『凡夫盛んに神祟りなし』と申しますが、人というものは勢いが在る時は、どんなに大胆な行動に出ても、罰(バチ)は当たらないもの。
村井長庵も、いよいよその悪運の強さに増長致しまして、又、新たな悪事の種を拾います。まぁ、物語と言う物は悪人ばかりでも、善人ばかりでも詰まらない物で、悪人善人が宜い塩梅に混ざり合うと、物語の始まりで御座います。
さて、舞台は千代田のお城に近い神田三河町三丁目で御座います。此処に、伊勢屋五兵衛、通称『伊勢五』と呼ばれるお店(おたな)が御座います。
この伊勢五に、久八と言う番頭が御座いますが、此の人は、元々は、京都の精進料理の料理人だった、藤蔵と言う人と妻美智の間に生まれますが、
しかし、母の美智は久八を生むと、産後の肥立が悪く、其のお七夜の晩に亡くなってしまいます。
乳飲児を抱えて藤蔵、最初は近所に貰い乳などをしながら、幼い久八、此の時、藤蔵は赤ん坊には、藤松と言う名前を付け、育てておりましたが、
本業の料理人としての仕事が、赤ん坊の藤松を抱えて居ては務まらず、親子二人、食べて行く事も儘ならぬ状態です。
そこで、藤蔵は幼い藤松を連れて京を出て、浅草花川戸で出逢茶屋を営んでいる、従兄弟の山城屋忠兵衛と言う男を頼り、料理人としてこの茶屋で働く事を決意致します。
京より東海道を東に下る藤蔵、藤松親子ですか、此の道中も、貰い乳をしないと藤松が生きて行けないので、藤蔵の旅は困難を極めます。
そして、やっと京から江戸への道半ば、中間点の駿府は岩渕の並木地蔵堂、その周りの田圃で野良仕事をしている百姓が、たまたま、乳飲児を連れて居る、是が藤蔵の目に留まります。
藤蔵「私は、京より江戸表に向かう旅の者ですが、倅を産んで女房に死なれ、貰い乳をしながらの旅で御座います。
申し訳有りませんが、倅に乳を恵んで貰えませんか?もう、二日も乳を飲んでおりません。何卒、宜しくお頼み申します。」
百姓「互いに乳飲児を抱えている身なれば、分けてやりたいのは山々だが、今、乳をヤヤに与えたばかりで、分けてやれる乳が出ません。」
藤松を抱き抱えて、仕方なく白湯を飲ませる藤蔵。其れを見て、百姓夫婦は済まなそうにしているが、どうする事も出来ません。
お地蔵様と言うお方は、冥土に来た十歳に満たない子供の霊を、鬼たちから守り助けて呉れる存在だと聞いた事がある。
地蔵堂に入り、藤蔵は考えて居た。乳飲児の藤松を此のまま江戸表に連れて行くのは厳しい。里子に出すか?『里子に?!』
里子に出すには、里扶持が必要になるが?里扶持を出す余裕があるなら、江戸表まで連れて行ける。しかし、その今は其の余裕が無いから里子なのだが。。。
何やら禅問答の様な胸中に陥る藤蔵。
可哀想だが、藤松!この地蔵堂に捨てるしかない。乳が沢山出る所に拾われたら健康に育つかもしれない。
『身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ!』と言う事も世の中にはある。そして、万一亡くなったとしても、
乳飲児は冥土へ行くと賽の河原で石積みを致します、一つ積んでは母の為、二つ積んでは父の為、と!
