さて、相撲の起こりと申しますと、天照大神の御時より始まり、垂仁天皇の御砌に『相撲の節會』なるものが開催されたとされる。
まだ、その作法、規則が確立途上の中、神技年中、奈良の都に於いて、聖武天皇の時代に、近江國志賀(滋賀)の國人・清林と言う者を召して、
この作法、規則の整備を命じられて、相撲の吉田司家や各行司家に伝わる『相撲傳書』『相撲講本』『相撲式』等にその詳細が残されている。
その記述で志賀清林は、奈良時代の726年(神亀三年)に、近江国から朝廷に出仕し、相撲の技四十八手と礼法と「突く・殴る・蹴る」の三手の禁じ手を制定する事を聖武天皇に奏上した人物とされる。
やがて、出雲國・野見宿禰と言う者と、大和國・当麻蹴速と言う者を召されて、朝廷で相撲をなされましたが、
是れ即ち、日本の相撲の元祖と申すべき出来事で御座います。以後、追々盛んに相撲は行われて、北条、足利、織田、豊臣、徳川と、時の天下人に愛されたのが相撲で御座います。
そして、相撲文化が支配階級に留まらず、広く一般に浸透したのが、この徳川の江戸時代でありまして、有名な『相撲の喧嘩』が、度々起きているので御座います。

八卦宜い! 残った!残った!

木村庄太郎の甲高い声が組まれた櫓屋根に木霊します。櫻川は絶体絶命、足に俵が掛かり、東の客席からは悲鳴に近い声が聴こえます。
櫻川が必死に弓形(ゆみなり)になって、土俵を堪えますと、黒鷲がハズ押しから喉輪と、寄り切り、寄り倒しを狙って力が入ります。
そして櫻川、当初は顔面だけが真っ赤だったのが、身体を含め、上半身がみるみる赤味を帯びて。。。丸で身体中が『桜吹雪からの花筏!』
「頑張れ!櫻川、負けるなぁ~!」という客席からの声援と、行司、木村庄太郎の「八卦宜い!残った!残った!」が交錯する中、
追い込まれていた櫻川が、右上手を力強く引いて、黒鷲の喉輪が緩んだ所を、一気に頭を胸に付けて押し返し始めます。
しかし、押し返された黒鷲も、渾身の技を繰り出し、下手出し投げで押し返す櫻川を土俵中央に叩き付けよう致しますが、
そこは、櫻川も読んでおり、想定内!! 低い体勢で是を堪えて、態勢を五分に戻して中央でがっぷり四つのまま、両者全く動かない様になります。

八卦宜い! 残った!残った! 八卦宜い! 残った!残った!

行司、木村庄太郎がいくら声を掛けも両者動かなくなり、勝負審判、物言い役の手が上がり、勝負は『水入り』となってしまうのです。
両者は共に、東西の溜にドッカと座ると滝のように汗が吹き出し、それを各々の付人が拭き、風を仰いで、力水を与えます。
漸く、どちらも腰を上げて、その場で軽く四股を踏み、摺り足を使って体を整えるような動作を繰り返します。
水野「黒鷲! 無理はするなぁ~、このまま『水入り』で引き分けても、十分なんだ!二度の『水入り』と成る様なら、儂が間に入って勝負はお預けとしても宜い。」
黒鷲「何を申されます。『水入り』後は、一気に攻めに出て、櫻川を仕留めてみせまする。」
水野「本当だなぁ、努々、負ける事などないように。兎に角、負けぬように用心致せ! 宜いなぁ、黒鷲!判ったかぁ?」
黒鷲「承知仕りました。」
西側は、そんな会話が水野十郎左衛門と黒鷲勘太夫の間で行われまして、黒鷲は再度、力水を受けて土俵へと上がります。
一方、櫻川の方はと見てやれば、同じく滝の様に吹き出した汗を拭い終わると、こちらも直ぐに四股、摺り足とウォーキングアップを開始致します。
長兵衛「関取、宜くあの劣勢を跳ね返しましたね。見事ですが、怪我はありませんか?」
櫻川「危ない所でごあした。最後は、お恥ずかしい噺。母の顔が目に浮かび、それが力になって盛り返す事ができました。」
長兵衛「孝行者冥利ですね、関取。そんなお前さんの親孝行に、神も味方したに違いありません。」
櫻川「いやぁ~、実は。。。」
と、櫻川、昨夜、黒鷲との取組前に、想定シュミレーションを布団の中で繰り返していると、興奮で眠られなくなり、
火照った体を外の風で冷やそうと、庭へと出たら、母親が水垢離する姿を見てしまったという噺を、長兵衛に致しますと、
幡随院長兵衛の周りで、聴いていた田中三太夫、山脇荘右衛門、庵崎ノ小平、唐犬ノ権兵衛、夢ノ伊知郎兵衛、
皆が貰い泣き致します由えに、又、櫻川!負けられぬ理由が膨らむ結果と相なります。

