芝居では『四千両小判梅葉』と申しまして、こちらの方は、柳葉亭繁彦が、町奉行所の記録を元に新聞連載したお噺で御座います。

時は安政四年、巳年中に一件落着!と、相成りました大事件、千代田城御金蔵破りのお物語に御座います。


さて、天保の始めに、武州根岸は金杉村に藤右衛門と言う方が御座ました。長男を藤十郎、次男を新吉と申しまして、

渚という女房が有りましたが是には先立たれ、後妻を薦める周囲をよそに、男手一つで二人の倅を育て上げました。

倅、兄の藤十郎は大層利発な子供で、七歳に成ると誰に教えられた訳でもなく、読み書きが出来る様になり、

正に『孟母三遷』の如く、近隣の漢学師匠、山田何某方の窓下に出向き、他所の童たちの素読を聴いては、我が学問の補助(たすけ)にしていた。


父の藤右衛門は、そんな藤十郎の意表に出た行動を案じており、兎角、この様な子は短命であったり、さもなくば、成長の後、愚人となる畏れがと気に病むのでした。

或時、藤右衛門は病に掛かります。最初(ハナ)は、風邪か?と、思っていましたが、日に日に病は悪化して寝込む事に。

藤十郎を買わせにやった煎じ薬を、朝晩毎日飲んではおりますが、一向に回復致しません。いやそれどころか重くなる一方。

いよいよ死期を悟った藤右衛門は、息子二人が大人しく遊んでいるのを手近に呼び、こう問い掛けるのでした。

父「まだ、西も東も分からぬ幼き汝等(うぬら)に、この様な事を尋ねても詮無い事やもしれぬが、

新吉が生まれて間もなく、汝等の母、渚を失ってからは、汝等二人の為と思い後妻も娶らず、親子三人水入らずで暮らして来た。

但し、この父は間違いなく、汝等より先に母の元へ旅立つ事になる。其れが、十年先、二十年先ならば宜いが、もう長くは無い、明日にも突然、長き別れと成るやも知れず、

我ら三人には頼る親類縁者は無く、其れ由えに、父は尋ねるのだが。。。

父は貧しいなりに、慎ましく生きて来た。そして、寄る辺ない汝等二人の為に、今では多少の蓄えもある。

其れは、此の仏壇の下、手箱の中だ。父が万一の時には此の中の黄白(金子)で両人仲良く暮らすのであるぞ。

其処でだ、父の心配は汝等のその後の事。世間の荒波に耐えて、両人が立派に生きて行く事こそが、一番の親孝行だ。

其れには、汝等がどの様な生業に付き、どうやって一人前に成る積もりなのか?其処の所を今日は聴かせて呉れまいか?」

と、父、藤右衛門は、噛んで含める様に語り、尋ねるのだが、流石に五歳の新吉は欠伸をするばかりで、この父の質問は難解過ぎた。

其処で、是は自身への父の問いだと理解した聡明な藤十郎は、やや考えて口を開くのであった。

藤十郎「父上、年端も行かぬ私めが、此の様な物言いをしますと、傲慢な奴、生意気な奴と、思し召さるゝやもしれませんが、最後迄、お聴き届け願いまする。」

父「まぁ、宜い々々、早く考えを申してみよ。」

藤十郎「今は太平の御世に御座いますれば、軍功を以って身を立てるは難しい事と思いますし、ましてや血筋無き私、藤十郎は武芸で身を立て、仕官の道を選ぶつもりは最初(ハナ)から御座ません。」

父「武芸で無ければ、何んと致す?」

藤十郎「拙者は、『名を上げて家を興す事こそが孝の終わり』と言う、唐土の学者・曽子孔子門人の師の言葉を集めた十三経の一つ『孝経』の言葉に従いとう御座います。」

父「『孝経』とやらに従って、如何なる生業を持つ?!」

藤十郎「兎に角、大好きな学問を致します。そして、行末の目処を立てる料簡で、必死に学問致します。新井白石、荻生徂徠、室鳩巣を目指し励みます。其れでも、正攻法には目処が立たぬ時は。。。」

