飛んだ『水浴び』になり、幡髄院長兵衛は、素性を明かさずに『半兵衛』と名乗りまして、口上に臨んだら、

仲司達から、『犬の死骸』を投げ付けられてしまい、言葉のやり取りだけで、この『水浴び』を切り抜けられず、刀を抜いてしまう。

此の『水浴び』と言う大坂の年始の行事への疑問と、大坂の商人たちが、是により困った現状が有ると知って、

大坂は大河町、鹿島屋に居る朝比奈藤兵衛と直接逢って噺をして、喩え、喧嘩になろうとも、自分の考え、意見を相手にぶつけて、解決しようと出張る最中。

この道中、天王寺屋五兵衛とその手代藤吉の道案内で、鹿島屋へと向かう途中、往来に飛び出して来た男から「お控えなすって!」と、声を掛けられます。


お控えなすって! 手前、生國は江戸で御座んす。江戸、江戸と言っても些か広ぉ〜御座んす。

江戸は深川、海辺大工町、親子二代の江戸っ子で、左官源左衛門の倅で、源太郎と申します、今年二十一に成る駆け出し者で御座います。

花川戸の元締とは、深川の八幡様の相撲で、ウチのオヤジが、土俵を拵えるお手伝いをさせて頂いたご縁が御座います。

そして、本日は元締めが『水浴び』で揉めた朝比奈の野郎ん所に、出張って行きなさると聞いて、同じ江戸っ子として、

アッシも、居ても立っても居られなくなりまして、旅籠を飛び出し、此方に罷り越しました。どうかぁ!アッシを、この出入りの『喧嘩状』を渡す傳令に、使ってやって下さいまし。


長兵衛「お前さん!あの源左衛門さんの息子さんかい?!」

源太郎「ハイ、源太郎と申しやす。」

長兵衛「その源太郎さんが、なぜ、大坂に?!」

源太郎「ヘイ、仲間三人と伊勢詣でに来まして、連れの二人は江戸へ帰ったのですが、アッシは折角、伊勢まで来たついでに、京と大坂の見物に来て、

道頓堀の旅籠に泊まって居りますと、江戸の幡髄院の元締が、天王寺で『水浴び』の挨拶口上をして、朝比奈の連中と揉めと聴きまして、

其れが、宜い噂話なら放って置いた所でしたが、大坂の贅六が、口さがなく元締の事を罵りますから、江戸っ子全部が悪く言われている様で、お役に立ちたいと思い罷り越しました。」

長兵衛「しかし、お前さん、素人(カタギ)だろう?」

源太郎「この際、玄人(任侠)も素人もありませんぜぇ、元締。江戸っ子の威信が懸かる喧嘩ですから、是非、多少の縁では御座いますが、元締の加勢をさせて下さい。」

長兵衛「ウーン。」

源太郎「素人が傳令と言うのも、妙な具合です。だから、どうか元締の盃を頂戴して、貴方様の子分として、鹿島屋へ参りとう存じます。」

長兵衛「分かった!其れも宜かろう。この先で、酒屋に寄って、鹿島屋への手土産の酒を買うついでが御座る。

その酒屋にて、源太郎!お前に盃をやろう。まぁ、兎に角、江戸っ子同士でなきゃ、話が合わなくて難儀を覚えていた所だ!