やがて、四半刻の時間が流れますと、客の方がジレてしまい「早く!始めろ、行司!」と野次が飛び交います。
すると、まずは東の溜から櫻川五郎蔵が土俵へと上がり、追って、黒鷲勘太夫も土俵へ上がり、
中央で両者、『水入り』直前同様、がっぷり四つに組んで、行司が両者の背中を、ポン!と一つ叩くと勝負の再開です。
暫くは、両者相手での出方を見ておりましたが、明らかに、黒鷲の廻しの引きが弱く握力が落ちていると見た櫻川。
斜めへ、前後、鋭く踏み込んでは、尻を振るような動作で腰を切ります。これを何度か繰り返しますと、
黒鷲、溜まらずに上手を切られて仕舞い、櫻川に上手を許したまんま半身の態勢に成られてしまいます。
是を櫻川が見逃すはずもなく、直ぐに左下手で前三つを掴み、頭を脇の下に充てて、上手は浅く横三つを掴むような態勢へと移行します。
しかし、このまま斜めから寄られると、押し出されると思った黒鷲、左下手を外して、自身の脇の下に来ている櫻川の耳の後ろを思いっ切り突きます。
強引に、相手の耳に指を入れて、そのまんま地面に押し付けるように、櫻川の横顔をエラを握り潰す感じで力を入れて参ります。
すると、是を見て居た客席から「卑怯者!」「恥を知れ!」「シャープ兄弟!」と、野次が飛びますが、黒鷲はそんな事はお構いなく、
右手で前三つを取られている櫻川の腕を掴み、左手ではその横顔を地面に押す感じで握り潰しに掛かります。
櫻川の耳の後ろからは血が流れ出し、黒鷲の『お前はフリスクフォン・エリックか!?』と云いたくなる様なアイアンクローを受けながら、
右上手を掴み直す櫻川。そして、一発出し投げ気味に上手投げを振るうと、黒鷲の体が浮き気味に流れてしまい片足でケンケンするよな姿勢で左手を離してしまいます。
すると、次の瞬間。櫻川は、右上手を十分に引き付けると、左下手の捻りを加えて、渾身の上手投げを繰り出します。
黒鷲の身体は、完全に宙を舞い、土俵上で一回転! そのまま西の溜席からハミ出すくらいに頭から突っ込んで気絶してしまいます。

櫻川! 漢伊達! 日本一!

短い掛け声の後は、万雷の拍手で、客席全員が立ち上がり、全員が着物を脱いで、帯も羽織も土俵に投げ入れます。
そして、「櫻川!」「漢伊達!」「日本一!」の声が何時までも、何時までも鳴り止みません。
漸く暫くして、一人伸びている黒鷲関を、同門の後輩が担ぎ上げて、戸板に乗せて支度部屋へと引き上げに掛かりまして、
客の殆どと、東の溜席の幡随院一家の面々が恵比寿顔で、この歓喜を楽しむ中、水野十郎左衛門一派だけはお通夜のように足取り重く、
黒鷲関の戸板を先頭に、支度部屋へと静かに消え去ろうとしております。と、そこへ死者に鞭打つような言葉が浴びせられるのです。

黒鷲! 水野みたいな!因業旗本の贔屓を持つと、飯も食わせて貰えないのか?
白いおまんまなんて、めったに食べないから、力も出まい!!
同じ鰻でも、櫻川は胴の身喰っているが、黒鷲!貴様は、悲しい半助ばかりか?!
今日も家に帰ったら、水野に頭を喰わせて貰うのか? ご愁傷様!!

相撲の喧嘩 『きっと血の雨が降る』

そう言われた櫻川と黒鷲の取組でしたが、勝負が決してみると以外にも、負けた方は怒りの前に覇気を失い。
勝った方は、客と一体になって『喧嘩』どころではない、喜びに包まれてお祭のような状態になりまして、
是も一重に櫻川五郎蔵とう力士の人柄のなせる業。そうに違いないと、幡随院長兵衛は我が事の様に喜ぶのでした。
そして、双方支度部屋を暮六ツ過ぎに出ますと、双方勿論どちらも勝つつもりで、祝勝会場の料亭を押さえて御座います。
勝った櫻川の幡随院長兵衛御一行は、料亭『浅田屋』(妖しい手品師な名前の料亭)、一方の水野十郎左衛門御一行は、料亭『巴屋』で御座います。

