赤埴源蔵は、字の読み間違えで、赤埴「あかばね」源蔵では無く、最初(ハナ)は赤垣「あかがき」源蔵として世に伝わり、
由えに、現在でも銘々傳では、ほぼ100%『赤垣源蔵 徳利の別れ』で講釈、浪曲、稀に落語でも語られております。
この所謂『徳利の別れ』の影響で、赤穂浪士四十七士で、大石内蔵助、堀部安兵衛に継ぐ知名度は、此の赤埴源蔵か大高源五ではないかと思います。
其の赤埴源蔵は、二百石取りの馬廻役、その人柄は『沈黙寡言』義の心に非常に深い武士で御座います。
主君の凶変が起こって以来、彼は奮って義徒の列に加わり、高畑源右衛門と変称して、芝は濱松町に一家を構えて、同志と連携し吉良家の様子を探索していた。
此処で先ずは、何を於いても『徳利の別れ』と言う赤埴源蔵の代名詞とも言うべき話に付いて紹介しながら、彼の生い立ちを紹介致しましょう。
さて、そもそも源蔵の父は、播州龍野の城主、脇坂脇坂淡路守の家来で、彼は其の次男である。つまり部屋詰めの次男である彼は、
赤垣(赤埴)家に養子へ行き、赤穂五万三千石、浅野内匠頭の家臣となるのだが、兄である鹽山(しおやま)伊左衛門とは親や周囲から、幼い頃より常に比較されて、
武芸一筋だけ!体力馬鹿の源蔵は、強い劣等感を持ちながら、常に上から見下す様な兄が、厭とか嫌いと言うのでは無いが、苦手な存在で有った。
又、源蔵は酒を好み、時に大酒を喰らう事も屡々で、特に酒乱と言うのでは無いのだが、兎に角、呑み出すと止まらない。
而も、浪人した後も、お構い無しに大酒を浴びる様に呑むので、兄・伊左衛門の内儀(にょうぼう)は、源蔵の事が大嫌い!と、源蔵の前でも露骨に其の態度を見せるのであった。
更に、赤穂浪士となってからは、日々の生活費にも困り兄の家へと、金子を借りに来るので、お内儀は、是に対しても不満を募らせていた。
そんな状態で迎えた元禄十五年極月十四日の夕刻です。蕎麦屋の二階の集合時刻、子刻にはまだ間が在るのでと、
赤垣源蔵は、今生の別れを兄、鹽山伊左衛門と交わすべく、兄の家を訪問致します。併し、手ぶらと言うのも具合が悪かろうと、
五合の徳利を道中買い求め、其れをブラ下げて、フラッカ!フラッカ!、卍巴と降る雪を、源蔵は合羽姿に丸笠を冠りまして、
此の足元の悪い中を高下駄で、『二の字』の跡を残しながら、鹽山の家の玄関へとやって参ります。
源蔵「御免!壱治は居るか?竹は居るか?」
と、源蔵が声を掛けますと、女中のお竹が奥から出て参ります。
そして、出迎えたお竹が笑います。玄関先に立つ源蔵を見てやれば、合羽姿に丸笠、雪塗れで片手に五合の貧乏徳利を下げて御座います。
お竹「アラ、源蔵さん!雪ん中を、狸の真似して御座らっしゃって!旦那様はお留守ですよ。」
源蔵「人を狸よばわりする奴が有るかぁ!で、兄上は、どちらへお出掛けだ?!」
お竹「ハイ、御家老のお屋敷から迎えの駕籠が参りまして、碁のお相手にお出掛けです。」
源蔵「そうかぁ、では、姐上は?」
お竹「ハイ、夕刻前より、癪が出たご様子で、床に伏せって御座います。呼んで参りますか?」
源蔵「イヤ、其れには及ばぬ。だが、兄上には是非ともお話ししたい事、お伝え申す事が有る由え、暫く待たせて頂くぞ!竹。」
お竹「へぇ、其れはもう。アッ、お待ち下さい。雨具はお取りに成って下さい、廊下か濡れて仕舞います。」
源蔵「あぁ、済まぬ。では、雨具はお竹、お前に預ける。」
そう言うと、源蔵は笠と合羽を脱いでお竹に渡し、自らは徳利をブラ下げて、勝手知ったる兄の屋敷を、奥の居間へとズカズカ入って行った。
