瀬戸物屋の忠兵衛の噺を聴いて、夫、藤松唐十郎の無実を証明する為に、お美津は長屋を借りる際に、身元保証人に成って呉れた、

赤坂の茶屋の主人、清左衛門にまず、『目安箱』への訴えに付いて相談するが、其れならば、自分よりもお前が住んでいる長屋の家主、田中幸兵衛さんの方が的役だと言われる。

幸兵衛「ハイ、すると何かい?!あの旅人が殺されて六十両盗まれた、八年前の事件で、お前さんのご主人が、北町に召し捕りに成ったのかい?!」

お美津「そうなんです。現場に落ちていた傘の持ち主が、夫の藤掛唐十郎だったと言うだけで、床に伏せって居る重い肺病なのに。。。

無理矢理、召し捕られて伝馬町の牢送りとなり、体の弱い夫はそのまんま獄中死したんです。」

幸兵衛「そうだったのかい。その事件の第一発見者の雲助、熊五郎と彌十を連れて、自身番に届け出たのは、何を隠そう!この私なんだよ。」

お美津「エッ!じゃぁ〜、説明するまでもないと思いますが、その事件当日、八年前の六月二十五日の朝、

殺された重兵衛さんの義理の兄、麹町平河町の按摩医者、村井長庵が長脇差を落とし差しで、雨ん中、ウコン木綿の頬被りして、

ドブ鼠の様にズブ濡れに成りながら帰宅するのを、同じ麹町の瀬戸物屋、忠兵衛さんが目撃していたと言うんです。」

幸兵衛「何んじゃぁと!お前さんのご主人は、冤罪で捕まり、牢屋ん中で死んだと言うのか?其れは、捨てて置けないなぁ。

私も当時、死骸を見付けた者として、北町が燃し失態をしでかしていたのなら、南町の大岡様に正してもらわないと。

私は大岡様の就任当初、越前守様を田舎から出て来た成り上がりと見誤って居た。しかし!大岡様は、『畔倉重四郎事件』を始め数々の難事件を解決なさいましたし、

何んと言っても、『徳川天一坊事件』ですよ!あの山内伊賀亮との対決は、江戸のお裁きの歴史に残る闘いでした。

私は元来、お裁き好き。奉行所好き。朝、婆さんに弁当を二つ拵えさせて、麻布と赤坂の自身番廻りを欠かさない。

そんな私は、誰よりも先に事件を嗅ぎつけて、瓦版屋より先に、より詳しく事件を知る男なんだ!!

だから、お美津さん!この件を『目安箱』に訴え出て再審の願いをする手助け、是非、私にやらせて下さい。」

お美津「有難う御座います、幸兵衛さん!!宜しくお願いします。」


こうして、藤掛唐十郎の内儀、お美津からの訴えとして、麻布古川の家主、田中幸兵衛が連名で、麹町平河町の按摩医師、村井長庵が訴えられます。

目安箱は、五年前の享保六年の夏から設置された、一般市民から幕府へ直接的な訴えの仕組みで、毎月二日、十一日、廿一日の月三回、

目安箱を設置することを日本橋に高札を立て公示された。そして、評定所がコレを管理して、大目付の監修で、直接、八代将軍吉宗に進言されたと言う。

そして、お美津の訴えを読んだ評定所の役人は、是は一大事だと感じて大目付に相談すると、将軍吉宗に噺が伝わり、南北町奉行が、大目付立ち会いの元、御前会議に呼び出しを受けます。

南町奉行は、ご存知、大岡越前守忠相、そして北町奉行は、諏訪美濃守頼篤である。

大目付「この度、八年前に北町で結審している麻布の永坂で起きた駿州江尻在住の重兵衛殺しについて、

下手人として獄中で死亡した藤掛唐十郎の妻と、この事件の第一発見者を自身番に同道した町役人の訴えで、

この事件の真犯人は、麹町平河町の医師、村井長庵である!と、言う訴えで御座います。」

諏訪「エッほん!お裁きの常識を、越前殿に言うのは『釈迦に説法』かと思いますが、『再考破り/一事不再理』、既に結審している案件は、

喩え、『目安箱』への訴えだからと言って、再審するのは、如何なものかと存じます。之が前列となり、同じ様な再審請求が『目安箱』に増えますと、

ご公儀の政に、悪い影響を与えるのは必定。此処は、『再考破り/一事不再理』を理由に、却下なさるべきかと存じます。」

吉宗「さて、頼篤は『再考破り/一事不再理』であると、再審の却下と申しておるが、忠相!ソチは如何にすべきと思う?!」

大岡「ハイ、上様。私も『再考破り/一事不再理』の原則は崩すべきではないと思いますから、北町にて結審された、麻布永坂の事件については、このまま、捨て置かれて宜しいかと思います。

