江戸の口入屋稼業を庵崎ノ小平に任せて、江戸を旅立ち、上方へと向かう決心をした幡髄院長兵衛は、その報告を兼ねて久しぶりに水野主水の元を訪ねていた。

元水野家用人水野主水重孝は、今は仏門に入り四ツ谷『安禅寺』の隣に庵を建てて、一人、清兵衛、櫻川の鎮魂の経を唱えて、写経に励む毎日を送っていた。

主水「よく起こし下さいました、元締。」

長兵衛「主水殿、今日は、明日から江戸を離れて、京、大坂の遊山旅に出るので、暫く無沙汰になる事を報告に上がりました。」

主水「ホー、それはそれは。旅には、子分衆もお伴にお連れですか?」

長兵衛「いいえ、一人旅になります。どうしても、連れて行け!と、談判に来た子分も居ましたが、此の旅は、カクカクしかじか、

旗本奴と喧嘩をしない為の旅ですから、道中は『幡髄院長兵衛』とは知られたくない。屋敷渡世の元締、侠客の長兵衛が、東海道を京・大阪に上るとなると、

義理で挨拶に行く必要が生じる相手が、それこそ星の数ほど数多になりまして、行った先々で下にも置かないもてなしにうんざりするに違いない。

ですから、今回はお忍びの一人旅に致したいと、そう考えている訳で御座います。」

主水「其れは其れは、約束をお守頂いて、本当に有難う存じ奉りまする。では、元締のご無事な旅をお祈り致します。」

長兵衛「有難う御座います。」


こうして、秋も深まる九月、幡髄院長兵衛は、京都へと向けて江戸を出発し、途中皆様にご報告する様な事件・事故もなく、恙なく進みます。

道中、何里進むも足の向くまま、気の向くまま、そんな旅をしている長兵衛ですが、縛りが無いと返って旅は進むもの、

京の主な観光名所は一通り観終わると、奈良を見物してから、生駒山を越えて大坂へ入ろうと、そう思い立ちます。


いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな 伊勢大輔


奈良という土地は、この歌に感じます名所旧跡が点在する古都で御座います。第一に大仏、第二に鹿、そんて三番には三笠山と六角堂。

奈良を堪能しました我らが幡髄院長兵衛、大和西大寺へお詣りして、生駒山の裾野へと入り、是を越えて、大坂を目指します。

その生駒山の麓、茶屋に入りお昼を頂き、大坂の彼是を茶屋の女中から長兵衛が聴いておりますと、

一人の商人風の男が入って参ります。所謂、河内木綿、つまり表生地は松坂木綿、その裏地には派手な京縮緬で、是をチラチラ見せながら歩きます。

そして、その上からは御納戸の半合羽、鼠脚絆に草鞋履きで、振分の小さな荷物を肩に掛けて、茶を啜りながら、時々、チラチラと長兵衛の顔を確かめる様に見ております。

是に気付いた長兵衛はと見てやれば、はぁ〜、あれが道中名代の『胡麻の蝿』だなぁ?!今聴いた茶屋の女中の噺だけでは、上方の様子が宜く分からない。

ヨシ、あの伊達男が『胡麻の蝿』なら、必ず、俺に噺掛けて来るはずだ!そしたら、あの野郎を河内、大坂の案内役に利用してやろう!

そんな皮算用で、待っておりますと、大方の予想通り!その『胡麻の蝿』っぽい商人風の伊達男が、長兵衛に噺掛けて参ります。

男「旦那! まいどぉ、えらい宜いお天気でんなぁ〜。」

長兵衛「ハイ、左様でぇ。いい天気です。」

男「えぇ、ワテは天王寺の、ホレ!大坂天王寺屋五兵衛の手代をしとります、藤吉いいます。以後、お見知り於きを!ところで、アンさん、関東の方でッかぁ?!」

長兵衛「へぇ、関東モンに御座んす。」

藤吉「本でぇ、何方へ起こしですかぁ?」

長兵衛「足の向くまま、気の向くまま、遊山旅ですから、取り敢えず、この生駒山を越えて、大坂へ参る所存です。」

藤吉「ホー!遊山旅に大坂へ。にしても、アンハンの物言いさ硬い!石部金吉さんですかぁ〜、ワテも大坂へ帰りまんねん。

燃し、宜しかったら、袖擦り合うも多少の縁、此処から一緒に旅をしはりまへんかぁ〜、ワテが安上世話致しまッせぇ!」

長兵衛「藤吉さん!其れは願ってもない噺です。実は、大坂は初めてで不慣れですから、貴方の申し出は、渡に舟!宜しくお願い致します。」

藤吉「遊山旅だけに『渡に舟』は上手い!!そして、アンさん、宜しい連れを手に入れはりましたでぇ!

