同心の片桐祐介は、浅草の馬道に来て居た。

片桐「おい!小春太夫、塩梅は如何である?」

小春「ハイもう此の三日、野郎は殆ど眠れていない状態です。」

片桐「そうかぁ、もう二、三日続けて呉れ。何が何んでも、あの野郎を落とす必要がある。」

そう言って南町同心片桐が呼び出したのは、浅草の芝居小屋で、女流役者をしている小春太夫。

そして、五日程前から、長庵の妹、お登勢の幽霊に化けて、夜な夜な馬道の人形屋三次郎を脅かしております。

その小春太夫が化けるお登勢は、小夜衣、紅梅の実の娘二人が監修の元、極限まで実物のお登勢に似せて御座いますから、其れは其れは効果満点。

もう、三次郎は『お登勢の幽霊』に半狂乱でノイローゼで御座いまして、とうとう、麹町の村井長庵宅を訪ねて、恨み節です。

三次郎「長庵さん!長庵さん! 居るかい?長庵さん?」

長庵「居るよ、空いているから、遠慮は要らない入って来なぁ?!」

三次郎「大変だぁ!長庵さん、ゆ、ゆ、ゆ、ゆ幽霊が出たぁ?!」

長庵「誰のが?!明美か?」

三次郎「ダレノガレ明美じゃありません、駿州江尻のお登勢、お前さんの妹の幽霊が!幽霊が出ました、あの雨夜の裏田圃で見た。。。あの人魂に成った幽霊が俺に取り付いたんだ。」

長庵「お登勢の幽霊が?三次郎、お前に取り付いた?! お前は幽霊だから、まだ、マシ。俺には、南町奉行の大岡越前守が取り付いたんだぞ?!

