是より先、少しばかり時計の針を前に戻しまして、内匠頭家臣にして、内證用人  兒小姓頭、片岡源五右衛門高房は、

元禄十四年三月十四日当日、浅野内匠頭長矩の登城に扈従(こじゅう)して、大手下馬先にて、供待ちをしていたが、

それ『松の廊下にて刃傷!』と聴くも間もなく、是は御家の一大事、少しの猶予もあらん!と、事の大事を鉄砲洲江戸藩邸へ汗馬にて知らせた直後に、

一筆事の次第を草じて、是を早飛脚を立てて、何んと!四日後には、播州赤穂城の大石内蔵助以下にも知らせたのである。

更に更に、この早飛脚を見届けると其の足で、内匠頭が切腹の為に預け置かれた、芝の田村邸へと出向き、主従の最期の別れを勤めるのです。


この辺りは、片岡源五右衛門高房の銘々傳でも語りましたが、如何せん、江戸家老の藤井又左衛門と安井彦右衛門の両人が至ってポンコツで、

この様なお家一大事の場面では、一切役に立ちませんし、行動、決断、知恵というものを、一切持ち合わせて御座いません。

さて、こんな間抜けな穀潰しを、歴代、どんな役者が演じているやらと、調べてみました。藤井又左衛門と安井彦右衛門の順に紹介します。


1964 大河ドラマ『忠臣蔵』

近藤準と増田順司。近藤さんは全く知らない役者さんです。増田さんはテレビの創世記から出ていますよね。お馴染みです。


1969 あゝ忠臣蔵

中村錦司と北原将光。北原さんは全く知らない役者さん。中村さんは昔のドラマや映画では名バイプレイヤーで、現代劇・時代劇でもお馴染みですよね。


1971 大忠臣蔵

浅野進治郎と小栗一也。浅野さんは『象二郎』と言う芸名の印象です。そして、安井の方は小栗一也さん!もう、ポンコツ家老にピッタリの役者さんです。



1975 大河ドラマ『元禄太平記』

藤井の方だけの登場で、村上冬樹さん。こちらは、ポンコツ要素より悪代官、悪家老のイメージです。


1979 赤穂浪士

川合伸旺と山岡徹也。川合さんはMr.悪代官の一人でして、山岡さんは、三枚目から冷酷な役まで幅がある役者さんです。



1982 大河ドラマ『峠の群像』

藤木悠と金内吉男。いいですね、Mr.ポンコツのバイプレイヤー!藤木悠さん。Gメンの刑事役もポンコツでしたよね、三枚目の脇役としてはピカイチです。

金内さんは、ナレーター、声優のイメージが強く現代劇の二枚目なイメージです。



1985 忠臣蔵

児玉謙次と渥美國泰。児玉さんは、ポンコツのイメージは無く、平凡で実直な役のイメージです。

逆に渥美さんは時代劇の悪役では幅広くお馴染みです。越後屋も悪代官も出来るタイプです。映画の東京裁判では東條英機役だったような気がする。



1989 大忠臣蔵

野村昇史と平野稔。野村さんは剃刀の様な切れる悪い家老のイメージで、ポンコツ観は有りません。

平野さんも、大してポンコツじゃないですよね?まぁ、野村さんと対比したら、多少ポンコツか?


