伊勢屋五郎兵衛の店に久八が来て、十七年の歳月が流れた。四十八戸前だった庫が、今年、六十を超えた。
今年二十九歳になった久八が、主人である五郎兵衛を『大事な噺がある!』と、呼び出して噺をしております。
五郎兵衛「何だねぇ、番頭さん、改まって大事な噺って?」
久八「私も、こちらに奉公して今年で十七年、二十九になりました。お陰様で、両親は田舎で健在にしております。
そこで、そろそろお暇を頂戴して、田舎の岩渕に帰って、親孝行がしたいと思います。」
五郎兵衛「それは、急な噺だなぁ~。お前さんは十二歳でうちに来て呉て、本当に宜く働いて呉れた。
お前さんの頑張りが在ったからこそ、うちの身代もこの十年で、こんなに大きく成った。
そのお前さんに、今、辞められると、伊勢屋は傾いてしまいます。だから、せめて!お前さんの後継者が育つまで、待ってお呉れ!」
久八「旦那様の仰る事は判りますが、私の両親も既に高齢なので期限を決めて、お暇を頂戴したいです。」
五郎兵衛「うーん、困ったなぁ、今、お前さんに辞められると伊勢屋は本当に立ち行かなくなる。どうだろうか?久八。
乃公の我儘で恐縮なのだが、私には子供がない、養子を取ろうとはしているが『帯に短し襷に長し』で、
なかなか相応しい人物がいない。久八、お前さんを養子にと頼んだ時期も在ったが、
お前さん自身が伊勢屋の身代を継ぐ気はないと言うし、養子が決まらぬままズルズルここまで引き延ばして来た。
だが、やはりここは養子を貰う方向で、真剣に考えてみる事にしよう。ただ、そこでだが、久八!
お前さんも伊勢屋の養子探しを真剣に考えて呉れんか?お前が見立てた養子なら乃公に異存はない。
久八、色々と面倒を掛けるが、来年春には故郷へ戻れるようにするから、宜しく頼む。」
伊勢五に美しい娘でも有れば、婿に来る相手は、それなりに在ったと思うが、
これだけの身代が在りながら、この伊勢屋五郎兵衛という人、及び伊勢五の評判はすこぶる悪いと言えます。
と、云うのも、『乞食伊勢屋』と評判なくらい、締まりが厳しいと云うかぁ、吝で有名である。
だから、間口六軒の両替・質屋と、間口三軒の油問屋、更には同じく間口三軒の荒物問屋も営みながら、
六十戸前の蔵持ちな上に、借家経営だけでも左団扇、資産は一万両近いはずなのに。。。
さて、日本橋長谷川町の新道に『大坂屋善兵衛』と云う、大層流行る古着屋さんが御座いました。
善兵衛「之は之は、久八さん、何か宜い儲け口、美味しい質流れが御座いましたら、今月もうちに宜しくお願いします。」
久八「生憎今月は、丸屋さんが蔵ごと全部言い値で引き取るからと仰るもんで、昨日粗方売り終わってしまいました。」
善兵衛「そいつは残念だった。では、うちも蔵で引き取るから、来月以降は儲け口を世話して下さい、久八さん!!」
久八「分かりました。大坂屋さんの事を気に留めて於く事に致します。そうだ、ちょいと、大坂屋さんにご相談が在りまして、
いや、ここでは何んですから、何処か静かにお噺の出来る、水茶屋でこんな事(酒を呑む仕草)しながら、どうですか?」
善兵衛「伊勢五さんから、呑みのお誘いなど珍しい。是非是非、行きましょう。」
久八「折角ですから、浮世小路の『百川』辺りで、どうです?」
善兵衛「いいですね、『百川』。参りましょう。」
久八は、大坂屋善兵衛を連れて、浮世小路の百川へとフラッカ、フラッカ歩いて参ります。
久八「御免なさいよぉ!」
ウぃーヒッ!
