母の遺書を見付けた虎次郎は、涙を拭いて、其れに目を通します。
一筆残し候こと。虎次郎、其方は父の偉業を亨けて(うけて)能く鎧鍛冶の本分を守り、家業に精を出し、常に感服致し候。
就てはこの度、其の方の鍛えし鎧の儀は、妾(わらわ)が一命を持って一心を籠め於き候間、
対戦相手が、今貞宗の称ある文珠五郎兼次にせよ、長曾根家にとって今度(こたび)の勝負、打勝つ候事必定也。
去りながら、陰陽道に照らし、鎧は『陰』刀は『陽』に候。併して、『陰』を持って『陽』に勝り候事謂うべけんや!!
是即ち、臣が主君に挑み争うに等しく、ものの道理に逆らう、主君への恥辱に他ならず、喩え、『陰』が『陽』を討とうとも、
今日の勝負の相済み候上は、この加賀の國を去って、『陰』の温床、鎧鍛冶という職を捨てよ!!
而して(しこうして)、『陽』に転じ、其方は明日より刀鍛冶となるべし。
刀鍛冶となり、後世に長曾根の名を残されよ!其方が鎧鍛冶として、父より受け継いだ魂は、刀剣に移し、
刀鍛冶と成れば、もっと広い世間に認められて、鎧鍛冶では届く事が叶わない日本一の高見へ、其方の名前は響き轟くに違いない。
是は母の遺言である、由えに、夢々違う事なかれ!!
永らく孝道を尽くして下された段、冥土に至って父上に語り、共に其の方の守護神とならん。
死出の旅を母は急ぎます。由えに、乱筆はご容赦願いまする、では、さらば!筆を止め申し候。
あらあら、かしく
沖里殿へ 母・美代より
この遺書を目にした虎次郎は、ただただ、母の前に手を合わせて座り、落涙するばかりで御座いました。
虎次郎「お情けの厚きお言葉、思慮深き其の御心を察する事の出来なんだ事のみ悔やまれまする。
この上は、『盾鉾対決』を終えた後に、この國を捨てて、ご遺言に従い、刀鍛冶へと職を移す所存に御座います。」
と、心に決めた長曾根虎次郎沖里は、涙を拭いて、母の亡骸を家人に頼みつつ、この事は伏せたまま、金澤城へと登城致します。
さて、試合当日。中納言様をはじめ、立ち合いを許された三十人の重臣・豪商の面々が、今か?今か?と、水を打ったよう固唾を呑んで見守ります。
其処へ漸く、この度の『盾鉾試合』を仕切ります篠原頼母に同道して、自ら鍛えた鎧を持って長曾根虎次郎沖里が左側から、
そして、同じく自ら鍛えし長刀を携えて、今貞宗の誉れ高い文珠五郎兼次は右側から登場し、中納言へ一礼し、庭へと降ります。
庭はと見てやれば、紅白の幕が張られて御座いまして、その中央に虎次郎の鎧を置き固定する台座が設けられて御座います。
其処に、虎次郎は自ら鍛えし鎧をドッカと置いて、三、四歩下がった位置の床几に腰を下ろします。
一方、文珠五郎兼次はと見てやれば、付けていた裃を取り、襷十字に綾成して長鉢巻を締め、左に持った鍛えし業物を、鞘からギラりと抜き出しまして、二度、三度と素振りを始めます。
其処へ篠原頼母が二人の所へ歩み寄りまして、この二人に小声で指図をし、両人を中納言の前に引き出します。
篠原「御殿、之より両名が造りし、刀と鎧、勝負を目に掛ける前に、お言葉を賜りとう存じまする。」
言われた中納言、扇子を開き、側室と戯れて御座いましたが、キリッとした顔を造り、両名に話し掛けられます。
中納言「あぁ、コリャコリャ、虎次郎!五郎。武芸に武芸の試合は多かれど、鎧と刀の優劣を較べる武芸の試合は、加賀百万石の歴史にも初めてである。
実に珍しい誉れなれば、どちらかが勝ち、どちらかは敗れるであろうが、後日の怨恨としてはならんぞ!」
