常平こと塚本伊太郎は、困惑していた。些細な諍い事が元で、隣家に住む彦坂傳八郎を殺害してしまった伊太郎。

この責めが主人家の櫻井庄右衛門に及ばぬ様にと考えて、命を捨てる覚悟で、其の裁定を伺う御前へ、主人庄右衛門と共に同席した伊太郎。

どの様な罰を言い渡されるか?と、口から心の臓が飛び出すくらい緊張していたのだが、主君政勝公の口から出た言葉は意外なものだった。


殺害された彦坂傳八郎に代わって、伊太郎を四百石にて指南番に取立よ!!


その裁定の席に並んだ、家老、目付、そして奉行の三人は大いに驚いたが、政勝公曰く、勝浦孫之丞の弟子であり、その才能の顕著である事は明らか!!

是には、三人に反論の余地は無く、殿様の決定に異を唱える者は居なかった。

政勝「さて、伊太郎!予の申し出、受けて呉れるか?!」

伊太郎「有難きお言葉では御座います。しかし、即決は難しゅう御座います。明日の同刻まで、明日お昼四ツまで返答をお待ち下さいませ!」

政勝「其れは不思議な引き伸ばしであるなぁ、四百石では不服か?」

伊太郎「決して、そのような事は御座いません。ただ。。。」

政勝「ただ、何だぁ! 苦しゅう無い、伊太郎申してみよ。」

伊太郎「其れは。。。」

庄右衛門「殿、庄右衛門、伊太郎に代わってお答え致します。この伊太郎の亡くなった父親、塚本伊織が遺言致しておりまして、

何んでも、肥前唐津、寺澤藩の復興の嘆願が幕府になされておる最中なれば、この伊太郎は先君のご舎弟殿が再興した、

唐津藩への仕官を望んでおり、又、これは父親伊織の遺言でも御座います。俗に言う『忠臣は二君仕えず』

之が伊太郎への父・伊織の遺言でありまして、其れを伊太郎は悩んでおるのだと推察いたします。」

政勝「ほー、左様であるか?伊太郎。」

伊太郎「ハハァ、御意に御座います。さすれば、一日の猶予を賜りたく存じます。」

政勝「相判った。では三太夫、又明日同刻、庄右衛門と伊太郎を呼んで返事を聴く事と致す。一同大儀。」


こうして、本多大内記政勝公の裁定により、槍にて指南番を刺した常平こと伊太郎はお構い無しの無罪。

いやそれどころか、四百石という破格の待遇で本多家に指南番として召し抱えたいとの申し出まで受ける。

一方、其の指南番だった彦坂傳八郎の方はと見てやれば、仲間との真剣勝負の末に卑怯な目潰し攻撃まで繰り出してあえなく返り討ち。

お家はお取り潰しとなってもおかしくない醜態です。現に、伊太郎を迎える四百石の内、二百石は傳八郎の禄なのである。

何とも複雑な心中で櫻井屋敷へと戻って来た、庄右衛門と伊太郎、明日迄の返事を主従で相談致します。

庄右衛門「常平! いや、伊太郎殿。殿様は貴殿をいたくお気に入りだぁ。さて、どう返答するおつもりかな?」

伊太郎「まだ、如何なる決心も着いては御座いません。一晩、じっくりと考えたいと思います。

先ずは櫻井様、貴方に迷惑が掛からない事を第一に考えていたのですが、どうやら、其れは果たせたように思います。

出来る事ならば、肥前唐津藩の再興の裁定を幕府より頂戴するまでは、之まで通り当家に奉公したいのですが。。。

本多家の指南番を断った私の奉公を、お殿様がお許し下さるとは思えない、異様な剣幕を感じております。

剣の師匠と尊敬する勝浦孫之丞、この剣豪から『決して、剣の腕前は吹聴するな!』と、言われ其れを愚直に守り通していた伊太郎。

其の事も、彦坂傳八郎が伊太郎を侮った一因と言えなくもないのだが、其れを云っても傳八郎が生き返る訳でなし、

兎に角、伊太郎は自分が殺した彦坂傳八郎の家族が路頭に迷うような事態を、何んとか回避したいと願っておりました。

屋敷へ戻った直ぐに、庄右衛門には一晩考えさせて呉れとは申したものの、結論は既に出ていて『忠臣は二君に仕えず』です。

そして、先ず最初に考えたのは、このまま、コッソリ屋敷を抜け出して江戸を蓄電する事でした。 しかし、

其れをして、櫻井家に害は及ばないのか? また、間違いなく彦坂家はお取り潰しの裁定のままになる。

是では、『忠臣は二君に仕えず』を建前に、ただ単に我を通しただけになると、思い留まります。