お竹は、源蔵の雨具を土間の隅に干して、直ぐに居間へと現れて、行灯を部屋に二つ、四隅の対角へ点けて置いた。
更に、お竹は丸火鉢に炭を足して手際よく火を焚いて呉れるのだった。
お竹「源蔵さん、之で宜しいですか?あと、旦那様は、碁のお相手ですからお帰りは戌の下刻過ぎねば戻られませんよ。」
源蔵「今日は、大切な噺が御座れば、是非、兄上にお伝えしたいのだ。亥の上刻まで待って戻られない時は、引き上げるが、其れまではお待ち申す所存だ。
そうだ!竹、湯呑を二つ、持って来て呉れ。手土産の酒は、兄上と一緒に呑むつもりで持って来たのだが、先に味見をさせて頂こう。」
分かりましたと、言って、台所から、女中のお竹が湯呑を二つ持って来る。そして、お竹はついでにと、次の間から兄伊左衛門の羽織を居間へ持って来て、部屋の隅の衣紋掛けに下げて置いた。
お竹は居間を出たら、直ぐに内儀の寝所へと向かい、源蔵が来たと伝えると、内儀はすこぶる不機嫌そうな顔をして、お竹に問い掛けた。
内儀「源蔵は、家の人を待つと言うのかい?」
お竹「ハイ、亥の上刻までは、待っているそうです。奥方様、お逢いになりますか?」
内儀「逢わないワよ!!どうせ、源蔵の事です。この暮れで金に困って、金の無心に来たに違いないワぁ。」
お竹「左様で御座いますかぁ、併し、源蔵さん、珍しく自分で徳利をブラ下げてお越しなんですよ、奥方様。」
内儀「大酒呑み!大酒呑み!と、揶揄されてばかりだから、偶には自分で持って来たりして、あぁ、そんな噺を聞けば、猶更、癪に障る気が。。。」
と、言って内儀は、癪が差して痛い事もあり、此のまま休んで仕舞う。そして、お竹は、今に独り酒を呑みながら待つ源蔵が気になり、次の間から、唐紙の隙間から覗くと。。。
源蔵は、何故か?床の間に、態々、衣紋掛けを置いて、是に兄・鹽山伊左衛門の羽織を掛け、どうやら其れを兄に見立てて、ボソボソっと話し掛けていた。
しかも、机の上には、二つの湯呑が置かれて、源蔵は酒を酌み交わすかの如く、兄の羽織に向かって、何やら語り掛けていた。
源蔵「兄上、無沙汰致しました、お久しぶりです。源蔵めに御座います。兄上!小西で求めた酒を持って参りました。
先ずは、此の源蔵が毒見をして。。。アッハッハー、どうして、行けますぞ!兄上、辛口に御座いますれば、ササっ一献。
ハハぁ〜ッ、情けない弟に御座います。イザこうして訪ねて来ますれば、兄上はご不在。而らば、兄の代わりにと、此の紋付を的に語るが関の山に御座いまする。
ハハぁ〜ッ、あぁ〜!あぁ〜!溢れる。。。あぁ、美味い。斯くの如き大雪を見て御座れば、色んな事を思い出しますなぁ。
アレは兄上が十で、四つ違いの私が六歳です。兄上と同じ学問所に通い始めると、兄上は文武両道何んでも出来なさった。
其れに引き換え拙者は間抜けでドン臭くて、周囲に能く言われました。『お前は実の弟なのか?誠に鹽山伊左衛門の舎弟なのか?!』と。
そして、賢兄愚弟の舎弟の方は惨めに御座います、必ず皆んな『伊左衛門の弟』と呼び、源蔵とは呼んで貰えません。惨めに御座います。
其れから、源蔵の名前は『伊左衛門の弟』で御座った。何をしても、兄上には敵わぬ舎弟なれば、兄上を呪いました!正に目の上のコブで御座った、兄上は。
あの朝、瀬戸内には珍しく年の内に、まだ極月なのに沢山雪が降って、大層積もりました。すると、兄上は独り庭へ出られて、大きな雪達磨を拵えられた!
