さて、本多家の菩提寺である幡随院に預けられた塚本伊太郎は、人情味溢れる慈愛に満ちた施しから『幡随院長兵衛』と呼ばれる侠客へと成長致します。
そして、本多家家老、田中三太夫からの依頼で、大名行列の仲間奴の手配をキッカケに、口入屋稼業を生業とする様に成ります。
やがて、谷中幡随院を出てからは、浅草花川戸を塒と致しまして、北斗明神が如く世間からは有難がられる存在へと成長しておりました。
一方、この時代の侠客というものに、江戸では『町奴』と呼ばれる存在が御座います。もう少し後の時代になると、火消し、鳶という職業や、
所謂、香具師を生業にしている侠客というものが現れるのですが、この『町奴』という輩は、幡随院長兵衛が現れるまで、
それはそれは、大層な嫌われ者だった様で御座います。では、此の『町奴』どのような事をやって飯に在り付いて居るか?!
と、申しますと、まず、一番は金持ちに取り巻いて、芝居や寄席、講釈場で集る(たかる)と言うのが彼らのやり口です。
次に、喧嘩、揉め事、この仲裁。借金の取り立て、そして、一番、なぜ嫌われるか?と言うと、因縁を付けて銭を取るからなのです。
これは、現代のヤクザ者にも通じるやり口で、「お前、誰に許可(ことわって)商売してやがる!」と、露天商に書場代を要求する、
「俺が面倒を見てやる!」と、用心棒を気取りみかじめ料を取る。まだ、こんなのは可愛い方で、完全に犯罪まがいな行為としては、
お食事処、居酒屋で、「俺に何て物を喰わせるんだぁ!」と、食べ物に虫やゴミを自分で入れて脅す。
もっと酷い野郎になると、酔って暴れて、「帰って欲しけりゃぁ、銭を出せ!」と、言う。ただで飲み食いして銭を取るという横暴ぶり。
そんな町奴の中でも有名なのが、唐犬権兵衛、夢ノ一郎兵衛、腕ノ喜三郎、釣鐘彌右衛門、玉ノ喜平、捻金ノ次郎兵衛、そして白鬼ノ権蔵。
一方、この町奴と同じように、こちらは侠客では御座いませんで、同じ様に歌舞いている侍が御座います。これを世間は、町奴に対して『旗本奴』と呼びます。
自らを、四ツ谷六法の『白柄組』と称し、刀の柄や下げ緒に白紐を用いて、その衣装(ナリ)も歌舞伎の金襖!!錦糸銀糸の派手な着物をだらしなく着こなして御座います。
そして、この『白柄組』の組長、親玉が、旗本三千石の小普請組、水野十郎左衛門成之で御座います。
ご存知の通り、水野十郎左衛門は、将軍家からの大層目を掛けられている家柄。それなのに、旗本の次男三男を子分に従えて、江戸市中で歌舞いて廻ります。
ですから、この旗本奴と町奴が対立しないわけがありません。現代で言うと、中国・朝鮮のマフィアと日本のヤクザの様な関係です。
対立するこの二つの勢力の間に、我らが幡随院長兵衛は、新参者として登場し、元は武士、そして諸大名のケツ持ちで口入屋を営んでいる。
これは、町奴にとっても、そして旗本奴にとっても、面白くない存在なのは間違いない。そもそも、町奴と旗本奴は『江戸』の頂点を競う無頼です。
ところが、地方大名上がりの幡随院長兵衛は、云わば、よそ者、田舎者の代表であり、互いに憎む対象だったのです。 然し!!
