突然、現れたお捨の父、清次から脅されて寝耳水の信濃屋治兵衛。
今更、雛姫を探し出せ!ならぬ時はお前の首を頂戴するぞ!と言われ、困惑を隠せないでおりました。
さて是は、一つ、お捨親子も殺(や)るしかないと思いまが、異様に勘が鋭く狡賢いお捨の事由え既に用心しているだろう、又清次の奴も全く持って油断ならねぇ〜。
どちらか片方を先に殺(や)ると、もう片方が間違いなく奉行所へ駆け込むだろう。殺るなら二人一辺の仕事になる。
だから、お捨親子には、雛姫を探しているふりをして、充分に油断させて、下準備を重ねた上で殺(や)るしかない。
そうなると、先に片付けるのは富蔵の方だなぁ、密かに家人には材木の買付と称して、加州に行き、富蔵の所在を探りに行こう。
と、そんな事を考えて、信濃屋治兵衛こと藤岡藤十郎は、得意の奸計を巡らして、二つの大きな憂いを取り去る算段を致しております。
或日、信濃屋治兵衛は、旅の支度を致しまして、番頭の善八と女房のお浪を前に伝えます。
治兵衛「さて、兼ねてより話していた通り、明日朝寅の下刻に、北國方面の材木の買付に出掛けます。
飛騨や紀州は、善八ドンの太いツテが御座いますから宜しいが、もう一つ、別の仕入れ先を設けて、より安い材木を仕入れたいと考えとります。」
善八「其れは其れは、更なる商売繁盛には大変宜しいお考えで、気を付けて行って来て下さいませ、吉報をお待ちしております。」
お浪「貴方!何時お戻りですかぁ?」
治兵衛「さて、恐らく早くて三月、遅くなると半年先かも知れぬ。冬は雪深く行けぬ由え、此の機会にじっくり良い材木を探して来たい。」
お浪「左様ですかぁ、淋しゅう御座いますが、お気を付けて行ってらっしゃいませ。」
治兵衛「あと、二人に一つお願いが在る。私の留守中に、屑やの清次ドンと言う人が、私に会いに来たら、
材木の買付で留守だと言って、『人探しはちゃんとやっているからご安心を。』と伝えて下さい。
また、何時帰ると訊かれたら、分からないと誤魔化して、上手に浮曇ら(はぐら)かして下さい。頼みましたよ、では、行って来ます。」
徹甲脚絆に草鞋履き、大刀を一本落とし差しにして、治兵衛は板橋宿から中山道を進みまして、安中宿を過ぎた十六番目の宿、松井田宿で御座います。
すると、安中を出た辺りから気になる怪しい旅人が御座いまして、後になり先になり、治兵衛の行く手に付かず離れず付いて参ります。
時折、声を掛けて来て馴れ馴れしく、道連れになろうとしますが、治兵衛は『護摩の灰か?』と訝しく思いますから冷たく鹿十します。
流石に、彼の者も手出しは致しませんで、軈て、難所の碓氷峠、是を越えて沓掛宿、陽が西に大きく傾き追分へ掛かる手前の松原で、
薮林の中から一人の曲者が手拭いで頬冠して、右手に抜身を持ち、急に飛び出して参ります。
松井田宿を過ぎた辺りから、今か?今か?と、山賊追剥の登場を待っていた治兵衛、
背後に、あの『護摩の灰』の旅人が廻り込んでいるのを、チラっと確認します。
そして、ワザと震え怯える體を見せて、充分油断をさせた治兵衛は、そこに立ち止まります。
山賊A「ヤイ!旅人、俺様は言わずと知れた追剥盗人だ。此処で会うたが百年目、
命ばかりは助けてやるから、懐中の金子は素より身包み脱いで置いて行け!」
と、大きな声で啖呵切ると、大刀をギラッと光らせて、更に、治兵衛に近付きます。
併し、居合抜刀横一文字、治兵衛は充分賊を引き付け、大刀の峰の方で前方の山賊に斬り付けます。
横ッ腹に是を喰らった賊は、ギャッと言うと刀を落として悶どり打って倒れます。
更に、返す刀で此方も峰で、後方の『護摩の灰』の旅人の肩を「エイッ!」っと斬り付けると、此方も一発で伸びて仕舞います。
治兵衛「ヤイ、山賊。まだ、続きをやるか?次は峰打ちでは済まさんぞ!」
山賊A「いいえ、お見それしました。もう、手向いなど致しますん。」
と、言って頬冠を取り取り、刀を置いて土下座します。
治兵衛「さて、道中から五月蠅く付いて来た、護摩の灰の旦那、お前さんはどうするねぇ?!」
山賊B「アッシも降参します。命ばかりはお助け下さい。」
と、構えていた道中差を仕舞い、此方も土下座しての命乞いです。
治兵衛「俺はなぁ、今は刀を算盤に持ち替えた商人だが、元は列記とした武士だ!貴様達は、差している刀の長さや、其の立ち振る舞いで、
獲物となる相手が、出来る奴か?出来ない野郎か?其れ位の区別も判らずに、山賊家業を成しおるのか?」
山賊A「面目次第も御座いません。本んの駆け出しの山賊に御座います。」
山賊B「アッシ等は、江戸で小博打をやる様な無宿者で、盗みでドジ踏みまして、佃島送りにされ、赦免後は江戸を所払いに成って、この中山道に流れて参りやした。」
山賊A「此の野郎とは寄場で知り合いまして、二人で護摩の灰をしていますが、其の日暮の貧乏盗人、全く卯建が上がらない此の有様で。」
治兵衛「貴様たち、田舎稼ぎの商人や江戸を喰い詰めて逃げて来る旅人を襲い、百や二百の乞食盗人をして楽しいか?
