箱根を越えた大石内蔵助は、川崎大師に近い平間村の富森助右衛門の農家に、早見藤左衛門、三村次郎左衛門と潜伏していた。
天野屋利兵衛によって調達され、和泉屋のお浜が運んだ武器、打ち壊し道具は、粗方、江戸市中に運び込まれて、
最後の荷を、早見と三村が百姓に化けて、川崎から江戸へと運び込み、此れで、富森助右衛門と大石内蔵助以外の同志が全て江戸に集結した事になる。
冨森助右衛門は、寛文十年、赤穂藩御留守居役・富森助太夫の子として誕生している。母は山本源五右衛門の娘である。
父が早世したため幼くして浅野長矩に仕え、天和三年に小姓になり、元禄三年には江戸詰馬廻兼使番二百石となった。
いついかなる御用を仰せ付かってもよいように二十両の金子を常に懐に入れていたという。また、俳諧をたしなみ宝井其角に師事し、春帆と号した。
元禄六年極月、備中松山藩水谷家が改易となり、浅野長矩が収城使に任じられると、江戸から国許へ下準備を知らせる急使に任じられ、
通常十五日かかるところ六日で赤穂に到着し、家中の者たちを驚かせている。
浅野長矩が勅使御馳走役に任じられ、元禄十四年三月、勅使が江戸へ下向すると高田郡兵衛と供に品川まで出迎え、伝奏屋敷まで案内している。
併し、同年三月十四日、江戸城松之大廊下での吉良義央への刃傷により、浅野長矩が切腹。
この時、助右衛門ね母は深く憤り、不公平な裁きをした御政道を批判して、復仇をして武士としての本懐を果たすよう助右衛門に申し付けたとされている。
赤穂藩改易後は川崎の平間村に母の隠居所を建てて移り、山本長左衛門と変名して隠れ住んだ。
この後、正式に仇討ちが決まると、江戸の新麹町五丁目の借家へ移る事になる。
新麹町五丁目に移ると吉良邸の探索を行い、屋敷の構造から屋内での戦いが主体となると考え、屋内戦に有利な九尺の短槍を考案したとされていて、
この冨森助右衛門と言う人物は、吉田忠左衛門と並び称される軍略家で、この後、討入りまでに、様々な作戦を彼が考案する事になるのだ。
元禄十五年極月十四日の吉良邸討ち入りでは表門隊に属して戦った。母から贈られた女小袖を肌につけ、
姓名を記した合符の裏に「寒しほに身はむしらる丶行衛哉」と書いていた。
吉良上野介を討ち取り、赤穂浪士一行は浅野長矩の墓所のある泉岳寺へ向かったが、彼は吉田忠左衛門とともに一行から離れて大目付仙石久尚の屋敷へ出頭して討ち入りの口上書を提出した。
その後、大石内蔵助らとともに細川綱利の屋敷にお預けとなる。元禄十六年二月四日、江戸幕府の命により切腹。享年三十四歳、戒名は、『刃勇相剣信士』である。
このドラマにも登場する、当時二歳だった長男の富森長太郎は母方の叔父に預けられ、大赦後に壬生藩主で譜代大名の加藤家に仕えたそうである。
さて、この冨森助右衛門を演じるのは、石田太郎さんです。石田さんさ、本当に俳優としても、声優でも売れっ子でした。
特に、NHKの大河ドラマには、必ずと言っていいくらい登場する役者で、演技、役どころの幅が広くて、
CXのドラマの撮影中に、プールで心筋梗塞で亡くなったんですよね、『鳥貴族』じゃなく、草彅剛と北川景子のドラマ『独身貴族』の第一話の撮影中。
さて、大石内蔵助が箱根を越えたとの知らせは、公儀、幕閣にも届き、柳沢吉保は、公儀隠密、加倉井林蔵を呼び付けて、腹を斬れ!と、叱責しますが、