其れは其れは大きな雪達磨で、下の玉は五尺?六尺はあろうかと言う大きさで御座います。その上に、三尺半程の頭を乗せて雪達磨になさいました。そして、
宜いか?源蔵、今!お主に本当の剣の極意を見せて進ぜよう。
そう言うと、兄上、貴方は二本の木刀を取り出して、其れを両手に持つと左剣を前に突き出し、もうの片方の右剣は高く上段に構えてこう、仰っしゃりました。
宮本武蔵、天地陰陽活殺の構へ
そう叫ぶと続けて仰っしゃりました。『弟よ!見ておれ、喩え、どんなに強い敵が現れても、人は必ず立ち向わねばはなぬ時が有るのだ!』
まだ、幼き兄上は、そう言うと右剣からサッと振り下ろし、合わせて突き出していた左剣も、横一文字に払われました。
すると、雪達磨の上の乗せた頭が、木刀が真剣に生まれ変わったかの様に、見事に叩き割られて、四つにして見せて、更にこう言われたので御座います。
見たか?源蔵!我に続け、貴様も雪達磨の首を取れ!
と、言って兄上は、直ぐにもう一つ三尺半の頭を造り、新しい雪達磨が拵えられましたから、私も木刀を手に取りました。
併し、流石に六歳の拙者には、二刀流は出来ないと思いました。ですから、一本取って大上段に構えて、『兄上、見ていて下され!』と斬り掛かったが。。。
元より未熟者、由えに木刀は跳ね返されて、雪達磨に頭から突っ込んでしまい、自分の頭にコブを拵えて、私は火の点いた様に泣き出した。
すると、其れを見た兄上は、『泣くな!源蔵、之がお家の一大事なれば、如何致す?泣いて済みはせんぞ!今日は鍛錬なればコブで済んだが、イザと言う時は其れでは済まぬ。肝に命じ於け!!』
と、言われたのを、源蔵はよーく覚えて御座います。まぁ、兄上は幼き頃より『大事の時には!』『お家の一大事に!』と、能く言っておられた。
そうそう、そう言えば、あの雪が降った日の夜、父上が、私は既に床に入り次の間に居たのですが、其の父上が兄上にこう仰いました。
『雪達磨の一件、聴いたが、同じ兄弟で有りながらお前の半分も、なぜ、源蔵の奴は出来ぬのだ?!』
と、尋ねられた兄上は、父上に向かって仰っしゃいましたね?
『そんな事は御座いません、弟は晩成なだけに御座います。必ず、源蔵はどんな大きな敵が現れても、きっと乗り越えて見せまする。』
と、言われて、父上の部屋から次の間へ来ると、私が床の中で眠れずに居ると知ると、何も言わず、『偶には、兄が本を読んで聴かせてやろう!』と、一冊の本を朗読して下さりました。
寛永宮本武蔵傳
兄上の朗々たる声で、会話は武蔵と柳生十兵衛が誠、直ぐ近くで会話をしている様だし、ト書きの説明は狼の群が武蔵を襲う様が絵本を飛び出し眼前で見ているが如く蘇る。
竹ノ内加賀之介の柔術使いの必殺技、山本源藤次と言う守備主体の謎の剣術使い、吉岡治太夫、桃井源太左衛門、
そして山田真龍軒と言う土地土地の強者と宮本武蔵が剣と剣を交える様が、正に火花を散らし繰り広げられている様で、
私は、兄上の朗読の虜になり、眼を爛々と輝かせ聴いていると、十歳の兄上を見て、私は自身が十歳に成ったなら、
兄上同様に、雪達磨を木刀で打ち崩して、『寛永宮本武蔵傳』を、こんなに上手に朗読出来る様に成っているものか?と、自問自答し、劣等感に押し潰されそうでした。
ハハぁ〜ッ!又詰まらぬ愚痴を申してしまいました。ササッ、グッと行きましょう。今宵は、大いに呑みましょうぞ、兄上。
そして兄上が、『ヨシ、武蔵と佐々木小次郎の闘いの所を、最後に読んで聴かせてやろう!!』と、仰ったので御座いますが、