そうなると、伊太郎の選択肢は、『忠臣は二君に仕えず』が前提ですから、櫻井家の赦免と彦坂家の継続を願い、

伊太郎、自らは斬首される事しかないと、堅く決意するのでした。


こうして、迎えた翌日、今日は御簾が取り覗かれて、中央に本多大内記政勝公が鎮座ましまして、

その左脇に江戸家老田中三太夫、奉行の村上大膳、一方右側はと見てやれば目付役の酒井主水之丞、そしてあの勝浦孫之丞も呼ばれております。

そこへ、引き出されました留守居役、櫻井庄右衛門とその奉公人である伊太郎。二軒ばかり離れて面を伏せて御座います。

政勝「其れではチト噺が遠い。もっと、近こう!近こう!近こう!」

庄右衛門「ハハッ!」

返事をして、二人が間合いを半軒ほど詰めて、噺を始めます。

三太夫「では、僭越ながら拙者、田中三太夫がお尋ね申す。伊太郎殿、四百石にて指南番を拝命致す儀、異存御座らぬか?」

伊太郎「その儀でありますが、誠に勿体ない、政勝公のご配慮、畏れ多い限りでは御座いますが、謹んで辞退致します。」

三太夫「辞退? 何由えに、辞退なのだ!伊太郎殿。」

政勝「エーイ!伊太郎、なぜだ!理由(ワケ)を申してみよ。」

伊太郎「畏れながら、父の遺言にて『二君に仕えず。』の考えが御座います。旧寺澤家の再興を待つ所存です。」

政勝「田分けた事を申しな。譜代の大名ですら、一旦、改易と決まった藩が再興した例は数える程、それを外様が。。。

判った!伊太郎、その方の望む禄高を出そうではないか? 五万石、五万石迄なら望みのままだ!!」

三太夫「何を。。。何を仰っいます殿、五万石の家来など、その様な者は世に居りませんし、

五万石なれば、それはもう大名で御座います。当家、筆頭家老、酒井弾正殿ですら五千石に御座います。

その十倍の禄で、この仲間上がりの伊太郎を召し抱えるなど、言語道断!!殿、戯れが過ぎまする。」

政勝「戯れや冗談で巫山戯けて居るのではない、真剣に、五万石で伊太郎を召し抱えようと言って居るのだ。」

余りに、現実味を帯びない高額年俸のオファーを出す政勝公に、周囲がびっくりして意見も出ない様子なので、

この空気を変えようと、伊太郎の師である勝浦孫之丞が、口を挟んだ。

孫之丞「殿、孫之丞、些か、申したい意見が御座います。申し上げて宜しいでしょうか?」

政勝「おー、勿論じゃぁ、何んなりと申してみよ。」

孫之丞「まず、この伊太郎に五万石を譲るなどと申すのは、お戯れと言われても仕方御座いませんぞ、殿。

万一、その様な事を取り決めても、本多の家が許しても、幕府が『勝手な藩の分割』と言い掛かりを付けて来て、

それこそ、正純公の『釣天井事件』同様、お家を潰されるのがオチで御座います。思い留まりを。

ただ、殿の伊太郎を召し抱えたい!という、純粋で強い思いは心底伝わるので、一言申しますが、

伊太郎! その方、確かに寺澤藩で過ごしたのは、十一歳までの十一年。この本多藩に来て十二年を数えておろう?!

父上の遺言とは言え、何由えに、そこまで『忠臣は二君に仕えず。』という故事に拘る。その真意を教えて呉れ!」

伊太郎「この仕官が、例えば、正々堂々、御前試合のような催しで、拙者が彦坂殿を打ち負かして、

それで、拙者が取立られて、彦坂殿が降格するのであれば、ご指南番を引き受けたかもしれません。

しかし、今回の儀は、毬が風に煽られて起きた事故であり、彦坂傳八郎殿はお亡くなりになっております。

事故とは言え、私が彦坂殿を殺してしまい、それによって彦坂殿家族が路頭に迷うは本意では御座いません。

また、私が起こした不慮の事故で、主人家である櫻井家に、害が及ぶのも不本意、この二つの不本意を私は避けねばならないのです。

ですから、拙者、この場面にて殿様の命令とは言え、本多家に仕官する道は選ばず、どうか?!罰としてこの首を斬首にして下さい。

その代わりと言っては何んですが、彦坂、櫻井、両家にはお咎め無しとして頂きたいです。」


もう、将軍様が四代目から五代になろうとするこの泰平の四の中に、こんな武士(もののふ)の魂に満ちた仲間が居るのか?!

