『鮪の柵』を切身にして、近所の八百屋から二十文で買った山葵を卸して、お隣さんに醬油(下地)を借りに走る久八。

久しぶりの休みする、夕飯の支度が、実に何とも嬉しくて仕方ない。そうしていると、小西から小僧が一升瓶で酒を届けに来た。

そして、それ等を飯台に並べていると、祭の振る舞い酒で赤ら顔の六右衛門が戻って参ります。

六右衛門「今、帰ったぜぇ! おっと、どうしたんだ?赤身に。。。灘の酒とは豪勢だなぁ~。」

そう言って飯台に並ぶご馳走を見て、六右衛門が少し驚いた様子で、言葉を続ける。

六右衛門「どうしたんだ?之は、一体。 二朱や一分で買える酒と肴じゃ無ぇ~だろう? どうしたんだ?」

そう言った次の瞬間、アッ!と言って、六右衛門の声の調子が変わります。

六右衛門「お前、そう言えば、此処に戻る道すがら昼間っから縮緬頭巾の妙な野郎を見たんだ。

アレは確か伊勢屋の仙太郎の野郎だ!それとこのご馳走に、何か関係があるのか?!」

久八「そうなんです。仙太郎さんがわざわざ、大旦那の目を盗んで逢いに来て下さったんです。

そして、苦労をしているだろうからと、二両二分の銭を恵んで下さって、『お前からは色々と世話になったから』と、言葉を掛けて下さいました。」

六右衛門「エッ!あの昼行灯みたいな奴がぁ?! 本当かぁ?!信じられねぇ、人は見掛けに寄らねぇ~なぁ~」

久八は、仙太郎の『念書』を見せて、実は。。。と、全部話したい気持ちを、グッと堪えて、六右衛門と鮪と灘の生一本に舌鼓を打った。


六右衛門「実は、お前に噺をしないといけない事がある。酔って忘れる前に話すから、よーく聴いて呉れ。」

久八「ハイ、どうしたんですか?急に改まって。。。」

六右衛門「実は、今度の事を、先月手紙にして久右衛門の所に全部俺が伝えたんだ。」

久八「エッ!でも。。。叔父さん、貴方は読み書き出来ないのでは?」

六右衛門「おーよ、だから、源兵衛と連名で出して貰った。そしたら、一昨日だ。返事が届いたんだが、

久八、怒るんじゃないぞ、久右衛門は『𠮷原の女郎に入れ上げて店の金子を盗むような奴は私の子どもじゃない!』と、

そう云って、お前を勘当すると言っている。もう、親でも、子でも無いと憤っているようだぁ。」

久八「本当ですか?! その手紙とやらを見せて下さい。」

六右衛門「ホラ、之がその手紙だ!!」

と、六右衛門は、仏壇奥をゴソゴソして、一通の手紙を取り出し、久八に差し出した。

読んでみると確かに、震えるような字で書かれている手紙は、間違いなく懐かしい久右衛門の手による物である。

久八「でも、なぜ?! 義父さんに今度の事を知らせたりしたんですか?」

六右衛門「俺も伝わるか?悩んだのだが、源兵衛さんが、前金として出した半金の二十六両。

之が戻らないと大事だから、久右衛門さんには早く知らせて於くべきだと言い出してなぁ。

それに、之は俺もそう思ったんだが、他人の口から風の便りに噂を聴いて知るよりは、

俺と源兵衛さんの口から、まぁ、手紙だけど、それで知る方がお前の為だと言うから知らせたんだ。」

そう言われてしまうと、受人になったばかりに、十三両ずつの負担をして呉れた二人が、

自分の育ての親、久右衛門に報告するのは、至極当然であり、仕方ないとは思う久八だったが、

それにしても、いきなり勘当!と、言われると、些も後悔の念を持たないとは言えないのである。


そして久八は、一度思い留まった『仙太郎の念書』を、懐中から取り出して、六右衛門に見せるのだった。

六右衛門「何んだ?! 之は? 俺は字が読めねぇ~から、こんな物を差し出されても、意味不明だぞ?!」

久八「判りました。では、全部本当の事を、叔父さんにだけはお噺致しましょう。」

そう言って、実は、お店の金五十両を盗んだのは養子の仙太郎である事、

その五十両を仙太郎が、麴町平河町の村井長庵と言う医者に騙し取られた事、

そして、久八は仙太郎が勘当されて仕舞うと、自分自身が國へ帰れなくなるので、ひとまずは、

苦肉の策で、仙太郎の罪を全部被って、その場を納めたのだが。。。思いもよらぬ主人・五郎兵衛の裁定で大いに窮地に陥っていたが、

しかし、仙太郎もちゃんと人の子で、月賦の一両の肩代わりと、相続後に身代の二割を譲るという『念書』を持って来た事を噺ました。

六右衛門「凄いなぁ、久八。そんな事がこの紙には書いてあるのか?!

