高田馬場にて、伯父・菅野六郎左衛門の仇を討ち十三人の敵を殺害した中山安兵衛武庸は、幕府に捉えてられて、縄付となり斬首される位ならば、腹を斬らんとしていると、

脇から「待たれよ!」「早まるなぁ!」と声を掛けて来た人物が御座います。其れは、法衣を纏った一人のお伴を連れた僧侶で、年齢は還暦を過ぎて御座います。

安兵衛「只今、暫く!と、お止め下さったのは貴僧に御座るかぁ?!」

老僧「去れば、拙僧は愛宕下萬年山青松寺の住職にて『卜齢』と申します。先程より、決闘の経緯は、一部始終を拝見仕った。

然るに、貴殿が一身に罪だとお感じになられて、この場の責任を切腹してお取りになるのは、些か、若気の至と存じ上げます。

斯く申す拙僧、卜齢が貴殿の御身の成行を付けて進ぜよう。人を助けるのが出家の道、と言う諺も御座います通り、

思えば、貴殿が討った相手は無頼の悪しき道を行く浪人共に御座れば、剰え(あまつさえ)、其処許の伯父上、菅野某殿の仇で御座れば尚の事、

世が世なら天晴れ名誉な事に御座いまする。其れを理由に、自ら自決するなど、早まった事はお止め下され!

拙僧が、貴方様のお命は、只今よりお守り申しますから、みだりに自害などと、軽はずみは慎まれるように。

安兵衛「お言葉は、大変有り難く、流石!ご出家とお見それいたすが、拙者が斬り殺した相手は一人や二人では御座らん、十三人で御座る。

それ由え、御公儀に訴えて出れば、死罪は免れません。さすれば、縄を打たれ処刑されるぐらいなら、切腹し相果てん!と、考えました。」

卜齢「イヤイヤ、暫くお待ちあれ。死は一旦にして成り易く、然し、後に謗りを受けぬとは限らず、笑い者にされるとも限らん。由えに、暫時、お控え下され!」

と、青松寺住職卜齢が必死に説得を続けておりますと、流石に月番の南町奉行、渡邊日向守様がご自身で馬に跨り、与力・同心、四、五名を引き連れて出張って参ります。

すると、卜齢は奉行の傍らへと歩みより、二言、三言喋りますと、役人たちは十三人と二人の検死を始めまして、中山安兵衛は卜齢に連れられて、この場から青松寺へと預かられて行くので御座います。

