甲州屋吉兵衛と、伊勢屋元番頭久八が親子であった事が判り、実に三十年ぶりに親子が対面し、抱き合いながら泪し出す。
この光景を目撃し、周囲の関係者も貰い泣きとなり、御裁きは一時中断してしまうが、暫く待って大岡越前守は一同に声を掛ける。
大岡「一同、静まれ!! さて、甲州屋吉兵衛、之なる久八はその方の実子なのか?!」
吉兵衛「私は元々京で料理人をしていた藤蔵と申します。今より三十年前、この久八、藤松を産んで先妻が亡くなります。
それで、乳飲み子を抱えた私は、京を出て知人を頼り、江戸へと参るのですが、藤松に乳を与えながらの旅に疲れて、
この久八、藤松を駿州の岩渕で、並木の地蔵堂に残して、独りで江戸へと向かい現在に至ります。
しかし、その時に魔除けの御守を藤松には授けて、藁を敷いたこおりの中へ藤松を入れて置き去りに致しました。
之は、藤松、久八が立派に生きていたとは言え、明らかに犯罪です。大岡様、私は我が子を捨てた大罪人に御座います。
今、ここに罪を自訴致し、如何なる罰もお受けしますので、御裁きをお願いします。」
大岡「相判った。しかし、裁きを言い渡す前に、問い正したい事がある。吉兵衛!有体に申し述べよ。」
吉兵衛「ハイ、何んなりとお尋ね下さい。」
大岡「その方、後に藤松、久八の事を、知りたくはならなかったのか? 駿州岩渕であれば自力で調べられたはずだ。」
吉兵衛「最初の二年、三年は料理人として無我夢中で、そして行商の古着屋を始めてからも商いが忙しく、
久八、藤松には申し訳ありませんが、お前さんの事は思い出さないようにしていました。
そして、江戸へ出て十年。漸く、間口一軒半の店を構えて商売が出来るようになり、岩渕へ藤松を連れ戻しに行こうか?と考えるようになりました。
ところが、在る商売筋の知り合いに、今の女房を紹介されて結婚、すると、直ぐに現二代、吉太郎が誕生して初めて気付いたのですが、
私が捨てた藤松がもし生きていたら、私が江戸へ出てちょうど十年ですから、藤松も十歳。そうなると、藤松には育ての親が御座います。
吉太郎を育ててみて初めて、私は親の喜びを知り、それと同じ思いで既に十年、藤松を宝物のように育てている親がある事に気付きます。
そうなると、私が藤松を迎えに行くと、生木を剝がすような苦しみを、その育ての親には味合わせる事になると思ったのです。
そんな事に悩み、岩渕行きを躊躇していると、今度は三年後に次男の仙太郎が生まれて。。。私は岩渕行きを自分の中で封印すます。
久八さん! 決してお前さんの事を忘れていた訳ではないのだが、自分の都合で迎えに行かなかった私を許して呉れ。」
久八「いいぇ、許すだなんて。私はそりゃぁ、実の親に会いたく無かったと言えば嘘になりますが、
私には、育てて呉れた久右衛門と虎の両親があり、ここまで育てて呉れた事を感謝しておりますし、之から死ぬまでその両親に親孝行するつもりです。」
吉兵衛「そうかい、有難う久八さん! お奉行様、我が子である久八さんの気持ちも判り、思い残す事は御座いません。御裁きをお願いします。」
大岡「相判った。 三十年前に生まれたばかりの我が子を捨てた吉兵衛、その方の行為は確かに罪ではあるが、結果として、
捨てられた久八は、この様に立派に成長し、異母兄弟の仙太郎を、陰から支えたという事実、並びに、村井長庵の白洲に於いては、
裁きへの並々ならぬ貢献をして呉れた。よって、吉兵衛、その方には捨て子の罰として、大火、飢饉など天災で生じる孤児(みなしご)を救済する基金の創設を申し付ける。
毎年、五十両程度の出資を致し、火事や飢饉で孤児となる子供たちが死なずに成長できる保護施設の創設を、奉行申し付ける。」
吉兵衛「分かりました、吉兵衛、天災による孤児の救済、お奉行の志を継いで立派に執り行います。」
五郎兵衛「お奉行様、お奉行様!!この伊勢屋五郎兵衛、仙太郎の義父として、天災孤児の救済に助力したいと存じます。
そして、叶いますならば、両替商組合を上げての助成、約束致します。」
善兵衛「お奉行様!お奉行様!大坂屋善兵衛申し上げます。こちらも、古着屋、呉服商組合を上げて、協力を願い出とう存じます。」
大岡「それはそれは頼もしい。千両を越える基金が出来そうであるなぁ、奉行、嬉しく思う。大いに気張れ、基金の創設、お願い致す。」
大岡「さて、仙太郎の念書の開示に際し、思わぬ親子の名乗りとなり、白洲が脇に逸れてしまったが、長庵!改めてその方に問う、
之でも貴様は、小夜衣の五十両の件、知らぬ存ぜぬと、白を切り通すつもりであるか?!」
長庵「長々茶番に付き合わされて。。。佐倉義民傳の『惣五郎の子別れ』を見せられているようでねぇ。
お奉行様、結局、この証拠だけでは、アッシが白状しない限り、『疑わしい』ってだけで、遠島に出来るか?