この藤吉がお伴ですから、之から先の旅路は、捗る一方です。安上、案内しますさかいに、大船に乗ったつもりで、宜しゅうお頼み申します。」

長兵衛「此方こそ、宜しく頼み申します。」

藤吉「硬い!硬いわぁ〜、今日日、そんな硬い物言いだと、大坂では、往生しまっセぇ!所で、アンさん!えぇ〜、煙草入れ、持ってはりまんなぁ〜、アタイに見してクンなはれ! 宜しいかぁ?すんまへん!拝見します。」

煙草入れを差し出した長兵衛、『さぁ〜始まった!胡麻の蝿の本領発揮か?!』と、半分は予想通りだが、半分は心配な気分ながら、是を藤吉に渡します。

長兵衛「煙草入れは、大した物じゃ御座んせんよ。」

藤吉「何を言いはるんですかぁ、牛皮でナメしも一流の職人の仕業でしょう?サンカの穢多や非人ではこないな丁寧な仕事は致しません。之れ、五両はするでしょう?」

長兵衛「残念、もう少し致します。十二両です。」

藤吉「アカンは!十二両とは知らずに素手で触ってしもうた!すいませんねぇ、手垢を付けて。 許して呉れますか?許して下さるなら、次は、その煙管も見せて下さい。」

長兵衛「ハイ、どうぞ!」

藤吉「やっぱり、銀でんがなぁ!無垢の銀ですやん!又、えらい細かい細工たぁ!『龍』。知ってはりまっかぁ〜、煙管に龍の彫りモンか多い理由?!」

長兵衛「知りません。何故ですか?」

藤吉「答えの前に、龍と理由を懸けて質問してまんねん、先ずは、其れに突っ込んで呉れんと!往生しまっせぇ!」

長兵衛、流石に面倒臭いと思いましたが、気を取り直して、この胡麻の蝿風の藤吉に合わせる事にした。

長兵衛「すいません、至って鈍感な方で。。。さて、龍が多い訳をお聴かせて下さい。」

藤吉「鈍感、過ぎまっせぇ、今日日の噺。でぇ、ねぇ、龍ってなモンは昔から水を司る神様でっしゃろう?水神様は龍ですがなぁ。

せやさい、火を使う煙管に、龍を彫って於くと火の用心になって、火事の心配が無いと言う、縁起担ぎなんです。」

長兵衛「成る程、半じ物。」

藤吉「あのぉ〜、そのお刀も、見せてもろうて宜しいですか?」

長兵衛「慎重に扱って下さいね、家宝で父の形見ですから。」

刀を見せろと言う藤吉に、予め釘を刺してから家宝の『彦四郎』貞宗の逸品を見せてやる事に致します。

藤吉は、渡された刀の鞘を直ぐには払わず、柄を先ずみて、目抜、目釘、そして柄と鞘に使われている鮫皮を目を輝かせて見つめます。

更に、鍔を確認し、ゆっくり鞘を払い、刃区(はまち)、棟区(むねまち)即ち、刃のある側と峰の側を注意深く観察致します。

この様子を見ていた長兵衛、この胡麻の蝿、胡麻の蝿にしては、刀に対して深い造詣があると、不思議そうに眺めておりますと、

藤吉「いやはや、旦那!恐れ入りました。こないに素晴らしい刀は久しぶりで御座います。恐らく、今年一年、この刀の神通力で、厄除け十分!無病息災に違いないです。」

長兵衛「お主は、大層刀好きの様子だか、お主の見立てでは、此の刀は、どう言う素性の品になると思われる?!」

藤吉「ハイ、目利きの様に仰られると、尻がむず痒くなりまっけど、之と恐らく同じ銘の刀を、主人の天王寺屋五兵衛が持っておりまして、

この刀の方が、一寸五分程短いんですけど、十中八九、同じ銘やと思います。之、貞宗でっしゃろう?」

長兵衛「そうだぁ、彦四郎、貞宗だ!流石、天王寺だなぁ、伊達に聖徳太子ゆかりの寺ではない。其れにしても、お主、大した目利きだぞ!」

藤吉「時に、貴方はかなりの顔役ハン、でっしゃろぉ?!其の鮫鞘、鮫皮、中身が『彦四郎』となると?!幡髄院長兵衛ハンでは御座いませんか?!」

いきなり、藤吉と名乗るこの商人風の胡麻の蠅が、『幡随院長兵衛!』と、素性を言い当てて来たので、長兵衛驚きましたが、

まだ本当の素性を明かすのは避けて、偽名を使ってこの藤吉に近付きます。

長兵衛「残念ながら、俺は幡随院長兵衛ではねぇ~。その長兵衛の弟分で、『鬼ノ半兵衛』ってもんだぁ?!」

藤吉「半兵衛さん? 幡随院長兵衛ハンのお身内では、ブツクリの清兵衛ハン、唐犬ノ権兵衛ハン、そして夢ノ伊知郎兵衛ハンは有名ですが、

鬼ノ半兵衛ハンってなお人は、ワテ、聴いた事がおまへんなぁ~?!」

長兵衛「そりゃぁ、そうだろう。俺は暫く奥州の方へ旅に出ていて、江戸は無沙汰していたから。。。又、今度も上方へ用が有っての旅になった。

でもなぁ、幡随院長兵衛の一家の事なら、何でも聴いて呉れ。オイラ、よーく知っているから。」

藤吉「まぁ、疑ってはいまへん。その刀は、どんだけ貴重な代物かは、よーく知っておりますから。さぁ、ボチボチ行きましょうかぁ?!」