斯く申す拙者も凶状持ちの一ツ穴だが、お前達とは違い太く短くの覚悟で、今は名乗れぬが、何の何某と言う二つ名の大泥棒だ。
野盗、追剥、家尻切、高の知れた仕事をチマチマ繰り返しすより、一発ドデカい仕事をして一生楽して消光する気にならねぇ〜かぁ?」
山賊A「そりゃぁ、親分の仰る様にアッシらだってやりとうは思いますが、武芸の心得は無く、度胸も無く、オマケに知恵も持ち合わせずで、
万止も得ず、コソコソ乞食盗人をするしかなく、恥ずかしい限りでは御座います。」
山賊B「もし、アッシらが志を大きく持ち、盗人して、上を望めば、親分はアッシらを子分にして呉れますか?」
治兵衛「あゝ、悦んで!」
山賊A・B「では、親分!宜しく頼みます申します。」
と、信濃屋治兵衛こと藤岡藤十郎は、この両人のポンコツ山賊と、親分子分の義を盟び(むすび)まして、此の旅を続けます。
こうして、子分にしたポンコツ両人とやって来たのは追分宿、『油勘』という旅籠に両人と共に一泊致しました信濃屋治兵衛。
此処で、初めて両人の名前を尋ねてみると、安中から付け来た護摩の灰は、『遣らずの兼』と異名を持つ、岩鼻無宿の兼五郎で御座います。
また、松原の薮から飛び出して来た野郎は、武家上がりで『蝙蝠吉』と言う渾名の土浦生まれの吉兵衛と申す者で御座います。
三人は、此の宿で親分子分の固めの盃を行いまして、義盟を厚く致します。
治兵衛「之より、越中富山の海老口村井と言う所まで行く、或る御人に逢うのが目的だが、逢って噺次第では、其の御人の命を奪う必要が在る。
その時は、お前達、拙者を助けて呉れるか?但し、その相手は拙者よりも遥かに強く、
拙者が人生で見た中でも、最強だぁ。其れでも助太刀して呉れるか?」
是を聴いて、遣らずの兼も蝙蝠吉も、唾をゴクンと音をさせて飲み込む程、緊張しましたが、
親分と決めた治兵衛から、頼りにされた事の方が嬉しかった。
兼五郎「親分!アタ棒です。」
吉兵衛「子分が親分を助けるのは、当たり前です。もっと、命令調でお願いします。」
治兵衛「有難う恩に着るぜ!其れから、越中富山件は出た所勝負だが、用が済んだら俺は江戸に帰る。
其処でお前達両人も、どうするか?考えて於いて呉れ。中山道に残るなら其れ相応の銭は出してやるし、
江戸に付いて来るなら、其れなりに面倒は俺が見てやる。そこで中山道に残るか?江戸に付いて来るか?急ぎはしないが、決めて於けよ。」
治兵衛がそう言って、三人は、追分宿を出ると、急ぐ旅では無く、小田井宿、岩村田宿、塩名田宿、八幡宿、望月宿、芦田宿、
長久保宿、和田宿、下諏訪宿、塩尻宿と遊山しながら、中山道を此の塩尻で後にして、
日本海に向けて北上し、松本、小谷、そして日本海を望む糸魚川へと抜けた。
更に、三人は日本海沿を西へと進み、市振、泊、入善、生地、黒部、魚津、滑川、水橋と来て、いよいよ目的地・富山へと着いた。
兼五郎「蝙蝠の、お前さん、親分の言いなさった、中山道に残るか?其れとも親分に付いて行くか?あの噺、どうする積もりや?」
吉兵衛「俺は、江戸が蝦夷でも親分に付いて行く積もりさぁ。オイラは親分が本当に心底気に入ったからなぁ。兼公!お前はどうするんだ?」
兼五郎「俺も親分に付いて行くけど、親分が逢いに行きなさる相手ってどんな奴なんだろう?」
吉兵衛「何んでも、親分とは義兄弟らしいが?親分が、人生で一番強いって御人だから、見てみたいよなぁ。」
兼五郎「あゝ、何んでも、宮本武蔵や荒木又右衛門と互角らしいから。」
そんな噺をしながら、越中富山の海老口村に着く前に、両人の心は、治兵衛に付いて江戸へ行く方向で固まった。
海老口村に着いた三人は旅籠は無いと言われて、裕福な農家の離れを借りて三人で住んだ。
そして、『野州無宿 犬塚富蔵』を探したが、富蔵らしい人物はなかなか見つからなかった。
ただ、一年ほど前に輿兵衛と言う野州の浪人者が流れて来て、世帯を持ったが、つい最近、女房の方が病で亡くなり、
その輿兵衛は、女房の実家・金澤へ、その納骨に出掛けて留守だと教えられる。治兵衛は、その容姿の特徴から、此の輿兵衛が富蔵では?
