そう言われた金三郎、気質になる気で来た上総は長南、江戸表には戻る積りは御座いませんから、髪結の権次の世話になりまして、『碇床』で居候暮らしを始めます。

此処で痣の源太に言われた『孝行する料簡』を思い出しまして、権次夫婦を実の親の様に大切にして孝行致します。

権次「婆さん!金公の野郎、能く気が付く野郎だ。若し、倅の富蔵が生きていたらアレと同じ位じゃねぇ〜かぁ?」

婆「そうですねぇ〜、お爺さん。五年前に流行り病であの子を亡くして。。。もう、倅から孝行して貰う事など無いと諦めていたら、

不思議なもんで、お爺さん。金さんが家に来て、痣源(あざげん)さんが旅の空だからって金さんが居候になり、何んだか夢の様で。。。

毎日毎日『痣の源太が旅先でオッ死んで、二度と帰りません様に!!』って、お不動様に祈るんですよ。」

権次「馬鹿言っちゃいけねぇ〜婆さん。其れにしても、金公の奴、面差しといい、背格好といい、死んだ富に似てやがるぜぇ!」

婆「本に、富蔵の生まれ変わりですよ、金さんは。」

そして、金三郎が碇床に来て、一月程過ぎた或日の事で御座います。

権次「あぁ、金公!お遣いご苦労様、婆!金公にもお茶を入れてやって呉れ。

ところで金公、お前さん、毎日毎日退屈じゃねぇ〜かぁ? 其れにいい若い者が、ブラブラしてばかりじゃ宜くない。

其れで一つ、お前さん、髪結をやってみる気はないか?勿論、下剃りからの修行になるんだが、

最初(ハナ)は、婆さんの焙烙(ほうろく)のケツを剃る(する)所からだ。いきなり、生きているモノから危険過ぎるからなぁ。

暫く、ガリガリやって、剃刀の扱いが分かったら、自分のスネだ。スネ毛を試して血が出なく剃刀が扱える様になったら、いよいよ客。

客ったって常連は駄目だ。通りすがりの一見さんだ。しくじっても困らない相手に限る。そして、出来るなら気の弱そうで、喧嘩に勝てる一見客で試し剃り。

まぁ、二、三人一見客を経験を積めば、下剃りは御の字さ、後は、俺がやるのを脇で見て、技は目で盗め!

お前さんは、器用そうだから五年、いやいや、三年で一人前に成れる! エッ?剃刀は使えますだぁ〜、何を生意気に。。。

使えるッと言っても自分の髭を剃るのと、髪結床の職人が、お客様の頭を剃るのでは、八ッさん熊さんのヘボ将棋と藤井四冠くらいの差なんだぞ!

エッやれんのかい?分かった。じゃぁ、今夜、湯屋へ一緒に行って、俺の髭で試してやる。互いに剃りっこして、ヘボ将棋との腕の違いを見してやんよぉ。」

と、権次、多見栄を切って、金三郎を連れて『さくら湯』で剃刀勝負となるのですが、この時代の旗本の次男、三男は、

読み書き、論語よりも、剃刀の扱いを修行致します。何故なら、部屋詰めの穀潰しと言われ、虐げられての暮らしから抜け出すには、道が二つしか無いからです。

一つは、文武の道に秀でて、良い仕官先を見付けるか?他家に請われて婿養子に入るか?です。

そして文武両道、どちらか一つも秀でる事無く、平々凡々の輩は、剃刀の技術を磨いて、そうです!

あの河内山宗俊の様な、江戸城の『城坊主』に採用されるのを夢見るのです。

所謂、奥坊主、御数寄屋坊主に成るには、剃刀の技術に長けていないと務まらないので、その修行を致して御座います。

そして、湯屋にて剃らせた髭の具合を見て、碇床権次が驚きます。


権次「金公、いや金さん。驚いたぜッたく。飛んだ恥をかいた。お前さん、江戸の髪結だろう?