そう言うと、茶屋の勘定を済ませて、二人は大坂へと生駒峠を越えて向かいます。


藤吉「さて、半兵衛ハン。あんさんに、ちょいとお願いしたい事が御座いまして、道々、聴いて貰えるまっか?!」

長兵衛「何でしょう? 改まって。。。藤吉さん。」

藤吉「あんさんを、漢と見込んでのご相談ダス。実は、大坂では正月に『水浴び』と申しますて、年始の挨拶をする行事がおます、知ってはりまっか?」

長兵衛「いいえ、大坂は初めてなので、『水浴び』は存じません。どんな行事何でしょうかぁ?!」

藤吉「ヘイ、そしたら、最初(ハナ)から説明させて頂きます。 正月の十五日に、その『水浴び』は行われまして、

家の前に、大きな盥を何段も重ね置きに致しまして、その一番上に水を張ります。その盥の中に梅の小枝を切って浮かべます。

準備が出来ましたら、その盥の塔の前に、主人と嫁の親戚一同が整列して、商売で一番世話になる船人足の座頭への挨拶を致す訳です。」

長兵衛「成程。江戸でいう『小揚げ』ですなぁ?!」

藤吉「そうです。江戸では『小揚げ』と申しますが、上方では『仲司(なかし)』ちぃ云います。例えば、米問屋へ米を運ぶ船人足は『米仲司』

そして、石を運ぶ船人足なら『石仲司』と申します。だいたい、三十人から四十人の人足が来てワイワイやりますさかいに、

大概は、その家の主人一人の挨拶口上では収まらない。つまりは、荒くれ人足をどもを抑え付けて、大人しくさせるだけの、

貫禄と流暢な喋りが必要ですさかいに、餅屋は餅屋、それそうおうの侠客に頼んで、挨拶の助っ人を呼びますんやぁ。」

長兵衛「それで?天王寺屋さんに若い衆を三、四十人連れて挨拶に来るのどなたなんですか?」

鹿島屋久兵衛の息子、久右衛門ですが、鹿島屋の上に居るんが、道頓堀は宗右衛門町の大親分、朝比奈藤兵衛という顔役なんです。」

長兵衛「ほーう、それをこれまで挨拶の助っ人として、引き受けていた御人が居たはずですが、どうしたんです?」

藤吉「ハイ、帆柱ノ伊之助って親分が之迄は、鹿島屋の挨拶を全部引き受けいて呉れてたんですが、

それが去年の暮れ、十一月の末から借金のゴタゴタに巻き込まれて、名古屋へ行ったきり、帰って来へんのですワぁ。

師走になっても戻らしまへんさかいに、ワテが名古屋まで迎えに行ったんですが、もう、名古屋を出て吉田宿に行ったと言う。

仕方ない。吉田宿まで追い掛けたんですが、もう、吉田には居らんのです。方々探してみたが行方知れず。

もう、十五日に間が無くなるんで、ワテは吉田から大坂に帰る道中!あんさんにお目に掛かった。そういう訳でんねん。」

長兵衛「理屈は判ったが、本当に俺でよいのか?! かなり難儀な役目だぞ?」

藤吉「そりゃぁもう、あんさんのその刀!『彦四郎』に惚れて、頼んでますんやぁ、宜しょうおたの申しヤス。」

長兵衛「判った!頼まれたら、断れねぇ~のが任侠だぁ。正月十五日の『水浴び』 引受たぁ!」

藤吉「其れは、おおきに有難う御座います。 では、早速、大坂に着いたら、挨拶の口上を書物にしますさかい、みっちり稽古をお願いします。」

長兵衛「稽古?挨拶の口上の? そんなもん稽古何んて大袈裟なぁ。

めでた!の若松様よぉ!ってやりゃぁ~宜いだけの噺だろう?わざわざ稽古には及ばないぜ、藤吉ドン!」

藤吉「本間でっかぁ?! アンさん、やっぱり、幡随院長兵衛ハンでっしゃろ? そうでないと、口上慣れしてはります。」

長兵衛「俺は幡随院長兵衛じゃないって、 ただの鬼ノ半兵衛だから。。。そんな挨拶の口上如き、江戸の侠客は稽古なんてしねぇ~って。」

藤吉「本間にぃ~、マジで、凄いお人やなぁ~」


と、いよいよ、生駒峠を越えて、四条畷から摂津長田へと向かう道中、五ツ半過ぎて、辺りは暗くなり始めた頃、

烏がやけに騒ぐのが気になると、感じていた長兵衛。すると藤吉がもうちょいと先に、定宿があるので少し休んで行こうと言い出します。

藤吉は、大きな松の木の根方に腰を降ろして、煙草をプカリプカリやり始めます。一方、長兵衛は竹の水筒に水を汲んで於こうと、

橋の方に近付いて、川へ降りる場所を探しておりますと、橋の欄干に三十凸凹の背の低い、小さな女性が下を見つめて佇んで居ります。


妙な女だなぁ~


と、思いますと、しの小柄な女が、いきなり欄干に足を掛け下へ飛び降り様と致しますから、慌てて長兵衛女の帯を掴んで道端に引き摺り倒します。

長兵衛「おい!姐さん、馬鹿な真似は止しねぇ~!!」

女「止めないで下さい!死なせて下さい、旦那様。」

長兵衛「死なせて下さい!と、言われて、ハイそうですかぁ?!と、答える奴が、止める訳がねぇ~だろう?