この評議に列席している伊太郎以外の五人は思いました。この漢に政勝公が惚れるのは至極当然であると。

そして、伊太郎の主人、庄右衛門がまず、口火を切ります。

庄右衛門「殿、この伊太郎の首を跳ねるのだけは、お待ち下さい。首を斬るならば、先ず私の首からお願い致します。」

三太夫「殿、田中三太夫!ご意見申し上げます。 之なる伊太郎の願い聴き及び下さい。彦坂の禄、二百石は拙者が面倒みます。」

主水之丞「三太夫殿、儂も禄に関してはお支払い致す。」

大膳「何を申されます。伊太郎の四百石の二百は私の減俸分、彦坂を推挙致したのも拙者で御座れば、禄は拙者がお出し申す。」

と、伊太郎の助命と、彦坂家の取り潰しの取り消しを求める声が、揃って上がる事態になります。

孫之丞「殿、私も門弟の首が飛ぶのを黙っては居れません。私、預かりという形で、助命頂きたい。」

意見が出揃い、皆んなが『伊太郎の命ばかりは!』『その願いを叶えて、彦坂の家を潰さないで!』と、口々に言う様を見て、

本多大内記政勝公、閉じていた目をパッと見開いて、ゆっくりと喋り出します。

政勝「相判った。 櫻井庄右衛門、並びに彦坂傳八郎の家族への咎めは一切無しと致す。

また、彦坂家は家禄の内、五十石を召し上げるが、傳八郎の倅、一太郎を留守居役預かりの小姓として百五十石にて召し抱える。

尚、櫻井庄右衛門の使用人、常平こと塚本伊太郎、その方は、喧嘩両成敗の武家諸法度に従い、この場で斬首と致す。即刻!庭へ出でませぇ。」


喧嘩両成敗で斬首!!


是を聴いた、櫻井庄右衛門がまず、異議を申し立ます。

庄右衛門「殿、斬首はお許し下さい。何卒!何卒! どうあっても斬るのなら、この庄右衛門の首に願いとう存じます。」

政勝「くどい!法度通り、喧嘩両成敗で、斬首だ!!」

覚悟が出来ている伊太郎は、そのまま庭へと進み、斬首の跡、洗い清め易いように井戸端で正座して殿様の到着を待ちます。

すると、庄右衛門は最後のお願いにと、政勝公に縋り付いて懇願しますが、流石に之は勝浦孫之丞に止められてしまいます。

政勝「おい!誰か脇差を持て参れ。」

そう言う殿様の声を聴いた、小姓が床の間に置かれている長刀を一振り手渡しますと、政勝公、鞘を払って庭へと出ます。

政勝「伊太郎、最後に望が有れば聴いて遣わす。何んなりと申せ!!」

伊太郎「ハイ、ではどうせお手討ちになるなら、この家宝、貞宗作『彦四郎』にて、斬られとう御座います。」

政勝「相判った。では、その方の望通り、その『彦四郎』で冥土へ送って遣わす。」

伊太郎が差し出す刀を、ずらりと抜くと、誠に手入れも行き届き、玉散るような氷の刃が出て参ます。

政勝公、この刀を日にかざして、二度、三度、素振りして風切りの音を聴いて気持ちを高めつつ落ち着けて行きます。

政勝「伊太郎、首を出せ!イザ、参る。」

そう言われた伊太郎が、真正面を凝視したまんま、亀が伸ばすように首を突き出す様を見て、政勝公、


こやつ、真の武士よのぉ~


そして、伊太郎は『南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!』と、小さな声で念仏を唱える始めます。