威勢のいい上州なまりの返事が返って来て、『之が有名人の百兵衛さんか?!』と思っておりますと、
百兵衛「いらっしゃいませぇ! お二人さんでガスか?」
久八「ハイ、二人です。大切な商談なので、あまり人に聴かれたくありません。静かな部屋をお願いします。」
百兵衛「静かな部屋とか、ジャイアンな部屋とか御座いませんでぇ、ウィーシィ!」
久八「人に盗み聴きされないようなお部屋をお願いします。」
百兵衛「盗み聴きなど、そったら事!壁に耳あり障子に目ありみたいな女中は、百川には居ねぇ~だぁが、
強いて云うと、お清ドンがチト危ないデぇ、お清ドンだけは行くなぁ!と、厳しく云って於きますから、
では、まんず、お二階の、一番ドン付の『三笠の間』へご案内ねぇ~します。」
そう云って、百川名物の『百兵衛さん』に、二階の『三笠の間』へと案内されるのです。
この跡、あのペリー一行を幕府が接待した料理屋で御座いますから、それはそれは繁盛しておりました、百川。
久八「では、百兵衛さんおませしますんで、適当に酒、肴をお願いします。」
百兵衛「伊勢五の番頭さん、ご予算は?」
久八「そうですね、昼ですから、二人で一分の弁当御膳をお願いします。」
百兵衛「へい、畏まりました。では、御膳とお酒を運んだら手が鳴るまで近付かない様に、女士(おなごし)さんにはきつく云って於きますので、ごゆっくり。」
流石に、百川ですから、四半刻足らずで暖かいお弁当と、上燗の伏見の生一本が三合ほど出て参ります。
まずは、お一つと、久八と善兵衛は、やったり取ったりしておりますと、久八が口を開きます。
久八「実は、善兵衛さん。貴方の顔の広い処を見込んで、一つお願いが御座います。」
善兵衛「ハイ、伺いましょう。 アレですよね。久八さんはどうしてもって条件は何か御座いますか?」
久八「エッ!まだ、何も話していないのに、」
善兵衛「生涯の伴侶を選ぶのですから、それなりに条件があるでしょう?
色は白い方がいいとか、ガリガリよりぽっちゃりが宜いとか?背は五尺もあると困るとか?
あと、口数が少なく大人しいに限るとか、三味線、琴の一つも弾ける方が宜いとか。。。
後は年齢ですよ。十七、八ですか?それとも、二十二、三? まさかの三十凸凹!!」
久八「大坂屋さん!勘違いしないでください、私の嫁探しのお願いではありません。」
善兵衛「エッ!では、何んのお願いですか? わざわざ百川に来てまで話す内容とは?」
久八「実は、伊勢五の跡継ぎ、養子のお願いで御座います。」
善兵衛「エッ!乞食伊勢屋。。。じゃなく伊勢五さんのご養子?!」
久八「ハイ、私も来年は三十になります。國に老いた両親を残して江戸へ出ておりますので、親孝行しに帰りたい。
そう五郎兵衛旦那に申し上げますと、跡継ぎが決まらぬまま、私に伊勢五を出られると困ると仰って。
そんなこんなで、私の方でも誰か宜い人が居ないものかと、探しておる次第で、
顔の広い大坂屋さんにも一つお願いしますと、そういう訳なんです。」
善兵衛「事情は理解しました。ただ、始末の天才と申しますかぁ、Mr.吝嗇屋(しわいや)、
そんな伊勢屋五郎兵衛の養子になると云う人を探すのは、これはなかなか骨の折れる仕事ですよ。」
久八「判っております。そこをお頼みできるお人は、大坂屋さん!貴方ぐらいなので、一つ!宜しくお願い致します。」
善兵衛「他ならぬ久八さんのご依頼ですから、この大坂屋、出来る限り、お眼鏡に叶う養子を探して参ります。」
久八「重ねて、宜しくお願い致します。」
と、二人は百川で昼食を取りまして、その日は別れました。
それから、十日ばかりが過ぎたある日、大坂屋から久八に朗報が飛び込んで参ります。
大坂屋と同じく古着屋を生業にしています、甲州屋吉兵衛の次男、
仙太郎という者が、この伊勢五の婿養子にうってつけの人物だと推薦して参ります。
この甲州屋は既に、身代を長男で総領の吉太郎に譲り、初代吉兵衛は隠居の身。
吉太郎は、二代目吉兵衛となって、昨年の春に嫁を貰いまして三代目が生まれたばかりで御座います。
この状況で、仙太郎自身が家に居ずらい状況で、早くどこか宜い婿養子の先はないかと探しておりました。
そこへ、婿養子では在りませんが、此の度の養子口の噺が舞い込んだ訳で御座います。
勿論、伊勢五の評判は存じております。『乞食伊勢屋』と呼ばれて、主人の五郎兵衛は江戸で三本の指で数えられる吝!!