加倉井は居直り、「拙者は、柳沢様の家来ではなく、柳生但馬守俊方の家来だ!」と、言って、赤穂浪士を見張れば、大石内蔵助など簡単に捕縛して見せると豪語するが、
柳沢吉保は、度重なる加倉井林蔵の失態に、既に彼を信用する気は、サラサラなく、直接、登城の機会に但馬守を捕まえて、赤穂浪士対策を厳命するのである。
ところが、柳生但馬守は、柳沢に安易に組するつもりは無かった。隠密廻りの事は、加倉井に任せて口出しする気は無かったが、
老中や、諸大名、如何せん江戸の庶民は、柳沢出羽守ではなく、赤穂浪士の贔屓である。この局面で、柳生の総領として、柳沢出羽守に付くべきか?但馬守は但馬守なりに悩んでいた。
すると、其処へ突然、お蘭が現れて、加倉井林蔵には内緒で、大石内蔵助との会談を薦めるのです。
さて、この柳生家五代藩主、但馬守俊方を演じるねは、仲谷昇さん。岸田今日子さんの最初の旦那さんで、このドラマの頃は夫婦です。
仲谷さんと言えば、柳沢吉保役の神山繁とは劇団『雲』を結成当時からの仲間で、雲を退団したのは吉田忠左衛門役の中村伸郎と一緒で、
その後、仲谷さんと中村伸郎さんが中心になり、劇団『円』を立ち上げますから、この大忠臣蔵は、仲谷さんの仲間が多数出演しております。
あと、個人的に仲谷昇さんで思い出すのが、CXの深夜番組『カノッサの屈辱』です。レギュラーで、歴史物の回のナレーションが仲谷さんでした。
一方、大石内蔵助の箱根越えは、上杉藩家老、千坂兵部の耳にも入り、千坂は直ぐに、吉良上野介の屋敷を訪ね、清水一學と面会する。
そして、千坂兵部は、一學に大石内蔵助が江戸に入るところを暗殺して欲しいと頼むのでした。
併し、清水一學は直ぐには是を受け入れは致しません。清水一學は吉良家家臣。上杉の千坂に指図される筋合いは一切無いからです。
ここで、千坂兵部は、燃し、一學が大石内蔵助を斬り、その責任を負い腹を斬るならば、自分もお前の跡を追うと、武士と武士の約束を致します。
さて、江戸に集結した赤穂浪士の中で、やはり一番の中心人物は、老獪な策士である吉田忠左衛門でした。
忠左衛門は、日本橋本石町三丁目の公事宿『小山屋』に、大石主税と一緒に住んでいて、此処は浪士たちの密会の場所だった。
公事宿とは、訴訟や民事裁判の為に長期に江戸滞在をする者向けの宿屋で、現在のウィークリーマンションみたいな物である。
大石主税の変名は、垣見早苗といい、この小山屋の存在は公儀に知られてはおらず、大石内蔵助との此の宿での合流を計画していた。
そして、最後の武器を三村次郎左衛門が川崎平間村、冨森助右衛門の家から運んで来たと言うので、吉田忠左衛門、大石主税、茅野和助の三人と、内蔵助受け入れに付いて協議していた。
江戸の事情を知らない三村は、聴き役だったが、茅野和助も吉田忠左衛門も、異口同音に、江戸での赤穂浪士に対する取締りは厳しく、
内蔵助が安易に江戸入りすれば、簡単に、公儀隠密の餌食となる。そこで、討入りの準備は、兎に角、既に江戸入りの同志で行い、
内蔵助は、川崎まで来ているのだから、討入り直前に江戸入りすれば宜しいとの結論に至るのである。
さて、結論は出たが、誰が内蔵助に其れを伝えるか?ッて噺になり、此処で茅野和助が男気を見せて、自分の女房に成ったばかりの、あの両替屋の後家、金田屋のおたかに頼む事に致します。