両人「有り難き沙汰を蒙り、恐悦至極に存じ上げ奉りまする。」
と、禮を申し上げて、庭へと戻りまして、左右に分かれます。沖里は鎧をより一層美しく光る様に鹿皮で磨きを掛けて、
一方の兼次は鞘に戻していた一刀を、又、ギラりと抜き身に致します。
兼次「アイヤ、長曾根氏。その鎧は間もなく、茄子か胡瓜が如く真っ二つに成る定。布で拭いて磨いてみても、片腹痛く存ずる。
もし、拙者が見事にその鎧の裏を欠かば、其方、鎧鍛冶は廃業し、拙者の弟子となり刀鍛冶にお成りなさい!恥ずかしくて、鎧鍛冶は続けられんでしょうから。」
相変わらずの傍若無人、若気の至りとは言え、怨恨は許さぬ!と、主君に言われたばかりにも関わらず、挑発的な態度を取る兼次です。
売り言葉に買い言葉、ピピッと怒りを発した虎次郎、我慢する事無く言い返します。
虎次郎「黙らっしゃい!文珠殿。お主は千里眼か?!まだ、裏を欠いてもいないその大刀を片手に、太平楽はいい加減にして欲しい。
逆に、其方は、裏を欠けなんだ場合には、拙者に何をして下さるのですかなぁ?!」
兼次「猪口才な!拙者が負ける事は無い!と、まぁ、宜い。負けはしないが、万一、負けたなら拙者が、お主の門弟となりましょう。」
虎次郎「笑止!拙者は門弟は足りて御座るし、お主の様に、井の中の天狗は無用。そうだなぁ、その方が負けた時の褒美は、後程、お願い致そう。」
兼次「オー!どうせ勝つのは拙者だ。何んなりと欲しい物を申されよ!」
闘う前から舌戦に火花散る若い二人でしたが、其処に篠原頼母が割って入り、いよいよ、二人の勝負が始まります。
篠原「では、『盾鉾試合』を始めたいと存じます。勝負は台に乗せた長曾根氏の鎧を、文珠氏が自らの手で、その鍛えし刀を用いて攻撃して、裏を欠くや?欠かざるや?で、勝負を付けるものと致す。
ただし、文珠氏の攻撃は一回のみ。由えに文珠氏の呼吸で、鎧に斬り掛かり、斬る場所は、文珠氏の勝手と致します。宜しいか?ご両人。」
両人「承知仕った!」
言われて、兼次は素振りをしたり、鎧に太刀を浴びせる部位を手で改めたり致しますが、明らかに、沖里の鎧が予想を超えて強固なのに驚き、一度きりの攻撃を躊躇して御座います。
虎次郎「五郎兼次殿、そんなへっぴり腰で、呼吸の合わぬ振りなれば、我が鎧は切れるどころか、跡すら付けられませんぞ。
せめて、跡は付けて下さい。そして、その未熟な剣の腕前を、裏を欠かなんだ言い訳にはしないで欲しい!」
兼次「五月蠅い!黙らっしゃい。全集中の呼吸が使えないでは無いかぁ!?」
結局、文珠五郎兼次は、半刻ほど『全集中の呼吸』とやらの為に費やし、漸く、半間ばかりの高さの泉水縁の石の上から、
飛び降りる様な惰性を付けて、大上段から振り下ろす刀で、鎧を立てた状態から袈裟掛けに、力任せに斬り掛かった。
リンリンリン
金の鈴を鳴らす様な美しい高音を発して、沖里の鎧は刀を弾き返し、兼次はその反動を手で支え切れず、
兼次の刀は無常にも天高く宙を舞い、二間程先の地面に落ちて突き刺さった。
すると、仕舞った!と、思った兼次は直ぐに地面に刺さっている刀を抜いて、二の太刀を浴びせようと、更に高い石燈籠の上から斬り付けようとしましたが、
検査役の家老前田主膳が、傍らより声を掛けて、
主膳「文珠氏!二の太刀は卑怯で御座るぞ!勝負の約束は、一回きりのはず。お止めなされ!」
虎次郎「構いません。勝負の相手の私が許します。文珠殿!その石燈篭の上から斬り付けるがよい。」
