元禄十五年極月十四日、寅上刻、卍巴に降る雪が止み、赤穂浪士軍の吉良邸討入りは、予定通り決行された。

月が顔を出し、雪灯りの反射で邸内を昼間の如く明るく照らしていたと言う。


まず活躍する赤穂浪士は、茅野和助(島田順司)で、塀の上から弓矢を射て、邸内から出て来る敵を迎撃します。

清水一學(天知茂)も、妻・お聖(長谷川峯子の小袖を牛若丸風に頭から被り、女中のフリをして、吉良上野介(市川小太夫)の寝所へ駆け付けます。


その途中、清水一學は上野介の用人・松原多仲(神田隆)と鉢合わせに成りますが、神田さん演じるポンコツ用人・松原多仲は、

大方の予想通り、討入りと知るやいなや、主人・吉良上野介を捨てて、我先に逃げ出す途中でしたが『上杉に知らせに走る』と言うので、清水一學はそのまま行かせます。

しかし、実際にポンコツ用人多仲は、両国橋を渡り半刻も走って後、偶々、店を開けたばかりの豆腐屋に駆け込み、その豆腐屋の小僧が上杉江戸上屋敷へと走り、討入りの一報は伝えられている。


さて、寝込みを襲われた吉良家の家臣たちは、上を下への大騒動で、女中や腰元の悲鳴が木霊する地獄絵図で御座います。

そんな中に有って奮闘するのが、吉良家四天王。強い意志で上野介の命を守る忠臣が、吉良にも居たので御座います。

まず、譜代の家臣、斬り込み隊長は、斉藤清左衛門(今井健二)です。槍が腹に三本刺さるまで抵抗します。



次に、小林平八郎(芦田伸介)。米沢の上杉藩から転じて、吉良家に仕官した剣客です。



三人目も、上杉家の鳥居利右衛門(大友柳太朗)。娘・お節(梓英子)が、赤穂浪士・小山田庄左衛門(中山仁)と駆落した負い目から吉良上野介に仕えた人です。



そして、最後は清水一學(天知茂)。堀部安兵衛とは義兄弟でありながら、吉良家に仕えて赤穂浪士と闘います。




さて、このドラマの討入り場面。ビックリした事は、吉良家四天王目線からも、半分くらいは描いてある事で、

その理由としては、スケジュールの関係で、赤穂浪士が討入りに参加出来ていない事にあるからです。

赤埴源蔵のフランキー堺、堀部彌兵衛の有島一郎、奥田孫太夫の河野秋武、片岡源五右衛門の江原真二郎、原惣右衛門の香川良介、小野寺十内の伴淳三郎などなど、

赤穂浪士の中でも、かなりキーマンな役どころが、討入りに居ないと言う前代未聞の『忠臣蔵』なのです。

だから、吉良四天王を豪華にして於いて、討入り場面では、滅び行く者の哀れを描く作戦が見え見えで、

そうそう、意外と五十話で一度しか出ていない間十次郎役の蜷川幸雄さんが、討入りでは大活躍します。


そして、このドラマでも、吉良上野介は炭小屋に隠れて居てなかなか発見されませんが、不破数右衛門(新克利)が抜け穴を見付けて炭小屋を捜索し発見されます。



清水一學に守られた吉良上野介でしたが、流石に他勢に無勢!炭小屋から引き摺り出され、最後まで往生際が悪く、斬首されます。


そうだ!この上野介発見の呼子の笛を吹くのは、赤埴源蔵の役目ですが、このドラマでは、フランキー堺さんが居ないので、間十郎次の蜷川幸雄さんが吹いております。



討入り本懐を果たし、吉良上野介義央の身印を取った赤穂浪士達は、亡君の墓前に報告する為に、高輪泉岳寺を目指した。

その行列は、永代橋から鉄砲洲、日比谷、金杉橋、嶋内と進んだ。この様に裏通を使ったのにも理由(ワケ)があるとされている。

其れは、この極月十五日は、諸大名の登城日で、本通りを使うと、此れと重なり混乱するのを避けた為である。


この行列の道中に、赤穂浪士に声を掛けて来る友人知人も、恐ろしく少なくて、勝田新左衛門(寺田農)におしの(中野良子)が駆け寄るのと、

茅野和助(島田順司)に、金田屋(園千雅子)のおたかが、「貴方!」と声を掛けるだけで、

後は浪士全体に、桂小金治さんの蕎麦屋、三角八朗さんの魚定が江戸っ子らしく囃子立てる位でした。

こうして、この行列から汐留で、吉田忠左衛門(中村伸郎)と冨森助右衛門(石田太郎)の姿が消えた。

芝、明船町にある大目付・仙石伯耆守(五代目中村富十郎)に対し、自訴して口上書を渡す為である。

この大目付伯耆守役は、まだ、六代目市村竹之丞時代の若い五代目富十郎丈です。女形ですから、こういう場面でないと、タチ姿はなかなか拝見出来ません、貴重だと思います。


おまけとして、お蘭(上月晃)は、瀕死の重傷を負いながら、柳生勢が上杉江戸上屋敷へ通報に走るのを食い止めます。

お蘭よりも、堀内源太左衛門(平田昭彦)と大石無人(辰巳柳太郎)、大石三平(竜崎勝)親子の方が活躍しますけどね。


そして、千坂兵部(丹波哲郎)も馬で浦和から飛んで来て、上杉綱憲(天田俊明)の出陣を、命を懸けて諌めに掛かり、赤穂浪士が泉岳寺に去った吉良邸へ行き手を合わせます。



一方、大目付よりの知らせを受けた幕府は、結局、この十五日戌の上刻に、細川越中守、松平隠岐守、毛利甲斐神、そして水野監物に浪士達を預けるとの暫定処置だけだった。


つづく