皆さん!皆さんは、『義士』と言う言葉をご存知だろうか?広辞苑によると、第一に『節義をかたく守る人。義を重んじる武士』とあり、
第二に『特に、赤穂義士のこと』とある。つまり、『義士』と言えば、『赤穂義士』を指すのが常識の世の中に成る程、
元禄年間に、最も壮烈に亡君主の仇を報じた、播州赤穂、浅野家の浪士四十余人の活躍は、令和の今も言い伝えられて御座います。
然し、本来『義士』と言えば、赤穂浪士のみを指すことではない事は、私が、今更是を広義に例を上げて説明するまでもなく、お判りだと思います。
ではなぜ、古今東西、キラ星の如く存在する義士の中から、赤穂浪士がNo.1且つOnly Oneと成ったのか?!
此れは、そのCategoryに有って、唯一無二の傑出した存在であった事の証明に他ならないからで御座います。喩えば、
『太閤』と言えば?
『黄門』と言えば?
此れもまず、99%、『太閤』は『秀吉』、『黄門』は『光圀』となるハズです。
赤穂義士も、此れ等と理屈は同じだ!と、私は考えるからで、御座います。
さて、関白は、成人天皇を補佐する行政官で、公家の筆頭職でした。藤原氏が全盛の時に、未成年天皇の補佐官、摂政と共に政を支配する為に設けた仕組です。
そして、初代関白には、藤原基経と言う人が就任していますが、全くの無名です。令和の高校生千人に聞いても、知ってるのは二十人程度でしょう。
何んせ、秀吉は関白と言う位が、全く政に機能していない時代、つまり、鎌倉以降、公家から武家に政が移った後、
謂わば、武士では久し振りに関白に成った人であり、藤原氏と、五摂家(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)以外から誕生した初めての関白であり、
朝廷から秀吉は、『豊臣』と言う姓を賜って、関白職に就任するのです。
一方、水戸の徳川光圀。この人は『中納言』だから唐土風に官位を『黄門』と呼ばれていますが、中納言は掃いて捨てるくらい世の中には居ますし、
超有名な武将、あの平清盛も、そしてあの伊達政宗も、『中納言』です。しかし、『黄門』と言えば、なぜか?徳川光圀となります。此れは、秀吉の太閤の場合とは、別の理由が御座います。
そう!!やっぱり、本、講釈、浪曲、映画、テレビ時代劇、漫画、アニメと、恐らく二百年近く、脈々と『水戸黄門漫遊記』が、日本の娯楽メディアに生き続けた結果で御座いましょう。
そして、最後に!『花』と言えばに、私は触れなければ、いけないと思います。何故なら、昭和までは、『花』は桜だったはずです。
花は桜木、人は武士
美しく咲き、一斉にパッと散る桜。この美しく可憐で潔い花を、殆どの日本人が愛し、『花』と言えば『桜』だった。
しかし、今は、コロナ禍も有り、花見すら出来ない状態。悲しい事ですな、人の心が移り変わり、『花』=『桜』で無くなる時代が、来ている様な気が致します。
さて、噺を義士に戻しますが、義士の代名詞の赤穂浪士には、この桜の花が似合うと思います。内匠頭が切腹した時期が、正に、桜の季節だったというのも有りますが、
忠臣が忠烈を示して、パッと散る姿、この潔さ、美意識が、どうしても義士と桜を結び付けて仕舞います。
そして、毎年とは言いませんが、映画やテレビのスペシャル時代劇で、五輪やW杯と同じ四年に一度でも宜いから、『忠臣蔵』をやって欲しい。
そろそろNHK!大河ドラマでやれよ。大石内蔵助には、渡辺謙か?役所広司、まぁ、市川海老蔵でも宜いけれど、
この『赤穂義士傳』を紹介しながら、私なりのキャスティングを考えたいと思います。
アさて、然らば、『義士』と言う集団を生んだ動機とは?一体、何んだったのでしょう?
其れは即ち、かの播州赤穂、五万三千石の城主、浅野内匠頭長矩という大名が、公儀の高家筆頭、吉良上野介吉央を、殿中松の廊下で刃傷に及んだからに他なりません。
そして、当時元禄年間、千代田のお城で刀を抜くだけで罪になる法度があり、其れに叛いた長矩は、あまつさえ、上野介に斬り掛かり負傷を負わせたのですから、即日切腹。
其の無念を晴らさんと、誓い合って立ち上がったのが、即ち四十余人の家臣たち、世に言う四十七士で御座います。
先程来申します通り、『義士』と言えば、『赤穂四十七士』と言う位に有名な存在ですし、日本人の心を鷲掴みにするその動機、
つまり、田舎者の純朴な殿様が、公儀高官筆頭の賄賂塗れの悪い大名に、虐めの限りを受けて、遂には堪忍袋の緒が切れて刃傷に、
しかし、公儀の裁きは片手落ち、喧嘩両成敗!とは成らず、純朴な田舎大名だけが切腹になり、浪士と成った忠臣が、亡き主君の怨み晴らさで於くべきか、と、決起!!
見事に一年後、艱難辛苦を乗り越えて、悪い高官の首を取り、其れを亡君主が眠る墓前に報告するという、こんな劇的な物語ですから、
芝居や講釈、絵草紙、浮世絵が放って於くはずが有りません。次から、次へと『赤穂義士』の作品が世に溢れた訳で御座います。
ところが!!
こうして多くの作品が世に出た結果、何が起こったか?其れは、所謂、真実への『盛り過ぎ』る演出が加えられたのです。
つまり、荒唐無稽、杜撰な取材と編集、此れ等が複雑に混ざり合った結果、何が真実で、何が虚構な演出なのかが分からなくなりました。
一方、ならばと大学者先生、室鳩巣、三宅観瀾、荻生徂徠が書いた物も、残っては御座いますが、又、此方は余りに高尚過ぎて、通俗性が御座いません。読んでいると眠くなりますよね。
そこで、今回紹介するこの小林鶯里の『赤穂義士傳』は、四十七士の真面目を失わず、荒唐無稽な付録な蛇足は極力排除しつつも、
出来る限り、通俗的で判り易く、本傳と銘々傳を仔細に紹介しながら、四十七士の傳記が判るように語らせて頂きます。
つづく