しかし、この麹町平河町医師、村井長庵には実の妹殺しと、更にもう一人の姪、お梅を騙して吉原へ売り飛ばし、身入代金四十両詐取、

そして、今月起きた伊勢屋養子仙太郎の死に絡む、五十両身請け詐欺事件、都合三件の新たな嫌疑が御座います。

よって、之ら三件への参考として、この訴えを取り上げて、同じ武士である藤掛唐十郎の無実の汚名だけは晴らしてやりたいと存じます。」

吉宗「成る程、忠相!その方にこの件は任せて宜いか?頼篤、忠相にやらせようと思うが、異存は無いか?」

南北町奉行は「御意に御座います。」と、答えまして、この訴えは、大岡越前守預かりとなり、大目付も安堵いたします。


さて、大岡越前守忠相は、先の小夜衣と紅梅姉妹の証言と、この『目安箱』への訴え書を見て、恐らく麹町平河町医師、村井長庵が小夜衣が売られた六十両を欲しさに、義弟重兵衛を殺し、

あまつさえ、妹の紅梅を売った四十両も我が物にする為に、実の妹、お登勢まで殺害したに違いないと見ている。

そして、今回の『主殺し事件』この影でも、小夜衣の身請け噺でも、仙太郎を騙して長庵が五十両も奪ったと確信している。

大岡「片桐、次の四名に差紙を致せ。麹町平河町医師・村井長庵、麹町一丁目瀬戸物商・忠兵衛、麻布古川家主・田中幸兵衛、そして同長屋住人・藤掛唐十郎の妻・お美津だ。」

片桐「委細承知仕ります。」

こうして、神田三河町の伊勢屋、その養子・仙太郎を殺したと、久八が自訴した『主殺し』の三回目の吟味のお白洲が開かれた。

お白洲には、長い茣蓙が敷かれ、此処に初めて呼ばれた四人が、長庵、忠兵衛、幸兵衛、そしてお美津が一列に着座した。

つくばいの同心が二名配されて、そのシー、シーっと静寂を促す、驚蟄の声が発っせられます。そして、長袴に麻裃を付けた大岡越前守忠相が、唐紙を開け登場致します。

大岡「一同の者、面を上げぇ〜、之より、神田三河町両替商、伊勢屋五郎兵衛方、養子、仙太郎殺しと、吉原江戸町二丁目、松葉屋半左衛門方預かり、小夜衣の身請けに関する五十両詐取事件に付いて、吟味致す。

先ず、その前に『目安箱』への訴えに出た、麻布永坂での駿州江尻在住、百姓重兵衛殺しに関する新証言に付いて吟味致す。

先ずは、訴え主。麻布古川の田中幸兵衛方長屋に在住する、お美津に聞く、その方、既に結審している『重兵衛殺し』の事件を、

なぜ、八年の歳月を経て、今頃になって『目安箱』に訴えて出た?!この動機に付いて有体に申してみよ!!」

お美津「私の夫は、吉良の浪人で藤掛唐十郎と申します。肺病で床に寝た切りだったのに、八年前に麻布永坂で起きた、重兵衛さん殺しの事件で、

重兵衛さんを殺し六十両を奪ったと、現場に落ちていた傘を理由に、下手人として召し捕られ、牢屋へ入れられましたが、

元々、重い肺病です。そのまま獄中で死亡して、その罪を全て着せられて亡くなったのですが。。。

十日程前に、赤坂の露天で柿を売っておりますと、そこにいらっしゃる瀬戸物屋の忠兵衛さんと八年ぶりに出会いまして、

忠兵衛さんが、『実は。。。』と、噺をして呉れまして、八年前の事件当時の早朝、六月廿五日に、其処に居る村井長庵を見たと言うのです。

私は、ただただ、八年前に罪を着せられて死んで行った夫、藤掛唐十郎の冤罪だけは晴らしたい。そう願うばかりです。」

大岡「アイ、分かった。さて、今回目安箱への訴えを、お美津と共に行った、麻布古川家主の田中幸兵衛!申したい事が有れば、申してみよ。」

幸兵衛「ハイ、有難う御座います。このお美津さんは、一人息子で今年八つになる条太郎を育てながら、

親一人子一人で、『強盗、殺人犯の妻と子供』として、肩身の狭い思いをしながら暮らしております。

ですから、もし、藤掛さんの罪が濡衣ならば、其れを晴らして、少しでも胸を張って暮らして行ければと願いまして、目安箱に訴えさせて頂きました。

どうかぁ、大岡様、お美津の夫、藤掛唐十郎殿の無実を晴らして下さい。宜しくお願い申します。」

大岡「幸兵衛、お前の気持ち。奉行は嬉しく思う。之からも民の悩みや疑問に、この『目安箱』が役立つ事を奉行も願っておる。

さて、忠兵衛。お前が思い出したと言う八年前の六月廿五日について、有体に申して見よ!!」

大岡越前守に、お白洲でそう言われた忠兵衛、お美津と再開した日以来、妻のお崎から『合拷問だ!合拷問だ!』と脅されていたから、忠兵衛の緊張は、想像を絶するものだった。