カクカク、しかじか、この様な段取りで、傳令を務めて欲しい。どうだぁ?源太郎、出来るかぁ?!」

源太郎「ヘイ、勿論です。」


こうして、大河町近くの酒屋に入り、盃事を済ませると、二駄片馬の樽酒を仕入れますと、酒屋に担ぎ手の人足を頼んで、

先ずは、源太郎が一人で『喧嘩状』を持ちまして、鹿島屋へと入り、傳令を務めます。

一方、鹿島屋はと見てやれば、朝比奈藤兵衛が今年も無事に正月の『水浴び』の儀をつつがなく済ませたとあって、

藤兵衛は鹿島屋を引き上げて、宗右衛門町の自宅へ帰り、親類など身内を集めまして、既に酒盛りを始めて居りました。

源太郎「御免下さいまし!」

取次「ヘイ、いらっしゃいまし。」

源太郎「こちらは、大河町の鹿島屋久右衛門さんのお宅でゲしょうかぁ?!」

取次「サイだす。」

源太郎「此方に、朝比奈藤兵衛ッて醜い野郎は居るかい?!」

取次「『水浴び』の挨拶が済んださかい、もう、家へ居なはりました。」

源太郎「アッシは、江戸は浅草花川戸の元締、日本全國六十四州で大名相手の口入屋稼業、幡髄院長兵衛の子分で、

江戸表は深川、海辺は大工町、左官源左衛門の倅で、源太郎と申す、ケチな野郎で御座んすが、その長兵衛の名代として『喧嘩状』を持参した前触に御座います。

この度は、水掛け合って喧嘩比べに、後から長兵衛が参ります。先ずは、お近付きの印にと、藤兵衛の奴に呑んで貰おうと、二駄片馬の酒を態々持参致しました。

たっぷり水を浴びせますから、笠だろうと蓑だろうと水避けの支度をなさいまして、朝比奈藤兵衛の野郎を連れて来て下さい!宜しくお頼み申します。」

と、『喧嘩状』を渡された取次の若衆がびっくり致します。飛んでもない野郎が、転がり込んで来たと、鹿島屋は上を下への大騒ぎです。

取次の若衆から噺を聴いた、番頭と思わしき四十がらみの男が出てきて、藤兵衛を呼びにやるから待つように源太郎に申します。


一方、鹿島屋から若衆が、『喧嘩状』を渡されて、直ぐに来て欲しいと言われた朝比奈藤兵衛も、寝耳に水の驚き様です。

若衆「幡髄院長兵衛の名代と名乗る野郎が、之を持って来ました。」

藤兵衛「何んやと!『喧嘩状』やないけぇ〜。幡髄院長兵衛と言うたら、江戸の屋敷渡世の元締やぞ!

子分の数だけでも、ニ、三千人は下らんハズやぁ。そんな大親分が、いきなり『水浴び』させるさかいに、出て来いちゅうて、『喧嘩状』を送り付けるてな乱暴な噺があるかぁ?

その傳令に来たとか言う、名代は? ホレぇ、二十歳そこそこのガキなんやろうがぁ〜、偽物や!偽物。分かった直ぐに着替えて、蹴散らしに行ったるさかいに、待たしとけ!ボケぇ〜。」