しかし、その石積みを鬼が現れて、理不尽に崩してしまう。だか!此処は地蔵堂、お地蔵様が鬼から助けて下さる。
そんな我が子を捨てる決心をして、藤蔵は、改めて地蔵堂の周囲を見て廻りますれば、悪い犬なども有りませんから、此処に倅を置き去りに致します。
藤蔵「誠にお地蔵様、こんな我儘なお願いをとは思いますが、どうか倅が乳が沢山出る家に拾われます様にお願い致します。
そして、無事にスクスクと成長しますようにお願い致します。藤松を、宜しく宜しくお願い致します。」
そう祈りますと、松蔵は柳こおりに藁を詰めて、綿入を着せた藤松を入れて、地蔵堂を出て、七、八間進みながら、
跡を振り返り又地蔵堂の中に戻り、藤松を抱き抱えて「あぁ、やっぱり親としてこんな事は、やっぱり出来ない。艱難辛苦を乗り越えて、親子で生きて行かねば。。。」
と、思い直してみたものの、、、結局、イヤイヤ捨てるしかないと再度、決意を新たに致しまして。。。こおりの中に藤松を戻します。
心を鬼にして、鬼の料簡になり、倅への思いを断ち切り藤蔵は江戸表へと旅立ちます。
すると暫く刻の流れた頃、地蔵堂の前を馬方が馬を引いて通り掛かると、赤ん坊の泣き声で、地蔵堂ん中を覗くと柳こおりに入れられた赤ん坊を見付けます。
馬方「大変だ!オイ、野良に居る内儀(おかみさん)たち、赤ん坊が乳を欲しがり泣いているでねぇ〜かぁ!」
地蔵堂前の田圃で作業していた、三組、六人の夫婦に向かって、馬方が、こんな事を叫びますから、ビックリした様子で、三人の百姓が地蔵堂へとやって来ます。
百姓A「赤ん坊が居る!?誰の子だぁ?」
百姓B「村で見た事の無い子だし、柳こおりに入っているのを見ると。。。捨て子だらぁ?!」
何も書き置きの類は無く、御守を首から下げているだけで、火が点いた様に泣いて居ります。
百姓C「乳を欲しがって泣いている。誰か、赤ん坊に乳をやって呉れ!!」
そんな噺を百姓同士でしておりますと、其処へ旅姿の托鉢のご出家が通り掛かります。
白い綿の上下衣装(なり)に、手甲脚絆に草鞋を履き、深い網笠を被りまして、杖を突きながら地蔵堂へとやって参ります。
出家「之は?捨て子かぁ?」
百姓A「へぇ、左様です。」
出家「名主を誰か呼んで下さい。」
百姓B「分かりました。」
そう言って、百姓が名主を呼びに行くと、ご出家は、矢立と紙を取り出して、赤ん坊の付けている御守を手に取って調べる様に見ておりました。
名主「お待たせしました。私が名主の藤兵衛で御座います。」
出家「私は江戸から参りました、托鉢の出家で御座います。まだ、生まれて間も無い赤ん坊の捨て子で御座います。
御守を付けて居り、虫除けの護符のようで御座います。西国の神社の物のようです。親を怨まぬ様に、御守の中に、之を入れてやろうと存じます。」
そう言うと矢立から筆を取り、ご出家は、紙にサラサラと書き始めたのは、この地蔵堂に捨てられて居た事の書き付けで御座います。
元禄十二年 十一月十三日
駿州岩渕並木地蔵堂に於いて、雲水僧 幻斎是を記すもの哉。
出家「親は何人も、好んで我が子を捨てたりはしない。此の子の親も、身を斬る想いでこのこおりの中に我が子を置いて去ったに違いない。
此の子供が、そんな親を怨まないように、元気に成長出来る、そんな育ての親を、名主様、見付けてやって下さい。」
名主「其れは、御坊、私にお任せ下さい。」
出家「其れでは、此の子の親になる方の心当たりが御座いますか?」
名主「ハイ、つい五日ほど前に、子を産みながら、直ぐにその赤ん坊を失った夫婦が御座います。久右衛門と虎の夫婦に、この捨て子を引き合わせましょう。」
出家「おぉ、其れは宜しゅう御座いました。宜しくお願い申します。」
こうして、料理人藤蔵の倅、藤松は、久右衛門と虎の百姓夫婦に引き取られ、久八と名付けられ育てられる事になります。