此方はその『巴屋』で御座います。まぁ、誰もが『貝になりたい。』中、怒り心頭!!水野十郎左衛門が口を開きます。
水野「おい!近藤氏、黒鷲を呼べ。早く、此処へ!勘太夫を呼べ!!」
近藤「御意にぃ!」
そう答えて近藤登之助が障子戸を開けると、庭に正座の黒鷲勘太夫と、その露払い弟弟子の、鶯谷次郎吉と若松釜右衛門の二人が控えて御座います。
水野「さぁ、勘太夫!座敷へ上がれ。 貴様!今日の相撲、アレは勝ったのか?それとも負けたのか? 有体に申せ!有体に。」
そう言われて、庭から上がって来た黒鷲関でしたが、流石に敷居が高く、手前の廊下に正座し、
黒鷲「えぇ~。。。えぇ~。。。面目。。。御座いません。」
と、絞り出すような小さな声で云うのが精一杯で御座います。しかし、
水野「えぇ~では分からぬ。勝ったのか?負けたのか? そう聴いておる。」
黒鷲「勝負には勝ったのですが、相撲では負けてしまいました。」
水野「田分け!そんな屁理屈を聴きたい訳ではないワぁ! 馬鹿者めがぁ!!
貴様、昨日何んと申した?! 万に一つも櫻川には負けぬと言ったはずだ。そこになおれ! 直ちに、この場で貴様の首を跳ねて呉れる。」
近藤「お待ち下さい、水野様。 この場で相撲取の首を跳ねるなど、直参旗本がやってはいけません。お怒りは重々判りますが。。。」
水野「恥の上塗りになると申すのかぁ?!」
近藤「いいえ、決してそうは申しませんが。。。」
水野「だから、儂は申したのだ。向島へ花見に参ろうと、それをお前が。。。どうしても櫻川五郎蔵との取組をすると言って聴かぬから。。。それでやらしてみたら、このザマだ!!」
黒鷲「申し訳ございません。」
廊下の板の間に、額を押し当てて、土下座をする黒鷲。それを、水野十郎左衛門が冷徹な視線で睨み付けます。
水野「貴様は、直参旗本八万騎の威信を地に落としめた。その罪は、命を賭して償え!と、言いたい所だが、取組を許した拙者の責任もある。
ただ、もう、これまでの様にお前を贔屓し続ける訳には行かぬ。今日只今限り、縁を切らせて貰う。正直、拙者、二度とその方の顔を見たくない!!
之は手切れ金だ!!」
そう言うと、水野十郎左衛門は、懐中から紙入れを出して、バラ銭で十両の金子を投げ付けるように黒鷲に渡し、その場から立ち去る様に命じた。
水野「二度と拙者の前に、その面を出すなぁ、燃し見たら無礼討ちに致す。それから、懸賞に出した宝刀『兼光』、これは武士の情けだ、その方に呉れてやる!、有難く思え、黒鷲。」
水野が放うり投げる様に与えた金子と刀を、みじめに拾う黒鷲と、露払いの弟弟子二人、そして逃げる様にして、巴屋の庭から姿を消す三人でした。

朧月の夜道を、トボトボ歩いて部屋へと帰った、黒鷲勘太夫と、弟弟子の鶯谷次郎吉と若松釜右衛門の三人。
部屋には、まだ、入門が許されていない黒鷲の直弟子、権助が留守をしておりまして、「お帰りなさいまし!!」と、元気宜く三人を出迎えます。
黒鷲「五月蠅い! 場面を考えろ。」
次郎吉「そうだぞ!空気を読め。」
釜右衛門「兄弟子、黒鷲関、これからどうします。」
黒鷲「どうしますも、こうしますも。。。 水野様には見放され、大観衆の前で、櫻川に完敗したのだ。江戸で相撲はもう務まるまい。」
次郎吉「どうするんですか? 上方へでも落ちますか?」
黒鷲「そうだなぁ、『捲土重来』 ひとまず、水野の殿様から頂戴した十両と、箪笥の中の金目のモン、
それに頂いた『兼光』を叩き売れば、何とか上方へ出る四人分の路銀くらいには成るだろう。」
釜右衛門「黒鷲関、それにしても、櫻川の野郎、このままにして逃げるんですか?」
黒鷲「何が言いたい!釜右衛門?!」
釜右衛門「何がじゃありませんよ、最後に仕返しをしてから、江戸を立っても、遅くはないと思うんですが?」
黒鷲「仕返しだぁ?!」
釜右衛門「へい、奴等、浅田屋に行ったのは判っているんだ。夜陰に紛れて、入谷田圃の藪ん中に埋伏して、突然斬り付ければ櫻川のタマ!取れますよ、関取。」
黒鷲「闇討ちにしようってのか? 櫻川を。」
釜右衛門「へい。」
次郎吉「そいつはいい。櫻川を殺(や)っちまえば、燃しかすると、水野の殿様も、アッシらを許して下さるかも知れませんよ、黒鷲関!」
黒鷲「うーん。」
釜右衛門「悩んでいる場合じゃありませんよ。アッシと次郎吉も手伝います。三人で闇討ちにしましょう!櫻川の野郎を。」
次郎吉「権助! お前、ひとっ走りして、水野様たちが居る『巴屋』へ行って、櫻川の首を直ぐにお持ちします!と、水野様にお伝えして来い。」
権助「へい、ガッテンです。」
黒鷲「ヨシ、判った。釜!次郎吉、喧嘩の支度だ!!」
釜右衛門・次郎吉「ヘイ、ガッテンだぁ!!」