そう言うと朝比奈藤兵衛、喧嘩支度を致しまして、呼びに来た若い衆と一緒に、鹿島屋を指して駆けて参ります。


源太郎「何時迄待たすんじゃぁ!煙草盆、出せぇ〜」

鹿島屋番頭「ヘイ、一服しておくんなさい。」

源太郎「おくんなさいッて、煙草盆だけよこすとは、贅六の料簡には、付いて行けんなぁ〜。煙草も一緒に出さんかい!ボケぇ〜、躾がなってないワァ!ッたく。」

鹿島屋の番頭、怒りに肩を震わせながらも、朝比奈藤兵衛が来るまではと、飲み込んで我慢致します。

鹿島屋番頭「ヘイ、どうぞ。お吸い下さい。」

源太郎「ヤイ、其れにしても、天井の高い家だよなぁ。この見世(みせ)は、誰が拵えたんだい?!」

鹿島屋番頭「番匠の銀平さんが造らはりました。因みに、江戸の大工さんを、京・大坂では番匠いいます。」

源太郎「知ってるよ!左甚五郎が番匠だろう?其れで、壁は誰が塗ったんだ?」

鹿島屋番頭「さぁ〜、左官やとは思いますが、名前までは知りまへん。」

源太郎「名も無き左官かぁ。通りで、ほら横から見てみろ、山や谷が出来てやがる。大した腕の左官じゃねぇ〜なぁ〜。

よし、ついでだからオイラが叩き壊して、全部塗り直してやろうか?どうだぁ、其処に有る丸太で、突いて壊して塗り直そうかぁ?!」

鹿島屋番頭「いいえ、其れには及びません!」

と、言っておりますと、其処へ朝比奈藤兵衛が飛び込んで参ります。

鹿島屋番頭「之は之は、お待ちしておりました、藤兵衛さん!此方が、傳令に来られた幡髄院の元締の子分で、源太郎さんで御座います。」

藤兵衛「そうですかぁ、アッシが藤兵衛に御座んす。待たせた様子でぇ、申し訳ない。」

源太郎「さて、元締の傳言を伝えに罷り越しました。元締が仰るには、今すぐ水を浴びせて差し上げますから、

笠を被るなと、蓑を着るなと支度をして、待って呉れろとの命令(いいつけ)です。さぁ、藤兵衛さん!どうする、どうする。」

藤兵衛「左様ですかぁ、只今、とくと考えて、ご返答致しますので。。。先ずは、長兵衛さんとお目に掛かって挨拶を致します。」

源太郎「今、オイラに挨拶は出来ないッてぇのかぁ?! 今は俺が元締の名代だぞ!」

藤兵衛「へぇ、今は挨拶しかねます。幡髄院長兵衛さんへの挨拶ですから、親類とも宜く相談した上で、挨拶を執り行う所存で御座います。」

源太郎「さぁ〜て、藤兵衛さん!お前さんの後から付いて来た、その十人ばかりの金魚の糞は、お前さんの子分かい?!」

と、源太郎に言われて、朝比奈藤兵衛が後ろを見ると、家から藤兵衛の跡を追って来た子分が、源太郎の言うように十人ばかり付いて来て御座います。

藤兵衛「ヘイ、アッチの子分です。」

源太郎「さぁ〜、アレがお前さんの子分だと言うなら、そんな所に突っ立ってばかりないで、喧嘩の輪に加わりなせぇ〜。

眼を飛ばして見てるばかりの臆病者なら、放っ置く(うっちゃっておく)が、俺の啖呵を聞いていて、腹を立てているんなら、何時でも相手になるから、掛かって来い!ベラ棒めぇ〜。」

この左官の源左衛門の倅、源太郎は、こう見えて計算高く賢い男で御座います。勿論、幡髄院長兵衛が後ろ盾なのを計算に入れて、

兎に角、派手な喧嘩になり、例え、手足の一本も取られても、手打ちになり、朝比奈藤兵衛からも兄弟盃が貰えたなら、

一生、親分とか兄いとか呼ばれて左団扇で暮らせますから、左官なんて稼業からは足を洗って、面白可笑しく暮らせるだろうと、算段した上で、朝比奈の子分を煽りに掛かりました。

一方、朝比奈藤兵衛の方は、売られた喧嘩は買うのが任侠道と分かっちゃおりますが、こんな源太郎の様なサンピンを、

十人掛かりで半殺しにしても、何の得にもならない事は百も承知なので、若衆に我慢するよう命令(いいつけ)て、攻める機会を伺っております。


すると、其処へ真打登場!幡髄院長兵衛がやって参ります。『ヨシ、来やがった偽物・幡髄院!』と思いました朝比奈藤兵衛。

長兵衛「源太郎、ご苦労だった。その野郎が、朝比奈藤兵衛さんかい? ヨシ、お前は天王寺屋へ戻って待って居ろ。」

そう言われましたが、ここで帰る様な源太郎ではありません。小石をニ、三個拾って、長兵衛の後ろから戦況を見守ります。すると、藤兵衛。

藤兵衛「おい!この偽物が持参した酒を利いてみろ! 水か?下見の不味い酒か?はたまた、小便に違いない。利いて中身が知れたら、此の二人を半殺しにして、跡は簀巻だ!道頓堀へ投げ込んでやれ!」

子分「親分!この菰樽の酒!上等の灘の生一本です。」

藤兵衛「何ぃ〜、するってぇ〜と、アンタ!本物かい?!」

長兵衛「そうさぁ、たまたま、大阪に来ていて天王寺屋さんから、『水浴び』の挨拶を頼まれた。

そして、大坂では、水を浴びせて挨拶をするのが敷きたりと聴いて、是非、宗右衛門町の大親分、朝比奈藤兵衛の旦那に水を浴びせて挨拶をと、

態々、此の鹿島屋久右衛門さんまで出張って来たんだ、さぁ!早速、アッシの水を浴びて、頂きましょう。」

藤兵衛「江戸の漢と言うモンは、強い者に逆らって弱い奴を助けるモンだと聴きましたが、矢鱈と他人の顔を潰しに来るんでっかぁ?!

兎に角、『水浴び』云々は、膝突き合わせて噺をしてからに致しやしょう。ささぁ、草鞋を脱いで、先ずは上がって下さい、長兵衛さん。」

長兵衛「上がるには、及ばないぜぇ、藤兵衛ドン!兎に角、此方、大坂の流儀で、水を浴びて頂きたい!さぁ、行くぜぇ!」

幡髄院長兵衛、直ぐに手桶を取ると、たっぷりの水を入れて、是を勢いよく朝比奈藤兵衛の顔面目掛けて、浴びせ掛けます。辺りは一面、水浸しで御座います。


野郎!何しやがる、もう許さなねぇ〜ぞ!!