この幡随院長兵衛という人は、馬鹿じゃない。そして、その辺りの理屈をよーく弁えているので無用な争いを致しません。
芝居見物に行くにしろ、賭場や盛場、𠮷原での女郎買い、どんな場面でも、町奴、旗本奴が屯(たむろ)する様な所へまず行きません。
そして、万一奴らと遭遇しても、例えば往来だったら、新道の細い辻へと、敢て入って巻いてしまう。
また、呑み屋、女郎屋で逢ったなら、二階から裏梯子を使って、裏口からそっと消えてしまう。
そうして、無駄な争い、喧嘩にならぬようにと、日ごろから心がけて居りましたが、どうしても、避けて通れぬ相手が現れます。
さて其れはと申しますと、同じ浅草花川戸に住んでおります、法華ノ長兵衛という親分格を気取る町奴。「花川戸に長兵衛は二人要らねぇ~!!」と、
まぁ、鼻息荒く息撒いておりまして、側近の子分、『法華の四天王』と呼ばれております、須田ノ十蔵、今戸ノ権六、橋場ノ半七、そして庵崎ノ小平。
この四人の子分が、幡随院の周りを絶えず探っておりまして、そしてとうとう弱味を見付けて、悪党らしい含み笑いで親分にご注進、致します。
十蔵「親分、いらっしゃいますか? 十蔵で御座んす。」
長兵衛「おう、十蔵。何か用かぁ?!」
十蔵「ヘイ、宜いネタを、権六の野郎が仕入れて参ぇ~りやした。」
長兵衛「なんだい、いいネタってのは?金儲けか?」
十蔵「そうじゃありません、幡随院の野郎をギャフン!と言わせる、宜いネタです。 オイ、権六!親分にお噺申し上げろ。」
権六「へい、 親分、𠮷原の三浦屋四郎左衛門に、高尾太夫にはチト落ちますが、高窓太夫といういい花魁があるのをご存知ですか?」
長兵衛「ご存知ですかぁ? かぁ? かぁ?かぁ? かぁ?かぁ? かぁ?」
十蔵「親分、烏じゃあるまいし、烏の真似は高窓じゃなく、喜瀬川ん時にお願げぇ~しやす。」
長兵衛「言うねぇ十蔵。 このタコが女郎の事で、俺に上から話すからよぉ~、カチン!と来ちまった。知ってるさぁ、高窓。 それがどうした?」
権六「その高窓に、本多大内記ん処の家来で、櫻井庄右衛門っ野郎居ります。その野郎の次男、庄次郎ってのが高窓にぞっこんで、毎日のように通っているんです。」
長兵衛「ほー、本多公と言えば、播州姫路十八万石、幡随院の元の主のお抱え先だなぁ?!」
十蔵「それがただのお抱え先じゃなくて、幡随院が仲間奉公していた先が、その櫻井って野郎なんです。」
長兵衛「なぁ~にぃ! っと言う事は、その庄次郎とかいう倅は、幡随院の元主。つまり、そのガキを攫って野郎を誘き出す算段だなぁ?!」
十蔵「流石親分、合点(のみこみ)が早い。 もう、半七と小平が三浦屋を張ってますから、網に掛かったらとっ捕まえて、此処へ連れて参ります。」
しかし、その日は、お引け過ぎまで三浦屋を二人で見張りましたが、庄次郎は現れません。と、申しますのには、実は訳が御座います。
其れは、幡髄院長兵衛が、予め法華の子分の動きに気付き、庄次郎が弱味と攻められそうだと感じた為と、
もう一つは、櫻井庄右衛門の方から、実は次男の庄次郎の奴が吉原の花魁に。。。と、長兵衛は相談を受けていた。
其処で、或日の事、幡髄院長兵衛は、櫻井庄右衛門と庄次郎、そして吉原のお茶屋、浅見屋の若主人、吉兵衛を読んで四人で話す機会を設けていた。
場所は、吉原と言う訳にもいかず、浅草田原町の蕎麦屋『弥平庵』の二階を借りていた。
長兵衛「さて、今日は高窓の後見でもある浅見の若旦那、吉兵衛にも来て頂いたんで、ザックバランにお尋ね申しますが、
庄次郎さんは、高窓を、どうなさるお積もりですか?失礼は承知で申しますが、櫻井様の五百石取りの御身分では、高窓を今日明日、身請けは出来ませんよね?