言われた兼次は、もう破れかぶれです。石燈籠の上から、刀は逆手に取り、突きを見舞うような体勢で、沖里の鎧を串刺しにしようと言う魂胆です。
しかし、鎧は此れをも弾き返し、遂に、兼次の刀の刃先は折れて仕舞いました。
そして、これ程の攻撃を受けながら、沖里の鎧は全く無傷で御座まして、勝負の行方は、誰が見ても一目瞭然、前田主膳から勝ち名乗りを受けて、沖里の鎧の勝ちとなりました。
ここで、三十人の観客から拍手が起きて、広げた扇子を庭へと飛ばす者も現れます。そして、兼次は余りの恥ずかしさに赤面し俯く中、
中納言様より、「虎次郎、近こう!」と声を掛けられて、庭の縁側まで、進み出た沖里は、その場に跪いて中納言の言葉をお受けします。
中納言「コリャ!虎次郎。この度の鎧と刀の『盾鉾試合』、実に天晴れである。其の方の平素よりの鍛錬の賜物であると、予は存ずる。
紛れも無く、その方は当代の名人である。之れ!褒美と盃を取らせる。より一層、励めよ!一同、本日は大義である。」
とのお言葉を賜り、虎次郎沖里は、大層な褒美の品と盃を頂戴した。
そして、この時の鎧は中納言へ献上されて、前田家の家宝となるので御座います。
虎次郎沖里は、家に帰りますと、直ぐに母の亡骸を前に、『盾鉾試合』の勝利を報告致しますが、実に虚しくやるせない気持ちになります。
悲喜交々に至るとは、正に今の状態で、母の死と試合の勝利が同時にやって来た虎次郎は、涙を堪えられず泣き続けるのでした。
一夜明け、全てを受け入れて漸く気を取り直した長曾根虎次郎沖里は、親戚一同に母の死を知らせますが、自害したとは申しません。
そして、藩の方にも此れを届け出て、野辺の送りは法の如く済ませまして、初七日。。。四十九日と供養も怠り無く、そして虎次郎、一家一門を集めます。
虎次郎「さて、各々方。今般私・長曾根虎次郎沖里は、思う所が御座まして、日本國中六十余州、修行の旅に出る覚悟を決めました。何とぞ、ご一同様にはご承知願いたい。」
と、虎次郎が発した言葉に、一同は寝耳に水!驚きました。
門弟「何を申されます!気は確かですか?莫大な扶持を中納言様より頂戴しており、先頃より一層覚え目出たき身の上が、
何んの不足が有って浪々の身となってまで、修行などなさいますや!!この國に留まって忠義をお上に尽くし、後進をお育て下さいませ!」
虎次郎「イヤ、左にあらず。この度城内大広間庭先にての、文珠五郎兼次の刀と我が鎧との勝負、之に吾が勝利出来たのは、
その命を神に捧げた母上のお陰であり、残念ながら拙者の技量による物では御座らん。
そして、鎧鍛冶を捨てこの國を捨て、刀鍛冶として他國で新たに技を磨け!と、言うのは、その一心に祈り死んでいった母上の遺言だ。
この國に留まるは我が本意にあらず。母の遺言を守って、虎次郎は新たに刀鍛冶と成る。之も皆、親孝行の為だ!分かって下され!皆々様。」
こうして、一家一門を説き伏せた虎次郎は、次に、藩へも暇を願い出て、浪々となり刀鍛冶の修行へと旅立つ事を伝えますが、
勿論、是も当然、藩の重役連中からは、大反対にあいます。
重臣「畢竟、文珠五郎兼次が当藩に召抱えられ続けておる事が、不満なのであろ?そんな、鎧鍛冶と刀鍛冶の二刀流など、
大谷翔平ではないのだから、之まで通り、鎧鍛冶だけを続ければ宜しいのだ!兼次には暇を出す由え、お主は之まで通り当家に止まれ!」
虎次郎「二刀流など毛頭考えておりません。刀鍛冶に成るのです。もう決めた事なれば、お暇を!切に、切に、願います。