本職じゃなけりゃ俺の鳴門の渦潮みたいな髭を、此処まで綺麗にして呉れる奴は居ねぇ〜。

何んせ俺の髭に入ったノミが遭難して、半月後に死骸で落ちたって位の癖ッ毛だ。

其れをつるん!つるん!と剥ける、桃か?葡萄か?そんな皮剥きみたいに、いとも簡単に剃り上げやがった。

之れなら大丈夫だ!是非明日から、ぼちぼちでいいから、店に出て呉れ。頼むぜ!金公。」

金三郎「ハイ、分かりました、有難う御座います。」

と、二つ返事で引き受けた金三郎。翌日から碇床の金さん!と、呼ばれる様になりまして、下剃りの見習いって事で、働き始めます。

すると、直ぐに評判になりまして、三月も過ぎると下剃りの金さん目当てに店が大繁盛致します。

そして、あれよあれよと月日は流れて、金三郎が碇床を手伝い始めて、三年の月日が流れようとしております。そんな或日、

権次「イヤぁ〜婆さん、人の縁なんてモンは分からないモンだなぁ〜。痣の源太訪ねて来た金公に飯(おまんま)食わして、

其れで力仕事の居候。そんな積りで家に置いたら、孝行者で気優しいと来たもんだぁ!オマケに剃刀が使えて、店に出したら大評判。

今では、金公目当てに客が来るってんだから、人の人生何んてもんは分からないぜ!婆さん。そやけんど、今日は一つ覚悟を決めて噺するからなぁ、アッ!野郎、帰って来た!帰って来た!

イヤ、よーく帰った。まぁ、お前の遣いなら返事聴くには及ぶめぇ〜、さぁ上がんなぁ。婆さん!お向うからの頂き物の羊羹!アレを分厚く切って持って来ねぇ〜

茶は一つ苦げぇ〜目に入れてくんねぇ〜、ささぁ、この茶飲んで、羊羹食って一息入れてくんなぁ、金公やぁ!

婆さん、そんなに急かしなさんなぁ、分かった!、今噺するから、まぁ、いいから例のモン、こっちに持って来ねぇ〜なぁ。

金公、そう言えば、お前さんにまだ今月の手間賃渡してなかったなぁ、ホレ。 何ぃ?!先月のがまだ有るから宜いですだぁ〜、

馬鹿!いい若い者が先月渡した小遣いをまだ持っててどうする、お前さんは江戸っ子だろう?宵越しの銭なんか持たずに、パぁ〜ッと使うんだ、銭なんぞ。

憚りながら後ろ盾は碇床の権次だ!今月の分は今月使い切ってもらわなきゃぁ、あぁ、婆さん!コッチへ持って来なぁ。

ほら、金公、之は俺が見立てた生地で拵えた着物だ。婆さんに見立てさせると、地味でいけねぇ〜、丈は目見当だが、どうだ?直ぐ婆さんに着付けて貰いなぁ。

婆さん!折角の着物だ、金公に、袖を通してやんなぁ!ほーらぁ、之位、派手な方が似合うじゃねぇ〜かぁ、あぁ〜馬子にも衣装!役者みてぇ〜だ。着たなら其処へ座っツくんねぇ。

今日は一日商売休みだ、金公!偶には羽伸ばして、何処か好きな所へ行って、遊んで来ねぇ〜。

えっとぉ時に。。。いきなり妙な事を切り出す様だが、まぁ、聴いてくんねぇ〜。頻繁(しょっちゅう)うちへ覗きに来る、

横丁のお梅坊なぁ、アレは美人とか小町って程の器量良しじゃねぇ〜がぁ、愛嬌が有る。

ホレ、笑うと笑窪が一寸ばかり有りはしねぇ〜かと現れやがる。

美人には剣があるだろう?だから俺は美人が嫌いで婆さんと一緒に成ったんだ、女はそんな愛嬌が一番肝心だ!

あいつ、毎日(めいにち)子守しながら欠かさず此処へやって来るか?お前さん知ってるか?

俺にはよーく分かってるんだ、ありゃぁ〜お前、張り(目当)にぃ〜やって来るんでぇ。

残念だが、どうやら、目当ては俺じゃねぇ、お前のようだ! 何だ、婆さんクスクス笑うな!気持ち悪い。 不美人で御免なさい?噺に入るなぁ!馬鹿。

噺が横道に逸れちまうだろう?まぁ宜い、其れでだ、金公!あのお梅坊、最初(ハナ)から口数は少ねぇ〜、其れが五日ばかり前だったか、初めてお前さんに噺掛けた。

覚えているかい? 何ぃ〜忘れました、忘れるなよ、相手は清水の舞台から落っこった位の料簡で言ったに違げぇ〜ねぇ〜んだから。

何んて言ったか覚えているか? 何ぃ〜覚えていません!まぁ、忘れましたの後だから、至極当然だけど、


『金さん、今日は宜いお天気で御座いますね。』


って言ったら、お前さんの返しはどうだ?!『どうも、仕方が御座んせん。』って、身も蓋無ぇ〜返事で、

お天気の噺だから、仕方ねぇ〜には違いないが、色気も何も有ったもんじゃねぇ〜、其れ聴いてガッカリしてぜ、お梅坊。

どうだ!金公、あの子は俺が親にちょいと口を利けば嫁に貰えるんだが、お前、貰う気はないかい?