然るに、天下の南町奉行所の役人面々が評議を致しましたる所、松平左京太夫の家来、菅野六郎左衛門から村上兄弟との果たし合い、

此の届出が、正式にお公儀に対して申請がなされていたと後日、明らかにぬるので御座います。

是により、菅野六郎左衛門、仲間の彌平次、そして、村上兄弟、及びその門弟である松下輿五郎と梅野久四郎の死骸は、直ぐに家族や親戚に下げ渡されます。

ところが、中津川勇範、勇太郎親子、並びに、門弟以下の死骸については、届出なく私闘に走り、不届きであると、

牛込百人町の道場は、公儀が没収の上でお取り潰し、死骸は奉行所の手により処分される事となり、伯父と仲間の仇を討った安兵衛にはお構い無しの沙汰が降ります。

安兵衛は、伯父・六郎左衛門と仲間・彌平次の亡骸は、卜齢住職にお願いをして、青松寺へ葬る事に致します。


すると、中山安兵衛武庸が晴れて、公儀よりお構い無しの沙汰を受けた翌日。松平左京太夫様より、指南番として、

伯父菅野六郎左衛門の跡釜に、貴殿を三百石で仕官願いたい。との、仕官の誘いを受けましたが、中山安兵衛、是を丁重にお断りして、暫くは青松寺にて厄介になります。

さてさて、この青松寺住職の卜齢と言う人は、流石!禅家の僧丈あって、実に社交的かつ行動的なお人で御座いまして、

伯父、六郎左衛門の死後、生まれ変わったかの様に、酒や賭博、喧嘩からは足を洗い、剣術の稽古と、論語・史書などを読み、そして写経に励む、安兵衛。

この行いを日々、卜齢は見て御座いますから、行く先々で、『高田馬場の決闘で、十三人斬りの中山安兵衛とは?どんな人物ですか?』と、訊かれますと、

『中山安兵衛武庸なるひとは、武術の腕前だけでなく、文の道にも明るく、神仏にも信心なさって、品行方正!優しい心の持主です。』

と、答えて廻りますから、松平家だけに留まらず、多くの大名、旗本から、『是非、当家に中山安兵衛武庸殿を!』と、仕官の貰いが掛かります。


一方、先に話をしました、播州赤穂藩五万三千石、浅野内匠頭の家来で、江戸留守居役、堀部彌兵衛のご内儀は、

雑司ヶ谷の鬼子母神詣りより屋敷へ帰りましたなら、早速、帰り道に高田馬場にて、仇討ちに遭遇して、

その折り、一人で十三人を相手に大活躍をした、越後新発田の浪人、中山某に自身の腰帯を襷にして下されと、差し出した噺を致します。

内儀「そういう訳で、縄襷は不吉なれば、私の腰帯にて、その御浪人様は闘いになり、見事に十三人を討ち果たしたので御座います。」

彌兵衛「其れは宜かった、実に天晴れ、流石、我が妻だ!で、その御人は何処に住んでおる、何んという方なんだ?」

内儀「ハテ?、名前は中山様。越後の新発田から来られた方で。。。しかし、お住まいは存じません。」

彌兵衛「田分け!何処にお住まいか?なぜ、訊かぬ。ドジ、間抜け、トンマ!!死ねぇ〜。」

内儀「其処まで言わずとも。。。其れに、腰紐を貸した御浪人の住まいを聞いて、如何するのですか?腰紐の一本や二本など、態々、取り返さずとも、構わぬではありませんか?!」

彌兵衛「腰紐が惜しくては申さね!其れ程の剣の達人なれば、照の婿養子にと思うたまでじゃぁ!一度、会って此の目で確かめてみたいワぁ!高田馬場の十三人斬りとやらを。」

そう言って、堀部彌兵衛は悔しがりまして、娘のお照は、父に『婿養子にしたい!』と言う言葉を聴いて、頬を赤らめて満更でも無い様子で御座います。


更に、十日ばかりの日が流れまして、月が四月となり、花も散り木々の緑が一層深まりまして、季節は夏の到来を告げて御座います。

さて、縁と言うやつは本に不思議なもので、特に男女の縁、俗に赤い糸で出雲の神様が操られると申しますが、仏様も時に操る様で御座います。

播州赤穂、浅野家の菩提所は、愛宕下萬年山青松寺で御座います。ただ後日、内匠頭切腹のご遺体は、この青松寺へ持ち込まれますが、

卜齢住職が不在の折り、番僧がこの内匠頭のご遺体を受け入れ拒否して仕舞うので、全て、美味しい所は、泉岳寺に持って行かれてしまいます。

卜齢住職が居て、此処に内匠頭と四十七士が眠って居たら、東京タワーの少し先、神谷町と御成門の丁度中間のあの辺りが忠臣蔵のメッカに成っておりました。

まぁねぇ、番僧が悪い訳では有りませんよ、当時、寺社奉行の許可無しに、喩え、大名家でも変死体を勝手に埋葬は出来ないので、

其れで浅野家の縁続きである松平紀頭様の御菩提所、唯一徳川家康が江戸に造った泉岳寺が埋葬先に選ばれたと言う経緯が御座います。

決して、馬鹿家老の二人がやらかした!みたいな噺では御座いません。悪しからず。

さて、四月のそんな或る日、堀部彌兵衛は殿様のお盆の墓参と、法事の日程を算段しに、青松寺を訪れて、住職の卜齢と噺をしておりました。

すると、侍髷で矢鱈と背の高い大きな漢が、身体に似合わない桜色した襷十字姿で、彌兵衛と卜齢の前を通りました。

彌兵衛「時に、御僧。」

卜齢「ハイ?何で御座いましょう。」

彌兵衛「アレなる侍風態の漢、何者で御座るか? そう、掃除をされている、あの御人だ。」

卜齢「堀部様、拙僧、貴方に話しませんでしたかなぁ?あの安兵衛殿の事。」

彌兵衛「何んですかなぁ?拙者、聴いてはおらぬと存ずるが、安兵衛?何者ですか?」

卜齢「ホレ、江戸中の評判でしょう?高田馬場の十三人斬り。あの決闘の立役者、中山安兵衛武庸殿に御座います。」

彌兵衛「。。。」

卜齢「ご存知でしょう?高田馬場の決闘、伯父さんの仇討ちで、十三人もの仇を斬り殺して、伯父上様無念を晴らした、あの英雄です。

いや、私はたまたま、高田馬場を通り掛かり、仇討ちの一部始終を見ましてね。彼、安兵衛殿が、腹を切り自害しようとするのをお止めして、この寺へ連れて来たんですよ!