そして、文珠殿には遺恨は御座らん!この度の他國への修行とは関係ありませんし、当て付けでは無いので、ご安心を!!」
結局、お上からは正式に脱藩が許される空気では無く、更に三百石から五百石への増禄の噺まで聴こえた為、
長曾根虎次郎沖里は、私財を全て金に替えて、金澤を逐電する決意を致します。そして、蓄電する前に、
なんと!無二の朋友・篠原頼母にではなく、かつての敵(ライバル)文珠五郎兼次に逢いに行くのでした。
虎次郎「文珠殿、『盾鉾試合』の折りの約束を果たして貰いに参った。」
兼次「また、何をしに来た?嫌味を言いに来たのか?」
虎次郎「いいえ違います。カクカクしかじか、拙者は、母上の遺言で他國へと修行へ参るのです。」
兼次「お主、正気か?五百石に増禄になる噺もあるそうではないかぁ?誠に刀鍛冶に成るおつもりか?」
虎次郎「ハイ、決意は変わりません。」
兼次「其れで、私に何をして欲しいんだ?」
虎次郎「ハイ、近江に居られる粟田口近江守忠綱(一竿子忠綱)殿に、紹介状を書いて頂きたい。」
兼次「分かりました。敵である私に、恥じる事なく頭を下げて頼みに来るとは、実に痛快!潔い、気に入り申した!是非、協力させて頂きましょう。」
そう言うと、『盾鉾試合』の遺恨を乗り越えて、二人の匠は、鍛冶としての互いの職人気質を感じ合えて、
兼次は、『盾鉾試合』を通し自身が感じた名人鎧鍛冶、長曾根虎次郎沖里の人と也を紹介状に認めるのだった。
《道中付》
時は慶長十九年八月初頭。秋の訪れを感じる季節に、長曾根虎次郎沖里は、心細さにトボトボと、
生まれ出でにし故郷かと、思えば名残りの惜しまれて、跡に心も能琴村、操を替へぬ松住や。
やがての末は名取川、美川招きし事なれど、旅路は淋しきものなれば、母の事をも思い出て。
心も最ど(いとど)動橋、君の情けも大聖寺、三日路過ぎて事問へば、早くも来ぬる北の庄。
此処は名に負う勝家が、滅びし所と思いでさすが、昔の忍ばれて、矢竹心の一ト雫。
折しも降り出す夏時雨、三國ヶ嶽の頂きも、霧に隠る々有耶無耶の、中に疋田も後にしつ。
来たりし所は近江の琵琶湖、志す地は都なりと、遂に西京へ着きまして、当時名高き名工の、粟田口近江守忠綱(一竿子忠綱)と言うお人の門へと入り、母の遺言守りける。
さて、刀鍛冶と成りました、長曾根虎次郎沖里は、厳しい修行の末に、其の鍛えたる刀は、岩をも徹し、更には虎をも徹す業物と、
世間の好評を得まして、これを聴いた師匠・近江守忠綱から名を『虎轍』と改めよと言われて、長曾根虎轍の誕生で御座います。
更に、虎轍は晩年、自らを長曾根沖里入道虎轍と名乗り、多くの刀剣を残す事になります。
新刀ながら、虎轍の刀剣は、古刀の名刀にも引けはとらぬと、多くの剣士達に愛されて使い続けられましたが、
その長曾根虎轍が、元は鎧鍛冶から刀鍛冶へと、母の遺言から転職したと言うお噺、どうも最後まで、皆様有難う御座いました。
完
【あとがき】
さて、上・下に分けてお届けした、長曾根虎轍のお噺。この噺は、私は生で聴いた事が御座いません。
二代の南麟先生は、やっておられるのか?途中で、金澤から富山を経て、近江、京都への旅路が道中付になっていて、実に田辺派!を、感じさせる一席でした。
母と子のやり取りが、実に武家の親子、而も職人の親子らしくて、遺書がジーンと来て堪りませんでした。
さて、次回は、又、落語になりまして、三代目志ん生になった五代目雷門助六の『滑稽花魁買』です。