夫婦は、初めての子供を亡くし、失意のどん底から此の子を授かり、其れは其れは大切に育てるのでした。
そして、この久八が六歳を迎えた六月。手習の師匠の所へ、読み書きと算盤を習いに行く様になり、久八は、師匠が驚く程の勤勉ぶり、
師匠から久右衛門は、「末は頼もしい息子を持たれて羨ましい!」と、そう言われて、悪い気は致しません。
久八を、久右衛門も妻の虎も、其れは其れは大切に、大切に育てますが、そんな、久八が九歳に成った或日の事でした。
野良仕事から、夫婦が家に帰ると、灯りも点けずに一人息子の久八は、部屋の片隅で泣いて御座います。
久右衛門「どうした?久八。手習や算盤だけが出来ても、子供は駄目なんだぞ!礼儀と言う物が人間は一番大切なんだ。
父母が帰って来たら、まずは、何を於いても、『ご苦労様でした、お帰りなさい!』と、挨拶するもんだぁ。」
虎「此の子は、今日は様子がおかしいですよ、お父さん。いつもなら、絵草子を行燈の灯りの下で読んでいるのに、シクシク泣いてばかり居ます。」
久右衛門「久八!何かあったのか?お父さん、お母さんに話してご覧なさい。」
言われた久八、泪を袖で拭って、久右衛門、虎と向き合って、「お父さん!お母さん!、私が捨て子だったって言うのは、本当の事ですか?」
久右衛門「エッ!、久八、誰がそんな事を言いやがった?!」
そう言うと、久右衛門と虎の夫婦は、思わず顔を見合わせました。
久八「今日、手習の帰り、熊吉と長次郎に『捨て子の久八!捨て子の久八!』って囃子立てられて揶揄われたんだ。
『並木地蔵堂の捨て子だった!』と言われて。。。本当なんですか?父さん!母さん!」
虎「其れはねぇ、久八。。。」
久右衛門「虎、もういい。本当の事を話してやる。虎、行灯に火を入れなさい。」
そう言うと、久右衛門は神棚に上げて有った御守を取り出し、中に入れて有った、神を取り出して広げて、其れを久八に見せた。
久右衛門「之は、久八。お前が捨てられて居た並木地蔵堂で、お前を見付けたご出家さんが、書いて下さった、書き付けだ。
そして、この御守は、実の親が、お前の魔除け、虫除けに付けて下さった物だ。さっ、手に取って見なさい。」
こうして、久右衛門と虎の夫婦は、息子久八にその出世の秘密と言うかぁ、久八が捨て子で、久右衛門、虎の実の子ではない事を、初めて言って聴かせるのだった。
久八「お父さん、お母さん、喩え二人が実の父母では無いと知ったとしても、之まで育てて頂いた御恩への感謝は忘れません。」
久右衛門「我らは、お前を雲水が拾ったその時、実の子を虎が産み落とした直後に失い、失意のうちにお前と巡り逢い。
我ら夫婦は、お前を天が与えた死んだ子供の生まれ代わりと信じて育てたし、お前の幸せは、我ら夫婦の幸せだ!と、思って暮して来た。」
そう言うと久右衛門が、押し入れの奥から柳こおりを出して参りまして、この小さな中にお前が入れられて居たんだと、久八にこのこおりに足を入れて見なさいと言います。
九年ぶりに、足を入れてみながら、思わず泪が止まらなくなる久八を、母親の虎が抱きしめて、一緒に咽び泣くのですが、父の久右衛門はじっと堪えます。
久八「父さん母さんが、心血を注いで育てて下さった事は、育てられた私が一番判って居ります。生みの親より育ての親。
お父さんお母さんが、実の両親ではないと知っても変わらず私の父母に御座います。之からも、お二人への感謝を忘れずに、孝行したいと存じます。」
この様にして、久八が十歳になる前に、捨て子であった事を本人が知る事にはなりますが、変わらず読み書き算盤に打ち込み、
久右衛門と虎への孝行も相変わらずで、ただ、漠然と実の両親が何処かに生きているのか?と、思いが芽生えるのでした。
こうして久八は、駿州岩渕で十二歳になるまで育ちますが、『捨て子』として、久右衛門と虎が耕す畑や田圃を受け継いで、岩渕で百姓に成るよりは、
