夜色沈々、萬籟死して世はここに寂然。仰げば師走機望(極月十四日)の清月は、一碧瑠璃の蒼穹に懸かって、地上尺余の積雪を照らす。
此処本所松坂町は吉良邸の正門前に、今し現れ来たった一個の黒影、続いて一個、又一個、二個、三個、続き続いて四十有七の黒影は積々たる雪を蹴立って、進み来た。軈て号令一呼!
止まれ!
寂寥たる深夜の気を劈いて、一党の耳底に響けば、衆皆整然、内蔵助は厳然たる語気に一同を顧みて、
内蔵助「予ての約束に従い、此処を最後の場所として、何れの方々にも充分に奮闘されよ、萬が一にも不倶戴天の怨敵を逸する様な事あらば、
一党の武運之れ限り、潔く腹掻ッ切って、泉下の亡君に追着き奉るべし、左らば各々方、日頃の手並は此の時でおざるぞよ、
太刀の目釘の続かん限り、槍の穂先の折れるまで、各自が忠志を励まれよ!イザ、さらば。。。」
励声一番、口を衝いて出づれば、一党の面々何をか躊躇わん、「オー!」と呼応し、「それぇ〜」っとばかりに、
予て用意の投梯子、門の屋根へと掛け渡し、大高源五、横川勘平、此の両人、其処からサラサラ、サラっと乗り越えた。
先ずは、当夜正門に於ける一番乗り、降りる間遅しと翻し、雪をば蹴立って乗り込む物音、門番警護の者は驚き目を醒し、
小窓を開けて打ち見れば、表の長屋の屋根の上、群がり立った幾多の人影、
ツッと眼を打ち返し傍を見れば、早乗り入ったる先の二人。一人は月に閃めく大身の槍を、一人は大槌を携え突き立ったる有様に、
其のまゝ所をぞ押し開いて踊り出て、玄関敷台の上に立ち上がり、前面戸叩くも忙しく、
源五「やぁやぁ、御夜詰めの方々、お廣番の衆達、怪しき者の入り込み来たって御座るぞ!早々、御用意ッ!」
と、呼び声を発して大高源五。ジロッと鋭い光視線を打ち見やり、ツカツカツカツカ、ツカツカツカツカ、っと立ち寄り様、
手にしたる大槌を振り上げて、恐怖に竦む門番の、頭上目掛けて、発止とばかり打ち懸かる。
何かは以て堪えるべき?、敵は「アッ!」と、叫んで其の場に倒れる。
後に残った今一人の門番、慌てふためき狼狽しきり、逃げんとするを、ツっと猿臂(えんひ)を伸ばし取り押さえ、
源五「騒ぐなぁ!声を出すでないぞ、生命(いのち)は助く由え、御門の鍵を差し出せぇ!」
と、云えば門番は、震え慄き歯の根も合わず、
本番「よ、よッ宵に見廻り衆に、さッ差し出して御座る。。。ゆ、由えに朝にならぬと、わ、わッ我等の手には戻りませぬ。」
と、声も微かに吃音(どもり)ながら喋る様子は、嘘には見えず、今は御門を打ち破るの外無しと、源五、大槌を手にして、
門の扉辺りを、発止!発止!と打ち付ければ、閂(カンヌキ)ドッと砕けて、扉はサッと左右に八文字、
是を見て大石内蔵助、軍配(サイハイ)を取りて、「ソレっ!、乗り込め。」の号令一下、一同の面々はドッと喚(おめ)いて繰り込んだ。
我々は、故・播州赤穂の城主、浅野内匠頭長矩の家臣である。大石内蔵助以下四十有六の面々、亡き殿の御無念を晴さんが為、
吉良上野介殿の御首級(みしるし)頂戴せんと推参仕った!我れと思わん方々は、お出遭い召され、尋常にて、御相手仕る。
と、大石内蔵助の戦布告の第一声が止むと、原惣右衛門がゆっくり進み出て、予め作りし例の口上書を竹筒に刺して玄関先に突き立てます。
すると、『ヨシ、突撃!』とばかりに、大高源五、真っ先に玄関正面、杉の柾目黒塗り前面所を、得意の大槌を以て叩き壊し、
イザ!中へと致したその時、玄関脇傍に寝て居たのは、上杉家附人の一人、宮石新左衛門。物音煩くガバっと跳ね起き、襷鉢巻凛々しくも、
サッと一刀を取って進み寄り、物音立てず斬り掛かります。
後より乗り込み来るは、横川勘平、大身の槍をオッと捻り、「横川勘平宗利推参!お相手仕る。」と、出合頭に宮石新左衛門と渡り合う。
二打ち、三打ち打ち合ったが、四手目の槍を脆くも新左衛門が受け損じ、勘平の忠義の鉾先鋭く、グサリッとばかりに首筋貫いた。
其の他邸内の者は寝耳に水の驚きで、長屋の中より飛び出さんとすれば、月下に轟く内蔵助の下知が飛ぶ!