さて、金田屋のおたかが通用の手形を取りまして、川崎を目指す事になるのでは御座いますが、当然、手形を申請した途端に公儀は怪しみます。
是を察知して、公儀隠密のお蘭が、おたかを付ける為に、高輪の大木戸で待ち伏せするのですが、
更にそれを清水一學が品川から高輪の大木戸へ向かうお蘭を発見し、お蘭が大石内蔵助に会う積もりであると、野生の勘の様な物が働き是を付け廻します。
さて、お蘭はおたかを付けて、そのお蘭を一學が付けるという図式になり、お蘭は但馬守と大石内蔵助を逢わせる為に、おたかを付けているから、
清水一學を撒く為に、道中、柳生黒鍬衆を使い足止めを試みますが、一瞬にして一學の二刀流!二天一流により斬り殺されて仕舞います。
此のお蘭のおたか追跡、柳生の主領である但馬守が、馬で遠乗を装って、大石内蔵助と密会できる様にと、道中に『目印』を残すのですが、
それが道中道に生えている雑木の枝を、刀で切り払った葉の繁る枝を道に落として行くので御座います。
天下の柳生の道標(みちしるべ)が、雑木の青々とした枝ですよ?!しかも、木の種類はバラバラ。せめて、柳とか桜とか、木の種類を統一しろ!って思いました。
こうして、大石内蔵助が、冨森助右衛門の息子、史実は二歳ですが、このドラマは五歳くらいの長太郎と釣りに興じている所へ、
お蘭と清水一學の二人が現れて、内蔵助は、お蘭に長太郎の子守をさせて、自身は清水一學と、一対一の決闘を始めます。
まぁ、この辺りがドラマの演出で御座いまして、真に迫る五分の斬り合いが続き、実に宜い闘いだ!と、言う盛り上がった所に、馬で但馬守がやって来て二人の間に入り、
この死闘は決着せぬまま、清水一學はこの川崎の地を去り、江戸へと帰って行きます。
一方、間に入った柳生但馬守は、大石内蔵助と偶然に会った態で、『討入り』に関して、ざっくばらんに噺をするのですが、
この密会の問答で、但馬守は柳沢吉保より赤穂浪士に『理』があると判断をして、大きな進言を五代将軍綱吉に、但馬守がする事になります。
其れは、『赤穂浪士の討入りお構い無し。』つまり、赤穂浪士の討入りに公儀は邪魔をしない!干渉をしないと言う政策転換です。
其れだけでは、柳沢吉保が納得しないので、柳生は柳沢を側面から、是まで通り助けて、赤穂浪士に討入りはさせるが、
必ず、上杉十五万石を巻き込み、その改易に協力すると、言い出すのです。柳沢吉保は、将軍綱吉の意向でもあり、上杉家の改易が条件ならばと仕方なく是を了承します。
又、但馬守に会った大石内蔵助は、江戸での公儀の赤穂浪士への隠密行動が近日終わると確信し、但馬守との密会の二日後の早朝、
大石主税と吉田忠左衛門が居る日本橋本石町三丁目の公事宿『小山屋』に暁の靄の中現るが、既に『小山屋』は、
加倉井林蔵と丸木七之介に見張られていて、此処に現れた大石内蔵助に対して、「御用!御用!」と、召し捕りに掛かるが、
其処へ、お蘭が但馬守からの書状を手に現れて、公儀が赤穂浪士の取締りを止めると知らされて、加倉井林蔵は大いに悔しがり、
また、黒鍬衆頭領である自分の頭越しに、主領である柳生但馬守に進言したお蘭との遺恨、確執が顕に成った。
さて、無事に小山屋へ入った大石内蔵助は、大石主税/垣見早苗の叔父、垣見五郎兵衛と江戸では名乗り、この小山屋から討入りの采配を振るう。
軈て、公儀が赤穂浪士の討入りへの干渉を止めた事は、赤穂浪士側だけでなく、吉良家、上杉家にも伝わり、双方の動きが活発になります。
