする。」
戸田局「構わぬ、構わぬ、寺坂殿。御公室様、瑤泉院様をお呼び致します由え、直接、吉報の口上をお聞かせ下され!」
と、戸田局は、直様奥の部屋より瑤泉院を伴いまして、縁側の庭先へと現れて参ります。
戸田局「寺坂氏、ささぁ、瑤泉院様の前で、大石殿よりの吉事の口上をお知らせ下されぇ。」
寺坂「御公室様、昨日深夜、先に御城代、大石内蔵助様より御口上の連判したる赤穂浪士四十七士が、見事吉良邸へと討入りまして、
亡君の悲願、吉良殿の首級を討ち取り、見事本懐遂げて御座いまする。只今、御城代一行は隊列成して、
芝高輪の泉岳寺、御殿の墓前に、仇討ち本懐のご口上の途中に御座いますれば、
拙者、寺坂吉右衛門が一人列を抜けて、御公室様並びに戸田局様へのご口上、御城代よりの命を受け馳せ参じまして御座いまする。」
瑤泉院「其れは、其れは、寺坂とやらご苦労に存じまする。」
寺坂「又、御城代、大石内蔵助様より、昨日の御無礼の段、本来ならば、討入りの日時刻限を御公室様には、事前にお知らせ致すべき所、
公儀並びに上杉家の隠密の目が御座います畏れ、之れ有る由え、あの様な、別れも告げず、
無礼なご挨拶と成りましたる段を、改めてお詫び申し上げる様にと、仰せつかりまして御座いまする。」
瑤泉院「何の、寺坂殿、大事の前の小事と気になど致しておりませぬ。内蔵助の思いを後で知り、清書の連判を見て泪致して御座いました。
其れに、何よりも速やかに、仇討ち本懐の報せを賜り、瑤泉院、大変嬉しく思います。」
寺坂「其のお言葉を頂ければ、御城代も安心なさいまする。
一方戸田局様、お兄上、小野寺十内様、並びに、甥子の幸右衛門様も、大層なお働きの上、ご無事で芝高輪の泉岳寺へ参られて御座います。
さて、討入りし四十七士は、一人も欠ける事無く、亡君の墓前に向かって御座いますので、ご安心下さい。
尚、拙者之より、播州豊岡の陸様のご実家、並びに芸州浅野本家にも、仇討ち本懐のご口上に、早打ち参じまする。依って、之にて失礼致します。御免!」
瑤泉院「ご苦労様に存じる。寺坂殿、道中、お気を付けて参られよ。 戸田、寺坂殿をお見送りしておやりなさい。」
戸田局「畏まりまして御座います。」
戸田局に見送られて、麻布の南部坂、三次浅野家の下屋敷を出た寺坂吉右衛門、東海道を西へと上りまして、播州豊岡から安芸の浅野本家を目指します。
一方、芝高輪の泉岳寺へと大川河岸に沿い南へと進む四十七士の行列は、永代橋へと差し掛かる頃、
辰の上刻を過ぎると、其の沿道には江戸の市民町民達が集まり出して、仇討ち本懐を遂げた四十七士を一目此の目で見てやろうと致します。
さて、そんな四十七士の一人、三村次郎左衛門包常は七石二人扶持の小禄で、身分の低い台所役人で御座います。
その次郎左衛門は、吉良邸の様子を探るべく、薪割り屋として歩きまわる毎日である頃に、
或日吉良邸に程近い本所緑町で、刀研ぎの名人と言われる竹屋喜平次の家に呼び入れられる。
薪割りの腕も見事だが字を書くのもまた上手い次郎左衛門。
この竹屋の店の看板を名筆で書き上げ、喜平次や竹屋の人々に三村はすっかり気に入られるという、銘々傳では実に有名な噺が御座います。
元禄十五年十月のこと、主君・浅野内匠頭の仇を討つべく赤穂の浪士はそれぞれ姿を変え、本所松坂町・吉良邸周辺の様子を伺っている。
中でも三村次郎左衛門包常はボロ半纏を身にまとい薪割り屋として歩きまわる毎日である。
或日、三村は吉良邸に程近い本所緑町で、刀研ぎの名人と言われる竹屋喜平次光信の家に呼び入れられる。
「エィ、スパッ」
三村は薪の硬い部分を次々と斧で割っていく。「上手い!上手い!」。
薪を綺麗に割る姿を気に入った竹屋光信は、次郎兵衛と名乗る三村に毎日家に来てもらうよう請う。
こうして何日か経ったが、言葉遣いといいその礼儀正しさといい竹屋光信には彼がただの町人とは思えない。
本当は武家の出ではないのかと尋ねるが、三村は奥州・二本松の小作人の倅だなどと言って誤魔化す。
十一月に成った或日、此の日も三村が竹屋を訪れると、何も書かれていない新の板がある。
これは何かと尋ねると店の看板にしたいのだが、文字の書き手を探しているとのことである。
浅野の家中でも一二という名筆であった三村は、討入りを目前にし何かをこの世に残したいと思ったのか自分に書かせて欲しいと頼み、
『御刀研上処竹屋喜平次光信』