江戸表に出て商人として働いた方が、出世の道が開けるだろうと、久右衛門自身が、久八の手を取り、僅かなツテを頼り江戸表へと連れて出ます。
さて、久右衛門の江戸でのツテ、知合と申しますのは、『夜駕籠渡世』を営みます石町鐘撞新道に住んでいる六右衛門と言う従兄弟で御座います。
六右衛門「久さん、其れで倅さんは、どんな仕事がやりたいんだい。」
久右衛門「兎に角、読み書き算盤は達者だから、商人でそれなりの大店ならば、文句は在りません。」
六右衛門「分かった、其れなら、俺の長屋の家主長役の源兵衛さんに相談してやろう。」
そんなやり取りが有って、久八の就職先を、長役の源兵衛という人にお願い致します。
そして、源兵衛が六右衛門と久右衛門に紹介して呉れたのが、神田で一番の大店、伊勢屋五郎兵衛でした。
此の伊勢五と言う店は、始末の鬼、節約家の五郎兵衛が爪に火を灯して貯めたお金、一代で築いた身代で御座います。
両替商と、油問屋、荒物問屋を営み、四十八戸前のいろは蔵。更に家作は、七つの借家と、三十六軒長屋を五つ、そして三軒長屋を十二持っていると言う大金持ちで御座います。
そこに、源兵衛、六右衛門が久右衛門と久八親子を連れて参りますと、主人五郎兵衛は、丁場格子ん中で、帳面を睨みながら、入って来た四人の方へ目をやります。
すると、土間を通り店に上がる源兵衛、六右衛門、そして、三人目が久八だったのだが、久八は土間に落ちている物差しを拾い上げて、塵を軽く払って近くに居た小僧に渡すのでした。
是を見ていたこの家の主人、五郎兵衛は非常に、強い関心を持ちます。源兵衛と六右衛門の様な大人は気付きもしなかった物差しに気付く久八を、第一印象として使える小僧だと見抜くのです。
五郎兵衛「源兵衛さん、その子はなかなか見所が有りそうだから、四、五日、うちで預かりましょう。」
そう五郎兵衛が言って、久八を預かって呉れたので、喜んで三人は、久八を伊勢五に残して引き上げて参りますが、
久八は、残された伊勢五で、テキパキ働き、五郎兵衛のお気に入りに成って行きます。特に、五郎兵衛が喜んだのは、久八の藁の始末です。
奉公人の喰い扶持に、米や薩摩芋が沢山俵で搬入される伊勢五。是をバラして、藁は焚べ物などの燃料にするのですが、
是を久八にやらせると、たった三日で米が一俵、芋は半俵消費が少なくて済みます。
そのカラクリは、まず、荒っぽく俵を崩して、米を出し、零して捨てる米が意外と多い事に気付いた久八。
崩された俵は、一旦、桶の水に沈め、米を全て剥がし水にプカプカ浮かせてから、燃料に回す事で、一俵茶碗半分くらいの米が増す事になります。
同じく芋も、根やヘタとして食べられるのに捨てられていた部分を、食用に回して、一俵から約二本分の薩摩芋を節約します。
更に、藁の使い道。全てを燃料にするのではなく、上質の部分は草鞋にして、荒物屋の方で売る事にして付加価値を高めてしまうのです。
之を見た伊勢屋五郎兵衛は、小躍りして喜びます。この久八は、自身の二代目となれる逸材!!ヨシ、本採用決定!!
是を、源兵衛を通して父、久右衛門は伝え聴きまして、大いに喜び、江戸お土産を買いまして、駿州岩渕へと帰って行きます。
こうして、駿州岩渕の捨て子から江戸へと出て来た久八。伊勢屋五郎兵衛の店では、兎に角、謹厳実直、石部金吉で、主人、五郎兵衛に一目も二目も置かれます。
何んせ、金を欲しがらない、休みを欲しがらない、寝る間を惜しんで働き、年に二回の薮入りすら、昼間に叔父の六右衛門に逢いに行く程度で店に戻ります。
いよいよ、久八は伊勢五の番頭へと出世しようとしている。そんな久八が、どの様にして、あの村井長庵と出会ってしまうのか?!
その辺りの物語は、次回より詳しく致しますとして、今回は、その序開きのお噺で御座いました。
つづく