義士一党の中、驍勇にして武闘派として名高い堀部安兵衛武傭は、越後國蒲原郡新発田の産にして、父を安太郎と言って、祖父は安左衛門と言う。

溝口信濃守に仕える家柄も由緒正しい身分の武士で御座いました。しかし、若気の至りで、平素より素行の悪い安太郎なれば、

是が改まらず、遂に、父・安左衛門の怒りを買って勘当となり、地元に居られなく成りますと、兼ねてより馴染みの芸妓、菊屋の小菊と駆け落ち同然で、

新発田から三里ばかり離れた中田村へ逃げて参ります。その地では、寺子屋を開き安太郎は読み書きを子供達に教えていたが、

二人がやっとカスカスで生活できる稼ぎは御座いましたが、二人の間に息子が産まれますと、いよいよ生活が困窮致します。

そんな中、安太郎は日雇いの力仕事も、始める様に成りまして、何んとか家族三人の喰い扶持は稼ぐようになり、息子には安吉と名付けて、大層可愛がります。(この時点では、安兵衛ではなく安吉。)

内儀の小菊も、能く働きまして、夫婦力を合わせて、安吉を玉の様に大切に育てるので御座いました。

しかし、流行り病に、女房の小菊が掛かり病の床に着いてしまいます。安吉はまだ四歳で手も掛かり、小菊を満足に医者に診せる事も出来ません。

三月程の長い患いの末に、内儀小菊はこの世を去り、安太郎は六歳の安吉と親子二人と成るのです。いよいよ、暮しは困窮致します。

安太郎「あぁ、嫌な心持ちだ。」

と、胸に差し込む痛みを感じ、険しい顔になる安兵衛に、幼い安吉が、心配そうに言葉を掛けて参ります。

安吉「お父さん!何処か痛むの?」

安太郎「お父さんは胸が痛いから、安吉!立場へ行って黒焼きの薬を買って来てお呉れ。お鳥目は、火鉢の下の引き出しに在るから、早く!お願いだぁ。」


言われた安吉、走って立場へと行ってみると、見物が黒山の人集りで、何やら髭だらけの大男が、槍を片手に大の字で寝て、七転八倒の様子で御座います。

安吉「オジちゃん!このお侍さんは、どうしたの病気なの?」

野次馬「そうだなぁ、病気っちゃぁ病気だ。疝気の虫が、身体ん中で暴れているから、脂汗を流して苦しんで御座るのよ!」

安吉「死んじゃうの?!」

野次馬「死ぬ事は無かろうが、死ぬより辛い苦しみのはずだ。見てみろ!あの苦しみ様だぁ。」

言われて安吉も、見守りますが、侍は本当に苦しそうに、ウーウー!唸り声を上げて苦しみ出して居ります。

すると其処へ、人品の宜しい老人の武家が一人。お伴の仲間(ちゅうげん)を連れて立場へと差し掛かります。

老人「オイ、角助。あの苦しんでおられる方の様子を伺って参れ!」

角助「旦那様、あの様な輩を。。。助けるおつもりですか?」

老人「あんな輩とは、何んだ!旅は道連れと申すであろう、早く!様子を聴いて参れ、角助。」

言われた仲間の角助が、行って見ると、髭だらけの槍を抱えた侍が、疝気で苦しんでいると判ります。