と、心で呟き、大上段に『彦四郎』を振り上げると、「エーイ!」と一声掛けて振り下ろします。

「グザっ!」 何か切れる音は致しましたが、おおよそ首が跳ねる音では在りません。

そして、地面に首が落ちて来ないと言うのか、目に弾けた元結と髷が飛び込んで来て、『なぜ? 生きてる!』と、思う伊太郎で御座います。

政勝「オーイ!打首は済んだ。早く、この死骸を我が菩提寺である、幡随院へ運べ!! 予に見苦しい物を見せるなぁ!早く運べ!」

小姓が、仲間に『打首の死骸を寺へ運べ!!』と命じますから、奥から四たりの仲間が出て参ります。

仲間①「打首だとよ、誰が斬られたんだ?」

仲間②「櫻井様ん所の常平じゃねぇ~かぁ、槍の指南番を突き殺したそうだから。」

仲間③「指南番を仲間が?どうやって殺した?」

仲間①「知るかぁ?」

仲間④「お前、知らないのか?遅れてるぅ~」

仲間②「存じておるのか?お前は、」

仲間④「あぁ、何でも毬を蹴って、指南番が尻餅を突いて転んだ隙をついて、槍で刺し殺したらしい。」

仲間③「毬でか? 真か?」

仲間④「それが専らの噂だ。」

仲間①「さて、運ぶぞ って、首が在るぞ!打首なのに。。。」

仲間②「早いなぁ~化けて出るのが。」

仲間③「って!動(い)ごいているぞ!この死骸。南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」

仲間④「髷が切られて、ザンバラ頭だけど、この佛、念仏を唱えてやがる!!」

四たりは、伊太郎の身体を触る前に、『打首の死骸』と聴いて近づくと、チラシ頭で動きながら念仏を唱える伊太郎が不気味な過ぎて尻込み致します。

すると、そこへ庄右衛門が下りて来て、かくかくしかじか、生きているが幡随院へ運んで呉れと、云いましたから、ここで初めて合点が行きます。

こうして、持ち込まれた戸板に伊太郎を乗せてみますが、余りに大きく身の丈が戸板をはみ出します。

そこは、見知った仲間同士、「常平、身体を縮めて呉れ」と言われたら、足を畳んで戸板に乗って呉れますし、

谷中幡随院の途中の急な坂は、戸板を下りて進んで呉れたりも致します。実に便利な打首の死骸も在ったもの。

こうして、伊太郎は、表向きは『お手討ち』と言う形で、処理されまして、本多大内記政勝公の菩提寺、谷中幡随院に留め置かれます。

そして、直ぐに、田中三太夫が現れて、貞宗作の『彦四郎』と香典と称し二十五両を届けて参ります。


三太夫「いやはや、殿にもびっくりさせられ通しだ。お前に五万石出すと言い出したり、手討ちにすると言い出したり、

結局、ここの住職とは初めから打合せが出来ておって、その方が飽くまでも固辞したら、此の寺に預ける算段が出来ていたんだ。」

伊太郎「何から、何まで、本当にお世話になります、ご家老様。」

三太夫「まぁ、退屈だろが、お前の噂が立ち消えるまで、この寺方で隠遁しておいて呉れ、ただなぁ、折々に金子は出せとの殿の命令だ。

次は、初七日に又二十五両出る、その後も、二十七日、三十五日、四十九日。。。百日と、折々に二十五両持参する。

また、金子意外にも、欲しい物が有れば、何でも届けてやれと言う殿の命令だ!毎日、朝五ツと昼八ツに仲間を送るので、遠慮なく言って参れ。

いや、儂もなぁ、袖擦り合うも多少の縁で、貴様に関わってしまったが、拙者、お主が嫌いではないぞ、欲しい物は何でも云え。

寺方の食客などと言うものは、誠に退屈千万だとは思うが、その頭の髷が結える迄は、此の寺で大人しく頼む。」


そう言って、田中三太夫が帰って行きますと、伊太郎、寺の食客として、午前中は、寺方と一緒に修行、午後は木剣を振っておりますと、

お寺という所は、檀家は勿論、そうでない人々も、困った時は、取り敢えず、寺に駆け込むものの様で御座います。

すると、まず、寺方ですら難儀している様な事を、この伊太郎が、取り敢えず、豊富な資金があるので人助けをする様になる。

その手始めにやったのが、この上野、谷中、浅草界隈の行き倒れの埋葬と、無縁墓地の造営です。

江戸という街は、兎に角、色んな人種が入り込んで来て、絶えず、人口が増え続けておりますから、

ポックリ死なれても人別帳には乗っていない、顔を見た知り合いを探すにも大変で、落語『粗忽長屋』の様な事件は日常茶飯事でした。

それでも、千代田のお城の堀で起きた溺死などは、幕府、奉行所が連携して三、四日の身元調査が行われて、

身内が万一発見できない場合でも、是を無縁佛として埋葬する事になっていたそうです。しかし、

『粗忽長屋』の様な死体は、まず、何処の誰だか?分からない、結局引取り手がないと火葬にもされず、放置された様です。