1991 忠臣蔵

早川純一と南川直。早川さんは、ポンコツと言うよりお人好し。悪のイメージも薄いです。

南川さんは、時代劇より刑事役のイメージで、ポンコツとは真逆です。


1996 忠臣蔵

御木本伸介と重松収。御木本さんは、Mr.悪代官!ポンコツ観は薄いです。お家乗っ取りとかしそうなタイプの家老役です。

重松さんは、お人好し感が強すぎて、ポンコツとは少し違う気もします。


1999 赤穂浪士

津村鷹志と石山律雄。津村さんは、幅広い役者さんです。ウルトラシリーズの地球防衛軍から時代劇までやれますから。藤井又左衛門役も似合います。

石山さんは、正義のイメージが強く、水戸黄門に助けられる職人のイメージです。



新しい忠臣蔵には、藤井又左衛門と安井彦右衛門の二人がやらかす場面は、描かれなく成っていますね。残念です。


さて、片岡源五右衛門、田村邸に馳せ参じ、取次役に「一目主君に逢わせて下さい。」「一言だけでも、言葉を交わしとう御座います。」と、嘆願すると、

玄関脇の使者の間で、待って居ると、そこへ田村家・家老、志麻伊織が現れて、当主である田村右京太夫自らが、御検使役に、面会の談判をしていると伝え、

伊織「之は之は、浅野家家臣、片岡源五右衛門殿、よーこそ、おいでに相成られた。

承りますれば、此の度の浅野内匠頭殿の一大事、定めしご心配の事と存じまする。

申す迄もなく御家ではお気の毒の極みとお察し致しますれば、

弊家にて、その内匠頭殿をお預かりとなり、今しがた御検使も到着なさいまして、

全て公儀の評定は済み、切腹の沙汰となりたすれば、内匠頭殿のご遺言の趣きも、書留め終わり、既に御検使のお許しも出て御座います。」

と、何度も何度も泪で言葉を詰まらせながら、語る家老の志麻伊織は、如何にも人柄の宜しい人物だと、源五右衛門にも伝わり、

言葉を受けた源五右衛門の方も、貰い泣きになる始末で、さっき迄は、ポンコツ家老の代わりに忙しく身体を動かし、

張り詰めた気持ちと、余りに驚いた実感の薄い衝撃で、泪も漏れて来なかった源五右衛門でしたが、今の貰い泣きが呼び水となり

咽ぶように嗚咽が漏れて、瀧の様に泪が溢れ出て来るものですから、暫し、返答出来ず、漸く一頻り泣き終えてから言葉を発しました。

源五「御お言葉に甘えて、御願い致すも烏滸がましいので御座るが、拙者は今日まで、御殿の左右に付き従いて、近習として生きて参りました。

然らば、主従一世の別れなれば、最期の暇乞いを、一目!一目、主人と対面し執り行いとう存じまする。

願わくば、この儀、偏にお許し下さるよう、御検使に口添えをお願い申しまする。片岡源五右衛門、一生の願いに御座いまする。」

と、祈るように願い、是を見た志麻伊織む源五右衛門を哀れと感じ、是を主君、田村右京太夫に告げると、

今正に、その切腹の場所で、室内か?庭に出すか?で、御検使とは険悪な最中なだけに、やや躊躇するのですが、

右京太夫「公儀に対しては、恐れ多い願いなれど、赤穂の主従の気持ちは、予もいたく判る由え、ヨシ、御検使には予が自ら願い出て許しを乞おう!」


こうして、先の様に切腹の場所で、揉めていた中、武士の情け、最期の対面を御検使側が、あっさりと許して呉れた事を受けて、

田村右京太夫側も、切腹の場所は、庭の白洲に筵を敷いて、畳をその上に乗せる事で折り合いを付ける事に致します。

かくして、片岡源五右衛門は、田村邸庭先の八重桜の根方にて、暫時是にて!と、待つ様に指示されまして、春風薫る夕暮に、独りポツン!と佇むので御座います。

そして、主君の参るのを、今や遅し!と、待っていた。


この時、御検使と触れ込みの正田下総守と旗本の目付役、多門傳八郎が如何にも『お役目で御座る!』と、そっくり返って現れまして、

対照的にこの後ろからは、田村右京太夫と、その後から浅野内匠頭がどちらも、首を項垂れ破棄なく現れます。

彼方の廊下に現れた内匠頭を見付けた源五右衛門、是が主君の見納めかと思いますから、思わず前へ、イザリ出る。

背後に居た、田村家家老の志麻伊織は、源五右衛門の袴の裾を気にしながら、其れを摘み上げながら、音を立てますから、

是に気付いた田村右京太夫と、内匠頭は、音の聴こえた八重桜の方を見詰めまする。

田村「如何に!内匠頭殿、桜の根方に、御家来の片岡氏が、貴殿への今生の暇乞いに、参って御座いますぞ!是非、お声掛けを。」

と、聴かされた内匠頭、このまま、庭先で切腹する段取りと聴かされておりますから、まさか、家臣の源五右衛門が居るとは、驚いて聴き返します。

内匠頭「ナニぃ〜、家来・源五右衛門がまかり越して、御座るとぉ?!」

と、思わず縁側より、下、庭先を見下ろせば、片岡源五右衛門高房が、平伏して待って御座います。

流石、長き春の日も、既に黄昏れ渡る夕霧に、桜の木陰を見てやれば、其処には見覚えの一個の武士、平伏の影法師は定善と平伏して御座いまする。あやぁ〜是を見た内匠頭は、

内匠頭「オぉ〜、誠、源五右衛門かぁ?!過分なるぞ!」

と、言うのがやっとで、内匠頭、跡は落涙するばかりで、言葉になりません。暫く、間が有って、内匠頭、言葉を続けます。

内匠頭「右京太夫殿の御心入れにて、側近に逢う事が出来まして、今生の名残が出来申しました。今更、思い置く事は何も御座ませんが、

ただ一つ、悔いが残るとすれば、吉良上野介に、トドメが刺せなんだ事のみに御座います。

源五ッ!推察致して呉れよ。とは申せ、今は過ぎたる事、今日の出来事を、成るべく仔細に内蔵助には、お前が伝えて呉れ!