私は、次の間の噺を耳にしたせいもあり、心が天邪鬼になりまして、生まれて初めて兄上に反抗致しました、『厭だ!聴きとうない。』と、申して布団を冠りしまいました。
すると、兄上は怒った!怒った。『貴様は、大事を聴かぬから、抜作なんだ!大事を聴かんでどうする!』と、仰っしゃって、
私のタンコブを殴り付けられましたから、私は又、火が点いた様に泣き出した。。。この大雪の折りに、又、此の様な噺を思い出しました。
ハハぁ〜ッ!そうだ。私は兄上がお姐上と見合いをなされた時の事も忘れられません。兄上が、あの堅い、堅い、石部金吉の兄上が、
愛しのお姐上と会った時は、あの様なデレンとした顔に変化(へんげ)なさるとは?!そして、仰っしゃりました!
『どうだ!見たであろう、世にも稀に見る美しき娘子であろ?!』と。ハハぁ〜ッ!あの兄上の顔、源蔵は生涯忘れる事は出来ません。
併し。。。今は。。。呑んだックレの横道者由えに、そのお姐上にも嫌われる始末で。。、
あぁ〜、いかん!いかん。独り酒ばかり呑んでおりますと、大切なご報告を脇に置き、グタグタ、昔噺ばかりお聴かせ致しました。
実は本日、源蔵めが参ったのは、聴き逃した『寛永宮本武蔵傳』の「武蔵と小次郎」を聴きとう御座います。
えぇ〜、勿論、源蔵!話の顛末は知って御座います、ですが、是非、兄上の朗読にて、武蔵と小次郎が闘う様を聴きたいのです。
あぁ〜、やはり拙者は抜作に御座る。『寛永宮本武蔵傳』の続きを聴きに参ったら、兄上は不在で聞けぬとは、誠に!源蔵は、抜作に御座いまする。うーん矢鱈と、今宵は酒が美味い。
アッ!竹、何を覗き見して居る。無礼だぞ、そんな隙間から覗かずに中へ入れ!!」
お竹「厭ですよ、源蔵様。独りで酒を呑みながら、羽織に語り掛けたりして。。。気が狂われたかと心配致しました。
まぁ〜、昔噺でしまら、もうすぐ、旦那様がお帰りになりますから、そしたら、旦那様にお聴かせてなさいまし。」
源蔵「ハハぁ〜ッ!源蔵は気が狂うた!気が狂うたぞ、お竹。気狂い水で、気が狂うた!」
お竹「アラ?そうですか?源蔵様、源蔵様は遂に、気が狂われましたか?ハハぁ〜ッ!源蔵様ったら冗談ばかり。」
源蔵は、徳利を振り中の酒の量を音で確かめて、又、お竹にボソッと言う。
源蔵「アラ?酒が減ってしまったなぁ、お竹。」
お竹「ハハぁ〜ッ!そりゃぁ〜減りますよ。さっきから源蔵様、貴方が独りでグビグビお呑みに成ったんですから、減って当然です。」
源蔵「呑めば減るか?そうだ、呑めば減るなぁ。同じ様に人の寿命も減るのかなぁ?!」
お竹「何を?!何か仰っしゃいましたか?」
源蔵「イヤ、気に致すなぁ、独り言だ。いかん!いかん!少し、呑み過ぎた。竹、帰る事にした。」
お竹「源蔵様、お待ち下さい。もう、旦那様、帰られますから!!」
源蔵「もう宜い、竹、用は済んだ。あぁ、竹!兄上が帰られたら、之れだけは伝えて呉れ、
『源蔵は、西國のさる大名に仕官が決まった、来年は國詰め由えに、再来年は江戸に下りまする、その折に又挨拶と御礼に参りますと、其れからお姐上様には、お身体を大切に、ご自愛下さい』
と、宜しく伝えて於いて呉れ、では帰る。」
お竹「本当にお帰りですか?! ハイ、ご伝言は必ず、お伝え致します。雨具を着せて差し上げますから、玄関へ。」
と言って、赤垣源蔵、女中のお竹に送られて玄関先で雨具を着せられ、門へ向かう。さぁ、源蔵、兄の伊左衛門には会えぬまま、
もう、この屋敷に来るのも最後かと思いますから、何んとなく後髪を引かれる気分で、お名残り惜しい気持ちがし足取りは重い。