三人は手甲脚絆に、草鞋履きとなり、襷十字に綾なして、着物の裾は尻端折りで、脇差を落とし差しにして入谷田圃を目指します。
黒鷲「入谷田圃へ向かうのは宜いが、櫻川の野郎を何処で待ち伏せするつもりだ? 釜右衛門。」
釜右衛門「それには、お誂え向きの『庚申堂』が在りヤス。櫻川の家向かう道中ですから、
必ず、野郎前を通ります。だから、そこに隠れて油断している所を斬り付ければ、間違いなく、野郎!あの世行きです。」
黒鷲「じゃ、ヨシ、その庚申堂で埋伏しよう。」
そう云って、今か?今か?と、櫻川が家へ帰るのを、三人で待ちますが、五ツの鐘が聴こえて来るのに、櫻川は現れるません。
そると、そこへ巴屋へ『櫻川の首を取って来ます。』と、言上申し上げて権助が戻って来ましたが、一人では御座いません。
白柄組でも屈指の剣客、長澤庄九郎が付いて来ております。
黒鷲「これは、庄九郎先生、どうして此処へ?!」
長澤「この小僧が、殿様に『櫻川の首を取る』と、啖呵を切るもんで、びっくりして。。。それで俺が様子を見に来たって訳だ。
黒鷲、拙者が来たからには、もう安心だぁ、大船に乗ったつもりで、しっかりと櫻川を闇討ちにして呉れ。」
黒鷲「ご助成、有難う存じます。」
そう云って、闇討ちする面々は、長澤庄九郎を加えて五人となりまして、加わった長澤庄九郎、直ぐに庚申堂裏の竹藪へ入り、竹槍を拵え始めます。
そして、遠寺の鐘が時を告げ、遂に、九ツの鐘が聴こえて参りまして、辺りはいよいよ静かで、時折、犬の遠吠えだけが聴こえて参ります。
いやはや、燃しかすると今日は、幡随院長兵衛ご一行は、浅田屋から直接、𠮷原へと送り込まれていて、櫻川、帰らないつもりなのでは?と、黒鷲、心配になり始めます。
すると、その時でした。地びたを踏む雪駄の音と共に、何やら二人で喋る男同士の声が聴こえて参ります。