堀部氏?どうかしましたか?何んですか?落語『崇徳院』の熊さんじゃないんだから、そんな、へんな形相で、私を掴まないで下さい!!」

彌兵衛「アレは手前の倅で。。。其れが証拠に、我が妻の腰紐を襷にして、今日も御座います。アレは私の倅なんです!!」

卜齢「苦しい。。。助けて下さい。痛い、手を!手を!離して。。。下さい。苦しい!く、る、し、い。死ぬぇ〜」


目を血走らせて、彌兵衛は卜齢住職の胸元を掴んで興奮しています。卜齢が落ちる寸前に、我に返り手を離してやりますが、卜齢は倒れてへたり込みます。

卜齢「堀部氏、気は確かですか?急に掴み掛かられて、安兵衛殿を我が倅と申される。拙僧には理解できません。」

彌兵衛「すいませんが、兎に角、私の倅に会わせて下さい。話せば分かりますから、実は愚妻が、高田馬場にて、カクカクしかじか、ですから、あの桜色の襷が、我が息子である証拠なんです。」

卜齢「ハぁ?!」

彌兵衛「実は、愚妻が高田馬場で襷を差し上げた、越後新発田の中山某としか言うお方から聞き出せておらず、

中山なんて御人は、この江戸に何百人と居るのに、住職や所属する道場の名前も聴いておらず、田舎へ帰れ!と、離縁寸前でした。

其れが、このお寺に居るなんて!興奮しない方が不思議です。さて、実家へ返した愚妻に手紙を書いて呼び戻してやらねば!」

卜齢「左様でしたかぁ、其れは其れは、ご内儀も災難でしたなぁ、早くお呼び戻してやりなさい、堀部殿。さて、では紹介致しますなぁ。」

と、言って、安兵衛を卜齢住職が呼びまして、堀部彌兵衛と引き合わせます。

さて、青松寺に安兵衛が世話になり始めて一月が過ぎようとしておりますが、何んの不満も無いちゃ〜無い安兵衛ですが、

精進料理に、毎日同じ日課で御座いまして、気晴らしや気分転換の外出と言うのも、何んとも、卜齢住職に気兼ねして言い出せず、退屈しております。

其処へ、襷を呉れたご内儀の亭主、主人が現れて、是非、娘に会って呉れ!堀部の家の是非、婿養子になって呉れと言うので御座います。

そして、是は格好の外出の口実です。もう、二つ返事で、ご内儀にも襷の腰紐の禮を申したいです!お嬢様の手料理が頂きたいですと、言って堀部家に招かれます。


そして、安兵衛殿、貴方には、こちら側の事情をお話し致すと聞かされました噺が、この様な物語に御座います。

彌兵衛「初めからお噺致すが、拙者には一人の娘が御座って、之れが一人娘で、婿養子を取らねばならん。

ところが、年頃となり今年十八の娘に、イザ婿を取るとなると、いやはや、意外と難しく決まりそうで決まらぬ。」

安兵衛「いやはや、堀部様の娘様、拙者は一度会って身体がぶつかったダケで御座いますが、そりゃぁナントカ小町って美人じゃないが、

丈夫そうなお身体だし、実に健康そうで、お淑やか、才色兼備の均衡が取れた、明るく可愛らしいお方なのに、婿養子とはそんなに難しいものですか?」

彌兵衛「まぁなぁ、見た目男前で、ただただ草食系の可もなく不可もないような兵六玉なら、旗本の次男、三男に掃いて捨てる程在るが、

やはり、我が堀部家の家訓に沿う、武芸な人並み優れていて忠義に厚く、又、親や目上に孝行して仕える。

つまり、忠孝の兼ね備えた武士で、武術に秀でてなければ、婿養子には迎えたくない!と、言う思いが有ったのだ。

そう拙者が申すと、妻と娘が雑司ヶ谷の鬼子母神に願掛けをすると言い出した。何んでも『忠孝の兼ね備えた武士で、武術に秀でた御人』、其れが現れます様にとなぁ。

毎月毎月、八の付く日にお詣りを始めて、最初の満願、三月八日に、貴殿の仇討ち、『高田馬場の決闘』に遭遇したのだ。」

安兵衛「成る程、其処に拙者が現れて、娘様、お照殿にぶつかったと言う訳ですね。」

彌兵衛「その貴殿と娘が衝突したのを、ろくに挨拶もせず、武士の癖に!と、怒鳴り付けた婆が、拙者の愚妻だ。失礼な事を申したであろう?」