源蔵「竹、世話に成ったなぁ。」
お竹「いいえ、何のお構いもしませんで。」
源蔵「時に竹、お前は鹽山の家に奉公致して何年になる?」
お竹「いやですよ、源蔵様。急に、なぜ、そんな事を?」
源蔵「いや、取り立て理由(ワケ)など無い。ただ、もう何年、その間抜け面を見ているか、気になっただけだ。」
お竹「あらまぁ〜、厭ですよぉ、もう二十二、三年、此の間抜け面をお見せしております。こんな間抜け面でも、見たくなりましたなら、源蔵様!何時でも来て下さい、お待ち申しております。」
源蔵「有難う、では、今宵は帰る。さらばだ。」
お竹「お休みやす、お気を付けてお帰り下さいませ。」
赤垣源蔵、雪が残る道すがら、重い足取りで一歩一歩、鹽山家の屋敷を遠退くのでは御座いますが、自然に振り返りながらの行路にやります。
それでも、九ツ!子刻を伝える遠寺の鐘が聴こえて来た頃には、赤垣源蔵は、何処か遠くへ消えておりました。
暫く致しまして、主人の鹽山伊左衛門が帰宅致します。
伊左衛門「竹!壱治!今、帰った。」
女中のお竹が「お帰りなさいまし!」と、連呼しながら、奥の女中部屋から玄関へと出迎えに来た。
お竹「お帰りなさいませ。」
伊左衛門「凄い降りであった。まだ、残雪が凄くて着物裾が濡れておる、着替えを頼む、竹。あぁ〜、足が草臥れた。さて、留守中、誰か来客があったのか?」
お竹「ハイ、御舎弟、源蔵様が見えまして、四ツ亥の下刻位までお待ちでしたが、お帰りに成りました。」、
伊左衛門「どうせ、此の暮れの事だ、金の無心であろう。」
と、そこへ奥方も癪が引いた様子で現れました。
お竹「いいえ、旦那様、今日はそんな様子では、御座いませんでした。」
内儀「お竹、源蔵さんは、お前が取次したんでしょう?!旦那様に申し上げて!」
お竹「ハイ、源蔵様は何んだか様子が変で御座いました。いきなり、私が次の間で干していた旦那様の紋付の羽織を見ると、
其れを床の間に飾る様にして、その羽織にお話しを始めるんです。旦那様が十歳、源蔵様が六歳の時、今日みたいに大雪が降って、雪達磨を作った噺だとか、
跡は、『寛永宮本武蔵傳』が、源蔵は上手に読めないけど、旦那様の朗読は、下手な女子アナより上手だ!玄人顔負けだ!と、褒めていました。
そして、お酒を独りで呑んで、旦那様の分も影盃みたいに、縁起でもないと思いながら、見ていたのですが、突然、泣いたり笑ったり、
竹は、源蔵様が、最初(ハナ)は気が狂われたのかと怖く成ったのですが、どうも唯の昔噺だと知れて、
もう、半刻もしたら旦那様は戻られます!と、お引き止めしたのですが、用は済んだからと仰って、半刻くらい前に帰られました。」
伊左衛門「言伝(ことずて)は無かったか?」
お竹「あぁ〜そう言えば、また、妙な事を言い残して帰られました。」
『源蔵は、西國のさる大名に仕官が決まった、来年は國詰め由えに、再来年は江戸に下りまする、その折に又挨拶と御礼に参りますと、其れからお姐上様には、お身体を大切に、ご自愛下さい』
伊左衛門「竹、其れだけか?」
お竹「其れだけに御座います。」
伊左衛門「と言う事は、西國のさる大名の所へ行ったのか?源蔵の事だ、てっきり浅野家に忠義立てし、世間が噂しておる討入りの片棒を担ぐやも知れんと思ったりもしたが、
現実は甘くは無いと言う事だなぁ、此のご時世、仕官の口が有れば勤めた方が幸せであろう。そうか!西國へ行くかぁ、源蔵。
何んだ!お前は、源蔵の話になると、あからさまに厭な顔を致すなぁ、拙者の舎弟なれば、お前の義弟ぞ?
