いやはや、行きの電車を乗り過ごして、五分遅刻に成ってしまった国宝!神田松鯉先生の、至極の独演会!!たった十数人の空間での松鯉先生。

しかも、五月に緊急事態宣言の三回目で延期された、そして四回目を跳ね退けた墨亭での独演会!!こんな内容でした。







1.小幡小平次

元は講釈なんですが、稲荷町の正蔵師匠の十八番と言う印象が強い噺で御座います。

さて、松鯉先生自身が役者上がりで、二代目山陽先生に入門したのは二十七歳の時で、それまでは、新派の芝居と二代目中村歌門先生に指示して、松竹歌舞伎の大部屋役者だった噺からマクラを振られました。

歌門先生を、成駒屋だと言われましたが、屋号は駒村屋だと思います。更に二代目談洲楼燕枝の長男である事に触れておられました。

此の二代目歌門さんの姉さんは、前進座創立者の一人である三代目中村翫右衛門さんのご内儀ですね。

そんな話題から上手い具合に、初代團十郎『成田屋』の話題に持って行き、

この初代が元禄十七年二月十九日市村座で『わたまし十二段』の佐藤忠信役を演じている最中に、役者の生島半六に舞台上で刺殺された噺をなさいます。

此処で直ぐに『小幡小平次』には入らずに、二代目團十郎の噺、特に『外郎売』、二代目團十郎と言えば、『外郎売』なんだって噺をされて、


【其の口上】

拙者親方と申すは、お立合いの中うちにご存知のお方もござりましょうが、お江戸を発たって二十里上方(にじゅうりかみがた)、相州小田原一色町(そうしゅうおだわらいっしきまち)をお過ぎなされて青物町を登りへおいでなさるれば,

欄干橋虎屋藤右衛門(らんかんばしとらやとうえもん)、只今は剃髪致して円斎と名乗りまする。

 元朝より大晦日(おおつごもり)まで、お手に入れまするこの薬は、昔、珍ちんの国の唐人、外郎(ういろう)という人、わが朝ちょうへ来たり、帝みかどへ参内さんだいの折からこの薬を深く籠こめ置き、

用ゆる時は一粒ずつ、冠かぶりの隙間より取り出いだす。依ってその名を帝より、透頂香(とうちんこう)と賜たまわる。

即ち文字もじには「頂ただき・透く・香(におい)」と書いて、『とうちんこう』と申す。

 只今はこの薬、殊の外か世上に弘まり、方々に似看板を出し、イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のといろいろに申せども、平仮名をもって「ういろう」と致いたしたは親方円斎ばかり。

もしやお立合いの中うちに熱海か搭の沢へ湯冶にお出いでなさるるか、又は伊勢御参宮の折りからは、必ず門違いなされまするな。

お登りならば右の方かた、お下りなれば左側,八方が八やつ棟むね、表が三みつ棟むね、玉堂造(ぎょくどうづくり)、破風は、菊に桐の薹の御紋を御赦免あって系図正しき薬でござる。

 いや最前より家名の自慢ばかり申しても、ご存知ない方には、正身の胡椒の丸呑み、白河夜船。さらば一粒いちりゅう食べかけて、その気味合いをお目にかけましょう。

先まずこの薬をかように一粒(いちりゅう)舌の上にのせまして腹内へ納めますると、イヤどうも言えぬは、胃・心・肺・肝がすこやかになって薫風くんぷう喉のんどより来たり。

口中微涼を生ずるが如し。魚・鳥・茸・麺類の食い合わせ、その外、万病速効ある事、神の如し。 

さてこの薬、第一の奇妙には、舌のまわることが、銭独楽がはだしで逃げる。ひょっと舌がまわり出すと、矢も盾もたまらぬじゃ。

 そりゃそりゃそりゃ、そりゃそりゃ、まわってきたわ、まわってくるわ。アワヤ喉んどサタラナ舌に、カ牙げサ歯音、ハマの二つは唇の軽重、開合さわやかに、あかさたなはまやらわ、おこそとのほもよろお。一つへぎへぎに、へぎほしはじかみ、盆豆盆米盆牛蒡ぼんまめぼんごめぼんごぼう、摘み蓼たでつみ豆つみ山椒ざんしょう。書写山しょしゃざんの社僧正しゃそうじょう。粉米こごめのなまがみ粉米のなまがみこん粉米の小生こなまがみ、繻子緋繻子、繻子・繻珍。親も嘉兵衛子も嘉兵衛、親かへい子かへい子かへい親かへい。古栗の木の古切口、雨合羽、番合羽、貴様も皮脚絆(かわぎゃはん)、我等(がきゃはん)も皮脚絆。しっ皮袴のしっぽころびを、三針はりなかにちょと縫うて、縫うてちょとぶんだせ。河原撫子(かわらなでしこ)、野石竹(のぜきちく)のら如来、のら如来、三如来に、六如来。

一寸のお小仏に、おけつまずきゃるな。細溝(ほそみぞ)にどじょにょろり。

京の生鱈、奈良生学鰹、ちょと四五貫目、お茶立ちょ茶立ちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹茶せんでお茶っと立ちゃ。


 来るは来るは何が来る、高野の山のお杮こけら小僧、狸百匹・箸百膳・天目百杯・棒八百本。

武具馬具、三組馬具、合わせて武具馬具、六武具馬具。

菊菊栗、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。麦、塵、むぎごみ、三みむぎごみ、合わせてむぎごみ、六むむぎごみ。