長兵衛「さぁ!藤兵衛、表へ出ろ!相手に成ってやる。」

藤兵衛「何を抜かしやがる、猪口才なぁ!もう、容赦しねぇ〜、叩き切ってやる。」

双方、刀を取りまして表に出る。チャリン!チャリン!と、遂に、刀を振り回しての果し合いに成りますから、大勢の野次馬が大坂三郷から集まりまして、上を下への大騒ぎと成ります。


さて、事の重大さに、鹿島屋久右衛門と天王寺屋五兵衛が、藤吉と鹿島屋番頭、三平を仲人を頼みに走らせた先は、

大坂北は、天満の老松町、『百年目の長兵衛』と呼ばれる大親分!御歳七十と言う、大坂でも三本の指に数えられる人物です。

しかし、去年の暮れから、風邪をこじらせて、病の床に伏せっておりましたが、阿波の浪人で元剣術指南役の朝比奈藤兵衛と、

本多家指南役、勝浦孫之丞直伝の水鷗流居合剣法免許皆伝の幡髄院長兵衛が、刀を交えての果し合いに成っていると聞いて、

是は、俺でないと仲人は務まるまいと、思いますから、病の身体を押して、早駕籠に乗り、大河町へと飛んで来て、

黒山の人集り。野次馬ん中を、「この喧嘩は俺が預かる!」「天満の百年目!長兵衛だぁ〜、通して呉れ!」と二人の所へ参ります。


お若けぇ〜の、お待ちなせぇ〜!!


百年目の長兵衛が、幡髄院長兵衛と朝比奈藤兵衛の間に入り、二人に刀を引かせると、途端に鹿島屋久右衛門と天王寺屋五兵衛ん所の若いモンが間に入り、果し合いは中断されます。

そして、翌日、百年目の長兵衛が、幡髄院長兵衛と朝比奈藤兵衛、双方の所へ直接出向き、双方の言い分を訊いて廻りますと、

朝比奈藤兵衛の方に、やや利があると判断しまして、半兵衛何ぞと偽名を使った幡髄院の方から朝比奈藤兵衛に詫びを入れさせて、

その代わりに幡髄院の顔を立てて、『水浴び』の行事は、今年限りでの取り止めを、藤兵衛に約束させるのです。

更に、百年目の長兵衛の取り持ちで、幡髄院長兵衛、朝比奈藤兵衛、そして大坂へ戻った帆柱伊之助の三人に、五分の兄弟盃を結ばせます。

是で、双方の蟠りが消えて、酒を酌み交わし、芝居見物、相撲観戦、女郎買いと、漢の付き合いが深まると、

特に、長兵衛と藤兵衛は実の兄弟の様に仲良くなり、藤兵衛は二歳年上の長兵衛を、「江戸の兄さん!江戸の兄さん!」と、呼ぶ様になります。


藤兵衛「何んです、兄さん!何ぞ御用でっか?!」

長兵衛「いやぁ、ちょいと天王寺屋に、もう、一月以上も世話に成っちゃいるが、流石に居候が一月も続くと堅苦しい。」

藤兵衛「其れなら、儂ん所に来なさいよ。」

長兵衛「いやぁ、お前さんの所や鹿島屋さんの所に世話に成ったら、また、居候だ!

借家を借りて暫く住みたい。前にも話した通り、勿論、一年か?一年半もしたら、江戸には戻る。だから、其れを承知で俺に家を貸して呉れる大家を紹介して呉れ。」

藤兵衛「分かった。心当たりを探してみる。」

長兵衛「悪いな、兄弟!宜しく頼む。」

こうして、幡髄院長兵衛は、朝比奈藤兵衛の紹介で、難波新地に家を借りて、源太郎を下男に使って住み始める。

そして、時々芸者を呼んで仲間たちと宴会をする。そのうちに、この芸妓の中に、『梅乃』と申します年増と、長兵衛馴染みとなります。

江戸に連れて行き、自らの内儀・妾にする積もりは御座いませんが、ゆくゆくは誰か身持の宜い相手に縁付けてやろうかと思っておりました。


さて、そんな幡髄院長兵衛が、百年目の長兵衛、朝比奈藤兵衛、帆柱伊之助、天王寺屋五兵衛、番頭の蓑吉、手代の藤吉、

鹿島屋久右衛門、番頭の三平、そして源太郎で久しぶりに芸者を上げての宴会を始めております。

そして、この宴席で幡髄院長兵衛が、言い出した事をきっかけに、思わぬ方向へと、彼等全員を巻き込む事態へと発展致します。


Like a rolling stone!


其れは、坂道を下る石ころのように、小さな動機、小さな行いが、大きな流れとなり、大坂中を巻き込んで行きます。



つづく