それでも、まだ、地びたで死んだ奴は、放置していれば犬やカラスが食べて鳥葬?!骨にしてくれるので、ましなのですが、

問題は、川の溺死体です。之は放置すると疫病、伝染病や感染症の温床となり、江戸中に奇病が流行るのでした。

それを聴いた伊太郎、放って於けないんですね、性分として。先ずは、病が流行ったら死体の始末から初めて、

被害者には金や食べ物を恵む。そして、原因が行き倒れの放置と分かると、是を率先して埋葬し、無縁墓地を造り、坊主呼んで供養する。

こんな慈善事業ばっかり、半年もやりますと、伊太郎は有名人になります。そして、『幡随院の親方』と呼ばれる様になる。

更に、この幡随院という寺の住職が『長兵衛』と言う名前だったのがキッカケで、伊太郎の事を『長兵衛さん』と周囲が呼ぶようになります。

すると、伊太郎も「いいえ、私は伊太郎で長兵衛では在りません。」と、最初(ハナ)は訂正していたのですが、

次第に、間違いが万度続くと、是が面倒になって、『長兵衛』で通すようになります。そんなこんなで伊太郎、何時の頃からか『幡随院長兵衛』と呼ばれる様になります。


そして、漸くまともに髷が結える様になり、いつまでも寺の食客って訳にもいかず、だけども、相変わらず困った人が押しかけて、

奉行所に駆け込んでも、絶対に相手にしてくれない、そこで始めたのが仲裁屋、喧嘩、借金、娘の売買、権利・利権、

所謂、民事事件の仲裁人を買って出て、相互が納得する落としどころを探してやり、手数料を貰う。

是も始めてみると、既に、行き倒れでの慈善事業の下地があるから、『幡随院の親方』『長兵衛さん!長兵衛さん!』と、

引っ切り無しに仕事は、飛び込んで来るし、最初は一人だったのが、「兄い!親方!」と、慕って来る舎弟や子分を抱えるようになる。

更に、久しぶりに行った本多大内記政勝公の所で、大名行列の人足集めの噺を、家老の田中三太夫から承る。

三太夫「そいう訳なのだ、播州姫路から江戸まで行列を組織するのに、本当に苦労するのだ。

播州から大人数で最初(ハナ)から参ると、銭が掛かる。だから、何処の藩も駿府辺りで人を増やし、

最後は、戸塚か鎌倉辺りの立場まで来て、初めて五百人規模の行列にして見せて、藩の力を誇示するのだが。。。」

長兵衛「ヘイ、ご家老に教えて頂かなくても、それは百も処置です。それがどうかしましたか?」

三太夫「そこで問題なのが、仲間奴の躾なのだ。」

長兵衛「仲間奴の躾?」

三太夫「そう!それ。 口入屋に仲間奴を頼むと、奴の給金は一律なのだ。すると、どうなると思う?」

長兵衛「そしたら、先ずは、旗持ち、弓槍持ち、鉄砲持ちが一番楽だから、その役の奪い合いですね。次に、葛籠、最後が駕籠カキでしょう。」

三太夫「そうだ、だから腕っぷしの強い奴が、なぜか軽い物を持ち、一番貧弱なのが駕籠に回る。すると、行列はどうなる?!」

長兵衛「進みませんね、ノロノロ動くから宿泊費用が莫大になりますね。」

三太夫「そこで、相談だ。結局、人足の給金をお前の裁量で差別化して、行列で持つ物に相応しい給金にして、人足全体の給金を二分程度は増えて構わん、

一日伸びて宿屋に銭を取られるくらいなら、二分なら余計に払う、長兵衛、それで予定通り進む行列をお前の差配で造って呉れ。頼む!!」

長兵衛「何だか面白そうですね。ちょいと工夫してやってみます。」

こうして、始めた口入稼業が、大ヒットして、この後、幡随院長兵衛の本業になります。兎に角、長兵衛が拵える大名行列は、細かい配慮で至れり尽くせりでした。

本多家の姫路藩の場合、播州から江戸まで、家来以外の所謂雇われ仲間は、通しで旅をさせると、思わぬ怪我、事故、前払い金の持ち逃げをしでかして、

途中で、是を補充しようと致しますと、是が高く付くのです。そこで、まず、人足を登録制にします。

そして、実績経験のある人足は歩合給が上がる。基本的に、姫路からの人足は京都まで、京都からの人足は名古屋まで、名古屋からは駿府まで、そして最後の駿府からは江戸へ。

この様に区間を細かく管理する事で、欠員を減らして予定通りの日数で、必ず、交代できるようにしたのです。

是、本多家の財政を大いに助けます。何せ、片道二千両を超えていた参勤交代行列の費用が、千四百両になったのですから。

この噂は、直ぐに、各藩の勘定方の間で広がります。「幡随院に行列の手配をさせたら、五百両からの銭が節約できる!!」

是で、幡随院長兵衛の名前は、大名の間に瞬く間に広まり、幡随院長兵衛の口入屋は、江戸で押しも押されもしない大商人になるのです。

そして、長兵衛がいよいよ、巷では諸悪の根源!と呼ばれている『町奴』連中を束ねる大親分へと成るのですが、それは次回のお楽しみ!!



つづく