恐らくは、佃島の寄場送りがいいとこでしょう? その念書如きでは、この長庵、白状致しませんよ。」
大岡「強情な奴よのう、長庵。では、次なる証人を引き出せ!!、浅草馬道、人形屋三次郎を之へ!!」
そう叫ぶ大岡越前守の声を聴いて、流石の村井長庵も、まずい?!と感じたようで、舌打ちを『チぇッ』と致します。
下男二人に脇を取られて、三次郎がお白洲へ引き出されると、長庵、見る見るうちに、ソワソワし始めて、身体が小刻みに震え始めます。
大岡「さて、その方、在所姓名を述べよ。」
三次郎「へい、浅草馬道に住む三次郎と申します。」
大岡「人別帳、及び町役人に確認したところ、人形屋とあるが、人形造りを生業と致して居るのか?!」
三次郎「お奉行様、馬鹿言っちゃいけねぇ~。人別帳に『香具師』とか『賭博打』とか、ましてや『盗賊』、『詐欺師』なんて書く奴は居りません。
だから、皆んな、『魚屋』だの『八百屋』だの書くんで、俺は洒落て『人形屋』にしているだけで、お雛様も鍾馗様も造った事は御座んせん。」
大岡「左様かぁ、では、三次郎、その方何を生業としておる。」
三次郎「へい、あんまり胸を張って言える商売では御座いませんが、賭博が主な生業です。ただし、胴を取る。。。元締めをやる訳では御座いませんから、
そこに居る長庵の野郎同様で御座いまして、資金(種銭)を拵える為に、盗み、語り、脅しと何でもやります。」
大岡「それでは、この長庵をその方は見知って居るのか?!」
三次郎「そうですね、よく存じ上げております。」
大岡「では、何時、どの様にして、長庵を見知った。有体に申してみよ。」
三次郎「知り合ったのは、十年以上前で、場所は確か、稲荷堀の細川様の仲間(ちゅうげん)屋敷の賭場で御座います。」
大岡「それでは、十年来の知り合いという事か?!」
三次郎「左様で御座います。」
大岡「さて、この中に、長庵以外でお前が見知った者は居るか?!」
三次郎「あぁ~、それなら、あそこに居る女郎、あれはお梅と云って、長庵の妹・お登勢の娘で御座います。」
大岡「なぜ、お前は見知っておる?」
三次郎「へい、長庵の野郎が、騙して𠮷原江戸町二丁目の松葉屋半左衛門に叩き売る際に、保証人が要るってんで名前を貸したからです。
その隣にいらっしゃるのは、そうだ!今思い出した、その松葉屋の番頭さん、平蔵さんです。一度しか会っていませんが、間違いありません。」
大岡「松葉屋平蔵! それに相違ないか?」
平蔵「ハイ、お奉行様、それなる人形屋三次郎が、保証人としてこの紅梅ことお梅は連れて来られました。」
大岡「さて、人形屋三次郎。その方、浅草の自身番に『長庵に頼まれて、お小夜とお梅の母、お登勢を殺しました。』と、自訴したそうだが本当か?!」
三次郎「ハイ、本当です。もう打首になる覚悟は出来て御座います。間違いなくアッシは、そこに居る長庵に頼まれて、五両でお登勢殺しを請負ました。
そして、お登勢を騙して、松葉屋にお小夜、小夜衣花魁に逢わせてやると云って、入谷の裏田圃で雨ん中、出刃で脇腹を突いて、その跡手拭いで絞め殺しました。
余りにも往生際が悪く、中々死なないので、『お前の兄貴の長庵に頼まれて殺した!』と、言ってやったら、化けて出やがって。。。しかも八年も経って。
それにねぇ、お奉行様、この長庵の野郎は汚いんです。五両やるって云うから仕方なく俺はお登勢を殺したんだ。それなのに殺す前に俺の事を喋ったからと云って、
この長庵の野郎、俺に呉れた報酬は、たったの二分ですよ、二分。 平気で姪は𠮷原に売るし、実の妹だって殺しちまう。そんな野郎です。」
大岡「それでは三次郎、序に聴くかぁ、小夜衣と紅梅の父親、重兵衛が殺された直後、紅梅のお梅を売る半年程前、長庵の様子は如何であったか?」
三次郎「自身番でも片桐の旦那にも聴かれたんで答えましたが、言われて思い出したんです、長庵の野郎が二十五両の切餅を持って賭場に来たんです。
そんな事は滅多に無いと云うかぁ、初めてだったからよーく覚えているんですよ、切餅の二十五両包、しかも両替商井筒屋の封印入りの切餅を二つです。」
大岡「ほーそうであるかぁ、さて、松葉屋番頭、平蔵!松葉屋に出入りの両替商は何処だ?!」
平蔵「お答え致します。井筒屋に御座います。 そして重兵衛さんに支払った六十両のうち五十両はその井筒屋の切餅です。」
大岡「さて、村井長庵! 改めて聴く、之なる人形屋三次郎が、この様に証言しているが、之でもお前は知らぬ、存ぜぬと云い張るつもりか?!」
長庵「へへぇ、へへぇ、こうなったら仕方ねぇ~。ハイ、重兵衛を殺したのは私です。そして、この三次郎にお登勢を殺せと命じたのも俺だ!