父「目処が立たぬ時は、如何にする?」

藤十郎「美名を諦め、喩え、悪名なれど後世に名を残すが漢の精神、本分かと存じます。」

と、まだ七歳、幼稚ながらも殺気を孕んで、答える我が子に、藤右衛門は手にしていた薬匙を落として仕舞う位に愕然と致しまして、返す言葉が御座いません。

ただただ、我が子の顔を穴の明く程見詰めて、小児の意中を確かめる積もりが、思わぬ鬼が飛び出して、困惑と口惜しさの入り混じる藤右衛門で御座いました。


古くから『子を見ること親に如かず』とは申しますが、二人の幼い倅たちの意中を確かめようとした、死期の近い藤右衛門でしたが、

まさか、長男藤十郎の口から『悪行をしても名を残す漢でありたい。』などと言われるとは思いもよらず、ただただ、困惑して思案致します。

父「藤十郎、父はもう、この有様だ、本当にそう長くは無い。其れ由え、旦那寺の妙心寺へ走り行きて、済まぬが和尚を呼んで来て呉れ。」

藤十郎「今からですか?もう、五ツ半で御座いますよ。」

父「今すぐにじゃぁ。父は、明日をも知れぬ命。汝等の後見を是非、和尚にはこの口からお願い申して於きたいのだ。直ぐに行って呉れ。」

藤十郎「分かりました。では、もう一服、煎じましたら行って参ります。

新吉、父の看病と留守番を頼んだぞ、兄はお寺に行き、和尚様をお連れする。良い子で待っておれよ。」

そう言って藤十郎は、台所で七輪を使い薬を煎じまして、其れを藤右衛門に飲ませて、幼い新吉は父の背中を健気に摩って御座います。


こうして、病んだ父と幼い弟を残して、藤十郎が裏の勝手口から外へ出て行きますと、玄関脇の雨戸から、

この日の親子三人の一部始終を聴いていた曲者が独り御座います。この曲者、イタチの源蔵と申しまして吝な賭博打(ばくちうち)で御座います。


この日も賭場でケツの毛まで毟り取られてオケラ街道を戻りつつ、何気に空き巣でもと、雨戸に耳を当てて、様子を伺っておりますと、

中から『お前たち兄弟に残した黄白(金子)が、仏壇の下の手箱に在る。』と言う噺を聴いて仕舞いましたから、

このイタチの源蔵、押し入る機会を伺っておりました。そしたら、長男が寺へ使いに出されたと知り、今だ!とばかりに雨戸を蹴破り押し入ります。


ドカン!!


突然、縁側の雨戸を蹴破り黒い人影、頬冠りをした輩が土足で部屋へ飛び込んで来たから、藤右衛門も新吉も、ただただ驚き身体が竦んで仕舞います。

さぁ、飛び込みましたイタチの源蔵、一も二も無く目指すは仏壇の下、手箱を引ったくりカッ攫うと、一目散に逃げようと致しましたが、

今度は、藤右衛門が其れを許して於きません。在らん限りの力で、この曲者の足に縋り付き、大声で叫びます。

父「泥棒!その黄白(金子)だけは、許して下さい、この幼い子供達の物なので。。。泥棒!誰か?」

源蔵「残念だったなぁ、折角、外に居て散々藪蚊に喰われながら辛抱して聞き出したお宝だ!誰が返すもんか?馬鹿野郎。」

と、捨て科白を吐いたイタチの源蔵、縋り付く藤右衛門を、何度も足蹴にして振り解きます。

こうなると藤右衛門、黄白(金子)は諦めて新吉を庇う様に盾になろうとするのですが、是に対しても、源蔵容赦は有りません、怒りに任せて殴る蹴るの打ち打擲致します。そして、