ヨシ、直ぐに、久右衛門さんにその事を手紙に書いて知らせよう。そしたら、勘当もとけるだろう?!」

久八「いや、まだいまは知らせないで、源兵衛さんにも内緒にお願いします。」

六右衛門「ねぜだ? お前は、伊勢屋大事と思って、わざと仙太郎の罪を被ったんじゃないか?」

久八「幾つか理由は、御座いますが、まず第一に、私と伯父さん以外に知らせて、大旦那の耳に入る事を恐れます。」

六右衛門「確かに、そうだなぁ。五郎兵衛に知られたら、即刻、仙太郎は養子を勘当される。

いやいや、勘当だけで済めはいいが、五郎兵衛のことだ、奉行所へ突き出すと言い出すかもしれない。」

久八「そして、あの仙太郎が本当に改心して、この『念書』を書いたのか? それが問題です。」

六右衛門「それはどういう事だ?!俺みたいに鈍い奴にも分かる様に云って呉れ。」

久八「つまりは、窮鼠猫を嚙む!って事です。」

六右衛門「何んだ!益々訳が分からん??? 火事で焼き出された幇間の久蔵が、気が狂って猫を食べるって事か?!」

久八「そうじゃありません、窮鼠猫を嚙む、追い込まれた鼠は、死を覚悟すると背水の陣で一か八か、猫に襲い掛かるって事でして、

この『念書』は、私が五十両の借金返済に窮して、『実は若旦那がやりました!』と、言い出さない為の保険かも知れないと思うんです。」

六右衛門「でも、ちゃんと印行が押されているし、二両二分は置いて行ったんだろう?」

久八「二両二分は置いて行きますよ、鼠が窮しない為の布石ですから、それに印行だってねぇ。例えば無理矢理押させられたと言い出せば、

なかなかこの紙切れ一枚で、伊勢屋の身代の二割は取れないと思いますよ、実際、奉行所へ訴え出ても。」

六右衛門「そうない、そんなもんかい? 無筆の俺には全くピーンと来ないけどなぁ。」

久八「それでもねぇ、万に一つ、仙太郎若旦那が改心して呉れて、あの荒物屋を譲ると言って呉れたら、

そん時には、両親を駿府からこの江戸に呼んで、親孝行しようと思っているんです。

そしたら、そん時には、叔父さんの事も引取ますから、伊勢屋の荒物屋で、楽隠居して下さい。」

六右衛門「そいつは宜いやぁ、でも、あんまり宛にせず、待つことにしよう。」


その日は、六右衛門と、そんな会話をして久八は鮪の刺身と灘の生一本で宜い気持ちになり眠ります。

そんな九月が終わり十月になり、また、仙太郎がやって来て、今月の分だと一両置いて帰ります。

そして十一月。いよいよ冬がやって来て、六右衛門の夜鷹駕籠も、久八の浅草紙売りの商売も厳しい季節と相成ります。

久八「今日は生憎の雨ですね。私は千住から板橋を廻って一泊し、

帰りは大塚、茗荷谷、そして本郷の方を通ってから戻ります。」

六右衛門「確かに厭な雨だが、この位の雨で半チクにしていたら、商売上がったりだから俺も出掛ける事にする。」

そう言って互いに出ましたが、六右衛門の翌日も雨になり相棒が来ず、結局、半チクになり家で酒を喰らって寝て居ります。

一方、久八の方は、予定通りに板橋の木賃宿で一泊して、まだ暗い七ツ立ちで大塚、茗荷谷へと向かい、

昼過ぎ八ツ前に予定が片付いたから、足を延ばして両国まで参りますと、丁度、七ツの鐘が聴こえて参ります。