角助「見て参りました。髭だらけの大男が、疝気で苦しんで居りました。癪で苦しむ若い女人なら助ける者が在りましゅうが、あんな輩は、助けるに能わずと思いまする。」

老人「だから、お前が決めるなぁ。可哀想に。。。済いません、通して下さい。通して下さい。」

と、老人は、野次馬ん中を掻き分けて、その疝気に苦しむ髭の大男の元へ行き、腰に下げている印籠を取り出し、中から黒い粒の丸薬を取り出します。

老人「さぁ、しっかりなされよ。角助!水を、竹の水筒の水を持てぇ〜。」

伝七「旦那様、ハイ、水筒に御座います。しかし、本当に、こんな輩を。。。お助けになるつもりですかぁ〜。旦那様は、本に、酔狂が過ぎまする。」

老人「何を言う!情けは人の為ならずだ。ささぁ、之れなる丸薬を口に含み、水で呑み込みなさい。暫くすると、楽になりますから。」

と、言うと老人は、疝気の男に、印籠から取り出した丸薬を呑ませ、水で流し込めと水筒を渡します。

疝気で脂汗をダラダラ流して苦しむ男は、正に藁にも縋る様子で、是を呑み込みます。すると、正しく、薄紙が剥がれる様に回復して、この老人に禮を申して、元気に立ち上がります。


さぁ、是を見た安吉が、老武士が腰にブラ下げている印籠が、魔法の薬に見えて仕方ありません。

そこで、悪い事とは知りつつも、胸が痛いと苦しむ父、安太郎の為に、是を盗もうと近付き、腰の印籠の紐を緩めて、こっそり抜き取った!次の瞬間でした。

角助「ヤイ!小僧、何んて事をしやがる。この盗っ人野郎めぇ!!」

そう叫んで、仲間の角助が、印籠を握り締める安吉を、持っていた木刀で打擲します。

僅か、六歳の安吉は、火の点いた様に泣き叫びますが、強情にも、印籠を放そうとは致しません。

更に、角助が安吉の頭や顔を拳骨で、殴りまして、安吉はタンコブと鼻血を流してしまいます。

しかし、是れを見た老武士は、角助と安吉の間に入り、角助の暴力を止めに掛かります。

老人「止めろ!角助。相手は幼い子供だ。おいおい小僧、怪我は無いか?」

安吉「え〜ん、エン。ワーン!ワン。」

角助「旦那!このガキは、旦那の腰の印籠を盗もうとしたんですぜぇ。きっと、売り払うとか、質草にして、銭にしょうッて魂胆です。」

老人「田分け!!こんな幼い子供の意思で、出来る所業ではない?!仮に、そういう目的で盗むならば、黒幕が有るはず、この子の意識に依るものでは無いだろう。

其れを、こんなに成るまで、打擲するとは。。。本当に貴様と言う奴は、粗暴で叶わぬなぁ!恥を知りなさい。

さて、小僧、名前は何んと申すのだ?そして、歳は何歳になる?」

安吉「グッすん、安吉!六歳だい。」

老人「安吉かぁ、それで、安吉。なぜ、儂の印籠などを盗む気になった?!正直に答えたら、その立場の茶店にて、団子を買い与えようぞ!」

安吉「本当かい?じゃぁ、言うよ。実はカクカクしかじか、家で胸の病で伏せっている父上に、その中の薬を呑ませたくって。。。悪いとは知りながら盗みを働きました。御免なさい!オジちゃん。」

