幡髄院長兵衛と、庵崎ノ小平、そして山脇荘右衛門の三人が玄関を出て、門の所まで参りますと、先ほどまで屯していた法華の子分の姿が御座いません。
小平「厭な予感がしますぜぇ、元締。」
長兵衛「確かに、法華の屋敷に急ごう!!」
三人は、駆け出すようにして、幡随院の家から三、四丁離れた所にある法華ノ長兵衛の屋敷に来て見ますと、人の気配が御座いません。
山脇「幡随院のぉ、こりゃぁ、法華の野郎、姿を晦ましちまってるぜぇ。」
長兵衛「その様だなぁ~。」
小平「『幡随院の元締に談判する!』と、言って飛び出した、アッシの身体(ガラ)を押さえる事が出来ねぇ~もんで、逃げたんですね、法華の野郎。」
長兵衛「其れにしても、意気地の無い野郎だぁ!と、言って『彦四郎』は諦められねぇ~、困ったなぁ。」
小平「流石に、子分全員連れて逃げているハズはありません。アッシが何とか、法華の隠れ場所を探ります。」
長兵衛「頼むぜ、こうなるとお前さんだけが頼りだ、小平。」
小平「ハイ、任せて下さい!必ず、野郎の潜伏先を突き留めてみせます。」
こうして、庵崎ノ小平は、幡随院長兵衛の新しい身内となり、浅草猿若町に家を借りて女房子と一緒に住むようになり、長兵衛の商いを手伝う事になる。
この一件が起きたのが、桜の三月、それからもう三ヶ月が過ぎ六月も半ば過ぎになっていた。
庵崎ノ小平は、改心した様子で、まぁ、能く働いた。長兵衛も小平には目を掛けて、徐々に大きい仕事を任せるようになり、
世間は、長兵衛を大元締、小平の事を元締と呼ぶようになる。もうこうなると、小平も若衆の四、五十人も使う立派な親分で、
女房のお葦は、『姐さん!姐さん!』と呼ばれ、まだ、赤ん坊の小吉を、子分達は『若!若!』と、呼ぶのであった。
この時分、幡随院長兵衛が活躍した時代には、まだ、吾妻橋が御座いません。由えに、浅草から向島方面に行くには船の渡しを使います。
この日も小平が橋場で船を拾おうとしておりますと、見覚えのある男が同じく船を待っております。『あっ!野郎。。。』
そうです。この橋場で見付けた野郎は、小平が法華ノ長兵衛の子分だった時代に、同じく四天王と呼ばれた橋場ノ半七です。
小平「久しぶりだなぁ~半七。どうでぇ~ 元気にしていたのかい?!」
呼ばれて、後ろを振り返ると、そこには法華の四天王時代仲の宜かった小平が居ますから、一瞬、驚いた様子を見せますが、
小平の服装(なり)が余りに立派なもんで、笑顔に代わり、寄って参ります。
半七「おー、兄弟、久しぶり!。。。参ったねぇ~、大分羽振りが宜さそうじゃねぇ~かぁ~。
まぁ、元気かぁって訊かれたら、元気だけが取り柄みたいなもんだから、元気ちゃぁ、元気だが、金欠、借金で首が回らねぇ~。」
小平「其れはそうと、お前! 法華の居場所を知っているか?!」
半七「あぁ、知っているよ。其れがどかしたかい。」
小平「そんなに銭に困っているんなら、其れを俺に売って呉れねぇ~かい?」
半七「幾らで買って呉れる? あぁ、其れより、お前、法華の親分に盃返してから、すっかり料簡を入れ替えて、大した羽振りじゃねぇ~かぁ。
浅草界隈じゃ、元締とか兄ぃ!とか呼ばれて。。。法華の子分だった時代とはえらい違いだ。俺もあやかりたいぜぇ。