その上で、全ての事は、大石内蔵助に従うようにと、赤穂と鉄砲洲の家臣たち皆に申し伝えて呉れ!重ねて宜しくお願い仕る。

そして、源五右衛門、百年後二世冥府で又逢おうぞ!」

言う声は泪混じり、源五右衛門は只々、聴き入るばかり、泪に目が曇るのを、必死で堪えて、内匠頭の様子を目に焼き付け様と致します。

しかし、それでも眼は幻の如く霧が掛かり、内匠頭を見上げてた源五右衛門の目には、決壊寸前のダム湖の様に泪が貯まるばかりで、

源五「ハハッ、御意に。」

と、声を返すのが、やっとで御座いました。

そして、『来世で逢わん!』と言った後は、主君も黙して語らず、『御意!』と返した臣下もだんまりに成ります。

そして、この場に居る一同は、暫く、皆、声を呑んで静寂に包まれますが、そうそう、長い時間が許される訳では御座いません。

最後に源五右衛門が、意を決して、『御心、お静かに。。。。。』と声になるか?ならぬか?蚊細い声を発して、主従の対面は終わりを告げるので御座います。


折りしも此の日は三月十四日。花が二片三片と散りますれば、音も無くヒラヒラと蝶々の様に舞って御座います。

その様子を、八重の根方で座る源五右衛門が、仰ぎ見るように、面を上げて御座いますると、阿吽の呼吸!御検使と介錯人が、庭の方へと進むのが目に止まり、

次いで、内匠頭が田村右京太夫に促される様に、付き従って同じ方へと、ゆっくりゆっくり、袴を引き摺る様に進み行きます。

そして、最後に正田下総守が、徐に、こう口を開きます。

下総守「上意ッ!」

内匠頭「ハッ。」

内匠頭、頭を垂れまして、控えますれば、御検使、正田下総守が続けます。

下総守「申し渡す。

     其方儀、今日於殿中、御場所柄をも顧みず、私怨を持って吉良上野介義央に対し、刃傷及候段、

     不届に思し召し候、此の儀に依り切腹仰せ着候、者也。

内匠頭「上意の儀、畏まり候。」

と、内匠頭、お受けになり、そこで更に。

内匠頭「御検使、お役目、大義に存じまする。」

と、述べられ、生害の場所はと見てやれば、小書院前の庭に設えた畳に御座れば、あゝ内匠頭無念!と、悲しみと悔しさの混じる泪が溢れます。

内匠頭「長矩、苟も清和源氏の末裔。一國一城の主人が、かかる屋根も無き場所にて、召されるとは。。。何事だ!!」

と、言葉に出し掛けて、「さりとて、今更、其れを言ったら愚痴になる。」と、心の声だけにして、切腹の場へと進み入ります。


堂々とした態度にて、ドッカリとその場に座りまする赤穂藩五万三千石の太守、浅野内匠頭長矩。

切腹の用意は悉く、介錯人が刀を二度、三度と桶の水を柄杓で掛けて、其処への月光の反射が、舞う花びらを照らして幻想的な空気にしております。

そんな中、小姓が一人、小刀を乗せた三方を捧げ出で、内匠頭の前に起きます。すると、是を受けて、内匠頭が御検使に向かって、再び者申します。

内匠頭「御検使!臨終(いまわ)の際に、一つお願いが御座いまする。どうかぁ、拙者の差料の太刀にて、介錯の儀、ご許可願いまする。」

と、願い出られました。すると、多門傳八郎殿、直ぐに差料を引き取って、

傳八郎「ご尤もなお願い、御差し支え御座いません。」

内匠頭「有難う存じ奉りまする。」

更に、背後を振り返り、介錯人に、

内匠頭「ご介錯人、お名前を承りたい。」

介錯人「ハッ、徒目付役、磯田武太夫と申しまする。」

内匠頭「左様で御座いますかぁ、では介錯には拙者の差料にて、宜しくお願い致します。備前長光の一刀に御座いまする。」

更に、内匠頭は、介錯人が目付配下としり、質問を続けます。

内匠頭「さて、お目付衆なればお伺い申し上げますが、上野介は如何相成ったのでしょうか?お目付役で御座いますれば、

その儀、お詳しからんど存じまする。武士の情けで御座いまする!拙者が上野介に付けた傷は、二箇所に御座いまするが。。。ご検分なさいましたでしょうか?!」

介錯人「成る程、確かにお尋ねの通り、傷は二箇所にて、額から眉間辺りに一つ、更には、背後から肩に一つ、傷を見ましたが浅からぬ傷で老々の吉良様なれば、且つ急所の傷で御座います生命の保障は。。。」