清兵衛「だから、俺はあの二人と呑むのは嫌いなんです。権兵衛も伊知郎兵衛も、長兵衛殿が小遣いを渡した瞬間、自分たちだけで仲(𠮷原)へ繰り出して。。。ったく!」
櫻川「まぁまぁ、あの二人の仕切りの宜さもあって、今日は『血の雨』が降りませんでした。それが何よりです。お客様、素人さんに喜んで頂けて何よりです。」
清兵衛「本当に、関取はお優しいから。宜い大関になりますよ。今場所、これで三役は間違いなしだから、来年の春か?暮れには大関が見えて来ますね。」
櫻川「いやいや、まだまだでごんす。母にも日頃から言われております。常に、謙虚に支えて下さる皆さんへの感謝を第一に、相撲道に精進致します。」
清兵衛「いいなぁ、その親孝行な所に、長兵衛ドンも、俺も、そして、本多の殿様までもが惚れたんだよなぁ。」
そんな噺をしながら、ブツクリの清兵衛が、ブラ提灯を持って、一歩半程、櫻川の前を歩いております。そして丁度、庚申堂の前に差し掛かった、その時!!
いきなり、扉が開いて、中から四人の黒い影が飛び出して来て、真っ先に、清兵衛の持っているブラ提灯、その持っている清兵衛の手ごと、黒鷲が、其れを斬り落とします。
腕の肘関節から綺麗に斬り落とされて、転がる提灯が消えてしまい、「ギャッ! 痛てぇ~」と叫ぶ清兵衛の声。しかし、そんなのお構い無しで、次郎吉と釜右衛門が、
だいたいの目見当で、清兵衛の脇腹と胸を刀で突き刺しました。「ギャッ! うーん」と声を発します清兵衛。すると、差した刀を柄を握って回す次郎吉と釜右衛門。
刃がドリルの様に刺さったまんま回りますから、清兵衛、溜まったもんじゃない。口から鼻から、耳からも血を流して絶命!その場に倒れてしまいます。
さて、一方、目の前で清兵衛を殺された櫻川五郎蔵。朧月の光で、相手は四人飛び出して来たのを確認して、直ぐに竹藪へと身を隠します。
この櫻川五郎蔵、幡随院長兵衛から、勝浦孫之丞直伝の水鴎流居合の極意を学んでおりますから、ここは敢えて闇に隠れて目に頼らず、耳で相手の位置を聞き分けて、
相手が闇雲に斬り込んで来るところを、カウンターを奪って、一撃必殺、首を斬り落とす作戦に出ます。
目の前で、ブツクリの清兵衛が殺された櫻川、何としても仇は自分の手でという、強い信念で、復讐の鬼と化しているので御座います。

まずは、釜右衛門が、闇雲に振り回す刀の風切り音から、相手の位置を想像して、『この辺りに首が在るハズ』と、鋭く居合の極意で刃を繰り出すと、
正に、「椿の花の落ちるが如く」、釜右衛門の首が ボトン! と、音を立てて地面に転がり、それが後続から櫻川を狙って居る黒鷲の足元へやって参ります。
黒鷲「誰だ!殺(や)られたのじは?」
次郎吉「次郎吉、アッシじゃありません。」
権助「オラでも、ねぇ~です、親方。」
黒鷲「釜の野郎が。。。畜生。 櫻川、死んで貰う。」
そう言うと、黒鷲は、権助を人間の盾にして、先に斬り掛かる様に、権助の尻を蹴ってから斬り込ませて、櫻川が首を斬り落とした直後、
二の太刀で、斬り掛かるという卑怯千万な作戦で、櫻川を仕留めようと致しましたが、その気配と足音を読まれて、
返す刀で、黒鷲は横真一文字に首を跳ねるられて、黒鷲の首は竹藪の中、天高く舞い上がって、ドスン!と鈍い音をさせ落ちて参ります。
最後に残った鶯谷次郎吉、「破れ!かぶれ!だぁ~」と、玉砕覚悟で、櫻川が潜んでいる暗がりへと突いて出ますが、
簡単に体を交わされて、前のめりに突っ込んで、コケて倒れた所を、後ろから馬乗りに成られて、首を刺されて絶命致します。

さて、黒鷲たちの闇討ちは、見事に返り討ちに仕留めた櫻川。まずは清兵衛に駆け寄って、少しでも意識があるかと確かめますが、
二本の刀を胸と脇腹で、ドリルされておりますから、内臓はズタズタで夥しい出血ですから、全く息は御座いません。
ブラ提灯の腕を剝がして、これに火を点けて、辺りの死骸の様子を確かめに掛かります。黒鷲、次郎吉、釜右衛門、そして権助を認めて、手を合わせた、その時でした。
背後から音も無くやって来た、長澤庄九郎。竹槍で、櫻川五郎蔵の脇腹を、思いっ切り突き刺しました。

ブズ!!

「何んじゃコレ!」と、櫻川が叫んだかは定かでは在りませんが、即座に、竹槍を刀で真横に切って、黒鷲の襷を取って腹を止血しましたが、
気を失う様な激痛が襲い、出血が激しくならぬ様に竹槍を抜かぬまま、必死の思いで我が家まで、這う用にして辿り着いた櫻川でしたが、玄関のけたたましい物音で母親が駆け付けた時には、もう虫の息です。
母「五郎蔵! どうしたんです。何がありました?!」
櫻川「母上、約束通り。。。勝ちました。」
母「五郎蔵! 喋りなさんなぁ、五郎蔵!母より先に逝くのは親不孝です。」
櫻川「申し訳御座いません。」
母「五郎蔵!五郎蔵!五郎蔵!」
虚しく朧月夜に、母親の「五郎蔵!」と、泣き叫ぶ声だけが木霊する。末は大関か?!と期待されながら、早雲戸部屋の櫻川五郎蔵は二十五歳の短い生涯を終えるのだった。


つづく