だから、法華ノ長兵衛の逃げた先は教えてやるから、代わりに、幡随院長兵衛の大元締に紹介して呉れ。俺も子分にして貰いてぇ!」
小平「ヨシ、宜いだろう。俺が口利いてやる。 だから、直接、幡随院の大元締には、お前から法華の居場所を喋るんだ!宜いなぁ?半七。」
半七「あぁ、構わねぇ~。しかし、其れにしても、法華ノ長兵衛が江戸表を離れて、もう三月以上になる、其れをまだ探して居るって事は、例のスリ替えした刀、『彦四郎』だなぁ?」
小平「そうだぁ、幡随院の元締が、命の次に大切になさっている刀なんだ!どうあっても、法華の野郎から取り戻したい。
ただ今日、いきなり幡随院の元締の所に連れて行く訳には行かないんで、この跡、俺が長兵衛の元締には噺を通しておく、
そうだなぁ、明日、柳橋の万八楼で五ツに来れるか? 俺の名前で予約して於くから必ず来て呉れ!」
半七「判った合点だ! 明日、五ツに柳橋の万八だなぁ!」
そう言って別れた庵崎ノ小平は、両国での用事を済ませると、花川戸の幡随院の家を訪れて、昼間、橋場ノ半七と会った噺を致します。
長兵衛「そいつはでかした!小平。 判った五ツに柳橋の万八楼だなぁ、暮れ六ツ過ぎたらお前も俺ん家に来い、一緒に駕籠で出掛けよう。」
小平「ヘイ、承知致しました。」
翌日、二丁の駕籠に乗り、幡随院長兵衛と庵崎ノ小平は、両国柳橋の万八楼へと、橋場ノ半七に逢う為に出掛けた。
長兵衛「其れで半七、法華ノ長兵衛は何処に居るんだ?!」
半七「ヘイ、それは奥州岩沼で御座んす。 岩沼には、法華ノ長兵衛の妾が居りまして、その妾ん所に転がり込んで居りやす。」
長兵衛「そうかぁ、そいつは都合がいい。直ぐにも岩沼へ向かおう。」
半七「いえいえ、大元締、賭博打って生き物は、どんな田舎でも『祭禮の花会』だと聴くと、飛んで出掛けて仕舞うもんで御座んす。
今から岩沼くんだりまで出張って行って、法華の野郎が留守で取り逃がしてしまうと、二度と『彦四郎』は取り戻せなくなりますぜぇ。」
長兵衛「其れじゃぁ~、どうすれば宜いんでぇ。 突き当りまで判る様に説明して呉れ!」
半七「ヘイ、ここは一つ、八月十五日の二本松の八幡宮のお祭まで待つんです。
法華が今居る岩沼の近くで在る花会ん中じゃ、群を抜いて一番デカい花会だ! きっと法華の野郎、この花会にやって来ます。」
長兵衛「なるほど! あと一月半、辛抱しろって事ったなぁ?!」
半七「そうです。野郎まだ居所がバレたなんて知りませんから、二本松の八幡宮で待ち伏せするのが得策です。」
長兵衛「ヨシ、有難うよぉ、半七。何んなりと願いを云って呉れ!この幡随院長兵衛が面倒みるぜぇ!」
半七「ヘイ、其れでは遠慮なく、出来れば、大元締の子分にして下さい。一家の末席にお加え下されば、身を粉にして働きます。」
小平「元締!アッシからも、お願げぇ~します。」
長兵衛「判った。考えておく、悪い様にはしないから、半七!暫くは小平の下で働け!」
家宝の刀『彦四郎』を持ったまんま江戸表から逃げた、法華ノ長兵衛は奥州岩沼に潜伏している事が判った。
其処で幡随院長兵衛は、久しぶりに本多家、留守居役、櫻井庄右衛門の元を訪ねて、八月十五日、二本松迄の道中の手形の手配などを相談した。
庄右衛門「そうかぁ、『彦四郎』を盗んで逃げた賊の潜伏先が判ったかぁ!」