お前は、お前で、好きに幽霊と闘っていなさい。私の知った事ちゃない。申し訳ないが、俺は今、貴様に構ってやれる余裕がない。」

三次郎「お前が殺させた妹だぞ!其れが成仏できなくて、化けて出ているのに。。。俺を見捨てるのか?!」

長庵「見捨てるも何も、俺には化けて出ず。お前に出るからと言われても。。。救ってやりようがないだろう!三次郎。」

三次郎「そんなぁ〜、殺生なぁ〜。」

長庵「霊剣新かな宜い坊主を雇って供養をしろ、俺は医者だ、幽霊は専門外だから。」

と、結局、人形屋三次郎は長庵に相手にされず、其れどころか自分の命は自分で守れと言わんばかりで、簡単に追い返されてしまいます。


翌日、又しても小春太夫の化けた幽霊が、人形屋三次郎の家を襲いますと、もう、三次郎、我慢の限界の様で御座いまして、

自身番に自ら駆け込んで、お登勢殺しを自白し、お縄と成ります。そこで、機は熟したと、大岡越前守忠相は、伊勢屋仙太郎殺しの第四回目の白洲を開く為に、

麹町平河町医師・村井長庵、神田三河町伊勢屋五郎兵衛、富澤町甲州屋吉兵衛、古着屋の大坂屋善兵衛、そして、藤掛唐十郎の後家お美津、並びに瀬戸物屋忠兵衛、

更に、吉原の松葉屋半左衛門方番頭の平蔵、及び、預かりの遊女・小夜衣と紅梅の姉妹、そして、伊勢五の元番頭・久八、その叔父・六右衛門が差紙を受けて呼び出されます。


大岡越前守忠相は、いつもの様に唐紙を開けて、麻裃に長袴姿でご出座となり、早速今日は村井長庵を睨み付けて、この悪党に声を掛けられます。

大岡「長庵!前回のお白洲では、麻布永坂での重兵衛殺しについて、此処に居る忠兵衛の目撃証言を、間男への遺恨から忠兵衛の『でっち上げ』と申したが、

それでは、その後に起きたここに居るお梅こと遊女紅梅を騙して吉原・松葉屋半左衛門方へ売り飛ばして、四十両の金子を詐取し、

あまつさえ、実の妹・お登勢を入谷田圃にて殺害いたし遺棄した罪、更には、伊勢屋五郎兵衛の養子・仙太郎を言葉巧みに騙して、

松葉屋半左衛門の遊女で花魁格の小夜衣の身請け噺を持ち掛けて、五十両を詐取いたした件、この三つの嫌疑は身に覚えが有ろう?如何かなぁ?!」

長庵「お奉行様に申し上げます。その様な悪行、此の村井長庵、一切身に覚えは御座いません。

此の長庵が、燃しその様な大罪を犯したと申されるならば、長庵、証拠、証人を示して頂きたい。」

大岡「ほー、証拠と証人が欲しいかぁ?!鬼か夜叉の如き人の皮を被った悪魔の癖に、欲しがる道は真人間同様とは、片腹痛いなぁ。」

長庵「ナッ!何を申されますお奉行様。余りに無礼を申されると、私は一塊の町医者では御座いますが、流石に怒りますよ。

医は仁術と申します、この村井長庵、決して江戸中に轟く様な名医では御座いませんが、微力ながら人の命は助けても、殺す事など御座いません。

其れを、妹の亭主を殺した!実の妹を殺した!更には、姪を騙して銭を我が物にした!などなど、身に覚えが全く御座いません。いい加減にして下さい。

其処まで人を犯罪者扱いなさるなら、確かな証拠や証人を示してからに、して頂きたい!!そうでないと、大岡様の評判は地に落ちますぞ!」

大岡「儂の世評の心配など、貴様にされたくは無い。さて、長庵、お前は伊勢屋五郎兵衛の養子、仙太郎は知っているか?!」

長庵「さて、何方でしょう?。。。アッ!そこに居る伊勢屋五郎兵衛さんの診察をと頼みに来たお人です。」

大岡「仙太郎の方から、貴様の所へ義父の診察を頼みに来たと申すのか?!」

長庵「ハイ、私はその様に記憶しています。」

大岡「さて、伊勢屋五郎兵衛、その方、医者と言うものに、日頃掛かり着けておるのか?!」

伊勢屋「お奉行様、伊勢屋五郎兵衛が申し上げます。医者なんぞと申します輩は、日頃、全く信用して御座いません。

そんか物に払う銭があるなら、商売の仕入れに回すか、蔵に留め起き、所謂箪笥の肥やしに致します。

この長庵は、仙太郎の古い知り合いで、無料(ただ)で、脈を取らせて下さいと、自ら願い出て来たから、診せてやりましたが、有料ならお断りで御座います。」

大岡「左様かぁ。仙太郎の古い知り合いならば、甲州屋吉兵衛、お前もこの村井長庵を知りおるのか?!」

甲州屋「いいえ、知りません。今、初めてお会いする方で御座います。」

大岡「オイ、長庵。貴様は、五郎兵衛を往診致した際は、仙太郎から頼まれて致したと申したが、五郎兵衛には、仙太郎が古い知り合いの医師として、紹介している。

それも、本当に古い知り合いならば、仙太郎の実の父、甲州屋が知っているはずなのに、お前を此の場で初めて見たと言う。

どうやら、貴様と仙太郎だけに、その関係を何故か?隠す必要があるやに思えるのだが、この二人の関係については、どう答える?長庵、申してみよ。」

長庵「お奉行様、私は身に覚えの無い事は、貴方が何んと言おうと知りませんとしかお答えできません。