老人「お父上は、御浪人か?」

安吉「ハイ、元は溝口のお殿様の家来で、安太郎といいます。」

安吉から思わぬ名前が飛び出し、老人は、ハッとして、安吉の顔を能く能く見直してみますと、確かに我が子安太郎の面影が御座います。

そうです。この老人は、安吉の祖父で、安太郎の父、中山安左衛門、その人で御座いました。

泪が溢れて来るのを必死に、堪えて、安左衛門は安吉に、問い掛けます。

安左衛門「其れで、家では、母が父の看病をしておるのか?!」

安吉「いやぁ、違うよ。家には父上とオイラの二人きりだ。母ちゃんは、俺が四歳ん時に、遠い國に旅に出て、もう帰らないって、父上が、そう言ってた。」

安左衛門「そうかぁ、そうかぁ、ヨシ、団子を買って進ぜよう。そして、この印籠とこの金子を安太郎の元へ、持って帰りなさい。

さて、安吉。お前はまだ六歳であるが、武士の倅として、昔唐土の逸話にある二十四孝を知らねばならんぞ。

そして其の中に、陸績、字を公記と申す人が、袁術と言う人の家に忍び込み、橘の実を盗み、持ち帰る途中、此の実を落とし、盗みが露見してしまう。

ところが、陸積を捕まえた袁術は、陸積が橘の実を盗んだ理由を聴いて、父親がいたくこの実が好物で、孝行心からの盗みだと分かると、

何んと陸積が当初盗もうとした数の倍以上を持って帰らせたのだ。分かるか?安吉。この袁術の思いがぁ。」

そう言うと、安左衛門は、三両の金子を半紙に包み、印籠と団子を安吉に持たせます。


さて、安吉が家に戻り、この一部始終を聴いて、我が子が持ち帰った印籠の『九枚笹』の紋所を見て、三両の金子と丸薬を与えたのが、

父、安左衛門であると、安太郎は直ぐに気付きます。そして、我が子、安吉をギュッと強く抱き締めると、まだ理解出来ぬ安吉は、苦しそうに。

安吉「父ちゃん!痛いよ。」

と、苦しそうな顔で、抱き締める父を見てやれば、顔をクシャクシャにして、父、安太郎は泣いて御座います。

安吉「そんなに、泣く程、胸が痛いなら、早く薬を呑むと宜い、父ちゃん!!」

と、理解出来ない六つの安吉は、父の泪が病からだと心配致しますが、安左衛門の心付けだと知った安太郎はなかなか、泪が止まりません。


そして安太郎は、思います。このまま、肺を病み始めた自身の元で、この安吉を育てるよりも、

ここは一つ、実の父親である安左衛門に、孫である安吉を託した方が、安吉の為になると思いますから、

恥も外聞も捨てて、立場へと安吉を連れて走り出す安太郎。そして、土下座をして、安吉の将来を、安左衛門に頼むのでした。

そして、其れを安左衛門が引き受けると、安太郎はケジメの積もりだったのか?その立場の隅で、腹を斬り果てて仕舞うのである。


「アイ、お父ちゃん!!」


と、父の方を心配そうに見る安吉の、手を強引に引いて空を唄い連れて行く、安左衛門。

安太郎はと見てやれば、百度千度己を悔いつ、腹をカッ捌いて相果てます。軽々たる孤児(みなしご)の境遇に落ちた中山安吉。

よるべなき身の振り方を、仕方なく仕方なく、祖父の安左衛門に相計ったのである。安左衛門も一旦は、安太郎を勘当にはしたものの、

自ら腹を斬り果てる姿を見せられては、安吉を見捨てる訳にも行かず、安左衛門が、然るべき年齢まで育てる事になる。

やがて、成人へと育だち、その名を安吉から安兵衛へと改め、中山家の家督を相続するに及び、この安兵衛、その人となりを発揮する様になるのである。


この漢、天資驍勇、果敢にして季節を尊び、夙に名誉の士たらんと志して、文武の道に研鑽し、殊に剣術の道に於いては、

当時、海内一と評判の『堀内源太郎左衛門正春』に師事し、剣の道を学び妙神入り、打ち物取っては萬夫不当の慨が有った。

然し、安兵衛が元服の翌歳、まだ十六という大切な時に、最大の後楯である祖父、安左衛門を亡くしてしまい、安兵衛。

今は頼る所なき、捨て小舟、唯、父の安太郎が勘当、出奔となったこの新発田の地に、許嫁であったお光なる夫人が独り健在で、この婦人を義母と慕って、唯一の寄り所と致す安兵衛でした。