長兵衛「ヘイ、また、小平の奴が宜い仕事をして呉れました。」
庄右衛門「長兵衛、お前は宜い子分を持ったなぁ。庄次郎の件では多大な恩を感じているから、一日も早く『彦四郎』が戻る事は、拙者の願いでもある。
儂に出来る事ならば、何んなりと言って呉れ! 櫻井庄右衛門、協力は惜しまないからなぁ、長兵衛。」
長兵衛「そうですかぁ、其れでしたら、二本松までの道中の手形を手配して頂きたいです。」
庄右衛門「其れは容易い(たやすい)事だぁ、殿に頼んで我が藩の商用で二本松へ向かうという名目で、幕府に願い出よう。」
長兵衛「早速のお返事、痛み入ります。」
庄右衛門「其れに、二本松というのは都合がいい。二本松はつい最近國替となって、丹羽左京太夫重光様が領主となられた。
丹羽様と殿は古い知合いでのぉ。名門丹羽家が、関ヶ原の戦いで改易となり、漸く三十数年係り復興できた。
代わりに改易となった、加藤民部大輔明利殿にはお気の毒だが、丹羽左京太夫と我が殿は竹馬の友由え、大船に乗ったつもりで居て呉れ、長兵衛。」
長兵衛「左様でしたかぁ、其れは其れは心強い。」
こうして、長兵衛が櫻井庄右衛門を通して、本多家に手形の手配をお願いすると、二本松への出発前に壮行会をやろう!と、政勝公が言い出されて、
七月下旬、晩夏というより、秋の気配を感じる頃。 本多大内記政勝公の江戸上屋敷に呼ばれた幡随院長兵衛。久しぶりに懐かしい面々と酒宴を楽しみます。
揃いました顔ぶれはと見てやれば、当主・本多政勝公、江戸家老・田中三太夫、奉行の村上大膳、目付役の酒井主水之丞、勝浦孫之丞、
そして、留守居役の櫻井庄右衛門とその長男、庄太郎で御座います。
政勝「本日は、塚本伊太郎改め、幡随院長兵衛の二本松への旅の無事を祈る会だ、無礼講と致す。一同遠慮は致すなぁ!」
三太夫「やはり、この面々が揃いますと、思い出されるのは『曲毬』の一件で御座るなぁ!大膳どの。」
大膳「拙者は、その儀なれば、長兵衛殿に二百石の借りが御座いますなぁ。」
主水之丞「二百石など、今の長兵衛にとっては屁の突っ張りにもならぬ禄で御座いましょう。本に長兵衛は、宜い漢になり申した。」
三太夫「そうだ、長兵衛、お主はもう直ぐ三十であろう? 嫁は貰わぬのか?」
長兵衛「ヘイ、貧乏暇なしで、なかなか女と出会う機会が御座いませんし、町奴の元締など致しておりますと、恐がって嫁の成り手も御座いません。」
三太夫「そうかぁ、そうかぁ、しからば、拙者がお前に宜い嫁を世話してやろう!」
庄右衛門「本当ですか?!田中様。 私も機会があればと、長兵衛に似合う嫁を探しておりますが、帯に短し襷に長しで、宜い女子(おなご)が見付かりません。」
政勝公「三太夫!苦しゅうない、その長兵衛に相応しい女子、この場で申してみよ!」
三太夫「其れは、拙者の姪っ子、鉄砲組頭、黒川様の所に養子に行った我が舎弟の娘、蘇乃に御座います。」
主水之丞「蘇乃どのとは、あの伝説の蘇乃殿に御座るか?!」
孫之丞「もしかして、拙者と強引に見合いをさせた、あの蘇乃殿ですか?!」
大膳「家中の連続お見合い記録、九十四回を現在更新中の蘇乃殿ですかぁ?」
庄太郎「確か、歳は拙者の二つ下の蘇乃さん?!ですか?」
三太夫「何を仰る各々方。蘇乃の何処かに問題でも御座いまかなぁ?!」