其れに結局、お奉行様、貴方の方が立場は上で、低い立場の私は召し取られて牢屋に入れられて拷問になるんです。

然し其れでも私は、覚えの無い罪を白状致しません。喩え背中を割られて煮え沸る鉛を流し込まれても、

実の妹や、その亭主を殺したり、姪っ子が苦界に行って拵えた金子を盗む様な真似は、一切、していませんから、改めて、申し上げます。」

真綿で首を締めると言うかぁ、外堀を埋めに掛かる大岡越前守忠相に、村井長庵は、あくまでも知らぬ存ぜぬと、白を切り通します。


越前「さて、六右衛門。お前は前回の白洲で言上した、仙太郎が久八に書いた『念書』なる物、今日は持参致したか?!」

六右衛門「ハイ、持参致しました。」

越前「では、その念書成るものを、此の場にて詳らかにして呉れ。六右衛門、久八、宜しいかぁ?」

六右衛門、久八ともに、承知致しまして、仙太郎が書き記した『念書』を出しまして、是をつくばいの同心を介して、大岡越前守に差し出します。

越前守は、即座に是に目を通すと、この白洲に同席している、大目付配下の目安方役人に渡して、内容の読み上げと確認を申し付けます。


一、此の度吾𠮷原江戸町二丁目松葉屋半左衛門方、抱え遊女『小夜衣』身請けの一件に付

金五拾両右同人伯父、麴町平河町、村井長庵と申す医師に騙り取られ候。

此の事、義父・伊勢屋五郎兵衛に知れ候らへば、吾、義父五郎兵衛より離縁となるは必定。

其の罪を一身に貴殿受られ、由えに、伊勢屋を解雇さるるに至るは不憫の極み。

寄って、此処に吾誓うもの成 「貴殿が追し月賦を肩代致し候事。」

「伊勢屋の家督相続の後、その全身代の二分を譲渡致すもの也。」

右、御礼として貴殿に御譲り申し候、後日の為、由て一札如件。


享保八年九月十五日 伊勢屋仙太郎 

  殿


大岡「さて、まず、甲州屋吉兵衛に尋ねる。この字を見て、どう思う?実の息子、仙太郎の手による物に間違いないか?!」

吉兵衛「ハイ、間違い御座ません、我が子、仙太郎が書き記した物に御座います。また、此の印形も、私が仙太郎に買い与えた物で御座います。」

大岡「五郎兵衛、之を見てもお前は、まだ目が覚めぬか?!」

言われた五郎兵衛、真っ赤になり返す言葉が見付からないと言う表情で、ゆっくりと、久八に謝罪の言葉を選びながら、口を開きます。

五郎兵衛「久八!なぜ、一身に仙太郎の悪事を被ったりした? お前が『私がやりました。』と自首して、仙太郎を庇うからすっかり私は騙されてしまった。

溜まって居た給金の三十六両と二両の月賦。そして、こおり二つに入っている夏冬の着物も合わせて返すから、私を許して呉れ。

お前がそんな事をする奴じゃない事は、儂が一番分かって居たのに。。。病気のせいで、頭がおかしく成っていたんだ、きっとそうだ、許して呉れ!久八。」

吉兵衛「私も、仙太郎を殺したのは、お前さんだ。久八さん、お前さんが締めたり塀に叩き着けなきゃ死なずに済んだと思ったりしたが、

仙太郎が、一度は別れたハズの小夜衣と、又、捻を戻して密会していると知り、お前さんがどんなに仙太郎に怒りを覚えたか。。。

そして、其れでも、仙太郎を思い、仙太郎が一人前に成って、立派な伊勢屋の跡継ぎが務まる様にと願っていたのが宜く判る。」

六右衛門「いやぁ〜、五郎兵衛さんも、吉兵衛さんも、久八の器量を分かって呉れて、本当に俺は嬉しいぜぇ。」

そう言うと、三人は、男泣きに泣いて、お白洲であり、大勢が見ているなか、泪を流して、久八の是迄の事を労い謝罪した。


その光景に貰い泣きする面々、そして、この念書を読み上げた、目安方の役人が、妙な事を申します。

目安方「越前殿、この念書の他に妙な物が、もう一つ御座いまする。」

大岡「目安方?!何んで御座いますかな?」

目安方「お見せ致します、之に御座います。」


元禄十二年 十一月十三日

                           駿州岩渕並木地蔵堂に於いて、雲水僧 幻斎是を記すもの哉。


大岡「何んであろう?!之は。」

久八「済いません、私の出生時の御守に入れていた、旅の雲水が記した書付なんです。

実は、私は岩渕の並木地蔵堂に捨てられた捨て子でして、その時、雲水に捨てられた日付を書留て貰ったんです。」

そう言って久八が、その厄除の御守りを取り出すと、甲州屋吉兵衛の顔色が変わります。

吉兵衛「久八さん!お前さんは、元禄十二年十一月十三日に、駿州岩渕の並木地蔵堂に捨てられて居たのかい?!」

久八「ハイ、左様です。なぜ、吉兵衛さん!?貴方は其れを?!」

吉兵衛「俺がお前を仕方なく捨てた父親、元京都の料理人・藤蔵で、お前がその子・藤松だからさぁ!!」

久八「エッ!甲州屋さん、貴方が私のお父さんですか?!」

吉兵衛「そうだ!私がお前の父親だ。」

久八「じゃぁ〜、仙太郎は俺の弟だったかぁ?!何んで、何んで。。。死んだんだ、仙太郎。」



つづく