と、見当を付けるが、金澤へ出掛けているなら、帰りを待つ事にした。すると、今日は八幡宮の祭事だと分かる。
近郷近在の町や村から老若男女が沢山集まり、鉾山車が出て、大層賑やかな祭だと聴いた三人は、是を見に行く事にします。
治兵衛は、この祭見物も江戸への土産噺になるか?と、賑わう人混みを社の鳥居前に抜けて進むと、
流石に、江戸は深川の八幡様のお祭なんぞと比べると、是はどう贔屓目を入れても見劣りがする。
すると、人々の怒号が喧(かまびす)しく、上や下への大騒ぎとなり、次第に「喧嘩だ!」「喧嘩だ!」と、叫ぶ声が聴こえて来た。
兼五郎「親分、どうやら喧嘩の様ですぜぇ。」
治兵衛「そうさぁなぁ、少し高い所から、高見の見物と洒落ようぜ、あの階段の上の小高い辺りが宜かろう。」
と、決まって三人は境内脇の小高い場所から、下の喧嘩の様子を見やると、何と一人の男が、大勢の者を相手に斬り結んでいた。
吉兵衛「凄い野郎ですね?縦横無尽とは能く言ったもんだ、アレは正に猿(ましら)の如くですぜぇ!」
兼五郎「凄い!凄い!、高く飛んで、野郎、鉾山車に飛び移りやがった。」
鉾山車に登った猿の如き大男は、刀を下に向けて斬り付けるから、其れを受ける大勢の敵は迂闊に鉾山車に近付く事が出来ず、困った様子で日和っていた。
其れでも大将らしい親分が、「野郎ども、日和るな!行けぇ〜」と、下知を飛ばすから、意を決してまた、大勢の衆も刀を持ち斬り掛かって行った。
治兵衛「大勢が一斉に鉾山車に登り始めやがった。おぉ〜、猿の大男、飛び降りたぜ、斬り合う積もりだ、
凄げぇ〜、凄げぇ〜、独楽みたいに旋回して斬り付けてやがる。何んて、野郎だ!!」
相変わらず猿の如く飛び回り、左右の俊敏な動きで、敵の刃をクネクネと柔軟に交わしながら、強靭なバネで鉾山車の周りを片腕だけで動き廻る。
『何処かで見た動きだぞ?』そう思った治兵衛は、独りで大勢を相手に斬り合っている猿野郎の顔をじっくり見て驚いた。
富蔵だ!!
治兵衛は心の臓が口から飛び出して仕舞うぐらいに驚いた。そして、多勢に無勢、徐々に弱りつつあり、追い込まれる富蔵を見て治兵衛は思った。
このまんま、此の祭の喧嘩で富蔵が死ねば、俺の生涯の憂いが一つ消える。越中富山まで来た甲斐が有った!一瞬、治兵衛の藤十郎はそう考えた。
併し、
『藤十郎!其れで良いのか?』、『義兄弟の富蔵を死なせて宜いのか?』『お前は其れでも武士か?』
風体(ナリ)は商人では在るが、藤岡藤十郎の魂は信濃屋治兵衛の中に生きていた。『義を見てせざるは勇無きなり。』
藤十郎「野郎ども!アレが犬塚富蔵、俺の兄弟分だ。今から命懸けで兄弟を助ける。両人共、宜いか?命を拙者に預けて呉れ!行くぞ。」
両人「ガッテンです、親分!!」
そう言うと藤十郎は、両人の子分と共に、電光石火で丘を下り、苦戦し始めた富蔵の所へ、加勢する為に斬り込んだ!