孫之丞「大有りです。 まぁ、家事全般に一切、何も出来ないと評判です。武家の娘とは言え、飯炊、洗濯が出来ないのは致命傷です。」
主水之丞「習い事は一通りなされたそうだが。。。豚の喘息みたいな謡、悪魔の呪いの様な清本、飼い犬が鬱病になった三味線を嗜むとか。」
大膳「其れでも、色白、美人、ぽっちゃりなど容姿が優れているのなら、許しますが、六尺近いガリガリで真っ黒の牛蒡の如く、そしてお顔は能面です。」
庄太郎「黒川家の七百石が付いていながら、家中は勿論、旗本の次男・三男、浪人者ですら貰い手がないのですから。」
三太夫「えーい!我が姪っ子を愚弄するかぁ!一同、無礼であろう?」
政勝公「無礼で宜しいのだ、三太夫。今日は無礼講である。 其れにしても、そんな女子を長兵衛の内儀にしようとは、三太夫!だから、お前は。。。」
三太夫「殿!判りました。皆まで言わないで下さい、どうせ、私は馬鹿です、アホです、酒井弾正殿には及びません!!」
政勝公「拗ねるでない、三太夫! 今日は長兵衛の壮行会ぞ、一同が愉快、楽しくなるように、さぁ!三太夫!踊れ!舞え!無礼講じゃ!無礼講じゃ!」
長兵衛は、本当に宜い家中で育てられたとつくづく思った。この殿様だから、家来は命を懸けてお支えするのだと、長兵衛は思のだった。
翌日、本多政勝公は、早馬を仕立てて、二本松の丹羽左京太夫重光様宛に書状を送られた。
長兵衛の性格は、あの曲毬吟味以来百も承知。殿様からの助けなど借りたくないはず、予が助成すると言えば断るに決まっているので、
是ぞ、親心と言うかぁ、政勝公、二本松に『幡随院長兵衛と言う、何者にも代えがたい我が息子の様な奴を遣わします。』と前置きして、
『彦四郎』を取り戻す為の二本松訪問である事を申し述べて、必ずや生かして江戸へ返して下さいと書状を結んでいた。
是を読んだ重光公も、本多大内記がこれ程に惚れる漢ですから、当然、興味が湧きます。市中奉行と目付役に命じて、
二本松八幡宮の祭を見張らせます。そして、幡随院長兵衛の邪魔をしてはいけないが、この者に怪我をさせたり、間違っても命を落とす様な事があれば、
お前たちは、即刻、打首!お家は改易! そう思って任務に励め!と、下知を飛ばしますから、奉行も目付も何事か?!と思います。
一方、長兵衛の方はと見てやれば、幕府からの通行手形が降りますと、直ぐに小平一人を従えて『彦四郎』奪還の旅へと出発します。
そして小平の腰には『坂東太郎卜傳』の一口 (ひとふり) 、そして長兵衛自身の腰にも『相州住秋廣』が御座いまして、あの日と同じで御座います。
さて、いよいよ、家宝の刀『彦四郎』奪還の為、幡随院長兵衛が二本松の地へと赴いて、向こうの侠客と交わりながら、
憎い仇、法華ノ長兵衛から、『彦四郎』を取り戻す! 舞台は、晩夏の二本松八幡宮の祭禮、お會式賭博の花会で御座います。
この祭禮の賭博を仕切るのが、元新潟の親船船頭で『福神丸の喜太郎』、そして喜太郎の懐中刀!二本松の龍虎、城山ノ龍次!と、辺見ノ虎造!
一癖も二癖も在ろうという連中が、ここ二本松の八幡宮の境内に集まる!さて、是からが噺は面白くなるのですが、今日はお時間が一杯!一杯!
そしてこの続き、次回第八話を乞うご期待!
つづく