更に、赤穂浪士と江戸庶民との恋噺が、このドラマのダレ場を、緩和する演出に使われていまして、
まずは、既にご存知の勝田新左衛門(寺田農)と居酒屋の娘・おしの(中野良子)、搗き米屋で暮らす実は仇同士の前原伊助(若林豪)と上坂鉄舟斎の娘・小雪(北川美佳)、
そして、茅野和助(島田順司)と両替商金田屋の後家・おたか(園千雅子)、是に更に二組の新しい恋噺が誕生致します。
まず、その一つ目が内蔵助と主税が潜伏している公事宿『小山屋』に、大石主税(長澄修)と一緒に泊まっている長崎から来たと言う、
カピタンと丸山遊女の間に生まれたと言う、お蝶(水原麻記)で、無邪気に主税とお蝶は戯れていますが、恐らく恋に落ちる予感が致します。
さて、このお蝶を演じる水原麻記さん。もう、時代劇の町娘役と言えば水原麻記でした。特にシリーズ物の時代劇の居酒屋の娘は水原さんでした。
中村梅之助の『遠山の金さん』、大川橋蔵の『銭形平次』、高橋英樹の『桃太郎侍』、松平健の『暴れん坊将軍』などなど、
単発でも、必殺シリーズなどにも出ていて、二十代、三十代は大活躍でしたが、四十代になると突然見なくなった女優さんです。
やっぱり、時代劇以外の潰しが効かないのと、町娘一本で、腰元とか御局とかのイメージが薄い女優さんでしたからね。
このドラマでは、二十歳から二十一歳の水原さんが見られて、実にピチピチしていて、眩しい存在です。
一方、吉良上野介は、このまま本所松坂町に居ると命の危険を感じますから、上杉家の上屋敷へ逃げ込みます。
実の子である上杉綱憲公に頼み込み、元吉良家家臣で、綱憲公と共に米沢へ移った上野介が大層目を掛けていた小林平八郎(芦田伸介)を、
態々、米沢から江戸藩邸に呼び寄せて、大変剣の腕の立つ平八郎に、上野介の警護に当たらせるのでした。
そして、この小林平八郎が上杉家江戸家老、千坂兵部(丹波哲郎)と、吉良上野介の事で、衝突する様になるのです。
さて、この小林平八郎を演じるのは、芦田伸介さん。NHK大河ドラマ『元禄太平記』では五代将軍綱吉を演じていました。
小林平八郎は、史実でも清水一學と共に赤穂浪士の討入では、最も活躍した人物の一人で、『忠臣蔵』の中には、度々脚色して描かれております。
このドラマでも、史実では元々上杉家の家臣ですが、吉良上野介とは父の代から世話になり、恩義を感じている設定で描かれます。
こうして、米沢から小林平八郎が江戸に呼ばれた事で、吉良上野介が上杉家江戸藩邸に居続けると、赤穂浪士が此処に討入る事態になる。
其れだけは、何んとしても、避けたいと願う千坂兵部でしたが、小林平八郎の抵抗は予想以上に激しく、なかなか、上野介を本所松坂町へ帰す作戦が上手く行きません。
併し、千坂兵部が上杉家の家臣を上野介に警護として回さないので、仕方なく、小林平八郎が浪人を三十人程雇う事になるのですが、
その警護の浪人の中に、赤穂浪士の密偵、毛利小平太(高橋悦史)が潜り込みます。この毛利小平太と言う人物は謎の多い人物で、
一度目の殉死を誓う『清書』に参加して、十一月末までは、堀部安兵衛と行動を共にして、極月十一日までは安兵衛宅に居候しています。
そして、翌十二日。遂に討入りの日が十四日と同志に知らされた当日、脱盟を言い出した矢野伊助や瀬尾孫左衛門の名前は、二度目の『清書』から除かれて瑤泉院に出されているのに、