ここでの仕事を終えて、天秤棒を下して、柳橋の茶店で休憩しておりますと、見覚えのある風体の男が前を横切ります。


アレは仙太郎だ!


何処へ行くのかと見てやれば、辺りをキョロキョロしながら、船着場へと消えて行き案の定、小舟(チョキ)に乗り込みます。

もう、之は北國(なか)へ行くに違いないと確信しますから、天秤棒を茶店に預けて、一目散に大門を目指して駆け出します。

『あの野郎、やっぱり𠮷原通いは止まってなかった。』 『さて、何処の店に入るのか?確かめてやる!』そう思って駆け出す久八。

どうやら、先回りして大門に着きまして、見返り柳の影に隠れて、野郎が来るのを待って居ります。

すると、縮緬頭巾の仙太郎、小舟を下りて堤(ドテ)の方から、フラッカ!フラッカ!歩いて参ります。

大門を抜けて仲之町通りを直ぐに左折、江戸町二丁目へ、やっぱり!と思った『松葉屋半左衛門』へと入ります。


牛太郎「毎度有難う御座います、若旦那! 伊勢五の若様です。小夜衣さん! 小夜衣さん!」

威勢のいい牛太郎の声に押されて中へ消えて行く、仙太郎。そして、やっぱり、小夜衣とも切れておりません。

ここまで確かめた頃、夕陽が眩しい位置で、沈もうとしております。そんな西日を横から受ける久八は、

さぁ、どうしてやろう!と、思いながら取り敢えず、天秤棒を預けた店から受け取って、

神田明神下の長屋へと帰って参りますと、仕事が半チクに成った六右衛門が一杯呑んで布団を被って寝ています。

その頃丁度、遠寺の鐘が四ツを告げております。久八は家ん中に入り火を起こし、湯を沸かして茶漬けなんぞを掻っ込む。

その物音で、六右衛門が目を覚ましまして、話し掛けて参ります。

六右衛門「何んだぁ、久八、帰っていたのか?」

久八「すいません、起こしちまいまして、時に、叔父さん今日は仕事は半チクに成ったんですか?」

六右衛門「そうなんだぁ、俺は今日もやる気だったのに、相棒が休んで来ないから。。。仕方ねぇ~、半チクに成った。」

久八「そうですかい、炭団がいい感じに赤くなってます。行火(アンカ)!入れますか?」

六右衛門「そうだなぁ、さっきは一杯呑んで芯から温まって居たから平気だったが、今度は行火を入れて貰おう。」

六右衛門が行火を欲しがったので、足元に入れてやる久八。自分の分も布団に入れて床に着きます。

勿論、本当に朝まで眠りに付くつもりはサラサラ無く、四ツ半か九ツに成れば飛び起きて、

仙太郎の奴を待ち伏せする為に、𠮷原へ向けて駆け出すつもりで御座います。

そうして、布団の中に入ってはみましたが、まんじりともせず、九ツの鐘を待たずに、

六右衛門を起こさない様に気を付けて、静かにゆっくりと起き上がる久八です。


直ぐに、支度をして黒い木綿の袷に博多の木綿帯。穴の空いた黒い足袋を付けて、その下には草鞋を履いて居ります。

更に醬油で煮しめた様な手拭いを頬被りにして、一番細くて長い天秤棒を護身用に持って出ます。

そして、闇に紛れて𠮷原へ着いた時は、まだ、八ツ半ぐらいで犬の遠吠えすら聴こえて来ない。

針を一本落とした音でも聴こえて来るような、𠮷原は、そんあ静寂の闇に包まれておりました。


(カルロス)ゴーン!