兎に角、死のうとする訳を聴かせてみねぇ~。其れを聴いて、そりゃぁ~仕方ない!と、そう思うんなら、そん時は止めやしねぇ~。

其れがだぁ、何だぁ、そんな下らない事で死ぬなよ!って、なったら、俺が助けてやるから、兎に角、理由(ワケ)を噺てみねぇ~」

女「私は大和郡山藩に努めておりました、中西藤助の妻・梅と申します。」

長兵衛「大和郡山藩と言えば、本多政勝公が元は城主で、現在は播州姫路十二万石に出世されたので、松平日向守様の領分に変わっておるはずだぁ。」

梅「ハイ、宜くご存知でぇ。その折に主人、中西は姫路へは行かず、この郡山に浪々の身で残り、この先の佐々木村で読み書き手習いの先生をして暮らしておりました。」

長兵衛「成程、それで?」

梅「ハイ、今年になりまして、主人が眼病にかかり、目が見えなくなり、手習いの仕事が出来なくなりまして、

私の内職と、家にある家財道具を売りながら、何とか生活をしております。」

長兵衛「其れは、難儀な噺だぁ。それで?」

梅「ハイ、それで遂に、武士の魂、刀を売る事に致しまして、主人が申すには三両より安くは売るな!と。

必ず、足元を見て値切るのが、上方の商人で御座います。ですから、三両で売れるまで、何軒か刀屋を廻って漸くその三両で売れたのですが、

『胡麻の蠅』に、刀屋巡りの最中に目を付けられて。。。巾着ごと摺られてしまい、三両を持ち帰る事が出来なくなったので御座います。」

長兵衛「それで?亭主に相済まぬ由え、死のうとしたと申すのか? ホラみろ!馬鹿な料簡ではないかぁ?たった、三両で死ぬなんて!」

そういうと、長兵衛、直ぐに胴巻から五両の金子を出し、それを紙に包んで、梅に渡した。

長兵衛「そのような理由で、お前が死んだら、眼病のご亭主はどうなる? 亭主も一緒に飢え死にだぞ!馬鹿者。

それに、元本多家のご浪人とその内儀となれば、拙者が五両、お貸し仕る。ご亭主には、五両で売れたと申されよ。」

梅「本当ですか?! 有難う御座います。 必ず返しますので、お名前を!お名前を!お聴きしとう存じます。」

長兵衛「まぁ、宜い!名乗る程の者では、御座らん!」

梅「そんなぁ、子供遣いではありません。お名前を教えて下さい。」

言われて、長兵衛が困っていると、後ろから、藤吉が現れまして。

藤吉「この人は、今、江戸で売り出し中の浅草花川戸の幡随院長兵衛という、屋敷渡世の元締だ!!」

長兵衛「違う!違う! 俺は長兵衛などでは御座らん!」

藤吉「お梅さんといいなさる?五両、恵んで下さった、この元締は、アッシの店、天王寺屋で暫くは居候していらっしゃるから、何時でも逢いに来て下さい。」

梅「ハイ、本当にこの御恩は、一生忘れません。」

何度も何度も頭を下げて、礼を云う梅を、長兵衛と藤吉は、佐々木村の家まで送り届けます。


藤吉「ポーンと五両出して、本多政勝公とも少なからず縁が有る。どうみても、おまはん、幡随院長兵衛さんだよねぇ?!」

長兵衛「だから、俺は鬼ノ半兵衛だって。。。」

藤吉「強情だなぁ、まいい、半兵衛さんって事にしておきます。」