毛利小平太の名前は存在しているので、恐らく、大石内蔵助は当日、南部坂から討入りの集合場所に行って初めて小平太の脱盟を知ったと思われます。
ただ、毛利小平太の脱盟願いは、極月十一日の日付で書面で残されてはいたりもして、実にミステリーな脱盟なので、後の『忠臣蔵』では、様々な解釈で描かれる事になります。
さて、この『最後の脱落者』毛利小平太を演じたのが、高橋悦史さん。実は、この役は平幹二朗さんがやる予定でしたが、
私の記憶が正しければ、痔たか何んだか、少し恥ずかしい病の手術で降板し、高橋悦史さんが代打だったと聴いております。
この毛利小平太の工作で、実は上杉家江戸屋敷の方が討入し易いとの調略で、次第に吉良上野介は、千坂兵部が自分を、仇討ち前に殺すのでは?と、疑心暗鬼に落ち入ります。
又、千坂兵部は兎に角、上杉十五万石が何より大切な人だから、吉良上野介を本所松坂町へ帰そうと画策しますが、是は小林平八郎が拒み、
毛利小平太、千坂兵部、小林平八郎の三すくみの戦いは、心理戦、実戦と、長期戦になるのか?と、思いの外、
吉良上野介が、小林平八郎の雇った浪人を使って、千坂兵部を暗殺しようとするに至り、流石に、藩主綱憲公も、上野介と平八郎を叱ります。
そして、毛利小平太の仲介で、小林平八郎と大石内蔵助の会談が実現し、上杉家江戸屋敷に上野介を置いても、討入りは中止には出来ない事を平八郎は悟り、
本所松坂町の吉良屋敷で、赤穂浪士を迎え撃ち、正々堂々と上野介の命をお守りすると、大石内蔵助に宣戦布告致します。
こうして、吉良上野介が本所松坂町の吉良邸に戻り、赤穂浪士の討入る場所は定まりましたが、なかなか、吉良邸の改築後の屋敷見取図、絵図面が手に入りません。
そして、此処から『忠臣蔵』でも有名な恋噺、岡野金右衛門の恋の物語へと、このドラマは展開致します。
江戸に入った岡野金右衛門。父を近江膳所で、従兄弟の裏切りで死なせているので、何としても討入り本懐を遂げたい。
其処で、吉良邸の絵図面を手に入れる為に、背負い小間物屋に化けて、吉良邸に女中奉公している大工の棟梁・吉兵衛の娘、お艶(鮎川いずみ)に接近して絵図面の情報を得とう致します。
併し、実直な金右衛門はお艶に恋をし、又、一途なお艶も金右衛門が好きになります。
そして、金右衛門は自身が赤穂浪士である事を打ち明け別れようとしますが、
お艶は、それでも金右衛門が好きだと言って、父親の図面箱から吉良邸の絵図面を盗もうとしますが、父吉兵衛に見付かって仕舞います。
此処で、必死にお艶を庇う金右衛門の姿を見て、吉兵衛は二人の仲を許しますが、
このまま江戸に居ると、流石に吉良様に申し訳ないと言って、お艶を連れて知り合いを頼り上総へ行くと言い、絵図面を金右衛門に渡します。
「又、いつか会えますよね!」と言うお艶を、笑顔で金右衛門は見送りますが、上総へ行ったお艶と岡野金右衛門は二度と逢う事は無かったそうです。
さて、このお艶を演じたのは、まだ二十一、二の鮎川いずみさん。まぁ、必殺シリーズのお加代のイメージが強い鮎川さんですが、
このドラマのお艶の頃は、お姫様役ばかりを演じる時代劇のNewスターだったのです。この当時は字幕を見ると『いづみ』になっております。
確か鮎川さんはミス宝くじから芸能界デビューだったと思います。交通事故をきっかけに引退されましたが、今も元気な様子なので何よりです。
つづく