其れに、確かに源蔵は大酒呑みで、浪々の身では在るが、武士の心、魂は健在なんだぞ!お前には判らぬやも知れんが、
何時ぞや、此の屋敷で拙者と源蔵で酒を酌み交わし、まぁ、二、三升も呑んで酩酊寸前だった、その折に粗忽の竹が、粗相しでかし、水を溢して、源蔵の刀に水を掛けたのだ。
まぁ、ベロベロだったはずの源蔵は、スーッと血の気が引いて、次の瞬間、シャキッと正気に戻り刀を確認し始めたのだ。
幸い水は鞘だけを濡らし、本身には掛かっていないとわかると、優しく竹に、『以後注意致せ、刀は武士の命由え』と言っていた。
だから、源蔵は、まだまだ、武士の本分は忘れてはおなんし、酔っている様には見えても、酒に芯まで呑まれてはおらん。」
そう言って鹽山伊左衛門は、内儀を嗜めると、寝所で床に入りますが、全く眠れないのです。虫が知らせるのか?
舎弟、赤垣源蔵が本所松坂町の吉良邸へ討入りしている真っ最中ですから、兄弟に何か惹かれ合うものがあるのか?
結局、胸騒ぎのザワザワで、一睡も出来なかった鹽山伊左衛門、東の空が白らんで来た、東雲刻、物凄い怒号の様な歓声を耳に致します。
伊左衛門「之は何んだ?!壱治、何が有ったか聴いて参れ。」
と、仲間(ちゅうげん)の壱治に近所にこの騒ぎの所以を聴きに走らせます。すると、
壱治「大変です!旦那様、昨夜、本所松坂町の吉良邸に赤穂浪士が討入り、吉良上野亮の首を取り、其れを泉岳寺の内匠頭の墓へ報告に行く途中なんだそうです。」
伊左衛門「何ぃ〜!赤穂浪士がぁ〜、其れで昨夜源蔵が我が家へ参り、暇乞いに来ていたのか?其れで、胸騒ぎが。。。こうしては居れん!」
と、直ぐに着替えて、鹽山伊左衛門、自身が源蔵に逢いに行こうとしたのですが、万一、万一、討入りの義士に源蔵が居ない時は、お家の恥になる。
そう考えて、兎に角、仲間の壱治を走らせて、様子を見に向かわせるのです。
伊左衛門「壱治、昨夜の討入りの中に、我が舎弟、赤垣源蔵が居るか?居らぬか?見届けて来て呉れ。そして、源蔵に拙者からだと、一大事の強敵退治の儀、実に天晴れ!と、伝えて呉れ。」
壱治「ハイ、御意に御座いまする。」
さぁ、鹽山伊左衛門の命を受けて、老僕壱治が泉岳寺へと走ります。この壱治は鹽山家に先代の時代から仕える老僕です。
幼い時におしめを代えた様な源蔵様の大手柄の晴の舞台に、主人の命を受けて行くのですからテンションはアゲアゲですが、
如何せん、老僕過ぎる老僕ゆえに、人混みん中を「源蔵様!赤垣源蔵様!」と、叫びながら、泉岳寺を無座します。
此処はね、講釈だと老僕壱治の修羅場読みとなるのですが。。。暗記している部分だけ書きますね。
元禄十五年十二月十四日、会稽山に越王が恥辱をそそぐ大石の山と川との合言葉末代めでたき武人の亀鑑(かがみ)
老体手負いを中に入れ、決起の武士は前後を固め、大石の命令よく行き届、足並み揃えて、サクサクサク、サクサクサク、右より三番目!