逃げ出す者は容赦なく斬り捨てよ!
但し、じっとして動かぬ者は斬るな!
無益な殺生は、刃毀れの無駄だ!
特に、女子どもには堅く殺生するな!
目指す仇は、吉良上野介殿ただ一人で御座る!
詰まらぬ敵に、時を奪われめさるなぁ!
是を内蔵助は叫ぶ様に繰り返したので、長屋の者どもは色を失い奥に引き篭もりじっと潜る様に成ります。
先頭で大槌にて大高源五が襖、障子所を打ち破りながら、建屋の奥へ奥へと進みますれば、偶に、斬り掛かって参り輩が御座います。
其れは、三人一組の残る二人、早水藤左衛門、間十次郎の両人、「ヤッ!」っと返り討ちに致しますから、
奥へ行けば行く程、抵抗者は止み、敵は益々、戦意を失い引き篭もりじっと潜る様に成ります。
一方、裏門側は?と、見てやれば、此方搦手軍の大将は大石主税良金を先頭に、漸く裏門前に同じ様に肉迫します。
こちらは、いきなり外から鉞(マサカリ)と大槌で門を外から壊しに掛かりますから、驚いた足軽門番が、おっとり刀で飛び出して来る。
すると、其れを待ってました!と、ばかりに堀部安兵衛、是を捕まえて高手小手に縛り上げて、
安兵衛「騒ぐな!声を立てると、是なるぞ。」
と、秋水三尺、頬に段平を当てられた門番の足軽は生きた心地がしないまま、黙るしかなかった。
そして、繰り返し「エイやぁ!エイやぁ!」と鉞と大槌の叩きを受けた裏門は、流石に堅固な姿も瞬く間に扉は散々、
其れを得たり!と、飛び込む様に討入る二十四人の義士、バラバラバラと、散り進みます。
表の方々に遅れるな!ソレ、打ち破って進め!
大石主税のややカン高い声が響き渡り、此方も、「オー!」と、呼応する声が聴こえ、やはり、イの一番に建屋へ飛び込んだのは、堀部安兵衛武庸。
そして、大石主税も、吉田忠左衛門に全権指揮を任せて、自らは、安兵衛に遅れまいと、中へと斬り込んで行く。
さて、そんな二人の前に、物陰から飛び出して来た一人の武士。股立ち高く取り上げて、汗止めの後鉢巻をダラりと垂らし、凛として涼しげな此の漢、サッと大刀を上段に構えて、大声一発。
一學「我こそは、上杉家附人、随一無双、清水一學其の人也。腕に覚えあらん者は、我太刀風を一度(ひとたび)受けて見よや!!」
と、名乗りを上げれば、先陣を切る堀部安兵衛が、その前にすっくと立って、
安兵衛「オー!」
と、一声。此方は正眼に構えて、相手の打ち込みを確かめるが如く、受けに徹して、二度、三度、チャリン!チャリン!と、火花を散らすも、
安兵衛「エーイ、面倒。」
と、叫ぶと安兵衛、自ら大上段に構えての一撃、清水一學是を受け止められず、血煙を上げて頭を割られ絶命致します。
此処で、大手搦手一つに出逢い、討入りから半刻が経過しますが、まだ、吉良上野介の姿は、両軍捕らえられておりません。
一意上野介殿の白髪首討ち取らむ
其れだけを念じ合流した両軍は、上野介の寝所を目指して突き進む。然るに、上杉家附人始め吉良家譜代の家臣たちも、
主君吉良上野介の御首級(みしるし)だけは、上げさせまじ!と、獅子奮迅の勇気を奮って、赤穂義士の面々の行手を食い止めん、食い止めん、此処を先途と戦った。
此の中に、同じ上杉家附人の一人、小林平八郎、其の日は昼間から体調優れず、奥の寝所にて伏せって居たが、
突然、俄に起こる矢叫びの音、腰元奥女中の悲鳴、撃ち合う剣同士の響きに飛び起きて、
平八郎「南無三。しなしたり、浅野の浪人めぇ、討入ったるや?!」
そう呟くと、直ぐに支度し股立ち高く取り上げ、先祖伝来の名刀『水田國重』の大刀、腰にブチ込み、先ずは吉良上野介殿をお守りせん!と、部屋を出た途端、
ヒューッと
風切り音と共に放たれた一矢!続いて飛んで来る矢は雨霰。仕方なく平八郎、進み行ったるは中奥。
すると忽ちに傍らより踊り出でたる黒い影、大声で名乗りを上げて挑んで参ります。
勘平「ヤァーヤァー、其処へ参られたるは吉良上野介殿のお身内人と覚えて御座る。
拙者は浅野内匠頭長矩が家臣、横川勘平宗則と申す、出會はんと思はゞ、此の鋒を受けて見られよ、イザ勝負。」