あのお梅と二人で、此の碇床を継いでは貰えないか?と、言っているんだ。

イヤ、俺と婆さんは店を任せて楽隠居なんて料簡じゃねぇ〜、老骨に鞭打って、若夫婦を支えるさぁ、四人で楽しく暮らねぇ〜かぁ?

お前さんさえ、宜けりゃぁ〜、婆さんと俺の考えは決まっている。なぁ〜、金公!考えてみて呉れ、宜しく頼む。」

『宜しく頼む!』と、言われた金三郎、その場に平伏して、権次に断りを申します。

金三郎「貴方様ご夫婦から『頼む!』と言われたら断る事は出来ない私では御座います。

思い起こせば三年以前。痣の源太さんを訪ねて来た一文なしの私に、恵んで下さったご飯の美味しかった事、アレは一生忘れは致しません。

そして三年、此の碇床で恩返しのつもりで、励んでは参りましたが、あなた方夫婦の養子に成る事だけは勘弁願いとう存じます。何故ならば。。。」

と、言って、父はカクカクしかじか、と、初めて自身の身分を語る金三郎。そして、其れをじっと聴いていた老夫婦。

権次「そうかい、金公。お前さん、そんな立派なお武家の出かい。なぜ、其れを早く云ツいて呉れねぇ〜水臭せぇ!

そうすりゃ、こんな事は態々、お前に頼みやしねぇ〜やぁ。いいって事よ、気にすんねぇ。

でご両親は、、、風の便りに健在だと、そうかいそうかい、噺は分かった。皆まで言うなぁ!野暮になる。

じゃぁ、善は急げだ。金公!直ぐに江戸に戻ってご両親に孝行してやりなぁ。 エッ?勘当が解けてない?

勘当の仲人になる様な親類は無いのかい? 残らず回状が廻っている?

またぁ〜、無策に江戸に戻すと、悪い連中に捕まって元の木阿弥、そうなったらご両親に申し訳が立たないから、ヨシ!

人入稼業・上総屋重右衛門を紹介してやるから、足軽・仲間(ちゅうげん)奉公からでもしょうがない!武家に戻る道筋だけは紹介するから、頑張って呉れ!金公。

オイ!婆さん、上総屋へ紹介状書くから、硯箱を取ってくんなぁ、婆さん!婆さん!

何を嫌々何んてしているんだ?泣くな婆さん、金公の門出だ!縁起でもない。

之から金公は、どんだけ出世するか分からない身体だ、ニッコリ笑って送り出してやるんだ。」

と、泪を堪えて婆さんの肩を抱く権次と、死んだ息子の生まれ変わりを失う悲しみに泣き崩れる婆さんを見た金三郎。

金三郎「旦那!あなた方夫婦を残して江戸へは参れません。私はやはり、この上総國長南に骨を埋める覚悟で、あなた方の養子に成りとう存じます。」

権次「馬鹿言っちゃいけねぇ〜、金さん!お前は、此の紹介状を持って、江戸表は芝の桜田、兼房町、上総屋重右衛門を訪ねて行くんだ!