亦此のお光は、安太郎が中山家を勘当となった後も、安左衛門の身の回りの世話をしていて、六歳で貰われて来た、安吉改め安兵衛に対しても非常に親切な母代わりで有った。


ところが!此の安左衛門の死後、お光にちょっかいを出して来る男が現れます。その男は黒田作左衛門と言う、溝口家中の藩士で、

安左衛門が健在の頃は、全く近付く気配も無かったのに、四十九日を過ぎた辺りから、何かとお光の世話をしたがり、余計なちょっかいを出します。

余計なお節介だった頃は、まだ、良かったのですが、遂に、一線を越えて余計なちょっかいを出して仕舞います。

お光は、ウブなお嬢様上がりの武家の娘で御座いますから、まさか、作左衛門が羊の皮を被った狼とは知らず、

世の中には、親切な方も在るなぁ〜と、好きとか嫌いとかの範疇ではなく、下心とは知らずに、無防備に近づくモンですから、

是は、赤頭巾ちゃんばりに危ない状態で御座いまして、完全に『盛り』の付いた作左衛門は、毎日毎日、安兵衛の留守を狙いお光の所へ、通って参ります。

手を握られて、言い寄って参りますが、お光は貞女で御座いますから、必死に操を守ります。『ちょっとダケ!』『先っぽだけ?!』と、

スケコマシの常套句を並べては、お光を口説きに掛かる作左衛門、それでも、貝の様に硬く閉じたお光を、遂に、作左衛門、力尽くで何んとかしようと致しますが、

其れでも、お光は肘鉄を喰らわせて、作左衛門を退けまして、『其れ以上、無礼を働くならば、人を呼びますよ!!』と、開き直られます。

もう、こうなると黒田作左衛門、腰の大刀を、ギラリ!と、抜いて、刀で脅してでも、手籠にしようと致しますが、

流石、武士の娘です。恐れる事なく、逃げようと致しますから、おのれ!脅しではないぞ!と、言葉では云いながら、威嚇の積もりで、振った刀が、

何んと!逃げようとしたお光の背中に当たり、かなり深い傷となり、鮮血が飛び散ります。すると、斬られたお光が『アレー!人殺し。』と叫びます由え、

錯乱した、作左衛門、刀でお光の首筋を、背後から突いて絶命させて仕舞うのです。暫し、呆然とした作左衛門ですが、

まごまごしていると、安兵衛が帰って来る。また、叫び声で使用人の下男、仲間、女中が来ても困るからと、

人が来る前に、庭へ飛び出して、勝手戸から外へと一目散に逃げて仕舞います。之をタッチの差で女中と仲間の角助が見付け、

直ぐに、道場で稽古中の中山安兵衛に知らせに走りますと、「エッ!。。。何ぃ、義母上様が、討たれたと?其れは一大事。」と押っ取り刀で、駆け付けたが、もうお光は息絶えて居りました。

安兵衛「おのれ!黒田作左衛門、何処へ行きやがった?!草の根分けても探し出してやる!」


直ぐに、黒田の家に行ってみると、家の中から旅支度をした作左衛門が、正に逃げ出そうとする最中で、

安兵衛「おのれ!黒田作左衛門、義母の仇め!逃がさん。」

と、叫んだ安兵衛、此れに気付いた黒田作左衛門は、草鞋履きで駆け出そうとする所を、日頃の訓練の賜物、安兵衛は小柄(手裏剣)を取り出して、

黒田作左衛門の足、アキレス腱を狙って投げ付けると、見事に命中し、作左衛門は身動き出来なくなります。

作左衛門「待て!待って呉れ、安兵衛。弾みで、お光殿を斬って仕舞った、許して呉れ、金ならやる!二十両で、い、い、い命!命ばかりは助けて呉れ。」

安兵衛「黙れ、問答無用。義母、光の仇だ、覚悟致せ!」

そう言うと、安兵衛、刀を大上段に振りかぶり、動けなくなった黒田作左衛門を、前から袈裟掛けに斬り殺してしまいます。

さて、義母の仇は、討ち取った中山安兵衛でしたが、このまま、溝口藩に居ても、出世の見込みは御座いません。

足軽として、二人扶持の下級武士で一生を終える気にはなれません、安兵衛は、江戸の大伯父、菅野六郎左衛門を頼り、

江戸表にて、この六郎左衛門の元で、剣の更なる修行をして、腕を磨いて世に出る道を模索しようと致します。


さて、次回は、いよいよ安兵衛が、江戸表へと参りまして、伯父、菅野六郎左衛門方て、修行を致しまして、あの高田馬場の決闘へと相成るところを申し上げます、乞うご期待!!



つづく