七ツの鐘を合図に出て来たのが、河岸の仲良し三人組で御座います。

喜六「だから、あんな化物語みたいな女郎しか居ない店は駄目だって言ったんだ。それを清さんが、顔何んて直ぐに慣れる。

芸達者で、床上手は不細工に限ると言うから、あんな『蹴転(けころ)』に毛の生えた様な店にするから。。。あぁ〜悔しい。」

清八「其れでも、最初(ハナ)は楽しかったし、値段が値段やないかぁ?一人一分二朱やぞ!我慢せぇ。」

源兵衛「そうやとも、別嬪の花魁だと、ツンケンしやがって、手も握らせん癖に、五両、十両取られるよりはマシだぞ、喜坊。」

なんぞと、それはそれはけたたましい事この上ない連中である。その三人がフラッカ!フラッカ!歩いて出る跡から、縮緬頭巾の仙太郎が江戸町二丁目と仲之町の角を出て来たのです。

直ぐにでも、仙太郎を呼び止めて問い正したい思いをグッと我慢して、大門を抜け堤を歩く仙太郎を、見失わない様に跡を付ける久八。

やっと三丁ほど進んだ所で、三人組がションベン!ションベン!と、ハシャギながら田圃の方へ消えたので、

ここぞと仙太郎との間合いを詰めた久八は、暫く周囲に人影が無いのを見計らって、いよいよ寂しい路地に入った所で、仙太郎に声を掛けます。


若旦那!伊勢屋の若旦那! やさ、仙太郎!


言われて仙太郎が、頭巾を取りながら振り返ると其処に久八が立って御座いますから、是はまずい!と、思いまして、逃げようと致します。

しかし、久八が逃すはずが御座いません。後ろから仙太郎の足元目掛けて、天秤棒を投げると、二本の足に是が絡んで仙太郎は転んで仕舞います。

仙太郎「何をなさいます!久八さん。」

久八「何をなさいますだぁ〜、このおたんこなす! 全部見ていたんだ、こちとらなぁ〜。」

言われた仙太郎、グゥの音も出ませんから、ただただ下を俯いて立ち止まります。其れを久八が胸ぐらを掴んで、無理矢理顔を上げさせ、怒鳴り付けます。


久八「ヤイ!仙太郎。お前と言う野郎は、本当に救いようの無い奴だなぁ。

あんな不義理をされて、叔父の村井長庵とグルになってお前を騙した小夜衣花魁に、どう言う料簡で、又、大枚払って逢いに行くんだ!!

あの夜、六月十五日の夜の事を、もう忘れたのか?!箪笥の奥から長脇差を持ち出して、殺してやると憎悪を剥き出しにしたあの夜を。

確かに表立ってお前から五十両を騙し取ったのは長庵だが、半分の二十五両は小夜衣の懐中に入っていると、お前は考えないのか?!

本当に情け無い、本当に救いようのない馬鹿野郎だ!もう、こうなったら、お前を連れて、伊勢屋へ行って、もう一度、大旦那様とお噺をするしかないなぁ!」

そう言って、胸ぐらを掴んで背後の塀に二度、三度ブチ当てますと、突然、仙太郎がぐったりして、意識が無くなります。

「どうした!仙太郎」と叫びながら、揺らしますが、意識は戻りません。慌てた久八、天水桶から水を取って、グッたりした仙太郎に飲ませようと致しますが、もう事切れていて飲んでは呉れません。


主殺し


そんな言葉が久八の頭ん中を駆け巡り、絶望感で一杯になります。こんなに人と言うものは、簡単に死んで仕舞うのか?

そんな虚無と絶望に苛まれた久八は、その場に、仙太郎の死骸を残して、テクテクと夢遊病のように彷徨い歩き、浅草の番屋へと入って行き『自訴』致します。


主殺しです。


そう言って、南町の月番の番屋へと自訴した久八。もう、どうなっても構わないと自暴自棄で入った番屋が、南町大岡越前守が月番だった事で、此の物語は、新たな展開、政談らしい展開へと噺は佳境を迎えます。



つづく