この言葉を聴いて、長矩は、ニッコリと笑みを浮かべます。

内匠頭「イヤ仰せには御座いますが、頭に一箇所、肩に一箇所、傷は付け申したが、付けた拙者が一番宜く存じて御座います。

身共に、念の残らぬ様にとの御介錯役のご配慮は理解致しますが、上野介は存命致そう。其れでも、やむなしと拙者は受け入れは致すが、無念に御座る。」

と、内匠頭は無念を口に致します。更に、続けて、正田下総守に対しても、最後に言葉を残します。

内匠頭「さて!下総守殿に於かれましては、老中、若年寄とも縁深いお立場なれば、我が舎弟大學の事をお願い申し奉りまする。

大學は全く、この上野介との一件とは無縁に御座いますれば、本家芸州浅野と共に、お構い無しとなる様に、御助言を賜りますたいと存じまする。」

と、兄弟と本家には禍の向かわない様に、内匠頭は言葉を残します。

下総守「どこまで、御助成なるかは分かりもさねど、あくまでも、貴殿と上野介の私怨と『上意』にもあると、必ずお伝えし申す。

其れに、老中には浅野殿に同情的な面々も少なからず御座います。柳沢様は上野介にも切腹、断絶と申されますし、稲葉丹波守様は浅野家の改易阻止を上様へ言上なさいました。」

内匠頭「左様に御座いますかぁ、有難う存じます。重ねて、宜しくお頼み申します。」


このやり取りを見ていた田村右京太夫が、ここで「さて、ここで此の世ね名残りを!」と、内匠頭へ、辞世を詠むように促します。

内匠頭「忝い。さすれば此の世の思い出に、一首仕らむ!」

そう言うと、チラっと八重桜を見て珍吟いたし、暫し間があって、短冊にサラサラと書き残します。


風さそふ 花よりもなほ 我はまた

     春の名残を 如何にとかせん


折りしも墓鐘一杵、余韻嫋々として、是がいとも哀れの増す演出となります。内匠頭は騒げる色もなく、検使の方々へ黙礼致します。

肩着る麻裃を背後に跳ねやりまして、両肌を押し開けて、小刀を左手に持ち、ゆっくり右で半紙を巻きます。

ここで、小刀を右に持ち帰ると、もう、躊躇は許されませんので、ゆっくり尻に敷いた三方の位置を確認する内匠頭。

徐に小刀を右に持ち替えて、ズバっと突き立てた時、横に引かせる間も与えずに、介錯人の磯田武太夫は、長光を一閃!、

首の皮一枚残しで、内匠頭の首はだらりと落ちて、春秋今が盛りの長矩は、享年三十六歳を一期にして、この身首所を異にしたのであった。

時は元禄十四年、辛己、彌生の月の中の四日、夕暮れの事でした。


是が仮名手本忠臣蔵で御座いますれば、最もクライマックスの場面と成ります。四段目で御座います。

また、落語では『淀五郎』で知られる場面ですね。御検使と塩冶判官側のやり取りは、判官に同情的な田村家側と、其れに厳しい多門と正田の構図が仮名手本にもあり、

何んと言っても、仮名手本では大石内蔵助義雄に相当する大星由良之助義兼が、この源五右衛門の様に切腹の場面に駆け付けて、

『九寸五分』を、「由良之助はまだか?!」と右に持ち替えず由良之助を待つ場面が見せ場で御座いまして、

大石主税に相当する大星力也が、父の到着にソワソワ、ヤキモキするのも、実に、芝居らしい演出で、『赤穂義士傳』とは異なります。

また、腹切包丁が、『九寸五分』と言うのも、芝居らしい演出で、『赤穂義士傳』では、刃傷も切腹も小刀になります。

さて、此の様に見事に切腹した内匠頭の死骸は、用人粕谷勘左衛門、御留守居武部喜六、内證用人片岡源五右衛門、

同役田中貞次郎、同役磯貝十郎左衛門、同役中村善右衛門の赤穂の家臣六名に引き取られて、結局、高輪の泉岳寺へ埋蔵されます。

そして戒名は、『冷光院殿前少府朝散大夫吹毛玄利大居士』で御座います。



◇国本武春 『松の廊下刃傷〜田村邸の別れ』

国本武春 ザ・忠臣蔵若い人達にも楽しい浪曲を広めたいと努力されていた国本武治さんのザ・忠臣蔵です。リンクyoutu.be



つづく