浅見屋さん!高窓を身請けするとしたら、幾ら掛かりますか?また、高窓の年期は、何年後に明けますか?」
吉兵衛「へい、高窓は三浦屋四郎左衛門の預かりん中でも、上から三枚目のお職ですから、請け出すには、安く見積もっても三百両は掛かると思います。
また、年期の方は、今二十一ですからお礼奉公を入れて五年先になります。まぁ、そんな訳ですから、三年半後の約束で、私が口添えを訊けば、百両でなんとか請出せるとは思います。」
長兵衛「その百両と言うヤツは、アッシがお引き受けしましょう。其れで肝心な事を、二、三確かめて於きたいのですが、
庄右衛門さん、本当に倅殿が女郎を内儀(よめ)にする事を、貴方はお許しになるお積もりですか?」
庄右衛門「ハイ、其れはもう。長男の庄太郎なら許すとは申しませんが、此の庄次郎なれば、内儀に迎えて構いません。」
長兵衛「ほーぉ、左様でぇ。さて、吉兵衛さん。お前さんの見立てが知りたい。高窓は、本気(マジ)卍、正次郎殿を間夫(マブ)梵字と思って惚れて御座いますか?」
吉兵衛「其れは間違いない。アッシが見る限り高窓も本気で庄次郎さんに惚れて御座います。」
長兵衛「ヨシ、であれば分かりました。吉兵衛さん、私が高窓に直接逢える様に、三浦屋さんに段取りして貰えますか?」
吉兵衛「ヘイ、其れは構いません。この跡、早速、アッシが逢える様に致します。」
長兵衛「有難う御座います。さて、庄次郎さん、三年半辛抱したら、アッシが高窓を、必ずお前さんの内儀(にょうぼう)にして見せます。
その代わり、法華の野郎がお前さんを拐おうと狙っている今は、そうですね、月に一度、しかも、アッシが事前に法華の一味が三浦屋を見張って居ない日を教えますから、その日だけにして下さい。
宜しいですか?『逢えない時間が、愛を育てるんだ!』と、思って、郷ひろみも既に、六十五歳ですが、庄次郎さん!我慢して下さい。」
庄次郎「分かりました。元締!高窓の事、宜しくお願いします。」
庄右衛門「長兵衛!父の私からも宜しく頼み申す。」
と、櫻井親子は、幡髄院長兵衛に平伏して、頭を下げるのだった。
長兵衛「止めて下さい、櫻井様。貴方の御恩有っての幡髄院長兵衛です。こんな事は朝飯前です。」
そう言って、幡髄院は浅見屋吉兵衛と吉原へと出向き、吉兵衛のお茶屋へ高窓を呼んで噺を致します。
長兵衛「花魁、忙しい商売の前にこんな処へお呼び立てして申し訳ねぇ。俺が、花川戸の幡髄院長兵衛だ。」
高窓「申し訳ないだなんて、そんな事はありんせん、庄ハンの事と、浅見屋の旦那ハンからは聴いておりやす。幡髄院の親分ハン、ささッご用を言うて、くんなましぃ!」
長兵衛「では、早速本題に入る。先ずかくかくしかじか、法華の長兵衛が、お前さんに逢いに来る庄次郎を誘拐してやろうと狙ってやがる。
そこで、お前さんも、勿論、庄次郎さんも、三日に一度、五日に一度と、頻繁に逢いたい気持ちなのは宜く分かるんだが、
そんな事情だ、逢うのは俺が段取りしたその時だけにして欲しい。その代わり必ず月に一度は逢える様に段取りするから、頼む!聴き分けて呉れ!」
高窓「畏まりありんした。」
長兵衛「その代わりと言っては何んだが、俺と吉兵衛さんとで、お前の年が跡三年半で明ける様にしてやる。
そう成ったら、お前と庄次郎は晴れて夫婦(めおと)に成れるんだ。庄次郎さんの父上、櫻井庄右衛門様にも話して了承頂いてあるから、安心しろ!」
高窓「本に、庄ハンと夫婦に。。。嬉しいでありんす!!」
思わず満面の笑みを浮かべる高窓、その目からは、やがて大粒の泪が、ポロリと溢れ落ちます。
吉兵衛「いいなぁ、高窓。万事、この幡髄院の元締とアッシで上手くやるから、お前さんも協力して呉れ!」