忠兵衛「ハイ、お奉行様に申し上げます。私は、三度の飯より神信心が好きでして、まず朔日の山王様へお詣りに始まり、

五日は水天宮様、十二日は薬師様、十三日は堀の内の『おそそ様』で、十五日は八幡様へのお詣り致します。

そして月の後半は廿日にお不動様、そして何より一番と思っているのが廿五日の天神様へのお詣り何んで御座います。」

大岡「成る程、忠兵衛、お前は七つの神様を、必ず毎月お詣りに行くと言うのだなぁ?!」

忠兵衛「左様で御座います。ですから、廿五日は必ず、天神様へ参るので、八年前の六月廿五日も、私は天神様へお詣りする準備をしていました。

そして、用足しに夜明け前、薄暗い中七ツ過ぎ目が覚めてみたら、雨が激しく降り頻る中、家に厠が無い私は、長屋の厠を使いに外へ出て、

其処に居る長庵さんが、雨ん中をウコン木綿の手拭いで頬被りして、傘も差さずに合羽も着ないでずぶ濡れで、

その上に裸足で、ピチャピチャ音をいわせて駆けて来たんです。しかも、長脇差を落とし差しでです。」

大岡「長庵が、脇差を差して居たのは間違いないかぁ?!忠兵衛。」

忠兵衛「ハイその時、裸足の足音に驚き、長屋で飼われていた白いムク犬が吠えて襲って来たのを、長庵の奴が、その長い刀で斬るのを、私は見ました。」

大岡「ほーっ。さて、長庵。忠兵衛は、貴様が八年前の六月廿五日に、雨ん中早朝に何処からか帰る所を見たと申しておる。此れは如何に?!」

長庵「お奉行様、村井長庵、申し上げます。忠兵衛の申す事は、全て嘘八百!でっち上げで御座います。」

大岡「ほー、でっち上げとなぁ?なぜ、忠兵衛は、その様な嘘をつく必要がある。」

長庵「其れは、忠兵衛が私に遺恨を抱いているので。。。殺してやりたいと憎まれております由え、今の様な造り噺を致します。」

大岡「ほー、忠兵衛、お前は長庵を殺したい程に憎んでおるのか?!」

忠兵衛「お奉行様、忠兵衛、申し上げます。私は長庵殿を恨むなど、そんな気持ちは全く御座いません。」

大岡「左様であるかぁ。さて、長庵、忠兵衛は遺恨など無いと申しておるぞ?! 長庵、その遺恨と言うのが何か? お前は噺て呉れるか?!」

長庵「ハイお奉行様、長庵、遺恨に付いて申し上げます。」

突然、村井長庵は、自身が忠兵衛から恨まれていると言い出します。忠兵衛は、困惑した表情を見せますが、大岡越前守忠相は、二人の遺恨に付いて、長庵に問い正します。


長庵「では、お奉行の前ですから、自身の恥を申す事になりますが、正直に全部をお話し致します。

遺恨の発端は、六年前。忠兵衛さんの奥様、お崎さん風邪を引かれて、高熱を出し寝込まれた事が御座います。

その時、往診を頼まれまして、たまたま、私が処方した薬が利いて、お崎さんは五日程で元気になられました。

宜く言われますように、近くて遠いは田舎の道、逆に遠くて近いは男女の仲などと、申しますが、

この治療をキッカケに、私とお崎さんが割り無い仲に成って仕舞います。そして、忠兵衛さんが神信心の為、

決まった日に、お詣りに行くのを利用して、逢瀬を楽しむ様に成ったのですが、悪い行いは神信心には敵わないもの、

或日の十二日、薬師様詣りの際に忠兵衛さんが西新井まで行かれて、翌十三日は流石に、堀の内には行けないと言うので、

千住に泊まる予定で、西保木間の法華寺へお詣りをすると言う一泊二日の予定で、神信心旅に出掛けられました。

当然、私とお崎さんは、忠兵衛さんが泊まり掛けで留守になると言うので、忠兵衛さんの家で一つ布団の中で過ごして居ると、

西新井へ行く途中、疝気が出て腰の調子が悪く成った忠兵衛さんが、十二日のうちに帰って来て、『間男見付けた!!』と成って仕舞いました。

そんな訳で、重ねて二つにする!と、荒れる忠兵衛さんに、七両二分と言われる間男の慰謝料と、更に口止め料を足して十両と言う事にして、