あぁ、そうだ!便り、江戸に居着いたら、手紙を出してくんねぇ〜、どうせ難しい噺や字は読めねぇ〜から、

『達者で御座います。』だけで十分だ!年に一本の手紙で宜いから出してくんねぇ〜

まぁ、もう十年とは持つまいから、五年、六年書いたら仕舞いだ!だから、手紙だけを楽しみに生きているから、頼んだぜ、金さん!」


と、三年暮らした上総國長南を跡にして、金三郎は、久しぶりに江戸表へと帰ります。目指す先は、芝桜田兼房町に御座います、人入稼業の上総屋重右衛門の元で御座います。

そして、運良く十日の後に、播州赤穂五万三千石の鉄砲洲軽子橋の上屋敷で足軽奉公が決まります。

この時、父方の姓は名乗られません、由えに母方の姓、倉橋を取り名を傳助と改めます。

さて、新参の倉橋傳助、この日は弓の稽古に指南役に呼ばれて弓道場へと引き出されます。

指南役「倉橋とやら、本日の稽古はアレなる『尺的』だ。よーく狙い射てみよ。」

傳助「恐れながら、『尺的』なれば、稽古に及ばず。辞退申し上げまする。」

指南役「何ぃ〜、新参の癖に。。。辞退!!」

と、此の指南役の怒りを買い、是と揉めてしまう倉橋傳助でしたが、実際に弓を使わせると、指南役よりも遥かに遠い小さな三寸の的を射抜いてしまいます。


能在る鷹


倉橋傳助!ただならぬ者と、忽ちに赤穂藩中の評判に成りまして、二ヶ月後に開かれる予定の御前試合、禽的大会への参加が決まります。

そして、この禽的大会にて第一位の成績を倉橋傳助は納めます。すると、殿様の鶴の一声『足軽にして於くは惜しき奴、士分に取り立てよ!』

是により、倉橋傳助は赤穂藩への奉公、三ヶ月も満たぬのに、二十石四人扶持の士分へと出世致します。

さぁ、こう成りますと、気軽な足軽奉公では御座いません。身上調書、戸籍などを藩に提出が義務付けられますので、

倉橋傳助、意を決して、本当の素姓を明かして是を提出致しますから、当然ながら、浅野内匠頭の目に止まります。

直ぐに、内匠頭は傳助を傍に呼び、なぜ、三千五百石の大臣旗本の次男が、上総屋を通して足軽奉公に及んだか?と、問い質します。

倉橋傳助、是に対し隠す事を致しません。色狂いで勘当となり、上方を放浪していた事、日本橋の緒奈屋で博徒だった事、

そして、その緒奈屋で出会った『痣の源太』のお陰で、三年間『碇床』で気質として暮らせた事まで、包み隠さず言上すると、

是に対し、主君、浅野内匠頭長矩は、いたく感動して、「予が、仲人となり親子の対面!約束致すぞ。」と、お言葉を頂戴致します。

まぁ此の時、倉橋傳助、提出した身上調書が受け入れて頂けた嬉しさで、『親子の対面』の事など気にも留めずにおりましたら、数日後、思いも依らぬ呼び出しを受ける事になります。


一方、内匠頭長矩は、江戸城登城の折に、大目付長谷川丹後守と会いまして、此の様な会話を致します。

内匠頭「丹後守様、承りますれば、なかなか優れた小笠原流の弓術の手練れをお抱えとか?是非、一度その奥義を我が家臣にご教授願いたい。」

丹後守「ハテ?浅野殿、何か勘違いをなされて御座らんか?拙者の家来に弓術の名人など居りませんし、

碧流なれば些か出来る者も御座いますが、人に教えるなどとは烏滸がましい。ましてや小笠原流など、身に覚えが御座らぬがぁ?!」

内匠頭「またまた、ご冗談を。能在る鷹は爪を隠されますなぁ〜、後日、使者を立てます由え、宜しくお頼み申します。」

丹後守「。。。」

こうして、浅野内匠頭長矩の使者として、長谷川丹後守の屋敷へ、倉橋傳助は使わされる事に相成ります。


さて、到着した倉橋傳助。懐かしき長谷川丹後守屋敷の玄関先、下馬して門に立ちますと、門の柱に昔ぶつけた独楽の跡が御座います。

取次に現れし用人は、倉橋を門に出迎えて「ご苦労様に御座います。」と会釈して、案内に通され入るは使者の間。

佐藤「拙者、佐藤重兵衛に御座います。さて、ご使者口上の儀は?!」

傳助「。。。」

佐藤「失礼、さて、ご使者口上の儀は?!」

傳助「。。。」

出迎えた用人・佐藤重兵衛、何度も声を掛けるが返事の無い傳助に、『こいつ?治部田治部右衛門かぁ?!』と思いながら、

庭に『トメっ子』の居るやらんと、思いつつ、使者の顔をまじまじと見て驚いた!!