そう後見人の吉兵衛に言われて、渡された手拭いで泪を拭う高窓。大好きな庄次郎と夫婦に成れる!と、「宜しくお頼の申しやす。」と頭を下げるのだった。
さて、この幡髄院の根回しが功を奏して、法華の長兵衛は、幾度となく三浦屋に子分を張り込ませたが、一向に庄次郎の身体(ガラ)を捕まえる事は出来ませんでした。
そして季節は花見の三月。法華の長兵衛は、『法華の四天王』と呼ばれております須田ノ十蔵、今戸ノ権六、橋場ノ半七、庵崎ノ小平の四人と、他の子分二十人ばかりを連れて、
浅草『鶴亀楼』と言う料理屋で、芸者幇間を上げての向島での花見帰りの大宴会。そして、頃は暮六ツ、此の宴会をお開きにして四天王と芸者幇間だけを連れて吉原(ナカ)へと繰り出します。
そして、法華の長兵衛一行は揚屋『清十郎』へ上がり、三浦屋へ差紙を出し、高窓以下五人の遊女が呼ばれるのでした。
高窓、実は四ツ前に庄次郎が来る事に成っておりますから吉兵衛に相談致します。吉兵衛、貰いを袖にすると、返って怪しまれるからと、
兎に角、法華の呼び出しに答えておいて、途中、貰いを掛けてやるからと、高窓を『清十郎』へと送り出します。
さて、中々いい感じで宴も竹縄と言う時分に、浅見屋吉兵衛の所から高窓花魁への貰い掛かります。
男「えぇ、申し上げます。高窓花魁に、馴染みの予約が御座いまして、お客様お見えになりまして、高窓花魁をお借り申します。
尚、代わりで御座いますが、この小紫花魁を後ほどお連れ致します。どうか、ご理解の事、主人吉兵衛に代わり、宜しうお頼み申します。」
法華「ほう、そうかい。ここでゴネると野暮になる。分かったよ、兄ちゃん!高窓を連れて行きなぁ。」
と、口ではそうは言いますが、法華の長兵衛、内心面白くありません。高窓に嫉妬して言うのではないが、揚屋に呼んでまだ呑み食いしている所で、鳶に油揚げですからカチンと来ます。
すると、其処へ小紫の手を引いて来たのが、浅見屋の女中『お喋りお香津』です。
こいつは、都合が宜い。このお香津の奴から高窓が誰から貰われて行ったか確かめてやろう!そう法華の長兵衛考えます。
法華「オイ、お香津。久しぶりじゃねぇ〜かぁ、花見の内の事だ、こっちに来て口を湿らして行けよ。」
お香津「アラ、そうかい?親分。ご馳走になります。」
法華「どうだい、浅見屋は?花見客で儲かってるかい?」
お香津「へぇ、まぁ〜ぼちぼち。親分さんも花見帰りでしょう?」
法華「そうさぁなぁ、昼は向島で此奴らと野郎ばっかりで桜の下で呑んで、その跡、鶴亀楼へ行って芸者幇間は、そこからの流れで付いてやがるんだ。」
お香津「そりゃぁ豪気ですね、流石、法華の親分だ。」
法華「ところで、今、俺ん所から高窓花魁に貰いを掛けたのは、何処のどいつだい? いや、決して焼いてる訳じゃねぇ〜が、気に成ってなぁ。」
お香津「其れなら、櫻井様の。。。。其れは、馴染みで野田の醤油問屋の若旦那です。」
法華「嘘をつけ!櫻井様って言いやがって、慌てて、三浦屋だからと野田の醤油問屋の若旦那と誤魔化したなぁ?!」
お香津「いいえ、本当に高窓花魁のご贔屓で、十日に一回は貰いが掛かるお方です。」
法華「オイ野郎ども、本多の家来、櫻井の倅、庄次郎が高窓と浅見屋で逢う段取りに成ってやがるぞ! 直ぐに支度をしやがれ。」
全員「ヘイ、合点だぁ!」
お香津「いや違うんです。違うんです!」
と、言っても聞く相手でないと思ったお香津、揚屋『清十郎』の二階のハシゴを転げ落ちながら浅見屋に戻りまして、
お香津「女将さん、大変な事になりました。つい口を滑らせて、高窓花魁に貰いを掛けた相手が、櫻井様の庄次郎様だと、法華の長兵衛に知られてしまいました。