平八郎「物々しや、横川勘平とやら。我こそは上杉家附人、小林平八郎に御座る。相手に取って不足無し、さぁ〜参られよ。」
と、返した小林平八郎。一歩下がって身構えます。
槍と刀の激突に、時折り刃と刃が衝突し火花を散らすも、一心一体が続く中、同組の貝賀彌左衛門と片岡源五右衛門は、
手出しをせず、勘平が危なくなれば、助太刀する構えで、戦況を見守ります。併しそこへ、赤埴源蔵が現れて、
源蔵「助太刀いたす。」
と、斬り掛かり、勝負は二対一に成りますが、直ぐに、もう一人、赤埴源蔵と同じ組の堀部安兵衛が駆け付けて、
安兵衛「助太刀致す。」
っと斬り掛かったから、平八郎は堪らない。ところが、此処に現れたのが、堀部彌兵衛金丸。この三対一を見て、ご老体、怒ったの怒らないの、
彌兵衛「何をしとるかぁ?!安兵衛。一人の敵に三人掛かりの卑怯千万。其れより何より、上野介殿は、未だ見付け於かれぬ今、
成さねば成らぬを考えろ!田分け、この勝負は儂が引き受けるから、三人は上野介殿を探せ!探せ!」
と、言うと槍を扱いて小林平八郎に対峙して、三人に奥へ行けと促します。併し流石に、御年七十六歳を一人残しては行けません。
発端の人、横川勘平が彌兵衛老に、
勘平「御老人、貴方に怪我でもされては困ります。此処は拙者にお任せ下され。」
と、注進する。ところが彌兵衛、是を聴くと真っ赤になって怒る!怒る。
彌兵衛「黙れ、小童。怪しからん事を申すなぁ、喩え、七十六が百、否、二百であっても、忠義の刃に勝る物はない。
この戦場へ儂を連れて来たのは誰だ?、貴様たち同志ぞ?!
其れを『怪我をされたら困る!』とは、儂は味噌カスか?!
老いても、此の堀部彌兵衛金丸、貴様(うぬ)らに遅れは取らぬ。さぁ、お引き召され!」
と、腕に覚えの宝蔵院流、槍の穂先も鮮やかに、閃々として繰り出す手練の早業、三人は敵を彌兵衛に任せるしかなかった。
併し其れでも赤埴源蔵、堀部安兵衛に何やら耳打ちし、赤埴源蔵と横川勘平は此処を離れて、上野介の探索に出ますが、
安兵衛は何時でも助けに入れる間合いから、彌兵衛と、小林平八郎の闘いをジッと見守る事に致します。
一対一と成った堀部彌兵衛と小林平八郎。暫くは一進一退、互角の打ち合いが続いたが、流石に御年七十六歳は肩で息をし始めます。
一か八か
更なる持久戦に持ち込まれたら、全く勝目が無くなると判断した彌兵衛は賭けに出ます。槍を意図的に短く持ち、先ず、平八郎の懐中奥深く
閃めいた!
懐中に入ると同時に、柄を長手に戻し突い出ます。『刺しつけたり!』と、心で呟く彌兵衛でしたが、
小林平八郎は冷静でした。彌兵衛の槍が伸びて飛び出す刹那、横一文字に抜刀して、彌兵衛の槍の鋒を柄の根本から切り落として仕舞います。
今度は驚いたのは彌兵衛の方です。慌てて槍の柄を捨て、腰の刀を抜く彌兵衛。カチンと間一髪、平八郎の繰り出す刃を受け止めた。
チャリン、チャリンと二度、三度、刀と刀が火花を散らすと、もう、彌兵衛は防戦一方、受けるだけで精一杯。
すると、小林平八郎、渾身の一発を受けて腰砕けになる堀部彌兵衛。慌てて少し退がり踏ん張り直そうとした、次の瞬間でした、
縁側の板を踏み外し、雨戸ごと庭先へと転がり落ち、雪の上に大の字に倒れて仕舞います。其処へ容赦なく小林平八郎、大上段から斬り掛かる。
哀れ堀部彌兵衛の命は風前の灯火、そう自分にも見えて老人、『南無三、南無阿弥陀仏。』と呟き目を閉じた、丁度其の時、
横合いより、隼の如く現れた人影、飛行機か?新幹線か?スーパーマンか?否違う、其れは堀部安兵衛武庸だったのです。
エイッ!!
と、一声発し繰り出すと、平八郎の右腕が、スパッと切り落とされて無くなります。
そして、返す刀で肩から袈裟懸けに、胸までザッくり斬られた平八郎は即死で御座います。
安兵衛「父上、危のう御座いましたなぁ、お怪我は御座いませんか?」
彌兵衛「安兵衛かぁ?余計な事を。。。雪の上だ、大事無い。」
と、堀部彌兵衛金丸、何事も無かった様に平然と刀を鞘に収めると、そのまま、正門へ「代わりの槍を貰い受ける。」と、云って立ち去るのであった。
つづく