そうです、そうですよぉ、小夜衣の六十両と、紅梅の四十両が欲しかったからだ!!
あぁ、そうとも、仙太郎が小夜衣に惚れていたのを利用して五十両も騙し取ったさぁ。
何が悪い!騙されて、のこのこ江戸表に出て来るようなカモから、銭や命を奪って、どこが悪い!俺は太く短く生きると決めたんだ!!文句があるかぁ?!」
大岡「では、『仙太郎殺しの吟味』仕置きの沙汰、言い渡す。まず、仙太郎殺しで自訴した、伊勢屋元番頭久八、面を上げ!
その方が殺したと申し出た伊勢屋養子、仙太郎は、浅草田町医師、田上春敏の見立てでは『卒中』である事は明白。
よって、その方の無実は証明された、一切構い無しと致す。
次に、浅草馬道、人形屋三次郎、その方、入谷の裏田圃にて、小夜衣並びに紅梅の母であるお登勢を殺害し事を、
八年の経過の後、良心の呵責もあり自訴したし、同証言の場所入谷田圃より、お登勢の骨を回収致した。
証言は立証され本来であれば、五両の金目当てに起こした許し難い強行ではあるが、大いに反省が見て取れるし、
より凶悪な村井長庵の自白を引き出す白洲への協力を評価し、罪一等を減じ、三宅島への遠島を申し付ける。
最後に、村井長庵。合計百五十両の金子を盗み、二人の身内を殺害し、実の姪を騙して𠮷原へ売り飛ばした罪は重く、
反省の情は無く、全く持って許し難い。 更に、伊勢屋養子仙太郎の恋心に付け込み、不当に姪・小夜衣を利用しての悪行は、言語道断!!
よって、村井長庵は、市中引回しの上、磔獄門! 斬首されたその首は、鈴ヶ森にて十五日の晒し首と致す。一同の者、大儀である。立ちませぇ~。」
こうして、四回のお白洲で、村井長庵は裁かれ極刑となった。
さて、伊勢屋五郎兵衛は、この仙太郎の死と、村井長庵事件をきっかけに人が変わった様に、弱い人、不幸な人、恵まれない人に施しをする様になる。
そして、死んだ養子の仙太郎の代わりに、是非、異母兄弟の兄、久八を跡取りに迎えるのでした。また、伊勢屋の跡を継いだ久八は、
故郷の岩渕から育ての親である久右衛門と虎を江戸へ呼び、六右衛門も合わせて、伊勢屋で引取り面倒を見る。
一方、甲州屋吉兵衛は、直ぐに松葉屋半左衛門に申し入れて、三百両の金子で小夜衣と紅梅の姉妹を身請け致します。
小夜衣は、仙太郎と夫婦約束をしていた女性だからと、甲州屋の分家を造り婿を迎えてと噺を薦めようとしますが、
小夜衣自身が是を断り、生涯仙太郎の菩提を弔い、合わせて長庵に殺された両親、そして悪人ながら伯父の長庵も弔う為に出家致します。
やがて、この御裁きから半年が過ぎた頃、自然の流れで身請けされて甲州屋に居たお梅と、伊勢屋の久八が恋仲になり夫婦となります。
媒酌人には、大岡越前守忠相が努めて、末永く夫婦は仲睦まじく子宝にも恵まれたと申します。
そして、この事件で作られた『並木地蔵堂基金』で、多くの孤児(みなしご)が救済されたそうで御座います。
完