源蔵「まぁ、今日の所は之れ位で許してやるぜ、オッサン!」

と、池乃めだか風の科白を残しながら、手箱を小脇に抱えて、外の闇へと逃げ去ります。


さて、家を一歩出たら、突然、表の方から雨戸を蹴破る大きな音を聞いて、寺へ行くのを躊躇し台所へと舞い戻った藤十郎。

中の様子を伺っていると、一瞬のうちに全財産とも言うべき手箱を曲者に奪われて、父親は殴る蹴るの暴行を受けて仕舞い、助ける事も叶いません。

恐る恐る中へと入ると、一人、泣く弟の新吉と、既に事切れた父、藤右衛門の痛々しい姿が其処には御座います。

藤十郎「新吉、兄(アン)ちゃんは曲者を追い掛けて来る。父さんと大人しく、留守番しているんだぞ!いいなぁ。」

そう言い残すと、藤十郎は外へと駆け出して、曲者の跡を追い掛けます。


そして案の定、小銭を五年間、藤右衛門が地道に貯めた手箱は相当な重量なので、曲者は遠く迄逃げてはおらず、藤十郎は曲者に追い付きます。

賢い藤十郎です。兎に角、曲者の跡を付け、その住まいを突き止めようとすると、曲者は、坂本通りの兎在る一軒の家に逃げ込みました。

『ヨシ、ここが曲者の寝ぐらに違いない!』と、思った藤十郎は、近所の普請場から、蔵の鼠穴を塞ぐ為の泥(漆喰)を持って来て、

この泥を、その曲者の家に在る格子へ、目立つ様に塗りたくり、直ぐに自身番へと駆け込んで、事件の一部始終を訴え出ます。


この日、自身番に居たのが南町同心の藤田監物と言うお方で、まだ七歳の藤十郎が、十数丁の道のり、曲者を独り追跡し、親の仇と泥で目印を付けて訴えて来た事に、いたく感心致します。

そして、夜中のうちに取方を手配し、曲者、イタチの源蔵の家を包囲して、夜明けと共に源蔵は召し捕りとなり、大切な手箱は取り戻す事が出来たので御座います。

さて、この藤田監物との出逢いが、藤十郎の後々の人生を切り開く事になります。実は、藤田監物、朋友で牛込富士見馬場の御小納戸役、新見八郎右衛門から、

良い養子が有れば、是非にも紹介して下さいと頼まれており、カクカクしかじか、と、此の藤十郎を紹介した所,

新見八郎右衛門も、この利発で行動力があり、何よりも学問好きで向上心の高い所が気に入られ、新見家への養子の噺が、トントン拍子に決まります。

一方、新吉の方はと見てやれば、藤右衛門の遺産とも言うべき手箱の黄白(金子)を持参金に、旦那寺、妙心寺の和尚の紹介で、箕輪辺りの百姓家へと貰われて行きます。

さて、新見家へ入った藤十郎、文武両道に学問所と道場、二通りの修行となりますと、元より賢き藤十郎です、

一を聴いて十を知る、いやいや百を知る英才で御座いますから、新見八郎右衛門も大いに悦びまして、その寵愛を一身に受け育ちます。


さて、光陰矢の如しで、十一年が経過致します。正式な養子縁組は、未だ済んでは御座ませんが、藤岡藤十郎と名乗り、五十石の扶持米を新見家より頂戴し、

実父、藤右衛門からの教訓を胸に秘め、新見屋敷に来た後は、文武両道の修行に励み、十八の好青年に育つので御座いますが。。。

相変わらず学問が大好きで、剣の腕前もそこそこの藤十郎では御座いますが、新見八郎右衛門が養子縁組をしない理由(ワケ)、大きな欠点が御座います。

其れは、この藤十郎、役者か?と思う位の男前、美男子で御座いまして、兎に角、言い寄って来る女子は星の数。

まぁ、単に美男子でモテモテで、周囲の女性と浮名を流すだけであれば、英雄色を好むで、新見八郎右衛門も許すのですが、

玄人にも目がなく、酒色に溺れているかの振る舞いでして、扶持を毎月貰うと、廓通いに散財しまして、是は周囲の誰もが藤十郎を残念に思う一面で御座います。

そして、遂に町場の金貸から毎月三両、五両と借りた銭が元利合わせて四、五十両と膨れ上がり、掛乞いの取り立てが厳しく成りまして、

いよいよ、新見家の帳面をドカチャガ!ドガチャカ!弄りまして、この返済に当てて仕舞います。


つづく