此処から色揃、浪士の武装の様子が、修羅場で語られます。当然、赤垣源蔵の服装なんですが、菱山形の金鋲が入っているぐらいしか分かりません。本には全く乗って無い。
さて、兎に角、老僕壱治は、雪と人混みん中を、赤穂浪士が泉岳寺に着く前に遭遇し、もう、嬉しさで壱治は声になりません。
壱治「源蔵様、宜くご無事で。」
源蔵「おう!宜く参った。其方が来たのは、兄上の命か?お前一人の考えでか?!」
壱治「勿論、旦那様の命に御座います。」
源蔵「あぁ〜、良かった。兄上は弟を見捨てなんだかぁ〜、壱治、兄上に伝えて呉れ、源蔵、昨夜はただならぬ働きを致しました!と、
そして、この『名入の襷』『吉良上野介を見付けし折の呼子笛』、之を源蔵の形見だと渡して欲しい。
そうだ!もう、印籠の気付薬や痛み止めも不要由え、此方は姐上様に、ご自愛下さい、と渡して呉れ。
最後に、この財布に五両と少々金子が在る。此れは壱治、お主と、お竹の二人で分けて呉れ。」
壱治「有難う御座います。必ず、旦那様と、お内儀様にはお渡しします。」
源蔵「オー、もう一つ、言い忘れる所だった。兄上、必ず伝言して呉れ。昨夜は、兄上に逢えずに、源蔵、残念でなりませんと!
そして、『寛永宮本武蔵傳』の「武蔵と小次郎」をお聴かせ頂けなかった事が、心残りだと伝えて呉れ。」
そして、壱治が鹽山家へ帰ると、帰りを待ち兼ねた伊左衛門が門の前に立って居て、大声で「源蔵は?!源蔵は居ったか?」と叫び、
顔をくしゃくしゃにした老僕壱治が、「いらっしゃいました!」と叫ぶのでした。
家に消えた、鹽山伊左衛門と老僕壱治。この日から暫くは、鹽山家から呼子の音が響いて、「あんまさん!」と、道に按摩を呼びに出る近所迷惑が続いたそうである。
徳利の 口よりそれと 言わねども
昔思えば 涙こぼるる
さて、赤埴源蔵重賢は、吉良邸への討入りでは裏門隊に属して戦いました。
この時、菅谷政利と屋内に討ち入り、小者の着物を着た男と出会い見逃すが、後にこの男が吉良家の家老・斎藤宮内と知り大いに悔やんだという。
また、引き上に際して、火事にならぬよう吉良屋敷の火の始末をしているそうで、討ち入り後に、重賢は大石良雄らとともに細川綱利の屋敷に預けられた。
元禄十六年二月四日、江戸幕府の命により、同志とともに切腹。享年三十五歳、戒名は、『刃廣忠劔信士』です。
P.S. 『徳利の別れ』のエピソードは、全くのフィクションで、余程兄夫婦からは赤埴源蔵嫌われていたか?元々、交際が無かったか?不明ですが、源蔵が最後の別れをした相手は、実の妹夫婦で、極月十二日だったそうです。
尚、今回の『徳利の別れ』は、六代神田伯山先生が、松之丞時代にやっていた時の私自身のblog記事データを編集してお届けしています。
六代伯山先生の『徳利の別れ』は、松之丞時代は、兎に角、異質で長い作品で、雪達磨や『寛永宮本武蔵傳』で、膨らんで居ますから、紋付に向かっての独り言が、あり得ない尺でした。
取り敢えず、普通仕様の『徳利の別れ』の参考作品として、宝井琴調先生の作品をアップしておきます。
◇赤垣源蔵 徳利の別れ/宝井琴調