と見事に看板を書き上げる。この三村が看板を書く場面で、木に墨が滲まない秘儀として、三村は墨に『耳糞』を混ぜて滲み止めにする。
併し、それから師走を前に、突然三村は竹屋に姿を見せなくなった。
今度はいつ来るのだろうと思う竹屋の人々。その間に極月十四日の吉良邸討入りが決まり、三村は大石内蔵助から討入りに用いるようにと、名刀・彦四郎貞宗を渡される。
そして、極月七日に黒紋付袴姿の三村は竹屋光信の元を暫くぶりに訪ねる。
今度は自身を二本松・丹羽家の家臣・小松次郎左衛門だと名乗り、故郷への土産話にするために彦四郎貞宗を江戸でも名高い研ぎ師、竹屋光信、貴方に研いでもらいたいと頼む。
更に四日経って刀は見事研ぎあがる。研ぎ料として金子十五両を渡し、次に出府するまでに研いでおいて貰いたいと永正祐定の刀を預ける。
三村が竹屋から去ろうとするときに庇が新しくなっていることに気付く。
庇を支えているのは真金より硬いと言われる桑の腕木で、研ぎあがったばかりの彦四郎貞宗を振り下ろすと、スッパリと真っ二つに斬れてしまう。
そんな三村次郎左衛門が大騒ぎの永代橋を通り掛かると、そこに、竹屋喜平次光信が、弟子の若衆を二人従えて赤穂浪士の行列を見に現れて居た。
人垣をかきわけ泉岳寺へと引き揚げる赤穂義士の一行を見物する竹屋光信が、その中に見知った顔がある。
「薪割り屋の次郎兵衛さんだ!」あの人、奥州二本松の家来で、小松次郎左衛門と名乗った方は実は浅野様の忠臣であった!と、驚く。
竹屋「次郎兵衛さん!水臭いぜぇ、お前さん、赤穂の浪人だったのかい?」
三村「済まぬ竹屋殿、拙者は二度も貴殿を騙して仕舞った。許して呉れ。」
竹屋「いいって事よ、其れより、アッシが研がして貰ったあの彦四郎貞宗は、どうだったい?」
三村「恐ろしい斬れ味だった。お陰で、仇討ち本懐が成り申した。恩に着ます、光信殿。」
竹屋「あと、預かっている永正祐定も、研ぎ上がっているが、持って帰るかい?」
三村「そちらは、拙者の形見として、光信殿が持って居て下され、宜しくお頼み申す。」
竹屋「合点、承知!確かに預かります。」
これから三村の遺した看板、永正祐定の刀、桑の腕木を見物をしに竹屋を次から次へと人々が訪れる。
この噺は加賀前田家にも伝わり、竹屋光信は前田家に召し抱えられ、九十余歳の長寿を保ち大往生を遂げたという。
大石内蔵助たち一行は、永代橋を更に南下して、霊岸島へと入ります。
更に行列は南へ折れて、稲荷橋を渡りますと、一党には懐かしい旧浅野家江戸屋敷が御座いました鉄砲洲で御座います。
築地本願寺、その前が鉄砲洲の旧浅野邸。一同は思わず足が止まり、懐かしさが込み上げて参ります。
流石の義士達も今更の様に懐かしく、その門前から立ち去り兼ねて、大石内蔵助は、自ら門前より中へと呼び掛けます。
内蔵助「我々は、かつて此の屋敷に御座いました浅野内匠頭長矩が家来一同に御座いまする。
昨夜、吉良上野介殿の屋敷に討入りまして、其の首級を頂戴仕り、只今、亡君の墓前への報告の為、泉岳寺への引き上げの道中に御座います。
御門前に通り掛かりまして、大変懐かしく、一同の者、立ち去り兼ねますれば、何卒玄関を拝見させて頂きたく、宜しく計らい願いまする。」
との願いを聞いた門番は、直ぐに邸内の家老に承諾を得て、
門番「道理の次第、苦しゅうは御座いません。門を開けます由え、御這入り下さい。」
と、門を開いて赤穂浪士四十七士を、邸内へと招き入れた。
一同、「この世の見納めじゃ!」「お懐かしい!」と、感嘆の声を上げる。
さて、旧浅野邸を過ぎると、芝口三丁目通りで、其の先にあるのは伊達陸奥守綱村の御屋敷。
その門には、足軽門兵が数人警護に当たって御座いますから、此の赤穂浪士の列を見ますと、「怪しい一団?!」と、六尺棒を手に、押し取る勢いでやって参ります。
また、赤穂浪士の面々も、血の気が多く、直ぐに刀の柄に手を掛けようと致しますので、大石内蔵助が即刻、間に立ちまして、
内蔵助「暫く!お待ち下さい。」
と、互いを分けて、カクカクしかじか、と、伊達家には、泉岳寺へ向かう道中であると、事訳して通り過ぎます。
軈て、赤穂浪士四十六士の行列は、本願寺前を過ぎると、次期将軍職が決まった甲府中納言綱豊公屋敷の前から、汐留橋を越えた所で、
大石内蔵助は、列の中から、吉田忠左衛門と富森助右衛門の両人を呼びまして、又、何やら両人に命じるので御座います。
つづく