東の伊勢五、西の赤螺屋(あかにしや)と言われるくらいに、、因業で強欲なのは百も承知で養子になろうと云う。
噺を主人五郎兵衛に致しますと、持参金は?と言いますから、聴いた久八がビックリ致します。
それでも、二代目吉兵衛に成った吉太郎が、これが太っ腹な宜い人ですから、
実の弟、舎弟の為だと云って、家持地の一部と二百両という持参金を付けて仙太郎を送り出したのです。
これで、仙太郎の養子の噺は、とんとん拍子に進みまして、晩秋十月の末に伊勢屋へ養子入り致します。
これで養子の件が片付いたので、跡はこの仙太郎を久八の代わりに育てさえすれば、
晴れて久八はお役御免となりまして、五十両か?百両くらいのご苦労賃を貰って國へと帰れるのですが。。。
年が改まっても、五郎兵衛が仙太郎を信じて、大きい仕事を任せるという態度に出ませんから、
相変わらず、古着屋の次男坊という態で、ボーっとして暇だけを持て余して暮らして御座います。
まぁ、兎に角、堅いのだけが取り柄のような人間で、贅沢を云わない、銭に興味がないので諍い(いさかい)には成りません。
さて、そんな正月も松が取れて、商売に活気が出始めた十九日の事で御座います。
久八「旦那様、宜しいでしょうか?」
五郎兵衛「何んですか?久八。」
久八「回状が参りました。ご年始の會合(よりあい)の通知のようです。」
五郎兵衛「また、『梅川』とか『万八』、去年使った『亀清』みたいな処で、無駄に散財をする会でしょう?」
久八「今年は、両国柳橋の万八楼のようですね。会費は一分だそうです。」
五郎兵衛「幾らも料理は出ないんですよ、あいう処は。酒を呑む連中は元は取れるかも知れませんが、
私のような下戸は、会費の元が取れません。甘党には汁粉や羊羹が出る訳じゃなし!!
何より腹が立つのは、呼ばれた芸者の玉代をその一分から取られている事です。
私は、芸者にツンペンやられて踊る姿を見ても、ちっとも嬉しくないんだから、本当に損な役回りです。
だから、私のように下戸で、芸者に興味のない人間は、会費を二朱とかに負けて欲しいぐらいです。
そういう訳で、年始の疲れが出て、足腰の調子も悪いから私は万八なんぞへは行きません。
もし、行きたいのなら、番頭さん!久八、お前さんが自腹で参加しなさい。
誰も行きたくないなら、年始の會合など、欠席でも構わないでしょう。どうですか?番頭さん。」
えっ!もう遣いに来た小僧に、十六文駄賃を取られた?! 春から散財ですね。十六文たって、ジャイアント馬場の足じゃないんだから。。。」
また、伊勢屋五郎兵衛の吝嗇屋っぷりを、正月早々見せられた久八でしたが、そこは番頭ですから、嫌な顔一つ見せずに提案致します。
久八「まぁ、まぁ、年始早々から両替屋、質屋の株仲間の総代を勤める伊勢五から、誰も行かないのは、商売上、流石にまずう御座います。
しかし、この日、私は丸安さんと大切な商談があり、板橋、千住方面を廻って帰りますので夜遅くまで身体が空きません。」
五郎兵衛「それなら、仕方ない、欠席と知らせるしかなかろう?月番の世話役は誰だ?」
久八「ハイ、高島屋さんで御座います。」
五郎兵衛「おい、定吉!定は居ませんか?!」
「ヘーイ」と、云って、呼ばれた定吉が奥から現れます。
定吉「旦那様、何で御座いましょう?!」
五郎兵衛「遣いに行ってお呉れ!」
定吉「何処へですか?」
五郎兵衛「高島屋新兵衛の処へ、月末の會合を欠席すると云って来て欲しいんだぁ。」
定吉「では、番頭さんから回状を貰いまして、名前ん所を墨で消してお伝えしに参ります。」
五郎兵衛「馬鹿!何んて恐ろしい事を云い出す小僧だぁ、そんな事をしたら墨は減るし筆先が痛むじゃないか?!
定!お前は、儂の身代を食い潰すつもりか? そんな時はなぁ、新兵衛の目の前で回状を破って見せるんだ!