之を払い、勿論二度とお崎さんには会わない代わりに、この私が間男した事は口蓋しないと言う条件で、表面的には和解はしましたが、

もう、街で会っても忠兵衛さんからは、私には挨拶もして呉れませんし、偶に店に瀬戸物を買いに行くと、水を掛けられて帰れ!と言われる。

そんな関係ですから、忠兵衛さんは、私に相当な遺恨が有るから、こんなでっち上げを、ここぞと言い出したに違いありません。」

大岡「ほー、成る程。間男ねぇ〜、さて、長庵が遺恨に付いて、左様に申したが、忠兵衛!如何であるか? 有体に申してみよ。」


当然、妻のお崎と長庵が、間男したと言い出して、あまつさえ、十両の慰謝料、口止め料を払ったなどと言い出しますから、

忠兵衛、顔を真っ赤にして、口を尖らせて勿論、大いに反論致します。

忠兵衛「お、お、お、お奉行様に申し上げます。之れなる長庵!大変に太い奴に御座います。

私の妻、崎が不貞を働くなど在るはずが御座いません。好いて好かれて一緒に成ったんです。二人とも尾張の生まれ、

私が小牧の生まれで、崎は引山生まれで、二人とも尾張猿投山の麓の瀬戸物を焼く窯元で働いていて、それがくっ付き合で夫婦になり、江戸へ出て参りました。

江戸へ出て来て直ぐです。本郷三丁目の裏長屋、瀬戸物を仕入れて売り歩く行商を始めて半年、

仕事にも軌道に乗り、繁盛して来たそんな冬の晩、風が恐ろしく強い日。お崎は身重になり、五ヶ月から六ヶ月を迎えようとしていました。すると、


火事だぁ!!火事だぁ!!


と、大騒ぎになり、アッシとお崎は、本当に着の身着のまま焼け出されて、此の時です。近所に仲の宜い老夫婦が居て、

尾張からくっ付き合で江戸に出て来た俺たちに親切にしてくれて、その老夫婦が心配だと、お崎が言い出して、

一旦は、空き地に逃げていたけど、老夫婦の様子を見に行って、その老夫婦は無事だと分かりましたが、

そん時の無理が原因(もと)で、お崎は流産してガキが産めない体に成るんです。其れでも、アッシとお崎は其れから廿三年、

色んな苦労を乗り越えて今も夫婦なんだ。貧乏な時分は、一つの芋を半分ずつ食って過ごしたし、半分の饅頭を四半分ずつ食った事もある。

そうやって互いが、苦楽を共に廿三年、二人三脚でやって来たんだ。其れを、お崎が間男したなんて!長庵、この野郎、嘘もいい加減にしやがれ!!」

余りに忠兵衛が激昂し、今にも長庵に飛び掛かりそうなので、「鎮まれ!忠兵衛。黙りなさい。」と、注意する越前守でした。


さて、結局白洲は、目安箱の八年前享保三年六月廿五日、雨ん中で目撃された村井長庵を巡り、麹町一丁目瀬戸物屋の忠兵衛が証言するも、

長庵は、忠兵衛のでっち上げだ!と、その理由に忠兵衛の妻、お崎との不倫を理由に忠兵衛との間には遺恨が有ると言い張ります。

当然、このまま二人に議論させても、意見は平行線、水掛け論でしょうから、大岡越前守忠相、之れ迄!と、宣言して三回目のお白洲を終わらせてしまいます。

片桐「お奉行、この後、如何いたします?村井長庵を、身請けの五十両詐取の一件で召し捕り、拷問に掛けてでも、八年前の件を白状させましょうか?!」

大岡「片桐、拷問はいけません。其れに医者と言う立場にありながら、全く人間的な感情の無い長庵だ。

よく、医は仁術と申すが、村井長庵と言う奴は、その真逆。仁などと言う謙虚で素直な心が一欠片もない。

だから、拷問など用いると返って殻に入り、意地でも白状しなくなります。よって、二の矢、長庵の弱点を突いて、追い込みましょう。」

片桐「二の矢と申しますと、アレですねぇ?!」

大岡「ハイ、アレです。」


何やら、大岡越前守忠相は、部下の片桐祐介と『二の矢のアレ』に付いて打ち合わせを致しまして、村井長庵を是で追い込みます。

さて、次回。いよいよ、大団円まで、残り二話と成りました。果たして、越前守はどうやって長庵に罪を白状させるのか?次回をお楽しみに。



つづく