直ぐに、法華の連中が、五人で此処へ殴り込んで来ます。早く!早く!お二人を逃して下さい、女将さん。」
この日、まだ四ツ前で吉兵衛が不在で、女将のお勝一人が浅見屋に居ました。
お勝「何んでお前は、飛んでもない事を喋ったりするの!竹さん!竹治、直ぐに幡髄院の元締か、七軒ノ清兵衛親分を呼んで来てお呉れ!大至急だよ。」
竹治「へい、合点です。」
浅見屋の竹治は、仲の町通りを駆け出して、大門を右に曲がって土手八丁、花川戸の幡髄院へと向かおうとしたら、
偶然、向こうから幡髄院長兵衛がフラッカ、フラッカ歩いて参ります。
竹治「元締!宜かった、大変です。」
幡髄院「何んだ?竹さんかい、宜かった大変だって、宜かったのかい?大変なのかい?サッパリ分からねぇ〜ぜ。」
竹治「すいません、元締。大変な事に、ウチに櫻井様の若旦那と高窓花魁が居るんですが。」
幡髄院「そいつは承知している、俺が段取りしたから、それで?!」
竹治「其れを、法華の野郎に知られまして、間もなく『清十郎』からウチに殴り込みに来るんです。」
幡髄院「其れを先に言えよ、竹さん。直ぐに行くぜぇ!」
一方、『清十郎』の払いを済ませた法華の長兵衛以下五人。浅見屋へ入ると長脇差の鞘を払って抜き身を持ちます。
女将のお勝が、「何をするんだい!法華の親分!」と叫ぶのを無視して、五人揃ってハシゴを上がり二階へと。
そして、「高窓は何処だ?!」と、女中を脅して高窓花魁と櫻井庄次郎が居る部屋へと、唐紙を蹴破り入って行きます。
来られた庄次郎、驚いた表情にはなりますが、もう騒いでも仕方ない、多勢に無勢、俎板の鯉、座ったまんた『南無三!』と覚悟を決めて御座います。
一方隣に居る高窓花魁はと見てやれば、長いキセルを使いプカリプカリと煙草をのんでおりますが、
もし、私の大切な主、庄次郎さんに指一本触れたなら、このキセルで殴り付けてやるザマス!と、殺気を感じる高窓花魁。
法華「若旦那、突然お邪魔しまして。。。アッシは『法華ノ長兵衛』と申します、所謂、町奴に御座んす。
いや実は、アッシもこの高窓とは少なからぬ馴染みで御座いまして、今も、『清十郎』から貰いを掛けて遊んでおりました。
其処で、互いに高窓を介して知り合った兄弟同士、是非、アッシの盃を一つ受けて頂き、是非盃事の兄弟に成りたいと罷り越しました。
付きましては、アッシの方が年嵩で御座いますから、兄貴となりまして、若旦那が舎弟となりますが、以後、お見知り於き願います。」
庄次郎「えぇ、かねてよりご高名は存じ上げでおりました、法華の親分。遊里のことなれば、主人家氏名はご勘弁願いますが、私、庄次郎と申します。
此方こそ、以後、お見知り於きを願います。されど、本日は此の跡、些か用事が御座いまして、既に駕籠が呼んで御座います。
されば、後日、花川戸の親分のご自宅を訪問致しまして、盃事はお受け致しますので、今日のところは、御免被りたい。」
法華「『御免被りたい!』と言われて、ハイそうですか?と、お前さんをオメオメ帰す、ボンクラだとでも思ったか?!
人が大人しく下手に出てたら、増長しやがって!舐めた口を利きやがる。直ぐに、俺の屋敷で盃事をするから、俺に付いて来やがれ!べら棒めぇ〜!!」
そう啖呵を切ると、法華ノ長兵衛、目の前に在った庄次郎の呑み掛けの盃を掴んで、庄次郎の顔面目掛けて投げ付けた。
驚いた庄次郎は、慌てて身体(タイ)を左に交わして、盃は後ろの柱に当たり、けたたましい音で砕け散ります。
庄次郎「何をなさいます!!」
そう言って震える庄次郎に、庇う様に高窓花魁が身体を寄せて盾になる。そしたら、四天王の一人、橋場ノ半七が、今度は徳利を持って投げようと構えます。
と、その時!!