見せるだけでいい。破って見せれば『あの小僧!無礼千万な野郎だ!』と、高島屋に其れが刷り込まれて、
伊勢五は欠席するんだ!と、忘れられなくなる。そうしたら、破った回状は持ち帰るんだぞ、宜い焚き付けになるからなぁ。」
定吉「そんな事をして、私は、高島屋さんから恨まれませんか?」
五郎兵衛「そりゃぁ、多少は恨まれるさぁ、でも、回状に墨を入れるなんて贅沢しないで済む。」
一事が万事、この調子なので、定吉は諦めた様子で、お遣いに行こうとしておりますと、
この二人の一部始終を見ていた久八が、五郎兵衛に対して提案を致します。
久八「あのぉ~旦那様、旦那と私は万八楼には行きたくない、行けないのなら、若旦那を行かせてちゃぁどうでしょう?!」
五郎兵衛「若旦那って、仙太郎をか?」
久八「そうです。年末に養子になさいましたが、まだ、仙太郎さんの養子のお披露目が済んでおりません。
ですから、この會合を利用して、若旦那・仙太郎さんのお披露目をするんですよ。
高島屋さんへは、私が手紙を書いて、お披露目の件をお願いすできる様に根回しをしておきます。
そうすれば、一分、いや一分と十六文で、養子の披露目が済んでしまいます。どうです、一石二鳥の妙案でしょう?!」
五郎兵衛「そいつは宜い!! 確かに、その養子の披露目は、私も頭が痛い難題だったんだぁ。
早くやり過ぎて仙太郎を勘当にしたら、全くの無駄になるし、かと言って遅すぎると、意味がない。
其れに何より『披露目の費用の捻出だ!』まさか、もうから持参金の二百両に手を着けるって訳には行かない。
かと言って、自腹や店の金って訳には行かない。ここは、会費制にするか?強制ご祝儀制? 悩ましい大問題だったんだ。
それを、組合の會合を利用して、一分と十六文で済ませるなんざ、流石、伊勢五の番頭さんだ!!」
久八「では、旦那様の名代として仙太郎さんに万八へは行って貰いましょう。」
こうして、質屋・両替屋組合の新年の會合には、若旦那である養子で来たばかりの仙太郎が出向く事になり、
その機会に、仙太郎を出席した業界の方々へ、紹介して頂くべく、久八は世話役の高島屋新兵衛に手紙を書きました。
勿論、五郎兵衛とは違って、頼む時には『魚心あれば水心』で、山吹色の小判を十枚ばかり包みます。
そして、正月二十五日、いよいよ万八楼での組合會合の当日で御座います。
五郎兵衛「仙太郎!仙太郎やぁ、支度は出来ましたか?!」
仙太郎「ハイ、お父様。」
五郎兵衛「いやいや、其れにしても仙太郎!今日の着物(ナリ)は実に立派だなぁ。どうやってそんな着物を手に入れた。」
仙太郎「冨澤町の祖父が、こちらへの養子祝いに拵えて呉れた物に御座います。」
五郎兵衛「その上着は斜子織か?」
仙太郎「いいえ、歴とした秋田に御座います。」
五郎兵衛「其れが秋田ですか? 世の中に秋田の畝織という物があると噂では聴いた事はあるが、見るのは初めてです。
それで、羽織が秋田で、下着は?それも奥州物ですか?」
仙太郎「いいえ、こちらは琉球紬に御座います。」
五郎兵衛「其れが琉球紬ですか? 世の中に琉球の紬という物があると噂では聴いた事はあるが、見るのは初めてです。
それで、羽織が秋田で、下着は琉球紬、普通絶対に出逢わない、いや出逢えない組合せですね。」
仙太郎「そこが粋というもので、大層気に入っております。」
五郎兵衛「粋ですか?粋ねぇ、それは、合わせて幾らぐらいするの?