そう言って、遠寺の鐘が四ツの刻(とき)を告げる頃、幡随院長兵衛と天王寺屋の手代、藤吉は、もう後二里余りで大坂天王寺の店に着くのでした。

藤吉「さて、長兵衛の半兵衛さん、正月十五日までは、特にやることもおまへんさかいに、のんびり大坂見物でもして下さい。

特に、太閤殿下がお造りになった難攻不落の『大坂城』。之を見んと何を見んねん!てなもんですワァ、今日日の噺。

江戸にも、権現様の千代田のお城があるかもしれまへんが、あんな太田さんから盗んだパチ物とは訳が違いますから。

本間にぃ頼みまっせ! 石垣、堀、城、全部天下一ですさかい、よーみて下さい。江戸城なんて!足元にも及ばしませんから。」

長兵衛「厭な、言い方するなぁ、藤吉! ちょっと待て。例えばなぁ、甲州人は武田信玄の自慢をするし、一方越後の人は上杉謙信を褒め千切る。

その間に挟まれている信州人は真田幸村と『田毎の月』、そして更科蕎麦を贔屓にする。だから、ご当地の名物を自慢する気持ちは判る。

でもなぁ、他所の悪口は言いっこ無しだぁ、俺は江戸っ子だぁ、江戸の悪口を言われると頭に来る。だから、お前の大坂に言い返すが怒るんじゃねぇ~ぞ!」

藤吉「ヘイ、何んですかぁ?!」

長兵衛「まず、大坂城は難攻不落か? それじゃぁ、元和元年五月二十日、落城していないのか?

真田も後藤も見事に散った、大坂方三万と徳川方二十万の戦は、どうなったんだ?

そして、千代田のお城は、確かに元は太田道灌公のお城だぁ、でもなぁ、それを云うなら、大坂城は元は本願寺だぞ!

千代田のお城を、お前さんは見た事があんのかい?之こそ不落の城で、前に大海を望み控えて左に坂東太郎の鬼怒川・利根川が東西を流れ、

大きな船が、この流れに乗って街を栄えさせてやがるんだ!

そして、西の空には富士山が遥かに遠く拝む形で、その背後には、日光と言う山があり、愈々という場面では、この先に会津と越後への米の道!兵糧を繋ぐ道が有る。

更には、華厳の滝!之を切り開くと、高原が広がり宇都宮へと続く大地が広がり、関東平野の恵みは、小田原、下総佐倉、川越などなど、四方八方へと無限に繋がるんだ!

つまり、江戸の城は、石垣がどうだとか、櫓が四十八有るとか、ましてや銀の大砲が備えて有るなんて次元じゃないんだ!分かるか?贅六!!」

藤吉「すんまへん、贅六言われてしもうたがなぁ。江戸っ子でんなぁ〜、幡髄院の元締は!」

長兵衛「だから、半兵衛だって言ってるだろう!!まぁ、俺も言い過ぎたが、江戸っ子を前に、千代田のお城や江戸の街の悪口は辞めて呉れ!藤吉さん。」

藤吉「そう言う所が、人気なんでしょうなぁ〜、長兵衛ハンらしくて、ごっつええと思いますワぁ。」

長兵衛「だから、俺は半兵衛だ!」

藤吉「アッ!この橋が大坂の東西南北の起点、平野町の高麗橋です。江戸で言うと日本橋みたいなもんです。」

長兵衛「すると、もう、天王寺は目と鼻先か?!」

藤吉「へえ、アレが天王寺屋で御座います。」

こうして、幡髄院長兵衛が、大坂天王寺へと到着致しました。



つづく