奴等が蹴破った唐紙の所から、幡髄院長兵衛が中へと入り来て、素早く半七の持っていた徳利を後ろから取り上げます。
半七「何をしやがる!!」
幡髄院「其方さんは、アッシの前のご主人の倅様でねぇ、そんな物を投げ付けられて、お怪我をされると大変だ。
ッと、私が花川戸の口入屋、幡髄院長兵衛と申します。さて法華ノ長兵衛親分、此の騒ぎ、庄次郎さんに代わってアッシが引き受けます。
全部アッシが面倒みて、親分の気の済む様に謝りますから、庄次郎の若旦那と、高窓花魁は帰してやって下さい。」
そう言われた法華ノ長兵衛、『〆た!計略に乗って来た!』と思いますから、「宜かろう、その代わりに、此処では狭い、堤(ドテ)で喧嘩だ!」と、外へ幡髄院を誘い出します。
噺が決まり、高窓花魁は、直ぐに迎えが来て三浦屋四郎左衛門方へと帰りますが、庄次郎は大門の外で、駕籠か馬を借りて、小石川白山の下屋敷へ帰らねばなりません。
法華の一味五人と、幡髄院長兵衛と櫻井庄次郎の七人がもう時刻は大引け前の大門に出てみると、誰が言い降らしたのか?『ドテで喧嘩!』と知った馬方、駕籠カキが一切居りません。
幡髄院「法華の親分、駕籠も馬も駄目なんで、庄次郎さんを、田町の搗米屋『越前屋』まで連れてッて、そこの若衆に頼んで、小石川の屋敷に送り届けてやりたい。
必ず、直ぐに戻り、堤(ドテ)で喧嘩の続きはやるから、庄次郎さんを田町の越前屋まで送らせて呉れ!お願いだ。」
法華「分かった。ただし、戻る証を此処に置いて行け。其れが条件だ。」
幡髄院「判った。ならば、この脇差を置いて行く。四半刻で必ず戻る。」
法華「ヨシでは、預かり申す。」
そう言って幡髄院長兵衛は、家宝の刀を法華ノ長兵衛に預けて、庄次郎と田町の越前屋へと向かいます。
さて、堤(ドテ)に残された五人は、春の寒空に暇をしておりますから、自然な流れで、幡髄院長兵衛が残して行った刀の話題になります。
法華「おい、十蔵!貴様、刀屋で長い事奉公していたよなぁ?この幡髄院の刀、お前の見立てはどうだ?」
言われて、須田ノ十蔵は刀を受け取り、先ず鞘と柄前を能く診て、それから触る、撫でる、擦ります。
十蔵「大した代物です。鞘は軽い鮫鞘、塗りも一流の漆職人が何度も重ねて塗ってあります。
所々に細かい傷があり、漆が二種下地が黒でその上から朱色を掛けて仕上げられています。
一方、柄前を見ると、シトドメ/鵐目は金細工、目貫、目釘も超一流の職人の仕事です。そして、この鍔がまた、素晴らしい。所謂、一期一振の銅地の鍔ですから、豊臣由来の刀なのでしょう。」
そう言うと、月明かりが宜く当たる場所で、鞘をゆっくりと払い、抜いた鞘は今戸ノ権六に預けます。
十蔵「凄い刃です。正に抜けば球散る氷の刃!恐ろしい業物。又、ハバキ/鎺の細工も惚れ惚れします。鞘にしっくり収まる訳だ。
この後、刀身を柄から抜いて、ナカゴ/茎を見ますが、恐らく正宗の系統の刀で、父正宗か、子の彦四郎だと思います。」
そう言うと、須田ノ十蔵は刀の柄を外し、茎の名を見て、貞宗/彦四郎の作であること、また、『塚本』と言うのが幡髄院長兵衛の本名だと知るのである。
十蔵「いやはや、この刀は、口入屋の元締が持つ様な刀では有りませんぜ、親分。」
法華「お前の能書きを聴いていると、幡髄院は剣の腕も相当だろうなぁ。」
権六「アッシはてっきり、宜い刀なら刀身すり変えるとか、鞘を盗むのかと思った。」
法華「馬鹿!相変わらずセコいなあ、権六。」
十蔵「それに、此の鞘も柄も俺たちの薄い刀身の刀じゃブカブカで収まらないよ。」
法華「しかし、此の刀を相手に斬り合って勝てるのか?!」
半七「さっき、徳利を奪い取られたからアッシには分かりますが、野郎、かなりの怪力です。」
法華「だろうなぁ〜」
と、そんな噺をしていると、田町から幡髄院が帰って参ります。さて、法華ノ長兵衛と幡髄院長兵衛のダブル長兵衛の果たし合は、次回のお楽しみで御座います。
つづく