因みに私のこの木綿モンは二両ですけど、質流れですから実販価格は二朱と百五十です。」
仙太郎「私が支払った訳ではありませんから、実販価格は判りかねますが、百五十か?二百両はすると思います。」
これを聴いて、五郎兵衛は、眩暈を覚えて貧血で倒れそうになります。そして、見て居た久八が次の間へと連れて行きます。
五郎兵衛「番頭さん!聴きましたか?」
久八「ハイ、対で二百両は、私でも、なかなか剛毅だと思います。」
五郎兵衛「そうじゃ、ありません。料簡の噺です。二百両の使い道としての事を云っているのです。
私なら、他人に貸して利息を取る事を考えます。二百両が一年で二百五十両には成るでしょう。
これを福利で廻したら。。。三年で三百九十両、五年で六百十両、七年で九百五十三両、
そして十年後には千八百六十二両なんですよ。」
久八「その辺りの料簡の噺は、おいおい仕込むとしてですよ、旦那様。
私は、伊勢五の若旦那ならば、三着、四着持っていて当たり前田の百万石だと思います。」
五郎兵衛「そんな物かのぉ~」
久八は、思います。仙太郎は古着屋の倅なので、ある程度、着道楽なのは仕方ないと、
ただ、この事で五郎兵衛と不仲に成られるのは困る。上手く間に入って二人の関係を取り持つ役目の重さを痛感致します。
更に、いよいよ両国柳橋の万八楼へと、仙太郎が金次郎という手代をお伴に連れて出掛けようと致します。
仙太郎「お父さん、番頭さん、では行って参ります。」
五郎兵衛「重箱は持ったのか?金次郎。」
金次郎「重箱?何んの為のお重ですか?」
五郎兵衛「馬鹿野郎! これだ。何の為って、宴会の料理を詰める以外、何の目的が在るんだ?!
その様子じゃ、昨日の晩飯、今日の昼飯は抜いていないな?!今日は宴会のお伴なんだぞ!?
限界まで絶食して、飢餓状態で望んでこそ、宴会の醍醐味じゃないかぁ?!この田分けめぇ。
いいから、取り敢えず、うちで一番大きい五段重を二つ下げて行きなさい。
宴会場に入ったら、呑ん兵衛でツマミを荒らさない!とか、言って江戸っ子を気取る、上州屋と山城屋みたいな奴の傍に座るんだ。
そして、その呑ん兵衛が芸者や唄、踊りに夢中になり出したら、宴会の料理を値の張る美味い物から重箱ん中に入れて行んだ。
詰めるったって闇雲に詰めてはいけないぞ。まず、汁の出ない物を選ぶ。そして、甘い物は甘い物、辛い物は辛い物、
味が混ざると不味くなる物同士は、お重を分けて入れるようにするんだ!いいな、金次郎、失敗するんじゃないぞ!」
仙太郎「畏まりました、お父さん。」
と、口では申しましたが、先の着物の件といい、この重箱の件も、仙太郎は些かカルチャーショックを受けるのでした。
そして、伊勢五の店を出ようとした処で、久八に声を掛けられます。
久八「若旦那、申し訳ございません。旦那の始末にも困ったもんで。。。ですが、辛抱して下さいね、おいおい、私が要領をお教えします。」
仙太郎「番頭さん、噺には聴いていたし、私も次男坊だから覚悟をして養子に来たが、ここまでとは思いませんでした。」
久八「でしょうねぇ、お察しします。何かあったら、まず、不満は私に云って下さい。今日の小遣いだって幾ら貰いました?」
仙太郎「百文ですよ、何んて云って呉れたと思います、『男は一つ度外に出ると、七人の敵が居る』と、そう云って百文ですよ、百文。
アタシは、B29に竹槍で立ち向う婦女子の気持ちが分かりましたよ。」
久八「じゃぁ、取り敢えず、ここに三両在りますから、之を持って行って下さい。」
仙太郎「いいよ、番頭さん、冨澤町の爺さんから二十両ばかり貰ったお小遣いがまだ在るから。」
久八「そうですかぁ、それじゃ、重箱の方は、柳橋から両国広小路の間にある『魚心』って、魚屋があるでしょう?
あそこに段取りしてあるから、空の重箱を預けて行って、帰りに金次郎に取りに行かせて下さい。
段取りは付けて在りますから、適当に重箱を満たして呉るんでね、それで誤魔化して下さい。」
仙太郎「そんな事してバレないのかい?万八楼と魚心じゃ料理の格が違うよ、格が?!」
久八「そんな物に気付くような贅沢は、あの旦那はしてませんから、ご安心下さい。」
仙太郎「そうかい、有難う番頭さん。之からも頼りにしているよ。」
久八「では、お気を付けて、なるべく早く帰って来て下さい。」
仙太郎「ハイ、行って参ります。」
「行ってらっしゃ!」
店の奉公人に声掛けられて、養子の仙太郎はお伴の金次郎を連れ、初めて組合の會合へと出掛けます。
さて、この會合で、仙太郎には飛んでいない出逢いが御座いまして、『石部金吉金兜』が一夜にして柔らかくなり、
『豆腐屋プリン丞ゼリー男』へと変貌してしまう辺りの噺は、次回のお楽しみで御座います。
つづく