あの長押の長薙刀は誰たが長薙刀ぞ。向こうの胡麻がらは荏えのごまがらか真まごまがらか、あれこそほんの真胡麻殻。がらぴいがらぴい風車かざぐるま。

おきゃがれこぼし、おきゃがれ小法師こぼし、ゆんべもこぼして又こぼした。

たあぷぽぽ、たあぷぽぽ、ちりからちりからつったっぽ。

たっぽたっぽ干ひいだこ、落ちたら煮て食お、煮ても焼いても食われぬ物は、五徳、鉄灸、金熊童子に、石熊・石持ち・虎熊・虎きす。

中にも東寺の羅生門には、茨木童子で栗五合、つかんでお蒸むしゃる、彼かの頼光らいこうの膝元去らず。

 鮒ふな・金柑・椎茸・さだめて後段な、そば切り、そうめん、うどんか愚鈍ぐどんな、小新発知こしんぼち。小棚の小下の小桶にこ味噌が、こ有るぞ、

小杓子、こ持って、こ掬くって、こ寄こせ、おっと合点だ、心得えたんぼの川崎・神奈川・程が谷・戸塚は走って行けば灸やいとを摺り剥く三里ばかりか、

藤沢、平塚、大磯がしや、小磯の宿を七つ起きして早天早々、相州小田原とうちん香。

隠れござらぬ貴賎群衆(きせんぐんじゅ)の花のお江戸の花ういろう、あれあの花を見てお心を御和ゃっという、産子うぶこ、這はう子に至るまで、

此の外郎の御評判、御存知ないとは申されまいまいつぶり、角つの出せ棒出せ、ぼうぼうまゆに、臼うす・杵きね・すりばち・ばちばちぐわらぐわらぐわらと羽目を弛ずして今日お出いでの何茂様いずれもさまに、

上げねばならぬ、売らねばならぬと、息勢いきせい引っぱり、東方世界の薬の元締め、薬師如来も照覧あれと、ホホ敬ってういろうはいらっしゃりませぬか。


勿論、先生が全部口上を言いませんが、出だしの『円斎と名乗りまする!』辺りまで、一節やって、二代目團十郎が上方で、この『外郎売』を掛けた時に、

團十郎が口上を言い立てる前に、上方のいちびった客が此の口上を先に言ってしまい、團十郎を困らせる。

しかし、二代目團十郎は、そんな客の上を行って、この口上を丸っ切り逆から言い立ててみせて、客席は拍手喝采となり、

この二代目團十郎の人気は、上方でも『不動』の物となるのですね、『成田屋』だけに。


そんな長目のマクラから、噺が又初代に戻りとある大名に呼ばれた團十郎が、其の酒宴の席で、『荒事の真髄を予は見たい!』と言われて、

徐に立ち上がった團十郎、舞うと手足をその場の障子や唐紙にぶつけて、破壊を始めます。驚いたのは、同席の大名の家臣たち、

『無礼者!何を致す團十郎、気でも違ったのか?』と怒るって刀の柄を握ると、「之が荒事成れば、ご披露仕り申したまで。」と涼しい顔で言ったそうです。

このエピソードは、松鯉先生からこの噺を受け注いでいる松之丞の六代伯山先生もおやりになります。


初代團十郎を刺し殺した役者の生島半六と、その妻、お千加が幼い息子、半之助を抱えて困っている。

そこへ現れるのが、お囃子さんの太九郎と言う男と、名代下の役者小幡小平次で、この二人の男を手玉に取り、

自分の掌で遊ばせながら、上手く両方から銭を引っ張り出す、いや出させる悪い女の千加で御座います。

そして、タチが悪いのは、より太いスポンサーであるハズの小幡小平次には、太九郎の存在を秘密にしているのに、

太九郎には、『小幡小平次』の存在を知られてしまったから、表向きは、小平次の女房として、振る舞いながら、裏では太九郎とも逢い引きをしております。

何んとも、松鯉先生の『小幡小平次』は、此処までの持って行き方が、独特と言うかぁ、先生自身の噺から二人の團十郎に流れて、

何んとなく知らない間に、『小幡小平次』本編になって行くんですよね。不思議な感じか大変致しました。


此の噺は、お千加が悪い女で、小平次が名題下から名題への出世の為の披露に使う支度金の百両に目が眩み、

太九郎を唆して、芝居巡業中の奥州郡山の朝霞沼で、釣り船に小平次を誘って、櫂で殴り殺します。

しかし、十日掛けて郡山の朝霞沼から江戸へ太九郎が帰ってみると、一足先に小平次が帰って居て、お千加に「この意気地無し!!」と言われますが、

実は、此の小平次は幽霊で、お千加と太九郎は、この跡、この幽霊に取殺される。

松鯉先生の釣船で、沼で太九郎が小平次を殺す場面、やっぱりこの迫力が宜いですね。殺す時の目力が半端なくて、櫂で小平次が額を割られて、

死にたくない!と、必死で船縁を握る手を更に打ち打擲する太九郎の形相が真に迫って恐ろしい。

まぁ、すぐ、2メートルくらいの距離で見ているからこその迫力でした。



2.天保六花撰『松江侯玄関先の場』〜上州屋の依頼〜


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いやぁ〜『天保六花撰』の河内山が活躍する噺の中でも、芝居で有名な、「上州屋から、松平出羽守の屋敷に、お浪こと浪路救出」での河内山宗俊の活躍が聞けて最高でした。

此処を聞いたのは、六代目伯龍先生以来でして、いやぁ〜、松鯉先生で、2メートルで聞けて本当に感激しました。これ以上書くと野暮になるので、之にて一件落着。