藤十郎「どうした兄弟、らしく無いぞ元気を出せ、此の藤十郎様が百里離れた大江戸から、態々助太刀しに来てやったぜぇ!!」
と、言うと、藤十郎を見た富蔵の目が輝き、又、一層勇気が漲り再び暴れ始めた所で埒が空くのだった。
富蔵「兄弟!コッチだ俺に付いて来い!」
そう言う富蔵の跡に、三人は従い、祭の八幡宮から富蔵の寝ぐらへ向かって無我夢中で引き上げた。
祭の街に大騒動を引き起こした富蔵は、助太刀して呉れた藤十郎と両人の子分を連れて逃げ走り、海老口村の我家へと戻った。
女房が亡くなり誰も居ない家に着いた四人は、囲炉裏の周りに、車座に座り、肩で息をしながらも、心を落ち着けようとした。
富蔵「兄弟、済まなかった、お陰で助かったぜ、所で、此方の両人は?」
藤十郎「こいつらか?こいつが蝙蝠吉で、こっちが遣らずの兼だ、両人共俺の子分で、道中、追分宿で知り合った。以後、宜しく頼む。
おい!野郎ども、こちらが、俺の兄弟分、兄貴の犬塚富蔵ドンだ、お前たちも挨拶をしねぇ〜。」
吉兵衛「蝙蝠吉こと、土浦生まれの吉兵衛に御座んす、以後、お見知り於き願います。」
兼五郎「通称、遣らずの兼と呼ばれている岩鼻無宿の兼五郎に御座んす、宜しくお願いします。」
富蔵「コッチこそ、宜しく頼む、アッシが野州無宿の犬塚村の富蔵だ。 さて、兄弟!酒の支度をするから少し待って呉れ。」
そう言うと、富蔵は台所から酒と肴を持って戻って来た。
富蔵「さぁ、皆んなやって呉れ。乾物しか無いが、酒は越後の上等だ!まずは乾杯だ。」
四人「乾杯!」
藤十郎「其れで、兄弟は今、どんな塩梅で?」
富蔵「一年半前に藤十郎、お前と別れた後、この越中富山の海老口村に来る前に、加賀國は金澤で、
昔、今井家の仲間(ちゅうげん)だった頃に懇意にしていた前田藩の吟味方、高橋五左衛門様を訪ねて、暫くは其処に身を寄せていた。
そして、五左衛門様の所には出戻りの娘が居て、其の娘を女房にして暮らして居たのだが、例の千代田の一件で金澤は取り締まりが厳しく、
俺は女房を連れて、この海老口村へと移り住んで、暫くはのんびり百姓なとして暮らしていた。
併し二月前に、女房が悪い病で亡くなり、今は一人だ。ところで、藤十郎!お前はどうなんだ?」
藤十郎「拙者はなぁ、先ず、江戸は兎に角、取り締まりが厳しく、最初の半年は毎月家移りしていた。
漸く半年後に、榎町に一軒家を借りて高利貸を始めると是が意外と儲かって、次に始めた材木問屋、此れも大地震が有ったりで繁盛している。
今では店が間口四軒の材木問屋、信濃屋の主人、治兵衛さんだ。女房と倅もあるんだが、一つだけ悩みの種が。。。」
と、藤十郎は、正直にお捨と清次がやって来て、雛姫の消息探しをしろ!と、脅された噺も富蔵に打ち明けた。
富蔵「そうかい、其れは難儀だなぁ、あの揚場河岸の件を聴かせても、信じて貰えずでは苦労するなぁ〜。」
藤十郎「全くだ!身から出た錆では在るが、ボチボチやるつもりだ。ところで、さっきの祭の騒ぎは何んだったんだ?」
吉兵衛「明らかに相手は長脇差の連中ですよねぇ?」
富蔵「八幡宮の賭場で、ちょっと揉めてなぁ。其れで無宿渡世の連中と喧嘩になった。
八百長(イカサマ)しやがるから、その野郎を引き摺り出して、野郎を叩き斬ったら仲間が三、四十人居やがって、もう参った。
女房に死なれて、むしゃくしゃして自暴自棄だった。反省はしているんだぜぇ、兄弟。」
藤十郎「分かった。兎に角、兄弟も独りなら一緒に江戸に帰ろう!兄弟独りだけなら、俺がなんとかする、なぁ、江戸に行こう。」
富蔵「そうだなぁ、地元の侠客(ヤクザ)を敵に回したからなぁ、江戸に帰るかぁ!」
と、四人は深夜過ぎまで、酒を酌み交わし、悪党どもは泥の様に眠った。
つづく