安兵衛「いえ、そんな。。。婆ぁだなんて、お若こう御座いますよ、ご内儀様は、それに、仇討ちと知ると、直ぐにご理解頂けて、襷をお与え下さいました。」

彌兵衛「アレでも若い頃は綺麗だったのだが、美人はやはり、心がきつい!トゲが御座る、トゲが。

そして、見た目の美しさなど直ぐに消えて、婆となり、きつい心のみが残る。そして心のトゲは成長し角となり、女は鬼婆となるのだ!!」

安兵衛「鬼婆は失礼過ぎますよ、言い過ぎです堀部様。」

彌兵衛「いや、愚妻がこんこんと安兵衛殿を咎めて居たと娘が申しておった。済まない、理屈っぽくて、気を悪くしないで呉れ。」

安兵衛「まぁ、お叱りはごもっともと受け入れおります。気になさらず。奥様を恨んだりしませんから、お責めにならないで下さい。」

彌兵衛「まぁ、所が、安兵衛殿、貴殿が伯父上の仇討ちに来たと知り、家の妻は驚いたと言う。気付くのが遅いッて。

ぶつかった時に、察してやれってんですよ。しかし、其れでも、おっとり刀の貴殿が、縄襷なのに気付き、妻は襷にと腰紐を汝に差し上げる。

しかも、娘の照の物では月の触りがあるやも知れぬと、態々、穢れぬ様にと、自らの腰紐にしたと申したが、誠かぁ?!」

安兵衛「ハイ、その通り!誠に御座います。本来なら腰紐とはいえ、返済すべき所。。。今日まで放置して申し訳御座いません。」

彌兵衛「イヤイヤ、返却には及ばなぬ。さて、妻は帰って来るなり、まず、貴殿を褒めておった。

騙し討ち、飛び道具を平気で使う極悪非道の輩、十三人を相手に、正々堂々立ち向かい、伯父君の仇を討つ忠義心!

この太平の世にあり、実に立派だと何度も言って、娘の婿に迎えるならば、貴殿を於いて他にない!と、言い切りおった。

なのに、なのに、名前も住所もろくに聞かずに帰宅するんだ!女と言う奴は。どういう思考回路なんだ?!儂には理解できん。」

安兵衛「まぁ、堀部様。こうしてお会いできたのですから、お内儀を許して差し上げて下さい。」

彌兵衛「さて、此処までが経緯ならば、此れからが、本題だ。正直にお答え下され。漢、一生の問題で御座いますから、本音を伺いたい。

堀部の家へ、婿として養子に入る事、叶いますか?否か?又、養子は困るが、お照を嫁には迎えて呉れますか?それとも否か?

直ぐに全部を回答呉れとは、申しませんが、安兵衛殿に、例え全て『否』と言われても、縁が無かったと諦める料簡は御座る。」

安兵衛「一つだけご確認させて下さい。拙者が引き受けたとして、娘さん、お照殿の気持ちは如何なんでしょう?其れが気に成ります。」

彌兵衛「イヤ、拙者も人の親だ。娘が少なからずお前さんの事を、憎からず、いやいや、好いておると確信する。

しかし、其れでも、万一と言う場合には、うちの鬼婆を、貴殿に差し出す所存だ。之を担保に返答願いたい。」

安兵衛「その鬼婆様は、ご辞退願いまする。」

彌兵衛「ご住職!どうか、貴方からも口添え願いたい。」

卜齢「どうだぁ?安兵衛殿。悪い噺ではないと、拙僧は思うが?!」

安兵衛「ハイ、堀部様。私はお照殿と夫婦になる事、大変嬉しく、謹んでお受けします。また、お照殿を内儀と致すなら、養子に入り、彌兵衛殿と奥方様を父上、母上と、お呼びしとう存じまする。」

彌兵衛「誠で御座るかぁ!其れは千萬忝い。早速、我が家へ参られよ!安兵衛殿、イヤ婿殿。結納の前祝いだ!」


こうして、寺が結ぶ縁で、中山安兵衛武庸は、堀部彌兵衛金丸の娘、お照を嫁に迎えて、自身は堀部家の養子と成ります。

堀部彌兵衛は、早速、藩に娘が養子を迎えて結納が成ったと報告し、藩側は富森助右衛門を仲介に立て、この縁組を進めて、

更に、卜齢住職が中山安兵衛武庸の親代りとして、婚礼の方の準備も進められます。こうして、もう間もなく婚礼、そして、堀部安兵衛武庸が誕生いたします。



つづく