佐藤「貴方は、若?!金三郎公では御座いませんか?!」

傳助「元気(達者)であったか?ジイ。」

佐藤「なぜ?なぜ、倉橋傳助などと名乗り、播州浅野家にご奉仕なさっておいでなのです?金三郎様。」

傳助「カクカクしかじか、多々色々ありし跡、士分にて御召抱えの上、我が意を汲んで、親子の対面を成してやらむ!と、内匠頭様の御恩の末の御導きぞ!無礼な事を申すでない。」

佐藤「そは、結構な!愛でたき改心、よくぞ改心に御座います。早速、奥へお取り次ぎ申します。」

と、言って奥へ下がる、用人・佐藤重兵衛。

重兵衛「殿、浅野家使者、倉橋傳助様、ご到着に御座います。御面会の上、直接、ご口上をと承りまして御座います。」

丹後守「身に覚えが無いと申すのに、使者まで立てるとは、浅野殿にも困った! あぁ?重兵衛、其方(ソチ)は泣いておるのか?」

佐藤「ハイ、泣いて御座います。そして、間もなく殿もお泣きに成りまする。」

丹後守「何を言うておる!分かった逢うだけは逢う。奥の応接へお通し致せ。」


丹後守座を立たるれば、

相の唐紙静かに開く

久々見交わす親子が顔と面頭(おもてつむり)には

越路勢いただぎしに

下に青海の波を漂わせ

越は梓に弓を張り

いつか姿も沖の三千の罪深きより大いなるは無しと


さて、対面した丹後守、我が子と知るや、知らずや平静な態度で、使者、倉橋傳助に申します。

丹後守「之は之は、使者の儀、ご苦労様に御座います。重ねて問われまする弓矢の秘術。

宜くは分からねど、日の本の武士道は、忠義に御座らば、主従、親子、全てに於いて、この二文字を忘れねば、武士としてどんな道も歩めましょう。

獅子は千尋の谷に我が子を突き落とすと申します。父に落とされた子は、自らが、父に成りて、初めて父の心が分かる事も有りましょう。

では、浅野の殿に宜しくお伝え願いまする。」

獅子の親子の噺されて、倉橋傳助は、丹後守が表情一つ変えず、淡々と話す姿を見て、下げた頭を上げぬまま、一人泪していると思いました。

すると、次の間に控えて御座いました、母親と兄が、之を見て細く開けた唐紙から、丹後守に向かって申します。

母「貴方!その使者は、誠に金三郎に御座います。」

兄「父上、舎弟に御座います。大変立派になり、褒めて下され!お父上。」

と、この小声を聴いた丹後守、

丹後守「いやいや、世の中にはドッペルゲンガーなる者がある!静かに致せ。

我が子金三郎も、いつの日にか、倉橋殿の様に立派になって貰いたいとは、思うがのぉ〜。」

と、口では我が子では無いと、言う丹後守ですが、いつしか袴は泪で濡れて御座います。

何時か刻が来れば、親子の対面も在るだろうと、この日はきつい心持ちで、此のまま別れる長谷川丹後守で御座います。

そして、倉橋傳助、鉄砲洲のお屋敷へ戻り、使者の次第を報告しますと、浅野内匠頭、『相分かった!』と答えると、

更に数日後、長谷川丹後守へ再度、事の次第を書面に致しまして、晴れて親子はご対面と相成ります。

此の時倉橋傳助、もう何が有っても、この殿様の為に一生を捧げよう!と、誓うので御座います。


さて、元禄十四年三月十四日、主君・浅野長矩が吉良上野介に殿中刃傷に及んだ際には、倉橋は長矩の参勤交代のお供をしていたため江戸詰めでした。

そして、堀部安兵衛に同調して江戸急進派の一人とります。堀部安兵衛とは同じ年ですし、ウマが合ったようです。

元禄十五年六月には浅草茶屋にて杉野、武林、前原、不破、勝田らとも義盟の誓約を致します。

そして、八月以降は本所林町の堀部安兵衛の借家に移り、自身は十左衛門と変名した。

吉良邸討ち入りの際には裏門隊に属した。本懐後は長府藩毛利家に預けられ、元禄十六年二月四日に毛利家家臣江良清吉の介錯で切腹した。享年三十四歳。主君浅野長矩と同じ高輪泉岳寺に葬られ、戒名は『刃鍛錬剣信士』です。



p.s.

◆倉橋傳助

講談親睦会 若林鶴雲「義士銘々伝・倉橋伝助」講談親睦会(こうだんむつみかい)049故・田辺一鶴先生【講談大学】親睦会設立20周年記念講談発表会2015年(平成27)9月20(日)なかの芸能小劇場リンクyoutu.be



私が書いた『倉橋傳助』は、五代目貞丈先生の講釈をベースで御座いますが、

このYouTubeの若林鶴雲さんのは筋が少し違います。

貞丈先生のも、YouTubeには御座いますから、其方もどうぞ!